はてなキーワード: ゼミとは
私は大学受験に失敗した。第一志望校に受からなかったとかそんなことではない。受けた大学全て、そう、全落ちしたのだ。
話は高3の4月からになる。同い年の友人が急死した。他の共通の友人は皆悲しんでいる様子だった(当然だ)が、私はその時ひどく冷静でいた。友人たちに対し適度に元気付けるように行動したり、死んだ彼女の分精一杯努力して生きようと意気込んでいた。今思い返せば自分は無意識に空元気の状態だったのかもしれない。
そんな前向きな状態は長続きしなかった。夏休み明けから登校拒否になった。原因は分からないが、自己分析すると高校受験の時からの溜まり溜まったストレスが、友人の死をきっかけに爆発したのではないかと思う。それに部活での人間関係、受験への不安etc、私の高校生活はかなりストレスフルだったと今改めて思い返す。母親に泣きつかれ父親に蹴られても学校には行けなかった。早期の時点で大学受験は諦め、とにかく卒業を目指すことになった。なんとか出席日数ギリギリで高校を卒業することができた。
卒業後、私は学習塾に通い(予備校ではない、この時点でやる気のなさが伺える)大学を目指すことになった。周りに流されるままに。そう、私は一浪の末全落ちしたのだ。理由は簡単、全く努力をしていなかったのだ。4月5月は毎日ドラクエ7をやっていた。ドラクエを全クリすると今度はひたすらネット動画を観ていた。誰も叱る者はいなかった。親も塾講師も腫れ物に触るように私を扱った。志望校はたった2校だった。どっちも私立だったのでセンター試験すら受けなかった。当時私は大学に行きたい気ではあまりなかった。どうせ行っても上手くいかず中退する未来しか見えなかったからだ。私は幼稚園の頃からずっとしくじり続けた。対人面でも勉強面でも。だからまた失敗するんだという固定観念に縛られていた。結果は一方は即不合格、もう一方は補欠候補に入った後不合格。当然の結果である。
そして今年の4月からはバイトを始めた。週4、5回4.5時間〜7時間働いている。だが仕事中色々思い詰めてしまって集中できない。何を考えているのかというと、何故頑張れなかったのか、底辺でも大学に入っていた方が良かったのではないか、もっと早くストレスへの対策を出来たのではないのか、人生この先どうなるのか、などということだ。それから10月から通信制大学をはじめたがもう溜まっている。子供の時から何も変わってない。進〇ゼミや〇会や公〇、全部溜めて辞めていった。無駄にした親の金は一体いくらなのだろうか。
世の中の悩める人たち、安心したまえ。私よりクズな人間はいない。自信を持ってくれ。それしか私に出来ることはない。今日も私は全人類の引き立て役をする。
もともと日本企業で働いていたけど、家族の関係でEUに来ました。
MScは日本で取っているけど、働いている中でもっと学びたいことができたので、冬学期からまずはnon-degree studentとして通っています。
こっちの人は大学の授業料が無料なのが羨ましいけど、EU外の人にとっても日本の大学に比べて格安の授業料なのがありがたいですね。
私はオーストリアにいるので基本ドイツ語の授業が多いけれど、ERASMUSで他の国からの学生も多いからか、英語の授業も多く、学生も先生も英語が通じるので助かっています。
私が日本で通っていた大学にはこんなにも多くの英語の講義がなかったので、日本に来る留学生はとても大変だったんだなぁと思います。
中国の自然科学系については詳しくわかりませんが、調査対象地域として中国をやられている方は、現地調査や収集データの取扱について中国政府から色々言われることが大変だと言っていました。
生物・化学の実験系の分野だけかもしれませんが、オーストリアの大学院生と日本の大学院生を比べると、日本の大学院のほうが、修論・実験に対して重きをおいたカリキュラムになっているように感じます。オーストリアの場合は、大学院に入っても研究室にいるより授業に出ている方が長いように見受けられます。前述の通り、講義といっても学生に対してプレゼンや何かプロダクトを作ったりレポーティングにより評価することが多いので、こちらの学生の方が自分の成果を表現する能力が高くなるように感じます。一方、日本の大学院ではゼミや実験が重視されているため、実験操作や実務能力に重きをおいているように感じます。
私としては、今の時点でどちらが大学院のあり方として優れているかはよくわかりません。
日本から出たことのない学生は、研究に対して保守的になりがちなので、あなたが日本で学生生活を過ごしたことがない場合、戸惑いがあるかもしれません。
私が学部生で研究室を決める際、先輩から、「いくら有名な先生や研究室でも、実態は違うかもしれないから、研究室訪問をして、本当に自分がそこで一緒に研究したい人たちがいるかを基準にしたほうがいい」と言われました。
社会学に限らず人文科学・社会科学(いわゆる「文系」)が自然科学(いわゆる「理系」)と大きく立場を異にするのが、「社会現象に絶対的真理はない」ということ。
自然科学において1+1=2というのはごく当然のことで(1+1=10という2進法を用いると法則がかわるよねとか、平行線が直交しうるという概念を新設して非ユークリッド幾何学が生まれたとか、そういう話はあるがその辺は措く)、人文科学・社会科学ではそういった明確な自然法則は存在しない。ただ、それでもやはり仰る通りの「科学」の手法をとるなら、科学的な手法で研究をしていかねば、という話は出てくる。
大学時代に受講していた政治学ゼミの教授が言った印象的な言葉がある。一字一句覚えているわけではないのであくまで要約と思ってもらいたいが、ざっとこんな感じだ。
「目の前に特定の政治現象を説明する理論があったとする。そこで重要になるのは『それが正しいかどうか』ではない。社会科学である以上、その理論に対する例外的な現象が発生するのは当然なので『例外があるから間違っている』と考えるのはそもそも誤りだ。それよりも、『その理論がどのくらい多くの現実を説明することが可能なのか』が重要な論点だ。その理論が否定されるとしたら、その理論よりも『より多くの現実』を説明できる理論が立てられたときだろう」
この辺の話はおそらく「パラダイム理論」という名前がついている。「正しいかどうか」ではなく、「どのように現実を説明できるか」というのが「文系」では論点になる、というのは覚えておいていいかもしれない。
昔、当時の大学のゼミの中で最も優秀だった女性が「女の脳の限界を感じることはある」と証言していたことがある。
彼女は本当に優秀で、そこらのバカな男には絶対敵わない知性の持ち主だったが、その当の彼女はやっぱり自分は論理を組み立てるのが男に比べて苦手だ、と思っていたようである。わたしはどのみちそういう方面で人には敵わないので、性差のせいだとか思ったことがないけれど。しかし彼女がそう言っていたことは、やっぱりそうなのかなあ、と印象に残っていた。
もちろん「論理的な男/感情的な女、という分類はウソ」という話は知っている。
しかし、筋肉は男のほうがつけやすいように「論理力がつきやすい男/論理力がつきにくい女」という現実はたぶん存在するのだろう。と思う。あの彼女が実感していたくらいだから。繰り返し念を押すがこれは私の感想であって、論理力のつきかたに性差はない、という話が証拠があるのなら是非とも教えて欲しい。わたしが間違っていたほうがいいのは確かだ。
なんでこんなことを書いているかというと、今やっているフェミニズム関連の炎上を見て、やっぱりそうなのかあ、とかまた思っているから。炎上して注目を浴びているとか、粘着している人たちがいるとか、それを差し引いても、隙の無い論理を扱っているようにはとても見えない。
大学のゼミは文系だったから、フェミニズムの授業で、昔は女性が「学者に向かない」と言われていた話が差別の実例として紹介されていた。今は数々の女性科学者の活躍でそういう風潮は減ってきたのだと思う。でももしかして、本当に女性は「学者に向かな」かったのだろうか。女性にも論理力を鍛えている人はいる。かつての彼女のように。でも女性だけで作られたフェミニズム学者のコミュニティが、平均的に論理力に欠けるのだとしたら、こんなに悲しい事は無い。
……とここまで書いて、保存しておいて、読み返してから、論理力の定義が分からないとか、論理力が学者に必須なのかが判らないとか、そういう齟齬に気付くわけである。
わたしが人に敵わないのはどうやらかわってないようだ。
なんでこんな日記を書こうとしているんだろうか、私にもわからない。
何故なら私ははてな匿名ダイアリーというものがびっくりするほど嫌いだからである。
言いたいことがあるなら名乗れ。名乗れないようなことはネットに書くべきじゃない。
そんな考えの私がこうやって筆を執ってる?のだから相当異常なのかもしれないですね。
これが真のチラ裏。
あ、文章を書くのがびっくりするほど苦手なので読みにくかったらごめんなさい。
願わくば誰の目にも触れないことを願っています。まぁネットの海に流してしまった以上無理だけど。
ここから先くっそ長いので結論だけ知りたい人はここで帰ってもらって結構です。
理解ある親の元で育ち、少ないながらも友人がいて、趣味もあって、そっちの方面の友人もいる。
どこから話そう。
まぁ箇条書きの一つ一つが長いんだけど。
・私は他人と比べると本当に脆いんです。
何でそんなことでへこむの?というところでへこむ。
みんななら耐えられるところで挫折する。
おまけに体力もないからすぐに疲れる。
・だから周囲が「つらいことあっても耐え抜いて乗り越えて今がある!」
みたいな感じなのが眩しすぎて。
「それに比べると自分は実際なにも頑張ってないからつらいなんて言えない」
これ、本当は頑張っている人が吐きがちな言葉だと思うんですけど
実際私本当に何もやってないんです。無。
もう周りが普通に生きてることが眩しくて。
いや、普通って何?ってなるけどさ、その普通すらろくにできてねーんだよこっちは。
・中学校の頃から何かが崩れ始めて、リスカもしたし、小児精神科に通った。
そのころ幸運なことに勉強だけはできたので割かし偏差値上位の高校に入った。
高校で勉強に関しては落ちぶれたものの、運よく地方国公立大学に入れた。
・大学入って自分のやりたいことが揺らぎ始めて、途中であった実習で完全に挫折。
この学問で食っていくのは無理だ、となった。
私の大学は専門性の高い大学(かなり専門学校に近い)なので、周りも真面目な人、
優等生として生きてきて挫折とかしたことない人、逆に挫折まみれで傷だらけでも
何とか今日まで生きている人、みたいな感じの人が多くて、
そんな人たちと同じ環境にいるのが耐えられない。
あと、その学問と向きあうのがしんどくなって、実習報告書が書けなくなって、
・休学といってもかなり短いもので2月に受けれるテストはすべて受け単位取得。
4月には一応復帰という体を取った。
ただ4年前期はまじでゼミと卒論しかなかったので学校に行ったのは片手で数えられる程度。
いろいろあってゼミ選びを失敗し、教授とひたすらそりが合わない。
そのため顔を合わせることもしない。
卒論で何やりたいかわからないまま今に至る。1文字も書いていない。
・10月、休学中に取りこぼした単位を取るために本当は学校に行かなくてはならない。
うちの大学で留年はかなり少なく、学年でも片手で数えられるかなレベル。
学歴高卒で働いて食べている人が世の中にいっぱいいるのは知っている。
ただ私の周りには大卒・専門卒しかいないため、高卒で働いているビジョンが、見えない。
・このような状況にもかかわらず、大学に行けない。
何でだろうね、行けばいいじゃん、卒論も書き始めればいいじゃん、って思うのにね。
思うだけでどうして行動に移せないんだろう。あーあ。
学問に向き合うことすら嫌だ。
これもう行く気なくない?笑
・この状況を親にとても言えない。
まず留年なんて、口が裂けても言えない。
理由は何て言おう。卒論が書けそうにない?そんな馬鹿なことを言えるか。
また休学なんて、申し訳なさすぎる。
また休んでも、どうせ同じことの繰り返し。
・このまま生きているのが親に申し訳ない。
お昼に起きる私にお昼ご飯を買ってきてくれる親を見ていると自分が情けなくなる。
「なんで私なんか産んじゃったんだよ」という感情がある。
こんなこと思う自分が嫌で仕方ない。
・すごくわがままなのかもしれないけれど、
今持っているものをすべて捨てたい。
でもなにかやり直せる気もしない。
・世の中の人間まじで自分人間やめた方がいいって思わないのかな?単純な疑問
・すごく病んでるように見えるし「もう病院行った方がいいのでは?」とも思うかもだけど
食欲もあるし、人と会話もできるし、好きなソシャゲもプレイしてる。なんならバイトも行ってる。
・私を見ないで。
頑張って生きている世の中の人に顔向けできない。
たぶんこれ絶対「ならさっさと死ね」とか「行動に移せ」とか言われるんだろうな~~~~~
まぁそんなもんだよね事実だし!
もっといっぱい書きたいことはあるけど頭の中がぐちゃぐちゃしてきたのと、
時間も4時になったし。朝の。
ここ数年この時間にならないと眠れないんだよ。
とりあえず気の迷いがあってもいいように国家試験の申込だけは忘れないようにしないと。
明日はお世話になってる先生と先輩と後輩(どれも大学とは関係ない)とご飯だから
こんなに見られると思ってなかった。やっぱりネットって怖いね!
かれこれ15年以上ネットの住民やって、一時期2ch(今は5chっていうのかな?)の徘徊もしてたのに!笑
私がはてな匿名ダイアリーを嫌いといったのには、私の趣味の界隈?で
愚痴があってはてな匿名ダイアリーに書く→学級会って流れがあってそれが嫌いだからです。
一度中学で知能テスト受けたけど、クラスでもっとも優秀な1名のみ名前を告げられただけ
さて、その優秀なヤツはごく普通の公立高校に進学し、そのまま就職したようだ
そんなことより、大学に入ってから優秀なヤツはとんでもなく優秀な一方
阿呆なヤツも掃いて捨てるくらいいた
そちらの方がよほどショッキングだった
「なんでこんな阿呆なヤツと一緒に勉強しなきゃいけないんだ」と思いつつ
「あいつあんな本読んでいるんだ」と驚き、早速同じ本を読んでみたりと
今から思えば下らないことで悩んでいたのだなぁと思う
要するに同じ学科でも会話が成立しそうにない状況だった
企業は採用にあたって、学問にどれほど傾注したかなど歯牙にもかけないだろう
会話が成立するか否かは、結局共有する語彙にかかっているのではないかな?
いつからか「何者かになりたい」という思いを漠然と抱いていた。もしかしたら思春期特有かもしれない。
「自分がいつか輝ける場所」を探して、あれでもないこれでもないと数々の場所を渡り歩き、拾っては捨ててを繰り返してきた
そして周りと自分を比較し、自分の才能の無さに呆れ、傷ついていた。どうせ何者にもなれなくて無駄に長生きするくらいなら、さっさと死んでしまいたいと思っていた
「何者かになりたい」という思いはいつしか強迫観念になっていた。毎晩寝る前になると様々な思いが浮かぶ
「今日一日、一体お前は何を成し遂げたんだ?」「何も成し遂げられないならさっさと死ねよ」
自分の言葉に自分で傷ついていた。まるで自傷行為。ずっとそれを繰り返していた
夏休み、ゼミの研修旅行である地方に行って、その地域特有の問題に関わっている人たちを取材して回った。研究発表のために真面目に聞いていこう。最初はそれだけだった。でも話を聞いていくとそれどころではなくなった
彼ら一人一人のかっこよさに心を打たれてしまった。真剣に考え、悩む彼らの姿を見て、「やべぇ、うわぁ、やべぇ」という思いが止まらなくなった
説明されなかったらどこにでもいる普通の人としか思えない人たちだった。彼らは「何かを成し遂げる」なんて考えてなくて、「自分にできること」を考えて、それを一つ一つこなしているだけだった
「ああ、これが正しい生き方なんだな」
深い実感が心に染み渡った
彼らは有名人じゃなかった。フォロワーが大勢いるわけでもなかった。誰もが憧れる仕事をしているわけでもなかった。存在もその人の思いも、直接会うまではハッキリ分からなかった
でも彼らは確実に「何者か」だった。キラキラしてなくても、泥臭くても、輝いていた
確かに社会で生きていくためには何かしらの能力とかスキルは必要だし、そのためには学びも止めちゃいけないんだけど、その根幹の「生きる力」は「物事に真剣に向き合うこと」、つまり「どれだけ多くのことを自分と地続きで考えられるか」なんだなって、やっと気づいた。「何者か」になるためには、才能よりも思いが大切なんだなって気づいた
私たちは当たり前のように線を引く。「男だから、女だから」「理系だから、文系だから」「ウェイだから、陰キャだから」なんて色々と。何が怖いかって、それを意識せずに、無意識にやっちゃうこと。だからどれだけ意識していても確実に何かと線を引いてしまう。人間の行うあらゆる判断は恣意的にならざるを得ない。それが人間の原罪。だからこそ「一つでも多くのことを自分と地続きで考えられるか」って重要なことなんだなって思う
だからたとえどんな仕事をしても、どんな状況になっても、「目の前のことに真剣に向き合うこと」だけは絶対に忘れないでおこう。たとえそれが社会問題みたいな大きなことじゃなくても、仕事のこととか、友達のこととか、家族のこととか、「自分には関係ないから」と思わず、一つ一つ真剣に向き合おう。そして焦らずに一個一個でいいから少しずつ学んでいこう
そうしたらいつか「何者か」になれるはずだから
今年の春、僕はM2になった。同期たちも全員、進級した。
そんな中で友人の1人が、昨年度の後期からあまり所属研究室のゼミに来ないという話を聞いた。
僕とは違う研究室なので「授業は来ていたのに?」と不思議に思った。
今年度から別の友人の希望で始めた自主ゼミにも来ていたから、さらに不思議だった。
しかしどうやらゼミの、自分の発表の順番が来る日、だけ来ないらしい。
なるほど、進捗が無いのだな。そう思った。
お互いの研究の話をしていても、うまくいっていない事しか聞いたことがなかったからだ。
友人は真面目で、成績も僕などより優秀で、性格も良い。怒らないし、愚痴も言わない。
そして行き詰まったときに誰にも頼らない。
僕はすぐに友人や先生に助けを求めてしまうので、それもあまり褒められたことではないが先生にはたまに「考えよう」と追い返される。
まるで質問しないのもよくないと思う。真面目なんだろうけれど。
「これくらい、1人でできなくてはいけない」と思っているのかもしれないし、先生が怖くて質問に行けないのかもしれない。
なんにせよ、想像に過ぎないが。
それまでに彼は自分の順番が来る日は全て休んでいるのを聞いていたので、きっと来ないだろうと思った。
案の定、来なかった。
教授陣の方でも、大学に来ないことが話題になり始めたようだった。
後期が始まったが、ゼミの初回も来なかったようだ。
それは仕方のないことなのだろうか。
懐かしい
俺ははてなによくいる子供のころは神童 はたちすぎればっていう真面目系クズなんだけど、
小中で数年間やってた
目的は月刊誌みたいに記事読むことと赤ペンだして努力シールあつめて応募することと、分数の計算ゲームだった
ゲームはほとんど買ってもらえないうちで、まして携帯ゲームなんてもってのほかだったから、堂々とできるゲームがほんとほしかったんだ
今はタブレットになってるらしいが
あと努力シールでもらえる景品も、よくよく考えれば毎月のゼミの5000円くらいのほうがよっぽど高いんだよなあ・・・
ほんとアホだった・・・
突然だが結婚ができない。
私は女である。
30歳は数年前に通りすぎた。
姉と弟には配偶者がいて、どちらも子どもをもうけている。(おめでとう)
だけど私は結婚ができない。
婚活を二回ほどやってみた。
彼氏もできなかった。
最初は自分でも「理想が高いんだろうか」「そんなつもりはないけどイケメンが良いとか思ってるんだろうか」などと考えていた。
でも違っていた。
私は、誰かに(特に恋愛的あるいは性的な意味で)「好意を寄せられること」が苦手なのである。
でも、その「格好いいなぁ」と思っている相手が、いま目の前に現れて「結婚してください!」と言いだしたらどうだろう。
無理無理無理。
ごめんなさい。
そして二度と「格好いいなぁ」などとは思わない。
「きみが夢の中にも出てきてね」
「妻とは離婚したんだ」
離婚の時期は不明なので、私と出会う前に終わっていたことを願いたい。
なんで車に乗ってたかって?
教授から「卒論のテーマにした自治体へ、お礼を持って行く必要がある。楽だから先生の車で現地へ行こう」と言われたからだ。
その自治体が田舎で電車の駅から役場まで遠かったからなんの疑問もなくついていった帰りだった。
車を停めてください!と何度も叫んで車を降りた。
気持ち悪くて吐き気がして、最寄りのショッピングセンターでタクシーを呼んでもらって泣きながら帰った。
これがトラウマなのかもしれない。
いずれにせよ、どんなに好きだと思った相手でも、相手の気持ちが自分に向くと途端にサッと熱が冷めるのである。
腕は大丈夫なのに、脛が苦手だ。
あと、妙な男臭さも苦手だ。
(既婚者の車はいつもすごく爽やかなのに、独身者の車は独特の匂いがすると思う)
いやまぁ、そんな感じで、私の性的対象は男性なのに、女性といるほうが落ち着くし、周りの女性が優しい人ばかりだから、一時は「私って女性の方が好きなのかも」と思ったこともある。
もともと私は人と同じ部屋にいるのが苦手で、実家でもなるべく家族のいない部屋で一人になっていることが多かった。
オタクは楽だぞぉ。
推しにお金をつぎ込んでも相手から認識されることはないし(二次元に限る)、三次元相手でも近づきすぎなければ向こうからこちらに向けてアンテナが向くことはないから。
そっと応援して自己満足にひたり、供給される喜びを噛み締めていればいいだけなのだ。
オタクだから結婚できないんじゃ…と思った人は全国のオタク既婚者を見てものを言ってください。
色々書いたけど、とりあえず私は結婚ができない。
最近はそのことによって家族に対する劣等感を抱くようになってきた。
「子どもができて一人前」という価値観で育ってきた私には、唯一それが達成できていない自分が一番駄目なやつだという意識がある。
生き方なんて千差万別、結婚しない人も、結婚したけど子どもがいない人も沢山いるし、他の人がどういう生き方をしていても、それを貶そうという気持ちにはならないのに、なぜか自分だけは「すごくダメだ」という考えになってしまう。
だからだろうか、実家に帰っても居心地が悪く、家族はまったく普通に接してくれているのに、私だけがギクシャクした対応を取ってしまう。
最終的には「これ以上ここにはいられない」と、逃げ出すように実家から一人暮らしの自宅へ戻ってしまうのだ。
数日間くらい我慢して一緒にいればいいのに、どうして家族と一緒にいると、モヤモヤした気持ちになるのだろう。
悪いのは私だという認識はある。だってべつに、「まだ結婚しないの?」と言われたわけでもないのだ。(最近言われなくなった)
あえて波風を立てるようなことをしなくても良かったはずなのに。
そうやって、どうしようもなく居た堪れない気持ちになることが増えてきている。
それが嫌で、親からの連絡を見るのも近頃億劫になってしまった。
家族と一緒にいたいなぁと思うのに、一緒にいるのがしんどい人、私の他にもいますかね。
もしいたら、私たち、もう少し強く優しく生きれるようになれるといいですね。
最近いじめ問題がクローズアップされてるけど、“過去のことは笑って話せるようになるよ!”なんて加害者側の都合の良い妄想だからな、はっきり言って
自分は大学でやられて“人”に対して興味が持てなくなったし、惨めさは十数年経った今でも忘れられない
リアルで2年間便所飯してたし、授業も同じ空間に奴等が居ると思うと変な汗がでてチャイムと共に行動してたし、最初の時間勉強→次の時間実習みたいな連続2コマある授業では勉強の時間だけ参加して実習の時は実習室近くのギリギリWi-Fiが届く空き教室で出席した記録だけ残して帰ってたし、ずっとビクビクしながら虚無のように過ごしてた
そんな中で留年もせず、4年生でどうしてもとゼミの教授に言われて出た学会で2位の成績を残せたのは本当に自分良くやったと思う
一度壊れたメンタルはどうあっても戻らない、壊れたままだし取り繕うことを覚えるだけだ
入社5ヶ月目。仕事は楽しいし会社の人たちも一部を除いて大体みんないい人だけどすごく辞めたい。
意味もなく涙が出る。この前は体調不良でで倒れ途中退社してしまった。
テストでは上位10%以内で、得意教科なら1位を取ることも度々あった。
ゼミも部活もバイトも頑張って、自分で言うのもなんだけど、かなり惜しまれながら去った……ように思う。
家業を継いで欲しかっただろう家族を説得してこの会社に入った。
それなのにいまはこのザマだ。
努力をしても、結果が出ないこともあるし、結果を出せなければ評価されない。
家に帰ってからは、できなかったところの復習にあてている。
例えば、私は今までエクセルを使ったことがなかった(大学生なのにエクセルも使えないの、と言われるが、統計や表を扱う学部ではなかったから一ミリも触ったことはなかった。文学部や法学部、の人たちは内定をもらったらエクセルを使う練習をした方が良い)から、苦労している。エクセルって便利だな。
自社商品や他社商品、顧客の研究は、同期や2~3年目の人たちよりもやってる……ように思う。
それでも、「そんなことも知らないの」「難しいことを言っているわけじゃない」と言われてばかりだ。
期待に応えられない自分が嫌になる。
と、同時に「これだけやってるのにどうして」「そんなの教えてくれたことなかったじゃん」「入社10年以上と比べるなよ」と思ってしまう自分も嫌だ。
家族に相談したら、きっと辞めて家業を継げと言われるだろうから相談できない。
会社の先輩方は私なんかよりもっと仕事が多いから、甘ったれたことなんて言えない。
先輩には最近呆れられているように思う。
仕事は面白い。でも辛い。悪口や皮肉しかいわない先輩も嫌になって来た。周囲に迷惑をかけてしまっている気がしてやめたい。
やめたいと思ってしまう自分も、自分は努力しているのにと思ってしまう甘ったれた自分も許せない。きっと世間知らずだったのだろう自分が恥ずかしい。
いろんなことをごちゃごちゃ考えていると、食欲も出なくなってしまった。体調もよくない。最近楽しくない。
まあ、頑張るしかないんだろうなとは思うから、とにかく頑張ろうとは思う。
今まで嫌なことやうまくいかないことがあっても忍耐を持って頑張って頑張ったらなんとかなっていたから、なんとかなるのかな。
でもどこまで耐えたらいいんだろう。
最近は頭の中がグチャグチャだ。乱文でごめんなさい。
上智大学教授・ 水島宏明氏 @hiroakimizushim ホテル予約キャンセルの不手際で相手のホテルを晒しあげる記事を書く - Togetter
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1258807
落胆するよなぁ…もうちょっとホテルの担当者への思いやりを持っていれば、
こんな騒動も起こさないでしょうに、ゼミ生への示しも付かないんじゃないかと。
日テレのドラマ「明日、ママがいない」への抗議問題。施設の子どもに対する「想像力の欠如」と「加害性」
https://news.yahoo.co.jp/byline/mizushimahiroaki/20140118-00031720/
誰ひとり傷つかずに済む放送を目指すべきだ。
テレビだけではなく、ニュース媒体でも誰ひとり傷つかない記事を目指すべきではなかったか。
真摯に対応して半額返してくれたのに、ホテルの人が傷つかないとでも思ったのでしょうか。
http://blackcorpaward.blogspot.com/
従業員に理不尽なクレームにも全部応対させるようなホテルがもし出てきたら、それはどれだけブラックな職場でしょうか。
そういう職場の存在が当たり前の社会にならないよう、有識者には知恵をしぼっていただけないのでしょうか。
「オレたち、すごくね?」キー局内定者飲み会での傲慢トークの一部始終
https://news.yahoo.co.jp/byline/mizushimahiroaki/20140612-00036301/
制作会社の「正社員」だったら上記の通りだが、実際には「契約社員」など1年ごとの不安定な非正規契約も少なくない。それがテレビ局という職場におけるピラミッド構造だ。
こうした構図がテレビから発信されるニュースの「上から目線」ぶりの背景になっている。
非正規で働く人たちがどんなに増えても、自分の回りには非正規の人たちが多いにもかかわらず、自分は「努力して勝ち組になった。高収入をもらうのは当然」という意識になってしまう。
今やメディア業界はもちろん、大学業界も私立国公立を問わず、非正規職員や非常勤講師の献身的な働き方によってどうにか現場が回っています。
水島先生も両方の現場を熟知しておられるなら、そういう上から目線の人々を反面教師としていただきたかったです。
今回の騒動は非常に残念でした。
自分の場合、休憩除いて純粋に仕事しているのって多分2,3時間くらいで、あとはたまにある会議や研修的なもので1時間くらい。
あとはぼーっとしながら、
「あの案件どう進めようかなぁ」とか、「明日にはこういうフローでこれ終わらせればいいや」とか考えて終わり。
社会人ってこんなもん?
多分vorkersとか転職サイト見る限り、ホワイト企業ランキングにランクインしそうな会社だとは思う。
仕事終わらずに死にそうとかパワポ地獄とか全くそんなことなくて拍子抜けしている。。。
むしろ大学時代のほうが通学時間に片道2時間、体育会系の部活に入って授業にゼミにバイトに・・・っていう生活だったせいもあって
こんなまったりしながら働くのが違和感だらけで逆に精神的に疲れてきた。。
恵まれている?