実父は物心つく前にうつを発症し自殺、1人残された母はなんとか父の忘れ形見の自分を立派に育てようとしたのだろう。
だが残念ながらアル中の祖父のもと破綻家庭で育った母には、親のロールモデルがなかった。
自分が振り返る母は、いつも継父やその祖父母の愚痴を小学生そこそこの自分に聞かせ、ヒステリックに怒り、泣く子を張り倒し、機嫌が悪いと些細なことでキレる手のつけようのない人だった。
今となれば(それは間違っていたとしても)母なりに母として努力をしていたことは認めるが、今の基準に則せば美談にはならないだろう。
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母はシングルマザーでの暮らしの厳しさに直面し、お金の為に継父と再婚した。
しかしこの継父もまた、ギャンブル狂いの父を持つ破綻家庭の育ちだった。
つまり自分を実際に育てた父母は、お幸せな家庭で親の背中を見て育ったとは程遠い人物だった。
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さて、そんな両親が作る家庭と言うのはどう言うものだったのか。
家庭のことは全て母が決め、継父の存在感はなく、自分は何がそうさせるか分からない母のヒステリックな怒りに怯えるものだった。
これには自分がお世辞にも「いい子」ではなかったことにも一因はある。自分も感情のコントロールが効かずヒステリックで興奮しやすく扱いづらい子供だった。
思うに母はそんな不良品を、良品の型になんとか収めようと四苦八苦していたのだろう。結局それは失敗に終わるが、まぁそれはいい。
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話は飛ぶ。年の離れた妹ができた。
母の妹に対する態度は、自分へのそれとは違って随分甘やかしたものだったと記憶している。
これは泣くと喘息を起こす妹の体質もあるが、もう一つ、言い方が悪いが立派に育てないといけないと言う義務感が薄かったのだろうと思っている。
ただ、これは後に自分の首を絞める事になる。
甘やかされて育ったからか、元々の性格なのか、妹は他人への依存性が高い人間に育った。
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妹が同級生にいじめを受けているタイミングで母方の祖母が体調を崩し、妹から目が離れたことで、妹はうつを発症。
これがいっそのこと、統合失調症とかもっとぶっ飛んだ病気ならかえってよかったかも知れないが、かつて自分が本当に好き好んで結婚した旦那を殺したうつに妹がかかった。
恐らく、それで母はどこかおかしくなったのだろう。
この後、母は妹を甘やかすに甘やかし、妹はそんな母に強く依存していくようになる。
その先しばらく正直あまり知らない。就職を控えていた自分は、実家や実家に日帰りできる距離で就職すれば、いずれ自分もその依存に巻き込まれまともに働けなくなると感じ、実家からはるか遠くの企業に就職し、以降葬式以外帰らなかった。
ただ話の端々で、父がなにもしないこと、妹の言うがままに振り回され続ける母と言う状況が続いていると感じていた。
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数年後、母はがんを患った。
発覚時点Ⅳ期、いわゆる末期がん。2年以内にほぼ半数がなくなる状態だ。
父は何をしていいかわからずオロオロするだけ、妹はパニックになり、母本人は言うまでもない。
ブラック企業で疲れ果てていたが、辞める口実もなく、働いていた自分はこれ幸いとばかりに実家方面に転職した。
もっとも自分が帰って手続きをしなければ、入院や転院の手続きをできる人間がいなかった。
今までそう言うめんどくさいことは全て母がやっていた。その母がパニック状態となり、一旦家庭は崩壊の危機に面した。
なんとかそのあたりを自力でできるようになるまで、1年近くかかっただろうか。
どうしたのか?母が最後まで「良い母親」であろうとした結果、なんとか「家族」は取り繕われた。
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「妹は『仲の良い家族』しかみたくない。私が父を言い争いをしてると怒り出す。現実を見ようとはしない」
何も変わらなかった。
継父は最後の最後までピントのボケたことを言い続け、妹は最後まで自立しようとしなかった。
死の病に侵されている母に、彼らはそれでも「良い母親」であることを求め続けたのだ。
一方で母は、そんな父に愛想を尽かし、行為には至らずとも浮気に近い心持ちを持っていたことを自分は直接母から聞かされた。
離婚して、妹を捨てて、どこか遠くで一人で暮らしたいと言ったこともあった。
それは継父も妹も知らない。
彼らは母に「良い母親」であることを死ぬまで要求し、母はそれに応えて「良い母親」を演じた。
自分は、父と母と妹が作る「虚構」の家族をどこか冷めた目で見ていた。
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長いようであっと言う間に2年が過ぎ、母はなくなった。奇跡はない。
父が言っていた言葉を思い出す。
「残った家族で力を合わせて頑張っていこう」
だが家族が虚構であったことを知っている自分にはひどく白々しく聞こえたことはよく覚えている。
元々興味が薄い方だったが、この一連の流れを見て、自分は交際願望や結婚願望と言ったものが完全に崩れ去っていた。
それは自分にとっては当然だった。
自分にとっては家族とは、仕事以外文字通り何もできない父と、家族と言う虚構を必死に守ろうとする母と、それにどっぷり浸かり現実を見ようとしない妹、それが全てだった。
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その考えが自分一人のものだったことを知るのは母の七回忌が過ぎた頃。
妹が結婚をした。デキ婚だった。最近の電話では二人目もできたらしい。
ここに来てはじめて気がついた。妹はまだ母が作っていた虚構の中に生きているのだ。
彼女は「仲のいい家族」と言う作られた世界の延長線上に立っている。
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今日も女は毒親叩き