はてなキーワード: 言論の自由とは
いわゆるヘイトスピーチに代表される差別発言が主だけど、その範囲はいつの間にか女性や障害者にまで広がってる。
その代表例が「障害者」の「害」をひらがなの「がい」にしろというもの。
文字通りに考えれば「害を持つ人」の意味だけど、その「害」を「がい」に変えてしまうと「がい」がどれを指すのか分からなくなる。
例えば、常用漢字である「姦」だとか「女々しい」だとかといった女へんや女という字を使う文字に対して女性蔑視だとする意見は、
戦後以降女性の社会進出に伴って声高らかに叫ばれているが、ではそれに代わる文字を用意して欲しいとすると、別の言葉に言換えるようにと
主張する。
その一つが「強姦」だ。
文字通り女性を虐げるとか性的暴行をするの意だが、昨今は「婦女暴行」や「強制わいせつ」などに言葉を変えている。
しかし、これでは罪が軽量であるかのような錯覚を受けてしまう。
「強姦」は「殺人」に匹敵する重罪だが、「婦女暴行」では性的暴行ではなくただドメスティックバイオレンス程度の傷害にしか思えない。
言葉狩りをするのなら、せめてそれに代わるものを用意してもらいたいものだ。
左翼はあれは反対、これも反対と主張するが、一方でそれを享受し恩恵を受ける側でもあるという矛盾に全く気付いていない。
例えば、原発は事故が起こるまではずっと当たり前のように享受してきたはずだ。
今は太陽光発電という高コストかつ先の見通しの付かない不透明な内容をあたかも実証済みであるかのように主張するが、
今やアメリカですらそのメリットが正しいという明確な根拠を示さなくなっている。
また、昨今話題沸騰中の憲法改正についても、今までGHQ原案の憲法を大事にしてきた反米主義者が今これが改正されることをアメリカ自身が望んでいるにも関わらず
意味不明な主張の元に反論している。戦争ができる国が出来るというものだ。自国を防衛することさえ許されない現法で中国や韓国の侵略行為を防げるとは現状では言い切れないことも関係する。
死刑廃止論にしてもそうだ。諸外国がしているからという根拠なき根拠によって死刑を廃止し、あろうことか犯罪者を救おうという人間まで現れている。
死刑に変わる罰則を制定しないのに死刑を廃止していいのかという批判にも全く聞く耳を持たずである。
女性専用車両や男女参画については、口を酸っぱくして女性の社会進出を妨げるなといっておいて、育児、出産休暇や社会復帰の面倒を見ろとかレディースデーなどの民間のサービスについては蔑視であるにも関わらず何も主張しない辺り底が知れている。
また、特定の国には配慮しろと主張するくせに日本を守るための訓練をするアメリカを罵倒するが、一方尖閣や竹島に侵略してくる中華思想の国や韓国の犯罪については無関心を貫いていたりと矛盾している。
矛盾でいうならば、児ポ法改正に伴う単純所持禁止など二次元創作物の規制を謳いながら、一方でクールジャパンで日本のオタク文化を世界に広めようと言う動向は正に矛盾しまた、時代を逆行する勢いだ。
彼らの行動は正に言葉狩りの通りで感情論だけで何もかもを動かそうとしている。
言論の自由、表現の自由を謳いながら一方でこれらの言葉狩りを今もなお平然と行っている。
彼らは一体日本の何を正そうというのか、ただ闇雲に社会を混乱させようと画策させているようにしか思えない。
そう感じるのは筆者だけなのだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20130530101831
黙れ
自分が好んでいる虚構のキャラクターに人権は無いとか堂々とほざくような奴は敵を増やすだけだ
お前の人権こそいらんわ
殺人が起こる創作物を持っている人、全員を殺人罪で起訴しろって事ですね!
他人に対して「お前の人権こそいらんわ」と言うのは、自分が理不尽な理由によって同じように言われる可能性を考慮しないといけない。
「虚構のキャラクターに人権がある」と「考える」のは思想の自由だが、それを他人に押し付けるのは別の話。
「虚構のキャラクターに人権が無い」と「言った」事で「お前の人権こそいらんわ」と人権剥奪容認する「発言」は言論の自由だが、実際に剥奪した場合はその行為こそが「人権侵害」。「黙れ」と言うのも自由だが、それに従う義務も無い。
法を語るのであれば、厳密に「誰に」「どのような権利」があるのか考えて語らないと。他人の権利を弾圧する発言は自由だが、その同じ理屈によって自分が理不尽に「剥奪される側」に立たされる可能性まで考慮している?
物語のキャラクターは、表現として人間に見えても、それは「創作物」であり、創作物には人権は存在しない。だからこそ、殺そうが犯そうが「現実の」犯罪ではない。
だからこそ、そういった創作を「嫌う」のは自由だが、そういう創作を「規制する」のは、創作者に対する人権侵害だ。
561 ソーゾー君 [] 2011/10/14(金) 12:40:17 ID:ykETALuMO Be:
2まだ知り始めた覚醒寸前の不穏分子を間違った方向に誘導する為。
1と2は3に連動する。
暴徒化は簡単に出来る…
利子や発行権等の核心部分は触れずに綺麗事を語り無知な連中
一般の参加者は石投げたり殴ったり等の行為をする気はないのだが
デモに紛れ込んだゴロツキが石を投げて銀行のガラスを割れば立場は逆転する…
犯罪者を批判し真実を訴えるデモなのにガラスを割られた犯罪者は被害者になり
「不当な逮捕だ!若者よ立ち上がれ!」と勇ましく最後列の一番安全な場所でワイン飲みながら煽る…
無知な正義感がある馬鹿が必死に抵抗すればする程、法は強化され鎮圧も過激になっていき言論の自由は無くなる。
「石を投げるゴロツキはどこで雇われるのか?」
「そこら辺の酒場に毎日居るゴロツキにお小遣い渡してるだけだよ…」
「なんでゴロツキは酒場に入り浸ってるか理解した?裏稼業の職安なんだよ…」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1353851390/l50
2013年5月4日、Gunosyについていくつかの批判記事が出た。
賛否両論あるが、残念ながら、はてなブックマークにフリーライドしていること、配信される記事がはてブのホットエントリーと被ることは事実である。
それはさておき、本日のGunosyで、上記の記事は誰にも配信されなかった。はてブのホッテントリ入りしたのに、だ。
ここから言えるのは、「Gunosyは運営者の都合で記事をフィルタリングすることができる」ということだ。GoogleはGoogleを批判する記事をフィルタリングしないが、Gunosyはフィルタリングした。2ちゃんねるや各社ブログは運営を批判する記事をフィルタリングしないが、Gunosyはフィルタリングした。インターネット関連企業は言論の自由や知る権利を守るべきなのに、Gunosyは守らなかった。
上記の記事は中傷的だから、同情的に感じる人もいるかもしれない。しかし、フィルタリングする基準は曖昧だ。今年の参院選、特定の政党を批判する記事が配信されなかったらどうなるだろうか? 近い将来、彼らの意見を否定する記事が配信されなかったらどうなるだろうか?
私は以下のことについて、自明のことではないにせよアメリカ独立宣言やフランス人権宣言以来の人権概念が積み重ねてきた権利体系に基づく真実であり、日本国憲法を含め自由主義国の憲法で当然守られるべき権利であるものとみなし、ヘイトスピーチ規制はその自由に根本から抵触するものとして断固として反対する。
すなわち、英国の食事、ドイツのユーモア精神、フランスの天の邪鬼、イタリアの勤勉さ、ロシアの酔っ払い、中国の爆発、韓国の犬食、日本人のカメラ好きをジョークのネタにすることは平等に自由であるべきこと。
「在日米軍は犯罪者」を訴えるデモ、「在日朝鮮人は犯罪者」を訴えるデモ、「日本人は戦争犯罪者」を訴えるデモ、「ヨーロッパ人は侵略者」を訴えるデモは平等に自由に開催されるべきこと。
映画の中で教会を爆破すること、寺院を爆破すること、神社を爆破すること、モスクを爆破すること、孔子廟を爆破することは全て平等に自由に描かれるべきであること。
風刺画において無能な白人をサルに喩えること、無能な黒人をサルに喩えること、無能な東洋人をサルに喩えること、無能なアラブ人をサルに喩えることは平等に扱われるべきということ。
異性愛者を題材にしたポルノと、同性愛者を題材にしたポルノと、獣姦者を題材にしたポルノと、幼児性愛者を題材にしたポルノと、サディズム・マゾヒズムを題材にしたポルノは、実在の未成年が出演しておらず特定の人物をモデルにしていない限りは平等に扱われるべきこと。
以上のことについて私は自然権としての表現の自由に基づくものであることを内心の自由に基づいて信じ、言論の自由に基づいて表明する。
まずお前の「ボクがそうだと思ったヘイトスピーチをみんなも憎むはずがない」という近視眼的な思い込みを捨てることだな。
そもそも「耳を塞ぎたくなるようなヘイトスピーチ」なんてお前の主観でしかない。在特会の主張に共鳴する人間は大勢いる。
これを見ろ。http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/481592
washburn1975
在特会を差別するなって言うけど、生まれつき在特会員だった人っているの?2013/04/03
↑これな、お前そっくりの馬鹿だ。思想で差別していいっていってるんだこいつは。この薄ら馬鹿サヨクは次のコメで完全論破されてる↓
lastline
先天的特性なら差別して良いってことですか2013/04/03
分別のあるkanose村長やthe_sun_also_rises もスターをつけてることからこの知見が正当性を持ってることは明らかだよな?
増田にはkanoseに異常に粘着しているゴミがいるがああいうのもkanoseに論破されて鬱憤をためてるはてサなんだろうな。
関係ないがぐうの根もでない正論をぶちかますnekoraなんかを妙に毛嫌いする奴がいるのもくっさい貧乏人のルサンチマンがそうさせるんだろうw
在特会の政治的主張を差別的に罵倒して封じるという愚。 こんなやつは民主主義国家にいてほしくない。北チョンに帰ってくれ有田ヨシフやらその他の偽善者といっしょにな。
>(といってもしばき隊のような特定の団体に紛れたわけではなく、個人で行動していただけ)
>デモに向かって「不当な差別はやめろ!」とか「レイシストから卒業しろ!」とか
>「お前らに罪のない人を脅かす権利があるのか!」とかそんなことを叫んでいた気がする。
↑まあこんなことを言ってボクは善人なんですよ~アピールをしているが、お前がクズのシバキ隊と一緒にあの場で言論の自由を封殺した同類のクズであることは明らかなんだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20130221003248
逆に言えば、表現の自由に憲法上何の制約も付けていないのはアメリカぐらいで、だからこそアメリカではヨーロッパのようなヘイトスピーチ規制が違憲とされたということもあるんだけど。
日本もアメリカも、表現の自由の条項に明文で法律の制限が可能であることは書かれていないけど、どちらの国も表現の自由への法律による制約は普通に可能だよね。違憲審査基準が他の人権より厳しいというだけで。ヨーロッパの憲法学には詳しくないが、この事情は西欧各国でも、言論の自由を保障した条項に制約が明記されているか否かにかかわらずみな同じなんじゃないかと思う。
つまり、憲法の特定の条文に法律による制約が明記されているか否かは大した問題ではないので、その点だけを取り上げてどうのこうの言っている元の記事は、憲法論として全く意味がないよね。
とはいえ自民党の改憲案には全体的に過度な人権制約を認める解釈をしやすい文言がちりばめられているので、個人的にはあれにはとても賛成できない。とりあえず9条だけ変えればいいのにと思う。
いやまあ後輩(女)が辞めたんですよ。
公務員っていってもいろいろあるけど、一応痴呆公務員事務職と思っていただければ。
近くに配属されて最初は特に印象はなかった。世間話程度しか喋らなかったし。
周りの評価も可もなく、不可もなく。
勤め始めは最初は大変そうだった。
とか言われながらマニュアルや引継ぎがないなか「前の見て」とだけ言われながら頑張ってた。
今思えばあの時に愛想が尽きたんだろうな。
まぁいろいろあって結構喋るようになった。(あんまり関係ないから端折るけど)
後輩は「出産後も働き続けられるから」それだけの理由で公務員になったらしい。
一通り慣れると適当に手を抜き出した。
いややることはやってるんだよ。だから端から見てると分からない。
喋ってるとわかるんだけど
あーちょいちょい手抜いてるな。
挑戦をしないっていうか新しいことをやろうとしてない。
いや全部が全部の仕事に対してそうやれってわけじゃないし、
俺もやれてない。
でもなんつーか仕事舐めてる感。
まぁやることやってるからいいっちゃいいんだけど。
それとなくそのこと指摘したら、
頑張ったところで昇進も昇級も横並びだから損。
下手に出来る認識されると○○課みたいなブラックに飛ばされかねない。
○○課行ったらサービス残業が増えて今より多少の時間外手当がつくだけで損
※部署によっては公務員はほんとブラック。土日出勤や日付変わるまでとかあるとこはある。
残業代も満額つくわけじゃない。
他人事って言われても私がなにを言っても反映されないから言う意味はない。
でも他人事とかやる気ないって分かると雰囲気が悪くなるから適当に意見を言うフリはしてる。
どうせ適当な意見を言ったところで反映されないから困らないし。
よく考えた意見である必要はないし適当な意見言っとけばでいい。
ってかよく考えるだけ無駄。
新しいことに挑戦とかそんなこと言い出して聞き入れらる雰囲気じゃないし、
若造が何言ってんだ。前例がない。よく考えて判断しないとって言われて
根拠があってやらない訳じゃなくてそんな理由でやらないから言い出しても意味がないし、
第一、そんなことしたら私の仕事が増える。
仕事が増えても、やらない場合と昇進も昇級も変わらないのにやりたくない。
彼女の親父さんも俺と同様のこと思ってるらしく、
民間と話を出されたりしながら同じようなこと言われたらしいけど、
民間みたいにノルマや成果が求められないから安心して働けるとかって
民間全否定してたくせに民間のやり方見習えとか矛盾もいいとこなんだけど」
ってぼやいてた。
「先輩がいうような人物が公務員やどこの職場でも求められるのかもしれませんけど、
求めてるだけで受け入れる雰囲気もないし、
俺はその時なにも言えなかったよね。
雑用とかお使いとか率先してやってたから人受けはよかった。
雑用やお使いをやるための非常勤さんはどこの部署にもいるんだけど
若手はあんま仕事頼めないし、非常勤の仕事を手伝ってると年配者に評価される。
「非常勤をバカにするつもりはないけど非常勤がやる仕事を
非常勤より高い金払って雇ってる正規職員が処理して評価する意味が分からない。
まあ実際そんなに働いてないのに働いてるアピールができるからいっか。」
エクセルとかに強いらしくめっちゃサクサク仕事は終わらせてた。
(同じ部署ではないからよー知らん)
雑用したりサボったりしながら過ごしてた。
出来るって評価されたくないし、
仕事押しつけられるならまだしも必要のない仕事をさせられるかもしれないって。
毎回使い回してる通知文を書き直させる仕事を命じられたらしい(笑
そして一番最悪なのが、仕事終わって暇だと
「たまには残業しなよ」って言われること
仕事ないのに何すんの?
仕事早く終わることより効率悪くて頑張ってることが評価に結びつくんだねってぼやいてた。
でも公務員でぐうたら過ごすってたくせに
ここで一生過ごすくらいなら子供いらないって返された。
ちなみに引き留めにはあったみたいだけど、
「あの申し訳ないんですが、庁内の何人かの方にはもう辞めるって伝えてしまって。
辞めなかったとしても私が辞めるって言った事実は残りますから辞めます。」
って言ったらしい。
もちろんそんなこと伝えてた奴はいないけど、
うちの組織的に風通しが悪いから、その嘘がバレることはないんだろうなw
新卒で公務員なって特に疑問も抱かない俺には分かんないんだけど、
民間だってなくせない無駄な作業や前例主義でできないだらけのとこや
うちが職場が特にひどいわけじゃない。民間だって同じようなもんだと思うんだけど。
職場がそこまでアメなりムチなり使ってやる気をコントロールしなきゃいけないわけ?
彼女は成果を求められないし、クビにならない。やってもやらなくても同じだからやる気でない。
って言ってたけど
ネットちょっとみると窓際族らレガシーコストやら閑職やらって単語がバンバン出てんじゃん。
それなりの組織になっていけば、いろいろ変えたりするのに心配すべきことは多くなるし、
ちょっとしたことが問題になりやすいから慎重にならざる得ないだろ?
そうゆう点で多少行動の自由は制限されるし、
より慎重にならざる得ない側面はあるけど。
彼女の行った会社にもよるんだろうけどベンチャーに行ったわけじゃないから
うちが職場が特にひどいわけじゃない。民間だって同じようなもんだと思うんだけど。
公務員だからって理想に燃えて県民のために働けると思ってるが間違いで、
県民のためにとか言って規定外のことやろうとしたら組織からハブにされる雰囲気出てるのは当たり前だろ。
変ればいいなとは思うけど変える気はないし変えれないと思ってる。
この手のことってどこの職場にもあってどうにもならないことだし、
それに適当に折り合い付けたり、見て見ぬふりしながら働いてくもんだろ。
まったく同じ論考
http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000885.html
これは正当化できない差別そのものであり、言論の自由を逸脱していて許容されない。というのは、憲法に定める他の基本的人権、具体的には13条「すべて国民は、個人として尊重される。」、14条1項「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と衝突しており、かつそこにおいて言論が優先すべき適切な理由がまったく示されていないからである。およそ憲法に掲げる人権の重要性を主張する人々なら本件記事の姿勢を端的に否定すべきであろうと思われるところ、まあつまりだから、普段なにを言っていようが今回黙ってるような連中は人権じゃなくて自分の敵を叩けることが大事だったんだねというわけで、いい試金石を提供してくれたものだとは思うわけである。
http://d.hatena.ne.jp/mala/20120830/1346309790
高木浩光はセキュリティについての啓蒙活動を行なっている。残念ながら日本においてこのような才能のある人間は高木浩光だけと言っていいだろう。malaもセキュリティ(特にJavaScriptが絡むやつ)についてはスペシャリストなのだろうが、いかんせん枝葉すぎる。重箱の隅をつついてるに過ぎない。部分的に特化した能力を持ってはいるものの、セキュリティ全般というとそうでもないだろう。
そもそも、高木浩光は個々の事例などどうでもいいのだ。個々の問題に言及することは手段であって目的ではない。セキュリティ全般の啓蒙が第一の目的なのだ。逆にmalaは、目先のことしか見ていない。全体を俯瞰して見れないのだ。これは年齢の問題もあるだろうが、やはり根本的な生まれついての人格の問題でもあると思う。高木浩光は非常に貫禄のある名前だが、malaはひどい名前だ。親が泣いてる。せっかく子供に素晴らしい名前(たぶん圭介とか)を付けたのに、こんなDQNネーム以下の名前を名乗るなんて。クリトリスにピアスをするよりも悲しいことだろう、親にとって。
大体、高木浩光は貫禄あるよね。なんか。よく分かんないけど貫禄ある。産総研っていうすごいところに勤めてるし、国のために戦ってる感じがする。それに比べてmalaの勤めてる会社はNHN JAPANだ。LINEという完全にセキュリティ的にアウトなプロダクトを中心に、NAVERまとめやアフィブログの運営を行なっている。セキュリティについて何か言っても説得力ないよ!
とは言え、malaはライブドアに勤める前に産総研に誘われたって前に読んだ気がする。うろ覚えだけど。ということは、malaは権威よりも自由を取ったというわけだ。おそらく日本赤軍の重信房子あたりに感化されたのだろう。しかし悲しきかな、自由を取って一般企業に勤めた代わりに、言論の自由を失った。逆に高木浩光は国家機関に所属することで、言論の自由を手に入れた。高木浩光が三島由紀夫だとしたらmalaはチャットモンチーだ。
高木浩光はすげえよ。あいつはすげえ。ヒールを演じてるんだよ。セキュリティを啓蒙するには劇場型にするしかなくて、劇場型にするには自分がヒールになるしかない。ネットで批判されてもいいから、自分が嫌われ者になってもいいから、日本のために立ち上がろうとしたんだ。あいつはすげえ。これはAKBで秋元康がやってるのと全く同じ戦略だ。風貌も似てるしな(笑)
それに引き換えmalaはなんだ。自由の戦士気取りか。お前は確かにネットで人気があるよ。はてなブックマークではお前の信者がわんさか褒め称える。でもな、その先に何がある。一時的な賞賛が得られたからって何になる。もっと未来を見ろよ。俺達の未来は輝いているべきだろ。
比ゆの意味がわかりません
そういう場面で「男性向けです」と言い切って
テニスって言いながらぜんぜんテニスじゃない何かが行われるマンガとか。
どこが理路整然としてないというんだw
ファンからもとっくに指摘されているし原作者自身がそういうことを言っています。
指摘の内容は正しい。
で、それがどうして「この漫画が失敗作である」に繋がるのかは不明です。
「僕は、私はこの作品が大好き!ツボすぎる!
倫理的にアレとかコレとか言われてるけどアーアーキコエナーイ!
そもそもアンタら宛てじゃないんだから好きなやつが好きなやつだけで固まってる
いやいや…
「このマンガは倫理的に如何なものか」っていうスタンスに立つなら
その意見は今のスタンスよりずっと聞くに値するものになると思うよ。
個人的にもそっちならまだ意義が深そうだから聞きたい。
でもそうじゃなくて
論理が滅茶苦茶な主張を繰り返してる。
こっちは聞くに値しない。
論点を整理したらどうでしょう。
前回の書き込みって何だw
まさか喪女板じゃないよね?
そら喪女板のに決まってる。他の板のレスが何の証拠になるというんだ。
たとえばエロ漫画に「女性読者を取り込めてないから失敗作だ」って言うのは
まともな批評だろうか?
少年ジャンプ掲載の漫画が腐人気を命綱みたいに当て込んでたら批判の一つも出て当然じゃね?
そして問題の漫画はエロ漫画なのかな?違うよね?無理矢理分類するなら日常系サブカル漫画ってところかな。
サブカル層と喪層はそれなりに被るんだから商業的にはむしろある程度の数は取りこめて当然くらいでもいいはずだよね。
そもそも喪女は対象読者ではない
って言ってるでしょ。
仮にこの世の全ての喪女があの漫画を嫌っててもそれが作品や商品としての失敗の根拠にはならないよね。
引用されてるインタビューでは「男性が多く読んでくれてる」とはあっても「男性のために描いてる」とは言ってない。
レーベルだって18禁レーベル程縛りがきついところからでてるわけじゃない。対象から喪女をはじき出すことは想定されてない。
日常系サブカル漫画ならそれこそ男女問わず読まれる路線を目指した方が収益上がるしね。
でもあの漫画ではそれは出来ない。敢えてしてないんじゃなくて、必然的に出来ない。
なぜなら喪女を描いてないから。「喪女」と看板かけて喪女描いてないとか羊頭狗肉にも程がある。
どこが理路整然としてるの。
感情は理解できるけど、理路は批判として0点だよ。
どこが理路整然としてないというんだw
「女の身体に自分の欲望を語らせたい男」というのは非常に鋭い指摘でありかつ一定の正当性がある。
なんでオタク界隈の作品攻撃って言うのは「俺は、私はこの作品が大嫌い!」っていう気持ちをそのまま表明せずになんとかかんとか「この作品は失敗作!」って言いたがるんだろう。
逆もまた然り。というか逆の方が明らか。
「僕は、私はこの作品が大好き!ツボすぎる!倫理的にアレとかコレとか言われてるけどアーアーキコエナーイ!そもそもアンタら宛てじゃないんだから好きなやつが好きなやつだけで固まってるだけだから無害だからほっとけ!!1!言論の自由表現の自由!!1!11!」
8月は終戦の季節なので。
1941に真珠湾で開戦し、当初は連戦連勝だったが、1943辺りから敗色が濃くなった。
選択肢としては、そのまま「本土決戦」まで突っ走らずに、ミッドウェーとか
ガナルカナル、フィリピン争奪戦辺りで、アメリカと講和する、という選択肢もあったかもしれない。
(欧州でヒトラーが交戦状態だったので、日本単独の講和が可能かどうか微妙だが)
「1943頃に、中途半端に講和休戦する」より、
「1945まで玉砕で突っ走って、無条件降伏に追い込まれた」ことが、
数値は腰溜めの数値だが、
「A=開戦前の4分の3の国力の状態で1943頃に休戦し、その後5%の経済成長の日本」と、
「B=開戦前の2分の1の国力まで落ち込んで1945に無条件降伏し、その後10%の経済成長の日本」。
確かに一時的に辛いのはBで、それこそ飢餓線上スレスレだったのだが、
数十年のスパンで考えるとどうか?
75.00 1943
78.75 1944
82.69 1945 50.00
86.82 1946 55.00
91.16 1947 60.50
95.72 1948 66.55
100.51 1949 73.21
105.53 1950 80.53
110.81 1951 88.58
116.35 1952 97.44
122.17 1953 107.18
128.28 1954 117.90
134.69 1955 129.69
141.42 1956 142.66
148.49 1957 156.92
155.92 1958 172.61
163.72 1959 189.87
171.90 1960 208.86
180.50 1961 229.75
189.52 1962 252.72
199.00 1963 278.00
ということで、当初は苦境だが、1956頃にはBの体制の方が経済規模で優位になり、
以降その差は拡大していく。
Aの体制だと、軍部はそのまま温存され、治安維持法も大政翼賛会も温存。
GDPに対して軍事費の圧迫は著しく、又外交も困難を極め、自由に資源調達できず、自由貿易も望めない。
ひと握りの中産階級と多数の貧農、という体制下なので内需も拡大しない。
言論の自由は制限され、それによる萎縮効果で、科学技術の進展も緩やか。
結局、一時的には辛くても、「膿を出し切って、高度成長できる自由体制」に舵を切った方が、
長期的には国力は増す、ということになる。
結果的に旧国体が解体に追い込まれたことによって、高度成長体質になった、その意味では
日本が「徹底的に太平洋戦争を戦った」ことが、その後の日本のためになった、と感じている。
逆説的だが、頑迷に本土決戦に固執して自爆した、旧日本の支配層には
http://anond.hatelabo.jp/20120526091039 続き
https://twitter.com/sasakitoshinao/status/206228386853560324
なんか「Studygiftは<公>だと思ってたのに<私>だったのか、騙された!」とか言ってる人が何人かいるが、公の意味をこれからもう一度再定義した方がいいと思う。そうやって怒ってる人は公がどこかから神のように降ってくる存在だと思っていないだろうか。
https://twitter.com/kirik/status/206229674295181312
いや、公を誤認させてはいかんでしょ RT @sasakitoshinao なんか「Studygiftは<公>だと思ってたのに<私>だったのか、騙された!」とか言ってる人が何人かいるが、公の意味をこれからもう一度再定義した方がいいと思う。そうやって怒ってる人は公がどこかから
https://twitter.com/sasakitoshinao/status/206228646128656384
公は天から降ってくるものでなければ中間共同体が勝手に担ってくれるものでもなく、今後は<私>の無数の集合体、<私>がつくるさまざまな仕組みの集合体によって<公>が成り立つという方に考えを切り替えないと。
https://twitter.com/kirik/status/206230378468487169
先生、public というのはきちんとした定義のある言葉です。ご主張は理解しますが、今回の事例でそのような理屈は通らないと思いますよ。 RT @sasakitoshinao 公は天から降ってくるものでなければ中間共同体が勝手に担ってくれるものでもなく、今後は<私>の無数の集合体、
https://twitter.com/sasakitoshinao/status/203695743184273409
おっしゃる通りです。情報は開示されてる。家入さんという個人の信頼でも担保されてる。詐欺じゃないでしょ。 RT @fox_m @sasakitoshinao 単位とらなかろうが旅行に行こうがそれをひっくるめお金出す人の選択の自由はあるという話を佐々木氏は言ってる気がするんだけど。
https://twitter.com/sasakitoshinao/status/206751155445956608
私は家入一真という人は、おおくの人が批判するように欠点もたくさんあるのかもしれないけれど、彼が追い求めている価値に共鳴している点で全幅の信頼を置いています。
https://twitter.com/sasakitoshinao/status/206752926461476865
そんな担保などあるわけないでしょう。すべては個人の意見。客観など幻想にすぎない。 RT @maitreya_K 公私とか自助公助とか、そういう切り口自体が佐々木俊尚さん、あなたのセルフサービスの問題意識と見受けられます。その見方はいったい何によって担保されているのでしょうか?
先ほどTwitterに連投したStudygift問題についての論考です。以下、少し整理して転載します。
一連の議論を見ていて思うのは、個別包摂と社会包摂がごっちゃになってしまっていませんか?ということ。社会包摂とは生活保護などの公的扶助をはじめ、誰もが平等に享受できるセーフティネット。個別包摂は、個人的なつながりの中でのセーフティネット。
たとえば隊長の「就学希望児童助成を軽いノリでやるな」という記事もそのひとつで、社会包摂としてはこの視点はそうだろうと思う。しかし個別包摂にまでそれを求めるのか?ということ。
■家入一真さんの例の件で願うことなど: やまもといちろう http://bit.ly/KArAfU
個別包摂なんて、親戚のおいちゃんおばちゃんに金出してもらうのと同じレベルで、単にそれをネットのオープンな場所でやってるだけ。だから「出したい人が出せばいい」と私は書いたわけです。そういう家族単位、知人単位、ソーシャルグラフ単位の個別包摂の集合体が、公的扶助などの社会包摂を補完していく可能性があるから。
だから個別包摂で、後から「なんだお前退学してたのか!」「男女関係からんでんじゃないの?」とかそういう話が出たとしても、おっちゃん(支援者)と姪(被支援者)の間で話せばいい話。「ほんまに復学する気があるのか?」「おまえ結婚しても学業続けられるんか」みたいな、そういうレベルの話。
そしてこの社会的包摂と個別の包摂の混同は、実のところ河本準一氏の生活保護騒動にもつながっている。「息子が支援(個別包摂)できるのに生活保護受ける(社会包摂)のはけしからん!」と。河本氏にあなたは個別包摂を利用せよと求めている。だったらなぜStudygiftの坂口さんには個別包摂によって支援を受けることを許さないのか? 二つの問題の根っこは、ここで実はつながっている。
Studygiftは皆が見える場所でやってるからけしからん、目に入らないところでやってくれという意見もあるだろう。まるで全員に門戸が開かれてるように誤解させるのはけしからん、と。だがこうした個別包摂でさえも可視化されてしまうのがネット時代の恐ろしいところなのだ。そしてこの可視化時代に、妬みや誹りや恨みの対象となるありようはそこらじゅうに可視化されている。今までは知らないで済んでいたことが、全部見えてしまう。これはある意味たいへん苛烈な時代だ。
しかしこのような個別包摂の試みは今後も次々出てくるだろう。個人間送金が簡単になればさらに加速する。私はその多様化は社会包摂を補完するありかたとして否定すべきでは無いと思う。今回のStudygiftは拙速なのは事実だが、そういう試みの最初の小さな一歩にすぎない。
ネットを活用した個別包摂のセーフティネットに対して「うまくやりやがって」「詐欺だ」と怒る人たちは今後も増え続けるだろう。それは避けられない。たとえばこの記事などが典型だ。
■仮に僕膣と学籍詐称が無くてもstudygiftは駄目だよな http://bit.ly/KAuGAA
無償のリスペクトが応酬されているだけの評価経済社会に留まっていれば、問題は起きなかっただろう。だが評価経済と貨幣経済が結びつくことで、評価=カネということが実現してきている。これは大きな波紋を投げ掛ける。
すべての人々が平等に包摂されるような時代は最早やってこない。そういう包摂は戦後社会でも平等幻想でしかなかったが、その幻想さえも剥ぎ取られる時代になってきている。だからこの問題への怨嗟は今後もなくならないだろう。しかし社会亭包摂とは何かということをもう一度考えなければならない時期に来ている。
自らを助ける者が助かるだろう。しかもその「助かる」有り様は見えてしまっている。だったら自らを助けられる者だけが助かればいいのか? そして、自らを助けられない者をいったい誰が助けるのか? これはコミュニタリアリズムとリバタリアニズムの対立にも繋がってる。だからここから本当に真っ当な政治哲学的な議論が始まるのかもしれない。
そう期待したいけど。
いのうえ とーる 私もこれを全く社会包摂で語って批判する人が多いことに最初から不思議でなりません。説明不足である問題点を除けば、売りのある人、自分がいいなと思った人を援助することは不自然でもなんでもないわけですし、そこに不公平だと文句をいうのはおかしいと感じます。だから、わたしは批判のほとんどは単なるそういう行動ができない人の嫉妬にすぎないと思えるのです。
上田 康之 ぼくも佐々木さんの言わはることに賛成なんです。同棲してたとか、退学してたとか、どーでもええ話やと思います。
勝手にやりゃええ話やと思います。
ただ、隊長の話と少し似てるんですけど、なにぶん対象が「子ども」なんで「顔を出して、実名も晒して、学校に行きたいけどいけないというプライバシーを晒すことが、どれだけの苦痛を将来において背負うことになるのか」ってのが少しだけ気にはなりました。
この子は20歳超えた子ですし、その点は理解してるかもしれないですけど。
最上 雄太 Twitterにも幾つかレスしましたが、別に悪意も変な扇動をしようという気もないのは伝わりました。
寄金 佳一 星野智幸さんが小説家らしいさすがの感性で語っています。「私たちがバッシングし、叩こうとし、殺そうとしているのは、「俺」なのだ。自分なのだ。」と。
http://hoshinot.asablo.jp/blog/2012/05/26/6457416
で、悪意がないのにこういった事を本気で書かれているのにヤバいな、と思いました。
不特定多数と知人の区分けが無意味と言いつつ、個別包摂と社会包摂に分けて考えろっていう起点自体が無茶苦茶ですよね。
先の「無視すればいい」という発言もそうですが、本質が全く見えてらっしゃらない。
今回こういう騒ぎになっているのは、一言で言えば「当事者に納得感が無い」からですよね?
この納得感というのは言うまでもなく必須要件であり、また今回の「当事者」は支援をする側される側だけじゃないですよね。
皆まで言いませんが、仲良しごっこも同好会ノリで楽しくやるのも全然いいんですが、迷惑かけないでって事です。
おおつね まさふみ これは「おっちゃん(支援者)と姪(被支援者)の間で話すようなトークを、単にネットという開けた場所でやってるだけ」って言われるだけのような……
おおつね まさふみ 「社会的包摂と個別包摂はネットで差別される。前者について発言するのは自由だが、後者については言論の自由は制限される。理由は◯◯だ」の、理由の部分がなんだかわかりにくいので、そこを聞きたい所。
川岸 義明 今回の件で、就学希望児童助成自体が世間的に眉唾に思われたのであれば....個別包摂,社会包摂に関わらず、痛い話だなぁと...支援者がそれを正しく区別できるのでしょうか....よくわかりませんが...
Kanehira Takashi 学費援助の件では、否定派と肯定派の対立軸がすぐに出来て、両者を包摂するとしたら、弱者を助けたい人(肯定派)の役回りになりそうです。生活保護の件でも、否定派と肯定派の対立では、やっぱり弱者を助けたい肯定派が、否定派に地道な説得をすることでしか包摂が来ない気がします。否定派は日本版ティーパーティーに見えます。閉塞感があるとさらに狭い方にいくのだなと。歴史を振り返ると、女性参政権を勝ち取った人はなんて偉いんだろうと想起したりもします。
くらます りょういち 個別包摂の試みというのは、ずいぶん前からありますね。いわゆる「○○ちゃんを救う会」。海外で手術受けるのに○千万円必要です、みたいな。
しかし、その「○○ちゃん」の情報が、もし事実と異なるものであったとしたら。それがお金を集めた後に明らかになったとしたら。
はたしてそれは「おっちゃん(支援者)と姪(被支援者)の間で話せばいい話」で済むんですかね。
上田 康之 くらますさんの【「おっちゃん(支援者)と姪(被支援者)の間で話せばいい話」で済むんですかね】は、それで済ませたらええんちゃうかなぁ。
もし、その子が将来、極道になったとしても、文句言わんと、それ込みで支援したろうって思ってやったらええんちゃうかなと思います。
はやし りょう 社会的包摂と個別包摂を区別してるんじゃなくて、資金の集まり如何に依らず目的を達成出来ない可能性を明らかにしないまま支援名目で投資を募ったのが叩かれてる原因じゃないですか?社会的包摂と個別包摂で区別して云々って論調が通るならば極論すれば「ばれなきゃオレオレ詐欺ってOKなの?」って話になりますし。
今回の件は何がよくて何がだめだったのかを議論してブラッシュアップを図るのが第一で、論じる人の社会的な関係性に論点ずらすのは単にこのネタつかってプロレス見せてるに過ぎないと思います。
おおつね まさふみ それだと「支援もしないし、興味もないけど、紛らわしい弱者風の錯誤でカネ集めているのは見過ごせないから個別包括をネットのオープンなところで主張する」という人だって居てもいいよね。
はやし りょう おおつねさんの発言がStudygiftをウェブで展開する事の意義だと思います。意見を述べている人の立場を以て「あなたには発言する権利がない」というのはもう本当にナンセンスですよ。そんな主張は第一次世界大戦でもう過去の遺物になってるんだから、知的なブラッシュアップに社会的立場とかホント混ぜないでほしい。
芝尾 幸一郎 個別包摂の取り組みだったら、金くれ http://kanekure.ssig33.com/ と言うサイトで良い気がします。そして、現にこのサイトは別に炎上していない。個別包摂の例なら上のサイトの方が適切な気がします。
金くれ
kanekure.ssig33.com
松本 孝行 社会が面倒を見るのか個人が面倒をみるのか、それを河本さんの話だけで語るならいいですが、studygiftを混ぜてしまうと、とたんに焦点がぼやけてしまいます。その問いかけはたしかに社会起業家やサッチャー・レーガンの社会福祉削除の話とも関連して、非常に重要だとは思います。しかしstudygiftの話はまた別問題です。それに私的な援助ができるのはジャストギビングなどもあるわけですし、なにもstudygiftがダメに成ったから全てダメになるということはありません。むしろ、今回の件は私的な寄付という行為へのハードルを上げたと思っています。
とにかく論点はそこじゃないと思いますよ。
荒巻 里江 個別包摂と社会包摂の区別以前の問題では…? 被支援者が嘘(あるいは誤解を招く言葉)を堂々とサイト上に掲げ、お金を集めようとしたことは、仮に悪意が無かったにしろ問題のある行為ですよね。そして「お金を出したい」と思わせる為の嘘に気付けば、いくら身内のおっちゃんと言えど腹が立つのではないでしょうか。そしてそんな嘘に騙されたおっちゃんの存在を知った周囲が、姪を批難するのは至極当然の流れだと思います。私には佐々木さんが「騙したのが身内のおっちゃんなら何ら問題ない」と仰られているようにしか見えないのです…。そんな馬鹿な話がまかり通るのであれば、世の中の詐欺は無くならないでしょうね。
稲畠 康 概ね同意ですが、個別包摂とはいえ間にサービス提供事業者(本件ではLiverty)が入っている訳で、「おっちゃん」と「姪」の間で話せばいい話と言う下りに疑問があります。
小林 啓一 私も次長課長の河本さんの件とstudygiftの問題はほとんど同じく(Twitter風に言うなら公式RTする様に)感じていました。
これって例えば子供が自立した夫婦の片方が亡くなった時、残された方が再婚する事に親族が反発してしまう話と同じと考えています。
つまり日本社会では成人でさえ個人としての自立が得られず、私で解決すべき問題と公で解決すべき問題の線が引けない、判断できない。
しかもそれに対して、それこそ非当事者が当事者の問題にずけずけと土足で入り込んで、さもしたり顔で持論を押し付ける。
こういう嫌らしい社会にしない様、個々人の当事者性を高めるにはどうしたらいいでしょうかね・・・?
佐々木 俊尚 叩きやすいものを叩く。叩かれてるものを擁護すると、「今さら何擁護してるんだ佐々木は、バカじゃないの?」という反応が湧き出てくる。ドヤ顔で勝ち馬に乗る連中が大量に湧き出てる。
おおつね まさふみ 「誰にでも叩く理由があれば叩く自由は有るよね?」って話なんですが、批判者ウザいっていう話だったのかな?
河村 明 当事者でないものはもの言うな、という考え方は当事者性を高めるのと、逆のところにあるような気が...違和感を感じました。
荒巻 里江 少し気になったのですが、佐々木さんは『問題点を指摘して批判すること』と『ただやみくもに叩くこと』を一緒くたにされてませんよね??? studygiftに対して批判的な意見は『すべて悪だ』と思われてませんよね??? 汚い言葉を吐き捨てるだけの人間も勿論います。しかしstudygiftを批判している人間全てが、ただ勝ち誇りたくて、ドヤ顔をしたくて、運営側に行動を起こしている訳ではないのです。佐々木さんに言わせれば『これは当事者だけの問題だから周りが口を出すな!!』ってことなのかもしれませんが、(揚げ足をとるようで非常に申し訳ないのですが、)もしそうであるなら『非当事者である佐々木さんがstudygiftに関して擁護的な意見を述べられたこと』にも違和感を感じざるをえません。個人的には、改善すべき点を完全に無視して、盲目的に運営側を擁護されるのは少し危険なのでは、と思います。
Shuichi Asai 恥ずかしながら、個別包摂という言葉は初めて聞いたのですが、「個別」と「社会」という分け方が、そこまでデジタルにできなくなってきてるのではないでしょうか。人の姪のことでも、親しい家族以外の人でも、アドバイスする可能性があるでしょ?インターネットでおおっぴらにやられると、なんでも身近に感じてしまうんですよ。コンプガチャ問題も、同じようなもんでしょ。みんな、コンプガチャなんてやっていないのに、嫌悪感を持つ。インターネットに人間がいる以上、このような現象が避けられないので、これを考慮してリスクヘッジするか、覚悟して強行突破するしかないのではないでしょうか?
Shuichi Asai あと「ドヤ顔で勝ち馬に乗って、したり顔している連中」は佐々木さん側にも沢山いますよね。
木下 孝二 生活保護の件、社会包摂の不正利用という1事例にすぎない。学費の件は、個別包摂を依頼する側の本人、仕掛人の当事者性が不足してましたね。「投資」ではない借金や資金支援というのは財布の中身やネガティブ情報も十分に相手に晒す必要がありますから、パブリックな場で募集しようとすれば当然それらを全公開する覚悟が要る。中途半端に情報量を抑えようとしたから、支援要件としての情報量を満たせなかった。
木下 孝二 やまもと氏は「学業支援という未成年中心の支援に機微情報全公開の手法はふさわしくない」と述べていてそれに同意するわけですが、佐々木さんも述べている既存のクローズド(親類)から一歩だけ進んだ、クローズドなソーシャルグラフ上での支援というのが、「一歩先のネット時代の支援」の形ではなかったかと思います。studygiftはいきなり全公開ですから、ちょっと勇み足が過ぎたかなという印象です。
最上 雄太 確かに叩く事自体が目的の人も散見されるので、イライラされるのも、ニュートラルを保つのが大変なのも分かりますが、勝ち馬とかドヤ顔とかいう言葉が出てくる事自体に驚きです。叩かれてるとか周りがどうとかではなく、それこそ極めてニュートラルな視点から感じた事を僕は言っただけですし、ほとんどの方も同様なのでは。論点ずれるのでこの辺にしておきます。
佐々木さんの論考には賛同しかねます。なぜなら、佐々木さんが個別包摂という概念を持ち出すのであれば、Studygiftでは支援者と被支援者との関係が、おじさんと姪のような信頼性が担保される関係には無いからです。ネットの時代の個別包摂だからといって支援者に寛容を求めるのは、支援者にはあまりに酷な話でしょう。
そもそも包摂とかコミュニタリアリズムとか、そんな複雑な概念で論考するような深刻な事案でしょうかね?私には小難しい言葉を意図的に多用して御自身の主張「出したい人が出せばいい」の正当性を守ろうとしているようにしか読めないのですが。
やまだ まさゆき 個人的には「親戚のおじさんが、懇意にしてるキャバクラの女店を持たせたいけど、身銭で賄うんじゃなくて、「この子の夢を叶えてあげたいので、ちょっと金をくれないかな」って言ってきたって印象。
てめーの女なんだからてめーで金出せよって思うし、どうみても「かわいそう」だからじゃなくて、下半身問題にしかみえないのを「かわいそう」という綺麗事を全面に押し出そうとしているから問題視されているのだと思う。
「ばれなきゃオレオレ詐欺ってOKなの?」という書き込みがあるのだけれども、studygiftで今回提示されている案件は血液型占いを本気で信じている人だって「あー・・・これは」って気づくくらいの作りになっていると思うのね。オレオレ詐欺なんか比較にならないくらいにユルいというか最初から、ぐぐたすで有名になったおねーちゃんがiPhone持ってインドなうにお金出してね☆(・ω<)だっていうのは誰の目にも明らかなのに綺麗事で押し通そうとするから、切り込み Permalink | 記事への反応(1) | 11:15
総論で言うなら、言論の自由があるから言いたいことは言えばいいし、盲目的に他人に発言するなというのは理由がどうであれ微妙。
取材しないで正当な論理なしに批判するなという考え方には一理あるが、であるならば、元増田がどのまとめブログがどのように取材していいないかをまず取材して、
自分が言うようにきちんと合理的に批判ではなく指摘をすべき。そして、もちろん署名記事にして反論を受け付けるべきだろう。
それをしていない時点で、結局全部同じ穴のムジナで愚痴を言い合っているだけだから、堂々巡りだと思う。という話です。混乱させてすみません。
あえていうなら、『お前が言うな』という権利は誰にもなかろ。別段誰が言ったところで、正しい指摘は正しいし、間違っている指摘は間違ってる。
ただ、間違っている人間に、間違っていると言われると、言われた人間がムカツクという、『言われた人間の感情論』でしか無く、言った人間が悪いわけじゃない。
この場合出来るのは、言った人間にお前も直せ。と指摘し返す事は正当だが、お前が言うな、というのは感情論だから正しくない。
※俺もできていないけど、お前もできてない。というのは別におかしい指摘ではないから