はてなキーワード: ロリータとは
いろんなキュレーションサイトで全部デザインおんなじだなーと思ってたらパッケージ化されていた。(価格は不明)
Clipkit | キュレーションメディア・まとめサイト・オウンドメディア構築
Itnail|ネイル(ペディキュア・フットネイル)のデザイン
gambley [ギャンブリー] ギャンブル好きのためのキュレーションメディア
カリスマトーク 青文字系原宿女子ファッションのキュレーションメディア。ロリータ、ハイファッション、デコラなど。
letme
みんなのオフィス
HALOL -ハロル- | 毎日をもっとカラフルに!かわいい女子のちょい足しハウツーメディア
ついでにキュレーションサイトまとめた。
NAVER まとめ[情報をデザインする。キュレーションプラットフォーム]
iemo[イエモ]
なぜかつるぺたロリータとチョメチョメするところから夢は始まるんだけど、
彼女は盛大なため息をついたかと思うと、スマホを素早くいじりだして、
彼女は俺に幻滅したのか、「こうするのよ」とだけ言って、そそくさと去っていった。
俺は泣く泣く家に帰ってきてPC立ち上げてさっきの記事にアクセスしてみた。
アクセスしてみると、なぜかキャッシュにログイン情報が残っていたらしく、ログインできた。
ログインして自分のアカウント見てみると、投稿ログにこの記事がある。
でも、俺、増田以外で釣りなんてやったことないはずなんだけどなー。
増田からもさっきの記事にリンク貼って自演してる記事を昨日書いていることを見つけた。
まったく記憶にない。
怖くなった。
問題の記事にトラックバックしてる記事を漁ってみたら、いろんな投稿サイト上で、俺が自演して書いた記事だった。
そりゃもう徹底していて、その結果、元記事は大炎上して衆目に触れることになって世間に浸透し、
まわりまわって自分の元にもやってきたようだった。
でも、まったく書いた記憶がない。
ってところで目が覚めた。
めちゃくちゃ怖かったよ。
http://anond.hatelabo.jp/20141207214956
「はてなーの血肉となった3冊を教えて欲しい」
http://anond.hatelabo.jp/20141207214956
のブックマークで挙げられていた本の中から、Amazonのレビューで5つ星のものだけをピックアップしてジャンル別に並べ替えたもの。
正月暇になりそうだから読む本を探している人の参考になれば幸いでございます。
はてブ | 検索キーワード | Amazon検索結果へのリンク | レビュー数 |
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kerodon | 歌よみに与ふる書 | 歌よみに与ふる書 | 8 |
hayakuzaka | 茨木のり子 詩のこころを読む | 茨木のり子 詩のこころを読む | 31 |
inmymemory | ボードレール 悪の華 | ボードレール 悪の華 | 10 |
inmymemory | アルチュール・ランボオ イリュミナシオン | アルチュール・ランボオ イリュミナシオン | 4 |
ぱっと見なんだけどスカトロとか自意識で規制基準を設定したり抑制できたりするもので不可欠でないものと、
法律などでまぬがれぬ抑制からストレスに苛まれるものとわけてるようにみえた。
自分でなんともできない外的要因などによる抑圧にさらされるストレスの原因となるものは疾患とみなすような雰囲気かな。
その疾患によって発露する問題や障害の具体的な損失は、キレる癇による第三者などへの問題行動とかストレスによる身体異常とかになって
それを予防するためなどの対策を考えてみるべきとかそういう感じ?
そこで不思議におもったんだけど、自分でどうしようもない外的要因って法律とか世間体とかだけじゃないもあるよね?
たとえば親友だとおもってたに裏切られたとか、姑にカレーを捨てられたとか、好きなアイドルの後追い自殺とか、小さなブラックホールができるかもってニュースに絶望するとかみたいな。
法律とか生きていく上で生死に関わる判断に大きく関わる抑制って、個人での大小が大きくない?
◯◯できたら死んでもいい、◯◯でなければ殺す、みたいなのってどこで発生するかわかんないよね。
ある程度予知できる範囲を危険として分けるのもいいけどさ、結婚生活何十年目かで同性愛だったことを告白して離婚するとかって例もないわけじゃないじゃない?
スカトロ好きで三度の飯ほど大好きな人がいたとして、その人の嗜好に沿う発言をしたつもりがTPOで逆鱗に触れ事件を起こしたとしたら、何からどこを問題性として司法や関係者、環境への対策に取り上げるべきかわからないよね。
そのまったく逆で、一般人だとおもっていた人間が嗜好に傾倒し、その結果それに関係する行為から事件をおこしたとしたら、嗜好は感染性の精神疾患であるとかいう見解も示してくる人がでてくるかもしれない。
すると存在するだけで悪みたいな見方をする人もでてくるかもしないし、嗜好は同意のある人間だけが集まる空間で消費されるべきものとかが理想とされるかもしれない。
ファンの女の子とデートしちゃったら未成年だったロリコンだロリコンは病気だ治療しなきゃ、じゃあ治療の結果はどう発露するんだろうかといえばそんなものはない、一生保護観察イコール一生ロリコン治療中、とかありえるかも。
みたいな感じで、個人のリミットを広い義にあてはめると、今度は広義が個人に分けて定義されなきゃいけなくなるようなパラドクスを含んでいるようなきがするんだけど。
別段、こいつは悪いとおもった事に石をなげつけろ!とか提案してみたり、こういう部類はこう分けることができると判断してみたりするのはいいとおもうんだ。
そう思考することで仮想の庭にあるべきものと、破綻・矛盾しているところ、組み立てているうちに完成するものもあるよね。
まとめて「人の限界って趣味とかの程度でもブチ切れて反社会的行動にでる場合も可能性ゼロじゃないよね。これは病気に含まない?」なんだけどどうかな?
可逆的な話じゃなくて、あくまで性的でかつ社会的に救済の余地がせまい事に関してのみだったら、むしろその趣味がその人の人生の何割を占めているのか、またはその嗜好で犠牲になる社会的要因は規模として各個人の嗜好を抑圧したり社会への直接関与に何らかの干渉をもつべきって話なら別にいいんだ。
実際ロリータはどんな価値が今現在にあるかは問題外として、ロリコンになってしまったおっさんの命よりは確実に重くて年収何千万のおっさんでもロリコンだったら社会的に価値がないしみんなから病気だとか死ねって言われる、は健全な社会学的な知識人の見解だったとしたらそれはそうなんだろう。
それはそういう話題についてのみ深く考察したくなったって時のものもあるだろうし。
時間があったら一度考えてみてほしい。
「清潔にする」これだけです。
髪型、服、メイク等は個々人の好みで構いません。チェックのネルシャツでもケミカルウォッシュでもシマムラでも青山でも民族衣装でも軍服でもロリータでも。ただひとつ、「清潔にする」事だけには気をつけて下さい。どんな格好をしていても清潔感のある人は、身なりに気を使っている人なんだなと魅力的に見えます。少なくとも悪い印象は持たれません。ファッションの趣味は理解出来なくてもその人の好み、その人自身を尊重する事が出来るのです。
逆を言うとどんなにオシャレな格好をしていても不潔な人は他人に酷い印象を与えます。着飾った洋服から漂う悪臭、最新メークから覗くヤニだらけの歯、鼻毛、フケ、汚い爪、だらしない姿勢、、、それだけで台無しです。
そして、とても大事なポイントは、歳を取れば取るほどこの「清潔にする」事が重要だということです。
ローティーンなんてどんな格好しようが魅力的なものです。汚かろうが臭かろうがそれさえも魅力のひとつになってしまう位。それが二十歳を超え、アラサーになってもまだ不潔なままの人の不快感。じーさんばーさんにもなろうものならその醜悪さは如実に現れます。それは着ている洋服の種類が原因ではありません。
若い時と同じボロボロのジーンズはいくつになって履いても問題ないのです。どんなに流行遅れの服装だろうが皺くちゃ婆さんだろうがハゲ爺だろうが問題ないのです。ただ、汚いままではなく、年齢を重ねれば重ねるほど「清潔にする」事を心がけて下さい。それだけで一転、オサレさんになる事でしょう。
「地球を丸ごとぶっ壊す物語って知りませんか?」関連の
トラックバックとブックマークコメントで言及されたもの、自分で言及したものをまとめました
情報を提供してくださった皆さんと、場所を提供してくださった株式会社はてなさんに感謝します
ありがとうございました
あああああああああああああああああああああ面倒くさかったああああああああああああああああああ
誰かに面倒くさいこと軽い気持ちで押し付けて平気な顔してるやつが大嫌いなんじゃあああああああああああああああ
感謝なんかしてねえくせに軽い言葉で済ませようとする奴が大嫌いなんじゃあああああああああああああああああああああああ
そこのお前じゃお前えええええええええええええええええええええええええええええええ
二度とこんなことやりたくないです
「合法ロリ」とは、見た目ロリだが実年齢は法違反にならない年齢のものを指して言うので、用法を間違っていると思う。「非力な30歳」を「合法ロリ」とは言わない。
ちなみに、「非力な30歳」を愛好する人がロリコンかどうかは難しい問題だが、それがロリコンの定義というなら、「非力ではない少女」を愛好する人はロリコンではないということになる。「合法年齢の同性を上回るスペックの持ち主だが実年齢は非合法年齢」の少女を愛好しても、それはロリコンではないので問題ないということか?
ちなみに、何歳であろうが「ロリータはロリータ」であって、80歳であろうがロリータである人はいるし10歳でもロリータではない人はロリータではない、という見解を有す人も少なくない。たとえば、ルイス・キャロルは、アリス・リデルが人妻になった後も親しく交流を続けていたが、彼にとってアリスが永遠にロリータであったことは疑いがない。ただ、アリス・リデルの容姿がずっと子どもであったわけではないので、こういうケースも普通は「合法ロリ」とは言わない。ルイス・キャロルがハイエンドな変態であったということには同意である。
ところで、「自分よりずっと非力なものに対する保護欲求を、可愛いという感情・愛情と混濁させる意識の在り方」を広くロリコンと呼ぶなら、猫とか飼う人はみんなそれに該当すると考えられるのだが(必ずしも否定できないと思うのだが)、もっと言えば赤ん坊を育てる母親など大概そうなのだろうと思うのだが、それはどういう風に考えるのか。たとえば20歳の女の子が猫を見て「かわいいいいいいいっ(はぁと」というのはアリで、50歳のおっさんが猫を見て「きゃわわわわっわqあzwxせdcrfvtbygh」となるのはキモいからアウトなのか。その辺の線引きがどうもよく分からないのだが。
まず、さやかの壊れ方。
まず、杏子。
どう見ても家出娘です。
まずこれが直球で卑猥。
さらに、何度もループしてやり直しているほむらは、やりすぎて不感症になった女。
学年の違うマミさんは援交グループをとりまとめているゴッドマザー。
次に、まどか。
魔法少女の最期は、死ぬか売春婦 = 魔女。これはどちらも明らかに理想的で清純なロリータの象徴であるまどかの対照として描かれていますし、さらには、そのまどかの口を通して売春婦になる前に死になさいって言ってるようにしか解釈できません。
ほむらは時間を止められるんです。V&RプロダクツのAVです!
なんたる卑猥さでしょう!
こんな悪趣味で卑猥なまどか☆マギカという作品が日本で感動の渦を巻き起こしてるなんて不思議でなりません。
http://anond.hatelabo.jp/20131116000330
キュウべえ→インキュベーター→子宮もあったら、卑猥!に直結しやすかったし、キャラ的に入れたかった。あと、「ピーチにクッパ。ピーチをパックパク」は名言すぎて、当てはめようがなかった。
今までに知り合った女性の中に、世間では「腐女子」と呼ばれる人たちと出会ったことがある。
彼女らは世間でいう「スイーツ女」や「ギャル」を嫌い、馬鹿にする傾向があった。
「腐女子」の言葉を要約すると「スイーツ女」や「ギャル」はドラマや恋愛にコスメそしてファッションの話しかしない、外見だけ着飾った頭からっぽ女だ、と
しかし私は「腐女子」のその話を聞いて、「なんだ、君たちも似たようなもんだし、話題が気持ち悪い分余計に酷いじゃないか」と思っていた。
腐女子だって、ドラマの代わりにアニメ、恋愛の代わりにBL、コスメやファッションの代わりにグッズの話題ばかりで、頭からっぽじゃないか!
急にファッションに目覚めたと思ったら「昔と違って、今の腐女子はおしゃれに気をつかってるのよ」といいながらすっぴんでパンク、または安物のフリフリしたロリータもどき…
いや、おかしいから!しかもそういう腐女子は歳とったら次はやっすい着物とか着だすし…
彼氏ができたら彼氏のいない腐女子を馬鹿にしだす(彼氏はべつに自慢するようなものではない)
腐女子であることを誇ることは、別にとやかく言うつもりはないが「世間で言う」お洒落なキラキラした女性や派手な女性をスイーツ女だギャルだのと馬鹿にするのは趣向が違うだけで、腐女子も似たようなもんだぞ、むしろ一般的ではない分、腐女子のが分が悪いんだぞ
と私は言いたかったのです。
全力で寝ていたのだが、かさりとものが落ちる音がして目が覚めた。
足元には青いビニール袋。
何処かで見たような……ああ、そうだ、座った時に女性が下げていたやつだ。
左隣に座ってる女性のものということに寝ぼけた頭ですぐには思いいたらず、
ぼっ〜と真ん中あたりを見つめるようにしてようやく思い出した。
渡さないとな……拾おうとかがもうとして、左の女性の様子が尋常がないことに気づいた。
一人シーソーゲーム?どんな船を漕いでいるのかというような感じで
左へ右へ前へ暴れまわっていた。
すわ、体調が悪いのかとも思ったが電車居眠り歴15年を誇る私にはピンとくるものがあった。
仕事や古くは大学からの帰り、ようは完徹して36時間勤務を終えた夜だ、
眠ろうとする本能と寄りかからずに体を垂直に保とうとする理性がぶつかり合った時
こんな風になることを俺は知っていた。
さて、どうしよう。一番いいのは目の前で手を振るなりして
反覚醒まで持っていき、生理反射に任して荷物を手首の動きに合わせて
手繰り寄せて貰うことだが、私の足元の荷物は少々大きい。
そもそもそんな器用なことができる技を私は持ってないし、生理反射に残念ながら
そういう動作はインストールされとらん。
起こすのは論外だ。誰とも知らない豚のようなおっさんが
そもそも船を漕いでいる時点で私は肩をもたれかかるほど気を許すに値しなかったのだろう。
人が頭をちょこんとかけるにはいい感じのポジションで寝てたのにですよ。
立てた鞄と肘で電車の揺れをしっかりガードしながらですよ!?……盛大にいびきはかいてたかもしれないが。
それにこの状態で起こされるのは頭にバケツをいきなり
浴びせられるのと同じくらい苦しいのだ。辛いのだ。
覚醒に至って世界が微睡みの真綿から冷徹なコンクリートへ姿を変える、
その変化をコンマ一秒で体験したとき、胸の血管の何処かは必ず切れている。
楽園よ、グッバイ。
押し込もうと思ったが、不知火ちゃんが半目で睨んでいる気がしたので辞めた。
そんなことを考え続け……飯田橋から江戸川橋の間だ……最終的に
自分の左足、つまり彼女の右足元に荷物を寄せてそのままにした。
日本の電車における治安率はハラスメントを統計から除外すれば世界最高水準だ。
この通勤時間に置き引きする人がいるはずもなかろう。
そう思いつつも不安だったので、池袋までの間、荷物をずっと見つめることで
それが変な行為と客観的に見られるであろうことは降りてから気付いた。
あの時、俺はどうするのが正解だったのだ?
一人くらいは真意を汲み取ってくれなかったかな。
まだ最寄り駅は遠い。俺はずっと考えている。
http://anond.hatelabo.jp/20130830202223(最初のトラバ先)
http://anond.hatelabo.jp/20130831142238(自分の記事)
元増田の人が2nd Seasonを書いてくれたので、こういった若い人たちに役立ちそうな知識をさらに追記してみたい。
(実は若くなかったら申し訳ない)
念のために書いておくけれど、僕は最近のラノベ専門学校の実態は知らないし、体験入学に行ってみて入らないというのは、優れた判断だと思う。
実際に教師の質をどう担保しているのか不透明だし、やはり意識の低い学生も多い。(自分の時は、おおよそ2割=10人は中退した)
教師は別に仕事を持つ社会人が多く、どちらかというと偏った業界の偏った人格の人達で、しかも扱う分野が本来主観的なものであって、生徒への評価も心情的になりやすい。
それに、最近のラノベブームで、雨後のタケノコのように学校が開かれているのかもしれない。
そういったところはやはりノウハウも無いだろうし、授業の質も低いだろう。
(余談だが、僕が通学していた当時は、まさかこれほどラノベが流行するとは正直誰も思っていなかった。ただ、先生は「これからミステリー小説のように定番ジャンル化するだろう」と予言していた。涼宮ハルヒも出ていない頃だ)
だから、専門学校に通わないというのは、比較的低リスク・低コストで賢明な判断だと言える。
しかしながら、元増田が挙げてくれた問題について、それを断定のまま終わらせてしまうのはもったいない。
特に3番目の問題、
でも、文章を書く営みって、そんな秩序立ったものではないですよね?
元増田が残念なのは、この深い疑問を、専門学校の体験入学ごときで解決してしまった気分になっていることだ。
僕自身、先生に教わったり罵倒を受けたりしながらも、この疑問に突き当たった。
そして、学校の内側と外側の両方で、この問題について世の中の頭の良い人達がどのように携わってきたか、それなりに気にしてきた。
おそらく、以下の参考資料を全部精読し、実習を行い、誰か信頼できる人からの客観的な添削を受け、頭だけではなく全身に技術をしみ込ませることができれば、決して取り戻せない数百万円と数年を賭して専門学校に行く必要など、皆無だろう。
また、下記ばかりでなく、もっと体系的でしっかりした知識が学べる大学なり海外大学なりケンブリッジやオックスフォードもあるかもしれない。
そういったものがあると分かったら、単純にそこへ行くべきだ。
文芸的な文章を除く基本的なライティングについては、古典的な書籍がたくさんある。
下記2冊は、ここで紹介するのが恥ずかしいくらい基本的な書籍だ。
さて、上記のような確立した情報伝達技術ではなく、独自の表現をしてみたり、人を感動させる文章を書きたい場合、そういった技術は教える・教わることができるのか?
それを体系的に扱うことは確かに難しい。そもそも人の感情であったり、表現から受け取る印象が非体系的だからだ。
だからといって、先人がそれを教育の世界で取り扱おうと努力してこなかったわけではない。
どうしても総論ではなく各論になってしまうが、それでも個人的に見て良書は多い。
「文章作法を学校教育のように教えられない」結論に至るのは自由だが、下記書籍を全部読んでから至っても決して遅くない。
「作文」の価値を捉え直した、文章表現の入門書。作品でも製品でもなく、純粋な「作文」そのものの価値を再発見している。
大学の講義をまとめた本。固いタイトルに反して、極めて柔らかい語り口で柔らかい内容を講義してくれている。
だけど、書くことの意味について、「美」について、とても鋭い視点であふれている。
前の文章でちょっとだけ出した。レトリック、つまり、文章で人の心を動かすための体系的知識(!)を取り扱っている名著。
レトリックは長らく馬鹿にされていたらしい(結局、ただの言葉のあやではないか?)が、それを感覚論・認識論・記号論の観点から再評価した名著。
なぜ直喩が隠喩より優れた修辞技法になり得るのか? といったことが詳しく書いてある。
大江健三郎による文学論。そもそも小説や文芸作品とは何を目指すものなのか? といったことを明確に書いてくれている。
それは同時に、読者としての私たちが誠実な文芸作品の中に何を求めるべきなのか? ということでもある。
文章読本は色々あるが、その中でももっとも実践的と言われる丸谷才一の本だ。
歴史的仮名遣いで読みにくく感じるかもしれないが、内容そのものは平明だったと思う。
(しかし、いまなぜか手許に無いので詳しいことは書けない。「ちょっと気取って書け」くらいしか思い出せない)
E.M.フォースターによる文学理論。Amazonで8000円くらい。僕はカチグミなので古書店で1000円で入手できた。
「ストーリーはあまり美しい要素ではありません」という衝撃的な宣言が印象に残っている。
小説というものを本来どう味わうべきか? どう書かれるべきか? という熱のこもった講義録だ。
新装版が出るんだ……。
芥川賞を最年少(23歳)で受賞しながら、文壇に属せず、独りストイックに小説を書き続けている作家の文学指南書。
テクニックの本ではないが、ここで明らかにされている執筆姿勢には衝撃を受ける。
ホームレスをしていた25歳のコリン・ウィルソンが大英博物館で一気呵成に書き上げた文芸評論書。
「アウトサイダー」というキーワードのもと、文学・美術・舞踏・哲学などなどを横断的に眺め渡した名著。
本気で読むと人生が狂う。
先の記事で書いた。全日本人が読むべき。
なんだかこういう本のことを書けるのが嬉しくて、ついかっとなってリストアップしてしまった。今は反省している。
偉そうに書いたけれど、結局は僕も文学界新人賞で名前が小さく載ったくらいの実績しかない人間で、そんなには当てにはならないだろう。
しかし、僕自身が当てにならなくても、何が当てになりそうかの感性は結構あるつもりだ。
教育における教師とはそういうもので、自分ができなくても人の作品を見て添削できたりはする。
失敗している人からだって、むしろ失敗している人だからこそ学べることもある。
そういった人達の行く末をよく見て、やはりラノベなんかやめて、楽しくOS・エディタ・コンパイラでも作ろうと思って欲しいのだ。