はてなキーワード: 悪感情とは
自分は褒める事が許されなくて褒めるとそれだけで気持ち悪がられるって露骨な差別だよな
でも自分は気持ち悪がられる側の人間だから辛いけどそれは仕方ないと思う辛いけど…って気持ちを吐き出してる
それ自体は別に許されてもいいと思うけど、この増田に真っ先に付いたトラバが本当酷い
なんで増田が言うと嫌な雰囲気になる可能性が高いことがわかってんのにそこまでして言いたいのかがわからん
黙っときゃいいだろ
ほんとよくわかる
イケメンの仲間入りしたいんかな
女と仲良くしたいんだよ
マジか
元増田は自分が発言すると空気が悪くなると学習して黙るようになったけど、お洒落してきた同僚に声をかけたいと思う事さえ許されないのか
「イケメンと違ってテメエみたいな気持ち悪い奴は声をかける事自体が悪なんだからイケメンにだけ許されるような事しようとすんなよ死ねよ」って事か
「イケメンじゃなくて増田みたいなのが容姿を褒めるのは性欲剥き出しだから気持ち悪がられるんだよ」ってか、イケメンの称賛に性欲は無いけどブサイクの称賛は下半身丸出しってか
まあ普段から話し上手なイケメンにお洒落を褒められるのと、あんまり好きじゃない興味もない相手にお洒落を褒められるのとじゃ全く感覚が違うって言うのは分かるけど
そう呟いたのは多分六年前だか五年前だったかと思う。その時俺達は喫茶店で、世の中の悪が何かについて話していた。
その場には男の先輩が一人と女の子の後輩が二人いて、先輩は「知ってる」とぽつり。女の子二人は「しらなーい」とぽつり。
勿論、俺と先輩はその話を掘り下げたりせずに、穏当に元の話題の路線へと戻り、「やっぱ世の中気を付けて生きなきゃだめよ」みたいなことを言っていた。女の子二人はケラケラと笑っていた。
◇
何で今更になってこんなことを思い出したかというと、当時テーブルを囲んでいた後輩の女の子が先輩と付き合って、破綻して、今朝がたtwitterで僕を含めた当時の関係者に対しての呪詛を書き連ねていたからである。
多分こういうのは、よくある話なのだろう。勿論僕はその後輩に横恋慕していて、そして二人の関係とか、あるいは時折後輩の見せる刺すような発言と態度に傷を負ったりしながら生きてきたのだけれど、そんなことは些事である。一々考えるようなことじゃない。
ともかく、今僕がこの文章を書いているのは、後輩の女の子が僕と先輩を含む当時の関係者にSNSで呪詛を連ねているところを見たからである。
その呪詛がどんなものだったかというと、彼女曰く、「悪を糾弾できない存在も悪だ」、とのことであった。
つまり、彼女はこう言っているわけである。当時、破壊的性向を持っていた先輩のことを僕を含む関係者は止めることができなかったし、そして、物事が落ち着くべき位置に落ち着いてなお、僕を含めた関係者は先輩のことを表立って糾弾したりするでもなく、あるいは罰したりするでもなく、淡々と日々を送っているのだと。つまり、先輩が悪であると同時に、先輩を裁くことなく静観していた、僕を含めた関係者もまた悪なのだと。
全く以てその通りだと思う。僕は悪の片棒を担いでいるのだ。物事を正しく裁こうとなど決してしなかったのである。
一応、僕は見知っている後輩らが先輩に対して好奇心なり何なりを持っているのを見咎めると、「先輩は悪人だから近付かない方がいいよ」と度々言及していた。(「悪」の具体的な内容についてはここでは伏せるが)
とは言え、一見インテリジェントで気が利いて、かつある分野において顕著な業績を収めた人物である先輩に対して、後輩たちは僕の忠告をあまり深刻には受け止めなかった。あまり僕の忠告は功を奏さなかった。後輩たちの中には、今でも先輩に連絡を取り続けている子もいるようである。まあ、それはそれで良いのだと思う。僕は別に彼女たちを悪し様に思っていないどころか、先輩にだって悪感情を持っていない。彼女たちはそれなりに幸せそうであるし、今でさえ僕は先輩と時々食事をしたり、ボードゲームに現を抜かしたりしている。
◇
スナッフフィルムについてご存知だろうか?
それは、快楽を目的とした殺人行為を撮影した映像作品のことを指している。特に、商業的意図を以て撮影されたものを指す。スナッフという言葉は、「ロウソクを吹き消す」という意味を持つ動詞であり、同時に「殺人」のスラングでもある。
勿論僕も現物を見たことはない。そもそも、「スナッフフィルムは単なる都市伝説で、実在しない」という論も根強い。
ただ僕は、二十年近く前にアングラサイトで「衝撃! 少女が公園で殺害される映像! 購入は以下のアドレスで!」的な宣伝がされていたのを見たことはある。そのサイトによれば、外国人の少女は公園で刺殺され内臓を引きずり出された後に、ガソリンによって燃やされるとのことであった。そういう宣伝を実際に目撃した人間からすると、スナッフフィルムは実在するという立場から主張するほかない。
(また、中東やロシアでの拷問や処刑の映像も広義のスナッフフィルムとみなすことができると思う)
スナッフフィルムにおいて撮影されるのは、主に少年少女である。
主なスナッフフィルムの内容は、少年少女に麻薬を与え、性的に高揚させた後で凌辱し、その後に殺害する、といったものであるそうだ。僕もよく知らない。正直この知識は既存の創作物から得たものなので、信憑性においては幾分問題があるかもしれない。
いずれにせよ、仮にスナッフフィルムが伝聞の通りに存在するのであれば、それはこの世の悪を煮詰めた存在であると思う。
それは、恐らくそれを求める人間が存在し、また、それを供給し得る人間が存在しているからだと思う。仮に、ある人物が何かを要求し、その対価としての金銭を十分に示せるとして、何者かがその要求された何かを提供できるとすれば、多くの場合そこには商業的取引が実現してしまう。可能な物事が、不可能であり続けることは難しいのである。マーフィーの法則を引くまでもない。
つまり、そのような商業的なやり取りは、人の意志を超えてしまうのだ。それが可能である限りで実現してしまう事柄に、人の意志は関係ない。そこにはある種のシステムが構築されてしまうのである。
そのようなシステムに根差しているのは、明らかに人間の欲望と暴力である。人間にとってのある種の欲望と暴力が可能である時、そこにはシステムが出来上がる。システムは、金銭と欲望達成を媒介に、暴力的に成立する。そして、人の意志とは関係なくそのシステムは自己増殖し、その体系をより確固たる存在へと変えていく。
「人々が欲望し、かつ金銭的対価を支払える事柄は、それが不可能でない限り実現する」これが、欲望と暴力のシステムにおける定言命法である。そこでは人の意志に関わらず淡々と物事が実現する。一度実現したシステムは、当事者の意志で止めることはできない。金銭を媒介に、システムは機能し続ける。
というわけで、世の中にはいわゆる悪が蔓延ることになるわけである。勿論、繰り返すようにスナッフフィルムの存在は都市伝説に過ぎない。「スナッフ」と銘打たれて販売された商品の多くが、作り物であるとも言われる。しかし、僕は「スナッフフィルムは都市伝説に過ぎない」という発言に対して、どうしても疑義を覚えてしまうのである。そう、人の意志とは関係なく機能するシステムが世の中には既に構築されており、そのシステムの内部においては、可能である事柄はすなわち実現するのである。そういった原則を振り返った時に、快楽としての殺人が不可能であると断じることが僕にはできなくなってしまうのだ。
まあいい。とにかく、世界においては、可能である限りで、そしてそこに人の欲望が存在し、金銭的な対価を示せる限りで、ある種の悪や暴力が必然的に実現してしまうという、悍ましいシステムができている。我々は、そのようなシステムに向き合わなければならない。そのようなシステムを糾弾し、ハックしなければならない。その在り方を上手く変更せねばならない、はずだ。
とは言えそのような決意が実現されることは稀である。何故だろう? 我々は多くの場合悪を放置し、看過するしかないのである。それが不可能であるからだろうか? 我々に内在する欲望を媒介に機能するシステムを、我々自身が変更し、打破しようとする行為は、そもそも自己矛盾的だからだろうか? よく分からない。
いずれにせよ、自身の欲望に根差したシステムに変更を加える行為は、決して簡単ではない。我々は、そのような欲望と暴力のシステムをどうしても看過せざるを得ない。
それは、スナッフフィルムに限った話ではない。ある種の極度に暴力的なコンテンツに限った話ではない。我々の身近には、その手のシステムが息づいている。我々は、日常的に、そのようなシステムに触れることになる。我々は暴力と欲望に根差したシステムに、普段から関与し、触れることになる。
例えば、不均衡なコミュニケーションもそれだ。一方の話者の力関係が他方の話者に優越しすぎたコミュニケーションは、暴力的な影絵を描く。そこには権力の不均衡が生じ、そして暴力と欲望充足を生じさせることになる。そのようなシステムが我々の日常では機能しているし、何なら我々はそのようなシステムに組み込まれている。
例えばそれは企業と個人の力関係においてそうであるし、あるいはある種の閉じたコミュニティにおいてもそうである。そのような力関係において、いわゆる弱者が欲望充足の手段とされることは珍しくない。我々の身近に、そのようなシステムは往々にして存在している。
我々はそれを看過しながらに生きている。あるいは、そのシステムを自身の一部として受け入れながらに生きている。
何故なのだろう?
『不人気キャラでもゲームから削除されなくてSSRが貰えるんだから良い運営だよ』
↑
SNSで目にするこういう意味合いの擁護やフォロー。これが今しんどい。
自分の好きなアイドル(=ゲーム内のキャラクター)はゲーム内の総選挙の上位に入るような子からそうじゃない子まで何人か幅広〜くいるので自分は多分割とニュートラルに好き好みがあるP(=ユーザー)だと思う。
で、ゲーム内やSNSでの交友関係も有難い事に色んなアイドルのPさんと持たせてもらえ、楽しいなぁなどと思いながら日々このゲームを遊ばせていただいてる。9年も。
一つのゲームとして考えると本当に長い。このゲームを始めてから現地LIVEなんてものにも行っちゃったりして遊びの域を超えるような課金とかもしちゃったりしてた。担当、つまり推しのグッズを買って部屋の片隅埋めちゃったりまぁいちオタクとしても楽しいお付き合いをシンデレラガールズにはさせていただいたと思ってる。LIVEって楽しい。
でも去年9周年を迎えてさぁ10年になるぞ、という今現在。過程は兎も角その今現在の環境や空気が なんだかすごく息がしにくい。
デレマス(モバマスとデレステ)の環境ってまぁなんやかんやとゴチャゴチャが混ざり合っててだいぶ面倒臭い事になってるので詳しい環境の話はしないとして。
ユーザーが今アクティブ何人か知らないけど多い時は数万人いたらしいシンデレラの魔法使い、そんだけ数がいたら大事な子や入れ込み度もその人の数だけある。
なので9年経っても強いカードを貰えないアイドルのPが「運営くんさぁ……うちの子にもそろそろ強いカードくれてもよくない?」と言うケースも起きてるわけで。
まぁ当たり前、どのPだって担当の強いカード1枚ぐらい欲しいだろうと思う。9年経ってるし。
「長いよねぇ9年。子供なら小学校入学してから中学校卒業するぐらいの期間だもんねぇ」「そりゃそれぐらい言うよね」ぐらいの目で私はこういう声を見てる。
少なくとも私個人はその手の発言自体に特に悪感情は抱いてない。推しの強いカードなんか私だって欲しい。出番も欲しい。あと新しい衣装くださいとかも思っちゃう。
それよりもこっち、そういう話が起きるたびにSNSとかで出てくる言葉、それが
『不人気キャラでもゲームから削除されなくてSSRが貰えるんだから良い運営だよ』
これがなんだかとてもしんどい。『他人事で一々感情を引っ張られていてはキャラコンテンツなんか楽しめなくない?』とは自分でも思うのだが、こういうのがSNSやらなんやらでスッと視界に飛んでくる世界なのでその辺はもう仕方ない。
それはそれとしてこういう言葉はゴリゴリと自分の内側を削ってるような感覚に陥らせる。
キャラクターに愛情を持ちゲーム内外でユーザーが想いや思い出を積み重ねる、そういう世界だと私はシンデレラガールズを認識してたので人の好きな存在に『不人気』という言葉が使われる事が結構な衝撃である。そもそも人気不人気の基準はなんだという気持ちもあるが(あとそれを発言できる人は何様なのだろうという気持ちも)、衝撃を受けるのは私が性質として善良過ぎるが故かもしれない。『そういう発想すら浮かばなかった』というタイプのアレである。
『ゲームから削除』も、「ゲームから削除されないだけいいじゃん」という話をそのアイドルを求めてる誰かに話せる感覚や価値観が自分と違い過ぎてわからない。
『良い運営』のラインってキャラ削除しないの一線なのだろうか?
そこさえ守れば全てを許容しなくてはいけないみたいなそんな暗黙のルールや常識のようなものが世の中にはあるのだろうか?数万人とユーザーがいたコンテンツでその欲望はなんとも小さく纏まりすぎな気がするがそんなもんなんだろうか?
何はともあれこういう言葉で黙らせようとする人がいるという環境が息苦しい。
実際のところ、言われた人にどうして欲しくてこれは言われるのだろう。黙って欲しいのだろうか?消えて欲しいのだろうか?『言われた事を守った先の世界』を想像すると、なんとも楽しむ気が失せる言葉に感じる。
自分の好きなアイドルに一生懸命な人が私は好きなので私はそういう人にこそシンデレラガールズの世界にいて欲しいと思うのだが、強いカードが欲しいとか出番が欲しいとかそういう声に『削除されないだけいいじゃん』が飛んでくる世界だと酷く居心地が悪い。
黙らせようという意図があるからこその「○○ならいいじゃん」という言葉選びなのだろう。「納得しようぜ」「満足しようぜ」、その為の言葉が「○○ならいいじゃん」だ。
この言葉にもし納得できなかったり黙らなかったらこの言葉はどうなっていくんだろうか?やはり『嫌ならやめろ』という言葉にシフトしていくのかな。
不人気が削除されないだけいいじゃん、が積み重なった後に残るシンデレラガールズの世界、どんな世界になってるのだろう。
どんな人が残ってどんな話をしてどんなゲーム運営してるのかな。
こんな事が頭に浮かんだり、こんな目線で人のやりとりや言葉のやりとりを見てしんどいなと感じてる私はこの世界でのシンデレラの魔法がもう解けかけているのかもしれない。誰もがシンデレラってフレーズ、私は好きだったんだが。『不人気』という価値観が飛び交うのに、私はとても寂しい気持ちでいっぱいになる。今自分が見てる世界はキラキラしてないのだ。
追記:書き終わった後で思った事。
結局どうだったら私は満足なのだろう。酷く見える言葉が平然と飛び交う環境が辛いのならそこは他人の精神性の問題なので自分がどうこう出来たり関わるような問題ではない。
コンテンツの周辺に悪意などのマイナス面が増えていってプラス面を上回るようならコンテンツは長続きしない。
結局、この舞台に終わって欲しくないという漠然とした不安があるのかもしれない。このままだと終わるんじゃないだろうかという漠然とした衰退の気配。
「寿司の国」発言は時と場合によっては、差別感情が元かもしれませんよ、日本人にはピンとこないかもだけどそういうときもありますよ
ぐらいで済ませておけばまあよくわからんけどそういうこともあるんかなぐらいには理解するけど
「寿司(や寿司職人)なんぞを良いものと扱う日本人の感覚は海外では理解不能!それゆえ差別問題を日本人は理解できない!その態度が反ポリコレ!」
とか言われたらそりゃえええ・・って気分にぐらいなるわ、ってお気持ち。
そんでもってそういうのはドイツ語の冠詞にまつわる知識が云々だって同じ話なわけで。
日本人にドイツならではの文脈とか、ドイツ語原文での意味が理解できない人が多いのはある程度は当たり前の話ではないかと。
それが直訳だけではなくて特定実況者への好悪感情を含めた意訳のようなものになれば尚更なわけで、
その事実自体をポリコレ違反のように扱うのはそれこそ「配慮が足りていない」にならないんかと疑問に思うわ、と。
業績のなかに「パワハラに反抗するために活動していた」ことが入ってもかっていってるのに物分り悪い
つまり、パワハラされると辛い悲しいということがよくわかっている人物がいてそれでもパワハラとうけとめられかねない命令を出さざるを得ないということは、
その業務が構造的に担当者に辛い想いをさせることになる業務で、だれかが担わなければならないものであったということにはならないのか?
という話
「ゴミ収集だけをさせるなんてパワハラだ!」って市役所のゴミ回収課に採用されたヒトの状態をみた外部がいっている
というケースではないか?と疑える。
特にその上司がもともと、ゴミ回収課にきてパッカー車を発明して効率をあげた人物であれば部下に楽をさせたいという高い志をもってやってるのはあらかじめわかってるのである。
とすれば余計に後づけでケチばっかりつけてる外部が無知なだけに見える。という話
ロケット開発者の話とかアニメの話にしても、完成をひたすら目指して自分どころか部下の人間的生活までふみしだかざるをえない(さもないと資金回収が打ち切られてつくりかけの作品と部下ごと路頭に迷う)状況があって、もうパワとかハラとかいってられん人類の最先端領域なわけですよ
現在30代中盤。
あと10年以上もこれに振り回されなきゃいけないのか?????
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セックスレスになってさ。配偶者には浮気されてさ。自分が女性としてもうダメなのかと思ってさ。
それが引っかかってるのかなと思ってたんだけどさ。
よく考えたらず~~~~~~~~~~~~~~っと性欲強かったんだよ、自分。
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性的な出来事で最も古い記憶は小学校低学年の時に近所の友達んちでオッパイ触られたこと。
なんか幼少期のそういう体験がトラウマになって…的な話もあるけど、悪感情なかったんだよ。イヤじゃなかった。むしろ楽しかった。
自慰も早かったと思う。といっても知識がないから自分でオッパイこっそり触るくらいだけど。
小学校高学年?くらいのとき、下の兄弟が寝ぼけて自分と母親を間違えてオッパイ吸われたことがあったんだけど、もうすごい体験だった。
人に触ってもらうのってこんな気持ちいいのか!みたいな感じで。
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そういう体験があると、性へアグレッシブになってビッチになると思うじゃない。
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喪女でもなんかいろいろ頑張って、30になる前にようやくセックスを体験するわけです。
遅れてきた青春だよ。めっちゃハマった。でも喪女って基本こじらせてるから。彼氏ができようが脱喪女しようが、魂が喪女だから、受け身しかできない。
つきあいたては会うたびセックスがあったのに、つきあいが長くなっていくほどに2週に1回、月に1回と減っていく。
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結婚したら子づくりもあるし、さすがにセックスするっしょ!と思ったけど、するわけないよね。
配偶者は性欲がもうないのか…でも無理強いしてもな…と我慢してたら浮気が発覚。
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くそーこうなったらワイも浮気したるー!!と思ったけど、喪女だからさ、浮気の仕方がわかんないよね。
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むしろ悪化しており、許したはずの配偶者のことが日に日に気持ち悪く感じている。
でもこっちから誘うなんてもうできないよ。癪だよ。癪って言葉じゃ足りないよ。
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な~~~んでこんな苦しいんだと思って、ひょっとして浮気ショック以外にも原因があるんじゃない?と思って考えたら性欲だったんだよな。
性欲が一切なくなったら、レスも気にならないし、こっちだって浮気してやるムキー!と思わなくていいし、自分をクソ性欲女と思わなくて済むんだよ。
そう思ってgoogleで「性欲をなくす 女性」で検索したら、バイアグラ的な情報ばっかり上がってきてね。
「春から一人暮らしの女性は気をつけて」女性専用マンションの方が危ない!?気になる防犯事情にみんな驚く - Togetter」
マジでこれはひどい。ひどすぎるので、面倒だがしっかりと苦言を呈しておく。
実際におかしな人がいて身を守らなくてはならない経験をしたからこそ言えるのに、注意喚起にまで「口をつぐめ」という人が湧いて出てくる。さすが。
あのな、「変質者遭遇率が1番高かったのは障害者向けの施設が充実している町」というツイートが事実であろうがなかろうが、
仮に実体験に即した個人の感想だとしても差別発言には変わりないんだよ。まぎれもないヘイトスピーチなんだよ。
在日韓国人が多い街は治安が悪いとでも置き換えればピンとくるか。
その危うい発言をたしなめようものなら「被害者の口をつぐむのか!」とかアホじゃないか。完全なるネトウヨ仕草じゃねーか。
障害者なり在日韓国人なりの犯罪に巻き込まれた人の個人的な悪感情やトラウマを封じ込めることはもちろんできないが
「この属性の人間は〇〇だ」と全世界に向かってほざくのは訳が違うだろうが。
だが正当性があろうとなかろうと怒りの感情を燃やしてそれをぶちまける権利くらいあろう。
まず前提として俺はFPS、というか一人称視点のゲームがあまり好きではない。自機が被弾する、死亡する時のストレスが三人称視点のゲームのそれより高いからだ。そしてPvPもそんなに得意ではない。対人戦を本気でやりこんだ覚えのあるゲームは、ポケモンとエスコンくらいだ。そしてFPSのメインコンテンツは基本的に対人戦である以上、どうしても自分には合わないと感じる。正確なエイム、毎秒変化する敵味方の位置の把握、それに応じた適切な動きなど、FPSが要求する能力が高いのだ。発達障害が入っている俺には正直このようなスピードと精度を要求されるタスクはこなせない。なので、FPSを楽しんでる人間を見ると、体育の授業で自分だけ上手くできなかったことを思い出してしまう。ジャンル問わず様々なフォロワーがAPEXとかいうFPSを楽しんでるの、普通に理解ができない。なんであんな高度なタスクがこなせるんだ。あれか、お前らは健常者ってやつか。
次にAPEXLegendsというタイトルについてである。このゲームを開発したEAはタイタンフォールというロボゲーを作っていると聞いている。俺はロボゲーが好きで、特にアーマードコアに関してはPS3で出来るタイトルだけだがそれなり以上にやりこんだと思っているし、未プレイの分際で軽率に闘争コピペを使うやつの家を燃やしたいと思っている。ただし対人戦に関してはそんなにやっていない。何よりハマるのが結構遅かったので、オンラインに残ってるのは酔狂な強者しかいない状態だった。そんな状況で対人戦に乗り込むなんざ嫌すぎる。対人戦もやってないのにAC好きを名乗るんかなどと宣うやつがいれば殺す。話がそれたが、そんなACシリーズは2013年から捨て置かれ、フロムはダクソだのブラボだのばかり作っている。そしてそういうやつのが売れてるらしい。これまで作っていたロボゲーが捨て置かれ、一般受けしそうな新タイトルが世間で持て囃され、捨て置かれたゲームは忘れ去られるという状況はタイタンフォールとACで似た者を感じる。俺はタイタンフォール2を馬鹿みたいに安くなってる時に買うだけ買って積んでおり、このゲームの内容についてはキャンペーンの評価が高いことあまり知らないが、世間からは「APEXに似てる」「タイタンいらなくね」などと言われてるらしい。大変腹が立つ。「○○はカゲプロのパクリ」とか言ってた連中と似たようなもんだろう。くたばって欲しい。もしタイタンフォールをプレイしてこのゲームに愛着があれば、恐らくもっと腹が立つのであろう。
また、最近のVtuber界隈がAPEX同好会と化してるのも要因の一つとしてある。自分が好きなライバーの配信があると思ったらAPEXだった時は落胆するし、新しくチャンネル登録する際にはアーカイブがAPEXだらけになってないか確認する。俺がAPEX嫌いという以前に、折角素敵な電子肉体を手に入れたのに、ひたすら流行りのFPSをやるだけってのはあまりにつまらなくないか。それが好きでそれを極めたいならいいが、それならもっと別の道もあっただろう。お前がそのガワ被ってやりたいことは他にないのか。
とこのように様々な観点からAPEXが嫌いという話をしていたが、初めに述べたように、単なる逆恨みでしかない。APEXユーザーにも、EAにも、Vtuberにも罪はない。それでも、自分が好きではないものが遍く楽しまれているインターネットが居心地が悪すぎる。義務教育の体育と違ってこれが出来ない、やらないからといって何か不利益を被らないだけまだ救いがあったし、こういった負の感情を投げる場があるだけありがたい話である。どうにかしてこの粘つく悪感情と向き合っていくしかないのだろう。
このブログは純粋にSideMのゲームがモバエムもエムステも大好きで楽しんでいるPさんの気分を害する恐れがあるので嫌な予感がしたら読まないで下さい。
本来は書くべきではないことかも知れないけど吐き出さないとずっとモヤモヤしそうなのでスッキリしたいために書きます。お気持ちブログです。
私がモバゲーのSideMをはじめたのはモバエムの三周年の少し後、エムステはさらにその半年くらい後でした。
半年ほど遊んでsideMの世界観にもモバのゲームシステムにも慣れ、大好きな担当も出来た私は担当が出るイベの予告をきっかけにエムステもインストールしました。
半年でモバの担当にすっかり感情移入し担当のユニットも箱推しと言えるくらい好きになった自分にとっては世界線が異なり選抜での活動を基本とするエムステはあくまで派生展開という位置付けではありましたが、それはそれで新鮮で楽しく決して悪感情を持つようなものではありませんでした。
ゲームとして不出来な部分は感じましたがモバと同じく担当の新規カードやイベが見られれば満足な自分は木魚なのはそれほど気にならず、3DモデルやMVも他マスと比較すれば正直見劣りしましたが徐々に改良されると思っていたし、あくまでオマケ部分として楽しんでいました。
そんな心持ちが一変したのがモバエムの4周年の時です。当日になってもゲーム内も公式もモバエムの周年祝いはなく、アイマス13周年というよくわからないお祝いパックが売られたりしてました。
周年自体が初めてなので何が起こってるのかよくわからない時に目にしたのは他のPさんの「モバエムをサ終し今後はエムステ一本にするつもりなのだ。これはその布石だ」という意見でした。その瞬間「あっエムステのせいで私が好きなモバエムの世界と担当は消えて無くなろうとしてるんだ。あれは敵だったんだ」という気持ちが沸き起こりました。
それまではデレマスの前例があることもあり両方平行して続いていくのだと思い込んでましたがコンテンツ規模から考えれば一本化が妥当です。(勝手に)派生だと思っていた世界が私の好きな世界を塗り潰しなかったことにしようとしている。この時をきっかけにエムステに対する疎ましい気持ちが芽生えました。はっきり色相が濁るのを感じました。
その後また「ユニットCDが全く出ないのはステの企画のワートレせい」という意見を目にしさらにその気持ちは強くなりました。もうソウルジェム真っ黒です。
ただ、だからといってエムステをアンストしアンチ活動に勤しんだのかというとそんなことはなく以後も担当のイベントがあれば上位を走り、衣装解放のため課金してガシャを回しました。
気持ちとは矛盾してますが違う世界とはいえ担当まで疎むことは出来ませんでした。
ただモバとは違い担当以外の同ユニットのキャラや別ユニットの推しのイベントにまでは参加する気は起きず、普段はほぼログインのみで数ヶ月に一度担当に出番があったときだけ触るアプリとなりました。
別にエムステが悪い訳じゃないし、この世界の担当のことも好きだけど、片方しか選べないなら私はモバを選ぶ…そんな複雑な気持ちから冷淡な態度で接してきたエムステがつい最近サービス終了となると発表されました。
私にとって最悪の世界線はステが残ってモバが消える(もっと悪い両方サ終もありますが)だったのでそれに比べれば私は自分が望んだ世界線に来れたのでしょう。片方だけしか残れないなら絶対モバエムを残して欲しかったのですから。
ただコンテンツとしては喜べる状況ではないし、エムステの担当とはお別れになるのも寂しく結局どうなって欲しかったのか自分でもわかりません。
エムステのサ終が発表されてからはステのみのPさんやステ中心のPさんのサ終を嘆く声をよく見かけるようになりました。それはモバ中心のPさんとは明らかに温度差があり、私がモバエムが大事だったようにエムステにも同じ気持ちを抱いていたPさんが沢山いたのだと知って心苦しいです。もちろんエムステのサービス終了は私のお気持ちなどとは全く関係ない運営のビジネスとしての判断なのですが。
長々とりとめない話になりましたがSideMの運営の方々に今後お願いしたいのはP同士を分断させるような施策はもうとらないで下さいということです。
次の新作ゲームを企画中とのことですがもし出してくれるのならモバエムを引き継いだ世界とするか、それが無理ならモバエムの世界を一度ちゃんと完結させてから新しく初めて欲しいのです。
アニメに出た出ないやステとモバのようにひとつ分のひだまりにふたつはちょっと入れないという事態を生みだしてPを分断させ傷つけることはもうして欲しくないです。
こんなお気持ちブログを運営のお偉方が読むことはないと思うのでもう少し簡潔にまとめて要望として送りたいと思いますが、とりあえず今年のうちに書いておきたかった今の気持ちを書き留めて置きます。
「在日外国人の人々を排斥する立場には回らないつもりだとしても、それは差別だ」「悪感情を持たなかったとしても、それは差別だ」
今回の例のように関わりがなければ本人の属性に対して悪感情を持たない(≒関わりがあれば本人の属性に対して悪感情を持つ可能性がある)ってのは直球の偏見だし、排斥や悪感情だけが差別ではないってのも当然の話だ
「ハーフなら日本語以外の言語も話せるんでしょ?すごいね」「ハーフだからかっこいいよね」こんなのは悪感情ではないが悪感情と表裏一体の偏見であり、差別だ
排斥や悪感情のみが差別(だからそれをしなければ無謬である)っていう理解も、逆にそのことを指摘したらじゃあ何もしないことは全て差別なのか!?とブチ切れるのは低レベルな理解でしかないよ
後の言い訳はゴミみたいなもんなのでお前のクソ理論のテーブルに乗る気はないけど
(人の心はブラックボックスなのだから実際起こってみなければ分からない!とかそんなので偏見持ってることや差別してしまうことが肯定されるわけはないよね)
1.
何故誤読したのかと言うと、「自分は在日外国人の人々を排斥する立場には回らないつもりである」「少なくとも悪感情を持たないことは、消極的な姿勢ではあれど悪ではない」などの主張を最初の発言において行ったところ、それら全てを否定するような返答を頂いたので、反射的に上記二点の主張と逆の立場を取られているのだと考えてしまったからなのです。つまり「在日外国人の人々を排斥する立場には回らないつもりだとしても、それは差別だ」「悪感情を持たなかったとしても、それは差別だ」とこちらに対して主張されているように感じたため、先のような誤解に基づく返答を行った次第です。
2.
また、前後の発言を鑑みて、こちらの発言が「嘘っぱちである」と仰っているようなのですが、率直にそれは勘違いです。
というのは、「接点のなさには良い側面もある」という言い方をしたのは、これがこちらの思考の癖としての露悪癖に拠を置いた発言であるからです。日本人的な修辞表現と言いますか、敢えて自分の行動や思想を露悪的に、つまり倫理的にあたかも瑕疵のあるような言い草で語るのが癖になっているだけなのです(このように露悪的に表現することは、自身の価値を敢えて貶める謙遜の表現として機能します)。そのため、誠実に本心を述べるならば、繰り返すように自分は特定の在日外国人の人々を排斥する立場に回るつもりはないし、また、心情的に彼らのことを受け入れたいと思っているのです。
3.
また、「では現実に接点がある場合には差別的なふるまいをしかねないのではないか」という発言に関しては、できるだけそうしないための努力をするつもりだ、としか言いようがありません。実際、誰かから加害行為を受けた時に、こちらがどのような反応を取るかは、未知数です。何せそれは現在においては想定する以外にない(つまり現実には起こっていない)事柄なのだし、また、仮にそのような事態が起こるとしてもそれは未来のことですから、実際に起こってみないことには予想の付けようが無いということなのです。
とは言え、仮にそのような事態が起こったとしても、特定の在日外国人の人々を偏見の目で見つめる心を持たぬよう、自己監視を怠らないつもりではあります。
4.
(付言)
海外で暮らしている日本人、つまり、日本以外の国で暮らしている日本人もまた、海外では差別的な扱いを受けています。そのような差別の対象になった人々は、人間の根底には知性があるという西洋的な考え方を持つことはないでしょう。そして同時に、僕自身もまた、日本人を含めた殆ど全ての人間に対して知性を認めておりません。人間の根本にあるものは知性などではないと、僕自身もそう感じています。
関係あろうが無かろうが、差別的な扱いを受けているグループがいれば(少なくとも自国内にそういうグループがいれば)何らかの助力をすべきだと言いたいわけだね? そしてその助力がなければ、例え悪感情を持ってなくともそれは差別だと...
関係あろうが無かろうが、差別的な扱いを受けているグループがいれば(少なくとも自国内にそういうグループがいれば)何らかの助力をすべきだと言いたいわけだね? そしてその助力がなければ、例え悪感情を持ってなくともそれは差別だと...
貴方の気持ちは分かるけど、貴方の言ってることは間違ってるだろうね。助力しない限りで悪感情の有無に関わらず差別主義者になっちゃうというのは、流石に飛躍し過ぎだ
助力にも2種類ある。つまり、何らかの助力、例えば差別に対する反対運動などの、目に見える助力を行う積極的な助力と、そして、国籍的なマイノリティの人々を心情的に受け入れようとする、消極的な助力だ。
形は違えど、その双方共に助力なのだと考えてくれると幸いだ。つまり、僕を含めて多くの日本人が、韓国人の敵ではないということだ。
DHCブクマの盛り上がりを見ていっちょかみしてる時点で十分接点として成立してるわけなので、語義ガーとか抜かすのはアホの極みですねえ
実際に身近であるかどうかというのは関係なく、もしいたらどうするのか、という点に想像力が及ばない時点で思考力が欠如してるし、接点がないと思ってるなら無視してもいいねという話にはならない。
例えば、俺は昔韓国人のサッカー選手が日本人の選手に対してかなり悪質なファールを行ったニュースが流行った時、別に韓国人に対する悪感情をそれほど持たなかったんだよね。なぜなら、そのサッカー選手は俺の知人でもなければ、俺に直接暴力を振るったわけでもなかったから。
こんなのをさも良い話かのように言ってる時点で思慮が足りなくて、その選手やファール受けた選手と直接関係があろうがなかろうが、そのファールの結果韓国や韓国人がどうこうという発想になるのであれば、それは極めて偏見に満ちている(ともすれば差別的な言動に繋がりかねない)考え方ですね
横だけど、「接点がある(ない)」という言葉の語義の話にすり替えちゃうのは芸がない
要は親しい友人や、あるいは親しくなくとも日常的に顔を合わせる人間の中に在日韓国人の人々が存在していないってことだろう(あるいは存在していたところで気付いていないとかね)
そういう状態だと関心を持ちにくいのは確かだろうな、かく言う俺もそういう意味では彼らとの接点は無いし
ただ、貴方の言うように、そういう意味での「接点のなさ」が悪い意味合いを持つこともあるんだけれど、一方で良い意味合いを持つこともあると思うんだよな。例えば、俺は昔韓国人のサッカー選手が日本人の選手に対してかなり悪質なファールを行ったニュースが流行った時、別に韓国人に対する悪感情をそれほど持たなかったんだよね。なぜなら、そのサッカー選手は俺の知人でもなければ、俺に直接暴力を振るったわけでもなかったから。
増田は「(物理的に)プライベートに接触する仕事」だから「(誤解を生じさせたり相手に悪感情を抱かせないよう)個人的な関係はNGにしていた」 → 分かる
そういう理屈を「気持ち悪い」という感情で表現する → 分かる
という2点を踏まえて言うが、そのあなたの個人的信条はともかく、その「気持ち悪さ」を他者に押し付け始めると、ちょっとその行為はよろしくないと思う。仮に、後輩がその行為の結果、今後担当患者と感情的にもつれたりトラブルになったり悪感情を抱かれたり(患者さんに)気持ち悪がられたりしてもそれは後輩個人の問題であって、その結果悩んだ後輩が「やっぱ患者さんと個人的関係もつとか無いわ」って思うかもしれないところまで含めて、それは後輩自身の気持ちの整理に関わる問題である。決して増田が干渉することではない。"職業倫理"とまで論理化できるなら、所属病院でそういう規則を提案してみたらいい話であって、後輩個人の倫理観を云々するような文脈で周囲に話を持ちかけるのは筋悪であり、場合によってはモラハラにしかならないので即刻改めるべき。「先輩」の対応も、そういう風にあなたに注意しているのだと考えれば、少し理解できるのでは。
まとめて言うと、「あなたの信条は否定しない。立派だと思う」だが、あなたはいま周囲から「後輩の人間性を問題視する面倒くさい先輩」だと思われていると推測されるので、今すぐその行為はやめるべき。誰も幸せにならない案件。
名前をつけにくい悪感情を抱く相手に「おけけパワー中島」という名前を付けたところはすごいなぁと思っていた。
しかし、最近の作品は、なんだかんだでみんな綺麗というか、前向きというか…
あと後半になるにつれ、毒というかキレがなくなってしまったような気がして残念だった。商業化のせいかな
そういうのを、怖いもの見たさで見たいんだ
焼きマシマロで慰められたのに味をしめて、自分で自分に焼きマシマロを送る話とか、嫌いな相手の愚痴垢を作って、好き放題罵詈雑言呟いていたら、アカウント間違えて大惨事とか
同人誌が一冊も売れない一方、隣は長蛇の列で自分のスペースの前にずっと列がかぶさっているのに、てきとうに謝って済まされる話とか。
増田で嫌な相手を愚痴ってたら、その相手にその増田について取り上げられたりとか