はてなキーワード: 学問とは
ちょっと前にぶわーって盛り上がったけど落ち着いたね。
俺の社会学者に対する不信は、彼らが自分の意見を認めてもらう為に学問の権威を利用しているのでは?っていうのが原因だと思うんだけどその辺りを話してた人はいなかったな。
幼い男の子が性同一性障害によって自身を女性と認識するという記事を読んだ。
もちろん周囲からの激しいイジメや暴言・暴行を受けているから辛いのはわかる。
だけどそういう子が「女の子らしい服を着たい」という気持ちはどこから来ているんだろう。彼女は女性という道を歩みたいのだろうけど、だとしてもスカートを履くことが女性らしいという認識をもたせるのは間違っていないか?周りの大人が彼女に対して「女の子ならスカートを履くもの」と無意識に植え付けてしまったから、彼女は苦しんでいるんじゃないか。それこそ性別と服装を一致させる悪しき習慣に思える。女性だとしても男のような格好をしていいし、逆でもいい。それが性同一性障害によるものか、単に嗜好なのか仕事なのかは問わない。
性の役割を問う問題に無知だけど、実はこういう話はずっと前に解決しているのかもしれない。性の役割と性同一性障害はひょっとしたら違うのかもしれない。
こういうのは学問としてどれだけ進んでいるんだろうか
文化人類学とか社会系の学問だと未開の社会も現代の先進国も思考能力や
文化のレベルはかわらないっていうのがレヴィストロース以降の基本的な考で、
ムルンギン族の婚姻ルールが近代ヨーロッパで発見された代数学と同じってことを発見して以降そこに賢さの違いはないって言うのが現代の文系学問の到達点の一つでしょ。
例えば、中世ヨーロッパの治療法で「武器軟膏」っていう治療法があったんだけど、
これがどういう治療法かという武器に軟膏を塗って患部は治療しないという現代から見ると意味不明の治療法だけど、
当時の公衆衛生の基準だと、下手に治療するより患部をほっといたほうが感染症を起こさないのでちゃんと合理性があったんだね。
当時と現代だと社会の違いによって現代から見ると非合理的な行動をしているように見えるけど、そこにはどんな理由があったか研究するって言うのが現代の史学なんだよね。
「社会がどうあるべきかについての個人的な意見を雑なデータで補強して学問っぽく見せかけてるから害悪」
って感じの批判だけど
よく観察するとむしろ批判者側こそがそういう行為が大好きなんだよね
要するに反知性主義者だ
インテリになるための教育を受けたけど、職業インテリになれなかったために嫉妬と憎悪を燃やす人間が中核になるそうだ
日本のネット民は昔から自分だけの狭い領域に閉じこもり、世界を変える努力を放棄してきた
女がセックスを出し惜しみするのはそれが価値のあるものだって理解してるからだろ?
金に換金できるものをなんでタダで提供しなくちゃいけないんだよ?ってことだろ。
そんで結局性欲をため込んでヒステリー起こすのだからいいかげんにしろとしか言いようがない。
40とか30とか諸説あるけれど、女は歳を取ると性欲が強くなるとかいって浮気するだろ。
あれがいい証明だよ。
40とかになって自分のセックスに価値がないとわかると急に出し惜しみがなくなるってことだ。
ほんとしょうものない話だよ。
まあ逆に言うと男がセックスセックスと必死になりすぎるのが問題なんだよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20210204/k10012849731000.html
退学自体が意味不明なことには同意するんだけど、問題なのはこの人気コメふたつ
記事の中に「女子だけが退学させられた」とはひとことも書いてない
「同級生と交際していることが発覚して退学させられた女子が学校を訴えた」ことは、男子が退学させられなかったことを意味しない
トップブコメの人は「女子だけ?」と疑問を呈する感じで書いているのでまだマシだ タグ芸でも男女差別とは書いてないし、誠意がある
しかし、それが100以上のスターを集めてトップに来てるのが異常なんだよな
それをみた結果、「同級生の男女が交際した結果女子だけが退学にされた女性差別案件」という妄想を事実と思い込んだ人が出てきて、
冷静な人もいて、
https://m.crank-in.net/news/73501/1
この高校出身の芸能人が学生生活について語ってる記事を挙げてくれていた
弘中アナに「恋愛禁止でみんなしないんですか?」と尋ねられた浜辺は「バレたら退学なので…ちょっとずつ(生徒が)減ってはいきました。1年生から3年生までで」「(カップルなので)2人ずつ消えていくんでやっぱり」と笑わせた。
とのことで、これを信じるなら(まあ嘘ついてもしゃあないし、信じていいだろう)、男女ともに退学になるのがスタンダードだ
しっかりしてくださいよ、マジで!!
デュルケームとかジンメルとかいるけど、ビックネームがいないし
研究者の多くは社会学のイメージを嫌って哲学者や社会心理学者を名乗る
バブル時代にとにかく学部を増やせと実態の曖昧な「社会学部」みたいなのを私大が乱立させたのが悪い。
学問というものに幻想を持ってる人は多いと思うけど、実は学問って権威主義なんですよね。むしろ、学問とは権威を守るためにあるものと言ってもいいし、権威を守れなかったら学問が学問でなくなるんですよ。
そもそも学問というのは、もともとは宗教の「信者の疑問に答える」という役割を突き詰めた先にあったもので、絶対的な宇宙の真理を探求するもの「ではない」んですよ。(ただ、みんながそう「である」と信じることに意味があるだけで。)
まあ社会学方面については、だからこそ権威の失墜の危機にもう少し真面目に向き合った方がいいんじゃないの?とは思うけど、例えば政治家を辞めさせたいなら代わりに誰を応援するか考えるのは当たり前のことで、無政府主義が新たな権威に取って代わるわけないよね。
そのとき「学者さんが言ってるから正しいんだ!」式の思考停止は害悪でしか無い
こういった状況を防ぐにはもっともっと学者の権威を無くす必要がある
社会学ってそもそも近代社会の自己言及のための(早い話が自画像を描くための)学問で、特に戦後は近代社会を支えていた文化制度や権威をあの手この手で批判して骨抜きにするために戦ってきた。
おかげでかつてのような圧倒的な支配力を誰も持てなくなったし、社会の風通しは大分良くなった。その点で功績はあるけれど、その武器として採用した社会構築主義があまりにも使い勝手が良すぎたもんで、それに甘えて研究レベルも下がっていったし、それ自体を人を支配するための武器に使いたがる社会学者が増えすぎたと思う。
そもそも、欧米の理論は欧米の近代社会を批判するための、向こうの権力関係や文脈を前提としたものだから、そのまま日本に持ち込めるようなものではない。そこら辺をかなり日本の社会学者は都合よくごまかしていると思うし、学問的誠実さにも疑問を感じている。
データサイエンスやゲーム理論、歴史学と組んでいる領域は構築主義の汚染がそれほどでは無いからまともな研究者が多い。
だから社会学全体が叩かれる必要なんていうのはないけれど、一部の領域の構築主義に依存しすぎる体質はディシプリンレベルから考え直さないともうどうしようもないと思う。
なので反省して自己批判する必要は大いにあるけれど、謝る必要はさすがにないだろ。逆に謝れと言う奴は一体何にどのように謝る必要があるのかを明確に説得力のある形で言わないとそれこそ不誠実なんじゃないか。
例え話しているうちに主題と比喩が無意識にすり替わっちゃう悪文パターン。
当然の事ながら行政機関と学問にはなんの関係もないため前者の構造でもって学問分野の分類を語っても意味の通る事は何も言えないのだが。
要するにたわごと。
https://twitter.com/tm2501/status/1356865620206186496 と連続するツイートの
主張を箇条書きにしてみると、こんな感じだろうか
原:何度も言ってるけど、「社会学と哲学は真理の探求や再発見を目的とした学問じゃないことが問題」なんですよ。
訳:社会学や哲学は、真理の探求や再発見を目的とした学問に見えず、問題であると感じる。
訳:社会学や哲学は科学ではない。「議論に参加するまでの難しさ」や「成果を示すこと」によって、大衆を納得させることができないからである。
→意味不明。主張者が科学の一般的な定義について理解しているのかは不明。
原:だから個人的には哲学は歴史学や倫理学の一部ぐらいに(以下略)
訳:社会学や哲学は、真理の探求や再発見を目的とした学問に見えず、問題であり、また、社会学や哲学は科学ではないから、哲学は歴史学や倫理学の一分野として扱うべきだし、社会学は民俗学、経済学又は心理学の一分野として扱うべき。
→意味不明
訳:国家機関(官公庁)に例えてみると、不法行為を取り締まるのは、基本的には警察である。
但し、法律で定めのあるものについては、公正取引委員会、麻薬取締官、労働基準監督署、国税庁や消費者庁等所管が違う場合があ(って、一見ややこしく見え)る。
原:「ややこしく見える」は控えめな言い方で(以下略)
訳:哲学者や社会学者は、自らの学問のみでなく、周縁の学問についても深い学識を有すべきだが、そうした訳でもなく、自らの狭い理解で物事を語ろうとしており、問題である。
→前の主張とどう繋がっているのか、いまいちわからない。また、実例が挙げられないので、有効な主張としては取り扱えない。
訳:国家機関(官公庁)で言えば、被害額の多い事件等、ある種の犯罪については、警察とは違う官庁に取り扱わせようというのは、合理性があるから、納得できる。
訳:しかしながら、社会学や哲学は、現代において重要性が低く、また独立した一ジャンルとして扱う必要・合理性は認められない。これが世論の見解である。
→理由や根拠が示されないので到底同意はできないし、それが世論であるとは言えない。
以上
意訳です。ニュアンス違ってたらごめんね。
「哲学や社会学は、世間の人に、難しくて偉い学問だと捉えられているふしがあるけれど、実際は大したことない。
例えば、哲学は歴史学や倫理学の一部とみなせるチンケな学問だ。社会学も、民俗学や経済学や心理学に包含される狭い学問に過ぎない。
ところで、『哲学・社会学』と『歴史学・倫理学・民俗学・経済学・心理学』との関係を、日本に実在する組織になぞらえてみると、
『警察』と『公取・麻取・労基署・国税庁・消費者庁』との関係に似てるのかも。いや、そうでもないかな。
哲学を学ぶ人は歴史学や倫理学も併せて学んでいるだろうし、社会学にも他の学問の知識が求められるはず。
これに対して、『警察』と『公取・麻取・労基署・国税庁・消費者庁』との関係は、互いに独立している。ということは、そんなに似てないか…
とはいえ、『哲学・社会学』と『歴史学・倫理学・民俗学・経済学・心理学』との関係を、『警察』と『公取・麻取・労基署・国税庁・消費者庁』との関係になぞらえるというアイディア自体は、悪くないと思う。
例えば、一つの組織だけではカバーできないほど業務領域が拡大した場合に、その組織とは異なる新たな組織を作成するのはアリだと思う。
同じように、『歴史学・倫理学・民俗学・経済学・心理学』でカバーできない学問領域があるならば、それらの学問とは異なる『哲学・社会学』という独立した学問領域を設定するのもアリだと思う。
でも、現状の『哲学・社会学』は、『歴史学・倫理学・民俗学・経済学・心理学』でカバーできない学問領域を探求するものではない。やっぱ、『哲学・社会学』って不要だと思う。
頑張って原文いかしつつ書き換えてみたよー!
国家において、不法行為を取り締まるのは基本警察である。しかし刑法で定められる事件のうち、
特定の種類のものは、公取・麻取・労基署・国税庁・消費者庁など、警察とは独立した組織が取り締まることになっている。(2段落前半)
このように、不法行為の取り締まりが警察に一本化されていないのはややこしい。(2段落後半)
とはいえ、国家において「『警察』とは独立して公取・麻取・労基署・国税庁・消費者庁が存在」していることはまだ納得できる。
件数が特に多かったり、被害額が大きいような犯罪の場合、それに特化した取り締まり組織を作ろうというのは、当然の発想だからだ。(4段落前半)
しかし、「『歴史学や倫理学』とは独立して哲学が存在」していることや、「『民俗学、経済学、心理学』とは
独立して社会学が存在」していたりすることはどうなのだろうか。(独自に挿入)
哲学や社会学は、『歴史学や倫理学』『民俗学、経済学、心理学』から独立させるほど重要性が高いのだろうか。
わざわざ「哲学者」「社会学者」という独立した仕事を作る必要があるのだろうか…と世論は見ているように思われる。(4段落後半)
なぜならば、哲学をやるには『歴史学 (世界史)や倫理学』に通じていることが当然求められる。
同様に社会学をやるには『民俗学、経済学、心理学 (歴史的な観点、人間心理の観点)』など、
逆に、もし『歴史学 (世界史)や倫理学』を学んでいない哲学者や、『民俗学、経済学、
心理学 (歴史的な観点、人間心理の観点)』的視点を持たない社会学者がいるとしたら、大いに問題と思われる。(3段落)
つまり、哲学や社会学には、「公取・麻取・労基署・国税庁・消費者庁を『警察』から独立」させたような重要性はない。
哲学は『歴史学や倫理学』の一部、社会学も『民俗学、経済学、心理学』の一部として位置付ければ十分ではないかと考える。(第1段落)
●技術的な点
哲学・社会学を警察と対比させる際に、警察では『警察』と「公取・麻取・労基署・国税庁・消費者庁」、
一方で『歴史学や倫理学』と「哲学」のように、『』と「」のどちらが複数の要素を含むのかが逆転しているのが、わかりにくい理由の一つですね。
1段落の『歴史学』が3段落で世界史になったり、1段落の『民俗学、経済学、心理学』が
3段落では「歴史的な観点、人間心理の観点」になったりと、積極的な意味なく置き換えているのも混乱の原因だと思います。
●追記