はてなキーワード: アスリートとは
帰宅してテレビに目をやると、NHKはパラリンピックを放映していた。そういやオリンピックの頃は民放も同じ時間帯にオリの放映してたよなと思いチャンネルをかえると、フツーにバラエティとかドラマとかやっていた。
オリンピックに出る選手はオリの時期じゃなくてもテレビで人々の目に留まり知名度があるので、そういうのを映せばテレビ局は数字を稼げる。
一方で障害者スポーツを普段から流していないからなのか、民放は本当にガン無視状態。
助け合い とか 支え合い とかなんとかってヒューマニティー溢れる偽善ワードを、タレントを使って吐く民放。
結局のところ、見栄えが良い知名度があるアスリートや、タレントにしか興味が無くて、本当は障害者スポーツにも障害者支援にも関心が無い連中なんだろうなと思った。
存分に栄誉を味わって下さい。
東京ではコロナ蔓延で4万人の感染者が入院できずに自宅で不安な療養生活を送っていますがそれはあなた方パラリンピアンとはなんの関係もありません。メダルおめでとうございます。
東京ではパラリンピックに医療従事者を取られて普段なら生きられた病人が死んだりしていますが、それもあなた方アスリートの責任ではありません。大会を楽しんでくださいね。
東京都の人的リソースがパラリンピックに吸い取られてPCR検査が足りずコロナ感染拡大は止まりませんが、それもあなた方スポーツ選手にはどうしようもない事柄です。競技で日々の鍛錬の結果が出るといいですね。
どっちの主張も、要は「コロナで社会が大変な状況なのは分かってるけど、僕らが食っていくために、自己実現するために……いま仕事を、パフォーマンスをさせてください!」ってのが言いたいことだよね?
[B! COVID-19] FUJI ROCK FESTIVAL ’21 ご来場予定の皆さんへ|MONO NO AWARE OFFICIAL SITE
このアーティストのお気持ち表明を評して「自分の言葉で立派に語れてえらい! それに比べてオリパラの選手どもは……」とアーティストage、アスリートsageしてる意見を見かけるけど……
両者で違いがあるとすれば、アーティストは作詞とかしてて言葉を並べる作業に慣れてるから(一部の人の)心を打つ美文が書けるのに対して、
アスリートは幼少期からスポーツ漬けで義務教育レベルの語彙すら怪しい脳筋だから素朴でありきたりな言葉でしかお気持ちを表現できない、
ってだけの差じゃないのかなあ?
クオモは老人をコロナで大量死させた上に隠蔽してたセクハラ魔だけど演説が立派だったので偉大なリーダー! みたいな価値判断をする人なのだろうか……
あっ、自分はこのお気持ち表明を書いた人のこと全然知らないので、「いや、この人は作詞とかしたことないよ。ギター弾いたり歌うだけの人」というツッコミが入ったら謝るよ。
第5波の感染爆発がオリンピックと無関係とする説は、デルタ株の感染力の強さが原因と考えるのが主流のようだ[1]。
デルタ株の感染拡大がたまたまオリンピックと重なっただけなのだ、と。
現在、全国各地に広がっているデルタ株の系統で最も初期のものは、ことし5月18日に首都圏で海外渡航歴がない人から検出されたウイルスだったと分かり、さらに調べると、これとよく似たウイルスが4月16日に空港の検疫で見つかっていた[2]。
一方で、ことし5月ごろ関東や関西、中部、九州などで確認されていた、海外から流入したとみられるデルタ株のクラスターの多くは大きな感染拡大につながらず、7月初旬ごろまでにはほぼ収まったとみられる[2]。
もしデルタ株の感染力の強さだけが感染爆発の原因ならば、オリンピック期間中より人流が多かった5月、6月に感染爆発が起こっていたはずだ。
現実には感染爆発につながった遺伝系統以外のデルタ株は7月初旬で収束していた。
そして感染爆発した系統もオリンピックの開始を待つように急速に感染拡大した。
オリンピック開催によって、感染拡大防止のための堤防のどこかが決壊したと考えるしかない。
国立国際医療研究センターの大曲貴夫氏の指摘どおり、オリンピック開催に伴い局地的・一時的に密な状態が生まれた事実は否定できない。
ここではもうひとつ、国民の側の感染防止策に対する意識がおろそかになった可能性を指摘しておく。
5月から6月にかけて、オリンピック開催、さらに有観客開催を主張する中で、感染拡大防止策を軽視するかのような無責任な言説がまき散らされた[3][4]。
「国民にあれするなこれするなと要求しておきながら、自分たちはやりたい放題か。付き合ってられねえ。」
このように考えた人を責められるだろうか。
個々の国民にとっての帰省は、アスリートにとってのオリンピックと同等以上の価値があるかもしれない。
あるいは1年半近く慣れないライフスタイルを強要されてきた国民の中に、
「なんだ、これまで活動自粛だの、会食回避だのしてきたけど、感染防止策とか関係なかったのか。」
と受けとめる人が現れても不思議ではない。
不慣れな行動を意味も十分に理解できないまま強要されていること自体がストレスなのだ。
人は基本的に見たいもの、耳当たりのいい情報に流される(何より、政治家とその取り巻きはその権化ではないか)。
当局が矛盾したメッセージを国民に発信すれば、国民の感染拡大防止策に対する意識が弛緩するのは当然だ[5]。
とはいえ、新型コロナに感染して損をするのは間違いなく私たち自身である。
無責任な当局関係者や御用言論に惑わされることなく、感染防止策の基本をもう一度肝に銘じたい。
新型コロナウイルス感染症に関する菅内閣総理大臣記者会見(令和3年7月30日)
https://www.kantei.go.jp/jp/99_suga/statement/2021/0730kaiken.html
[2]デルタ株“1つの起点から全国拡大か” 国立感染症研究所が分析
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210806/k10013183971000.html
[3]観客上限1万人 規模縮小でも有観客に踏み切った首相
2021/6/21 21:07
https://www.sankei.com/article/20210621-23SHMAUX2RIENACWHNH4UWVCIA/?outputType=theme_tokyo2020
[4]緊急事態宣言は「屁みたいなもの」 「さざ波」発言の高橋洋一内閣官房参与がTwitterに
そっかぁ・・・
マスコミや野党の一部は「外国からコロナウイルスが持ち込まれる!!!!!!」って煽りまくってたけど、
実際はワクチンが潤沢な国はもちろん、そうじゃない国でも、国を代表して戦うアスリートたちにワクチンを優先的にうっていた。
甲子園やフジロックの時に批判をせずに意見を述べる根拠の間に二重の基準がある人が見られて微妙に思ってしまう。
変わった事を認めた上でこれからはダブスタにならないよう気をつけようと思えば人は成長していくよね。素晴らしい事だよね。
しかし自分の意見にダブスタがある事も認めない上で五輪の時には持ち出さなかった新しい基準を持ち出して
甲子園やフジロックの運営は五輪の時とは違うって態度の人はどうなんだろう。
特に政府や運営どころでなくアスリートの発言を日々脊髄反射的にはてブで叩いてた人達がフジロックに関わる人達のやらかしを見過ごすという…
そうやって基準をコロコロ変えてばかりいくと場当たり的な意見でヨシとされる風潮が益々広がっていくと思うし
多数派や力のある人達が場当たり的な意見を表明する事自体を咎めても
世間的には同じ穴の狢が騒いでるだけで済まされるようになっていくのでは…ネットの片隅で騒ぎたいだけならそれでいいだろうけど…
男女は同権だが学校やビジスの場面で平等だとやり難い、女の体力を忖度して欲しい。忖度された女はその分給料が低かったり管理職に成れなかったりする場面もあろうけど機会さえ均等であれば、あとは個人の判断だと思う。最低限、文化的な生活をおくれる給与水準であれば。
貯金は勿論たくさんしたいのが誰しも本音だろうけど、ソノために体壊して医療費に消えるなら総合的にトントンじゃない?稼ぐだけ稼いで若いウチに楽な仕事に転職するとか、それも個人の判断じゃないかなって。そもそもガンガン働けない女もいるので。
一月のうち健康なのが一週間しか無いとか、どこかで読んだけど正しくソレ。月経の話な。月経前と月経後含んで。
生理中に管理職なんて数字と人間関係に気を使う仕事したくない女も居るので、女の敵は女なんだ。マックジョブの何が悪い、世の中の大半は代わりが聞く仕事じゃんってドッカで聞いた。完全に同意。それで生活していける社会なのであればマックジョブがいい。価値観は人それぞれなので。
生理はプールに入れないだけじゃないんですよ。同じ女でも軽いのから重いのまで居るんですよ。そんで実際にホルモンバランスは崩れているので生理の前後はテンションが可笑しい女も居るんです、生理前は自分で分かったりするのもソレなんでしょうよ、でも病気って診断して貰えない。いっそ病気にしてほしいとガチに婦人病の女にブッ叩かれそうな事まで思う程度に重い女も居るんです。
クソがとかシネとか常時呟き続けたいような精神状態になる女だって居るんです、この期間に生理の軽い女と生理の無い男に心無い事言われると殴りたくなる衝動に襲われて悪化するので、ぜひ忖度して欲しい。同僚や同級生がそんな女かもしれない、軽率に刺される前に口を閉じろ。何も言うな、労るな、放置してください。忖度だいじ。
体育教師になる女は絶対に生理軽い偏見がある。だから平気で生理中の生徒や胸のデカイ女を走らせようとするんだ。今はどうか知らない昔の話ですけど。
頑張ってないんじゃないんですよ、生理が重いと動けないか芋虫のように転がるしか無いだけなんです。学校だって休みたいけど母親が生理軽いと地獄。自分は学校通えてたもんだから仮病と思われる。ちげーんだよ。生理休暇とか労働基準法にあるでしょ、欠勤になって給料出ないのはともかく有給貰えなくなるかもという手落ち感満載でつかえねー制度だけど概念だけは有るでしょ。仮病じゃないんだよ。
あと乳はデカイとブラしてても揺れるし何なら紐が肩に食い込んで痛い。というか乳は揺れると付け根が痛いのでデカ乳女は極力走りたくないのが一定数居るような気がする。別に運動は嫌いじゃないけど乳が揺れる運動はしたくない、痛いから。体育教師の女の乳は筋肉が支えている偏見がある。あと痛くなるまでデカくないような偏見がある。はっきり言って貧乳だろうという偏見がある。デカ乳は授業でもゆっくり走りたいしウォーキングで誤魔化したい、サボってるんじゃない、乳が痛いんだ。体育なんて個人差あるので個人の状態に合わせて欲しいし申告したなら受け入れて欲しい。アスリートじゃないんだ目指してもないんだ。じゃあオメー人より多く勉強したら数学ひゃくてん取れるんですか?何年ほど多く勉強するんですか?同じことだよ。体育なんか健康であることを確認できて表面上、集団行動できればそれで良いだろうが。女の敵は女、お互いに。
普通に活動するために毎月鎮痛薬買ったり通院したりして金も時間もかかるんだよ、別に病気の範囲に入ってなくても。何だってグレーゾーンはある。
どんだけ重くても病気って言ってもらえないし実際に病気じゃないんだよ重いだけで。ピルでの管理についてはデメリットも体質もあるので、体質にあった女や知識のない男女がとやかく言うのは論外。医者なら言ってもいいけどケースバイケースな事を医者らしく説明した上で言って欲しい。
というか、微妙に数値がアレなんで今一歩病気じゃねーですとか診断するくらいなら思い切って私を病気と診断して欲しい。グレーゾーンで重くてしんどい人は他にも居ますからとか言われても救われない。医者になれる女は絶対に生理軽いだろう偏見がある。月の一週間しかマトモに頭動かない女が医大出てたら叫び声上げて称賛する。女の敵は女だと何度でも言いたい。
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俺はずっとアジカンが嫌いだった。
きっかけはリライトがヒットしたあたりからソルファ借りて一通り聞いたけど、「ナンバガイースタンを大衆向けに書き換えただけじゃねーか」という感想以上のものを持てなかった。
ナヨナヨしたメガネの変人がフロントマンやってるのも先人のバンドをなぞっただけのような感じがして嫌いだった。似たようなバンド、00年代ごろは鬼のように流行った気がするんだけども。
というか、アジカンが流行り出した頃はキューンレコード自体が丸ごと嫌いだった。キューンのバンドのやつら、どいつもこいつもアニメのタイアップばっかりやってヒット目指そうとしてるのが気に食わなかった。もっと曲で勝負しろや!タイアップなんかやるんじゃねえよ!って思ってた。
でも上記の感情、全部若気の至りだったよ。学生の身分で流行り物が全部嫌で、流行っているものに群がっている人間を見るのも嫌で、流行っているものに影響を与えているバンドだったりミュージシャンみたいなものを「今流行っているものはこいつらが先祖なんだぜ」って気持ちを雑にmixiに書き散らかして優越感に浸りたいだけの学生だった。
別に積極的な理由で流行り物に対して嫌っているわけじゃなかったけど、なんとなく右へならえでみんなが好きなものをみんなと一緒に好きになるのが嫌だっただけなのかもしれない。
でも自分でなんか曲作ろうとかバンド組もうとかなんかしようとかそういう感情も一切なく、ただ流行り物をdisるだけの腐った学生生活を過ごしていた。
その後就職して仕事をしていると大人になったからなのか暇がなくなってしまったからなのか、おおよそロキノン系ロックの細々したヒットチャートに一喜一憂することもなくなった。流行り物の曲も「こういうのが売れてる曲なんだ」っていうのを学習する機会として割り切るようになった。キューンが散々アニメタイアップでバンドをヒットさせようとしてたのも「生きるためにはまあしょうがないよね」ってなんとなく納得するようになった。後藤が原発関係でなんか言ってた時も「政治に口出せるほど偉くなったもんだねえ」「エレキでジャカジャカ電気使って音楽やってんのに脱原発エコロジー標榜してんのか」と内心冷めた目で、でもそういうことをTwitterとかはてブとかに書くこともなく淡々と生きていた。
https://note.com/gotch_akg/n/n6352512c4041
現場に積み上げられてきた熱意。そして、そこにある人生。一方で、自分がよく知る切実な思いとその活動が乱すかもしれない公共衛生。飛び交ういろいろな言葉を前にして、グワグワになっている。
だが、久しぶりのリハーサルのたかだか数時間で、自分が生き返ることも実感した。心の底から、これだ!という実感が溢れ出て、全身をめぐった。エゴイスティックな音楽への欲望が俺には少なからずある。
まずミュージシャンがmixiやアメブロじゃなくnoteで一言ぶち上げる時代の変化に驚いたけど、「オリンピックdisっておいてこの文章かよ」っていう原発のころとなんら変わらないダブスタな政治信条を見せられて、落胆と安堵が入り混じった感情になった。もうこの文章だけ読んだらオリンピックに出るアスリートが書いてんのかフジロックに出るミュージシャンが書いてるのかわからないもん。
まあ分かるよ。ライブなんてコミケやお祭りと一緒で現場で臨場感出さないと客は財布の紐を緩めない。運営もミュージシャンもそういうのわかってるし生活立ち行かないからライブやるんだって。でもオリンピックdisっといて自分のイベントについては日和った感想しか出てこないところが、やっぱり嫌いだなあって思っちゃった。
さっき安堵って書いたのはそういうことだと思う。自分がずっと嫌いだったものを改めて引き続き嫌いでいさせてくれる。
でもこの文章もソルファ聴きながら書いたし、意外といい曲多いのでYouTube Musicでアジカン、気が向いたら聴くよ。だから頑張ってください。