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2021-09-01

最近観たもの、読んだもの

『天官賜福』

 中国アニメ原作は『魔道祖師』の作者でもある、墨香銅臭。

 第1話を観たときは、すごい! 綺麗! と感動したけど、なんか6話か7話辺りから急速に崩れてきているような? しかも、なんか変だな? と思い始めた原因が作品クオリティではなく日本語版の尺? 毎話もっと長いのを日本アニメ標準的な尺内に納めるためにカットされてるのではないかと思うのだが、よくわからん

 しか砂漠舞台を移した途端に作画クオリティまで落ちるし、何故か冒頭に前回のあらすじを3分入れ、終わりに中国無形文化遺産の紹介を3分入れるようになってしまったので、本編は15分にも満たない短さになってしまった。

 かといってすごくつまらいかというと微妙というか。まぁ、ストーリーがなんかよくわからなくても、異文化さが目新しい感じがするし、BL的に美味しいシーンがあるから、それだけ見て面白いもん観たなっていう気がするのかな。

 Twitterには毎回絶賛のツイートが流れてくるけど、マジでそれで良いと思ってんのか謎だなって思う。

 原作を読んだら面白いかもしれない。日本語版原作小説、早く出版されないかな。

魔道祖師 完結編 第1話

 中国アニメ。この夏までアマプラ放送されてたやつの続き。中国語で英語字幕あり。だけど、中国語の情報量の凄まじさに、英語字幕が瞬く間に消え去るので全然追えない。原作小説履修済みでなかったらきつかった。日本アニメとは違って、本編が長い。40分くらいある。

 きっと来年辺りにはアマプラ日本語版が来るんだろうけど、これまた天官賜福みたいに圧縮されてちんぷんかんぷんアニメに変貌するんだろうな的……。

 ところで、この本国魔道祖師YouTubeで観たんだけど、そのチャンネル公式配信チャンネルなのか偽物なのか、よくわからん。去年の暮れに二期まで配信していたチャンネルと違うような?

 それはともかく、ずっとお堅い無表情で通していた藍忘機が、魏無羨が余所見をしている隙に微笑みを浮かべるようになっていて良い、ような気もするし、原作ではそこまで表情緩んでる感はなかったな……と、すっかり原作厨と化したいけない感想を覚えたりした。シュエ・ヤンキャラ造形が思ってた以上に可愛くて驚きだ。

おっさんずラブ香港版)』

 なんか見たことのない動画配信サイトで3話まで無料期間限定かな?)だったので、第1話だけ観た。

 舞台香港役者中国人。シナリオ日本版とほとんど一緒。ちょっと設定変更もある。日本語版だと春田母親と同居していたけど、香港版では独り暮らしで、結婚して実家を出た姉が田(ティン……春田にあたるキャラクター)の面倒を見ている、ということになっている。

 役者美男美女ぞろい。黒澤部長にあたるKK役の俳優さんめっちゃダンディー

 登場人物の動きやしゃべり方、表情までもが日本語版の完コピですごかった。田と牧のじゃれ合いは日本語版よりも可愛いかもしれない。イルミネーション芸もちゃんと派手になされている。

 香港舞台とはいえ中国からなぁー、BL表現はないのかなぁー、と思ったらKKは普通に田に告白したし、2話での牧のお風呂突入事件もあるみたい? 意外とまだ自由香港なのだろうか。

 時々、異文化を感じて面白い。例えば牧が自己紹介するとき「阿牧です」って言ったりとか。へー、自分から名前に「阿」を着けるもんなんだね。お箸の持ち方も日本とは違う。でも外飲みでへべれけになるまで酔っ払うって、香港でもありなのか? そんなことができるのは日本だって、前に何かで読んだけれども。

春田、好きだー!」

 が、

「田田(ティン・ティン)、アイラブユーー!」

 になるの、くそ笑った。

スリピングデッド』(朝田ねむい)

 BL漫画1話シーモア期間限定無料で読み、3話以降は雑誌で読んでいたのだが、ただ第2話読みたさのためだけに、電子版の発売も待たずに本屋に走って買ってしまった。BLとは思えないシックな表紙で、堂々とレジの人に表紙を見せられるやつ。だが、帯の裏ページ側に、

「キミの精子ゾンビになってるか見てやろう」

 と書いてあって、親切心で裏表紙を向けてレジの人に差し出すと、とんだセクハラになってしまう…………自動レジ、使ったよ!

 読み逃していた第2話に、けっこう重要そうな伏線のようなものがあった。私、いままでこれ知らずに読んでいたって、ヤバいな……。

 帯と裏表紙ちゃんと書いてあることなので言っちゃうと、このお話は、欠点ひとつもないイケメン国語教師佐田事件に巻き込まれて不慮の死を遂げるも、マッドサイエンティスト間宮のせいでゾンビ化して一命をとりとめる、というストーリー。非日常的な日常系といった感じ。

 BLだけどエロはあまりない。せいぜい佐田下半身がよく見えるくらい。悲愴なあらすじだけど、鈍い佐田ツンデレ間宮が、噛み合わない会話をしたりお互いに諦めたり譲歩したりなどして距離を縮めていくようないかないような話で、案外萌えがある。

 恋愛漫画としての萌えというよりは、二次創作的な萌えだ。何気ない仕草一言萌えの最大瞬間風速を叩きつける感じの。キャラクターがしっかりしていないと、そういう類いの萌えは立たないから、1からキャラを構築していく商業BLではできない芸当なのだけれども、朝田ねむい先生はそれがすごく上手い。キャラ世界観を簡潔に分かり易く表現することに長けてる作家さん。

2021-08-20

anond:20210820213436

他のメンバーも元々ダンサーやってたり、役者やってたりするし、まぁ表現の幅は広いと思うんだけどね

 

でもまぁ元々Srv.Vinciからの流れだし、やっぱ常田さんが作るしかないんだろうなぁ

よくある流れではボーカル歌詞書くとかなんだろうけど

 

ラルクとか全員が曲作れるしね

ラルクと比べていいのかって話ではあるけれど

2021-08-15

anond:20210815132720

スポーツ選手に限らずプロ棋士だろうと役者だろうと、エンタメ産業従事者なら観客から好感度必須だろ。

直接的にしろ間接的にしろ、人から金をもらって成立する産業なんだから

2021-08-14

明るい女性殺し屋ものって言ったら『幸せカナコ殺し屋生活』が好きなんだけど

これも実写化されたらどうせ人気の美人役者を使われて何か違うーってなるんだろうな

日本女性主人公の実写をやるのって絶対役者容姿ノイズになるから名作は生まれないとすら思ってる

2021-08-13

おでん作りが捗る冷房の寒さ増田須磨寒さ脳墓入れる度か派が陸摘んでお(回文

おはようございます

今日は雨よ。

事務所は私一人このビル自体も1人なのかも知れないけどそれは分からないわ。

いわゆる咳をしてもってやつね。

今日は誰も居なくて電話もかかってこないか

かかってきても今日電話に出ない日なので、

おでんゆっくり煮込めるわ。

そんな絶好なおでん日和

まだちょっとおでんに早いシーズンかも知れないけど、

夏先取りのあとの次の旬の

鍋とかおでんとかが冷房に冷えた身体には案外恋しいものよ。

今日はまた人がビルに居ないか

そう言う時はうんと冷房が効きまくるのよね。

から余計におでんづくりが捗るというか

一番面倒くさいのが茹で玉子よね。

あれを剥くのが一番面倒くさいんだけど、

はいろいろと茹で玉子の作り方を研究した結果として、

わりと常温めに戻した生玉子をいきなり熱湯にゆっくり入れて作る茹で玉子が安定して大量生産必勝法確立したいるところで、

これに勝るとも劣らない大量生産の茹で玉子の作り方があれば是非教えて欲しいところよ。

これならわりかし20個同時にできちゃうという、

家庭ではもはや大量生産された茹で玉子

絶好のおでん日和の茹で玉子の具としてクラスチェンジするのよ。

意外ともう大根とか丁寧に

面取りはした方が良いかもしれないけど

下茹でとかしなくてもいきなり鍋にぶち込んでもある程度のおでんとしての大根役割は果たす名大役者なの。

当たりもしないハズレもしない、

大根お腹壊す人は居ないでしょ?だから当たらないのよ。

役者としては致命的だけど、

劇団おでん日和メンバー役者さんとしては欠かせない存在

私の劇団おでん日和メンバー

牛すじ大根コンニャク玉子の4つ

なんか広い舞台役者が4人しか出演しない劇ってきっとクセ強劇じゃないかしら?

そう思うのよ。

でもこれだとまるっきりリリーフランキーさんのおでんくんじゃない!

やっぱり上手いこと考えることはもうすでに考えられたものの上になってるのよね。

良いアイデア!って思ったことは大概はもう考えられているって事。

まあ

私の劇団おでん日和は美味しく頂くことには決定という、

名シーンのかずかず!

あーでもやっぱり、

一番面倒くさいのは

牛すじの下ごしらえかも知れないわ。

これは流石に下茹でして処理しないとカチカチで硬すぎるし、

かと言って高火力の圧力鍋で下ごしらえすると

上手い下ごしらえ加減が調節できなくて、

逆に牛すじなのに柔らかすぎるくなっちゃうのよね。

でも今日はもう具材買っちゃったし食材を使うためにも

あと今日事務所に誰も居ないか

絶好のおでん日和でもあるし

正に劇団おでん日和初日であり千秋楽であるという

あんまり意味はよく分かってないけど、

まり

美味しくおでんが出来ますように!って事だけが

まるでイッセー尾形さんの一人芝居の毎回やってる日替わりの演目のように

私も日替わりおでんの具をなにか

あの4人のメンバーの他に加えたもののよね。

何が良いかしら?と考えたら

あんまり思い付かないけど、

ちくわぶとかも良いし、

既製品の入れたらすぐ出来るロールキャベルでも良いし

あとそう!名脇役を忘れていたわ。

練り物のものも入れると

あれも美味しい出汁の旨味がスープの中で炸裂するから

すっかり忘れていたわ。

からでも間に合うからちょっと練り物系買ってこようかしら?

なかなか充実した私の劇団おでん日和ね。

え?

コンニャクを入れないのかって?

ジャマイカに行ってるからいないのよ。

うふふ。


今日朝ご飯

おにぎりよ。

おにぎりか迷ったけど

迷ったら鮭ってのが私の定番ね。

あんまりよほど気分がのらないと

変化球おにぎりには手を出さないわね。

たまにそう言った変化球のを求めるときがあるけど

今日は至って

おにぎり気分ってところかしら。

デトックスウォーター

作り置きが大変助かりまくる

水出しルイボスティーウォーラーよ。

がんがんつくってがんがんのめるから

もうがんがん!って感じよ。

ここのところまた雨続きなので

意外と暑くないけど、

水分補給補給するように!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2021-08-10

アニメオタク不思議  

うちの母親はほぼ毎日何らかのドラマを見ている。

刑事モノは必ず見ているらしく、なかなか造詣が深い。

火サスなどでは役者から犯人当てを行ったりする。

 

うちの姉はほぼほぼ毎日何らかのバラエティを見ていた。

芸人アイドルが出ている番組が好きらしく、これまた造詣が深い。

最近演出(ディレクター)の名前までチェックしていたようだ。

 

が、どちらも「ドラマオタク」「バラエティオタク」とは名乗らない。

以前姉に「バラエティオタクだよな」と言ったことがあるが、

「ただ見てるだけだから違う」とちょっと怒られた。

 

彼女らは「ただの消費者」だからオタクではない」というスタンスらしい。

わからんじゃない。

かに彼女らがやっていることはただ画面を見て、

まぁ、ちょっとTwitterで呟くくらいのものだ。

彼女らはただ単にドラマを見ているだけの人であり、

ただ単にバラエティを見ているだけの人で特別でも何でもない。

 

では「俺アニオタから」と語るアニメオタク君はどうだろうか。

ほとんどのアニオタはただアホみたいに画面を眺めて満足しているだけの

ただ単にアニメを見ているだけの人にすぎない。

アニオタですからつったって語れるのはせいぜい声優がどうとか

今回は作画がきれいだった汚かったということくらいだ。

 

それくらい、ただドラマ見ているだけの母だって俳優の良しあしくらいは語るし、

バラエティを見ているだけの姉だってMCだどうだ、ゲストがどうだくらいは言える。

 

何をもってアニオタ君たちは自分オタク――他人とは違うとしているのか。

非常に不思議である

2021-08-06

今、ツイッター邦画叩きが流行ってる。誰が悪いかは置いといて半ナマ文化が叩かれるかもと思ってる。キャスト登場人物を結びつけて考えているからだ。それだけなら無害だと思う。しかし、こういう見方をすること自体が叩かれる原因になるかもしれない。邦画キャスト重視で選んでるから衰退したと言われる。それは役者を重視してる人が多いからだ。この場合叩く方が悪いんだろうけど、ナマモノ側はなんというかきになる。まぁ、確率は分からないけれど。

2021-08-03

映画カイジ2面白かった

どうせ藤原竜也が絶叫してるだけの映画だろうし、雑にご飯とか適当に食べながら観れるだろうっていう認識で観た

実際雑にご飯とか食べながら見れるような映画だったけど、それはこの映画がしっかりとシナリオ構成が整っててバカがうすらいだ意識で観てても内容が理解できるような、とても丁寧な作りになってたからで、映画レベルが低いとかいうことはない。

いやー。面白かった。

沼もわざわざセット作って再現してて(そのせいか映画の大半は沼のシーンなので、やや物足りない感じもするけど。まあわかってて見てるしって感じ)

ストーリーキャラ構成なんかかなり漫画とは違っているのに、破綻少なく福本伸行っぽい話にちゃんとなっててすごいなーって思いました。

漫画原作の実写映画ありがちな(あまりたことないので偏見)コスプレみたいな感じなく、配役も役者さんをベースにしつつ、ちゃん漫画から逸脱させないようにしてて、違和感なかった。

まあ演技過剰なのは邦画全般に言えることだし、漫画原作なのでこんなもんかなーって感じ。実際見てても面白さの方が勝っちゃうから、演技の質とかはそこまで気にはならなかった

生瀬さんとか本当にこういう三枚目おっさんの役似合うよなーって感じ

とても良い映画でした

うすら馬鹿にしてて申し訳ありませんでした。

2021-07-29

anond:20210728221703

日本人そもそもコンセプトを詰めるところに掛ける時間が圧倒的に少なすぎる。アメリカ人10倍は時間を掛けて考えてる。

っていうのはアメリカ多文化すぎてそうでもしないとまとまらいからだよ。

今回はIOC政府含めてそういう多文化が入ってきたところに、思いのほかドメスティックだった日本電通サブカル業界対応できなかった。スポンサーつけつつも脚本用意できる日本映画とかアニメ、芝居舞台方式とか、アメリカ方式で行くべきだった。

クリエイター邪魔すんなって言うけど、大勢民意に対してそう言う価値のあるコンセプトやシナリオを出して、自己主張の多いクリエイター達をまとめようとしてきたのかよ。色んなミュージシャン芸人作品の発表会じゃないんだし。森山未來真矢ミキみたいに自分個性を声だかに主張するわけではない役者陣の方が今回は仕事してた。

2021-07-26

オリンピック開会式がゴタゴタした理由

舞台に出て説明責任も負ったりする舞台映画監督や、せめて作家性のある構成作家が仕切るべきオリンピック開会式を、裏方でかつ、通常業務ステークホルダーアーティスト芸人サイドである演出家が仕切ったから。

舞台映画監督スポンサー意向を聞きながらもオーディションを経由してバックグラウンドチェックを行うことでお友達以外から参加者を募り、かつ観客動員数などの責任を負い、客の期待していることを読みながら、シーンの転換に一貫したシナリオのある舞台を作るのが仕事。向いている方向は、客、または、スポンサー演者監督の思い描いたシナリオ絵コンテの流れを実現する素材。

一方で演出家は、シナリオの部分を担保するのがアーティストお笑いネタを作る側、脚本家であり、演出家自体は出来上がっているシナリオやそのシナリオに沿って動く側を良く見せるのが仕事。向いている方向は、演者演者活躍表現サポートする立場

このゴタゴタは、AKIRA案という、復興五輪日本外交どころかオリンピック憲章と全然関係ない案を出した演出家MIKIKO先生キャスティングから間違いは始まっている。

AKIRA案って、そこと何の関係あるんですか?表現者サイドの自己表現よりも、日本民意を汲みつつ、各国の選手の歓迎の方が優先される場なんですよ。思い切り自己表現をするアーティストを支える人ではなく、オリンピック憲章の意図理解自分表現力をオリンピックという場を成立させることに注ぎ込んだ森山未來的な役者ダンサー開会式に起用できるような教養のある監督必要場所なんですよ。

あと、開会式冷戦時代だと有効だったジョンレノンイマジンが墓から出てきたのでびっくりしたのですが、こういうチョイスをしたサブカル層が見てる世界って、難民が出ている世界国境領土問題でゴタゴタあるインドパキスタン台湾等ではなく、欧米音楽業界さらマイノリティの痛みに無頓着な育ちの良いボーイやガールの界隈なんですかね?さら強者と言われる白人サイドから手を取り合ってって言われるの、どうなんですかね?マイノリティの主張を聞くことから始めないんですかね?

サブカル層はすぎやまこういち海老蔵に対してカウンター打てるほどの人材作品プール出来てないぐらいに日本外交に対して考えもなく、多様性もなく、身内で固まっていただけ。そういう現状を反省しつつ、スポーツの採点でスポーツ業界人材の方がはるかに多様だったら、大坂なおみさん以外の多様なスポーツ選手にも沢山映像等でフォーカスすれば良かったのに、そういうこともしなかった。

消防団歌舞伎だせというのは、最低限、ベタ日本的なもの開会式に出せという、あらかじめ想定できた国というスポンサーから要求ベタボランティア経歴のあるMISIAもそう。

音楽歌謡曲民謡太鼓三味線とか『のど自慢 世界大会』的なベタもの全然良かったし、前回のオリンピックから違う系統で且つ昨今の流れを組みつつ世界でもわかりそうなものと言ったら、ヒップホップジャズとかの黒人音楽でも良かった。他は、よさこいねぶた祭り漫画アニメみたいなベタで良かったし、最初赤い糸を使ったハイコンテキストな割にその意図が『はたらく細胞!!』っぽくて可愛いことにあっていないコンテンポラリーダンスはなくても良かった。

借りてきたマイノリティではなく、自国の中のマイノリティを見つめるなら、日本的なもの統一しても良かった。その流れで、身体障害者として途中からマイノリティになった長嶋さんの登場や、音楽業界ではマイノリティであるゲーム音楽(すぎやまこういちはともかく)は良かった。

老若男女世界各国ウケるベタでローコンテキストものを嫌って、身内しかからないハイコンテキストものや、借りてきたマイノリティ性を好む人たちが、たまたまアーティストサイドを贔屓する演出家を中心となって固まり音楽映像サイドもそのことを気にかけなかったことが露呈した、そんな開会式だった。

才能ある人を守れと言われても、コンセプトやシナリオにあった動きをするから守れるのであって、そこを蔑ろにしてたら守れる才能のある人も守れないんですよ。シナリオ絵コンテがあるリニアコンテンツではなく、電博雑誌テレビ的なノンリニアコンテンツの作りをしていたら、枠を入れ替えるように人もコンテンツも交代されちゃうんですよ。だから外部からの口出しに柔軟に対応できちゃうんですよ。周りに何言われても「これはコンセプトやシナリオ絵コンテの流れに合ってませんから」で断れずに。

アジア系役者はよく死ぬのがアジア系差別だみたいなツイートを見て違和感を覚える。

レズビアン話題でもそうだったと思うけれど

死ぬ=扱いが悪い役、っていうのはあまりにも短絡的な発想ではないかと思う。

鬼滅の刃煉獄さんは扱いが悪いのか?多分誰もそうは思わないだろう。

問題は生死ではなく、物語の中で大切に扱われているか否か。

何つーか、こういうのって日本人にはあんまりない発想だと思うんだよね。そしてイギリスフランスっぽくもない。

死ぬ事がすなわち悪い扱いだと思うのっておそらく、良くも悪くもアメリカっぽいと思う(人種関係なく)。

2021-07-25

anond:20210725153418

釣りであってほしいなぁ。こんなこと本気で思ってるのかな。

スポーツ選手はただの職業だし、オリンピックはただの興行スポーツショーだよ。

オリンピック憲章とやらの崇高な目的は、IOCですら信じていないお題目だってことは、今回の一連のドタバタでみんな分かったんじゃないの?

せっかく税金をたらふく無駄にして疫病下の地元で開催しているスポーツショーなんだから楽しめばいいよ。

でも「感動をありがとう」とは思わない。

緊急事態宣言下でアルコール出さずに頑張って営業しているレストランに行って「おいしかった」というのと同じ。

スポーツ選手は、シェフミュージシャン演劇役者よりも優遇される必要もないよ。

劇場アニメ映画大好きポンポさん』極私的感想(すごくネタバレ

感想というか脳内の吐き出しなので超乱文。

総合点は★★★★☆(星4つ)

自分原作コミックスシリーズ通読済み。原作はかなり好き。

映画版は主に特典マンガ目当てだけど2回視聴。

2回目の前に制作陣のインタビュー記事などを読んで細かいネタが仕込まれているのに感心しつつ楽しめました。

作画で動いていたのはすごく良かった。

特に編集作業シーンを「切る」ことに注目してアクションのある絵に再構成していたのは面白かった。せっかくのアニメなんだから動きのあるシーンはあってしかるべきだなあと。

あとこれは明確には示されてなかったので多分なんだけど。

撮影パートクライマックスである「みんなでアイデア出して偶然虹まで撮れたカット」も切ったんだよね?

撮影パート成功象徴のようなカットまでも切ることで、ジーン君の「映画のためには他の全てを切ることも厭わない」という面を表しているんだと思う。

しかし、それを明示してしまうと「空気を読んで仲良くすることを大事にするマス層」には理解不能で嫌われてしまうだろうから匂わせるにとどめたんだろうなと思っている。

ところで全体的にジーン君がウェットというかシリアスというか常人の枠から半歩しか踏み出していないという感じを受けた。

原作ではもっと狂人なんだよなあ、特に巻が進むほどに。「友情を、会話を、家族を、生活を、切れ!」とか原作ジーン君は言わない。

当たり前すぎるからわざわざ言わない。「息を吸え! 息を吐け!」って普段あんまり言わないじゃないですか

でもまあ1巻ベースだとああい解釈もアリだと思う。むしろジーン君の物語って感じも出たと思うし、そもそもまり狂人狂人してるとマス層がまったく感情移入できなくなるから映画版としてはあれで正解だと思う。

さて、ここから減点材料なんだけど、アラン君および資金調達パートがぜんぜん響かなかった。

まずアラン君、お前は何なんだ。

再会して「あの時はノート悪かったな」とか言ってたけど、特に謝るほどのことでは無くないか

たまたま雨の日にぶつかったらジーン君がノートを水たまりに落としただけじゃん。寝坊してメモやななにやらぶちまけつつ部屋を飛び出すような粗忽ジーン君なんだし。

ところでそういえば、その粗忽シーンもちょっと違和感あるんだよね。映画だけの男ジーン君が大事オーディションの日に寝坊したり資料ぶちまけダッシュしたりするかね?制作インタビューによるとナタリーちゃんとの出会いのシーンをインパクトあるものにするためにすれ違い構成にしたっぽいんだけど、それってストーリーのためにキャラが捻じ曲げられてるよね。いや、構成自体は悪くはないんだけど、やっぱりそのためにキャラを捻じ曲げられると違和感あるんだよねえ。違和感と言えばナタリーちゃんがニャリウッドに上京するためにバイトで金貯めたっていうシーンでビルの窓磨きしてたけど、あれって上京してからバイトじゃないとおかしいよね。原作にも窓磨きバイトのシーンあるけどニャリウッドでのことだし。ナタリーちゃん故郷農村地帯みたいだしビルなんてあるの?いやいまどきドコにでもそれなりのビルくらいあるのかもしれないけどミスマッチだとは思う。

まあ話を元に戻してアラン君ですよ。

アラン君が謝るってことは、元々のシナリオ的には学生時代アラン君はもっとひどい奴にするはずだったんじゃない?それこそ、一度拾ったノートを破るとかまた捨てるとかするはずだったんじゃない?それなら「あの時はノート悪かったな」「暗記してたから平気」に違和感無くなるんよね。でもそこまでやっちゃうとあまりに悪すぎて資金調達したとて許されないというか、ジーン君とお茶することすら「なにこいつ?」って感じになってしまうから描写をぬるくしたのではないかなとか思いました。

でまあアランからも一回離れて資金調達なんですけど、最悪、ポンポさんなりおじいちゃんなりの私財とかコネクションとかで調達できないものなんかね?二人とも超有名ヒットメーカーなわけだし、財産コネクションもすごいだろうし、なんなら主演のマーティンさんだって世界一俳優なんだからだってうなるほど持ってそうだしスポンサーになってもらえないもんかね?縁もゆかりもない銀行出資を頼むより先にいくらでもアテはあるんじゃないの?いや、もちろんそういうアテを全部当たって、それでも足りなかったんだっていうならハイソウデスカとしか言えないんですけども。

問題資金調達会議パートですよ。

まずアラン君、クビを賭けたギャンブルをした風だけど、そもそもその職場を辞めようかと思ってたくらいだからノーリスクギャンブルだよね。なんだかなあ。

そんでクラウドファンディング生中継でって無茶にもほどがあるけど、それ以上にひどいのは役員連中の手のひら返しの速度ですよ。頭取が出てきてOKしたとたんに「融資成立だー! ワッハッハー!」じゃないんだよ。お前数秒前まで大反対してたじゃねーか頭取がOKしたらまるで「ボクも本心では融資たかったんだけど立場上できなかったんだよね。結果として融資成立してヨカッタヨカッタ」みたいなポーズ決めてんじゃねーよ。いや、そういう変わり身の早さで出世してきたヤツだと言われたらハイソウデスカなんですけど。

アラン君に話を戻して、彼は「クリエーターでないマス層の感情移入先」として作られたキャラなんだと思うんですよ。

監督である平尾隆之氏のインタビュー記事(例えば https://gigazine.net/news/20210720-pompo-the-cinephile-takayuki-hirao-interview/)なんかを読んでいると「マイノリティマジョリティに一矢報いる」というテーマをお持ちのようなんですね。

マジョリティ」=「マス層」ですよ。

このテーマ商業作品表現するのは非常に難しいテーマだと思うんですよ。

だって多数の人に受け入れてもらうことが商業成功なわけですよ。マジョリティ快感を得てもらわないといけないわけですよ。そうしないとお金が儲からないわけですよ。

しかしね、「マイノリティマジョリティに一矢報いる」ストーリーで「一矢報いられたマジョリティ側の人間」が快感を得るかっていうと難しい。だって矢が刺さってるんだよ。痛いじゃん。それで快感なのってドMくらいじゃん。

そこでアラン君の登場なんですよ。アラン君はマジョリティ側の人間なんだけどマジョリティ世界強者である上司取引先をしくじったりして、いまいちうまくいっていない状態なわけですよ。つまりマジョリティ世界という巨大なピラミッド底辺層なんですよ。でもピラミッド底辺から数的にはかなりのボリュームゾーンなんですよね。この層の人たちが「なろう系ヒットの母数」だと思うんですけどね。マジョリティ世界に身を置きながらもうまくいか底辺はいずっているのでいっそのこと異世界転生して現世のしがらみリセットしてチート能力無双したいとみんな思っている。「みんな」ですよ。つまり「マス層」ですよ。

そんなアラン君はマイノリティ側と見下していたジーン君が思いのほか成功していたもんだからマジョリティからマイノリティジーン君を手助けするポジションに立とうと思い立つわけですね。異世界転生強くてニューゲームですよ。コミュ障マイノリティが苦手な資金調達ネゴシエーションリア充なオレ様がやってあげようってーわけですよ。同じ立場ならみんなそう思う。コミュ障天才クリエーターマネージャーになってソイツと社会架け橋になるだけでオコボレもらいてえなあって誰だってそう思う。オレだってそう思うんですよ。コミュ障から無理なんですけどね。そんな知り合いもいないし。

そんなマス層の夢と希望を託されたのがアラン君なわけですよ。

まりアラン君は、平尾氏の「マイノリティマジョリティに一矢報いる」というテーマ実現のために生み出された舞台装置なんですよ。いまいちうまくいっていないマジョリティ感情移入先であり、途中からマイノリティ側に与してマジョリティ側への一矢となる存在なんですよ。テーマ商業成功を繋ぐための存在なんですよ。

でも、なんかつまらねーんだよなあ。

思うに「マイノリティマジョリティに一矢報いる」というテーマと「ポンポさん」という題材の相性が悪かったんじゃないかなあ。

ケミストリーですよ。逆シナジーですよ。

原作ポンポさんはね、マジョリティことなんて基本的無視してるんですよ。あくまでも映画業界の中でクリエイター役者などの能力があり個性的な人々にフォーカスして活躍を描いているんですよ。「すごい人がすごい能力を発揮してすごい活躍しました。」っていう話なんですよ。これは「チート無双系」にも通じると思うんですけど、すごい人がすごい活躍をするだけでも面白い話は作れるんですよ。

そんな原作ポンポさんに「マイノリティマジョリティに一矢報いる」というテーマを盛ろうとしたら、そのままじゃうまく盛り付けられないよね。なので、アラン君&資金調達パートで補強したんだろうね。でも、原作にはまったく存在しなかったテーマ盛り付けるために、かなり強引でイビツで不格好な補強になっちゃってるんだよなあ。

結論

原作ファンとしては、ポンポさんには原作存在しないテーマは乗っけずに素直なアニメ化だけしてほしかったなあ。

と思いました。(小並感

2021-07-22

東京五輪が作れるのではないか

役者が揃いすぎで、恒例の裏紅白歌合戦みたく、裏東京五輪が作れるのではないか。だれかセンスある人、作ってほしい。

もし開会式

よし、僕がやろう、といって首相君が代を朗々と歌ったり平和メッセージ人類進歩繁栄について堂々と演説したら

きっと見直すわ。そういう役者力のあるリーダーってもういないのかな。

2021-07-21

anond:20210721132109

いうなれば関係者だな

事件は知らんかったが

裁判所もいろいろ役者を集めてるなぁと

2021-07-19

学園物のドラマでリア中リア高の役者があまり使われないのはなぜか。その年代に売れてる人間がいないことが多いだけのことか。

2021-07-18

anond:20210718221234

投獄された死刑囚獄中の服役者結婚するのは配偶者だと面会できるからインタビューするためだって聞いた

https://sashiireya.com/gosoudan/20/

裁判が確定し、禁固刑懲役刑で服役されている方との面会は、基本的に「親族」「事実上婚姻関係(内縁の妻や夫)」「弁護士」となります

2021-07-15

トランスジェンダー役はトランスジェンダーがやるべき論

なんか賛同している奴らいっぱいいるけど、その次に来るのはトランスジェンダーが出てくる映画等の脚本監督等々はトランスジェンダーがやるべきってなると思うんだけれどもそこら辺はどういうおつもりなんだろうか?

それは役者だけで脚本とか監督とかはかんけーねーし!っていうおつもりなのかなぁ???

日本海外セックスワーク文化

日本におけるセックスワーク話題になってるが、個人的セックスワーク自体労働の一つであり、需要もそう簡単になくなるものではないだろうと思ってる。

気になることがあるとすれば、日本セックスワークに対する視点があまりにもマイナスであることが一般的であることだろうか。逆に海外セックスワーカーと彼らを取り巻くカルチャーセックスポルノを割とポジティブものと捉え、働く女優役者として出演した動画などに誇りを持っている人間が多いように感じる。プロダクションハイクオリティなところが増え、支払われる報酬日本のそれとは比べ物にはならないのかもしれないとは思うが、日本セックスワーク海外を見習って恥じる文化からなんとか抜け出せないものだろうか。

100日間生きたワニを見た

結論から言うと、この作品は低品質タイプのクソ映画ではない。

しかに動きは少ないが「100日後に死ぬワニ」の作画としては妥当範囲内だ。

劇判がでかすぎるとかそういうことはなくちゃんコントロールされてるし、役者もさすが一流どころなだけあって違和感のある演技には感じなかった。

ただ良くも悪くも原作雰囲気再現された結果、演出に抑揚がなく多くの人はつまらないと感じるだろう。

63分の上映時間1900円のフルプライスをとってることに目を瞑れば、100ワニに相応な映像化といってよい。

ではクソ映画ではないのか?

これは紛れもなくクソ映画である

以下にその理由を記す。

個人的に、クソ映画は三つに分類できると思う。

一つ目は低品質ソ映画だ。

無駄に音がデカかったり音割れしてたり演技が棒だったり合成されたCGがショボすぎたりして興をそがれるタイプだ。

二つ目ストーリーが無なクソ映画だ。

主人公目的が設定されてなく、起きる物事カメラが追いかけるだけでただひたすら時間が経過していくタイプや、物語の展開の仕方が強引を通り越して牽強付会でぐちゃぐちゃになってるタイプなどだ。

三つ目が、原作破壊してるタイプのクソ映画だ。

原作キャラクターなどの要素を使ってるだけで全く別の作品となっててファンが怒り狂うタイプ原作付き映画がこれに当たる。

「100日間生きたワニ」はこの原作破壊タイプのクソ映画だ。

この作品は前半でワニが生きた100日間、後半でワニが死んでからの100日間を描く。

後半でカエルという原作にはないキャラが登場する。

そして、前半で描かれたワニを中心とした友達コミュニティにこのカエルが入ってくるのだ。

これは見方によってはワニのポジションカエルが乗っ取ったように見える。

しかもこのカエルは観客のヘイトをめちゃくちゃ稼ぐ立ち回りをしてるので余計にこのクソガエルが!という心情になってしまうのだ。

この点で、ワニが好きだった人ほど、この映画は受け入れがたいものになってしまった。

これはメディアミックスとして大きく失敗である

監督のやりたかたことはわかる。

友人が死んだとしても、残された人は生きていかなければならない。

ワニの死を咀嚼し、飲み込み、受け入れ、明日を生きていく。

そういう物語にしたかたことはわかる。

しかし、ワニを主人公にした物語でその主人公が死んだあと、その主人公代替品を手に入れて乗り越えましたという印象になりかねない物語展開はワニが好きだった人ほど受け入れられないだろう(ワニのことを忘れたわけではないという演出はされているが、観客の印象をコントロールできるほどかというとそこまでではない)。

ではどうすればよかったのか?

残された側のネズミ主人公にすればこの問題回避できたと思われる。

これならワニという親友を失ったネズミの心情に観客は寄り添うので、ワニを失った悲しみを乗り越える様子にも肯定的感情を抱くことができただろう。

実際、監督としても可能な限りネズミ感情移入してもらおうとしたのか、その工夫をした余地作品からもうかがえる。

例えば前半のワニのエピソードネズミとのやりとりが多く、後半もネズミのシーンが多い。

しかし、原作はワニの物語映画タイトルもワニ、前半のエピソードネズミと関わってるものが多いものネズミが絡まないワニのエピソード特にワニと先輩ワニの恋愛模様のシーンのほうがネズミのものより観客には印象に残った可能性が高い)も多く、ネズミ主人公であるという刷り込みを観客にするには不徹底なため、ネズミ主人公と捉えることは難しい。

結果として、観客は主人公はワニだと思い込んだまま、ワニが死んだ後のコミュニティカエルが入り込むのを眺めるというグロテスクなシーンを見せられることとなってしまった。

とはいえ、ワニではなくネズミ主人公にするのはマーケティング観点から言っても難しかったと思われるので、その点は監督に同情する。

2021-07-11

anond:20210711143840

舞台感染者がメインの替えが利かない役者とか二桁感染とかじゃない限りキャスト変更して続けたり数減らして公演続けてるよ

そのことに異論は無いけど演劇クラスター発生してないと言われるとなんか違う

anond:20210710124113

実写邦画って大抵クッソ照明がどんよりしてて絵が貧乏くさいか本気出すのカッコ悪いちょっと外す俺達いいよねみたいな内輪ノリがきついチャラケサブカル風だから何本かみたあともう見なくなったわ。

つーか、とくに主人公の年齢が若い作品に顕著だけど生身のガワの新鮮味を尊重すると演技力育ってない若いの起用するしかなくなる時点で作品としてクオリティ詰むんだよな。そりゃ画も演技力も両方経験積んだ別働隊の力を組み合わせて使えるアニメに奥行きで勝てるわけねーんだわ。別枠ってジブリぐらいだろ。

せめて若い役者叩き上げを使えばいいんだけど大抵どっかの中年が俺の基準で決めたふわっとした色がついてないキラキラ感みたいなもの重視だし。上層部自然体という名の棒演技をもてはやしてる時点で無理。

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