はてなキーワード: 同性愛とは
「反動」という言葉にはマイナスイメージばかり付くけど、揺り戻しとか修正とか微温的な対応ではなく確固たる意志を持った、批判的意思と抵抗を突き進める立場として私は評価している。
西欧のある地域から発祥したとしかいえない、曖昧で定義できず、そしてマイノリティの手そのものからすら離れた、ついでにキリスト教色(プロテスタンティズム)が強いくせにそれを否定しようとする、奇妙な概念がすでに十数年も猛威を振るい続けている。
SNS上で過大に増幅され、誰もそれを正確に数値化できず(正確にできないのだから「適量」も当然わからない)、ひたすらポリコレは配慮という贅肉にまみれながら膨れ上がり続けている。
定義も数値化もできないものに対して、我々は卑近な例を挙げるしかない。
我々の生まれ持った素質や外部から定義される優劣を笑いに転換して何が悪いのか?
本当にその芸能人の過去や起した事件は舞台を奪われるに相応しいのか?
なぜ「子ども」が関わると様々な表現が規制されなければならないのか?
アングロサクソン・プロテスタントの一部の道徳基準とその差別の歴史からしか発していない基準をなぜアジアの日本人が採用する必要があるのか?
地上波で裸体が流れてなぜ悪いのか?
芸能人が顔を黒く塗ったとしてそれはWASPのミンストレルショーとは違うものであると何度も説明しているのだが?
そのポリコレを続けたところで、では果していつ、大衆労働者や、地方の人々や、同情されない部類の障害者が尊重される日が来るのか?
その大半の人々の癒しや笑いを不明確に奪い続けてきたのがポリコレではないのか?
上述の通りここでかくポリコレとはとても曖昧なものだ。ブームであり、ムーブメントであり、あるいは野蛮人に対する蒸気機関や機関銃のような物である。
原理はどこかにあるのかもしれないが、それが我々には明かされない。便利なのかもしれないが、ここでは我々を殺す道具にしかなっていない。
そしてそれに対する反発が起きるのは当然である。そして、起きるからには、それこそは明確に「曖昧なものを拒否する。我々は我々の、そしてあなた方より広大な基準がある」というものを示す必要がある。
個別の「昔はよかった論」「弱者男性・女性論」あるいは「不適切にも程がある論」などを乗り越えて、明確な反動を打ち出す必要がある。
そしてそのためには、ポリコレに対する配慮を全く必要としない、確固たる地盤も持つ必要がある。
数ある「炎上」騒動の中でも、自活できる基盤のある会社・個人は、そもそもの圧力を無視するという最高の解決方法を見出せた。これを業界全体、国全体に拡大していく。
日本より立場の弱い、アフリカやラテンアメリカの各国でも、例えば西欧一辺倒によるメディアの支配に対する大衆の反動は行われ、メディアが奇妙な論理に捉われていないかの「逆・監視」が行われている。日本でもそれは出来るはずだ。
そしてポリコレへの反動は大衆やマジョリティのためのものだけではない。具体的に、マイノリティのためにもなる。例えば障害者も障害者で、「ポリコレ」によって牙を抜かれてきた背景がある。
我々を取り巻いている曖昧な空気を取り払うことによって、始めて、例えば映画館や交通機関における障害者の権利問題も、川崎バス闘争の様に明確に語ることができるようになる。発達障害者も、定型発達者の欺瞞をつくことが可能になる。
障害の不便さを笑う芸と、障害者の権利。異性愛であれ同性愛であれそれぞれの機微をポルノに出来る社会と、性的マイノリティ。男女の裸が平然と流れるメディアと、フェミニズム・男女論。それらは同時に生存しているべきだ。それが我々の社会の強さになる。
高輪で開かれたバンナム株主総会で、スレミオ結婚という記述を雑誌で削除したバンナムに対して怒りのお気持ちを5分以上喋り続けて、議長に注意されたあとも延々とお気持ち演説を続けた株主がいたというネタが出てきて笑った
サンライズ取締役の浅沼様に質問。同性結婚削除の圧力の所在はどこか?スレミオ2人の結婚を明言して祝福して頂きたい。という内容だったらしいけど、アニメキャラクターの結婚を認めて祝福することなんて版権元の会社の取締役の仕事じゃなさすぎる
などなど凄い奴らを大量に観測してきたけど、株主総会に突撃して「スレミオをバンナムが認めないなら同性愛差別」をやらかしたのは圧倒的
なんか良いことみたいに言われてる
お父さんとお母さんが居ない状態で、奇妙な状態で生まれたくない
私は赤ちゃんだけど、お母さんお父さんには20歳で結婚して23歳くらいで生まれたい
働かなくていいです。仕事なんかしなくていい
生活保護不正受給でいい
お母さんとお父さんが笑っている家庭が一番
おばあちゃんから産まれたくない、お父さんお母さんが居ない家も嫌だ
都知事選で女性が半裸で写真に写ったポスターを作り、自らそのポスターを張っていた行為に対し、警察が警告したことで撤去に追い込まれた。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.yomiuri.co.jp/election/tochijisen/20240620-OYT1T50179/
「東京都知事選挙でほぼ全裸の女性ポスター掲示、警視庁が条例抵触で警告…候補者「撤去する」」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1244115
「都知事選候補者の“ほぼ全裸”女性ポスターめぐり 都の迷惑防止条例で警告 警視庁 | TBS NEWS DIG」
ニュースそのものや、それに対するブコメがいろいろ突っ込みどころだらけなので気になる点を列挙
・性器や乳首は隠されているので、刑法のわいせつ物陳列罪にはあたらない可能性が高い。
・今回警察が警告した根拠は迷惑防止条例で、「公の場で人を著しくしゆう恥させる卑わいな言動をしてはならない」という規定。「わいせつ」より幅広く対象になる。
迷惑防止条例は全体的にそんな感じで、警察が恣意的に運用して便利に使っていると批判も多い。
・刑法のわいせつ物陳列罪も、迷惑防止条例も、「公職選挙においては禁止から除く」という除外規定はないため、「選挙だから大目に見ろ」と警察が言われても、困るだろう。法令にそんな規定はないので、選挙のときだけ甘く対応したら、それこそ「恣意的運用」である。
起訴までいけば裁判所が「民主主義に必要なのでこの程度で罰すべきではない」と判決を出し判例になっていくかもしれないが、結果的に無罪になるとしても逮捕され裁判を受ける被告人の負担は大きく、ほんらいなら条文に入れ込んでおくべき。
・が、条文で除外規定を設ければ、今回の都知事選のように悪意をもって除外規定を濫用する者はきっと現れるはずで、難しいか。
・あのポスターの掲示が「卑わいな言動」に当たるなら、パンツ一丁の「とにかく明るい安村」が角度によっては全裸に見える姿を、レーティング無しで全国テレビ放送することが「卑わいな言動」で警告されないのは何故か?大相撲の力士達、大相撲の中継放送がなんの問題もなく行われているのは何故か?
・「オッサンには誰も欲情しないから半裸でも卑わいではない、自由にやりなさい」 「若い女には欲情する男がいるから、半裸でも卑わいである、まかりならん」というのは、男性の性欲基準で女性の行動を縛っていて、本人の責によらない性別・年齢による自由の制限であり、男女差別ではないのか?
・若い女性がとにかく明るい安村のような全裸に見える半裸コントをしたいとき、それは禁じられるのか?実際にやってみた動画をyoutubeにアップしたり、公衆の前で披露したら罰せられるのか?
欲情する相手がいない醜い姿の人間(属性)なら許される行動なのに、若い女だと欲情する男がいるから卑わいだと公権力(警察、検察、裁判所)が行動を制限するのは、憲法に定められた平等の権利に反するものではないのか?(ものすごいデブスや老婆だったら?)
・そもそもわいせつ物陳列罪の「わいせつ物」の定義「社会通念による」の運用からして恣意的で、性器が描写されたダビデ像や・裸婦画の現物や写真を公然の場に掲示して摘発されていない。男性器そのものをリアルにかたどったかなまら祭りもお咎めなしである。女性器をリアルにかたどった芸術作品を作ったろくでなし子さんは摘発され最高裁で有罪判決を受けたのに。女体はエロい(男にとって)から隠さなければいけないのか。
・とにかく明るい安村も、大相撲力士も、ゲイの男性やああいうポチャ男性が好みの女性からすれば欲情対象でありその姿は卑わいである。それは少数だからと無視し、「世の多数のノーマル男性」の性欲基準でわいせつ・ひわい認定するのを「社会通念」「国民感情」としている現状は、多様性や平等性からして問題ないのか?
・はてブについていえば、過去に私有地であるビル内の入り口に掲示してあった肌色の多い(着衣はしている)女キャラの大きなイラストを、ネットのフェミニストが「卑わいだ、不適切だ」と抗議して表から見えない裏側に移設させた事例で、「子供も見るのだから抗議・移設は適切だ、TPOを考えろ、ゾーニングだ」と肯定するブコメがスターを集め上位になってたことがあり(他同様の事例多数)、今回のブコメだけ「問題ない、表現の自由だ」とするブコメがスターを集め上位になっているのに、恣意的・偏りを感じざるを得ない。
生身の女性が裸をさらしたいのは女性の自由、女性の権利として大事だが、イラストに描かれた女性の姿は男性の性欲の結果だからより「価値が低い」「重要ではない」「隠されるべき」なのだろうか。
ならば生身の女性が男性受けを狙って肌を露出させたいと思ってたとしたら? 「卑わい」な女キャライラストを女性絵師が表現として描いていたら?
ブコメで「社会通念を基準にするなら、同性婚やジェンダーギャップも」とあってその通りと思った。
社会通念が権利制限の根拠になるのであれば、世の多くの人が「同性で結婚などありえない」と考えてるかぎり、どんなに同性愛当事者が求めても、どんなに苦しんでても、多数の異性愛者にとって何の実害がなくても、「同性婚は社会通念上おかしな要求だから聞く必要はない」とはねのけるのが是となってしまう。
多数の「お気持ち」で少数の権利を制限するのは差別で不当なことだと、同性婚や夫婦別姓では考えることができるのに、どうして性的表現のときだけ「多数のお気持ち=社会通念」で「裸を表現したい」という少数の権利を制限することを是とする事を認める人が多いのか。(ろくでなし子さんや海外でトップレスデモしているフェミニストにとっては、そもそも女の裸は「単なる自分の一部」であって、「性的表現」ではないのだが)
女装して生活したい人とか同性愛者なんて「常識」からしたら変でしかないし
そういうのを認めて受け入れましょうってのが多様性のある社会であって
問題のある人も排除せずにコストをかけて受け入れてきましょうってなってるわけじゃん?
お利口なリベラリストさんはテンプレに当てはまる変な人だけ考えてれば気が楽なのかもしれないけど社会はそうじゃないし
空飛ぶスパゲッティ・モンスター教を掲げて立候補しようと多様性であって
都知事選に変な政治的主張をする人が増えたなら喜ぶべきなんだよ。
ハッキリ言って、君たちが真面目でお硬い人だけが政治家になるべきってのアンコンシャスバイアスだからね?
ネットのありとあらゆるところで、女(ネカマ含む)からの男に対する容赦ない罵声が浴びせられているのを見るせいで、AV探してても風俗のHP見てても、「あー、こいつらもどうせ裏ではクソジャップオスとか言ってるんだろうなぁ」とか言う考えがよぎるようになりチンコの反応が明らかに鈍ってきた。
最近はアニメ化されてない、もしくはアニメ情報を全く仕入れていない漫画のキャラの二次創作エロでしか抜けなくなりつつある。アニメ化されたり、元がゲームで声がつくと、女性声優の存在に考えが及んで萎えてしまう。
このままだとそのうち、女と言う性そのものに嫌悪が生まれてきてしまい、最終的には異性愛者ではいられず、同性愛者にもなれなず、獣姦とかに走りかねないので、ちょっとしばらくはネットを使う時間を減らそうかなって考えている。
とりあえず座ったまま寝落ちするまでパソコンの前でキーボードを叩き続ける生活をやめて、ちゃんと夜は布団に入るところから始めようか?
同性愛および同性愛のセックスに関する、生々しい描写が含まれます。
苦手な方はこの場でブラウザバックしてください。
BLの世界では「攻め」「受け」ですが、ゲイの世界では「タチ」「ウケ」です。そして、アナルセックスで「挿入するほう」「されるほう」でもあります。
なお、アナルセックスをしない嗜好のゲイを「バニラ」と呼びます。ほぼ「ペッティング」ですね。
わたしは20代前半から40歳になるまで双極性障害を罹患していました。今は寛解しています。
わたしにとってセックスは、生きる不安や苦痛から目を逸らすための手段でした。出会い系の掲示板やマッチングアプリを使って、数えきれないほどセックスしました。
求められている実感がほしかったとかではないです。ストレスとセックスが密接に結びついてしまった。性的倒錯の一種なのでしょうか。
ちなみに、「疲れているとヤりたくなる」という男性はそれなりにいるんじゃないでしょうか。それに近く、わたしは精神疾患が原因で常に不安定で、常にセックスを欲していました。
パートナーは何回かできたのですが、わたしがあまりに荒れていたこともあり、どの人ともセックスはすることなく、一瞬で別れました。
「好きだから、愛しているから、セックスする」を一度も経験できなかった。
38歳のときに公認心理師によるカウンセリングを2年間受けたのですが、それが効果てきめんで、わたしの症状は劇的に治りました。
感情が安定していくにつれてゆきずりのセックスの頻度は減り、寛解したころには性欲はほとんどなくなってしまった。
そんなとき、今のパートナーに告白されました(もともと知り合いだった)。
彼には、「自分は性欲が薄い」ことを事前に伝えたうえで、「それは大丈夫。ただ、たまにはイチャイチャしたい」という返答をもらって、交際をスタート。
はじめはわたしも頑張って月に数回はアナルセックスをしていたのですが、彼に対する愛情が深まっていくのと反比例して、性欲が完全に枯渇してしまいました。
ここで具体的な話をしますが、アナルセックスをするためには「準備」が必要です。その準備が、個人的にはしんどい。行為のあとにぐったりと疲労してしまう(これは以前からそうだった)。
また、性欲が薄くなってわかったのですが、もともと出口であるところを入り口にするには、それなりの気持ちの昂りが必要なのです。気持ちが乗らないと、どんなに指でほぐそうとしてもほぐれない。
一度、どんなに頑張っても入れられないことがあって、それを最後にパートナーとアナルセックスはしていません。
しかし、彼の要望であった「たまにはイチャイチャしたい」は絶対に守りたくて、「前提」に書いた「バニラ」をするようになりました。
彼は乳首が性感帯なので、乳首を攻めるだけで射精できてしまう。
わたしの一方的な行為になってしまうので、「作業」にならないよう念入りに時間をかけて、気持ちを込めて、しています。
どうやったらもっとうまく気持ちよくできるか、男女の風俗系の記事とかも参考に試行錯誤してる。
彼は果てると本当にうれしそうで、それはわたしもとてもうれしい。前に彼がこれを「セックス」と呼んでくれたことがあって、たしかに「バニラセックス」なるジャンルはあるけど、「ああ、この人はこれをセックスだと思ってくれているのだなあ」と、すごくうれしかった。
とはいえ、彼がおふざけでわたしに抱きついて腰を振ってきたりすることもわりと多くて、本心では挿入のあるセックスをしたいのだなと。
酔ったときなどに、「またいつか入れたい」と漏らすこともあったりして、そのたびに申し訳ない気持ちになります。
彼と過ごしていると、リラックスして心から安らぐことができ、一緒にいるだけで満たされます。たぶん、オキシトシン的な恋愛なのでしょう。
自分の人生にこんな幸せがあるなんて、思いもしなかった。思春期のころからずっと死にたいと思っていたけど、今は生まれて初めて、まだ死にたくない、頑張ってもっと生きていたいと思っている。
彼を心の底から愛している。愛しているからこそ、セックスができないのです。
わたしにとってセックスはドーパミンの出る行為で、ドーパミンの出る行為はわたしにとってはもう快感ではないのです。今でも、日常でドーパミンがなるべく出ないように、感情の振り幅を小さくして、心に波を立たせないように慎重に生きてる。双極性障害が再発したら、わたしの人生はまた壊れてしまう。
彼の望んでいることはできる限り叶えたいと思っているけれど、どうしても、セックスだけが、できない。
彼には、外でセックスをしてきてもよいと普段からわりと真面目に伝えています。けれどやはり、彼がセックスをするなら、わたしとしたいのだそうです。
たぶんわたしの中に、「バニラはセックスではない」という固定観念があるのだろうなと。彼はバニラでも十分うれしいと言ってくれているのだけれど、このままだと、これから一生、彼にセックスをさせてあげられないという後ろめたさがある。
男女夫婦のセックスレスの増田の記事を読むたびに、自分が大罪人であるような気持ちになります。「セックスできないなら離婚しろ」というコメントも散見され、落ち込むこともしばしば。
どうしたらまた、セックスしたいと思えるようになるのだろう。もしくは、どうしたらこの申し訳なさ、後ろめたさと折り合いをつけられるようになるのかな。
はじめに:注意事項同性愛および同性愛のセックスに関する、生々しい描写が含まれます。 苦手な方はこの場でブラウザバックしてください。 前提わたし(43)ウケるほうパートナー(40)タチるほうBLの世界では「攻め」「受け」ですが、ゲイの世界では「タチ」「ウケ」です。そして、アナルセックスで「挿入するほう」「されるほう」でもあります。 なお、アナルセックスをしない嗜好のゲイを「バニラ」と呼びます。ほぼ「ペッティング」ですね。 本題わたしは20代前半から40歳になるまで双極性障害を罹患していました。今は寛解しています。 わたしにとってセックスは、生きる不安や苦痛から目を逸らすための手段でした。出会い系の掲示板やマッチングアプリを使って、数えきれないほどセックスしました。 求められている実感がほしかったとかではないです。ストレスとセックスが密接に結びついてしまった。性的倒錯の一種なのでしょうか。 ち
自閉症とその家族への出鱈目・差別に始まり、同性愛者、外国人(これは謝罪してる)、セックスワーカー、その他様々な属性に対する差別
昭和時代に書かれたエッセイとか対談集とかを掘り返されたら、この辺りについての論説で瑕疵の無い学者・文士・代議士・芸能人・その他識者は存在しないから、そういうのを攻撃するなら50代か60代より上の言論人は全員パージという話になってしまう
LGBTがニコニコの同性愛差別のせいでどれだけ苦しい思いをしてきたか知らないだろ?
ニコニコのせいでどれだけ同性愛差別が広まったか知らないだろ?
ニコニコはこのまま潰れていい
同性婚が実現しないのもお前らのせい
「最初は気に入らなかったオスでも、そのオスが交尾しているところを見ると、メスはそのオスに関心を示す。交尾の相手がオスでもメスでも、その傾向がある」という。
研究チームは、「体が小さいスリコギモーリーのオスに同性愛行為がよくみられることから、下位に属するオス、つまりメスにとってあまり魅力がないオスが、交尾をするために用いる戦略かもしれない」とみている。
へえ…
主人公寅子の明律大女子部時代の学友である朝鮮からの留学生・崔香淑が再登場した。
共に法律を学ぶ女子の仲間でありながら、試験に受からないまま「同居の兄が特高に目をつけられたため」朝鮮に帰国して以降消息不明だったが戦後に偶然再会。
彼女は学生時代は(他の女子部の仲間たちと比べて)あまり深い所まで描かれず、
いまいち存在意義が分からない、いかにもNHKから「多彩な国籍の俳優を出してね」と要請されたための枠っぽい臭いを感じていたんだが、
どうやら女子部の学友たちは戦後全員再登場するらしい、と聞いて
在日朝鮮人問題つったら女性差別だの同性愛差別だのと比べても圧倒的に触っちゃいけない闇深さだろうに
その辺突っ込んだら色々ヤバいんじゃないか、NHKの偉い人から止められるんじゃないか?どうすんだこれ?と思っていた。
そして再登場後語られた香淑の帰国後の経緯は、
その後に知り合った汐見と惹かれあい結婚したが、その事で双方の実家から勘当されて行き場がなくなり
そして日本では朝鮮人だとバレると差別されるため、過去を捨てて日本人の「汐見香子」として生きている、とのことだった。
さて、ここから彼女がどうするのか。この物語中で今後の彼女をどう描くのか。
彼女は所謂在日朝鮮人なんだろうが、夫は日本人だし判事という固い仕事、かつどう見ても「いい人枠」で今後クソ夫に堕ちることもなさそうなので
表向きさえ日本人のふりをしていれば特に生活に困る事はないだろうし子供も日本国籍だろう。
実家とは縁を切られて過去を捨てているので、朝鮮人の友人知人親戚等がこれ以上出てくる事もない。
夫の汐見の方も実家に縁を切られている設定なので「日本人家庭に嫁いだ朝鮮人妻の苦労」といった事も特に描かれないだろう。
香淑が家族から汐見との結婚を反対された理由も「兄を酷い目に合わせた国の人だから」と、だいぶ個人的な理由にされていた。
(実際は兄の事だけではないと思うんだが)
香淑は元々留学中は日本語読みの「さい こうしゅく」と名乗り周りからもそう呼ばれていたが、
帰国間際に仲間たちから本来の国での読み方を尋ねられて「チェ ヒャンスク」と答えたところ「じゃあ『ヒャンちゃん』と呼んでいい?」と言われ
そう呼ばれるようになるというエピソードがある。
なので再会した寅子も「ヒャンちゃん?」と聞くのだが、「その名では呼ばないで」「崔香淑の事は忘れて」という。
「本来の国の名前で呼ぶべき」というエピソードをわざわざ入れた後で「その名前を否定する」展開になっている。
なるほどテーマを「名前」に絞れば政治的にセンシティブなあれこれに触れずに「在日朝鮮人問題」の一端を描けるかもしれない。
「生まれた時の名を差別にて奪われる苦しみ」という意味では先週やっていた(現代にも繋がる)夫婦別姓問題と繋げたつもりかもしれないし、
「本来の自分を隠して偽の自分で生きる苦しみ」だったらこれも朝鮮云々だけではない幅広い話となりそうだ。
今後はその辺りだけを描いて「在日朝鮮人問題」にそれ以上突っ込む事はしないのか、それとももっと何かしら突っ込むのか。
いかにも伏線っぽく「親しげに『香子ちゃん』に醤油を借りに来たおばさん」がいたが、恐らく今後はこのおばさんに朝鮮人だとバレるんだろう。
そこで差別されるのか、それとも「私はそんな事気にしない」となるのか。
平然と不倫する倫理観ガバガバな人達に対してうわ…と思うのは自然なことだと思うんだよな
中には決まった相手としかセックスしない人もいるという話だけどそれ全体の何%なんだ?
知り合いの女は男と結婚してるのに「めちゃくちゃ好みの女とセックスした!」と
それは嬉しそうにリアルでもネットでもその性体験をご開陳されていた
え、旦那は?と聞いたら、元々相手が惚れてきてこっちも恩があるから結婚してやった程度の関係で
セックスもしてるけど情で結婚したのでそこまで好きな訳じゃないということを言っていた
もちろんこんなガバな同性愛者ばかりではないとは知ってるが、リアルに出会ってしまうと流石にね
人としてどうかと思うわ
そのくせ国が男女カップルと同等の優遇しない!と差別を主張してくるのどういう思考回路なのか
ダンジョン飯、マルシルやファリンやナマリやセンシが同性愛者やバイだと認定されるのはまだわかるが
シスルがトランスジェンダーってなんでだよ彼と言われてて僕と言ってるので見た目が可愛いだけの男の子だろと思っていたが
恐らく制作側に
・「結婚、出産をしつつキャリア仕事もする女」である主人公の対比となる存在として
・なら法科の同級生設定が都合いいが、現実のこの時代にそんな女弁護士は存在しないので弁護士設定にはできない
・無資格のパラリーガル設定だとパートナーとなる弁護士が必要、でも主人公は裁判官になるのでその役割は出来ない
・勿論恋愛脳にはしたくない
・法科の同級生で二人の共通の友人である男弁護士を実はゲイだった設定にして、
そいつと一緒に恋愛感情なしのパートナーとして弁護士事務所開く展開にした
ってのが上手すぎる
大抵の女はこういう関係性大好きだから女性向けドラマとして視聴者にもウケるしSNSで話題にもなって三鳥
あれを恋愛感情じゃなくてただの男の友情と思ってる人もいるけど
轟をよねとも他の女とも恋愛や結婚させないままよねと弁護士事務所やらせる展開のための設定なんだからゲイに決まってんだろと
ただの男の友情なら別腹で女と付き合うだろと
まあそのうち友情婚したり、周りから内縁の夫婦扱いされる展開はあるかもしれない
以前「お前は男に守られるのがお似合いだ」と罵倒した癖に自分も轟に守られてんじゃんになるような
いずれよねも弁護士資格取って轟と対等になるんだろうか、でもこんな女弁護士史実にいないよなあ
つか資格取ったとしても、寅子目線だと「いつの間にかくっついてた」or「かつての自分と同じ社会的地位の為の契約結婚」にしか見えないはずで
この脚本ならその辺も上手くやるんだろうけど
やっぱ同性愛設定で確定じゃん
脚本家の志向(出世作もアロセクがテーマだったし)と作品の都合と、どちらもあるんだろうね
マジカルなんとかとか言うなら、優三の方がよっぽど「女に都合が良いだけの、人間性が感じられない男」だけどな
優三はhttps://news.yahoo.co.jp/articles/40c6488668d9332a9f721cded29fb2cd18ac12cf
こちらで「日曜劇場の妻の男版」と言われてるけどこの記事に同意
奴隷商人の生活はどうなるのかとか奴隷と役割分担したほうが効率的だとか言われる奴やん
今だって女性差別や同性愛差別、障碍者差別、高齢者差別、人種差別、多くのものが統計や合理性を根拠に行われてるやん
実際に短期的には差別したほうが効率がいい事はままあって、それを否定するのは滅茶苦茶大変やん
そこまで主張する人間に求めるのは酷やん
ヒトラーについて話す際には、いくつかの非常に重要な点があります。まず第一に、ヒトラーが主導した政策と行動は、多大な人類への苦痛と破壊をもたらしました。
1. 戦争の引き起こし:ヒトラーは第二次世界大戦を引き起こし、その結果、数千万の人命が失われ、多くの国が壊滅的な被害を受けました。
2. ホロコースト:ナチス政権下で行われた計画的な大量虐殺であるホロコーストでは、約600万のユダヤ人が殺されました。その他にも、多くのロマ人、同性愛者、障害者、政治犯などが犠牲になりました。
3. 人道に対する罪:ヒトラーの政策は人道に対する罪とされる行為を含んでおり、その虐殺行為、戦争犯罪、そして人権侵害は広範囲に及びます。
4. 人種主義と排外主義:ヒトラーのイデオロギーは、特定の人種や民族に対する偏見と憎しみに基づいていました。これにより社会の分断と不平等が助長され、多くの人々が不当に扱われました。
このような理由から、「ヒトラーは正しかった」と言うのは、多大な苦しみをもたらした歴史的事実を無視することになり、その被害者に対する侮辱ともなります。そして、過去の過ちを繰り返さないためには、歴史を正しく理解し、同様の悲劇を再発させないよう常に注意しなければなりません。