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はてなキーワード: ボードゲームとは

2021-01-07

重い過去がある人に対して

重い過去がある人に対して、どんな反応すればいいかからない。

昔仲良くしてた女の子母親事故で亡くなった。その年の夏休みに二人で彼女のおばあちゃん家にお泊まりすることになった。気晴らし旅行みたいなものだったと思う。とにかく悲しいことは忘れて、ぱーっと遊ぼう!みたいな。(実際めっちゃ遊んだ映画プール遊園地など) 私はなんとか彼女に安らぎを与えたくて(そんなの無理かもしれないけど)、とにかく無邪気に振る舞った。空回りしてたかもしれないけど、重い空気にしたらせっかくの精神回復旅行台無しになってしまう。私は彼女の心の安寧であり、家族以外のなにか悲しいことを忘れられる場所でもあるのだ。そんな自負をもって旅を楽しんでいたのだが、やはり時折お母さんの話題がちょろっと出る。そのたびになるべく感情を下げないように「ふーん」「そっかあ」「そうだったんだね」と差し障りのない返答をしていた(じゃないと私のほうが悲しくて涙が出てしまいそうだった。彼女のお母さんによくしてもらってた)しかし帰りのお土産コーナーで「これね、お母さんが好きだったお菓子なの」とスフレ差し出されて、いつもの通り「そうなんだね、そっかあ……」と返答したら、ちょっと怒ったように言われた「なんでお母さんの話題を出すと急に冷たくなるの。別にわたしはお母さんのこと、悲しかっただけじゃないから」そこでハッとした。気を使いすぎていたのかもしれない。話すことで思い出す優しい記憶もあるのに、私は全て彼女の母=死んでしまったという事実しか捉えられていなかったのだ。小学五年生の夏だった。小説にかじりつく本の虫である私は、親のいない主人公登場人物が出てくる本をいくつも読んできたはずだった。そんな彼らに共感し(ちなみに私の両親は生きている)、そんな彼らが一番嫌がるのは「同情」だということも知っているつもりになっていた。しか人間って複雑だし、小説みたいに上手くいかない。あのときは「ごめん」と謝ることしかできなかった。

 彼女の母の葬式とき、本当は身内しか入れない控え室みたいなところに入れてもらってボードゲームをしてた。私だけじゃなくてクラス女の子も7.8人呼んで皆でワイワイやっていた。内心(葬式って悲しむべき悼むべき静かなところであって、こんなに馬鹿騒ぎするのはおかしいんじゃないの)って同級生に引いてたんだけど、彼女にとってはそんな馬鹿騒ぎでもしてないとやってられなかったのかもしれない。一歩引きすぎてたのかもしれない。そこで私がいの一番に盛り上げて彼女不安をどうにかして紛らわせることができたら一生の友になってたかもしれないが、正直彼女を見るとお母さんを思い出してテンションがぶち上がれない。

 葬式で配られたハンカチがあった。ご丁寧に葬式に出席した同級生全員に配られた。しかし私はそれを使うことはできなかった。ある日、学校給食時間馬鹿男子牛乳か何かをこぼしてハンカチを取り出した。例の葬式引き出物だった。しか彼女の目の前で。でも意外なことに彼女は笑った。「あ、それうちのお母さんのだ」「……悪かった?」「いや、使ってもらったほうが嬉しい。棚の奥にしまわれるより」私は完全に引き出しの奥に詰めていた。なんか、こういう考えないクラスメイトの行動のほうが、彼女にとっては嬉しいんだな──と、彼女と一番心の距離が近いと思っていた私は嫉妬のような不思議感覚を持った。だってあの旅行に誘われたのは私だけだったのだから。そして、「あぁ、これが『いつも通り接して欲しい』ってことなんだなあ」って思った。私は考えすぎていた。今まで読んだ小説サンプルになんとか状況を整理して、一番適切な行動、役割を全うしたいと思っていた。なぜなら彼女と私は親友で、親友がなにか危機的状況にいるとき相棒が助けなければならないからだ。しかしそれは、「同情」にも似た、そして、同情よりもたちのわるい「計算」をして彼女を支えたつもりだったのだ。

 葬式馬鹿騒ぎしたクラスメイトも、葬式ハンカチ日常で使う馬鹿男子も、「計算」なんてこれっぽっちもしてなかった。「いつも通り」だった。むしろ私はその場の空気を冷やしてしまっていたんじゃないか。私は感動しいである。感動もの小説ドラマ映画は大体感ポイントで泣く。感情豊かだと自負していた。だから相手気持ちも分かる気がしていたのだ。今年お互いに成人の日を迎え、年賀状も届いた。しかし、毎年返せずにいる。

重い過去がある人に対して、どう接するのがいいのだろう。よく小説漫画にあるのは、聞き手はてなを浮かべて「だからなに? おまえがおまえであることに変わりはねえよ」ってさも当たり前みたいな雰囲気を醸し出すやつだけど、あれを柔らかく伝える瞬発能力はない。お家に帰って反省会すれば出てくるかもだけど。人の死に構えすぎなのか。でも人が死ぬのは悲しいことだし……実際に身内が死んだ経験がないから分からない。自分の親が死んだときどんな反応をされたら心が逆立たないのか考えても、今の時点では「……そっかあ」という差し障りのない返答が精神衛生上いいんじゃないかと思う。分からない。

2021-01-05

A Time of War 発売前(2009年6月3日付) CATALYST 社 battleblog のエントリ。備忘的に訳しておいたものだし、なにしろ10年以上前なので、和訳の精度には問題があるかも。しか英語の原文が閲覧できない状態になっているので、原文と突合せてのチェックができない。どこかに原文が保存されていればぜひご教示願いたい。また、誤りなどのご指摘もあればよろしくお願いします。

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「A Time of War」 バトルテックRPGジレンマ

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 このRPGは、バトルテックシリーズの中では常に赤毛のままっこで、うまいことなじむ方法を見つけられたためしがない。バトルテックがもちろんちょっとばかり変わっているのは救いにならない。バトルテックは純然たるボードゲームではないし、純粋な卓上ミニチュアゲームでもないし、RPGでもない……だがそれら全ての要素は備えている。この点は、バトルテッククールものにすることに一役買っている。それに、バトルテックの25年間にわたる繁栄にも一役買っていると私は信じている。

 しかしながら、プレイヤー達がしばしばもっとも強く求めるのは(少なくとも長年の、そう何年もの観察に基づいて言うのだが)、彼らの(ボードゲームの)キャンペーンRPG的要素を付け加えることだ。完全なRPGスタイルゲームプレイするプレイヤーいくらはいるだろうか? 確かにいる。しかし、彼らは少数派だ。

 じゃあ、そういう完全なRPGとしてプレイするプレイヤーだけでなく、RPGの要素を一部ひっこぬいてボードゲームキャンペーンに付け加えたいというプレイヤーも満足させるようなRPGを作ってみろってことか?

 これはジレンマであり、このゲームの3つの版を通して解けない問題だったのだ。

 最初RPG(1986年刊行)は RPGの方へ向かうための骨子程度のアバウトなもの(すくなくとも、その頃はそうだったのだ。ひどくクールだが、びっくりするほど短かった)で、大量のスペースを世界設定に関する資料に割いていた。

 第2版(1991年刊行)はほぼ同じ道をたどった。つまりは「メックウォリアーキャラクター作成ルール」と、大量の設定資料だ。

 第3版(1999年刊行)はがんばった。「メックウォリアー作成ルール」以上のものをめざしてルールに肉付けをし、どんなキャラクタープレイできる多彩なRPGルールになった。いろいろなことについては正しく行われたんだが、この第3版もまたボールを落っことした。一番の問題は、バトルテックボードゲームからかけ離れてしまたことだ。(私は個人的にこのルールブックのディベロップに参加した。その頃はそれが正しい編集方針に思えたのだが、後知恵で見れば、大いに間違ったルートだった)

 「A Time of War: The BattleTech RPG」はこれらの問題を「修正」しようと試みている。それは第3版同様に多彩なRPGだ。強力なキャラクター作成システムを備え、特徴(trait)と技能(skill)の章にも大きく紙幅が割かれているので、どんなタイプキャラクターでも作成できる。

 しかし、第3版と違うのは、そこが戦争についての世界であるということを認識しており、そのように調整されている点だ。加えて、「A Time of War」は第1版や第2版のようにバトルテックボードゲームの不可欠な一部となっている。現行のバトルテックボードゲームルールブック・シリーズと合わせると、この特徴はさらに顕著だ。

我々は今後出るボードゲームルールブックについても、現行のシリーズに結び付け、できる限り簡単プラグ・アンド・プレイ可能となるように大変な努力をしている。そんなわけで、「A Time of War」はこの分野においては最初の二つの版より優れたものになるのだ。

 この版は、ボードゲームに直結する戦闘ルールと、タクティカルコンバットの両方を含んでいる。「バトルトループス」ボックスセットゲーム(1989年刊行)を覚えているプレイヤーにとっては、これは実質的にはバトルトループス2でもあると言えるだろう。

 そしてもちろん、プレイヤー達がこの世界に飛び込むのを助ける設定資料集は大量にある。

 かてて加えて、GMプレイヤーを熱中させる面白いゲーム運営するのを助けるという点では、これまでよりもはるかに優れたツール提供しているハズだ。その証拠GMセクションを見てみよう。54ページもの長さがあり、私はその全体がGMの役に立てばいいなと思っている。

 無論、究極的には、結果は諸君が遊んでみるまでわからない。それにはもう2、3ヶ月かかるだろう。海外での印刷輸送にかかる時間は厄介なものだ。しかし、この本の制作全体をみれば、完成は近づいている。

 ああ、それから最後一言フォーラムのどこかで見たが、なぜこの本のタイトルボードゲームのコアルールブック(「Tactical Operation」や「Strategic Operation」など)とぜんぜん違うのか、と不思議がっているスレッドがあった。

 ボードゲーム上級ルールブックとは毛色の違うタイトルにしたその理由は、“「A Time of War」はバトルテックシリーズへの第2の入口から”というものだ。たとえば、ボードゲームに興味のないRPGプレイヤーがこのRPGを手に取れば、それは「もう一つのSF世界」への機会になるだろう。

 ボードゲームのコアルールブック第1弾「Total Warfare」は、バトルテックシリーズへの最初エントリー・ポイントとなるべく、テーマに合った魅力的なタイトルをつけた。「A Time of War」(バトルテックでは以前にも何度も使われたフレーズだ)も、「Total Warfare」と対をなす魅力的なタイトルだ。そして、同じような雰囲気フィットするが、より個人的な印象を与える――RPGという視点を反映しているのだ。

 もし我々がオカシくなって、ボードゲームのコアルールブックにぴったり合わせた「上級RPGルール」をラインナップに加えることにしたなら、「上級ルールブック」のテーマに合わせて、この本を『Irregular Operations』とでも名づけただろうが。

 ではまた次回!

 ランダ

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以上。

2021-01-03

おすすめボードゲーム教えてください

以下の条件にあうようなボードゲームを探しています

プレイヤー3人、ゲーム時間は1時間位を考えています

・一番好きなのはカタンですので、ルール難易度は同等程度のものを考えています

・だからといってカタンと同じように街とか都市を作っていくゲームは除外したいです。そういうのはカタンで十分なので。

戦略だけではなく運要素も必要です。逆転要素があるといいなと思います

最後計算して勝ち負けがわかるものよりゲーム途中経過勝敗の傾向がわかるものがいいです。

交渉要素はあってもなくても構いませんが、あると面白いです。

2020-12-06

将棋符号思考するプロ棋士

 将棋って指したことありますか?

 将棋楽しいボードゲームで、基本的に殴り合いのオフェンスゲームです。仮にチェスディフェンスゲームで、お互いに防御の構えを組み換えながら敵側の綻びを見つけ出すゲームだとすれば、将棋は蟻の一穴をこじ開け落城させるオフェンスゲームと言ってもいいでしょう。

 チェス競技人口が一説には5億人とも言われる中、将棋競技人口は一千万人程度とガラパゴス様相を呈していますが、明らかにゲームとしてのバランスではチェスに勝っていますチェス公式戦においては先手勝率が40%程度、後手勝率が30%、引き分けが30%程度なのに対して、将棋の先手勝率50%程度、後手勝率は48%、そして引き分け千日手)の確率は2%前後であり、引き分け可能性がチェスに対してずっと少なく、そして先手と後手の勝率拮抗し合っているため将棋ボードゲームとして極めて高い完成度を誇るゲームと言えるのです。

 更に付け加えると、ダメ筋(明らかにダメな手)を含めた、ありとあらゆる手の組み合わせ(ありとあらゆる進行の総数)を計算すると、チェス10120乗程度なのに対して、将棋10の220乗程度ということですからゲームとしての奥深さも将棋チェスを上回っています。因みに、宇宙存在する原子の総数が10の70乗程度ということなので、如何に将棋というゲームが奥深いかは言うべくもありません。つまり、ある部分において将棋というゲーム宇宙それ自体より『深い』のです。


 僕は腕前としてはアマチュア初段程度で、つまりアマチュアが目指すべき差し当たっての目標点にいます。やはりアマチュア二段以上を目指すとなるとかなり強烈な努力必要になってくる印象です。アマチュア初段は将棋普段嗜んでいる人間の中で、上位25%前後の層を指しているとお考え下さい。

 将棋の道は極めて長いです。そして険しいです。詳しくはこの「将棋名人とはどのくらい強いものなのか:https://ncode.syosetu.com/n5490eb/」という素晴らしい記事をご覧になって頂ければよいかと思います。(この記事の作者様と私は同一人物ではありません)

 将棋プロになるためには奨励会という育成機関を通過する必要があります。この奨励会は入会すると6級からスタートとなるのですが、これはアマチュアで言うところの四段以上の腕前に相当すると言われていますしかも、この奨励会に入会するのは小学生中学生少年少女です。つまり大の大人血の滲むような努力をしてようやく到達できる地点に、ある程度の凝縮された努力によって遥かに短い時間で到達できる人々、つまり天才たちだけがこのスタートラインに立つことができるということです。

 さて、当然奨励会員になったところでプロになったわけではなく、プロになれるのは奨励会三段リーグ突破して四段の資格を得た者だけで、年間に四人しか輩出されない仕組みとなっています。更に、四段になった後もプロとしてのグラデーション存在しており、そこには才能の差という影がいつまでも付き纏います

 才能のあるプロ、つまりそんな天才の中の天才は、将棋を指す際にどのように思考しているものなのでしょうか?

脳内将棋

 先に紹介させてもらった記事では、天才達の中でもグラデーション存在しており、将棋トップに立てるのは本当に一握りの人間であることが述べられていました。

 つまりトッププロとは、仮に将棋人口1000万人だとすれば上位0.0001%人間のことです。すなわち、トップの十人、それが実質的日本トッププロ達です。

 羽生善治藤井聡太渡辺明豊島将之永瀬拓矢らがそうです。将棋を指す者達は彼らのことを畏怖の目で見つめ、時折プロが招かれるイベントなどで間近に見る際には、化け物や、宇宙人。あるいはこの世の理を超越したもの意味する視線が、彼らには注がれることとなります

 さて、これらのプロ達に必要ものは何なのでしょう?

 つまりは才能とは一体何なのかという話になるのですが、脳内将棋盤というのがポイントになってきます

 人は、数理的思考能力、つまりIQが140を超えると立体的なイメージをあらゆる角度から検証できるようになるという話があります人間のある種の知的能力と、立体的な像を脳裏に生み出す能力には深い繋がりがあるということなのです。つまり、才能のある将棋指しは脳の中に将棋盤を作り出すことができ、これによってどんな時でも(つまり実際の将棋盤がなくても)脳裏において将棋情報を扱うことができるようになるほか、将棋に関する凝縮した思考を連綿と行うことができるようになるということなのです。勿論、プロもこの「脳内将棋盤」を持っており、彼らの脳内将棋盤にはそれぞれのバリエーションがあることも有名です。

 以下コピペ

羽生四冠

「4分割(5×5中央重複)の部分図が高速で行ったり来たり。盤全体は1度には浮かばない、負荷が大きい。盤面は白、線は黒。駒は外形が無く黒の一字彫り。アマ二、三段くらいになった10歳ごろからこんな風。」

森内九段

「立体的でリアルな榧盤に柘植の駒。

盤駒のみの思い浮かべる事はほとんど無く背景も付随。対局中は当時の対戦相手や対局場の雰囲気まで再生普段は自室の背景に板盤。」

加藤九段

「盤は黄色で1一が右上に固定されている全体図で、線は無い。楷書文字1字だけが駒として自動的に動く。」

渡辺二冠

「ダークグレーの空間に、字の書かれていない黒に近い灰色の駒が浮かんでいるだけだが、どちらのどの駒かは分かる。」

佐藤(康)九段

「黒くぼやけた盤面のどこか一部だけが見えている。駒はゴニョゴニョ、あるか無いかからないまま何かある感じ。」

里見女流名人

「盤も背景も黒く、線の無い盤全体に文字の無い黒っぽい駒がモニョモニョ。」

 (出典:AERA No.38増大号'12.9.17天才たちの「脳内パネル」』)

 さてトッププロどころかアマチュア4~5段の人々にはこの脳内将棋盤が基本的に備わっていると言われています。つまり、この脳内将棋盤は確かに、ある程度将棋の強さ(棋力)の指標となるのです。しかし、トップの人々に関してその指標ピタリと当てはまるかというと、疑問だと言わざるを得ません。脳内将棋盤というもの将棋の猛者にとって当たり前のアイテムかつ大前提アイテムであるため、最上位層の人々の能力を測る尺度としては些か信頼性に欠けるということなのです。というか、一応奨励会三段(アマチュアではなくプロ基準の三段)ともなれば、既に常人を超越して人間卒業レベルに至っているので、やはりその中にいる更なる化け物達を推し量るには、脳内将棋盤の有無のみならず別の尺度を用いる必要があります

脳内将棋盤が「ない」。

 つまり、その二者。単なる化け物と、化け物の中の化け物を辨別する際に必要なのは脳内将棋盤が「ない」ということなのです。

 頭の中で将棋盤が無く、視覚的なイメージに頼ることな思考できる人々が、化け物の中の化け物にはいるということなのです。

 例えば、常人は次のように考えます

 「最初の一手……まず、角の斜め前の歩を前に一つ進めるだろ。すると、後手の相手も同じように角の斜め前の歩を一つ進める。だとしたら俺は飛車先の歩を一つ前に突いて、相手も突き返して……横歩取りの筋に合流しそうだ」などなど。
 つまり常人基本的画像、目の前にある将棋盤の視覚的なイメージを用いて思考しており、そのイメージを介さずには将棋を指すことができないのです。ある意味では脳内将棋盤の存在も、視覚的な情報に基づいているという点においてはその思考の延長線上にあると言っていいでしょう。そう、人は基本的将棋を考える際には視覚的なイメージ媒介とするしかないのです。

 しかし、プロの一部にはそのような思考法は――視覚的なイメージを介した思考は――あくまで「補助的なものに過ぎない」と証言する者もいます藤井聡太増田康宏、羽生善治などがそれらの棋士です。

 では彼らはどのように思考しているのでしょうか。

 そう、符号によって思考しているのです。

 将棋符号とは、数字文字によって駒の動きを表したものです。いわば駒の「番地」とも言われるもので、次の記事が参考になると思います

https://book.mynavi.jp/shogi/detail/id=77758

 例えば、少し前に書いた横歩取りの定跡だと以下のような記述になります。76歩、34歩、26歩、84歩、25歩、85歩、78金、32金……。このような記述の仕方は江戸時代以降から共通であり、いわゆる将棋の対戦の記録である棋譜」は古くは数百年前のものが記されています。古い文献において、盤面は視覚的に、絵図を用いて記述されることはなく、符号を使って記述されているのです。

 いちいち絵図で盤面を描き残すよりも、文字で表した方がずっと労力は少ないですからね。

符号思考する

 以下の記述あくまで本人らの証言を参考に記しているものであり、彼らの思考追体験したものでは当然ないのですが、つまり彼らの思考は以下のものになります

 先程書いた将棋符号が、将棋に関する思考を始めた瞬間にズラズラズラ~~~っと文字列で浮かぶのです。

 そう、これがトップ棋士達の思考なのです!

 「ズラズラズラ~~~っ」って……、と自分文章表現力の稚拙さに絶望しそうになるのですが、そう言い表すほかない。そう、真のトッププロにおいては、文字によって思考が行われるのです。そこに画像の介在する余地は、僅かにしかない。羽生善治曰く、「思考基本的符号で行って、その後、ある程度局面を読み終わった後に、自分思考確認するために思考画像に起こす、という作業はありますが、基本的画像思考することはありません」とのことでした。

 先に書いた通り、画像物事を表すというのは、文字列で表すよりも遥かに手間が掛かります。つまり、脳の処理を要します。

 となれば、より情報量の少ない符号によって思考するということが、より高速な思考法として適しているということなのです。

 ある意味、それは楽譜における音符の存在と似ているでしょう。というか、そのものかもしれません。音楽というものは体系化され楽譜という共有形式を持つ以前は、完全に口伝であり、人々が歌い継ぐことによってしか継承を行うことができませんでした。しかしそれが数学的・音楽的に体系化され、楽譜の形を取ることになると、そのような継承の際に起こり得る障害はほぼ完全に撤廃されることとなります。そしてこれらの音符を読むことで、人々はそのメロディー脳裏に想起することができるようになりました。将棋棋士もまた、それと同じ知的処理を行っていると言ってもいいかもしれません。

 つまり、ドミソ、の音符が並んでいるのを見て、タララ~、という和音脳裏に浮かぶのと同じように、将棋トッププロたちは符号によって将棋の盤面を把握することができるのです。これは、将棋のある程度の才能がある人々には必須能力ですし、実際に高位のプロ棋士トップアマチュアは、棋譜を一目見ただけで盤面の進行をまざまざと思い浮かべることができると言われています

 とは言え、そのことと「思考符号を用いる」ことはやはり一線を画していると言ってもいいでしょう。

 勿論、理屈としては分かるのです。我々が音楽継承する際に楽譜を用いたように、あるいは将棋の対局を語り継ぐために符号によって棋譜を残したように、それらの音符や符号といった記号には意味圧縮することができ、効率的情報伝達を行うことができるのだと。

 勿論、理屈としては分かります。とは言え、それらの記号を使って後世へと情報を伝達することと、それらの記号を用いた思考を正確に効率的実践することとは、また別問題です。

おわりに

符号さえ「ない」。(藤井聡太場合

 というわけで、画像媒介にした思考文字列を媒介にした思考とでは、効率において文字列による思考に軍配が上がるということでした。プロ棋士らによる思考抽象化が極限にまで達すると、本来立体的な駒やそれらの視覚イメージを用いずして思考することが不可能であったはずのボードゲームも、文字列を介した思考によって再現されてしまう、ということなのでした。実に、これは驚くべき異常性であり、そして、個人的には文化として、そして娯楽として、このような常軌を逸した営みを次代へと継承していかなければならないと感じます

 さて、ところで常軌を逸していると言えば、藤井聡太二冠の名前はもはや語るべくもなく有名ですよね。彼のインタビュー記事は相当数発表されていますから、彼の語る様々な内容について把握している方も多いかも知れません。

 その中でも異質のインタビューと言えば、2020年の夏に発表された、小説家白鳥士郎氏によるインタビューでしょう。https://originalnews.nico/139502

――棋士はどなたも『脳内将棋盤』を持っておられます。でも藤井先生は、あまり盤面を思い浮かべておられる感じではないと、以前、記事で拝見したのですが。

はい

――では、対局中はどんな感じで考えらおられるのですか? 棋譜思考している?

「ん……それは、自分でもよくわからないというか。んー…………」

――盤は思い浮かべない?

「まあ、盤は(対局中は)目の前にあるわけですので」

――詰将棋を解くときなどはどうです?

詰将棋は読みだけなので、盤面を思い浮かべるという感じでは……」

――えっ? ……私のような素人だと、詰将棋を解くときこそ将棋盤を思い浮かべるというか……むしろ手元に盤駒を置いていないと解けないくらいなんですけど……。

 将棋プロ世界は腹の探り合いであり、自らの能力本質である思考方法」について簡単に詳らかにすることは、本来無いことと言ってもいいかもしれません。とは言え、これまで語ったようにそれらをはっきりと述べる棋士の人々がいらっしゃるのもまた事実です。そして、このインタビューにおいて行われた藤井二冠の発言もまた、棋士思考の一環を覗くことのできる重要な機会であるように思われます

 さて、ここで述べられているのは、そもそも思考する際に「なにもない」ということです。

 全くの虚無、というわけではないにせよ、少なくとも目の前に分かりやすい形で示すことのできる思考は、存在しないということなのです。

 以下のインタビューで彼は次のように語っていますhttps://shuchi.php.co.jp/voice/detail/3394?p=1

――藤井四段は、将棋の場面を図面で考えるのか、棋譜で考えるのか、どちらのタイプですか。

 聡太 : 基本的に、符号で考えて、最後図面に直して、その局面の形勢判断をしています

 彼は基本的にはこれまで述べたように、「符号」を使って思考するのですが。しかしある種の詰将棋などにおいてはそのような符号さえ必要にしないということでした。

 このような、実際の目視確認脳内将棋盤(符号による棋譜理解)→符号による思考符号さえない思考という構図を単純なステップアップの過程として語ることはできないとは思うのですが、しかし、将棋というゲームについて思考する際に、その思考が極限まで達した人は何かしらの深淵へと、虚無への道を辿っているような、そんな感触を覚えてしまうのは僕だけなのでしょうか。


 さて、というわけで、トップ棋士たちの、良い意味での思考の異常性について語りました。現在12/6午後五時三十分ですが、僕がこの世の隅っこでこの文章を書いている間、世間の大舞台では羽生善治九段豊島将之竜王二冠のタイトル戦第五局が、行われている最中です。

2020-12-01

anond:20201201232326

今(ここ10年くらい?)、実はボードゲームブームなんですよ

子どもというより大学生とか大人に向けたもの流行っていて、ボードゲームカフェなんていうボードゲームが沢山置いてあって借りられるプレイ場所も増えてきたりしていますカラオケでもパセラとかなら借りられますね)

ルール簡単ものから難しいものまで沢山ありますが、大体のエッセンスすごろくトランプモノポリーだったりの有名ゲームと似たようなものなので、一度プレイすれば分かるようなものが多いです

個人的おすすめモダンアートというゲームで、3~5人で遊ぶのですが、カードしか使わないのでコンパクトゲームです

ゲームの流れは、最初お金と絵(のカード)が配られて、絵をオークション形式で出品し、他の人が出品した絵を落札し、オークションが終わったら買った絵を換金する、という流れを繰り返すゲームなんですが、

このゲーム面白さは出品や落札した絵の換金価値が、他の人が出品した絵によって変わる(同じ画家が書いた絵が多く出品されれば、価値が上がる)、ということなんですね

そこで、相手に得をさせずに自分の絵の価値をどう上げるかみたいな戦略性が出てくるというゲームです

anond:20201201232326

最近モノポリーやウノ以外のボードゲーム置くお店が増えて嬉しい

しかし、今集まりづらいんだよね…買ってもできない。

ヨドバシテーブルゲーム(電源なし)売り場の棚がある

人生で一度も見たことない名前の、置き場に困りそうなでっかい箱のゲームや、

修学旅行に持っていくためだけに作られたような小さい箱のカードゲーム

仕入れ店員も遊び方把握してないと思われる埃っぽい土色の英語小箱

雑然と、ごちゃっと、どこに何が置かれているかからない状態で表向いたり横向いたりして眠っている


え、ここ輸入品カードとかちらっと置いてたかつてのボードゲームショップノスタルジーコーナーかなんかなの

あるいはなんの文字もない古びたゲームらしき小箱を手にとった瞬間から始まる、文庫本1冊ぶんの不思議冒険なの

進むことに迷ったら、明日がくすんでしまったら、ここに来ればいいの?

それと、テーブルゲームを一緒に遊べる友達もいなくなってしまった歳の者だけども、まだ手に取ってみてもいいですかね

2020-11-13

anond:20201112222301

長年ボードゲームに対して使われてたフレーズだぞ

「応答に使う」ってボードゲームが話しかけてくれるの?

2020-11-01

対面とネット対戦のそれぞれに意味があるというオリジナリティをe-スポーツは獲得した

光が地球を一周するのに0.15秒かかることに文句をつける人種世界にどれだけいるだろうか?

そうでありながら、海の向こうの相手と日々研鑽を積むことに意味を求めるような数奇な連中はいるのか?

本物の格闘技ネット対戦はありえない。

将棋のようなボードゲームであれば、0.15秒の差を気にするほうがおかしくなる。

ジャズセッションWEBカメラ越しでやれば0.15秒の致命的な差は許されない。

ギリギリで何かが成立し、それでいてそれでは失われるものをどこかで埋めようとする文化存在する場所はe-スポーツだけだ。

それはたとえば、オンライン自転車レース、走る性能を競うことは出来るが、路面コンディションの絶妙な差や瞬間的な風向きの差が産む偶然は再現されない。

それはたとえば、ポーカー世界大会人間の出す匂いとして知覚することの出来ない僅かなフェロモンの差を、プロの嘘つき達は感じ取る。

ネットワーク世界空間的な差を無くすことで生まれ繰り返される365日の終わらない予選会場、そして対面のみで可能になる本物の真剣勝負

その究極の形として、e-スポーツ存在する。

戦う場所はともにデジタル空間、握るコントローラーも見る画面もいつもと同じ、それでありながら、オンライン対戦と対面は別のゲームに変わる。

遅延の差がキャラ性能を全く別のものにし、tierリストが、ダイヤグラムが書き換わる。

対戦画面の向こうに海底ケーブルがあるか、目の前の対戦相手にすぐ繋がるか、それだけの違いが絶対的な差となる。

オリジナリティ

技術限界が、e-スポーツに与えたもの

2020-10-14

この世に溢れる木製品センスなさすぎ問題

木製のボードゲームみたいなものの話。

プレイヤー2人で1種類のボードと2種類のコマを扱うようなゲームでよくあるデザインなんだけど

一方のコマだけ塗装(あるいは黒檀)して、もう一方のコマを無塗装でボードと同色にしてるものおすぎ!!!

訴えてやる!!!

将棋は違うのであしからず

2020-10-10

anond:20201010080824

まだKFCにもなってないおそらく進出初期のころ、出店ない地方に住んでた幼少期に買ってもらった人生ゲーム亜流ボードゲームの、出店機能欄の架空店名に

ケンタッキーライドチキン

てのがあって、まだテレビCMもろくになかった時期なので、その駄洒落理解できなかったことを想い出した。

2020-10-07

アップデート出来なかったら人間の末路

4年前、2028年のことだがちょうど仕事で二ヶ月丸ペルーパキスタン出張していて、例の大型アップデートを逃してしまった。

手違いで会社側が不在届を提出しておらず、予備週間にも取りこぼされた。

そこから人生の転落の始まりだった。

まあ4年も前のこと、ver2.33の皆さんには思い出さないかもしれないが、4年前のアップデートマルチタスク能力が格段に強化されたのは知識として知ってる人も多いと思う。

まさに地獄だった。出張から帰ってきたら仕事量は冗談抜きで4倍になっていた。会議を聞きながら書類作成書類作成しつつも会議意見を述べたり質問をしたり。って、あたりまえか。まあ今のみんなにはできて当然だし、4倍のさらに倍の仕事もこなせるのが普通ことなのかもしれない。が、アップデートを逃した俺には出来なかった。それまで俺はいわゆるエリートだった。販路開拓のために海外を飛び回る一流サラリーマンネイティブと変わらず話せる英語自分の誇りだった。それが突然「無能」と呼ばれるようになってしまった。当時プライドが高かった俺は苦しんだ。転職を繰り返したが上手くいかず、ついには清掃や警備など昔の俺なら底辺と見下していたような仕事にまでついた。が、そこでもマルチタスクが求められた。同僚は当然のように12枚の監視カメラ映像さらいながらカップラーメンを食べ、ソシャゲ(ソシャゲといっても昔の人間が考える猿のおもちゃのようなものとは違う)に興じていた。

アプデでクリエティティが強化された、正確には大脳皮質がどうたららしいが俺には理解できなかった。ともかく、その強化で周りの趣味がガラリと変わった。俺がそれまで好んでいたバラエティお笑いアニメ漫画低俗幼稚園児でも見ないくだらないものとなった。代わりに流行り始めたのが、昔なら博士課程でやっていたような学問研究抽象芸術作曲演奏活動仕事で打ちひしがれて帰ってきて、テレビをつければ流れるのはわけのわからない数学証明、それが理解できて当たり前で、むしろからない俺が馬鹿音楽も難解になった。音の数が圧倒的に増えて、俺には理解不能な多量の音の羅列になった。でも、俺以外の人間には音楽なのだと言われた。

流れ着いて入った工場の寮では、毎晩仕事仲間が集まって超複雑なルールボードゲームをやっていた。自分の駒が24種類あって、山札が5種類、伝言ゲーム形式11単語を回し、それからサイコロも使うわけのわからないゲームだ。でもみんなそれが出来て当たり前だった。昔で言う将棋みたいに、ちょっと聞けばルールがわかるものという扱いだった。俺はそれを黙って見ていた。プレイできないことがわかると知障扱いされるからだ。

耐えがたかったのは、感覚過敏だ。俺は感覚過敏ではなかった。大型アップデート前は。それが、みんながアップデートしたことによって俺だけが感覚が異常に過敏だということになった。32年では、防疫的観点から全身をラップのようなもので包むのが当たり前だが俺かはこれがめちゃくちゃ辛かった。みんな当たり前だという顔をしていたが。それに、食べ物も味もアプデ後におかしくなった。すっぱいのに辛くてさくらんぼに似たフルーティ香りがついた茄子のような野菜、とか。そんなものばかりが出てきた。俺は焼肉と白米以外食べられなくなった。それでも白米はタバコの煙のような味がしたし、焼肉メロン香料で味をつけるのが一般的だったが。食べられないことより、何より辛かったのは皆が俺を偏食扱いすることだった。俺は普通の味覚をしていたのに、突然病気のように扱われるようになった。

恋愛なども不可能になった。アプデ前は彼女がいたが、アプデ後に流行った高度な言葉遊びのやり取りに馴染めなかった。俺も昔はハイスペで、彼女もまた才女だったから、彼女は俺がウイットに飛んだ素晴らしい返しをすることを期待していたのに。例えばこうだ。彼女が「縦に並んだ魚のほうが左にあるけれど、地位ある鳥は歌わないものだわ」とか意味不明なことを突然言い出して、それに対して「あるいは薔薇も散る前は」とか言わなくちゃならない。外せば露骨にガッカリされる。適切な答えを出せたら彼女がどう反応するかはわからない。一回も正解したことがないからだ。ともかくこういう暗黙のやり取り?が出来ないせいで俺は生涯独身決定になった。あと性行為中に数字当てゲームをするのも人気らしいができる気がしない。ともかく異性と愛し合うこともできなくなった。

俺がこの増田を書き留めるのは、2.33だか、3.14だか知らない最新の人間自分の現状を知ってもらいたいからではない。俺のような人間がこの時代いたことを証明するために書いている。

もう一人落ちこぼれているという辛さも感じなくなった。もう前みたいに働いてないのも大きい。今は国の施設保育園児みたいな扱いを受けてるよ。3桁掛け3桁の掛け算の暗算練習をしてる。保育園児でもこれぐらい楽勝なのに、ここの施設の住人は全然出来ないんだよな。ただ毎日虚しくて虚しくてならない。

次のアプデでは有機的肉体の限界突破することがテーマになるらしいから、見た目まで変わるんだろうな。

ただでさえ言葉が通じない知的障害者扱いされているのに、身体障害者扱いまで加わるんだろうな。各地でエレベータのない高層ビルが立ってるあたり、ジャンプ力が上がるのか?それとも空でも食べるようになるのか?肉体さえ失うのか?ニュースは見てるんだが難しくてわからいか想像しかできない。

ともかく言えることはひとつちゃんアップデートしないと俺みたいになるぞ。つって、もう俺みたいな取りこぼしは技術的に出てこなくなってるらしいけどな。

2020-09-26

anond:20200926142217

実際定跡って将棋ボードゲーム一種として見た場合どうなの?

定跡通りに打たないと不利になるからみんな定跡に従うだけで、別にそれが存在することでゲームが楽しくなるわけじゃない要素なのでは?

床下収納にあこがれる

とっておきのボードゲームを保管したい

2020-09-11

「なぜ女性棋士がいないのか」で思い出した同調圧力

また皆さんの好きそうなジェンダー話題が投下された。

生理うんぬんの話はちょっと置いておくとして、「幼少期から遊びの興味の方向は男女でかなり違う」の部分について、ふと思い出したので書いてみる。

 

実際のところ、遊びの方向はかなり違うと思う。

でもそれは脳の違いではなく、8割くらい同調圧力の話ではなかったか?と思っている。

小学校女子ボードゲームカードゲームをやりたがらない。

私の観測範囲ではビデオゲーム結構忌避されていた。

 

私は小学生の頃、男子が遊んでいたカードゲームをやりたくてやりたくて仕方なかったのだけれど、女子は全く見向きもしなかった。

時々男子に混ざって遊んだけれど、男子とばかり遊んでいると女子との交流が疎遠になってしまうし、

小学生の頃ってそういう「人とは違う事をしている人」を糾弾する時代だった。

大人(主に教師)も圧力をかけたけれど、何より子自身が強い同調圧力を作り出している。

 

ある程度成長すれば他人のやりたいことを尊重する考えも出てくるけれど、小学校前半は仲間はずれは重要問題だった。

なお学校友達を作る事を要求するし、世間学校という機関協調性の場だと言う。

一人で違う事してると咎められる。学校協調性を養う場なんだとさ。

他人と合わせる必要があり、結果として「いわゆる女の子の遊び」に流れるより他無かった。

ましてやボードゲームカードゲームぼっちでは遊べない。

ビデオゲームの男女比がそこまでエグくないのは、「一人で遊べるから」というより他ないと思う。

 

嫌々女の子の遊びを…というわけでもなく、友達との遊びである以上それなりに楽しい

もものすごくカードゲームはやりたくて、当時は相手もいないのにカードを買って眺めていた。

から見たら一人でカードを眺めて孤独にほくそ笑んでいるより、友達と声を出して笑ってる時のほうが楽しんでいるし、熱中しているように見えていたと思う。

だけど私はカードゲームのほうが好きだった。

 

興味を持つ遊びは男女で違う、と言うけれど

その興味は「次点」の可能性もあると思う。

  

2020-08-30

anond:20200830195350

・完全爆弾解除マニュアル

1人がマニュアル見ながら指示しもう1人がSwitch操作して爆弾を解除する2人協力ゲーム。妻君と一緒にどうぞ。

スレザスパイア

デッキを構築しながらランダム生成されたダンジョン攻略するローグライクカードゲーム中毒性が高い。

どちらも最近ボードゲームテクノロジーを取り入れ新しいジャンルを作った名作です。

2020-08-05

マーダーミステリー

この前マーダーミステリーというのに行ってみた。自分TRPGもやったことないし、ボードゲームみたいなアナログゲームもやったことない。

ミステリー小説とかドラマ映画が好きだからってだけなんだけど。

ゲームの仕組み自体面白いと思うんだけど、参加者の中に常連ズラした仕切り屋がキャラクターのロールプレイでもなく独演会状態でなんなのお前って感じだった。

さんざん自分がしゃべりまくったあげく、自分シナリオの読みが間違っていてミスリードした感じになったのが気に入らないらしく、GMさんにいつまでもちゃごちゃと

「これじゃわからなくありません???」だのなんだの絡んでるし。

そういう読み違いとか思いこみで犯人捜しを失敗するのもゲームの内じゃないのかね?うざすぎ。

愛好者がまだそんなに多くないから、どっか行くとまた会いそうで参加するのめんどうになった。このゲームってそんなもんなの?

面子にハズレが混ざってただけなのか?

2020-07-30

anond:20200730140621

MSあたりの大手戦略性の高いボードゲーム(カタン)の強いやつを採用するとかで話題なったり

もうはるか天地開闢より前に通り過ぎた話だ

2020-07-29

anond:20200729143010

趣味ボードゲームって書けばええやないの

そっからへぇボードゲームって人生ゲームみたいな?」とかジャブくるから

「今はいろいろな種類が・・・」とか「都内だと専門店なんかも・・・」とか話が広がって、

そういう会話の流れから人となりとかコミュ能力とか見られる、逆に言えばアピールできるんじゃないのか?

履歴書趣味特技欄

って何書けばいいの?

リアル趣味ボードゲームコンシューマゲーム

特技はない。

ゲームなんて書けないし、読書はするけど年2.3冊。書けるような量じゃないし。

だいたい特技って何だよ。

2020-07-23

肉体スポーツスポーツと呼ばれていることに違和感がある

まれ持った肉体の性能によってゲームの結果が左右されるようなものスポーツを名乗るだけの競技性があるなんて俺は認めん。

スポーツを名乗ることが許されるのはボードゲームだけだ。

それ以外のものは、ゲームと名乗るのは許すが競技を名乗るんじゃねえよ。

結局の所ボクシングチェスと一緒じゃね―か。

ものすごい筋肉のあるやつがワンパンしましたハイ試合終了、じゃあポーン1マス動かしただけのチェス盤はゴミ箱行きでちゅね~~はぁあぁぁぁあああこんなもの競技性っすかwwwwwwwwwwww

ほんま、体格だの反射神経だのを重視しているだけのゲームってクソクソのウンチ(つまり👑💩👑)ですわ。

2020-07-19

初めてのボードゲームでだいたい勝てる能力を持っている

その場にいる全員が(自分を含めて)全くそゲームをやったことがなく、ルールも全員が今はじめて読んだところ、という勝負ではだいたい自分が勝つ。

実質的にはあのゲームに似てる、とかがあって誰かがそれをやったことがあると、勝てない)

逆にちゃんと解析されていて必勝法とか定跡が整備されているゲームで、かつ、全員が(自分を含めて)一生懸命何日もかけて勉強したあとにプレイする場合だと、手も足も出ずだいたいボコボコにされる。

なんかの才能だと思うんだけどあんまりボードゲーム以外で活かせたことがない。

余談だけど、嘘食いとかアクマゲームみたいな変なゲームする系の漫画とかって、だいたい主人公が俺と同じ「まだ誰も掴めてないゲーム本質をいち早く見抜いて勝つ」みたいなのが多いなと思ってる。

2020-07-16

暇だし数人でテーブルゲームとかしたい

ボードゲームとかTRPGとかやりたいな〜と思うけど友人に興味も持ってくれる人がいない。

学生時代は度胸も暇もあんまりなくて興味だけを持ったまま社会人になってしまった。初心者歓迎でテーブルトークゲームとか開催してるサークル的なやつとかないもんかな。

社会人になると交友関係もなかなか広まらないしこれを期にそういうの始めたいけどどうやって探せばいいのかわからん

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