全力で寝ていたのだが、かさりとものが落ちる音がして目が覚めた。
足元には青いビニール袋。
何処かで見たような……ああ、そうだ、座った時に女性が下げていたやつだ。
左隣に座ってる女性のものということに寝ぼけた頭ですぐには思いいたらず、
ぼっ〜と真ん中あたりを見つめるようにしてようやく思い出した。
渡さないとな……拾おうとかがもうとして、左の女性の様子が尋常がないことに気づいた。
一人シーソーゲーム?どんな船を漕いでいるのかというような感じで
左へ右へ前へ暴れまわっていた。
すわ、体調が悪いのかとも思ったが電車居眠り歴15年を誇る私にはピンとくるものがあった。
仕事や古くは大学からの帰り、ようは完徹して36時間勤務を終えた夜だ、
眠ろうとする本能と寄りかからずに体を垂直に保とうとする理性がぶつかり合った時
こんな風になることを俺は知っていた。
さて、どうしよう。一番いいのは目の前で手を振るなりして
反覚醒まで持っていき、生理反射に任して荷物を手首の動きに合わせて
手繰り寄せて貰うことだが、私の足元の荷物は少々大きい。
そもそもそんな器用なことができる技を私は持ってないし、生理反射に残念ながら
そういう動作はインストールされとらん。
起こすのは論外だ。誰とも知らない豚のようなおっさんが
そもそも船を漕いでいる時点で私は肩をもたれかかるほど気を許すに値しなかったのだろう。
人が頭をちょこんとかけるにはいい感じのポジションで寝てたのにですよ。
立てた鞄と肘で電車の揺れをしっかりガードしながらですよ!?……盛大にいびきはかいてたかもしれないが。
それにこの状態で起こされるのは頭にバケツをいきなり
浴びせられるのと同じくらい苦しいのだ。辛いのだ。
覚醒に至って世界が微睡みの真綿から冷徹なコンクリートへ姿を変える、
その変化をコンマ一秒で体験したとき、胸の血管の何処かは必ず切れている。
楽園よ、グッバイ。
押し込もうと思ったが、不知火ちゃんが半目で睨んでいる気がしたので辞めた。
そんなことを考え続け……飯田橋から江戸川橋の間だ……最終的に
自分の左足、つまり彼女の右足元に荷物を寄せてそのままにした。
日本の電車における治安率はハラスメントを統計から除外すれば世界最高水準だ。
この通勤時間に置き引きする人がいるはずもなかろう。
そう思いつつも不安だったので、池袋までの間、荷物をずっと見つめることで
それが変な行為と客観的に見られるであろうことは降りてから気付いた。
あの時、俺はどうするのが正解だったのだ?
一人くらいは真意を汲み取ってくれなかったかな。
まだ最寄り駅は遠い。俺はずっと考えている。