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はてなキーワード: 発症とは

2019-09-13

Twitterで夫に自分への愚痴を書かれた

公開情報だったので、

(姻族だから一応)身内の恥をさらすのも何だけど、私側の言い分も書いておく。

・昨日の夜について

6月からテレビニュースを見るたびに、テレビに向かって文句を言うようになった。

主に対韓国ニュース流れるたびに煽りや罵りが続く。

仕事から帰って休む間もなく食事の支度をして食べはじめる頃にコレ。

罵りや怒りの矛先が自分に向かっていないのは分かっていても、それを耳にするのは辛い。

何度か「帰ってきて怒っているのを見るのは辛いからやめて」と言ったものの、

翌日にはまたニュースに向かって煽り罵る。

嫌になってくるとチャンネルを変えたり、テレビを切ったりしていた。

人が怒り煽り罵る姿は醜い。夫のそういった姿を見るのは嫌だった。

余談だが、私自身が韓国が好きとか韓国が正しいとか思ってはいない。

対韓感情はそれぞれで、夫の考え方を変えようとかは思っていないし口出しもしていない。

話は変わるが、2014年に私は体調を崩してめまいが止まらない。

平衡感覚の異常で、常に地面揺れているし、ナナメの地面にいる感じだ。

私が体調を崩してから週に一度鍼に通っていて、途中に食事をして帰りは10時頃になる。

昨日も鍼に行って帰って来たのは10時過ぎだった。

メールチェックを終えたあと、

夫が「帰ったらすぐお風呂に入りたい」と言っていたので、

夫はiPadネットを初めていたので、私がお湯に浸かりたかったのでお湯をため始めた。

明日のお弁当を作りはじめる。

もらった卵があって、悪くなってしまいそうだったので茹でて味玉にする。

作っておけばすぐ食べられるしお弁当にも使える。

茹でている最中に卵が割れしまった。ああ。

仕方がない。マヨネーズと和えて明日パンに挟んで食べよう。

卵をむいて液につけよう、キッチンペーパーも要る。

扉を開けてキッチンペーパーの在り処を見る。在庫がない。

夫が洗い物したときに使い切ったな…。

洗い物には使わないでと言ってあったリードまでなくなってて、

それも洗い物で使ったと言ったときにはさすがにイラッとした。

味玉はジップロックで仕込んだからいいのだけれど。

ああ、お風呂のお湯を溜めてたんだった。

もう溢れそうだったので慌ててお湯を止めた。

お湯溜まったけど夫は何をしているかと見に行ったら、

iPadツイッターをしていた。

ハングル名のアカウントに「文句があるなら国に帰れ」と書き込みをしている最中だった。

夫に嫌気がさした。

同時に、帰宅してから慌ただしく明日のお弁当を作ったり、お風呂をためたりしてた自分バカバカしくなった。

キレて豹変したと夫は書いているが、口汚く罵ったりなんてしていないし、泣いて暴れるなんてしていない。

怒る体力なんて残っていない。

「(何をしているかと思ったら、)韓国ヘイト書き込みか…」。

爆発って夫は書いてるけど、燃えるっていうより

スッと冷める感覚の方が近い。

余談だが、私は夫がツイッターをするのは賛成ではない。

詳しくは書かないが、趣味関係2ちゃんねるでの事件があり裁判までやっている。

要するに首を突っ込んで行く性格だ。

本人はある絵描きさんを守るために囮になったと言っている。

から夫がツイッターをはじめるときに、私はいい顔をしなかった。当たり前だ。実績がある。

でも趣味交流がしたい気持ちもよくわかるし、

夫もいい大人だ、何があっても本人の問題から、強くは止めなかった。

はじめるときに、「ネット上で何かあったときに、私は(あなたは何も悪くない)とは言えない」とだけは伝えておいた。

いろいろ首を突っ込んで行く性格から、いつか何かあってもおかしくないとは覚悟はしている。

なので私からすれば、

✕頼んでもいない味玉を作る際に卵が割れて、さらキッチンペーパーが無かったのにキレて夫に当たった 。

○延々と続く韓国ヘイト発言と、ツイッターでも煽りをしている夫に対して嫌気がさした。

このことを「育成過程トラウマを踏んだのが原因」だと思っているようだ。

正直、猫動画でも見てるんだったらこんなにはならなかったと思う。

・週末の般若の顔

生理が来ていて木曜日から調子が悪かった。今回は特に重い。

金曜日は夫が職場に連絡してくれて1日休んだ。夫は神かなと思った。

土曜日10時過ぎに起きて、食べて寝て、3時ごろに目が覚める。

ネットを見ているとマクドナルド月見バーガーが始まったと広告流れる

月見バーガー始まったって」と何気なく夫に言った。

眠くなったのでその後寝た。

次に起きたのは9時すぎだった。

起き抜けの私に夫が言ったのは

夫「やっと起きた。マック行くから準備して」

私「マック胃もたれするから食べないよ?」

夫「遅くに起きるからだ、もっと早く起きればよかったんだよ」

私「出かけたくない、家にいたい」

夫「いいから支度して」

あ、もうこれ聞かないパターンだとは察したものの、準備して出発。

昼の気温37度だったらしいけど長袖2枚着た。

車で5分ほどのところにあるマックまで来たけれど、

開店している雰囲気じゃない。ブラインド下りてるし。

やってないね…といいつつ通過。

だんだん悪くなってくる体調。

途中ファミリーマートが見えたので、

私「ファミリーマート調達して帰ろう?」

夫「いや、僕が月見バーガー食べたいから、近くにあるし」

私(心)『お前が食べたいんかい!!なら仕方ないわ!! 』

しかしどんどん悪くなる体調。

途中で

夫「たまには違う道も楽しいでしょう?」

私「体調がよければね」(余裕なし)

マックに着いたので入店

しかマック冷房が効いていて寒い。長袖2枚着てても寒い

体調不良ピーク。

夫「何食べる?」

私「適当に頼めばいいじゃん」(来る前に「胃もたれするから食べない」って言ったし食べるつもりなし)

 「車の鍵貸して」

私、その後車の中で仮死状態。帰りの車でも冷房つけてて、早く帰りたくて仕方がなかった。

から、自宅のベッドに入るまで「私そんなに悪いことしたかなあ」と連発していた。

そのままベッドでブランケットくるまって寝た。

ベーコンレタスバーガー月見バーガーポテトを一個ずつ買ってた。

翌日、夫の機嫌が悪い。

ダイニングの上にはマックの袋。

ポテト半分と月見バーガー。どうやら私が食べてないから不機嫌らしい。

夫「食べないの?」

私「は?僕が食べたいからって言ってあなたが買った月見バーガーじゃん?」

夫「いや、君の分だけど」

私「月見バーガー食べたかったんでしょ」

夫「は?」

私「1件目ダメだった後でファミリーマート調達して帰ろって言っても

  僕が月見バーガー食べたいからって右折したのあなたじゃん」

夫「は?そんなん認識してない」

そこから言った言わないの水掛け論になる。

私「出かける前にマックは食べられない、でかけたくないって言ったのは認識してないの?」

夫「それは…。(黙)昼に月見バーガーの話して食べたそうだったから。

  連れてって食べさせればいいと思った」

からすれば

「食べられないマクドナルドを買うために、出かけたくないのに出かけて、体調悪化して、

 さらに食べたくもない月見バーガーを食べていないのを責められた」でしかない。

普通の人でも、体調が悪い時にそんなことされたら怒る。般若にもなる。

実際の顔立ちは能面に近いけど。



子供について

結婚当時は子供はいつか、そのうちと思っていた。

まずは二人の生活を楽しみたかったのと、自分の基盤を固めたかった。

妊娠したら生活するにも圧倒的に女性側が不利になる。

産休育休に育児仕事。これだけ求められるのは確定。

自分は実親と不仲で、頼れる手はない。

年齢差のある結婚から自分仕事を辞めるとn年後に詰むのはわかりきっていた。

出来るだけ社会的に不利にならないように、仕事を辞めないでいいようにしたかった。

あと行為も嫌いだった。夫に嫌われないようにずっと演技していた。

痛みが2日は残る。

でもあまりに長いこと夜はなくて、さすがにこれは申し訳なかったなと思う。

その後めまい発症してしまい、子供どころではなくなってしまたか

まずは自分の体調を戻すことを優先にしたけれど。

話は変わるが、夫には弟がいる。私から見れば義理の弟。

結婚していて関東で働いている。

ある時、夫の実家義理の弟から電話が来た。

警察いるから迎えに来て欲しいと。

なぜ警察にいる?

義弟「妻とは不仲で、別の女性と付き合っているがこじれた。

   その女性と話をしようと会社の近くで待っていたら通報されたらしい。

   身元引き受け人が必要から迎えに来て欲しい」

姑「迎えに行く」

その後、姑が夫に関東に行くから駅まで送って欲しいと連絡をし、

夫がなんで?姑かくかくしかじか…と事態が発覚する。

夫「俺が行く」

私「いや、妻に迎えに来てもらえよ」(以前にも出身県まで来て浮気してたって夫言ってたじゃん)

結局新幹線の最終の時間に間に合わなかったため夫姑共に迎えにはいけず、

義理弟は妻に迎えに来てもらったと連絡が来た。

この時点私の中ではで夫・姑・義理弟にはイヤな感情しかなかった。

どうも義弟には女性に対する接近禁止令が出ていたらしい。

それなりに実績があったようだ。

後で聞いたのだが、義理からの連絡の翌日、

姑は義理弟のところに向かったらしい。

そして何をして警察任意同行されたのかを再現させたという。

まり接近禁止令が出ていてそれに基づいて警察任意同行されたのに、

同じことをもう一度やらせたのだ。

接近禁止令が出ているにも関わらず、姑は不倫相手女性会社の近く(もちろん禁止令の範囲内)で

再現させたということになる。

しかもそれを悪いことだと全く思っていないようだった。

「接近禁止令を再度破る幇助を姑はした、悪いとは思っていない」というのが私の認識である

全く別件だが、私自身もストーカー被害に遭ったことがある。

誰も助けてくれないし、ものすごく怖かった。

この時から私の中で姑は「ストーカー幇助をした、悪いとは思っていない」という認識になった。

気持ち悪い。姑とはもう付き合えない。私は泣いて夫に訴えた。

さすがに夫は理解を示して、姑とは最低限の付き合いでいい。

もし姑が義理弟を引き取ると言い出したら、姑宅には住まわせないし

住居を借りるにしても同じ町内には住まわせないと言った。

そこから私は姑とは本当に最低限の付き合いにしている。

冠婚葬祭親族が来た時ぐらい。

さて例の一件もすぎた後、一度だけ生理が2週間ほど遅れたことがあった。

もしかして、とも思った。

妊娠検査薬でもまだ反応のある時期ではないけれど、

生理が来ていないのは事実から伝えてはおいた方がいいと思った。

その時の夫の第一声は

「やった!これでおかん初孫の顔が見せれる!』だった。

私の「戸惑いはしたもののじんわりしたうれしさ」は急速にしぼんでいった。

ああ、この人にとって「私は親に初孫を見せるための道具」だったんだとショックだった。

この人は「私との子供がうれしい」んじゃなくて、

「親に初孫の顔を見せられるのが嬉しい」んだ。

私は親孝行するための道具にすぎなかったんだと。

その後は自分でも制御がきかなくなって

あんな女の孫なんて産みたくない!ストーカー幇助した女の孫なんて嫌だ!」

と言いながら自分お腹を叩いていた。

その後5日ほどで生理が無事に来た。

この件で、私のいつか子供がほしい欲は消え去った。

こどもができても姑に初孫の顔を見せるためで、

そのために自分子供を負うのは馬鹿げているとしか思えなかった。

時は過ぎ、めまいの症状もだいぶ治ってきて、

職場お姉様がたの、こどもの話を聞いていてようやく

やっと、子供のいる生活もいいなと思えるようになってきた。

今度は自分のためにほしくなった。

ももう遅かったらしい。こればかりは仕方がない。

・昨日の夜について

・週末の般若の顔

子どもについて

まだエピソードはあるが、

ここまでのことをしておいてなお、夫からみれば私は「裏表がある性格メンヘラ」らしい。

「成長過程で生じたトラウマに起因する怒り」と位置づけて

「実母に対する怒りを夫に重ねている」と認識しているのが

そうじゃない、わかっていないといわれる点だと思う。

からしてみれば、

怒りはあるが向ける方向を変えてはいない。

夫への怒りは夫に、姑への怒りは姑への対応関係にそれぞれ反映している。

義理弟、奴は知らん。私からみれば他人

トラウマトラウマと夫は言うが、本当にトラウマ?それ。

今回の文章自分で書いていて一番これはトラウマ踏んだなと思ったのが

義理弟の不倫相手へのストーカーと姑の反応の一件」だった。

ストーカーされたことない人はこれを聞いて受け入れるの?普通なの?ドン引きしないの?

実母への怒りを夫に向けてはいない、夫への怒りは夫に起因するものだ。

そして怒る、爆発すると言うが、怒るのも泣くのも体力が要る。

でもそこまでのエネルギーはもう無い。

どちらかというとスッと冷める感じで表情が冷たくなる、能面になるのが近いと思う。

2019-09-12

命をかけて家族と言う虚構を守った母

自分の母は、自分にとっては結果として、毒親だった。

実父は物心つく前にうつ発症自殺、1人残された母はなんとか父の忘れ形見自分を立派に育てようとしたのだろう。

だが残念ながらアル中祖父のもと破綻家庭で育った母には、親のロールモデルがなかった。

自分が振り返る母は、いつも継父やその祖父母の愚痴小学生そこそこの自分に聞かせ、ヒステリックに怒り、泣く子を張り倒し、機嫌が悪いと些細なことでキレる手のつけようのない人だった。

今となれば(それは間違っていたとしても)母なりに母として努力をしていたことは認めるが、今の基準に則せば美談にはならないだろう。

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母はシングルマザーでの暮らしの厳しさに直面し、お金の為に継父と再婚した。

しかしこの継父もまた、ギャンブル狂いの父を持つ破綻家庭の育ちだった。

まり自分を実際に育てた父母は、お幸せな家庭で親の背中を見て育ったとは程遠い人物だった。

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さて、そんな両親が作る家庭と言うのはどう言うものだったのか。

家庭のことは全て母が決め、継父の存在感はなく、自分は何がそうさせるか分からない母のヒステリックな怒りに怯えるものだった。

これには自分がお世辞にも「いい子」ではなかったことにも一因はある。自分感情コントロールが効かずヒステリックで興奮しやすく扱いづらい子供だった。

思うに母はそんな不良品を、良品の型になんとか収めようと四苦八苦していたのだろう。結局それは失敗に終わるが、まぁそれはいい。

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話は飛ぶ。年の離れた妹ができた。

母の妹に対する態度は、自分へのそれとは違って随分甘やかしたものだったと記憶している。

これは泣くと喘息を起こす妹の体質もあるが、もう一つ、言い方が悪いが立派に育てないといけないと言う義務感が薄かったのだろうと思っている。

ただ、これは後に自分の首を絞める事になる。

甘やかされて育ったからか、元々の性格なのか、妹は他人への依存性が高い人間に育った。

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妹が同級生いじめを受けているタイミングで母方の祖母が体調を崩し、妹から目が離れたことで、妹はうつ発症

これがいっそのこと、統合失調症とかもっとぶっ飛んだ病気ならかえってよかったかも知れないが、かつて自分が本当に好き好んで結婚した旦那を殺したうつに妹がかかった。

恐らく、それで母はどこかおかしくなったのだろう。

この後、母は妹を甘やかすに甘やかし、妹はそんな母に強く依存していくようになる。

その先しばらく正直あまり知らない。就職を控えていた自分は、実家実家に日帰りできる距離就職すれば、いずれ自分もその依存に巻き込まれまともに働けなくなると感じ、実家からはるか遠くの企業就職し、以降葬式以外帰らなかった。

ただ話の端々で、父がなにもしないこと、妹の言うがままに振り回され続ける母と言う状況が続いていると感じていた。

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数年後、母はがんを患った。

発覚時点Ⅳ期、いわゆる末期がん。2年以内にほぼ半数がなくなる状態だ。

父は何をしていいかからオロオロするだけ、妹はパニックになり、母本人は言うまでもない。

ブラック企業で疲れ果てていたが、辞める口実もなく、働いていた自分はこれ幸いとばかりに実家方面転職した。

もっと自分が帰って手続きをしなければ、入院や転院の手続きをできる人間がいなかった。

今までそう言うめんどくさいことは全て母がやっていた。その母がパニック状態となり、一旦家庭は崩壊危機に面した。

なんとかそのあたりを自力でできるようになるまで、1年近くかかっただろうか。

どうしたのか?母が最後まで「良い母親」であろうとした結果、なんとか「家族」は取り繕われた。

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まだがんが発覚していない頃、母が自分愚痴っていた。

「妹は『仲の良い家族しかみたくない。私が父を言い争いをしてると怒り出す。現実を見ようとはしない」

果たして、母に余命が限られてなにか変わったか

何も変わらなかった。

継父は最後最後までピントのボケたことを言い続け、妹は最後まで自立しようとしなかった。

死の病に侵されている母に、彼らはそれでも「良い母親であることを求め続けたのだ。

一方で母は、そんな父に愛想を尽かし、行為には至らずとも浮気に近い心持ちを持っていたことを自分は直接母から聞かされた。

離婚して、妹を捨てて、どこか遠くで一人で暮らしたいと言ったこともあった。

それは継父も妹も知らない。

彼らは母に「良い母親であることを死ぬまで要求し、母はそれに応えて「良い母親」を演じた。

舞台裏を知っているのは自分一人。

自分は、父と母と妹が作る「虚構」の家族をどこか冷めた目で見ていた。

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長いようであっと言う間に2年が過ぎ、母はなくなった。奇跡はない。

統計と言う数字いかに正確で冷酷か身を持ってしった。

父が言っていた言葉を思い出す。

「残った家族で力を合わせて頑張っていこう」

だが家族虚構であったことを知っている自分にはひどく白々しく聞こえたことはよく覚えている。

元々興味が薄い方だったが、この一連の流れを見て、自分交際願望や結婚願望と言ったものが完全に崩れ去っていた。

それは自分にとっては当然だった。

自分にとっては家族とは、仕事以外文字通り何もできない父と、家族と言う虚構必死に守ろうとする母と、それにどっぷり浸かり現実を見ようとしない妹、それが全てだった。

もう家族なんてうんざりでごめんだ。

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その考えが自分一人のものだったことを知るのは母の七回忌が過ぎた頃。

妹が結婚をした。デキ婚だった。最近電話では二人目もできたらしい。

ここに来てはじめて気がついた。妹はまだ母が作っていた虚構の中に生きているのだ。

彼女は「仲のいい家族」と言う作られた世界の延長線上に立っている。

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それが本当に幸せなのかどうかは自分には分からない。

自分が話すつもりがない以上、死ぬまで騙され続けるのだろう。

ただ一つ言えるのは、母が最後まで守ろうとした虚構は無事守られたと言うことだ。

それが本人達にとって本当に幸せなのかどうかはわからないけれど。

2019-09-11

人を見下すという現象

ホッテントリQiita上がってるけど

ああ言うのってネットde真実と似てるんだよな

自分近傍しか情報がないから、それ以外を糞だと思ってしまう(あるいは逆に、それ以外が素晴らしいと思ってしまう)やつ

 

これによって起こるのは

・過剰なプライド(例えるならネトウヨホルホル状態

・過剰な卑下(例えるならサヨク日本下げ)

のどちらかで

どちらも知識不足経験値不足から生じていて、若者発症しがちだ

年取っても活動範囲が狭かったり、受け入れなかったりするとずっとそのままだけど

 

そういう課程で殊更に「見下す」「バカにする」といった現象が発生すると思う

から自分は見下してる奴を見下してる

孤独処方箋

孤独身体に害があるらしい

一般的10代〜20代が一番孤独を感じるようで

日本での10代〜20代の死因の第1位が自殺であることを踏まえてもそれは明白

両親や兄弟姉妹がいても孤独である場合もある(人間関係の質が重要らしい)

孤独状態は1日にタバコを15本吸うのと同じ悪影響があるのだとか

実際に冠動脈疾患の発症を29%、脳卒中発症を32%上昇させるようで

長生きはともかく不健康になりたくないか孤独状態はマズいなぁ…と思ってはいもの

そう簡単に気の置けない友人やら恋人やらできないし

なんかい方法ありませんかね?

涙活とかチョコレート喰うとか

一応孤独治療する薬が研究されてるみたいだけど

薬が出るまで待てない

2019-09-08

anond:20190907213107

現実ならありえんという観点ではデカい目とか髪の毛の色とか色々あるのに胸とかそういうのだけアレルギー発症するならそれはあなた性嫌悪問題しかない

not for you

2019-09-07

anond:20190907142455

正確にはそうだな

自閉症母親の年齢は関係ないんだっけか

母親が若くて父親高齢だと発症率が上がり、母親高齢父親若い場合は上がらない、って統計があったと思う

anond:20190907132146

激増した原因って未だに定説が出ていないね

よく見るのは高齢出産増加説とハードル上昇説

ただし高齢出産発症する機序が未解明な上に、統計に出るレベルの増加があるのか?という疑問がある

一方のハードル説というのは、社会要求されるコミュ力スキルがどんどん上昇し、子供時代から要求されるので、ついていけない児童がどんどん障害認定されるという話

こっちはあるかもな〜

2019-09-04

anond:20190904135424

FUJI★7GIRLsフジ-セブン-ガールズ】

活動期間:2012.5~2015.3

パチンコ製造メーカー藤商事」が自社製品PRするために結成した。

メンバーは全員プラチナムプロダクションアイドル構成

鈴木咲黒沢美怜桜子馬越幸子矢野清香沢口けいこ横川ユカで結成。

2013年6月、藤香が加入。

2013年8月、藤香が脱退か。

2013年11月所属事務所公式HPメンバー全員が撮影中の事故により芸能活動を休止するとの告知が掲載された。詳細について触れられていなかったが、その後の藤商事HP声明報道などからメンバーパチンコ台で流れる動画撮影中、セメントを頭からかぶるなどの演出を行っており、生のセメントに直に接触したことによる皮膚炎を発症したとみられる。問題のシーンでは、罰ゲームで用いる泥が調達できず、スタッフセメント代用したらしい。

事態が公になった直後、公式HPが削除された。

2013年12月事故から活動を再開。

2014年3月鈴木咲横川ユカ卒業

2014年4月小田あさ美加藤遥が加入。

2015年3月活動終了。

鈴木咲事務所を変えて活動中。

黒沢美怜事務所を変えて活動中。恵比寿★マスカッツ3期生メンバー

桜子活動中。Prediaのメンバー

馬越幸子小倉優子の夫と不倫して契約解除。

矢野清香2015年9月芸能界引退

沢口けいこ活動中。Prediaのメンバー

横川ユカ2019年3月に「横川ユカ」名義での活動を終了。芸能活動継続

小田あさ美活動中。

加藤遥…2017年結婚して引退

わりと生き残ってるな。

2019-08-30

病院へ連れていけ、とは言われるけれど。

●身内に発達障害から双極性障害発症したひきこもりがいる。周囲からは「事件になる前に病院へつれていけ」「病院ちゃん治療させろ」と言われるが、本人は精神障害否定しひきこもるので、病院へ連れ出すすべがなく途方に暮れている。

病院に連れていきたいが、薄氷を踏むような状況で一歩間違えば何かが「ゲームオーバー」になりそうだ。行政サポートNPO支援などで、なんとか連れて行く方法はないだろうか。途方に暮れている。

2019-08-29

何者にもなれなかった私の生存戦略

初めてアニメイトに入ったのは小学六年生頃だったと思う。見事中二病発症した私は、そこから思春期を終える高校卒業まで、見事に「自分特別」だと心の深いところで信じていた。とても強く信じていた。
封神演義からオタクに目覚めた私は、テニスマンキンDグレ、笛!、ミスフル…と、WJ系のキャラクターに恋する夢女となり、書き手になった。
作品内に出てくるキャラクター髪型を真似たり、「私は〇〇と付き合ってる」と言い始めたりと、暗黒の中二病時代を送っていた。部屋の片づけをして当時のノートなどが出てくると目も当てられないような落書きや、謎のポエムが書かれていて、居た堪れない。
中学二年生の頃に夢サイトを持ち、同盟リングリンクを貼ったり、ランキングサイト登録して集客数を伸ばしたり、コンテンツとして夢小説だけでなく、キャラレス掲示板を用意してマメに返信をしたり、キャラレスメルマガ配信して何通か夢女達に夢を見させたりと、自分妄想をしながら、更に他のオタク女の夢脳を拗らせさせるという、欲の渦の真ん中近くにいた。
高校生に上がる頃には、今でいうところの特定の「推し」を作り、その推し自分のロングログラブストーリーを頭の中で練って「いつかサイト掲載するぞ」と考えていた。

当時の私は、何の疑いもなく「自分特別だ」と思い込んでいた。
流石に魔法とか魔術とか、そういうもの中学生のうちに卒業したけれど、高校に上がって尚、私は自分特別存在だと信じ込んでいた。それが、作風にも出ていたし、好んで読んでいた夢サイトの連載もそういう体で書かれていた。

特別』な私は、学校でも人気の仁王雅治君と『たまたま』隣の席となり、そのおかげで『話しかけられる』ようになって、『距離が縮まって』いく。彼は話しているうちにだんだんと『私は他の女子と違う』と思い始めて『興味を持つ』けれど、私の気持ちは他の人に向いていると思い込む。『二人きりの帰り道』に、仁王君はたまらず「俺は自分を騙すのも上手いぜよ」と言って私を困らせ、言及すれば「ピョ」と言ってはぐらかしてしまう。<< 大体こんなストーリーだったと思う。あんまり詳しくは覚えていないのだけれど、このまま何やかやあって大団円に向かっていく。大人になれば『』内のことは概ね起こらない事だと分かる。そもそも自分がそういう意味で意中の相手から持て囃されるような存在でないことは、流石に25を過ぎる頃に完全に腹落ちしていた。
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結局私は30を過ぎた今も「特別」な存在ではない。中二病を爆発させていた高校生の頃「平凡な日常なんていらない」なんて宣っていた私は今、平凡な日常をこよなく愛している。
私は結局、何者にもなれなかった。
私の書いた小説の中で言えば、名前も出て来ず、一言喋るクラスメイトAくらいの役割で、今日常を送っている。
そんな私が「特別存在じゃなくてもいいかな」と、今の自分を認められたのは、趣味があったから。そして、それを通じて知り合った同じコンテンツに熱と愛と金を注ぐ友人を何人も得たから。

趣味の中で、私は作り手の立場でいる事が多い。小説は夢からNLBL,オリジナルと内容の幅が広がり、コスプレは(上がってしまったけれど)衣装や小物作り、被写体になったり、カメラマンになったりもした。友達と何時間撮影場所の選定や、撮りたいイメージを語り合い、ラフを描き、カメラマンさんにインプットして撮って頂いた。アクセサリー作りをしてイベント頒布するようになった。編み物をしてイベント頒布するようになった。同人小説本をネットだけでなく、紙にして、イベント頒布するようになった。
途中まで、他人から評価が気になっていた。ちゃんと私は、私の作品は、「正しく」評価されるのだろうか。皆、これを見て私を好いてくれるのだろうか。そんな事ばかりを考えていた。
けれど、作品の傾向などから自分の好みが万人受けするものではないと気付いた。

そこで私は、他の誰でもない、自分の為に書く事が増えていった。正直、いいねなどの評価はそう多い方ではない。
何なら「なんでこのCPなのに不幸にするんですか?」「顔カプやめてください」なんて批判をいただくこともある。
だけど、確実に心のこもった、手の込んだ感想を頂くようになった。数は本当に本当に少ない。片手で足りる。それでも、どうしようもなく満たされていく。
私は、誰から特別扱いされるような美貌を持つ訳でも、センスを持っている訳でも、才能がある訳でもない。どこにでもいる、ありふれたアラサーオタク女だ。

結婚は一度した。仕事もある。そして、趣味もある。 皆の特別にはなれなかったけれど、その時々の恋人にとって、その時は「特別」で、家族にとっても私は「特別」。職場でも私の能力尊重される。
どれも、「何者かになりたかった私」の望む特別とは少し違う。それは持続性だったり、熱量だったり、関係性だったり。だけど、そういう小さな特別」を膚で感じて、積み重ねていくと、なりたかった「特別」とは違う、もっとレイヤーの多い、沢山の色を持った自分が見える気がする。

これが、何者にもなれなかった私の生存戦略

2019-08-28

父親の生きている意味

2年ほど前に父親認知症発症した(ボケた)

ボケる前から親父と話していたが「ボケた際には老人ホームへ入れてくれ」という希望通り、サービス付き高齢者向け住宅へ入居。

現在は、認知症で要介護2の認定を受け、寝ているかテレビを見ているかという生活を送っている。

正直なところ、父親が生きていることに意味を見いだせないでいる。

もちろん父親には長生きして欲しいとは思っていたが、最近では自分自身それも怪しくなってきた。

週2回、仕事の合間をぬって、父親と昼食を一緒に取るようにしているが、とにかく会話が通じない。

いや、正確にはその場限りの受け答えは出来ているのだが、5分前のことを忘れているため、「会話を楽しむ」という事ができない。

ボケた後以降の記憶は一切なく、ボケる前の記憶最近のものからどんどん忘れていっている。

することが無く、テレビを見ているのでニュース話題などを降ってみるが、

5分前の事を忘れているのにテレビで見たニュースことなど覚えているはずもない。

子ども(親父から見て孫)の話などをしてみるが、今何歳だったかを覚えておらず、

毎回「えっ、もうそんなに大きくなったん?」という話で終わり、新しい会話ができない状態

毎回毎回同じ会話だと、どんどん会話をするのが億劫になっていき、

今ではなんとなく一緒に食事をしているが、あまり会話がない。

昨日、ケアマネージャー相談してケアプラン作成を行った。

父親脳梗塞心臓内に血栓ができたこと等があり、定期的な服薬なしには命が維持できない。

現状では自分で薬を管理することが出来ず、服薬のために"定期巡回サービス"を受けることが必須である

介護保険を使って、このサービスを受けており、月間の自己負担額は1万円強程度。

介護保険から毎月10万円程度の給付を受けている状態である

現在父親は70代半ば、私を含め兄弟はそれぞれに独立しており、母親鬼籍

父親、夫としての役目を果たし終えており、もう何かをしなければならないということはない。

もう人としての役割を終えた気がする。

親父自身が蓄えた金で親父自身の命を維持するのであれば問題は無い。

ただ、現在の仕組み上、公的な金をもらって父親の命を維持していることに、ものすごい違和感があり、罪悪感がある。

もちろん、親父が今までに多大な税金社会保険料介護保険料などを支払ってきたことも確かだと思うし、

それを払う側の立場から、もらう側の立場に変わったという事もわかる。

ただ、この人が生きている事に、どんな社会的意味があるかを見いだせないでいる。

自分が同じようになったらどうするんだろうか?という疑問があり、どこかのタイミング自分自身の命を諦めるタイミングがありそうな気がしている。

もちろんこれは自分自身に対するもので親父の命に対しての話ではない。

仮に親父が自分人生を終わらせたいと思っても、法を破ってまでそれを手伝う優しい息子ではない。

2019-08-23

anond:20190823134533

吃音発症きっかけに「吃音モノマネを続ける」てのがあるのをなんか思い出した

2019-08-22

鬱で退職したらどこも雇ってくれないんだけど皆どうやって復帰したん?

精神病を患っている

・前職の業界にはもう関わりたくない

結構いい歳いってから発症

高齢化のせいで新人が入らずずっと自分が最年少だから管理経験に乏しい

摂食障害により身体ボロボロになったか肉体労働できる筋肉がない

頭脳パズルだと思って試しにクリアしてみて欲しい

2019-08-19

五輪学生ボランティア事実上強制動員に怒りを禁じ得ない

運営熱中症の怖さを軽視してるとしか思えない。夏の太陽は人の命を刈り得るという事を知った方が良い。そして熱中症に年齢は関係ない。若いから大丈夫だろで済まない。単位で釣って学生炎天下へ引きずり出すようなやり方が本当に気にくわない。

自分語りになるけど許してほしい。俺は熱中症経験者(幸い軽度)。高校一年の時発症。当時屋外スポーツ部活所属してた。体調がおかしくなって病院に行ったのは寝起きの朝だった。吐き気や呼吸の乱れに襲われて冷静じゃ居られなかった。熱中症時間差で来ることもある、俺もそれだった。

点滴を2本打つことになった。医者曰く、点滴1本打つと普通尿意を催すらしい、血管に直接水分を送ってるから。俺は1本打ち終わっても尿意が全く来なかった。2本めの終わり際にやっと催した。ひどい脱水状態だった証拠だと医者に怒られた。

この経験以来体質が変わった。まず集中力思考力が落ちた。頭に靄がかかった様な、スッキリしない状態常態化した。多分脳にダメージ行ったんだと思う(検証したわけじゃ無いけど)。

それと極端に暑さと日光に弱くなった。毎年夏になると倦怠感でロクに動けなくなる。それに頻繁に吐き気頭痛や寒気に襲われる(暑いのに寒気がし出す事があるんだよ、不思議と)。この前なんて仕事半日ほど車の運転しただけで頭痛疲労感に襲われて、帰宅後ベッドの上で2時間くらい動けなくなった。車内はクーラーを効かせてたにも関わらずこれだ。

因みに死んだ俺の祖父も畑仕事中に熱中症で倒れた事があった。年齢の割には身体も大きく、頭もしっかりしてて、とにかく元気だったのに。熱中症を境に元気が無くなって、身体は痩せ細り会話も以前ほどハツラツと出来なくなってしまった。熱中症になってさえいなければ、もう少し長生きできたのかなといつも思う。

熱中症は毎年ニュースで騒がれてる割には、やっぱり実体験として苦しんだ事ない人は軽視しがちだと常々感じる。先日も上司ゴルフに誘われたけど熱中症が怖いからと断った。ゴルフ以外にも夏場の誘いは基本断ってる。そうすると大体「若いくせに、男のくせに、情けない」と言われる。

1度だけヤケクソで誘いに乗った事があった。案の定体調が悪くなってダウンした。その時の同僚は青い顔して日陰で横たわる俺を見てやっと理解を示してくれる様になった。

こんな調子から俺は夏が怖い、毎年夏が来るのが本当に怖い、夏ってだけでメンタルが病んでしまう年もあるくらいだ。そしてその怖さを知ってるからこそ、学生を半強制的に動員しようとしてる今回の方針には怒りを禁じ得ないし呆れ返ってる。未だ熱中症対策が整ってない中、ノルマまで課してボランティアを募るなんて馬鹿にしてるとしか思えない。

俺は言いたい。ボランティア要請が来たとして、自分の体力や体質や体調に不安があるなら躊躇わず断ってください。断りきれず強制的に参加させられる事になった場合も、勇気を持ってボイコットしてください。熱中症について理解を示してる人は、恐らくまだまだ少数です。苦しむのはあなた自身です。周りの人は苦しむあなたを見て「まさかこんな事になるなんて…」と無責任な事を言い放つだけです、残念ながら。

もしそれで五輪が大コケや失敗に終わったとしても、それはあなたのせいじゃありません。無理な運営計画祟り失敗するべくして失敗するってだけの事です。

積極的に参加したい人、使命感を持って携わりたい人は是非五輪を盛り上げてください(体調管理にはとにかく気をつけてください)。こういった熱い想いを持つ人が自主的に集まるからこそ大きな力を発揮するのが本来ボランティアだと思います

最後にくどいようですが、夏の太陽は時に命を奪います熱中症になったら後遺症が残る事もあります若さ根性でどうにかなるもんじゃ無いんです。運営がその事を理解してくれる事を願います。そして熱中症で苦しむ人が出ない事を祈るばかりです。

2019-08-14

anond:20190814162522

境界性パーソナリティ障害患者孤独に対する耐え難さを有する;

見捨てられることを避けるために死に物狂いの努力を払い,

他者が救助または世話をしてくれるよう仕向ける形で自殺のそぶりをみせるなどの危機を生み出す。

幼児期ストレス境界性パーソナリティ障害発症寄与している可能性がある。

身体虐待および性的虐待ネグレクト,養育者との分離,および/または片親の喪失という小児期の病歴が境界性パーソナリティ障害患者にはよくみられる。

生活環境へのストレスに対し病的反応を生じる遺伝的傾向が認められる場合があり,

境界性パーソナリティ障害には明らかに遺伝的要素があるとみられる。

境界性パーソナリティ障害患者の第1度親族は,一般人口よりこの障害を有する可能性が5倍高い。

脳および神経ペプチド系の調節機能の異常も寄与している可能性があるが,境界性パーソナリティ障害患者全てにみられるわけではない。

2019-08-12

anond:20190812161925

政府見解では、

オリンピック会場で熱中症になるような人物は、

オリンピック会場に着く前から既に熱中症の前段階にあったのであって、オリンピック参加・観戦と熱中症には因果関係はありません。

日ごろの睡眠不足、水分不足がそもそもの原因で、たまたまオリンピック会場で発症したに過ぎず、街中を歩いていただけでも発症していたはずです。

熱中症でなくられた人は、あくまでも病院で亡くなられたのであって、オリンピック会場では一人も死者は出ていない点に留意した報道をお願いします。




・・・みたいなこと言い出しそう。予想だけど。

2019-08-09

anond:20190809194204

なるほど。そういうことか。

免疫力が高ければ、なかなか表に出てこないんだな。

逆に低いと処女でも発症ちゃうってことか。

anond:20190809193959

性病の原因菌は家族で共有されていることがおおくて、

免疫力が低下したときにだけ発症するメカニズムが知られているんですよ。

なので、性交の有無は関係無いことも多々あるそうな。

2019-08-05

anond:20190805202623

水泳部は髪が脱色されちゃうし、ゴーグル付けなきゃでしょ。

塩素消毒されたプールで泳ぐとがん発症リスクが増える可能性があるって研究もあったような。

2019-08-02

名倉潤さんの鬱病

走り続けていたのに、急に立ち止まると

今まで見ないフリをしてきた疲労ストレスとモロに直面し

立ち直れなくなってしまうことがある。

術後の慣れない生活による侵襲?に起因するのではと言われているが

ネプチューン名倉潤さんも、冒頭のような現象ではないかと思う。

筆者も現在同じように、一度立ち止まってしまった瞬間から

鬱病と不眠を発症し、復帰ができない状態でいる。

今なお鬱病と不眠が改善しない理由がもうわからない。きっかけなんて些細なことだった。

原因がわからないと治療法もわからない。

医者から処方された薬をきっちりと服用してはいるが

社会復帰の目処が立たない。もうどうすればいいのかわからない。

そんな状況にさらに落ち込む。

名倉潤さんはたった2ヶ月足らずで復帰できるのだろうか。

わたしはどうすれば良いのだろうか。とても絶望している。

2019-08-01

anond:20190801190217

からで悪いんだが、これは発症時期も含めて個人差がかなり大きい話。青年期に発症して、かなり早めの段階で治療に入ることができた場合は、症状の残遺もほぼなく、その後の人生を過ごすことのできる場合もある。しかし同じようなスタートであっても、残遺が比較的ある場合などは、陽性症状がおさまった後も継続して薬による治療を続けないと、また陽性症状をぶり返すことが少なからずある。それを繰り返すことは、予後悪化につながることも多い。だから、人によって違う話だし、他の人の経験的事実はあまり参考にはならんよ。ここで聞くより信頼できるドクター探す方がいいと思う。

anond:20190801154131

逆の未来も考えられる。

エアコン発明されていなかったら、人類温暖化した地上での居住を早々にあきらめて、

地下や海底へと移り住んでいた。

太陽光の直接当たらない場所移住したことで、皮膚がんを始めとする多くの病気発症率が下がった。

みたいな感じでエアコン発明されなかったお蔭でたどり着けていたはずの理想未来があったはずなのに、

エアコン発明されてしまったせいで、人類もっと悲惨な道を歩まされる羽目になった。

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