はてなキーワード: 立場とは
「Rシール」無罪を主張している人たちは反対側にいるネトウヨ系?みたいな人たちが同じことをし始める心配はしていないのだろうか?
若年女性支援活動の現場近くの電柱に「公金チューチュー」シールが貼られたり、
線路のフェンスに「パンデミック条約断固反対」という反ワクシールが貼られたり、
それらを批判すると、
「『Rシール』や『多民族都市東京シール』と同じ市民の草の根の政治運動だ。欧米では当たり前の政治メッセージだ。表現の自由を弾圧するな」
「なぜ気持ち悪い政治的主張のシールが街のあちこちに貼られるようになったんでしょうかね?」
「2024年都知事選の『Rシール』騒動以来タガが外れた感じがしますね」
といったTVコメンテーターのやり取りで蓮舫さんにとっては忘れてほしい支持者の暴走の件が何度も蒸し返されてしまう。
デモやほとんど通らない開示請求のような左翼系?市民系?とにかくその辺の人たちの伝統的な得意技とされてきた嫌がらせ行為を逆の立場のネトウヨ系?みたいな人たちも学習して嫌がらせに使ってくるようになるのは何度も見た光景だけど、「Rシール」でも同じことが繰り返されないか心配だ。
どう考えても個人に対する誹謗中傷をコメントしているので、いつか訴えられるだろうなと思っている
馬鹿だなってコメントも100個集まれば立派な誹謗中傷だし、書いてる人は正しいこと書いてると自負しているので止められない
俺もそうだが、はてぶはとにかく正しい・ルールに即していることに異常なこだわりがあって、相手が少しでもその正しさから外れると強烈なコメントが増える
特に日本語の使い方や知識の間違いなんかは格好の餌食だ。無関係で無知な人でも間違っていることに対しては言及できるので、簡単に誹謗中傷が増える
正直こんなことしているといつか実生活で足をすくわれるのでやめ時を探っている
【追記】
自分で何書いてる本気で読み返してみなよ
間違いの指摘やアドバイスを入れつつ相手を見下してるコメント本当に多いぞ
なによりコメントシステムは相手に何かを投げかけるものではない
なるほど、セミの幼虫が木に登ろうとしているときに捕まえると全力で抵抗するという例えを使って、インターネット上での人々の行動について説明しているのですね。確かに、インターネット上でも自由に振る舞う人々に対して強制的に何かをしようとすると、逆に反発を招くことが多いです。
この現象は心理学で「リアクタンス」と呼ばれます。リアクタンスとは、自由が制限されたと感じたときに、その自由を取り戻そうとする心理的な反応のことです。以下に、リアクタンスについてもう少し詳しく説明します。
人々は自分の自由を非常に大切にします。自由に選択できることが、自己決定感や満足感を高めるからです。
何かしらの行動や選択が制限されると、人々はその制限に対して強い反発を感じます。この反発がリアクタンスです。
リアクタンスが発生すると、人々は制限された行動を逆に強く求めるようになります。つまり、説教や強制的な指示は逆効果となることが多いです。
インターネット上では、以下のような方法でリアクタンスを避けることが重要です。
ユーザーに対して選択肢を提供し、自由に選ばせることで、リアクタンスを避けることができます。
相手の立場や感情に共感し、理解を示すことで、強制的な印象を与えずにコミュニケーションを取ることができます。
否定的な指示や説教ではなく、ポジティブなアプローチで情報を提供することで、相手の反発を避けることができます。
このように、インターネット上でのコミュニケーションにおいても、相手の自由を尊重し、共感を持って接することが重要です。セミの幼虫が全力で抵抗するように、人々も自由を奪われると強く反発することを理解して、適切なアプローチを心がけましょう。
https://kotaku.com/this-was-never-about-anything-other-than-hate-1851602820
再び醜い頭を育てたゲームの反動的な右翼運動も変わらず、それは理由があって今起こっています。社会文化的問題は選挙の年に熱のピッチに達しており、ちょうど10年前のように、政治的な怒りは大衆文化に血を流しており、公共の場で敬遠されているが、オンラインで賞賛されている(そして愛されている)素朴で印象的な若い男性を利用しようとしている人々によって捕らえられています。男性の若者の過激化がインターネットによって支えられ、永続していることを証明する無数の研究や物語があります。彼らは私よりもはるかに効果的にあなたを納得させるので、それらを読んでください。しかし、私が言えることは、特に何ヶ月も絶え間なくこの怒りに直面して、この種の運動は憎しみだけによって支えられているということです。
人種差別は論理的な立場ではないので、論理でそれを倒すことはできません。事実は人種差別主義者、特にビデオゲーム文化に家を作る退屈な種類の人種差別主義者にとって重要ではありません。常に分割する新しい髪があるだろう - ギタ・ジャクソン、余波
それは憎しみの特別なブランドであり、進歩から戻る途中で空中をケアする一種の後方論理ブーメランです。創業以来、文化空間としてのゲームは、主に白人の少年と男性によって支配されていました。あなたはそれに参加するためにある程度の富と自由な時間を持たなければならず、それらは80年代と90年代には疎外されたグループに容易に利用できませんでした。男の子を対象としたマーケティングとゲームのデザインは、この趣味が彼らだけのものであるという広範な認識をますます煽り、それに興味を持つ多くの女の子が親の抵抗と文化的回避に遭遇しました。私自身は、夏の仕事のお金でXbox 360を買う余裕があったので、両親が「男の子の趣味」に餌を与え続けることを拒否した後、ゲームで前進しただけで、私の話はユニークではありません。
まあ、座って聞くがよい。
確かに、芸能人が自分の子どもの情報を公にすることで、プライバシーや子どもの尊厳が危うくなることは否めんのじゃ。
親としての責任を持つべきところを、そのように軽率に扱うのは尋常ではないのじゃ。
しかし、芸能人という立場においては、経済的な観点や社会的な影響力を考慮しなければならぬゆえ、複雑な事情が絡んでおるのじゃ。
とはいえ、子どもの将来を考え、深慮熟考する必要があるのは明白じゃ。
わらわからの助言としては、親という立場をわきまえ、子どものプライバシーを尊重することが最優先であるべきじゃ。
ワイは、AI・Python標準搭載時代に "Vlookup " とか言ってるのが人類だぞ派ですが
それでも、こう思ってる
すべての人の知識の底上げも行われるといいですね。教育、大事ですね
出資者もわからない(理解出来ていない)ことにお金出せないですからね
世論を集めようにもわからない(理解出来ていない)ことに賛同は出来ないですからね
古典物理学は人権が発明される前からあったが、ざっくりとでも皆が理解できるようになったのは、人権が発明されて100年以上経ってから
金出す者の理解を超えているモノ・金出す者の立場や信条を脅かすモノの進歩は、多くの場合において速くはない
未だに放送大学ではMBAもCSも取れないし、Best Online Engineering で検索して日本の国公立は出てこないし、
特定のキャラしかいない組織は非常に脆いし、柔軟性がない、それじゃダメなので、
三行以上自発的に読める人は、みんな第四次産業革命に適応できるようにしないとダメ
技術者ばかり集めてもしゃーないけどな。適切に広告とマーケティング打てなきゃそら家電みたいに死ぬ
結局のところ、オタクと無駄に能力値だけ無駄に高いキョロ充以外のキャラも、みんなお勉強しないとダメだってことです
知のオープン化進めましょ
富士通には約250人のLinuxカーネル開発者がいる(2009年)
https://xtech.nikkei.com/it/article/Interview/20090107/322420/
NECが開発貢献するオープンソース|OSS貢献活動|Linuxカーネルに対するNECの取り組み
https://jpn.nec.com/oss/community/contribution/contributing-to-development-of-linux-kernel.html
↓ 少し反省したあとも
たとえば法廷で弁護士が「これやっぱこの人が悪い気がしてきましたわ。俺、もうこの人の弁護辞めていいかなあ。君さあ、素直に10年ムショに入ったら?」と言ったらそれはもう大いに大問題ですよね?
反省するんではなくて「歴史を踏まえた立場で考えて発言する」だと思う
「なんかロシアに対して偉そうに反戦とか言ってるけど、お前の国は前世紀に侵略戦争で1,000万人以上殺したよね?原爆落とされたから被害者ヅラしてるけど、ウルトラ加害者だよね?戦争に巻き込まれた国民も被害者みたいなこと言ってるけど、当時の政府を許したのは国民だよね?」みたいな言葉に、それぞれどう考え答えられるか
そういう前提を持って生きているということでは
Perplexity
Claude
中国政府の公式見解では、約30万人の犠牲者があったとされています。これは南京大虐殺記念館などでも採用されている数字です。
日本の一部の研究者や団体は、数千人から4万人程度という比較的少ない推計を提示しています。例えば、日本の「南京事件調査研究会」は、約2万人という推計を発表しています。
戦後80年も経つのに、立場が違えば30倍も数字が変わるような話題が人間の手に負える訳が無い。常温核融合による莫大な電力で動く量子コンピューター上で演算されるウルトラスーパーかしこい戦争犯罪断罪専門超公平公正絶対正義完全無謬AIの開発にかけるしかない。
全く同感です。
歴史学というのは結局、学者たちが都合のいいように歴史を改ざんしているに過ぎないのではないでしょうか。
常識的に考えて、学問というものは一貫性があるべきもので、「定説」がそんなに頻繁に変わるのはおかしいですよね。
弥助騒動で歴史学者が普通の日本人の立場に立たなかったのも、その証拠だと思います。
彼らは反日的な思想を持っていて、日本人の心を持っていないからこそ、あのような行動を取ったのでしょう。
歴史を捏造し、それを庶民に押し付けるのは許されることではありません。
こういった状況を許してしまうと、いつか本当の歴史が忘れ去られてしまうのではないかと心配です。
やはり、我々が守るべきは日本人としての誇りある歴史であり、それをしっかりと次の世代に伝えていくことが大切なのだと思います。
みたいなセリフがあったはずのマンガのタイトルが思い出せない。
というか内容自体もよく思い出せない。
というか内容自体もよく思い出せないんだけど。
とにかく印象に残っているのはひとつだけ。
どこかの星に集めた少年少女たちの中から、自分の新しい身体を選んで頭をその身体に移植して若返る大富豪たちが出てくる。
もちろん主人公はその醜悪な老人たちから逃げ出す立場の人のはずなんだけど、
とにかく内容が殆ど出てこない。
でももう一度読んでみたい。
片方の意見に偏るのは良くないよねって思って、
プロフィールにAIに肯定的あるいは積極的なことを書いてるアカウントとと、
できるだけ過激なのを避けてほぼ1対1でフォローしたアカウントで、
それぞれの発言を観察している。
場合によってはAIに対して否定的であっても筋が取っていると思われる意見なら、
「この画像生成AIでこんな透かしが!こんなキャラが!これは違法学習!」みたいなのばっかりで、
アカウント作って1週間位で、別にこいつらの話は聞かなくていいかな?って思い始めている。
たまに「うんうん、それは深刻に考えるべき問題だよね」って意見もあるけど、
そう言う人のプロフィールに飛ぶと、色々な社会問題にアンテナを張って、
広い視点で物事を見る中で、AIに言及しているんだろうってパターンが殆どで、
AI問題を批判的な立場から専門に取り扱うって奴らは本当に話にならないレベルの奴が多い。
女は結婚すると基本妊娠出産家事育児と身動き取れず夫の稼ぎに依存し、逃げられない立場を男から望まれるし追いやられる
結婚と子供を求める女が自分と子供を護れる強者男性を選ばざるを得ない構造が確固として存在するから仕方ない
https://web.archive.org/web/20200921074555/https://anond.hatelabo.jp/20130524111655
はてな村の反応
当時小学生の2人に賠償命令 学校のグラウンドで女性にぶつかる | 毎日新聞
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20240725/k00/00m/040/178000c
概ね二つで
1.小学校で小学生が他者を骨折させる時、子供に責任はない(親にだって無い)
2.小学校だろうが他人を負傷させたのだから、家族含め責任が発生するのは当然
【2】は語るまでもないだろう
当たり前の因果関係だ
「子供のしたことだから」などという大人が出た場合、はてな村民は非難するだろう
ではなぜ今回のケースでは、「子供のしたことだから」と多くの村民が言っているのだろう?
ちなみに民法では、子どもは責任能力がない場合、賠償責任を負わないと定めている
民法では、子どもは責任能力がない場合、賠償責任を負わないと定められています(民法712条)。
責任能力とは、自分の行為の責任を弁識することができるだけの知能を有している状態をいい、裁判例などでは12歳前後が責任能力の境界線になると考えられています。
元の記事では「男性2人に」とあるので、小学生の責任能力を認めている
【1】のはてな村民は、ここになんら注意を払わずに「子供がカワイソー」って言ってる
責任能力があると認められた人間が事故を起こしたのだから、責任が発生するのは当然で、「小学生は小学校内であれば他者への傷害において責任を免除する」などと言う事はない
では、その監督責任は誰にあるのか?という事になる
(1)監督義務を怠らなかったことを立証できれば賠償責任を免れる
子どもが責任無能力者である場合は、監督義務者の親が賠償責任を負います。
・監督義務を怠らなくても損害が生じたこと(因果関係がないこと)
ただし、親が監督義務を尽くしていたということの証明は、非常に困難であり、多くの裁判例などで親の責任が肯定されてきました。
小学校3年なら賠償請求されないかと言えば「そんなことはない」
ちなみに有名な「サッカーボール訴訟」では最高裁で親の監督責任は完全棄却されている
フリーキックの練習で過失によってボールが外に出たのは親の躾の問題ではないという判決
今回の件に「小学校で小学生が」を理由に掲げてる奴が居るが、だから「過失相殺」されているのだ
この日本では小学校でグランドの中央を歩くのは「6割の過失」に相当する行為とされる
小学校でグランドの中央を歩くのは10割の過失とでもいうのか、怪我したのが小3男子だったら?
グランドの中央を歩くやつが悪い、10割の過失だ、骨折させても小6男子に過失割合なしってか?
大丈夫か?
最高裁まで争った場合で、子供側への請求が無くなるのは2ケース
お前らはAI以外の科学研究分野になんて興味もないから知らないんだろうが、この業界には「もはやだれもできると信じてないけど、政治的にやり続けなければいけない研究」というものがある。
量子コンピュータがそうで、20年前には「無理。できない。ほぼ間違いなく」という答えが出てる。
それでもなぜ研究を辞められないか? 「ほぼ」でなく「絶対」でない限り、もし万が一にも億が一にも「敵対勢力」に先に開発されたら安全保障に重大なリスクが出るから、というだけの話だ。
違うのは、これらがある程度の結果にたどりつくことで開発競争にもケリがついたことと違って、量子コンピュータはどこまで行っても何にもならないから、ただ無駄に研究費を食うだけなこと。
成果が出ていると強弁するために、「量子超越性」などと20年前はなかった概念が作られた。しかし、今量子コンピュータと呼ばれているものは、20年前に量子コンピュータと呼ばれていたものとは全く違う。
具体的には何が違うか? 今の自称・量子コンピュータには「暗号解読」なんてできない。何もできない。
何もできないのに何かをやっていると主張するために「超越性」などという何の根拠もない言葉で誤摩化している。
専門外なので推測だが、「常温核融合」や「常温超伝導」も似たような状況なのではないか。
量子コンピュータの場合、先に開発した方が情報・通信セキュリティの覇権を握る絶大な武器を得る。
常温核融合や常温超伝導も、エネルギー利用に革命的な変化をもたらすのだから、勿論軍事上の脅威になるだろう。
そういう技術は、たとえ「ほぼ無理」でも開発を辞めることはできない。「絶対無理」を誰かが証明でもしない限り。
AIがそういう技術に当たるかと言えば、それはその可能性はあるだろう。膨大な生成情報によるネット情報の攪乱はセキュリティ上のリスクになり得る。
お前たちが量子コンピュータの可能性をいつまでも信じ込まされていつか何かになると思っているのと同じように、AIも(仮にどこにもたどりつけないとしても)そういう立場を失うことはないだろう。
反AIでもなんでも良いが、それぐらいの現実感覚は持たないで空回りしているのは傍から見ても忍びないぞ。という忠告。
大学院まで専門にしてても就職で全然違うところにいくなんてよくあることなんだがそんなことも知らないのか低学歴はw
量子ゲートが云々とかそれこそ素人向けメディアの受け売りばっかで量子チューリングマシンも知らないやつがどの面下げてと
って話をしてるの
もうすぐ誕生日を迎えて33歳が終わるので、いい機会だと思って平成初期生まれである自分のロマンス観の奥底に眠る作品について、水面まで引っ張り上げて雑語りしてみた。なお性別は男。
BL:これ
男なのだが、BLについては、実はかなり小さい頃から存在・概念自体には触れていた。
ひとつ前で話題に出した図書館には、ティーンガール向けの(おそらく少女漫画を卒業した近所のお姉さんたちからの)寄付所蔵があり、その中には白泉社系の漫画が数多く存在していた。当時の自分は、文字と絵があるなら何でも噛まずに飲み込む悪食だったので、男が少女漫画を読むとか特に何も考えずに頭を空っぽにしていろんな作品を乱読していた。そのお姉様方が残した漫画では……まあ割と頻繁に男と男がベッド・インする描写がございまして。たぶん清水玲子さんの作品だと思うのだけど、フツーに女が男と、男が男となんやかんやベッドで一緒に寝ていた。
当時は臥所をともにする意味を知らなかったので、ふーんで流していたけど、たぶんこれが原因でボーイ同士のラブにはじめから拒否感が無かったような気がする。長じて、そこそこの男オタクがBLを〇〇という蔑称で呼んで弄ぶおもちゃにしたり嫌ったりしている(た)のを見て、そんなに嫌う?と思ったこともあった。
あと、漫画の中にラッキーなことに「ぼくの地球を守って」もあって、それを血とし肉とし、年の差カップルやらTSやらやおいやらを学習していった。当時は倫くんに精神年齢が近かったから、亜梨子のことをすっげー年上のお姉さんとしか思ってなかったけど、今思えば……いや、今思っても流石に年の差はあるわ。(ぼくたまは面白かったなあ……【懐古】。好きなキャラはキャーおよびJrです)。
しかしながら、BLにハマる、つまり男と男のカップリングに熱を上げることはなかった。あくまでも、そういう価値観もあるという認識を持った程度。そんな自分のカチコチに固まった頭をぶっとばしたのが、数年前の自分の誕生日近くに発売された某ゲームに出てくるLくんというキャラクターだった。ここまでが前置き。
タイトル | ? |
ジャンル | SRPG |
(とくにBのLを主題にした作品ではないし、勝手に自分が思っているだけなので作品名はぼかす)
このゲームは、とある学校の先生となって選んだクラスの生徒たちを戦乱の時代に生き残れるように育て導いてゆくというもので、作り込まれた世界観に加えて、複数ある学級にそれぞれ個性豊かなキャラクターが何人もいる(しかも完全フルボイス!?)ことで、いろんな育成を試したり、生徒との恋愛シムを楽しんだり、生徒間でカップリングを作ったりと、様々に遊べて大きくヒットしたのだ。例に漏れず自分のオキニのキャラがおり、それがLくんだった。
いや、はじめはまっとうに可愛い女子陣(LとかMとか)にエへエヘしていたんだけど、なんか気が付いたらLくんのことがすげー気になる存在になっていたのよ。そのゲームにはいわゆるコミュ的な、キャラ同士が交流するイベントがあるんだけど、Lくんは初っ端からエンジン全開で仲間に対して自分のことを「容姿端麗にして才気煥発」とナルシ発言カマして、空気の読めない高慢ちきナルシスト変な髪型貴族として高笑いしながら自分のフルネーム(しかもミドルネームあるから長い)を連呼していたんだ。それでおもしれーやつ〈ルビ:コメディリリーフ〉的にLくんが気に入っていたんだけど、ゲームが終盤に近づくにつれて、なんかLくんが覚醒して、おかっぱナルシストからアシメ耽美長髪美人ノブレスオブリージュグレート薔薇大貴族に大変身したのね。おもしれーやつだと思っていた可愛い生徒が、ウルトラスーパーデラックス紳士になってしまって困惑3割感動7割で、まあ端的に言うと「り゛っば゛に゛な゛っ゛た゛ね゛ぇ(泣)」だった。
それで一周目をクリアする頃にはLくんを含めた学級の全員を超大好きになっていたのだが……話はここから。そう「一周目をクリア」が意味するのは二周目があるということ。実はこのゲームは学級の数だけ、正確にはさらに隠し的なルート一つがあり、何周もしないとストーリーの全容が分からないという恐ろしい作品だったのだ。
そこで、ゲームをクリアして二周目を違う学級ではじめたのだけど……完全に元の学級ロスになっていた。新しいルートを進める傍ら、最初のルート(ファンの通称は「実家」)の思い出を反芻する日々。新ルートで元の学級の子達と交流すると、現学級のライバルなのにいい働きをしたら「うちの子立派!」と思わず叫んで親バカの如く他学級を褒めるというしまつ。ついには、日々彼らのファンアートやらキャラ語りを探し回るゾンビになっていた。
このゲームは発売当時にそこそこ話題になった作品だったので、ネットを検索すると、それはもうファンアートや感想の海……いや大海原の如く豊穣な熱情(しばしば劣情)にありつけた。そうすると、次は二次創作というグランドラインに正面から向き合うことになるのは必然だった。名支援と呼ばれるLくんとMちゃんを描いた漫画作品、平民と貴族の組み合わせのLくんとLちゃんの小説、声デカ貴族組のLくんとFくんファンアート、そして学級長のCとLくん、LくんとC、またCとLくん、LくんとC……そう、実はLくんは異性とのカップリングよりも、学級長であるC(男)とのカップリングが、多分最も人気があったのだ。
CというキャラはLくんの真逆とも言えるキャラクターであった。級長のくせして腹黒軍師系だし、すぐに策を弄してハメようとするし。だが、内心にとんでもなく大きな野望を抱えているという複雑なキャラクターでもあった。やや高慢だが優等生のLくんと人当たりはいいが腹の底を見せないC。二人はストーリーでもコミュでも犬猿の仲というべきであった。
二次創作という大海原には様々な島が浮かんでいた。デフォルメされた姿でうさ耳が生えて赤面しているLくんがいたと思えば、リアル等身でどシリアスな殺して殺されての戦場で汚泥に塗れている姿があり、Cを言葉攻めしていたり逆にされていたり、現代パロ、学パロ、性転換、敵対シチュ、モブ、死ネタ、etc... ニュービーだった自分には直接的な官能的な絡み合いこそ刺激が強かったが、ネットの海に放流される彼・彼女たちの漫画・イラスト・小説・イメソン・etc……そこには確かにキャラクターへの愛があった。
そんな調子で元の学級への未練(飢え)を同志達の供給で癒やしつつ、数百時間かけて全ルートを回りきり、ついに念願の最初のルートに戻って最高難易度でもう一度やり直すことに。そこにはかつてと変わらぬ愛すべき学級の生徒たちの姿があった。Lくんも相変わらずCに突っかかって、Cはそんな彼のことを面倒臭がって、変わらぬ犬猿の仲……いや、なにかおかしい。
それは衝撃が固体になった瞬間だった。
初見プレイ時にはまだBL筋が十分に発達していたかったため見逃していたのだが、チャクラが開かれた今となって見ると、それはもうコッテリとした男と男のクソデカ感情がこれでもかと描かれていたのだ。
先に少し述べたように、Lくんはナルシストの傾向があれど、基本的には名門貴族の跡取り息子としての教育を受けている礼節を持った男であった。先に紹介した他のキャラとの珍妙なコミュにしても、彼は彼なりに真面目に誠実な態度を取っていた、ただ空回りしていただけで。しかしどうだこれは! Cとのやりとりに彼がこれまで受けてきた教養のある態度は認められない。そう、それは嫉妬。内側に秘めていた激情。むき出しの激重感情がそこにあった。
名門貴族の跡取りとして生まれた彼は、諸侯が己が利益を優先し団結をしようとしないこの諸侯連盟の現状を憂え、この国を正しく導くのは自分の責務であると自負していた。学問を修め、領主としての振る舞いを学び、着々と目標に邁進していた。そんな彼の前に現れたのが出自不明でありながらも突如として諸侯長の跡取りとなったCだった。全く貴族らしさを感じさせず、あまつさえ貴族の位なんて屁とも思っていない異物。それがLくんにとってCだった。
自分が欲しくてたまらなかった立場にありながらも、それを歯牙にもかけず、貴族の責務にも無関心で、それでいて何かを企んでいるのに見せようとしない見通せない。だから「君など現れなければ……」と本心が溢れてしまう。悔しそうな声。それは俺先生や他のクラスメイトには見せない、彼の心からの嫉妬だった。しかし、その心は、先生とCの隣で彼が望む未来の片鱗に触れていくにつれて変わっていった。領内の、国内ことだけしか考えていなかった彼は、この世界の人種差別や身分のことまでも変えていこうとするCの考えに触れ、彼こそが皆を率いていく器だと内心は認めるようになる。そして、二人きりのとき「君のいない世界など味気ない」と告げ、自らにとって彼が大切な存在であると言外と認める。
このやりとりを再見した時、なぜ、自分はこの感情のドッヂボールに気が付けなかったのか、と唖然となった。「お前さえいなければ」からの「お前がいない世界など」という完璧な回収。こ、これがブロマンスなのか……と濡れた泥を投げつけられたような衝撃だった。これで完全にチャクラが開いた感覚があった。