はてなキーワード: 発症とは
公開情報だったので、
(姻族だから一応)身内の恥をさらすのも何だけど、私側の言い分も書いておく。
・昨日の夜について
6月頃からテレビでニュースを見るたびに、テレビに向かって文句を言うようになった。
仕事から帰って休む間もなく食事の支度をして食べはじめる頃にコレ。
罵りや怒りの矛先が自分に向かっていないのは分かっていても、それを耳にするのは辛い。
何度か「帰ってきて怒っているのを見るのは辛いからやめて」と言ったものの、
嫌になってくるとチャンネルを変えたり、テレビを切ったりしていた。
人が怒り煽り罵る姿は醜い。夫のそういった姿を見るのは嫌だった。
余談だが、私自身が韓国が好きとか韓国が正しいとか思ってはいない。
対韓感情はそれぞれで、夫の考え方を変えようとかは思っていないし口出しもしていない。
話は変わるが、2014年に私は体調を崩してめまいが止まらない。
平衡感覚の異常で、常に地面揺れているし、ナナメの地面にいる感じだ。
私が体調を崩してから週に一度鍼に通っていて、途中に食事をして帰りは10時頃になる。
昨日も鍼に行って帰って来たのは10時過ぎだった。
メールチェックを終えたあと、
夫が「帰ったらすぐお風呂に入りたい」と言っていたので、
夫はiPadでネットを初めていたので、私がお湯に浸かりたかったのでお湯をため始めた。
もらった卵があって、悪くなってしまいそうだったので茹でて味玉にする。
作っておけばすぐ食べられるしお弁当にも使える。
卵をむいて液につけよう、キッチンペーパーも要る。
夫が洗い物したときに使い切ったな…。
洗い物には使わないでと言ってあったリードまでなくなってて、
ああ、お風呂のお湯を溜めてたんだった。
もう溢れそうだったので慌ててお湯を止めた。
お湯溜まったけど夫は何をしているかと見に行ったら、
ハングル名のアカウントに「文句があるなら国に帰れ」と書き込みをしている最中だった。
夫に嫌気がさした。
同時に、帰宅してから慌ただしく明日のお弁当を作ったり、お風呂をためたりしてた自分がバカバカしくなった。
キレて豹変したと夫は書いているが、口汚く罵ったりなんてしていないし、泣いて暴れるなんてしていない。
怒る体力なんて残っていない。
「(何をしているかと思ったら、)韓国ヘイトの書き込みか…」。
爆発って夫は書いてるけど、燃えるっていうより
スッと冷める感覚の方が近い。
余談だが、私は夫がツイッターをするのは賛成ではない。
詳しくは書かないが、趣味の関係で2ちゃんねるでの事件があり裁判までやっている。
要するに首を突っ込んで行く性格だ。
本人はある絵描きさんを守るために囮になったと言っている。
だから夫がツイッターをはじめるときに、私はいい顔をしなかった。当たり前だ。実績がある。
夫もいい大人だ、何があっても本人の問題だから、強くは止めなかった。
はじめるときに、「ネット上で何かあったときに、私は(あなたは何も悪くない)とは言えない」とだけは伝えておいた。
いろいろ首を突っ込んで行く性格だから、いつか何かあってもおかしくないとは覚悟はしている。
なので私からすれば、
✕頼んでもいない味玉を作る際に卵が割れて、さらにキッチンペーパーが無かったのにキレて夫に当たった 。
○延々と続く韓国ヘイト発言と、ツイッターでも煽りをしている夫に対して嫌気がさした。
このことを「育成過程のトラウマを踏んだのが原因」だと思っているようだ。
正直、猫動画でも見てるんだったらこんなにはならなかったと思う。
・週末の般若の顔
金曜日は夫が職場に連絡してくれて1日休んだ。夫は神かなと思った。
土曜日の10時過ぎに起きて、食べて寝て、3時ごろに目が覚める。
ネットを見ているとマクドナルドで月見バーガーが始まったと広告が流れる。
眠くなったのでその後寝た。
次に起きたのは9時すぎだった。
起き抜けの私に夫が言ったのは
私「出かけたくない、家にいたい」
夫「いいから支度して」
あ、もうこれ聞かないパターンだとは察したものの、準備して出発。
昼の気温37度だったらしいけど長袖2枚着た。
車で5分ほどのところにあるマックまで来たけれど、
やってないね…といいつつ通過。
だんだん悪くなってくる体調。
途中ファミリーマートが見えたので、
しかしどんどん悪くなる体調。
途中で
夫「たまには違う道も楽しいでしょう?」
私「体調がよければね」(余裕なし)
夫「何食べる?」
私「適当に頼めばいいじゃん」(来る前に「胃もたれするから食べない」って言ったし食べるつもりなし)
「車の鍵貸して」
私、その後車の中で仮死状態。帰りの車でも冷房つけてて、早く帰りたくて仕方がなかった。
車から、自宅のベッドに入るまで「私そんなに悪いことしたかなあ」と連発していた。
ベーコンレタスバーガーと月見バーガーとポテトを一個ずつ買ってた。
翌日、夫の機嫌が悪い。
ポテト半分と月見バーガー。どうやら私が食べてないから不機嫌らしい。
夫「食べないの?」
私「は?僕が食べたいからって言ってあなたが買った月見バーガーじゃん?」
夫「いや、君の分だけど」
夫「は?」
私「1件目ダメだった後でファミリーマートで調達して帰ろって言っても
夫「は?そんなん認識してない」
そこから言った言わないの水掛け論になる。
私「出かける前にマックは食べられない、でかけたくないって言ったのは認識してないの?」
夫「それは…。(黙)昼に月見バーガーの話して食べたそうだったから。
連れてって食べさせればいいと思った」
私からすれば
「食べられないマクドナルドを買うために、出かけたくないのに出かけて、体調悪化して、
さらに食べたくもない月見バーガーを食べていないのを責められた」でしかない。
普通の人でも、体調が悪い時にそんなことされたら怒る。般若にもなる。
実際の顔立ちは能面に近いけど。
・子供について
まずは二人の生活を楽しみたかったのと、自分の基盤を固めたかった。
自分は実親と不仲で、頼れる手はない。
年齢差のある結婚だから、自分が仕事を辞めるとn年後に詰むのはわかりきっていた。
出来るだけ社会的に不利にならないように、仕事を辞めないでいいようにしたかった。
あと行為も嫌いだった。夫に嫌われないようにずっと演技していた。
痛みが2日は残る。
でもあまりに長いこと夜はなくて、さすがにこれは申し訳なかったなと思う。
その後めまいを発症してしまい、子供どころではなくなってしまったから
まずは自分の体調を戻すことを優先にしたけれど。
なぜ警察にいる?
その女性と話をしようと会社の近くで待っていたら通報されたらしい。
姑「迎えに行く」
その後、姑が夫に関東に行くから駅まで送って欲しいと連絡をし、
夫「俺が行く」
私「いや、妻に迎えに来てもらえよ」(以前にも出身県まで来て浮気してたって夫言ってたじゃん)
結局新幹線の最終の時間に間に合わなかったため夫姑共に迎えにはいけず、
義理弟は妻に迎えに来てもらったと連絡が来た。
この時点私の中ではで夫・姑・義理弟にはイヤな感情しかなかった。
それなりに実績があったようだ。
姑は義理弟のところに向かったらしい。
つまり接近禁止令が出ていてそれに基づいて警察に任意同行されたのに、
同じことをもう一度やらせたのだ。
接近禁止令が出ているにも関わらず、姑は不倫相手の女性の会社の近く(もちろん禁止令の範囲内)で
再現させたということになる。
しかもそれを悪いことだと全く思っていないようだった。
「接近禁止令を再度破る幇助を姑はした、悪いとは思っていない」というのが私の認識である。
誰も助けてくれないし、ものすごく怖かった。
この時から私の中で姑は「ストーカーの幇助をした、悪いとは思っていない」という認識になった。
気持ち悪い。姑とはもう付き合えない。私は泣いて夫に訴えた。
さすがに夫は理解を示して、姑とは最低限の付き合いでいい。
もし姑が義理弟を引き取ると言い出したら、姑宅には住まわせないし
住居を借りるにしても同じ町内には住まわせないと言った。
そこから私は姑とは本当に最低限の付き合いにしている。
さて例の一件もすぎた後、一度だけ生理が2週間ほど遅れたことがあった。
もしかして、とも思った。
妊娠検査薬でもまだ反応のある時期ではないけれど、
生理が来ていないのは事実だから伝えてはおいた方がいいと思った。
その時の夫の第一声は
私の「戸惑いはしたもののじんわりしたうれしさ」は急速にしぼんでいった。
ああ、この人にとって「私は親に初孫を見せるための道具」だったんだとショックだった。
この人は「私との子供がうれしい」んじゃなくて、
「親に初孫の顔を見せられるのが嬉しい」んだ。
私は親孝行するための道具にすぎなかったんだと。
「あんな女の孫なんて産みたくない!ストーカーの幇助した女の孫なんて嫌だ!」
その後5日ほどで生理が無事に来た。
この件で、私のいつか子供がほしい欲は消え去った。
こどもができても姑に初孫の顔を見せるためで、
そのために自分に子供を負うのは馬鹿げているとしか思えなかった。
時は過ぎ、めまいの症状もだいぶ治ってきて、
今度は自分のためにほしくなった。
でももう遅かったらしい。こればかりは仕方がない。
・昨日の夜について
・週末の般若の顔
・子どもについて
まだエピソードはあるが、
ここまでのことをしておいてなお、夫からみれば私は「裏表がある性格でメンヘラ」らしい。
「実母に対する怒りを夫に重ねている」と認識しているのが
そうじゃない、わかっていないといわれる点だと思う。
私からしてみれば、
怒りはあるが向ける方向を変えてはいない。
夫への怒りは夫に、姑への怒りは姑への対応と関係にそれぞれ反映している。
今回の文章を自分で書いていて一番これはトラウマ踏んだなと思ったのが
ストーカーされたことない人はこれを聞いて受け入れるの?普通なの?ドン引きしないの?
実母への怒りを夫に向けてはいない、夫への怒りは夫に起因するものだ。
そして怒る、爆発すると言うが、怒るのも泣くのも体力が要る。
でもそこまでのエネルギーはもう無い。
どちらかというとスッと冷める感じで表情が冷たくなる、能面になるのが近いと思う。
実父は物心つく前にうつを発症し自殺、1人残された母はなんとか父の忘れ形見の自分を立派に育てようとしたのだろう。
だが残念ながらアル中の祖父のもと破綻家庭で育った母には、親のロールモデルがなかった。
自分が振り返る母は、いつも継父やその祖父母の愚痴を小学生そこそこの自分に聞かせ、ヒステリックに怒り、泣く子を張り倒し、機嫌が悪いと些細なことでキレる手のつけようのない人だった。
今となれば(それは間違っていたとしても)母なりに母として努力をしていたことは認めるが、今の基準に則せば美談にはならないだろう。
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母はシングルマザーでの暮らしの厳しさに直面し、お金の為に継父と再婚した。
しかしこの継父もまた、ギャンブル狂いの父を持つ破綻家庭の育ちだった。
つまり自分を実際に育てた父母は、お幸せな家庭で親の背中を見て育ったとは程遠い人物だった。
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さて、そんな両親が作る家庭と言うのはどう言うものだったのか。
家庭のことは全て母が決め、継父の存在感はなく、自分は何がそうさせるか分からない母のヒステリックな怒りに怯えるものだった。
これには自分がお世辞にも「いい子」ではなかったことにも一因はある。自分も感情のコントロールが効かずヒステリックで興奮しやすく扱いづらい子供だった。
思うに母はそんな不良品を、良品の型になんとか収めようと四苦八苦していたのだろう。結局それは失敗に終わるが、まぁそれはいい。
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話は飛ぶ。年の離れた妹ができた。
母の妹に対する態度は、自分へのそれとは違って随分甘やかしたものだったと記憶している。
これは泣くと喘息を起こす妹の体質もあるが、もう一つ、言い方が悪いが立派に育てないといけないと言う義務感が薄かったのだろうと思っている。
ただ、これは後に自分の首を絞める事になる。
甘やかされて育ったからか、元々の性格なのか、妹は他人への依存性が高い人間に育った。
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妹が同級生にいじめを受けているタイミングで母方の祖母が体調を崩し、妹から目が離れたことで、妹はうつを発症。
これがいっそのこと、統合失調症とかもっとぶっ飛んだ病気ならかえってよかったかも知れないが、かつて自分が本当に好き好んで結婚した旦那を殺したうつに妹がかかった。
恐らく、それで母はどこかおかしくなったのだろう。
この後、母は妹を甘やかすに甘やかし、妹はそんな母に強く依存していくようになる。
その先しばらく正直あまり知らない。就職を控えていた自分は、実家や実家に日帰りできる距離で就職すれば、いずれ自分もその依存に巻き込まれまともに働けなくなると感じ、実家からはるか遠くの企業に就職し、以降葬式以外帰らなかった。
ただ話の端々で、父がなにもしないこと、妹の言うがままに振り回され続ける母と言う状況が続いていると感じていた。
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数年後、母はがんを患った。
発覚時点Ⅳ期、いわゆる末期がん。2年以内にほぼ半数がなくなる状態だ。
父は何をしていいかわからずオロオロするだけ、妹はパニックになり、母本人は言うまでもない。
ブラック企業で疲れ果てていたが、辞める口実もなく、働いていた自分はこれ幸いとばかりに実家方面に転職した。
もっとも自分が帰って手続きをしなければ、入院や転院の手続きをできる人間がいなかった。
今までそう言うめんどくさいことは全て母がやっていた。その母がパニック状態となり、一旦家庭は崩壊の危機に面した。
なんとかそのあたりを自力でできるようになるまで、1年近くかかっただろうか。
どうしたのか?母が最後まで「良い母親」であろうとした結果、なんとか「家族」は取り繕われた。
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「妹は『仲の良い家族』しかみたくない。私が父を言い争いをしてると怒り出す。現実を見ようとはしない」
何も変わらなかった。
継父は最後の最後までピントのボケたことを言い続け、妹は最後まで自立しようとしなかった。
死の病に侵されている母に、彼らはそれでも「良い母親」であることを求め続けたのだ。
一方で母は、そんな父に愛想を尽かし、行為には至らずとも浮気に近い心持ちを持っていたことを自分は直接母から聞かされた。
離婚して、妹を捨てて、どこか遠くで一人で暮らしたいと言ったこともあった。
それは継父も妹も知らない。
彼らは母に「良い母親」であることを死ぬまで要求し、母はそれに応えて「良い母親」を演じた。
自分は、父と母と妹が作る「虚構」の家族をどこか冷めた目で見ていた。
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長いようであっと言う間に2年が過ぎ、母はなくなった。奇跡はない。
父が言っていた言葉を思い出す。
「残った家族で力を合わせて頑張っていこう」
だが家族が虚構であったことを知っている自分にはひどく白々しく聞こえたことはよく覚えている。
元々興味が薄い方だったが、この一連の流れを見て、自分は交際願望や結婚願望と言ったものが完全に崩れ去っていた。
それは自分にとっては当然だった。
自分にとっては家族とは、仕事以外文字通り何もできない父と、家族と言う虚構を必死に守ろうとする母と、それにどっぷり浸かり現実を見ようとしない妹、それが全てだった。
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その考えが自分一人のものだったことを知るのは母の七回忌が過ぎた頃。
妹が結婚をした。デキ婚だった。最近の電話では二人目もできたらしい。
ここに来てはじめて気がついた。妹はまだ母が作っていた虚構の中に生きているのだ。
彼女は「仲のいい家族」と言う作られた世界の延長線上に立っている。
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ああ言うのってネットde真実と似てるんだよな
自分の近傍しか情報がないから、それ以外を糞だと思ってしまう(あるいは逆に、それ以外が素晴らしいと思ってしまう)やつ
これによって起こるのは
のどちらかで
どちらも知識不足、経験値不足から生じていて、若者が発症しがちだ
年取っても活動範囲が狭かったり、受け入れなかったりするとずっとそのままだけど
FUJI★7GIRLs【フジ-セブン-ガールズ】
活動期間:2012.5~2015.3
パチンコ台製造メーカー「藤商事」が自社製品をPRするために結成した。
メンバーは全員プラチナムプロダクションのアイドルで構成。
鈴木咲、黒沢美怜、桜子、馬越幸子、矢野清香、沢口けいこ、横川ユカで結成。
2013年11月、所属事務所の公式HPにメンバー全員が撮影中の事故により芸能活動を休止するとの告知が掲載された。詳細について触れられていなかったが、その後の藤商事HPの声明、報道などから、メンバーはパチンコ台で流れる動画の撮影中、セメントを頭からかぶるなどの演出を行っており、生のセメントに直に接触したことによる皮膚炎を発症したとみられる。問題のシーンでは、罰ゲームで用いる泥が調達できず、スタッフがセメントで代用したらしい。
黒沢美怜…事務所を変えて活動中。恵比寿★マスカッツの3期生メンバー。
横川ユカ…2019年3月に「横川ユカ」名義での活動を終了。芸能活動は継続?
わりと生き残ってるな。
初めてアニメイトに入ったのは小学六年生頃だったと思う。見事中二病を発症した私は、そこから思春期を終える高校卒業まで、見事に「自分は特別」だと心の深いところで信じていた。とても強く信じていた。
封神演義からオタクに目覚めた私は、テニス、マンキン、Dグレ、笛!、ミスフル…と、WJ系のキャラクターに恋する夢女となり、書き手になった。
作品内に出てくるキャラクターの髪型を真似たり、「私は〇〇と付き合ってる」と言い始めたりと、暗黒の中二病時代を送っていた。部屋の片づけをして当時のノートなどが出てくると目も当てられないような落書きや、謎のポエムが書かれていて、居た堪れない。
中学二年生の頃に夢サイトを持ち、同盟やリングのリンクを貼ったり、ランキングサイトに登録して集客数を伸ばしたり、コンテンツとして夢小説だけでなく、キャラレス掲示板を用意してマメに返信をしたり、キャラレスのメルマガを配信して何通か夢女達に夢を見させたりと、自分で妄想をしながら、更に他のオタク女の夢脳を拗らせさせるという、欲の渦の真ん中近くにいた。
高校生に上がる頃には、今でいうところの特定の「推し」を作り、その推しと自分のロングロングラブストーリーを頭の中で練って「いつかサイトに掲載するぞ」と考えていた。
当時の私は、何の疑いもなく「自分は特別だ」と思い込んでいた。
流石に魔法とか魔術とか、そういうものは中学生のうちに卒業したけれど、高校に上がって尚、私は自分を特別な存在だと信じ込んでいた。それが、作風にも出ていたし、好んで読んでいた夢サイトの連載もそういう体で書かれていた。
『特別』な私は、学校でも人気の仁王雅治君と『たまたま』隣の席となり、そのおかげで『話しかけられる』ようになって、『距離が縮まって』いく。彼は話しているうちにだんだんと『私は他の女子と違う』と思い始めて『興味を持つ』けれど、私の気持ちは他の人に向いていると思い込む。『二人きりの帰り道』に、仁王君はたまらず「俺は自分を騙すのも上手いぜよ」と言って私を困らせ、言及すれば「ピョ」と言ってはぐらかしてしまう。<< 大体こんなストーリーだったと思う。あんまり詳しくは覚えていないのだけれど、このまま何やかやあって大団円に向かっていく。大人になれば『』内のことは概ね起こらない事だと分かる。そもそも自分がそういう意味で意中の相手から持て囃されるような存在でないことは、流石に25を過ぎる頃に完全に腹落ちしていた。<
結局私は30を過ぎた今も「特別」な存在ではない。中二病を爆発させていた高校生の頃「平凡な日常なんていらない」なんて宣っていた私は今、平凡な日常をこよなく愛している。
私は結局、何者にもなれなかった。
私の書いた小説の中で言えば、名前も出て来ず、一言喋るクラスメイトAくらいの役割で、今日常を送っている。
そんな私が「特別な存在じゃなくてもいいかな」と、今の自分を認められたのは、趣味があったから。そして、それを通じて知り合った同じコンテンツに熱と愛と金を注ぐ友人を何人も得たから。
趣味の中で、私は作り手の立場でいる事が多い。小説は夢からNLやBL,オリジナルと内容の幅が広がり、コスプレは(上がってしまったけれど)衣装や小物作り、被写体になったり、カメラマンになったりもした。友達と何時間も撮影場所の選定や、撮りたいイメージを語り合い、ラフを描き、カメラマンさんにインプットして撮って頂いた。アクセサリー作りをしてイベントで頒布するようになった。編み物をしてイベントで頒布するようになった。同人小説本をネットだけでなく、紙にして、イベントで頒布するようになった。
途中まで、他人からの評価が気になっていた。ちゃんと私は、私の作品は、「正しく」評価されるのだろうか。皆、これを見て私を好いてくれるのだろうか。そんな事ばかりを考えていた。
けれど、作品の傾向などから、自分の好みが万人受けするものではないと気付いた。
そこで私は、他の誰でもない、自分の為に書く事が増えていった。正直、いいねなどの評価はそう多い方ではない。
何なら「なんでこのCPなのに不幸にするんですか?」「顔カプやめてください」なんて批判をいただくこともある。
だけど、確実に心のこもった、手の込んだ感想を頂くようになった。数は本当に本当に少ない。片手で足りる。それでも、どうしようもなく満たされていく。
私は、誰からも特別扱いされるような美貌を持つ訳でも、センスを持っている訳でも、才能がある訳でもない。どこにでもいる、ありふれたアラサーのオタク女だ。
結婚は一度した。仕事もある。そして、趣味もある。 皆の特別にはなれなかったけれど、その時々の恋人にとって、その時は「特別」で、家族にとっても私は「特別」。職場でも私の能力は尊重される。
どれも、「何者かになりたかった私」の望む特別とは少し違う。それは持続性だったり、熱量だったり、関係性だったり。だけど、そういう小さな「特別」を膚で感じて、積み重ねていくと、なりたかった「特別」とは違う、もっとレイヤーの多い、沢山の色を持った自分が見える気がする。
これが、何者にもなれなかった私の生存戦略。
ボケる前から親父と話していたが「ボケた際には老人ホームへ入れてくれ」という希望通り、サービス付き高齢者向け住宅へ入居。
現在は、認知症で要介護2の認定を受け、寝ているかテレビを見ているかという生活を送っている。
正直なところ、父親が生きていることに意味を見いだせないでいる。
もちろん父親には長生きして欲しいとは思っていたが、最近では自分自身それも怪しくなってきた。
週2回、仕事の合間をぬって、父親と昼食を一緒に取るようにしているが、とにかく会話が通じない。
いや、正確にはその場限りの受け答えは出来ているのだが、5分前のことを忘れているため、「会話を楽しむ」という事ができない。
ボケた後以降の記憶は一切なく、ボケる前の記憶も最近のものからどんどん忘れていっている。
することが無く、テレビを見ているのでニュースの話題などを降ってみるが、
5分前の事を忘れているのにテレビで見たニュースのことなど覚えているはずもない。
子ども(親父から見て孫)の話などをしてみるが、今何歳だったかを覚えておらず、
毎回「えっ、もうそんなに大きくなったん?」という話で終わり、新しい会話ができない状態。
毎回毎回同じ会話だと、どんどん会話をするのが億劫になっていき、
父親は脳梗塞、心臓内に血栓ができたこと等があり、定期的な服薬なしには命が維持できない。
現状では自分で薬を管理することが出来ず、服薬のために"定期巡回サービス"を受けることが必須である。
介護保険を使って、このサービスを受けており、月間の自己負担額は1万円強程度。
現在父親は70代半ば、私を含め兄弟はそれぞれに独立しており、母親は鬼籍。
父親、夫としての役目を果たし終えており、もう何かをしなければならないということはない。
もう人としての役割を終えた気がする。
親父自身が蓄えた金で親父自身の命を維持するのであれば問題は無い。
ただ、現在の仕組み上、公的な金をもらって父親の命を維持していることに、ものすごい違和感があり、罪悪感がある。
もちろん、親父が今までに多大な税金や社会保険料、介護保険料などを支払ってきたことも確かだと思うし、
それを払う側の立場から、もらう側の立場に変わったという事もわかる。
ただ、この人が生きている事に、どんな社会的な意味があるかを見いだせないでいる。
自分が同じようになったらどうするんだろうか?という疑問があり、どこかのタイミングで自分自身の命を諦めるタイミングがありそうな気がしている。
運営は熱中症の怖さを軽視してるとしか思えない。夏の太陽は人の命を刈り得るという事を知った方が良い。そして熱中症に年齢は関係ない。若いから大丈夫だろで済まない。単位で釣って学生を炎天下へ引きずり出すようなやり方が本当に気にくわない。
自分語りになるけど許してほしい。俺は熱中症経験者(幸い軽度)。高校一年の時発症。当時屋外スポーツの部活に所属してた。体調がおかしくなって病院に行ったのは寝起きの朝だった。吐き気や呼吸の乱れに襲われて冷静じゃ居られなかった。熱中症は時間差で来ることもある、俺もそれだった。
点滴を2本打つことになった。医者曰く、点滴1本打つと普通は尿意を催すらしい、血管に直接水分を送ってるから。俺は1本打ち終わっても尿意が全く来なかった。2本めの終わり際にやっと催した。ひどい脱水状態だった証拠だと医者に怒られた。
この経験以来体質が変わった。まず集中力や思考力が落ちた。頭に靄がかかった様な、スッキリしない状態が常態化した。多分脳にダメージ行ったんだと思う(検証したわけじゃ無いけど)。
それと極端に暑さと日光に弱くなった。毎年夏になると倦怠感でロクに動けなくなる。それに頻繁に吐き気や頭痛や寒気に襲われる(暑いのに寒気がし出す事があるんだよ、不思議と)。この前なんて仕事で半日ほど車の運転しただけで頭痛と疲労感に襲われて、帰宅後ベッドの上で2時間くらい動けなくなった。車内はクーラーを効かせてたにも関わらずこれだ。
因みに死んだ俺の祖父も畑仕事中に熱中症で倒れた事があった。年齢の割には身体も大きく、頭もしっかりしてて、とにかく元気だったのに。熱中症を境に元気が無くなって、身体は痩せ細り会話も以前ほどハツラツと出来なくなってしまった。熱中症になってさえいなければ、もう少し長生きできたのかなといつも思う。
熱中症は毎年ニュースで騒がれてる割には、やっぱり実体験として苦しんだ事ない人は軽視しがちだと常々感じる。先日も上司にゴルフに誘われたけど熱中症が怖いからと断った。ゴルフ以外にも夏場の誘いは基本断ってる。そうすると大体「若いくせに、男のくせに、情けない」と言われる。
1度だけヤケクソで誘いに乗った事があった。案の定体調が悪くなってダウンした。その時の同僚は青い顔して日陰で横たわる俺を見てやっと理解を示してくれる様になった。
こんな調子だから俺は夏が怖い、毎年夏が来るのが本当に怖い、夏ってだけでメンタルが病んでしまう年もあるくらいだ。そしてその怖さを知ってるからこそ、学生を半強制的に動員しようとしてる今回の方針には怒りを禁じ得ないし呆れ返ってる。未だ熱中症対策が整ってない中、ノルマまで課してボランティアを募るなんて馬鹿にしてるとしか思えない。
俺は言いたい。ボランティアの要請が来たとして、自分の体力や体質や体調に不安があるなら躊躇わず断ってください。断りきれず強制的に参加させられる事になった場合も、勇気を持ってボイコットしてください。熱中症について理解を示してる人は、恐らくまだまだ少数です。苦しむのはあなた自身です。周りの人は苦しむあなたを見て「まさかこんな事になるなんて…」と無責任な事を言い放つだけです、残念ながら。
もしそれで五輪が大コケや失敗に終わったとしても、それはあなたのせいじゃありません。無理な運営計画が祟り失敗するべくして失敗するってだけの事です。
積極的に参加したい人、使命感を持って携わりたい人は是非五輪を盛り上げてください(体調管理にはとにかく気をつけてください)。こういった熱い想いを持つ人が自主的に集まるからこそ大きな力を発揮するのが本来のボランティアだと思います。
最後にくどいようですが、夏の太陽は時に命を奪います。熱中症になったら後遺症が残る事もあります。若さや根性でどうにかなるもんじゃ無いんです。運営がその事を理解してくれる事を願います。そして熱中症で苦しむ人が出ない事を祈るばかりです。
境界性パーソナリティ障害患者は孤独に対する耐え難さを有する;
見捨てられることを避けるために死に物狂いの努力を払い,
幼児期のストレスが境界性パーソナリティ障害の発症に寄与している可能性がある。
身体的虐待および性的虐待,ネグレクト,養育者との分離,および/または片親の喪失という小児期の病歴が境界性パーソナリティ障害患者にはよくみられる。
生活環境へのストレスに対し病的反応を生じる遺伝的傾向が認められる場合があり,
境界性パーソナリティ障害には明らかに遺伝的要素があるとみられる。
境界性パーソナリティ障害患者の第1度親族は,一般人口よりこの障害を有する可能性が5倍高い。
脳および神経ペプチド系の調節機能の異常も寄与している可能性があるが,境界性パーソナリティ障害患者全てにみられるわけではない。