ボケる前から親父と話していたが「ボケた際には老人ホームへ入れてくれ」という希望通り、サービス付き高齢者向け住宅へ入居。
現在は、認知症で要介護2の認定を受け、寝ているかテレビを見ているかという生活を送っている。
正直なところ、父親が生きていることに意味を見いだせないでいる。
もちろん父親には長生きして欲しいとは思っていたが、最近では自分自身それも怪しくなってきた。
週2回、仕事の合間をぬって、父親と昼食を一緒に取るようにしているが、とにかく会話が通じない。
いや、正確にはその場限りの受け答えは出来ているのだが、5分前のことを忘れているため、「会話を楽しむ」という事ができない。
ボケた後以降の記憶は一切なく、ボケる前の記憶も最近のものからどんどん忘れていっている。
することが無く、テレビを見ているのでニュースの話題などを降ってみるが、
5分前の事を忘れているのにテレビで見たニュースのことなど覚えているはずもない。
子ども(親父から見て孫)の話などをしてみるが、今何歳だったかを覚えておらず、
毎回「えっ、もうそんなに大きくなったん?」という話で終わり、新しい会話ができない状態。
毎回毎回同じ会話だと、どんどん会話をするのが億劫になっていき、
父親は脳梗塞、心臓内に血栓ができたこと等があり、定期的な服薬なしには命が維持できない。
現状では自分で薬を管理することが出来ず、服薬のために"定期巡回サービス"を受けることが必須である。
介護保険を使って、このサービスを受けており、月間の自己負担額は1万円強程度。
現在父親は70代半ば、私を含め兄弟はそれぞれに独立しており、母親は鬼籍。
父親、夫としての役目を果たし終えており、もう何かをしなければならないということはない。
もう人としての役割を終えた気がする。
親父自身が蓄えた金で親父自身の命を維持するのであれば問題は無い。
ただ、現在の仕組み上、公的な金をもらって父親の命を維持していることに、ものすごい違和感があり、罪悪感がある。
もちろん、親父が今までに多大な税金や社会保険料、介護保険料などを支払ってきたことも確かだと思うし、
それを払う側の立場から、もらう側の立場に変わったという事もわかる。
ただ、この人が生きている事に、どんな社会的な意味があるかを見いだせないでいる。
自分が同じようになったらどうするんだろうか?という疑問があり、どこかのタイミングで自分自身の命を諦めるタイミングがありそうな気がしている。
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