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はてなキーワード: 言論の自由とは

2012-03-22

銀行家がデモを煽る理由

561 ソーゾー君 [] 2011/10/14(金) 12:40:17 ID:ykETALuMO Be:

銀行家がデモを煽る理由を書く。

1まだ知り始めた覚醒寸前の不穏分子纏めて刈り取る為。

2まだ知り始めた覚醒寸前の不穏分子を間違った方向に誘導する為。

3暴徒化させて政府法改正と鎮圧の大儀を与える為。

1と2は3に連動する。

主たる目的は3である

暴徒化は簡単に出来る… 

利子や発行権等の核心部分は触れずに綺麗事を語り無知な連中

覚醒寸前の無知に囁きデモに参加させる。

一般の参加者は石投げたり殴ったり等の行為をする気はないのだが

デモに紛れ込んだゴロツキが石を投げて銀行ガラスを割れば立場は逆転する…

犯罪者を批判し真実を訴えるデモなのにガラスを割られた犯罪者被害者になり

警察デモ参加者を暴徒=犯罪者として捕まえる…

そして何故か絶対に捕まらない主催者がまた煽るわけだ…

「不当な逮捕だ!若者よ立ち上がれ!」と勇ましく最後列の一番安全場所ワイン飲みながら煽る…

で…煽られた無知正義感がある馬鹿が刈られるわけだ…

無知正義感がある馬鹿必死に抵抗すればする程、法は強化され鎮圧も過激になっていき言論の自由は無くなる。

「石を投げるゴロツキはどこで雇われるのか?」

「そこら辺の酒場毎日居るゴロツキにお小遣い渡してるだけだよ…」

「なんでゴロツキは酒場に入り浸ってるか理解した?裏稼業の職安なんだよ…」

まだ時期ではない「知人に伝えて選挙に行く」を続けろ。

物理的に集まるな…大衆が知る事で意志がまとまり巨大な戟になる。

デモをさせて小さな戟を各個撃破するのが銀行家ね戦略だぜ?

数で劣る銀行家ならではの戦略だ…

数が圧倒的に多い俺達はただ真実を伝えれば良い。

知れば意志勝手にまとまり銀行家を貫く巨大な戟になる。

詐欺師は知られたら終わりだからな。

黒幕銀行家4

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/9191/1329613996/

2012-03-13

思考実験

コミックLO絶版を勧告する ←表現の自由侵害だと思う

資本論絶版を勧告する ←言論の自由侵害だと思う

ゴーマニズム宣言絶版を勧告する ←思想が左右入れ替わっただけで、一つ上とやってることは同じ

我が闘争絶版を勧告する ←自由主義国でも一部やっている国はあるが、ごく限られた事例ではある

新しい歴史教科書絶版を勧告する ←なので”作る会”の歴史認識に関しては同意しないが、この書籍に関しては若干の疑問を感じる

2012-02-06

http://anond.hatelabo.jp/20120206184948

「バカ、アホ、マヌケ」って相手を罵って、実名に辿りつかれたら遁走とか、ヘタレもいいとこだろ。

きちんとした議論を実名訴訟をちらつかせて恫喝する、メガネ王みたいなクズは論外だが、佐々木氏に実名と社名で封印された「彼らの主張」ってなんなんだよ?

匿名の卑怯者で「馬鹿」だと罵り、顕名になったとたん手のひら返す奴が行使する、「言論の自由」ってなんだよw


世の中の人間はみな匿名の卑怯者として著名人罵倒する権利があんのか。

それを保障しないと、言論じゃないってか。

馬鹿か?

2011-11-10

http://anond.hatelabo.jp/20111110184403

いったい犯人は何者なんだろうな

TPP米国陰謀らしいか

落書き首相脅迫したのはやっぱり中国工作員かな

日本スパイ天国らしいし、まさか同胞の犯行じゃないだろう

これで明日参加見送りを表明したら

野田は命ほしさに政策決定した男として一生涯バカにされるだろうし

我が国の独立性や言論の自由も疑われることになるだろうな

2011-11-03

サヨク絶滅させたい

サヨクウザイから絶滅させたいのが本音だけど、一方で言論の自由は守らないといけないというジレンマ

自分たちの信条のためならポルポト中国のような自国民虐殺もためらわないサヨクには出来ない悩みだけどさ。

2011-10-12

http://anond.hatelabo.jp/20111012190739

横だが。

セカンドレイプってのはそういう物でしょ。

被害者が、さらに心痛を覚えたら、それはもうセカンドレイプなんだよ。

なにも報道表現物だけに限らない、裁判もそうだし、世間の噂話も同様。

ここで噂は、被害者当人の物である必要はない。

全く別の他人がレイプ被害にあった、という噂話でさえ十二分にセカンドレイプ


言論の自由」には何も反してないよ。

特定の表現を「セカンドレイプ」だと定義したところで、権力機構警察等)につかまったりしない。

それは言論の自由に反しているし、講演して回っている被害者ケンカ売ってる?!

http://anond.hatelabo.jp/20111012185455

全体的に意味がわからない。

自分の中で決めた事=事実みたいに話すから

あなたがそう思うのは勝手だけど、それを押し付けられたら、困惑する人はいるでしょう。

2011-09-06

仮名(pseudonym)に関する議論 by ジリアン・ヨーク

EFFのこの記事をざっくり訳した。訳の正確さはまったく保証しない。素人の雑な訳です。ちゃんと読みたいひとは原文参照すること。pseudonymはとりあえず「仮名」にした。

A Case for Pseudonyms (Commentary by Jillian York)

https://www.eff.org/deeplinks/2011/07/case-pseudonyms

pseudonym (スードニム) 名詞:著者が身元を隠すために使用する架空名前ペンネーム

個人が生来名前とは別の名前を使いたいと考える理由は無数にあるだろう。生命や生活への脅威への配慮もあるだろうし、政治的、経済報復へのリスクがあるかもしれない。人種差別の防止を望んでいることもあるだろうし、生活文化圏で発音や記述のしやすい名前を使うこともあるだろう。

オンラインではさらに理由は増える。インターネットカルチャーでは、オフラインでの人格と結びついているかもしれないし結びついていないかもしれない「ハンドル」や「ユーザ名」を使うことが長い間推奨されてきた。古くからオンライン住人のなかには20年以上使っているハンドルを持つものもいるだろう。

仮名での発言は歴史的にも重要役割果たしてきた。ジョージ・エリオットマーク・トウェイン文学的偉業、ザ・フェデラリスト論文でのパブリアス政治的主張、18世紀ロンドンでのユニウスのパブリックアドバタイザー紙への寄稿。人々は仮名の下で公の論議に大きく寄与してきたし、今日に至るまでそれは続いている。

Google+の身元確認ポリシーからオンラインプラットフォームにおける仮名性に関する新たな議論が持ち上がってきた。Google+ユーザに「友人、家族、同僚が普段呼ぶ名前」を使うことを要求する。このポリシーは、Facebookの「本名と実情報提供せよ」という要求と似ている。Googleポリシーは、Google+の開始から数週間で同コミュニティーの内外両方から大きな注目を集め、ソーシャルプラットフォームアイデンティティに制限を加えるべきかどうかという議論に火をつけている。「Skud」という名前を使っていたことによりGoogle+から追い出された元Google社員、キリリー・“Skud”・ロバートの詳細な記録によれば、すでにかなりの人数のGoogle+ユーザがこのポリシーに基づくアカウント停止を受けている。

ソーシャルプラットフォームでの「実名」支持者は多くの論点を示している。実名ユーザの行動を改善し、より文化的な環境を生み出す。実名であれば攻撃者を追求することが容易になるのでストーキング嫌がらせを防ぐ助けになる。実名ポリシーがあることで、ユーザ監視のために当局がサービス内部に「侵入する」ことを防げる。実名によってユーザは行動に責任を持つようになる。

これらの論点にまったく意味がないわけではないが、問題を間違った方向から議論している。厳格な実名ポリシーの支持者は、実名使用を主張するポリシーに良い面が一つあることを示せばいいのではない。彼らはこれらの利点が、いくつかの非常に深刻な問題より重要であることを実証する義務がある。

例えば、数千人の人々が1月蜂起に参加するきっかけになったFacebookページ「We Are All Khaled Said」を作成した著名なエジプト人、ワエル・ゴニム氏のことを考えてみよう。ページが作成されたのはハリド・サイード警官によって殺害されてからすぐの2010年夏だったが、ページが本当に勢いを得たのはその年の後半だった。しかしその後も抗議運動の中で存在感を得るのは難しかった可能性もある。2010年11月管理者(今ではゴニム氏だと知られている)が仮名を使っているとの報告によってこのFacebookページは停止された。Facebookは「身元の明らかな」人物が介入することによる解決を提供することができたが、ゴニム氏はFacebookスタッフと連絡をとって解決することができたためこの件は非常に特殊な事例となった。誰もがこのようなコネクションを持っているわけではないし、アカウント停止に抗議する方法を知らないことでどれだけ多くの人々が無視されているか知るすべもない。ゴニム氏のケースでは実名を使うことは深刻な危険を伴っていた。仮名であれば安全という保証があるわけではないが、仮名は当局による活動家の追跡を大きく困難にする。

個人が本名以外の名前の方が安全に感じられる理由は無数にある。例えばLGBTコミュニティティーンエイジャーはオンラインでいつも嫌がらせを受けるので仮名を好むかもしれない。政府のために働く配偶者パートナーを持つ人や生活を隠したい有名人は、オンラインでは別の名前で行動するほうが安心だと感じるかもしれない。家庭内暴力から逃れている人は加害者から発見されないために、部分的または全面的な別名の使用を望むかもしれない。非主流派の政治見解をもつ人は仮名を使うことによって生活を危険にさらさずに済ますことを選択するかもしれない。

マッキンタイア対オハイオ選挙委員会裁判でジョン・ポールスティーブンス最高裁判事が提案したとおり、

匿名性は多数派による暴虐からの盾である。よって匿名性は権利章典、また特に米国憲法修正第一項の本来の目的不寛容社会において個人を報復から思想を抑圧から守ること、を体現している。匿名である権利詐欺行為に悪用されるかもしれない。政治発言はその性質上、時として不愉快な結末を迎えるが、一般的に我々の社会言論の自由の悪用による危険よりもその価値に重きを認める」

「本当の」名前を使うことと同様に、「本当の」名前の使用の強制も、考えを明らかにすることによる被害を恐れる人々によって対話から排除されるという、現実的な結果を招く可能性がある。実名が対話の「文化度」を上げるかもしれないことに価値を見出す人がいる一方で、それは間違いなく多様性を損なう

ギークフェミニズムブロガーたちは、実名ポリシーの被害にあっている人々Wikiにまとめることで、個人がなぜ本名以外の名前の使用を許されるべきなのか何百もの可能性ある理由を示している。このリストに示された多くの例が安全のために仮名を使用している危険に晒された人々を説明しているものの、他にも仮名を選択できるべき重要な理由がある。

Michael Anti氏の例を見てみよう。彼の本名Jing Zhaoで、中国人ジャーナリストだ。おそらくは何者かが生来名前を使っていないと報告したことによって、2011年1月に彼はFacebookから追い出された10年近くニューヨーク・タイムズ等で「Michael Anti」のペンネームを使っていたにも関わらず、Facebook実名ポリシーの厳格な強制を主張した。

Google+でも、誤判定があるとして、アカウントの即時停止ではなく、ユーザに警告を与え名前を変更する機会を与えるように処理手順を変更すべきだと促す動きがでている。

「本当の」名前を要求するポリシーを大規模に実施するのはほぼ不可能だし、多くの例が示すように強制は著名人や敵を持つ人々に対して不当に使われることが多く、またそれはコミュニティ監視機構の結果として生み出されやすい。

GoogleであれFacebookであれ、その他の企業であれサービスに適合していると思われるポリシー作成する権利がある。しかしこれらの企業多様性表現の自由犠牲にしておきながら、「実名ポリシーがより文化的な態度を生むと主張するのは浅はかだ。「本当の」名前を要求するポリシーへの移行はオンラインでの表現の自由を萎縮させるだろう。

2011-08-17

個人主義のはなし

北海度のキャラクター長万部まんべくん戦争に関するコメントをして、運用会社契約をとかれ、twitterアカウントは停止となったという。おそらく停止にいたるまでは、また現時点で役所等には色々と意見がよせられているだろうが、マスコミがとりあげる情報は、ただそうした状況の描写にとどまっている。民主主義国家である以上、言論の自由を尊重し、意見を交換し、またメディがそれをフォローするのが当然だと思うのだが、どうも日本ではそういうことはおこらないらしい。

なぜこういうことがおこるのだろう。日本に暮らす友人は、震災原発事故をうけてなお、人々は社会的沈黙をたもっている日本国民の有り様に違和感を感じると伝えてくれた。なぜ、日本の人々は喋らなくなったのだろう。私は、90年代から興った個人主義を軸にしてとらえることはどうだろうかと思う。

日本における90年代(起源としては、70年代のいわゆる革命闘争の敗北以後)の個人主義の高まりは、高度成長期バブルを抜け、さらなる発展をシステムへの依存から脱却することを願ったというマクロな視点と、日本社会に横たわる社会的な慣わしを越えて個人の人となりを尊重しようという人権ミクロな視点、こういったものがあわさっていたのだろう。だが結果としてはこれを小泉政権を象徴とした資本原理主義に射貫かれてしまった。「自己責任論」という奇妙な言葉は「下手なことやったら自分自分の尻ぬぐえ、誰も助けてくれんで」と日本国民に語りかけ、それが日本社会の通念として起上げてしまった。儲けれる人間がその立場をとどめるには、儲けれられない人間をそこから動かしたくなかったからだろう。

本来、90年代個人主義の高まりは、先の通り社会(人と人が共に助け合う集まり)に決して抗うものではなく、先の通りむしろその発展を願ったものであったろうが、資本原理主義者たちの言動のもとに用いられる個人主義は個人を社会から引きはがし、国民沈黙絶望を与えてしまったのではないか。「沈黙は金」とは例え言葉であって、決して直接に儲かる,儲からないと関わる言葉ではないはずだ(同様にTime is money.のproverb。)。この沈黙は結局状況として既得権益を持つものを利し、システムの脱却を願った90年代個人主義の高まりとまるで逆な状況をつくりだしているのではないか

まんべくんの件は、こうした日本社会の有り様を端的に現しているように思う。自虐史観にせよ正当史観にせよ、議論しつづけるという行為そのもの重要であることは、いうまでもない。歴史とは私たちがつくり積み重ねていくものなのだから

またこうした「他者」への向かい合いを尊重する雰囲気こそ、全てを失い、光明を得ず、路傍にいきつく人々、あるいは教養を得る機会にめぐまれず育った人々をうけいれ、共に生きようという社会をつくりあげていく、礎になると私は信じる。

2011-07-28

よんでますよ、ニーメラーさん。

山本太郎が干されたときには「原子力村の圧力だ!」「言論の自由はないのか!」とか言ってた奴が、

高岡蒼甫が事務所クビになった件については「取引先の悪口言ったらクビになるの当たり前だろ」と言ってる。

君が代訴訟の時に「思想の自由を否定するこの国の司法おかしい!」とか言ってた奴が、

今回の件では「Twitter揉め事起こすような奴が処分を受けるのは当然」と言ってる。

逆に、山本太郎君が代訴訟の時に「処分は当然」と言ってた奴が、

高岡の時に「韓国の圧力だ!」「言論の自由を守れ!」とも言っている。

自分と同じ意見の人が処分されたら「思想の自由の侵害」だと言いながら、

自分と違う意見の人が処分されたら「社会ルールとして当然」と冷笑する。

右も左もこんな程度の低い奴らばっかりなら、この国に人権なんて必要ないよねー。

2011-07-18

http://anond.hatelabo.jp/20110718212146

アメリカは「国旗保護法は言論の自由に反する」と言って違憲判決が出た国だけど、

同時に「ヘイトスピーチ規制言論の自由に反する」という判決が出た国でもある。

どのような言論であっても、憲法のもとに自由が保障されるのがアメリカ

逆にフランスでは国旗損壊罪が定められてて、公の場でトリコロール侮辱すると罰金刑を受ける。

ヘイトスピーチ規制されていて、差別的言論をすると罰せられる。

社会有害とみなされる言論は規制されて罰せられるのがフランス

日本は今のところ、国旗損壊もヘイトスピーチも罰せられないけど、

業務命令違反表現の自由より重い、というのがこないだの最高裁判決だな。

ある意味、それぞれのお国柄をよく表している。

2011-05-26

民主制における政治家の役割。

民主制において、政治責任を背負うのは有権者全員である政治家が、勝手に物事を決めてしまい、その責任だけを有権者である国民が背負うというのでは、任期制の王制と変わらない。民主政体における政治家の役割は、有権者コンセンサスを形成する事であり、独裁をする事ではない。戦後、2回以上の解散総選挙を行って連続して信任を得た首相は、吉田池田佐藤中曽根小泉の5人だけであり、これらの権力者は、独断専行をやれる立場にいながら、私利私欲の為にそれを望む官僚や同僚議員、支援者からの要求を、世論に諮ってからでなければやれないと、拒絶する事に多大な労力を費やしていた。

それゆえに、国民からの支持が集まって、二度目の解散総選挙においても支持を得られたと言えるし、二度目の選挙で勝った後でも、独断専行を避け、国民主権を実現する為に働いた為に、任期満了によって辞任した後でも、政界において多大な影響力を残せるようになっていった。

独裁者になれるのに、その権力自分達の為に使ってくれなかったという逆恨みを持つ者は官界を始めとするあちこちの業界に居るが、それらは少数派である。それらの口車に乗って便宜を図っても、国民からの支持を失って地位を奪われるだけという実例が沢山あるのに、それをやってしまうというのは、学習能力が無いか自分だけは大丈夫という過信があるかのどちらかであろう。国民主権という本質を理解していないだけなのだが、そこに、過信や無能が加わると、悪影響は留まるところをしらない。

政治家自分の頭で判断して、正しい結論が出せるというのであれば、王制でやっていける。それができないほど、世界が広く、社会が複雑になっているから、王制でも貴族制でもない、民主制が必要とされている。民主制によって選ばれた議員は、人民代弁者であって、頭脳はない。代弁する為には、人民の声を聞かなければならず、声を聞くには、十分な情報の公開と、議論の記録によって、堂々巡りや不確実な情報による憶測を排除していかなければならない。

情報の公開と言論の自由、そして、議事録記録と公開は、国民意思表示を求める際の、必要条件である。争点を形成し、民意を問うという技術こそが、選挙で勝つ為の技術なのだが、利権を独り占めして選挙区にバラ撒きをやりたいという目的においては、それらは邪魔な事となってしまう。

日本民主党は、社会主義者と自民党を追われた土建族の野合政党であり、どちらも、民主主義とは相容れない体質であり、民主主義国家与党には、ふさわしくない。独裁しておいて、頑張っていると主張しても、その頑張る方向性が明らかに間違えている以上、国民は認めない。民意を形成するという手続きを行わなければ、国民の支持は得られない。これは、政治だけでなく、事業においても同じである。良い製品を出荷し続けていても、それだけでは国民の支持を得られない。民意を味方につけなければ、外資系企業と同じ扱いにしかならない。

社会に受け入れられるという事に価値を見出せない限り、その政権や事業が行っている事は、独り善がりの暴走しかない。

2011-04-11

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110411-00000017-pseven-pol

政権ネット規制強化 国民をもっと信用すべきと専門家指摘

政権は長く問題点が議論されてきたコンピュータ監視法案を、震災のドサクサの中で閣議決定した。 これは捜査当局が裁判所捜査令状なしでインターネットプロバイダに特定利用者の通信記録保全要請できるようにするものだ。

指宿信・成城大学法学部教授はこう指摘する。

「当局が通信傍受を行なう場合組織犯罪に限るなど厳しい制限があり、国会報告も義務付けられている。しかし、この法案はやろうと思えば誰のネット通信記録でも安易に取得されてしま危険性がある」

この法案の閣議決定と歩調を合わせるように、警察庁ネット上の「デマ規制強化」に乗りだし、名誉毀損などで摘発も検討する方針を打ち出した

警察庁OB大貫啓行・麗澤大学教授が語る。

ネット掲示板にはデマも多いが、それをデマだと打ち消す情報もある。大震災原発事故にかかわるネット情報が氾濫していることに、捜査当局がパニックになって冷静な判断ができていない印象がある。言論の自由が浸透する日本国民をもっと信用すべきです

週刊ポスト2011年4月22日

夏休み最終日に積み上がった宿題を前にして現実逃避で部屋の掃除をし始めるイメージ

2011-04-09

いそのー、言論の自由言論の自由

規制は賛成だが

規制派は「考えるのも口にするのも許されない」と考える人です』は電波だぞおいおい

せめてその前に「一部の」とつけなさいな

http://anond.hatelabo.jp/20110409015335

2011-03-20

http://anond.hatelabo.jp/20110320200615

許されないから、手当たり次第にそういうやつら訴えていけばいいと思うんだ。

言論の自由より公共の福祉

表現の自由より公共の福祉

有村とか一部の過激な奴は徹底的に弾圧すればいいと思うよ。

それも自由()だろうからねw

卑怯者が”言論の自由”を免罪符として利用するのが腹立たしい

言論の自由」を「免罪符」のように盾にするのはいかがなもんですかね?

人に迷惑をかけた場合,「言論の自由」って叫べばなんとかなるって思ってるでしょうか?

問1. 

言論の自由」があれば人に迷惑をかけても許される。

これは正しいか,間違っているか

みんなでじっくり考えてみましょう。

2011-03-06

QBUstreamに対してソラノートアカウント停止を要望してよ!」

やあまどか、ひとまずコレを見てくれるかい

『ソラノート番組フランチェス子さんをどう扱ったのか? - 情報の海の漂流者』

http://d.hatena.ne.jp/fut573/20110305/1299333484

コレを見てキミはどう思うかい?「こんなの絶対おかしいよ!」うん、そうだね。ぼくもそう思うよ。

ちなみに上記の「そらの的あさのニュース」(http://www.ustream.tv/user/ksorano)で配信された内容はさ、

Ustream利用規約http://www.ustream.tv/terms)の9.a.7に反している可能性があるんだ。

違法わいせつ有害脅迫的、嫌がらせ名誉毀損、もしくは不快感を与えるユーザー投稿もしくは不快感を与える対象もしくはシンボルを含むユーザー投稿、第三者のプライバシー侵害するユーザー投稿ヌードポルノ性愛作品、児童ポルノまたは児童性愛作品を含みますが、これらに限定されません。)を含むユーザー投稿、虚偽的、脅迫的、もしくは虐待的なユーザー投稿違法行為を誘発するユーザー投稿名誉を毀損するユーザー投稿、中傷的、低俗、もしくは暴力的なユーザー投稿差別発言となるユーザー投稿、または、その他当社が不適当とみなすユーザー投稿を、本サイトまたは本サービスを通じて、アップロード、配信、電子メール送信その他の方法により送信すること。



もしキミがこれらの内容をひどいと思い、もしくはこれらの行為がUstream利用規約違反していると思うなら、

キミはUstreamに対して違反報告を行うことができる。

一個人を標的とした侮辱行為、名誉毀損行為、ネットリンチに対して、はっきりと拒絶を突きつけることができる。

もちろん、最終的に判断するのは運営なんだけど。

キミにはそのチカラがあるのだから

から

ぼくと契約してUstreamに対してソラノートアカウント停止を要望してよ!

やり方はカンタンだよ!

Ustream運営にメールして、ソラノートアカウント利用規約違反している可能性がある事を知らせればいいのさ。

mailto:japan@ustream.tv

えっ?

そんなやり方は酷いって?

そんなのただの虐めだって

違う。全然違うよ。


表現の自由言論の自由報道の自由というのは万民に認められている。

それはメディアであろうと一個人であろうと同じなんだ。

そして表現の自由というのは

「何を表現しようとその自由は保護される」

ということなんだけど、

「何を表現しようとその結果起こる自分に関する不利益から保護される」

ということではないんだ。

メディアであろうと個人であろうと、自分の行為によって生じる結果には責任を持たなくちゃいけないんだ。

から、ソラノートが放送した内容が、利用規約違反していると運営が判断した場合

アカウントが停止されるのはごく当たり前のことなのさ。


えっ?

それでもやっぱり酷いと思う?

やれやれ、キミたち人間はいつもそうだ。

自由が大事、表現の自由はすばらしい表現の自由を守れと言いながら自由が持つもうひとつの側面に目を向けようとしない。

自由に行動した結果、そこには義務や責任場合によっては処罰を負う可能性があると考えようとしない。

責任というものを回避して自由だけ手に入れようともがく。

けがからないよ。

そんなの不可能に決まってるじゃないかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

2011-02-21

http://anond.hatelabo.jp/20110221074426

そんなわけで、右派系な人のブログで、過去石原知事の発言を、

言論の自由の観点でしか擁護してない人、総合的な政治手腕の点から消去法で

石原さんしか投票する選択肢がない、とか言ってた人、そんな人はたぶん情強だ。

ネットを一切見ない還暦過ぎのうちの親父がまさにそういう態度(「言論の自由」なんて言ってないが)だが

うちの親父は情強なのかい

逆に、問題発言が報道されるたびにマスコミに憤激してる人はネトウヨ可能性が高い。

そんなのあんまり見た事がないんだけど。

かなり保守傾向が強いタイプ2chまとめサイトでも

慎太郎の個別の発言にはボケ老人だの老害だの言ってるし。

過去、問題発言が話題になるたびに、ウヨは「マスゴミ恣意的に発言を切り出してる」とか怒ったけど、

実は石原知事の発言をノーカット生放送(今回のは雑誌記事だけど)するとこういうことになる、

というのはわりと知ってる人は知っていた。

別に秘密でもないことを「限られた情強の俺達だけはしっていたが!」と騒いでるようにしか見えないし

あなたの脳のミラーニューロンで作り出したネトウヨ」と取っ組み合ってるようにしか見えない。


ネットの若年層にせよ

ネットの年配者層にせよ

はてなーたいタイプがまとめて

ガチガチ保守」「強固な石原支持者」とみなしてる人達

論点次第では石原不支持に説得することは十分可能だと俺は見る。

が、はてなーたいタイプは彼らには敵対したり見下したしたいのみで

疎通したり理解しあったりしたいとは思ってないから絶対そうはならない。

週刊ポスト石原知事記事

ああ、ついにマスコミ石原知事を見放したか、と思った。

過去、問題発言が話題になるたびに、ウヨは「マスゴミ恣意的に発言を切り出してる」とか怒ったけど、実は石原知事の発言をノーカット生放送(今回のは雑誌記事だけど)するとこういうことになる、というのはわりと知ってる人は知っていた。

生の発言からだけじゃなくても、大きな話題にならないレベル報道された「石原知事の発言」と事実関係を細かくチェックしてたりすると、ね。

そんなわけで、右派系な人のブログで、過去石原知事の発言を、言論の自由の観点でしか擁護してない人、総合的な政治手腕の点から消去法で石原さんしか投票する選択肢がない、とか言ってた人、そんな人はたぶん情強だ。逆に、問題発言が報道されるたびにマスコミに憤激してる人はネトウヨ可能性が高い。

もっとも、一番頭が痛いのが、次の選挙でもやはり他の選択肢が無さそうなことなだが

2011-02-06

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4643357.html

首相英国での多文化主義は失敗」

 イギリスキャメロン首相は、国内の若いイスラム教徒が過激思想に走るケースが相次いでいることを念頭に、イギリスでの多文化主義は失敗したと述べました

 「多文化主義国家のドクトリンは、様々な文化がお互いに干渉せず、主流文化からも距離をおいて存在することを推奨してきました。そうした、いわば隔離されたコミュニティが我々の価値観と正反対の行動をとることすら許容してきましたイギリス キャメロン首相

 これはキャメロン首相が訪問先のドイツで行った講演の中で発言したものですキャメロン首相は「イギリスでのこうした文化主義は失敗した」とした上で、異なる価値観を無批判に受け入れる「受動的な寛容社会」ではなく、民主主義平等言論の自由、信教の自由といった自由主義価値観を積極的に推進する「真のリベラル社会」を目指すべきだとの考え方を示しました

 イギリスでは、イスラム過激思想に感化されたイギリス育ちの若いイスラム教徒によるテロテロ未遂が相次いでいて、大きな問題となっています。

 こうした問題の背景には若いイスラム教徒の一部が、イギリス社会に同化しきれていないことがあるとの指摘がなされていますが、キャメロン首相の今回の演説は「多文化主義」が同化を妨げてきたとの認識に立ったものです。(06日07:21)

ドイツに引き続きイギリスでも。

参考:http://anond.hatelabo.jp/20101019222600

2011-01-18

問題多いTVゲーム有害指定」~編集者奈良原士郎氏の書いた本文

togetterが見難くて仕方ないのでまとめてみた。

http://togetter.com/li/90222

昔書いた記事→問題多いTVゲーム有害指定」』 完全版は左記リンクから購入できますが、5年前の記事ですが、この後どうなったのか、これからのことを考えるのに有用だと考え、僕が書いた本文だけは公開しちゃいます。

 今年5月、あるテレビゲームソフト神奈川県で「有害図書類」の指定を受けた。地方自治体条例で規定される有害図書類指定とは、悪影響となる恐れがある書物・映像作品を、18歳未満の青少年に販売することを禁止するものだ。

主に成人誌など性的表現を扱う媒体になされてきた措置で、テレビゲームソフトを指定したのは、神奈川県が全国で初となった。

有害指定」を受けたのは、米国ロックスターゲームス社が開発したグランド・セフト・オートⅢ」(GTAⅢ)。日本国内ではカプコンが「大人のエンターテインメントの形成を狙い」、

プレイステーション2用のソフトとして2003年に発売した世界で1000万本売れている大ヒット作で、国内での販売数は35万本とスマッシュヒットとなっている。

ゲームは、マフィアギャングの依頼で盗みや殺人破壊工作を含むさまざまなミッションをこなすというストーリーで、「バイオレンスアクションゲーム」というジャンルに属する。

GTAⅢが「有害」とされた理由は、これまでのような性表現はなく「暴力・残虐表現」なのである

 テレビゲームは通常、ゲームの本筋から外れる動きはできない。モンスターを攻撃することができても、それ以外の対象を攻撃したり、商店を襲って商品を強奪することは不可能だ。

しかし、GTAⅢはプレーヤー自由度が非常に高く、本来マフィアと戦うはずの主人公が、意味もなく通行人射撃したり、バットで殴りかかったりすることができる。究極的な高いリアリティーを誇っており、そのゲームシステムは当時高く評価された。

 家庭用ゲーム業界団体であるコンピュータエンターテインメント協会(CESA)は毎年、優れたゲームソフトを表彰しているが、GTAⅢは03年度の優秀賞3作品のうちの一つに選ばれたほどだ。

ところが、過激な暴力表現を含むその内容は倫理観などの観点から物議を醸し、青少年がこうした内容のゲームをプレーすることで、何らかの犯罪を誘発するのではないかとの声が一部で囁かれ始めた。

これらの声は、GTAⅢのヒットとともに大きくなり、主に児童保護団体などが自治体規制を呼びかけ、神奈川県による有害図書類指定へと結びついたのである

規制必然性は 十分に議論されたか

〝残虐ゲーム規制〝の動きは各地へ波及している。神奈川県に続いて埼玉県9月GTAⅢを有害図書類に指定。東京都大阪府京都府などもテレビゲーム規制について検討に入った。

だが行政機関による規制を問題視する意見は強い。

GTAⅢは、ゲーム業界関係者などの専門家を含まない児童福祉審議会メンバーによって、「あんな酷いもの子どもにさせるのは良くない」という、非常に観念的な基準に基づいて「有害認定」されたといえるからだ。

しかテレビゲームが与える影響について、科学的な根拠が提示されたわけではない。残虐・暴力表現を含むテレビゲームが、青少年に悪い影響を与えるか否かは、諸説飛び交う微妙なものであり、とても十分な議論を経たとは言えない。

また、わざわざ行政規制を行うことの必然性もきちんと議論されていない。

家庭用ゲーム業界は、コンピュータエンターテインメントレーティング機構(CERO)という特定非営利活動法人(NPO法人)により、ゲームの内容によって、対象年齢別にソフトを分類する「レーティング」を行っている。

レーティングによって、ゲームソフトは「全年齢対象」「12才以上対象」「15才以上対象」「18才以上対象」の4種類に分けられ、現在ほぼすべてのソフトパッケージに、その年齢以上の表現が含まれることを示すシールを貼っている。

GTAⅢも「18才以上対象」のソフトとして販売されていた。

しかし、CEROのレーティングはあくまで、その年齢層への〝推奨 でしかなく、対象年齢以外の顧客に販売することを規制するものではない。

神奈川県をはじめとする行政サイドは、この点を突き、「有効性に乏しい」として規制に乗り切ったわけだが、こうもあからさまに家庭用ゲーム業界の自主努力を無視しては、反発を招くのも当然だ。

経済的な影響もどこまで考慮されたかは疑問だ。家庭用テレビゲーム市場は、国内だけで4000億円規模の巨大なマーケットである

規制される恐れがある」という事実は、これまで、ある程度自由にユーザーニーズを追ってきたメーカーの大きな足かせとなることは明白である

任天堂ファミリーコンピュータ(ファミコン)以来20年間、家庭用ゲーム業界が年月をかけて模索してきた「面白いゲーム」が制作しづらくなるのだ。

CEROのレーティングで『18才以上対象』の指定を受けることは大ダメージ

一部の大手量販店では、『18才以上対象』のソフト最初から仕入れないところもあり、それだけで当初の見込みより販売本数が大きく落ち込むこともあり得る」。大手メーカーマーケティング担当はこう本音を語る。

「推奨」に過ぎない自主規制の枠内ですらこうなのに、行政お墨付き規制が行われたら、どのくらいの機会損失が発生するかは想像もつかない。

法的規制による「解決」で思考停止に陥る危険

拙誌の『隔月刊ゲーム批評』(05年11月号)において、お茶の水女子大学坂本教授は、テレビゲーム有害図書類指定について、以下のように問題点を指摘している。

「第一に、表現の自由侵害する。第二に、クリエーター育成の障害になる。自分仕事法律違反背中合わせの状況では、クリエーターは十分に創造性を発揮できないであろう。

第三に、思考停止をもたらす。法的規制によって、『ゲーム悪影響問題』は法律で解決するものと捉えられるようになり、多くの人々がこの問題にどのように取り組むかについて考えたり、議論することを止めてしまう」

特に注目すべきは、3点目の「思考停止である坂本教授は「ゲームに限らず、さまざまなメディア・作品とうまく付き合えるようにする『メディアリテラシー教育』を重視すべきだ」と続けている。

規制に伴う思考停止は、こうした教育の機運も損なわせる恐れがある。もう一度考えておきたいのは、「暴力・残虐表現のあるテレビゲームをプレーすることは、本当に青少年に悪影響を及ぼすのか」ということだ。

ゲームの悪影響」を叫ぶ動きはファミコン時代からあった。凶悪な少年犯罪が発生するたびに、テレビゲームマンガアニメなどと共に槍玉に挙げられてきた。

容疑者の部屋からは、残虐表現を含むテレビゲーム発見され、さらにそのゲームを好んでプレーしていたという「事実」がマスコミ報道される。

GTAⅢも今年2月大阪府寝屋川市で起きた教職員殺傷事件で逮捕された少年が好んでいたとされる。

だがゲーム機を所有していない子どもは一体どのくらいいるのであろうか。家庭用ゲーム機世帯普及率は70%以上ときわめて高く、持っていて当然である

GTAⅢと同様、残虐表現を含むとして問題視される「バイオハザードシリーズは、各作品とも国内だけで100万本クラスのヒット商品だ。

家庭用ゲーム機所持者の大半は、バイオハザードシリーズのいずれかの作品をプレーしたことがあると言っても過言ではない。本当にテレビゲームソフト子どもに悪影響を与えているのなら、少年犯罪はもっと増えることになる。

議論に参加できない青少年

技術の発展によりテレビゲーム表現や描写は、現実と見まがうほどリアルになってきた。それが現実バーチャル世界の混同を招き、ゲーム世界を模倣した凶悪な犯罪を発生させる引き金となることは、可能性として否定できるものではない。

ゲーム制作するメーカーは、こうした点も憂慮し、確たる倫理意識を持って青少年に有意なテレビゲーム提供する責任について、考えていかなければならないだろう。

また、今回の行政による規制が家庭用ゲーム業界の危機感を煽り、大きな問題提起となった側面もある。

CESAといった業界団体は、GTAⅢの有害図書類指定を受けて、明らかに18歳未満とわかる購入希望者には「18才以上対象」ソフトを販売しないなど、より強制力の強い自主規制プランを発表し、その実施を販売店各社に要請した

今後、行政と家庭用ゲーム業界の間で共に「テレビゲーム有害性と規制」について、大いに議論がなされるのであれば、今回の規制は良い結果を生むことだろう。

ただし、「臭いモノには蓋をする」だけの場当たり的な規制しかないのであれば、やはり強制的な法規制はあまりにも問題が多い。

表現言論の自由の尊重という観点や、ユーザーニーズを満たせずに産業として衰退する可能性という、経済的な視点からすれば危険ですらある。

そして議論の場に、「悪影響」を受ける対象者である青少年の声を反映させなければならない。

今回の論争は、筆者のような「大人になったファミコン世代」と「ゲームを知らない世代」ばかりが熱い論争を繰り広げ、肝心の対象者が置いてきぼりになっている。

最大の問題は、当事者を無視してすべてを進めようとする感覚はないだろうか。

2011-01-16

プライド・運命の瞬間』で表現の自由規制派が表現の自由を守れ(笑

http://ja.wikipedia.org/wiki/プライド・運命の瞬間

左派系の識者やジャーナリストからは、「右翼映画」との批判や上映反対運動が起こり[9]、製作した東映労働組合を中心に「映画プライド』を批判する会(事務局長高橋邦夫)」が結成され、公開中止を東映に申し入れたが、最終的に東映系145館の映画館において公開された[10]。

10.^ 映画演劇労働組合連合会中央執行委員長高橋邦夫)は、この映画や『ムルデカ17805』については上映に反対し、『靖国 YASUKUNI』については表現の自由を根拠に上映するように主張した[1]ことから大原康男井沢元彦などから、そのイデオロギーからの二重基準を批判されている(『産経新聞2008年4月23日)。井沢は、『靖国 YASUKUNI』では表現の自由の危機を訴え、公開への圧力や妨害を批判した高橋が、『プライド・運命の瞬間』に対しては全東映労働組合連合会の中心人物(副執行委員長)として「検閲」をおこない、「侵略戦争美化の映画」のレッテル貼りをおこなったことや公開中止の圧力をかけていたことを挙げ、「このような二枚舌の人間に「表現の自由」を語ってもらいたくない」と述べている(『SAPIO2008年5月14日号「SAPIO'S EYE 特別版‐映画靖国』論争で思い出すべき10年前の「上映中止要求」事件/井沢元彦」)。

↓こんなことを言ってるのもいるが。3羽の雀の日記なる「はてなから真実(キリッ 」か知らないが、瀬戸弘幸界隈に粘着している。

http://d.hatena.ne.jp/three_sparrows/20110115/p1

気に食わない表現取締りを求める瀬戸弘幸サンが「言論・表現の自由を守るシンポジウム」を主催するという茶番とか言ってるけど、気に食わない表現の取り締まりを団体でしてきたのがサヨクからサヨクがしてきたのは、茶番どころじゃないよ。瀬戸弘幸どころじゃないんだが映画プライドサヨクが何をしたかを知ってるのか?まぁ、かいつまんで少しは知ってるかもしれないが、あれは本当に、相当ひどかったね。そして、あのサヨクどもが表現の自由言論の自由を守れー!とか言ってるのさ。

本当にサヨクって腐ってるよね。

瀬戸弘幸とか個人がどうとかでなくて、映画プライドサヨクが団体で上映するなって言ってたんだよね。完全な表現の自由の制限だよ。表現の自由を言うサヨクのリトマス紙の一つが映画プライド

在特会表現の自由言論の自由を言うなとか言ってるのは、プライドの上映中止を求めたようなサヨクにこそ猛烈に批判しないといけないが。映画プライドなんか上映するなという側に立つサヨクが、「左派知識人」とかいうのにいるわけだよ。サヨクって、イデオロギー次第で表現の自由規制派にもすぐになるからね。

結局、サヨクが言っていることは自分の気に食わない表現はするな!ってだけで、表現の自由なんかどうだっていいというのは、プライドの件でも分かる。

2011-01-05

「自由と放縦は違う」と言う人達

中国共産党

http://www.twitlonger.com/show/7iusot

10月21日人民日報;「言論出版の自由を如何に認識するか」”法治国家国家の安全と社会の安定を脅かす言論に対し法によって対処する。決して放縦させない。我が国も法に依って処理する」とのべた。



ハメネイ師・イラン最高指導者

http://japanese.khamenei.ir/index.php?option=com_content&task=view&id=543&Itemid=2

サルマンラシュディ(「悪魔の詩」の作者)の流れ、西側の反宗教的な映画冒涜的な風刺画、そしてコーラン焼却は、イスラム教の敵たちの失敗した努力の例である国内でも、彼らに追従する人々が、放縦さを広め、宗教で禁じられたものを合法とし、偽りの神秘主義、その他、同様の動きによって、人々、特に若者たちの宗教的な信条を揺るがそうとしている」


モラレス政権ボリビア

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-10-11/2010101106_02_1.html

モラレス政権は、こうした批判に対し、表現の自由と、法律を無視した「放縦とを混同してはならない」と指摘。



石原慎太郎東京都知事

http://b.hatena.ne.jp/entry/mainichi.jp/area/tokyo/news/20101204ddlk13010267000c.html

石原慎太郎知事は「子供だけじゃなくて、テレビなんかに同性愛者が平気で出るでしょ。日本は野放図になり過ぎている。使命感を持ってやります」と応じた。



主権回復を目指す会

http://www.shukenkaifuku.com/ronbun/Ronbunshuu5.html

法治国家における言論の自由とは、「公共の利益」とその国の文化・慣習に立脚した「公序・良俗」という規制を前提とした理念であり、この規制がなければ言論の自由は、ただの放縦か国家秩序の崩壊を招く無法としかなり得ない。

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