はてなキーワード: アスリートとは
フェミニズムとか、オタクとか、ポリコレとか、オタク差別と萌え絵とか、そういう論点だけではくくれない。
あまりにも雑すぎる。
これ、あらゆる広告を99%引っかけることが可能な激ヤバガイドラインである。
女性に限らず男性もアウトと言うかなりヤバいものである。一番近いのは中国の表現規制である。
中国の知り合いが、「とりあえず全て引っかかる網をかけて、いいものと悪いものを勝手に決める。それが規制のやり方」
と言ってたがまさにそれ。
「男性らしさ、女性らしさと呼ばれるもの」が含まれるととりあえずアウトというかなりやばめのガイドライン集である。
しかし、「男性らしい男性広告」や「女性らしい女性広告」はあってもいいのである。
男性格闘家が戦うシーンは男性らしさに抵触するから使えない、女性のアスリートの演技は女性らしさが高確率で入るが、そのシーンもアウトである。
「女性が家事をする広告だけ」になったらそりゃ問題だろうが、女性が家事をする広告がアウトになったらアホか? って思うでしょ。
女性らしい女性、男性らしい男性は使えなくなるのである。すごい困る。
女性スポーツ選手、男性スポーツ選手、男性格闘家や女性アイドルはとりあえず使えなくなる。これは困る。
どうも、多様性を叫ぶ人の中には、「女性らしい女性」「男性らしい男性」を排除するきらいがある。それも多様性の一つであるという概念が抜けている。
じゃあ、例えば、女性芸能人とかスポーツ選手を、一枚絵のポスターに使用しようとするじゃないか。
まあ、大坂なおみを例にあげよう。
「登場人物回数が男女いずれかに偏っていませんか?」→大坂なおみの他に男性も一緒に使いましょう。
「年齢や職業など多様な男女が描かれていますか?」→大坂なおみ以外の男性、それも大坂なおみは高給取りの若い女性だから、貧乏人な年寄りのホームレスを使ってバランスを取りましょう。
「服、・持ち物の色、服のデザインが性別によって固定化されていませんか?」→大坂なおみのテニスコートウェアは女性のものだからズボン姿でないとNG。
「男性、女性で役割を決めつけていませんか? 家事・育児・介護・看護をしているのは女性だけになっていませんか?」→大坂なおみを、ピンで家事育児介護看護の広告には使えないのである。男性がやる、又は男性も入れる必要があるのだ。大坂なおみと一緒に家事ができる人って誰? それぐらいの釣り合いの取れるスポーツ選手といえば、大谷翔平ぐらいしかいないわけである。そうなると、今度は、年齢と職業が多様性を失うわけである。大坂なおみと一緒に使えるのは、年老いた貧困男性しかこのガイドラインによるとダメなのだ。
「興味を引くためだけに、外見(若さや性的側面などを)強調する表現にしていませんか?」もう、大坂なおみが使えないのである。若いスポーツ選手がスポーツしている姿、全てが使えん。テニスウェアも引っかかる。男性も含まれるという時点で、どうしていいのかわからない。ボクサーや力士なんかもアウトである。
ガイドラインというのは基本的に「そこまでバカな運用をされるはずがないだろ」と言われるのだが、だいたい逆で、そこまでバカな運用をされるのである。
「興味を引くためだけに、女性を使っていませんか?」
広告のアイキャッチに選ばれるのは、当たり前だが興味を引くためだけなので、全ての広告に女性、男性、キャラクターが使えなくなる。(”男性の起用に関しても同じことが言えます”とガイドライン中に書かれており、全て引っかかってしまうのだ)
萌え絵狙い撃ちの規定もあるわけだが、あまりにも広く網をかけた結果、萌え絵だけではなくあらゆるものがだめになっている。
萌え絵だけがヤバいのかと思ったら、大体の広告が引っかかるゲキヤバガイドラインだった。
「人格を持った多様な姿を描くようにしましょう」これ。アイキャッチに使うとなると、ほぼすべての表現が死ぬ。当然、実写も含めて。
しかも、人格のないアイキャッチと言えば、思いつくのはいらすとやである。しかし、皆使っている。となるとどうなるのか?
泣いたリ叫んだり笑ったり喜んでる絵か、もしくは何かアクションをしていればいいのか? さっぱりわからない。
つまり、どうとでも捉えられる99%、あるいは100%引っかかる謎の規定である。
昔、はじめの一歩が社会を明るくする運動で「まじめの一歩」というタイトルとともに、鴨川ジム総出のアイキャッチ広告があったのだが、このガイドラインだと、厳密に適応すると、それも引っかかるのである。
もしも上司に、こんなガイドラインを作りましたと言ったら、「ファジーで広すぎるガイドラインを作るな。バカ」と突っ返されると思う。
萌え絵だけがヤバいと思われているが、規定そのものがフワフワした観念的なものになっており、あらゆる広告を引っかけようとすると引っかかる。正直これやばくね? という感じである。
すごい。アホか。
噂話が絶えない船→goship
白昼堂々ヒルクライム
千夜一夜/一粒万倍/一日千秋/一石二鳥/七転八倒/二束三文/八十八夜/三々五々/十人十色/千載一遇/一期一会/一栄一辱/一攫千金/一望千里/一喜一憂/一向一揆/一進一退/百姓一揆/百人一首/三位一体/一都六県/百発百中/一朝一夕/一言一句/一汁一菜/三寒四温/一挙一動/一国一城/万世一系/一世一代/千差万別/五代十国
一都六県に含まれるtrocken
美容師が住んでる岬→襟足岬
ありがたい寺→御の寺
疑似餌のジビエ
舌鋒鋭い蜂
すかしっぺ/スカラシップ
煙に巻かれたフィリップモリス
ロキソ人(ろきそんちゅ)
ビザン人(びざんちゅ)
啼き声がGAFAの烏
UMAの馬
ジュラ紀/受話器
ビビッとくる鮮やかさ
wisdom teeth/親知らず
ボー君/暴君
コニャック/こんにゃく
試してgoddamn
コックの訛り→コックニー
名前がローチのコック
酒「人を飲んでも飲まれるな」
(3) 要約
むざむざに含まれるザムザ
うーんガンダム
仁和寺の法師→ドツボにハマる
ヴォルリモート
山→n字谷
全然やりたくない人→やりたいのは川川ですが..
ひらくごま
水質オタク
絵売りピデス
さすが官房長官
カルツォーネは重い
明るい寺→カン寺
猪突猛進する豚
ラクダに乗った人「楽だな」
掛け値なし(税込)
ベルリン昼ハーモーニー
うるさい猫じゃらし→猫じゃかし
苔のムース
予告された殺人の記録↔︎受胎告知
物憂い株主
春眠打破
ハーシム家/拍子抜け
有無を言わせるな「うむ、分かった」
哲学書→形而モノ
聖書→啓示モノ
メメント森
地上のもつれ
この誰何(Suica)だれの?
予備のスペアリブ
お好み焼きが嫌いな人
焦点をshorten
掛け算で答えを割り出す
あるざますロレーヌ
夫妻肺片↔︎親子丼
心行くままに書く→まにmanuscript
頭抜けた手腕
東大前頭葉
親のコシヒカリ
噂話が絶えない船→goship
白昼堂々ヒルクライム
千夜一夜/一粒万倍/一日千秋/一石二鳥/七転八倒/二束三文/八十八夜/三々五々/十人十色/千載一遇/一期一会/一栄一辱/一攫千金/一望千里/一喜一憂/一向一揆/一進一退/百姓一揆/百人一首/三位一体/一都六県/百発百中/一朝一夕/一言一句/一汁一菜/三寒四温/一挙一動/一国一城/万世一系/一世一代/千差万別/五代十国
一都六県に含まれるtrocken
美容師が住んでる岬→襟足岬
ありがたい寺→御の寺
疑似餌のジビエ
舌鋒鋭い蜂
すかしっぺ/スカラシップ
煙に巻かれたフィリップモリス
ロキソ人(ろきそんちゅ)
ビザン人(びざんちゅ)
啼き声がGAFAの烏
UMAの馬
ジュラ紀/受話器
ビビッとくる鮮やかさ
wisdom teeth/親知らず
ボー君/暴君
コニャック/こんにゃく
試してgoddamn
コックの訛り→コックニー
名前がローチのコック
酒「人を飲んでも飲まれるな」
(3) 要約
むざむざに含まれるザムザ
うーんガンダム
仁和寺の法師→ドツボにハマる
ヴォルリモート
山→n字谷
全然やりたくない人→やりたいのは川川ですが..
ひらくごま
水質オタク
絵売りピデス
さすが官房長官
カルツォーネは重い
明るい寺→カン寺
猪突猛進する豚
ラクダに乗った人「楽だな」
掛け値なし(税込)
ベルリン昼ハーモーニー
うるさい猫じゃらし→猫じゃかし
苔のムース
予告された殺人の記録↔︎受胎告知
物憂い株主
春眠打破
ハーシム家/拍子抜け
有無を言わせるな「うむ、分かった」
哲学書→形而モノ
聖書→啓示モノ
メメント森
地上のもつれ
この誰何(Suica)だれの?
予備のスペアリブ
お好み焼きが嫌いな人
焦点をshorten
掛け算で答えを割り出す
あるざますロレーヌ
夫妻肺片↔︎親子丼
心行くままに書く→まにmanuscript
頭抜けた手腕
東大前頭葉
親のコシヒカリ
胸が揺れてたらそりゃ原則的に嬉しいし、なんで嬉しいかっつったらそれが美しく可愛くエロく魅力的な姿だから。
スポーツ選手がいじめ防止とかよ広告に起用されたときに、焼けた肌が日を浴びて光ってたり、汗が弾けたり筋肉が隆起してるシーンが使われるのは、その姿が魅力的だからだ。
マッチョが汗流してようといじめ防止に直接的な関係はないけど、魅力的な描写なら目を引く機能を果たすわけで、広告として正解だ。
シズル感と近似でもあるな。
アスリートの筋肉と汗、ペットボトルの水滴、アイドルの笑顔やひらひら服やおっぱい、これらは同じようなものだ。
「私たちの日常では日焼けを避けてるし、汗を飛ばすのもマナー違反。広告の内容と関連も薄い。日常目にする広告でスポーツ選手の日焼けや汗の表現は苦手です」なんてことは言われないよな。
でも胸揺れなどに噛みつく奴が目立つのは、女の魅力描写に過敏な人間が一部にいて、その声がやたらでかいからだ。
結局、「女は、男に魅力を見せるとすぐに性的に食い物にされて被害を受けるから、団結して防御体制を取っていなければならない。ごく限られた安全地帯でしかやるべきでない」という感覚がとても強い人たちがいるわけだ。
そういう人たちが女性の魅力描写についてばかり危機意識を働かせすぎる。
男性スポーツマンの引き絞った腕や、トマトやお茶を井戸水で冷やす様子は楽しめてるのに、女性の魅力が出てる広告(胸に限らない)にばかりピリピリするのは一般的感覚ではないぞ。
一般的感覚ではないのだが、そういう主張をされると「うーん、その危機意識はそこまでピンとこないけど、困ってるんなら言うことを聞いてあげればいいかな」と譲ってしまう、善良だか弱腰すぎる人たちが世間には多かったので、抗議を通せることもそこそこあったのだろう。
確かに現代においても女性は性的被害に合いやすいからある程度の危機意識を持つのは妥当だけど、やりすぎ。
そしてこういうことを言われても、「女性の被害を矮小化していて聞くに値しない」とかで容易にシャットアウトできてしまうので、自省に繋がらないんだわ。
問題を不正に矮小化しようとしてるって考え方が大事な場面は多いけど、議論相手への拒絶として強力かつ便利すぎるので慎重に使った方がいいんだよなあ。
ともあれ、プライベートではエロを個人的に楽しんでるとしても、ちょっと人目がある場所ではピリピリしちゃうってのは、それもそこそこ性嫌悪が入ってるんじゃないか。
なにか嫌な経験があったのかもしれんけどさ。
個人的な経験からくる個人的な恐怖を、政治的社会的な議論に繋げる時は、恐怖と復讐に駆られて妥当な話をこえがちなのでよくよく我が身を振り返りつつやった方がいい。
元パチ屋店員で自分自身も10年間くらいスロットにドハマリしてたことがある。
店員というか社員で、スロットの設定もやったことがあるので、当たり前に利益とか設定の内容とかも知ってる。
勝てないことなんて頭からわかってて、それでも娯楽だと割り切って遊んでた。
まぁ多分10年で数百万負けたと思うよ。
1年数十万、一ヶ月数万円なら、独身の趣味としては普通だと思うけど。
周りの社員もだいたいそんな感じ。
で、本題。
ゾーンに入るって話をしている人がいたので、その補足みたいな内容です。
パチンコもスロットも、いつもはとんとんだったり数万円の勝ち負けみたいなのを繰り返してるんですけど、突然10万とか勝ったりするんですよ。
やったことない人は、それだけお金儲かってよかったね(トータルでは負けてるだろうけど)。って思うと思うんですけど、違うんですよね。
自分は数時間でこれだけの大金を生み出せるんだっていう謎の万能感が沸き起こってくるんですよ。
人生で普通に働いていて、数時間で10万円を超える大金を手にする機会ってあります?
あったとしてもほんの一握りの人か、普通の人なら数えるほどだと思うんですよね。
ガチャに例えれば、10連ガチャ引くたびに最高レアをぽんぽん引けちゃうような状態って言えばなんとなくわかってもらえるんじゃないかな。俺、今神です。みたいな感覚。
しかも運というものは面白いもので、それが一週間に何回か起こったり、何日も続いたりすることもある。
そうするともう万能感がやばい。
道路の真ん中でなんか自分だけ光っちゃってるような気分になるわけですよ。
10年間で人生最大の勝ちは1日で20万円だったんだけど、その時ですら凄まじい万能感だったのに、以前お笑い芸人が競馬で100万円当てた話をしてたときに、自分が神になった気分で周りの人間が全員ゴミに見えるって言ってたの見て、20万でこれなら100万も勝ったらどんだけだよって金額以上に羨ましく思ったことがある。
それと、パチンコ・スロットも勝ち負けって言い方をするんだけど、要するに目の前の台とその向こうにいるパチンコ店と戦ってるわけですよ。
で、10万とか勝つと、相手から勝ち取ったっていう気持ちがまた万能感を刺激するわけです。
ましてや負けが込んでるときなんて、奪い返した感がやばいわけですよ。
どうせ負けるなら定期で貯金して溜まってから一気に使えばいいのにってよく言われるんですけど、やっぱりこの勝ち負けの部分が全然違うんですよね。
よく言われるパチンコ・パチスロの演出による射幸性が問題って話があるんですけど、自分にしてみればあの演出は勝ち負けの演出というより自分が神になるための演出なわけですよ。
ビカビカ!って光って、激しい音がなって、画面が暗くなってからの、、、、当たり!(ドカーン!)みたいなやつ。はい!今この瞬間、私神になりました!っていう降霊の儀式みたいなものなわけですよね。
そう考えると派手な方が派手な神様になれたような気がするからやっぱり規制が必要なのかな?
それはおいておいて。
そういう万能感に満たされることをゾーンに入ったというならたしかにそうで、自分はアスリートじゃないのでそっちのほうでゾーンに入ったことはないんですけど、格闘技の選手とかが闘志に満たされて負けることなんて一切イメージできないみたいになってるところを見ると、似てるのかなって思いました。(元記事ちゃんと読んでませんでした。あっちはトランス状態のことを中心に書いていたのね。すんません。)
ここから先は個人的な見解でしかないんですけど、ここまで読んでもらうとお分かりの通り、パチンコ・パチスロにハマる人って、普段の生活であんまり輝けない人なんですよね。
夫に虐げられた主婦、うだつの上がらないサラリーマン、ろくに努力もせずちょっとの才能だけで夢を追う若者、、、。
そういう自分には何もないのにこんなはずじゃないみたいな人が、数万円を稼ぎ出してしまったときに、それが本来の自分だって思ってしまう。
まぁそうなると、負けるのが当たり前な世界において、本来の自分(と思い込んでるもの)になれないことのほうが当然多くて、借金こさえてまで本来の自分(と思い込んでるもの)になりたがってしまうのも無理はないなって思います。
ホストから抜け出せない女性とかもそうなんでしょ?知らないけど。
ここからはポジショントークと思われても仕方ないんですけど、パチンコ屋としてはそういうお客さんには本当は来てほしくないんですよ。
借金までしちゃったらこっちがさせちゃったみたいで悪者になってしまうじゃないですか。
本来人生の輝ける瞬間なんて感じることのないようなどんな人でも、運が味方すれば人生の輝ける瞬間を体感できるものって考えたら、それ自体は悪いものではないと思うんですよ。
問題は、それがあなたの本当の姿ですって騙してしまうことでそれってどの業態でも起こりうる危険性であって、全てのパチ屋がそんなことまで望んでいるわけではないです。
そういう依存状態になりやすい人って、アルコールとか別のものにも依存してる場合が多くて、そうなるともうパチンコが悪いとかって話ではなくなってくるんですよね。
家庭環境だったり、先天的な問題だったりってなったら、解決するのは福祉の仕事でパチ屋の責任じゃないだろうって。
そういう人から搾り取らないでも十分に営業はやっていけるので、程よく距離をおいて、娯楽として楽しんでください。
こういう話をすると駅前ギャンブルガーがでてきて面倒くさいのでこれくらいにしておきます。
パチンコスロットは、目の前のビカビカ光る演出に騙されて猿のように金を突っ込んでるんではなくて、短時間で大金を手にしてしまったときの運を自らの実力と勘違いしてしまうことによって得られる万能感が気持ちよくてやめられないものですよ。(※個人的な見解です。)というお話でした。
日向勃興
サラリーマン予想
急ごしらえのハイサーグラフ
前途洋々前頭葉
買ってよかったものという表現は、どうでもいいものをたくさん買っていることを示唆している
アッサムに着いた人「あっ寒」
大笑いしてごまかす→へそで沸かした茶を濁す
舌打ちするゲバラ
いざこざ/イコイライザ
矢を売ってる店→矢屋
大童↔︎ちっちゃいおっさん
ペン付きの剣
血で血を洗う共洗い
海をデカい水と言う人
偽物のバッタ
いずくにか/ゆめぴりか
棚を見た人「棚だなあ」
自腹↔︎他背
狭い城→2畳城
一晩置くという指示は、昼間に起きていることを想定している
犯罪者だらけの町→犯し町
群馬↔︎県牛
海開き↔︎山閉じ
ガンジー→塩ニズム
餅の写真
石の上にも桃栗三年柿八年
2度あることは3度目の正直
泣きっ面に蜂の巣をつついたような
犬も歩けば棒になった足にあたる
雀、三子の魂百まで踊り忘れず
掃き溜めに鶴の一声
上にたんこぶがある目から鼻に抜ける
怖い仕返し→疾病がえし
猫ひろし↔︎猫の額
月に雁の贋作
若きウェルテルの悩み/若くて売れてる人の悩み
嘘をつく麦→lie麦
ファンであることを言おうとしてモンゴルの君主になってしまった人→「大ハーンなんです!」
ラッパーが好きな飲み物は何かな?→ジントニック(ライムが入っているから)
ポルター概すと
誰かの前をずっと歩き続ける逆ストーカー
ワンダー惚ける
内科医/神内豊
自衛官/大伴真純
噂話が絶えない船→goship
白昼堂々ヒルクライム
千夜一夜/一粒万倍/一日千秋/一石二鳥/七転八倒/二束三文/八十八夜/三々五々/十人十色/千載一遇/一期一会/一栄一辱/一攫千金/一望千里/一喜一憂/一向一揆/一進一退/百姓一揆/百人一首/三位一体/一都六県/百発百中/一朝一夕/一言一句/一汁一菜/三寒四温/一挙一動/一国一城/万世一系/一世一代/千差万別/五代十国
一都六県に含まれるtrocken
美容師が住んでる岬→襟足岬
ありがたい寺→御の寺
疑似餌のジビエ
舌鋒鋭い蜂
すかしっぺ/スカラシップ
煙に巻かれたフィリップモリス
ロキソ人(ろきそんちゅ)
ビザン人(びざんちゅ)
啼き声がGAFAの烏
UMAの馬
ジュラ紀/受話器
ビビッとくる鮮やかさ
wisdom teeth/親知らず
ボー君/暴君
コニャック/こんにゃく
試してgoddamn
コックの訛り→コックニー
名前がローチのコック
酒「人を飲んでも飲まれるな」
むざむざに含まれるザムザ
うーんガンダム
仁和寺の法師→ドツボにハマる
ヴォルリモート
山→n字谷
全然やりたくない人→やりたいのは川川ですが..
ひらくごま
水質オタク
絵売りピデス
さすが官房長官
カルツォーネは重い
明るい寺→カン寺
猪突猛進する豚
ラクダに乗った人「楽だな」
掛け値なし(税込)
ベルリン昼ハーモーニー
バリアフリーが叫ばれる様になって久しいとはいえ、健常者のアスリートと障害者のアスリートをごちゃまぜにして問題ないとはまだまだ言えない
だからこそオリンピック閉幕からパラリンピック開幕までに一週間くらいの準備期間が設けられてる訳だし
一緒にするなら選手村のキャパシティを倍にしてもおっつかんだろうし、事前合宿や大会中の練習場所の確保もかなり難しくなる
土地が余りまくってる国や中国みたいに強権的な国が住民追い出して開催するならともかく、先進国での開催はほぼ不可能になるんじゃね
無論、最終的には健常者と障害者の垣根が無視できる程度に低くなって、オリンピックとパラリンピックを統合しても問題なくなるのが理想だろう
でも今はまだそうじゃないし、これから100年かけても達成できるか怪しいくらい難しい課題だよ
今の段階ではパラリンピックの価値を高めていってオリンピックと同等の価値を持った大会にするのが目標で、それはまだ道半ばというところでしょ
パラリンピックを見ていると、自分の中にとても複雑な気持ちが生じてくる。
体の一部を失ったアスリートたちを見て、素直に美しいと思ってしまった。
同時に、過去に障害者を扱ったポルノを見て強い嫌悪感を抱いたことを思い出した。
その時の心情に立ち返って、その嫌悪感は本当に正義と言えるのだろうかとふと疑問に感じた。
パラアスリートは美しかった。その瞬間、わたしにとって健常者よりも美しいと思えた。
素直に気持ちを表現するなら、その美しいと感じた感情に性欲が含まれていたことも否定はできなかった。
その時の自分は、素直に美しいものに対し美しいと感じ、そして少しの欲情をもよおしたのだ。
果たして、パラアスリートたちを美しいと思う気持ちは許されないのだろうか。
そこに少しでも性欲が介在した瞬間に、その美しいと思う気持ちは不謹慎なものとされてしまうのだろうか。
恋愛から性欲だけを切り離すことは絶対にできないし、それがあるからこそ子孫は反映してきた。
健常者に性欲を抱くことは許されて、障害者であることを理由に性欲を抱くことは不謹慎なことなのだろうか。
そう考えれば、そもそも障害者を扱ったポルノを不謹慎なものとすることさえ、差別的ではないかと思うようになってしまった。
ミゼットプロレスが不謹慎という理由で中止に追いやられた結果、障害者たちがレスラーという数少ない働き口の一つを失ってしまったという話を見たことがある。
もしポルノ業界に障害者が働く余地がないとしたら、それは逆を返せば健常者だけが働くことを許されているという職業差別と言えなくもない。
当然十分に職業選択の自由があり、消去法的ではなくても選択できる一つの職業であると認められることが必要だとした上での話だ。
しかし、ある側面では、そこにもしニーズがあり、お金を稼ぐ手段として確立されているにも関わらず、福祉や道徳という規制で制限されてしまうとしたら、それはまたやはり差別的ではないかと考えてしまう。
そこに想像の余地があるからこそ、誰もが自分にとって最も美しい姿を空想できることが傑作である理由とされている。
わたしはパラアスリートたちにそれと同じ美しさを見た。(四肢の一部がないのだから本当は見えていない。)
その姿を美しいと思ってしまった自分を偽ることはできないし、障害を理由に美しいと感じたのであれば、それが差別的であると言われても否定できない自分がいた。
そこまで考えても、はやりパラアスリートたちが美しいという気持ちを止めることはできなかった。
彼ら彼女らの美しさは、もっと広告としての価値があってよいと思った。(いわゆる芸能人たちがルッキズムをもとに広告的価値が高いとするのと同じ意味で。)
障害を理由に、それの美的価値を不謹慎と言う言葉で押さえつけることのほうがよほど差別的ではないかと思うからだ。
パラアスリートたちは美しい。
良くないんだろうとは思いつつ、猛暑だし、コロナが怖くてどこにも行けないし、親はラクだしで、寝る時間だけは守らせてあとは放置している。
子供の集中力とのめり込み方はすごい。傍で見ていて怖くなる。依存症か? とも思うが、生活リズムは乱れていないのでコントロールできているのかと思ったり。
ただ、藤井聡太さんも子供の頃からずっと将棋をやっていただろう。五輪アスリートも朝から晩までずっと練習してただろう。なぜゲームだけダメなのだろうか。
ゲームは将来の職業に繋がらないから、引きこもりになりそうだから、目が悪くなるから…だろうか。
チャットを楽しむわけでもなく、ひたすら技術向上とレベル上げに勤しむ子供の姿を見ると、つい応援したくなる。
こんなに一生懸命やっていることが、将来に繋がらないと言えるだろうか。ユーチューブ大好きっ子でもあるので、今後ゲーム実況者になるつもりなのかもしれない。それも良いと思っている。もう、この先どうなるかわからない。親である自分の感覚は全て旧いのだろうと思う。