はてなキーワード: メソッドとは
システムに自分がいなくなってから数ヵ月後、数年後に動かなくなる時限爆弾しかけといて、退職すれば間接的に多くの人間を殺せるぞ。退職する前の会社の人もそうだし、取引先の担当者も。
例えばルーティングで/201[7-9]
「男女平等」とか「ジェンダーフリー」とか「性差をなくす」とか「多様性」とか…ここらへん全部「恋愛」と相性が悪いんじゃないかと。
もうちょい具体的に言うと「相手が男/女性だからって、男/女らしさを求めるのはアウト」みたいな、アレ。
何で相性が悪いかというと、大昔は「男らしさ」「女らしさ」のフォーマットが強かったんじゃないですか。
だから異性と言う相手に対して「相手は男/女なんだから、こういうヤツだと判断していいんだな」と思うことができた。
要するに「相手を読み解くまでのコード」ってヤツが、比較的少なかった。
…だが現代はどうだ?「相手が男だからって強く逞しいと思ってはいけない」「相手が女だからってお淑やかと思ってはいけない」
多すぎるんですよ、「相手を読み解くまでのコード」ってヤツが。
ってなって結局は「恋愛」ってヤツが「面倒」なものと化してしまったのではないか、と思うのですよ。
要するに大昔は「男らしさ、女らしさ」という保証があるからこそ、万人が「恋愛」というゲームへの参入障壁が低かった、のではないかと思うのですよ。
…いやいや、分かりますよ。
上記で言ってることは「無能の戯言」と断じられても致し方ないってことは。
「男らしさとか女らしさとかこだわらず行うのがこれからの恋愛だ!」とか言うんでしょう?ねえそうなんでしょ?
でもねえ、恐らく結局は「男女平等な恋愛」というものが「恋愛強者」しか不可能だと思うのですよ。
「だったら己を磨いて男女平等な恋愛ができる人間にになれ!」と仰るんですか?
でもねぇ…それってマチズモだなぁ、と思っちゃいけないのでしょうか?(あんま知られてないようだが、恋愛は体育会系マチズモとの親和性が非常に高い)
ココらへんになると藁人形論法入りますけど「そこまで努力したくねえよ!つうかおめえら男女平等とかポリコレ言う割に
恋愛弱者にひたすら努力を強いるてめえらの態度は非ポリコレじゃねぇのかぁ!?」…って気分になるのですよ…怠惰とか言われようが。
そんで、ここで「恋愛強者」を「男女平等な恋愛が可能な者」と設定するなら、
それ以外の「恋愛弱者」は以下のいずれかのメソッドを採るしかないのですよ。
②そもそも、恋愛しない
…で、①はポリコレだとかでアウトと指摘されやすいから、②に流れてる
これが昨今の「恋愛離れ」の正体だと思うのですよ。
いやいやいや、誤解せんでいただきたいのですが、
別に私は大昔を賛美するとか「男女平等はクソ!」とか保守主義者じみたことを言う気は無いですよ。
あと「別に恋愛する人が減ろうがいいじゃんッ」とか「世の中そこまで男女平等とか気を遣ってる人おらんよ!」とか仰るかも知れんが
そういうのは後の話で…
ただ言いたいのは「男女平等な恋愛というのは万人が行うの不可能なウルトラ高度技術」
「男女平等を推し進めよう!その上でみんな恋愛しまくろう!」な~んて無理くりな贅沢いいとこ取りなんじゃないの?ってお話。
A『男女平等を推し進めよう!そのせいで恋愛する人が減っても仕方ない!』か
全部説明せなならんのかとちょっとガックリ来てる。「待ってた」じゃねーよ。
違うって。区別する必要あるんだよ。あくまでも主体はエイベックスってことは認識しておかないと話が進まない。
前も書いたように、プリリズのアニメで最初から製作委員会に入ってるし、主題歌以外の楽曲もエイベックスから発売してる。エイベックスサイドから見れば、出資比率の違いはあっても、WUGもプリリズも、自分でお金を出して自分で売るIPだという点は全く同じ。
というのは、一体何を見て言ってるのかと言わざるを得ない。
プリリズが始まった時に主題歌と主演を担当していたのはLISPだった。
もちろん、LISPも81とエイベックスのプロジェクトである。そこだけ見ればWUGもi☆Risと同類であるが、決定的な違いがあった。
LISPは「有り物を集めて作ったユニット」で、まあ傍から見てても本気で売るためには色々問題点があったのは見て取れた。
いやもしかしたらLISPは素晴らしいユニットだったと信じている人も世界にはいるかもしれないが、オーロラドリームの放送開始2ヶ月でユニット活動停止発表とか、普通だったら「正気かよ!」と全力ツッコミ入るレベル。
なのに当時の玄人筋の間の空気感は「まあそりゃそうだよな」の方が多数だったと記憶している。
こっから先は単なる憶測だが、当然、エイベックスの中の人としては
「やはりアイドル声優ユニットを本気でやるには、ミュージックレインのように大規模公募型オーディションを開催してユニット活動を前提に新人を集めるしかない」
そういうわけでまだオーロラドリーム放送中の2012年2月からアニソン・ヴォーカルオーディションが始まります。
といってもアニメ2期ディアマイフューチャーには絶対に間に合わない。
エイベックス的には座組から抜けるわけにも行かないので、まあ実写パートとか韓国資本参入とかいろいろありました(遠い目)。
2012年7月にひっそりとi☆Risが結成されるわけですが、まあ大昔の代アニ全盛期みたいな荒っぽい時代だったら、ゴリ押しで素人のままアニメに出していったんでしょうけど、そんなのが通る時代でもないのでみなさん81の養成所での演技訓練が本業です。
…というわけにも行かないので、いろいろなラジオ局とかレコード会社とかの暇なプロデューサーがよくやるメソッド
「養成所を卒業したばかりの新人や養成所在籍中の子を適当に見繕ってアイドル声優ユニットというていで活動させる」
も発動。
演技力も歌唱力もまだまだ発展途上な子ばかりだし、プロモーション予算もそんなにあるわけじゃないから、ゲリラ的な活動しかできないのもよくあることです。
それらのユニットは9割方、何かのまぐれ当たりを期待する低予算低労力の数打ちゃ当たるプロジェクトだけど、今回は違う。
初期投資が大きいので、いずれ訓練が終わったら、エイベックスが金出してるアニメを使ってガッツリ売り出す気満々であるわけです。
2013年4月にアニメ3期レインボーライブ開始。ここでようやくまず一人だけ、芹沢優が出演。本当は全員出したかったのかもしれないが、時期尚早との判断だったんでしょう。
そういうわけでTRFとコラボったり、赤尾…じゃなくて三重野瞳が山ほど歌詞を書いてるうちに1年終了。
この間、6人全員が一応声優デビューして場数も踏んで、そしてたぶん音楽面のレッスンも順調だったんでしょう。
念のために3ヶ月の準備期間を用意して茜屋日海夏にみんなを馴らしてから(いや逆か)、満を持して2014年7月から主演i☆Ris、主題歌i☆Risなアニメが始まったわけです。
アニメを作るのに必要な時間の長さを考えれば、ほぼ全作業がプリパラと同時並行で進んでいると言っても過言ではない。
要するに元増田が「WUGの成功を見てi☆Risも同じ売り方にした」的な物言いは確かに間違いなのだが、無関係というのも間違い。
実際には単に「同時期に、同じレコード会社がお金を出し、両方とも同じような売り方をしている」でしかない。
あえて違いを指摘するとすれば、WUGの方が中の人とキャラのシンクロ度が高くて演じやすい分、デビューまでの期間を短縮できた程度の差である。
「童貞」をネタにして馬鹿にしたりマウンティングしたりしてる記事に関して
「反差別」とか「政治的正しさ」とか信奉してる人間は手厳しく批判するべきだろうに、全く見かけない。
むしろ積極的に童貞をバカにしてるんじゃ?と思えるフシさえある。
「○○をバカにするのは差別だが、童貞をバカにした程度で差別になるわけがない」
「人間として当たり前の成熟を問うているだけ。ハラスメントには当たらない」
「これは”いじり”であって差別ではない」
「みんなで童貞をいじって馬鹿にしてみんな幸せな所に水を差す空気読めないヤツ」
「図星突かれて発狂かwww」
「この程度で何本気になってんのwそんな程度で怒ってるんだからモテナイw」
…かように『童貞を馬鹿にすること』と『差別』を分離させるための多数の便利なメソッドがあり、
「反差別」というポジションを取りつつ、安心して「童貞」を罵倒することが可能なのである。
繰り返すが、本当に「政治的正しさ」とか信用できない。
前回までのあらすじ
俺、マスダ!
体力も限界に近づいていたその時、とうとう新パックを見つけたんだ。
けど、あのジョウとかいう明らかに嫌な奴が、この期に及んで邪魔してきやがる。
こうなったら仕方がない、口で言っても分からないならカードで分からせる。
それがバトルアンドファイトの掟だ。
あ、今回のカードバトル部分は読まなくても構成上まったく支障ないぜ!
「まずはワタクシから。今のあなたでは絶対にできない戦いをお見せしましょう。まずはコーズを1消費して、『無作為の語学収集人』をエントリー!」
「!? 新パックのカードか。コーズたったの1で、他の条件もなしにエントリーなんて低コストすぎる」
「もちろん、デメリットがありますわ。ダイアリーにあり続ける限り、ターン毎にコーズを1消費しますの。ですからワタクシはコーズを1消費して、この『権威の打撲武器』を装備。これを装備したユーザーカードのコーズ消費は0になりますの」
「ワタクシのコーズはまだ残っていてよ? コーズを3消費して、『連呼される文意なき言葉』をエントリー! 同じカテゴリーのカードを1ターンで何枚でもダイアリーに出せる!」
「そして『カレーのレシピ』をエントリー! コーズを全て消費してカレーの材料を合体! 『オリジナルカレー』がエントリーしますわ!」
「ほほほ、このゲームにおいて強力なカードは決め手ですわ。オセロで端を手に入れたようなもの。さあ、次はあなたのターンですわ」
「……確かに驚いたよ。新パックのカードはかなり強力なようだ。けど、あんたガチ勢じゃないだろ?」
「!? なぜ、そう思うのかしら?」
「このゲームにおいて最も重要なのはコーズのリソース管理だ。デッキからカードを引くのにも、カードを出すのにも、ほとんどの行動に消費する。コーズを消費しないカードもあるにはあるが、代わりに重たいコストがつきものだからな。勝負を決めに行くときならともかく、攻撃ができない先攻1ターン目から全消費するのは有り得ない」
「ふん、別に毎ターン一定量は回復しますし、上限もありますから使わないと損するだけですわ」
「やっぱり分かっていないようだな。まあ、直に分かることさ。『一括払い』をエントリー! これでコーズの消費は任意のタイミングで一括して行う。そして『虚言の賢者』をエントリー! このカードは、疑問系カードを無効化してエントリーできる!」
「『あと一つは?』をエントリー! 本来ならこのカードはエントリー時に同カテゴリのカードを手札から2枚捨てなければいけないが、『虚言の賢者』の効果で無効化されているのでその必要がない。そしてこのカードの無効化はエントリー時のみ適用される。つまり以降の効果は発動可能」
「『あと一つは?』の効果で『隙あらば自分語りのメソッド』と、『冷やかしのテンプレート』をエントリー! そしてこの2枚を消費することで、『露悪センセーショナル』をエントリーできる!」
「そ、そのカードは!?」
「『露悪センセーショナル』のエントリーによって、このターン消費するコーズは一度だけ相手が消費する。あんたの現在のコーズは0。知っているだろうけど、0の状態でもコーズは消費することができる。マイナス状態だと発動できない効果も多いし、毎ターン回復するコーズやHPにペナルティが発生するがな」
「な、なんてこと……」
「だが、俺が消費させるのはコーズのほうじゃない。『観測外の一貫性』をエントリー! このターン、お互いのプレイヤーはコーズ残量0以下の状態でコーズを消費するとき、場のユーザーを代わりに消費する!」
「察しの通り。俺が今まで消費したコーズ、あんたのユーザーで消費させてもらうぜ! そしてユーザーカードが場になければ、エントリーカードの『オリジナルカレー』も消滅するというわけさ」
「大人の皮を被った子供め、覚悟しろ! ジャストコーズは俺にある!」
あるモードにして、ボタン押せばすぐわかる、あからさまなバグで、
いやもう本当、改修した僕もそりゃ悪いんだが、
突然あんなところ(どこだよ)を、いきなり定数にしだした前回開発者も、
全員悪いんだ!
(個人的には前回開発者とレビューワーを問い詰めたいわ…… あんなところ定数切られたら、あのAPのあの部分触るたびに数え直して変更せなあかんやん、しかもなんやねん数え直しってアホちゃうか、
しかもなんで、モード1ではその定数使わずに動的にうまいことやってるのに、モード2では定数で杓子定規にやりだすねんな…… おんなじメソッド使えや…… 別にモード1とモード2って書いたけど、一箇所違うだけで、やりたくこともやらなあかんことも同一やろ……)
VBAわかりますけど(キリッ)みたいな人が作ったマクロを直すのが苦痛すぎる。
なんでもエクセルでやろうとすんな。
マスタのデータをエクセルに貼り付けたものをつかってVBA組むな。
変数はご丁寧に一番先頭で宣言祭り、コントロールの名前が連番、無意味な処理、データの件数を取得するためだけに同じSQLをCOUNTにして実行、無意味なループに、ifの4段ネスト、メソッド名が不適切(checkXXX)、スコープは全部Public、定数の概念無し(マジックナンバー多すぎ問題)、型変換の概念無し(文字列を数字にぶっこむ)、例外処理なし、その他突っ込みどころ多数
そこそこの企業の特にWeb系で渡り歩いた経験から、真実を書こう。
はっきり言う、ほとんどのプログラマと自称する人間の 9 割はコーダーである。
言われたものを作る事はできるが、それ以外何も出来ないと言って過言ではなく、何もしない。
そんな驚きの生体をここに晒していく。
標準化と呼ばれるプロセスで、プログラマが環境の設計、組み合わせ、開発プラットフォームのセットアップ、開発環境の構築手順作成、開発手順の作成、必要な技術の考察を行う。
なぜそうなったのかは知らないが、一般的にそうなっている。
その環境に浸っているせいか、彼らはゼロベースでものを作ることが出来ない。
彼らにできるのは HelloWorld をコマンドプロンプトで表示するプログラム程度の事しか出来ない。
複数ソースの連結、ライブラリの読み込み、サーバへのデプロイ、どれも手動で出来ないのだ。
逆にそれ以外のこと、コードの読みやすさや、クローン率の低減、メソッドコメントの記載などの保守に関わることをしない。
それは彼らにとって「必要ない無駄な作業」としか考えないのだ。
早く仕上げるためなら、似たような動いてる箇所から、よく読みもせずにコピペを行う。
そして彼らは、作るより運用する期間の方が遥かに長くて、その間に修正で地獄を見るという簡単な論理に気づかない。
…何度味わっても気づかない。
たとえするとしても、業務時間中に業務で使ってる技術をピンポイントで学習するだけだ。
だが、プログラマと呼ばれる人間の母数に比べれば微々たるものだ。
彼らは言う「土日にまで仕事してられるか」「勉強会行ってるの?馬鹿か?」
あえて言おう、馬鹿は彼らだ。
Web で仕事をするならIDE(統合開発環境、エディタやコンパイル、テストやデバッグ実行などを画面から行えるツール)はほとんど必須(エディタで済ませる事も出来なくはない)が、彼らは状況に応じたセットアップができない。
たとえば「Maven(プロジェクト管理ツール)、checkstyle(コーディング規約チェック)、editorconfig(改行、インデント、文字コード設定)」が入っていたとする。
するとEclipseなどを使うとして
マニュアルやチュートリアルを用意しないと、道具の使用もままならない。
テストをなるべく機械にやらせようということの利点が理解できない。
そのために、何十回もコンパイル、デプロイ、アクセス、ログインの手順を何度も繰り返す。
関連する他の修正を行うたびに繰り返す…。
そしてやっと動くとひと仕事終えたと満足感に浸る。
ラリー・ウォールというとある有名な人物(Perl開発者にしてC言語ハッカー)がいる。
これは、自分の作るものは完璧なのだ、だから完璧であるように出来る限りのことをするという美徳である。
彼らは金のために嫌々動くだけのものを作るのだ、動きさえすれば報酬は変わらない、よって当然完璧かどうかなどどうでもいい。
同じ金でより良いものを作るのではない、要件だけ満たせばよいのだ。
変なプライドを持つコーダーは、それで運良く成功すると、自分の知識は正しい、自分の技術は十分なのだと考えている。
こういう人間は、プライドの無いコーダーよりたちが悪く、うまくいかないと他人か環境のせいにする。
そして調べず周囲を苛立たせるのだ。
土日に自ら勉強会に行くプログラマや、それこそ 50 人以下などという会社であればこうした事はあまりない(んじゃないかと思う。)彼らは自分でなんでもやらないといけないからだ。
だが、大企業に飼われる子飼いの企業、派遣(そもそも人手のみを求められる企業)、100人以上の企業では、役割分担に伴いこうした状況が多々発生する。
だが役10年、エンジニアを見てきた結果は変わらない。現実問題こうなのだ、こんな人間が大多数なのだ。
人の多い企業ほど考えたほうがいい、それでより良いものが生まれるのかと。
必要とされる技術だけを叩き込んで金にしたいと言うのは分からなくないが、基本姿勢や思想はどうなんだと。
経営者よマネージャーよ、あなた方の言う「最適化」とは現場が日々考え行っている最適化か?人員最適化だけを行って、生産性が伸び悩んでいないか?
そのあたりは考えた方がいい。
2016年の漢字は「反」かなって思った話
この世界の片隅にを見た
たいへんいい映画だと感じたが、正直アニメに関する知識がないのでその点ではなにも言えるものではないのだが
ここまで趣味のようなものが全開な戦争ものを、とくに邦画で見たことがなかったので、正直にいうと興奮してしまった。
どこかのブログでも書かれていたが、押しつけがましくないのである。
はっきり言って邦画で戦争を扱うとすぐ「戦争はよくない」とかいう人物が出てくる(女子供に言わせればなお良し)
辛気臭くてしょうもなくて、いっちゃなんだが北朝鮮のプロパガンダレベルな定型句だ(そもそもそういうのをセリフで言わす?って話だったりするけど)
思ったのはこれはいつだったかの老人ホームの話に似ているなと思った
老人ホームで老人がやらされているのは、手をつないで童謡をうたったり、お手玉をしたりと、まるで幼稚園のようなことをするんだと。
似てるんだよね。こうすればいいんでしょ。はいはい。っていう公式に当てはめた作業のような仕事っぷりが邦画の戦争映画と
だれのためなのさそれ。入居している老人のためじゃないんだよね。老人ホーム側の都合なんだよね。
どっかの老人ホームではそういうの改善して、麻雀とか取り入れて大人気らしいんだけど、やっぱそういうことだよなっておもった
NHKなんかほんとファッション反省みたいなくっだらない戦争ドキュメンタリー作っててしょうもないんだよね
ヒストリーチャンネルだったか、ディスカバリーチャンネルだったかで
銃の世界とかでずっと第二次大戦の銃について流す番組やってて、こういうことだよなって思った
べつに銃について知りたいわけじゃないんだけど、たまたまその時銃についてだったんだけど
だけど、こういうのNHKでやったらどうなるよ。そらもうすごいことになるだろうねw
NHKって障がい者の番組やったりして攻めてるってことになってるみたいだけど、戦争にかんしては全然だよね。北朝鮮レベル
好戦的か反戦的かのちがいなだけ。反戦的だったら知的だとか思ってそうなところがまさに北朝鮮な感じ
歌番組だったら紅白歌合戦みたいなね。あれまさに老人ホームメソッドだよねw
おててつないでみたいな、若者代表のアイドルが介護するように、老人演歌歌手となんかするお遊戯的番組
当たりさわりのない番組、あの感じまじで北朝鮮感あるよね、みんな不自然な笑顔だし
そんなことがアメリカでトランプが登場したときに日本でどう語られたかといえば、ポリティカルコレクトネスだよ
なるほどっておもったね
こうすればいいという公式がポリティカルコレクトネスなのよね
日本の戦争映画も老人ホームも紅白も、みんなが納得するよしなにな最適解なわけで、そういった公式に対する反発がいくつも起こっているわけで
たまたまアメリカで起こったから関心高く語られてるけど、こんなことはいくつもあるよなって思う
この世界の片隅には、べつにトランプと一緒にするのは失礼な話だけど、でもようやく出てきたって感じだよね
そうだいいぞ!やってやれ!戦争映画はこうすればいいとか思ってるやつらにみせてやれ!みたいな感じはあったね
この世界の片隅にをほめるやつは、ほかの映画腐すからウザいとかいう書き込みをみたからこの辺にしとくよ
でもね、そのくらいこの界隈のこうすればいいんでしょ、はい私いい子でしょ?みたいな糞な感じあったから
ようやく出てきたな~って思ったね
ブコメにて指摘
ごめん!
俺っちネット民の大半が思ってる通りずっと「オタク」と「政治的正しさ」は相反するものであり、
世が「政治的正しさ」を志向するならオタク的表現は抑制されて然るべきものとなると思っていたのだ
しかし最近ふと思ったわけだ、むしろ世の中が「政治的正しさ」を志向すればするほど、世にオタク表現が溢れていくのではないか、と
…ヘーイ何妄言垂れ流しとんじゃボケぇとか言わずちょっと聞いとくれよハニー
いや「実はオタク表現は政治的に正しいんです。だから世が政治的に正しくなればオタク表現もあふれるのです」なんて主張ではない
全てがそうとは言わんがオタク表現は基本的に「政治的に正しくない」と思う
では何故に世が「政治的に正しく」なれば「政治的に正しくない」表現が蔓延るとのたまうのか?
オタクを抑制して社会の片隅で縮こまらせる存在たらしめてたメソッドとは何か?というと
…しかし近年その「抑制」通じなくなってるのだ。何故かって?理由は簡単だ
「オタクキモい」は政治的に正しくないのだ!(な、なんだってー!?
対象がどのような人物であろうとどのような言動をしようと「キモい」と言いつけることは
「政治的に正しい」世ではまっこと「政治的に正しくない」行いなのだよ!(ななななんだってー!?
(対象が「政治的に正しくない」からといって「政治的に正しくない」罵倒を投げかけるのは相手と同じ穴の狢。「政治的正しさ」の基本)
しかしはっきり言ってどれも弱い。ほんとオタクを打倒するには蚊が止まる程度の衝撃しか無いくらい弱い
だって差別性がどうたら~うんたら~かんたら~たらったらたらり~んとくどくどくど長口上垂れ流して垂れ流したら、
当のオタクにはハナホジして「はあ。だから何?」の一言で終わりです
六文字だ!たった六文字だ!たった六文字でオタクをビシバシゲシゲシ抑制できるのだ!なんてコンビニエンスザンショ!
…だが、「政治的に正しい」世の中ではこのメソッドは著しく不当なのだ
「キモい」と言われた当のオタクは「自分は不当な罵倒を受けた」としか思えないのだ。
(勿論明確にそう思っているヤツは一人もいないが、「政治的に正しい」世の中では心の片隅で絶対にそういう感情を抱かざるを得ない)
当人がどれだけ「政治的に正しくない行い」をしていても、だ(←ここ重要だからメモっといてね
「政治的に正しくない」「オタク」と「政治的に正しくない」「オタクキモい」…のVSにおいて後者が衰退し、前者が勝ったのだ!
…それだけの話しだ!きっとそうなんさ!
いや別に「オタクを批判すんな」と言うわけでもないし「政治的正しさはクソだ」と言いたいわけでもない
ただ言いたいことは、オタクを抑制するのに最も効率の良いメソッドは「政治的に正しくない」ものに他ならぬこと、
そのメソッドを失ったんだから世にオタクがあふれるのは当たり前じゃんということであり、
「オタク批判」の方々が「政治的正しさ」を盾にしてオタク批判できると思ってるんなら、
ポリコレ棒とか揶揄する気はなく、そもポリコレを武器にすることでアンデッドモンスターに即死魔法食らわせて逆効果みたいな事態が起こってるというか
Javaを始めとするオブジェクト指向言語による開発になると、設計の手法も従来とは大きく変わる。
詳細設計のことだ。
ここでいう詳細設計とは、本来コードで記述する処理を、逐一日本語で書き下したものを指す。
てか、そんな物を読むくらいなら、現物のソース読めよって話だ。
だいたい、ソースに書くレベルの粒度の記述を、なんでいちいち日本語なんて表記揺れも甚だしいフォーマットで書かにゃならんのだ。
何よりソースに修正が入ると、遡って詳細設計も直さないと整合性が取れなくなるので、言うなれば二重に工数を掛けることになる。
「違うよ、設計を直して実装するんだよ」というが、合理性を重んじるSEやPGという人種が、実質同じ内容を何度も書きたがるわけがない。
それに、単体テストくらいまでの段階ならともかく、開発要員が縮小される結合テスト・システムテスト以降で、そんなことをしている余裕など現場にはない。
でも、そうなることが目に見えているにも関わらず、欲しがる客や元請が後を絶たない。
負担ばっかり増えて、尚且つ無意味な作業をやらせるなって感じ。
なんでそんなに「日本語訳」が欲しいの?
もし客がソースを読めないなら、その時に客が読みたい部分だけを元請が訳して説明すればいい(全部読みたがるヒマな客なんてそうそういないだろうし)。
そして元請はITのプロなんだから、ソースなんてスラスラ読めて当然なわけで。英語読めない英語の専門家が存在しないのと同じ理屈ね。
それこそ読み取り専用でリポジトリのアカウントの一つや二つくらいいつでも作れるので、ソース抜き打ちレビューどうぞって話だ。
とはいえ、別に何も「真実はソースただ一つ!」なんて言うつもりはない。
ソースに行き着くまでにも考えることは色々あって、その考えた結果は全て形に残さなければならない。
ソースもまた考えた結果の成果物の一形態であり、他の形態が、各フェーズで書くドキュメントなのだと思っている。
そしてドキュメントがあるお陰で、システムがトラブった時もいきなりソースの問題箇所を探し回る苦労から解放されるのだ。
ドキュメントを手がかりに「このクラスの、このメソッドが怪しい」まで行き着いてから、そこで初めてソースを確認すればいいと。
Javaだったら、ユースケース図、アクティビティ図、クラス図、シーケンス図、Javadocによるメソッド説明と読み込んでいってアタリを付け、それから当該メソッドのソースを読めばいい。
イスラエルの所業を批判するならば、当然のごとくホロコーストをも批判することになるはずだ。
イスラエルがパレスチナに対してやってきたことは、実に残酷で許されざる行為であるが、それと比べてさえホロコーストはあまりに恐ろしい。
パレスチナ人虐殺を批判する人は、ホロコーストについても同様の理路でもって批判できるはずなのだ。
しかし、イスラエルによる弾圧でもってホロコーストの罪が相殺されるとでも言いたげな人が存在する。
いったいぜんたい、彼らはどういう考え方をしているのだろう?
仮に、ある事件で犯罪被害者になった人間が後に犯罪者となった場合、最初の事件の加害者の罪は相殺されるとでもいうのだろうか?
いや、それ以前に、イスラエル≠ユダヤ人だ。この例えは成り立たない。
じゃあいったい?考えてみよう。
わかった。相対化。
罪の軽重に何ら影響することもない行為なのではあるが、古今東西よく使われる詭弁。
たいていの場合、自分の為した何らかの悪行を擁護するために用いられるが、今回は己の行為ではなく他者の行為に対してだ。
しかし、擁護する?ホロコーストを?歴史上の非人道的事件において最も擁護の余地が無いこれを?
擁護のしようがないからこそ相対化するって話もあるが、どちらにしろそんなことを考えるのはネオナチか歴史修正主義者くらいであろう。
となると、相対化でもないのか?
もしかして、単にイスラエルむかつくからあてこすりで適当なこと言ってるだけだったり?
イラっときてパパっと書く。坊主憎けりゃの要領で主語も大きくしちゃう。敵の敵は味方メソッドでナチを擁護しちゃったりもする。