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はてなキーワード: 宗主国とは

2022-04-03

ロシアロシア人に任せたら結局又同じことするよな

俺閃いちゃったんですよ。

北方領土を取り戻すって名目にして日本ロシアドンドン吸収していって今あるロシア領土全部貰っちゃえば日本管理下になるから安心だと思いません?

実質的には宗主国であるアメリカ管理下になるわけで世界パワーバランス的にアメリカ一強が強まるというリスクはありますけど、このままロシア管理させたままってわけにもいかんでしょ。

2022-03-20

anond:20220320110457

ウクライナ当局はもちろん、アメリカNATOそのほか日本なども大まかすら本当の情報を開示する事は無い

からロシアウクライナ戦争の真実永久不明

日本宗主国であるアメリカの決めた正しい歴史を信じる権利があるだけだ

2022-03-01

anond:20220301134305

まりウクライナにはアメリカヨーロッパ後ろ盾があるフロント国家のようなもので、そこにロシアが攻め込んで欧米権益を侵そうとしてるから反応してるってことですね。

そして日本宗主国アメリカの御意向に従って同じように騒いでると。

ポジショントークなのですね。

私は私なりの正義基準がありますので、ニュース見て知ってます個人的に反応しません。

2022-02-26

anond:20220226145309

デンマークのような小国でも、米国同盟していて、イラク派兵しています

同盟というのは、「お互いを守る」という意味なんやで。そうじゃない条約から宗主国」という言葉になる。

将来的には、米国の代わりにインド同盟する手もあるかもしれないが、インド成熟するまでもう少し待ちたいな。。

インド核兵器は、どのぐらい命中率があるのかも大事だし。

2022-02-16

anond:20220216215421

あの辺の理論フェミニズムもそうだけど、ヨーロッパ断末魔叫びなんだよ。

もう一度俺たちをお前らの宗主国しろ!!!って言う。

2021-08-13

anond:20210812205820

植民地宗主国との独立戦争とかそういうのが過去の遠い時代の話になってるからリアリティを感じないんじゃないかなあ?

ガンダムかつくられたのが78年とかそのへんなんでしょ?

宗主国フランスアルジェリアあたりが独立戦争してたのが60年代とかでしょ。

だいたい20年くらい前にあった事実でしょ。

今の感覚からすると飛行機ニューヨークに突っ込んでからイラク戦争が終わるくらいまでの話。

そういうのを参考にしてアニメの設定とかでっち上げたら一応のリアリティ出来るじゃない?

でも40年以上前独立戦争とかだともう昔話になってしまってリアリティを感じられないんだよ。

そういうことじゃない。

あと戦争が先にありきだと思うからね、ガンダムとかだと。

戦争するという設定があってなぜ戦争するんだろう?ってことだと思う、おそらく。

そこでリアリティを維持するのが独立のための戦争だったんだよ当時は。

まあこれはガンダム限定した話で元増田のいうSFの話とはちょっと違うけれど。

2021-08-03

anond:20210802125836

有名な話やが象さんのお鼻は暗号やね

象=敵国の戦車象徴 おそらく印度示唆していると言われている

18世紀くらいの話だったはず

長いは巨大な戦力を意味する

母さん=インド宗主国だったイギリス

母さんも長い=イギリス戦車戦力について

というのが研究最近わかってきたこ

詳しくはググれ

2021-07-27

anond:20210727234232

仏教宗主国で負けたので NG。それ言ったら、キリスト教も同じか。

anond:20210726232033

イギリス電通銀行が作ってきた植民地文化に対してアンチを装うのは自由だが、それもまた植民地ならではの反抗スタイルに過ぎない

たとえ植民地状態を脱するために植民地を得たとしても、植民地であることには変わりがない

宗主国価値基準を変えられるほどの国ならば植民地ではないと言えようが日本成功例があるとは思えない

まず戦前の製糸産業にせよ現代アニメ産業にせよ、低賃金奴隷使用しているとなれば、一級のインパクトを与えることはできんよ

2021-07-22

anond:20210722225412

自衛隊出身者じゃない人が防衛大臣なると嫌がらせコメントしろというネトウヨルールでもあるのかね

気持ち悪い流れ

どこに相談しようが自由だろ

そもそもアメリカ軍下請けだし宗主国イスラエル確認を取らないといけないのも仕方ないだろ

2021-05-04

マクガフィンについて【2021/05/06誤字訂正】

 フランケンハイマー監督映画RONIN』は、ソ連崩壊の余波が残る90年代作品であるソ連崩壊した頃は、生活に困ったソ連の元・軍関係者兵器第三世界テロリスト密売する可能性や、ソ連という敵を失ったことで欧米諜報機関人間リストラされる可能性が取り沙汰されていて、そのような世相が同作品には反映されている。

 ロバート・デ・ニーロ(主人公)、ジャン・レノらが演じる「ソ連崩壊に伴って仕事を失った東西諸国諜報機関の元・工作員たち」が、アイルランド人らしき女性からリクルートされて、フランスニース滞在中の元・ソ連関係者と思しき男たちの持ち歩いている「怪しいジュラルミンケース」を強奪する非合法ビジネスに挑む…という話である

 このジュラルミンケースを巡る争奪線として物語は進行するが、その中身が何なのかは最後まで明かされない。ただ「非合法な真似をしてまで欲しがる人間たちが存在するような『物騒な何か』なのであろう」とだけ、観客には理解される。しかし、そのような理解物語の進行には十分なのである。この映画におけるジュラルミンケースのような、物語進行上の小道具マクガフィンと言う。

 マクガフィンマクガフィンとして機能しうるのは、物語の語り手と観客が「世界観」や「状況認識」や「常識」を共有しているかである新聞ニュースを通じて、冷戦下における東西諜報機関の暗闘や、北アイルランド返還要求してテロ活動をしていたIRA存在ソ連崩壊に伴う兵器拡散危機などについて既に了解しているからこそ、たとえジュラルミンケースの中身が判明しなくても、観客は物語を読み解くのに支障が無いのである。ちなみに、主人公たちをリクルートするアイルランド人らしき女性が、物語の冒頭で主人公たちに対して「私はディアドラ」と名乗る。これは、日本人に擬えると「私は花子」と言うぐらい「平凡な名前すぎて逆に偽名クサイ」という描写とのことである。「アイルランド人」らしき人間が「偽名」で接触して「非合法ビジネス」を依頼してくる。となれば、90年代フィクションにおいては「IRAか?」と推測するのは観客にとって極めて自然な成り行きであった。このような社会的知識認識を持たない人間が『RONIN』を観ると「何だかよく分からない話だった」となるかもしれない。

 さて、海賊漫画について言及したところ「『海賊王』の定義がハッキリしなくても、マクガフィンなのだから問題は無い」との意見が見られた。しかし、端的に言えば『海賊王』はマクガフィンとして機能していない。何故ならば、物語世界法則や状況に関する「確固たる土台情報」が与えられておらず、ジャンプ読者は共通認識を持っていないかである

 海賊漫画は、政治・経済軍事警察法律社会体制キャラの強さの根拠尺度海賊稼業が成り立つ社会の仕組みなど、全てにおいてアヤフヤである

 海賊漫画に比べると、まだ『パイレーツ・オブ・カリビアン』の方が、海賊冒険物語としてはマシな方である。それが成立するのは何故かと言えば、以下のような「世界認識」が朧げながら観客に共有されているかである

 我々の世界での海賊歴史は、ヨーロッパのような国々があり、中南米アフリカアジアのように植民地とされた地域があった。海賊たちは、国家の軍や警察の力が及びにくい地域で略奪・誘拐などを行い、時には国家から許可を受けた「下請け業務」として海賊業務を行っていた(このような海賊船は、所謂piratesではなく「私掠船privateer」と呼ばれて区別される)。

 国家下請け業者としての海賊が成り立っていたのは、ヨーロッパの国々が互いに覇権争いをしていたかである競争相手国の船が、私掠船にとって獲物であった。

 覇権争いをしてまでも植民地にした地域には、金銀や宝石鉱山が有ったり、香辛料農産物の産地であったり、サトウキビコーヒーなどのプランテーション農園を作って労働力に使う現地住民がいたり、宗主国がそこに侵出する様々な経済的動機があった。

 植民地域と本国との間で行われる貿易関税を逃れて密輸するのも、海賊仕事の一つであった。

 海賊が略奪した貴金属貨幣や物品、誘拐した人間を欲しがる人間が、宗主国植民地域に「顧客」として存在し、また略奪や誘拐ビジネスで富を手に入れた海賊が消費活動を行なって、植民地域の経済圏に金を落としたからこそ、海賊稼業も成立していた。

 海賊は、社会から孤立しては成立しなかった。

 このような大まかな共通認識が観客にあるからこそ映画パイレーツ〜』も成立するのである。これに比べたら、如何に海賊漫画がアヤフヤなまま連載を続けて、本来は連載初期に描いておくべきであった、読者が物語を読むための足掛かりにするべきことを何も描いてこなかったのが一目瞭然である

 「パンピレホニョンに俺はなる!」と言うだけではマクガフィンにはならない。

【2021/05/06誤字を指摘して下さった方、ありがとうございます。】

2021-04-09

DHCヤケクソくじ 会長差別メッセージ追記文 全文文字起こし

同じページへ追記されるとはてなブックマークでは議論ができないので、追記のみこちらに文字起こししました。

画像掲載されていたのでOCRしています。ちょこちょこ読み取りが怪しいので随時修正します。

NHKおはよう日本報道ディレクター大淵光彦と称する人物からDHC広報部に

電話が入り、当方の「ヤケクソくじ」の説明文に人種差別問題が含まれていて、今に

至ってもまだホームページ掲載が続いているがその理由を聞かせてくれとのことで

あった。名前を聞いて、明らかに在日系が好む日本名であることからNHKを騙るコリ

アン系の反日日本人かと思ったが、NHKに問い合わせてみると確かに在籍しているとの

こと。小生は常々、日本朝鮮化ということを何よりも危倶しているが、その元凶である

NHKからの問い合わせに小躍りした。NHKの状況を全国民に周知させる絶好の機会

からである朝鮮化ということではNHKは最も触れられたくない問題のはずである

これはもう日本国民の誰もが気がついていることであると思うが、NHK幹部アナ

ンサー・社員ほとんどがコリアンである出演者についても、学者芸能人スポーツ

選手の多くがコリアン系であり、ひどいことに偶然を装った街角インタビューさえコリア

ン系を選んでいる。予めリストアップしているのである。特徴のある名前とつき出たあご、

引きしまった小さな口元、何よりも後頭部の絶壁ですぐに見分けがつく。サントリーが日

本海を「東海」と言おうが、社員タレントコリアン系ばかりにしようと-私企業である

から誰も文句は言えない。NHKは全国民から強制的受信料をむしりとっている公的

機関であるから放置するわけにはいかない。誰がこんなふうにしてしまったのかというと

自民党の一部のコリアン系の国会議員であるが、野党コリアン系だらけだからNHK

やることには誰もストップをかけない。コリアン系は長い歴史の中で中国を常に宗主国

してきたから、宗主国のやることには逆らえないというDNAができている。韓国歴代

大統領を見るとよくわかるONHK朝鮮半島の悪IIは絶対に言わない。これは同族

から当然のことだが、親分中国にも何も言えない。党員のほぼ全員がコリアンである

立憲民主党は、総務省役人NTT接待に応じたとかのどうでもよい文春の三流記

事を盾にして連日のように国会でがなり立てている。そんな場合ではなかろう。国境を侵

して侵入している敵には即座に銃撃して追い返すのが常識であろう。

小生のことをマスコミ(これもコリアン系ばかり)は人種差別主義者だと言うが、人種差別

というのは本来マジョリティマイノリティに対して行う言動を指すのであって、今や日本

におけるコリアン系はマイノリティどころか日本の中枢をほとんど牛耳っている大マジョリ

ティである毎日ものすごい数で帰化人誕生している。数だけの同族マジョリティ

はなく、彼らは東大京大一橋早稲田を出ていることから政界財界法曹界・マスコ

ミ界という日本の中枢をすべて牛耳っている大マジョリティである

小生はもともと経団連の会員であったが、呆れ果てて昨年の12月に退会した。経団連

会員は日本代表する有名企業ばかりで、コリアン系などいないと思われるでしょうが

ここ数十年の間に続々とコリアン系が増殖して、幹部一般会員だけでなく、会を支え

事務局員までコリアン系で占められるようになった。そのため、彼らは日本のために

働いているのではなく、何かあると必ず中国寄りの態度を示し、韓国には常に同情的で

ある。中国ウイグル族などの少数民族に対してやっていることは明らかに人種差別

最たるものです。アメリカ白人が大多数を占めていた昔なら黒人朝鮮人は差別の対

象になっていましたが、今は一大勢力を形成していますからもう差別とは言えないで

しょう。数の力を頼って、西海岸朝鮮人は今や市議会の中心層になっており、やりたい

放題でマイノリティ日本人いじめています。言いたい事はきりがありませんが、NHK

に対してひと言感想をと言われれば、「NHK日本の敵です。不要です。つぶしましょう。」

株式会社ディーエイチシー代表取締役会長・CEO 𠮷田嘉明

2021-03-01

必読書コピペマジレスしてみる・自分オススメ41冊編(2)

戻る→anond:20210301080105

倉橋由美子聖少女

まり男性女性がとは言いたくないのだが、女性作家の描く知的早熟少年たちというのは、エルサ・モランテの「アルトゥーロの島」なんかでもそうなんだが、男性が描くときはまた違った魅力を発する。サリンジャー知的論理的自分を追い詰める子供たちとはまた別の硬さがあってよい。新城カズマサマータイムトラベラー」の高度に知的でありながら情緒は年相応な少年少女もいい。

さておき、これは近親相姦お話なのだが、印象に残っている描写は次の通り。主人公たちの仲間に大食漢の男がいて、しばしば生肉弁当の代わりに食らっている。回りの女子生徒たちも面白がって彼に餌付け(?)していたのだが、ある女子生徒がブルマーを入れていた袋の中に隠していたウサギを、生きたままで彼に与えた。血まみれで凄惨な場面でありながらも、大食漢は実においしそうに平らげていた。

例の文学少女から薦められて読んだことでも思い出深い一篇。

ミラン・クンデラ存在の耐えられない軽さ」

頭が良くてモテる男が主人公なのでいけ好かないモテること、たくさんセックスすることこそが人生の目的になっているような奴は理解できない。なんか知らないやつにいきなり人の部屋をのぞきまれ、「お前の人生にはエロスが足りない!」と叫んで出ていかれるような気分がする。しかし、これもまた祖国を追われた人間が、知性と皮肉現実適応しようとした姿なのかもしれないのだ。

それと、この本で感謝しているのは、さまざまな政治的活動に対して感じていた居心地の悪さを、「キッチュ」をはじめとしたさまざまな言葉言語化してくれたことだ。ポリコレを正しいと信じているのに、そこにあるどうにも解消できない居心地の悪さが気になる人が読むといいんじゃないかな。

あとは頭が良すぎて、多くの人が無視したり忘れていたりしていることが見えてしまい、幸せになれない著者みたいなタイプが読むと幸せになれそう。イワンカラマーゾフとか御冷ミァハみたいに、頭が良すぎて不幸になるというか、自分の知性をどこか持て余してしまタイプキャラクターが好きだ。

メアリーシェリーフランケンシュタイン

死体から作られた怪物がただただかわいそう。容貌醜悪なだけで化け物として追われ、創造主からも拒絶された彼の孤独を考えるだけで悲しくなる。まったく同じ理由で「オペラ座の怪人」も好きだ。どちらも間違いなく殺人者ではあるのだけれども、容姿馬鹿にされたことがあるのなら共感せずにはいられないだろう。関係ないけど、オペラ座の怪人ヒロインから振られたことを受け入れられたのって、やっぱり正面から振ってもらったからだよな、と思う。音信不通フェードアウトされたら怨念はなかなか成仏しない。

それと、これはSF的な感覚かもしれないが、人間離れした(時としてグロテスクな)姿を持つ存在が、非常に知的であるというシチュエーションがとても好きで、その理由から後述の「時間からの影」や「狂気山脈にて」も愛好している。

ロード・ダンセイニ「ぺガーナの神々」

架空神話ショートショート形式で述べられていく。ただそれだけなのにこんなに魅力的なのはなぜだろう。彼の作品基本的に短く、しょうもないオチ作品も割とあるのだけれども、時に偉大で時に卑小な神々の物語は、壮大な架空世界に連れて行ってくれるし、すぐ隣に隠れているかもしれない小さな妖精魔法も見せてくれる。

テッド・チャン「息吹」

あなたの人生の物語」とどっちにするかやっぱり迷った。映画メッセージ」の原作が入ってるし、増田で盛り上がってるルッキズムテーマ作品だってある。だが、寡作な人なのでこの2冊しか出していないし、片方が気に入ったらきっともう片方も読みたくなる。

表題作は、意識を持ったロボットのような存在がいる宇宙お話なのだけれども、そのロボット自分の脳をのぞき込んでその複雑な仕組みに心を打たれる。そして、世界を観察することで、何万年も経てばこの世界は滅んでしまうことを悟る。人間とは全く似ても似つかないロボットたちだが、やっていることは人間サイエンス、真理の追求という営みと本質的には同じだ。何かを知ろうとする営為の尊さについて語っている。得られた知恵で、自分たちも世界もいつかは終わってしまうと知ることになろうとも、知識を求める崇高さは変わらないのだ。

イワンセルゲーヴィチ・ツルゲーネフ「初恋」

学生時代自分女性に冷たくされる文学が好きだった。からかわれたりもてあそばされたり馬鹿にされたりする作品のほうが好きだ。そのほうがリアリティがあったから。寝取られ文学が好きなのもそれが理由だし、谷崎潤一郎作品も同様の理由で好きだ。

自分馬鹿にしていた少女が突然しおらしくなり、自分に近づいてくる。いったいどうしたことか、と思って期待しながら読んで、絶望に叩き落されるがいい。

イサク・ディネセン「アフリカの日々」

ライ麦畑」でホールデン少年が感動した本。アフリカ植民地で暮らす女性視点からその生活を書いている。友人のイギリス人が亡くなったとき、まるで故郷をしのぶかのように墓が深い霧に包まれたシーンがとても美しい。

個人的には、当時の基準からすればアフリカの人々に対して丁寧に接しており、評価も概して公平であるように感じた。ところどころ「有色人種特有の」といった表現があったり、アフリカ前近代社会とみなしたり、古い進歩史観は見られるし、植民地支配者側から視点批判的に読まなければならないが、色眼鏡比較的少ない観点に心を動かされてしまったのは事実だ。

植民地時代アフリカって、宗主国以外の人もたくさんいたこともわかって面白い。当時は英領東アフリカだが、そこにはスウェーデン人もいればノルウェー人もいる。古くから貿易相手としてのインド人だっている。独立後、彼らは日本人満州朝鮮半島台湾などから引き揚げたように、撤退したのだろう。植民地について理解するためにもおすすめ

J・R・R・トールキン指輪物語

はまった。十代の頃にとにかくどっぷりとはまった。今でも表紙のエルフ文字を使って誰にも読まれたくないことをメモするレベルではまった。

かに話の展開は遅い。重厚に過ぎる。設定を語るためのページも多い。しかし、この長大小説を読むことで、開始数ページで読者をひきつけなければならない現代小説からは得られない、長い旅をしたという実感を得られるのは確かだ。小説家には良き編集者の助言は必要だが、今のように急ぐ必要のなかった時代もあったことは忘れたくない。

中島敦「狼疾記」

李陵」や「弟子」や「山月記」じゃなくてなんでこれなのか、という声もするのだけれど、自意識過剰文学少年の思っていることをすべて言語化してくれているので推さずにはいられなかった。十代の頃の感受性は、何よりもこうしたものを求めていた。親の本棚にこれが積んであったのは幸運だった。

これは「三造もの」と呼ばれる中島敦私小説的の一つであり、世界の滅亡や文明無意味さに対する形而上学的な恐れや不安意識の片隅にある人間なら確実に刺さる内容だ。最後説教パートもさほどうっとうしくない。なぜなら、きっと文学少年文学少女たちは、その言葉無意識のうちに自分に投げかけてきたからだ。

ウラジーミル・ナボコフロリータ

膨大な知識と華麗な文体を背景にして、あらゆる性的な乱行を正当化してしまうのがナボコフ作品の一つの特徴である。語り手ハンバート・ハンバートは十代前半の少女を性の対象とする中年だ。自分初恋の思い出がどうこうとか述べているが、それだって言い訳だ。

しかし、この作品はただの小児性愛者の物語ではない点が油断ならない。少女ロリータはただ性的搾取されるだけの存在ではなく、自ら性の冒険に乗り出す。清純で清楚な少女という幻想は、最初からハンバート夢想の中にしか存在しない。ハンバートにはロリータ内面や考えなど最初から見えていなかったし、見ようともしてこなかった。

ただのスキャンダラスな本ではない。これは一人の身勝手男性心理の解剖である

新美南吉「屁」

ごんぎつね」の作者として知られるが、こんなふざけたタイトルの話も書いている。しかし、これは「自分は常に正しい、正しく道徳的であらねばならない」としてきた子供挫折を描いた小説であり、この社会弱者にあらゆる責任を擦り付けている様子を全く卑近話題から告発した話なのだ自分がした屁の責任かぶらされた、いつも屁をこいている少年への同情と軽蔑は、僕らの弱者への姿勢のものじゃなかろうか。

短いし、青空文庫で読めるのでオススメ

https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/3040_47823.html

仁木稔「グアルディア」

遺伝学の発展が少し早かったパラレルワールド未来舞台にした愛憎劇であり、変身ヒーローものでもある。ただのSFと違うのは、さまざまな文化が変容を受け、再解釈を受けて受容されることまでもプロットの一部として組み込んでいるところだ。さらには疑似科学陰謀論社会関係も描いている。今、読まれてほしい作家の一人だ。

仁木稔作品は僕の好み、ストライクど真ん中なんだけど、世界史や文化史、自然科学物語論の素養がないと(かじるレベルでいい)作者の構想を味わい尽くすのが難しいので、滅茶苦茶売れる作品にはならなそうだというのは認めざるを得ない。現に舞台ラテンアメリカ日本人になじみが薄いし、シリーズの別の作品中央アジアだ。それでも、伊藤計劃と並んで、社会学なんてつまらないって誤解を解いてくれた大きな恩がある作家だ。早くこのシリーズ最新刊が出ないか、今か今かと待っている。

イザベラ・バードイザベラ・バード日本紀行」

明治一年日本都市から農村を実際に歩いて見聞した手記である。率直に衛生状態の悪さやはびこる迷信批判している箇所はあるものの、その率直さが当時の日本がどんなだったか身びいきなしに教えてくれる。現代日本人が近隣の、例えば東南アジア諸国を見聞して不満がる、偽ブランドの横行や衛生状態の悪さ、家畜との同居や騒々しさなどが明治日本ではごく普通だったってことは知っておいていいと思う。

著者は北海道にも足を延ばした。アイヌ民族について日本人よりも好意的に描いている場面もある。しかし、当時の西欧人の感覚でよくわからないのだが、「粗野な外見だけどとても優しい目をしている」と褒めた民族のことを、別のところでは「将来の可能性を閉ざされ民族である」と書く点だ。もしかして、かつての人々が持っていた、文明と野蛮の間にある壁・差異イメージは、僕らが直観するよりもはるかに深刻な差別意識内包した、強固な偏見に根差しものだったのかもしれない。単純な軽蔑どころではない、もっとひどい無理解に基づいた恐ろしい何か。同じように、キリスト教によってこそ日本の悪習は絶えるという発想がどこから来たのか。そういうことを考える意味でもおススメしたい。

ハン・ガン菜食主義者」。

とても面白かった。父の暴力を遠因として、あらゆる動物的なもの嫌悪するようになった妹と、ただやり過ごすことで生きてきた姉を軸に描かれた三連作。壊れた夫婦描写に優れる。

妹は最後には精神を完全に病んで、何も食べられなくなるのだけれども、彼女が持つ植物になりたいという妄念が、本当に精神病の患者さんを観察したんじゃないかってくらい、細部にリアリティがある。

姉はおとなしいのだが、自分はただ忍従し、やり過ごしてきただけで、自分人生を全く生きていなかったのだと、夫の裏切りによってやっと気づく。夫は夫で、そのおとなしい妻に対して息苦しさを感じている。他の家庭のように、怒鳴り散らしてくれたらどれほど楽か、と嘆くのだ。

韓国ってよく叩かれているけど、日本と同じように家族のしがらみとかとかで苦しむ描写が多いので、意外とわかりやすい気がする。

進む→anond:20210301080225

2020-12-21

文化としては例のJK大事にしといたほうがいいか

なぜならこの手の技術中国に移行しつつあるから。彼らは西洋的な手法中国的な水墨画感性日本的な線画をミックスさせた面白い塗り絵を出すようになってきている。

韓国勢もうまい。彼らの場合セクシャル感覚肉感的な感覚に優れているので人体描写がとて秀でいている。一方で萌としての広がりは日本が圧倒的で、表情やポーズなどの表現力は西洋人が圧倒的。

しかしこれらは日本を飛び越えて混ざりつつある。萌え宗主国である日本発言権は多分将来的にとても小さくなる。だからうちら萌えの中心なんですよ、漫画イラストの中心なんですよ、というアピールはやっておいたほうがいい。

なんにせよ日本人はアピールせずに黙るのが美徳という風習があるから(謙譲の美徳は違う気がする)。

とても広い話を言えば、インド仏教シルクロードを渡るうちにヘレニズム文化習合してさらには道教と結びついたように、日本等国が宗主であった記憶は少しは残るだろうけど。

2020-11-22

イギリスパンクレゲエ好きが多いだろ?アルバムにダブが入ってたりするじゃん

有名なのはクラッシュだったり、ピストルズのジョンライドンもPiLではモロにダブの影響受けた音楽作ったりしてるよな

このパンクレゲエの結びつきは何なのか?

もちろんジャマイカ宗主国であったイギリスジャマイカから移民とともにジャマイカ文化も持ち込まれたということは知っているんだが、

イギリス人のパンクス的には、あえて植民地ジャマイカ音楽要素を取り入れることによって、

アンチ政府的な、平等先進的なリベラル的なアピールになるからレゲエとか取り入れてたの?

詳しい人教えて

2020-11-18

日本ネトウヨトランプ支持するのは

宗主国アメリカ親分が、うちのボス猿と仲良くしてくれたのが嬉しくて嬉しくて仕方なかったからだよね。

大嫌いな中国にも厳しくしてくれるし、文在寅悪口も言ってくれるし、ネトウヨからしたら、自分妄想が具現化したのかと勘違いするほど素晴らしい大統領だったよね。

日本アメリカとともに世界大国に躍り出て、中韓を見下すことができるんだ…そんな夢をトランプは見せてくれた。そら、現実を認めるのはつらいよね。頑張って生きろよ、ネトウヨ

2020-10-29

カフカかい流行らない作家がいる

 勿論タイトル釣りで、カフカは全世界に影響を与えたユダヤ人かつオーストリアチェコ)人なわけですけど。

 独文学というとカフカカフカというと独文学。そんな感じですよね、実際のところ独(語)文学においてはトーマス・マンとかゲーテとか他にも様々な著名な作家がいるわけですけれど、カフカはその研究テーマとしては比較ポピュラーな御仁でありますユダヤ人の家庭に生まれ生地である現在チェコプラハ言語に依らずドイツ語にて創作を目指したカフカの、ミステリアス人間性はその作品群に対しても同様に、謎めいたベールを投げ掛けています

 カフカ文学をお読みになられたことはございますでしょうか。まあ僕もそれほど熱心な読者とは言えないかもしれないのですが、とりあえず『変身』・『城』・『審判』のほか幾つか著名な短編を読ませて頂きました。まあカフカ作品の特徴は、感情的な部分を敢えて抑制するところにあります。勿論十分に感傷的な部分を持った短編とかも散見されるのですが、基本的に、感情の伝達、あるいはその伝達の手段としての文学というものカフカはあまり信頼していなかったのではないかとも思われるのです。というのは、基本的に作中人物達は様々な問題に取り囲まれていることが多いのですが、弱音を吐くことがあまりなく、ついでに言えば仮にその感情というものが滲み出るにしても、基本的にそれはレトリック暗喩といった形によって示されるので、はっきりとした感情というものが作中に表れるということは稀なんですね。この辺に、カフカ抑制的な人格と、コミュニケーションそれ自体に対するカフカ立場というものが表れているように思われますカフカ基本的コミュニケーションというものを信用しておらず、また、コミュニケーションを通して自分自身人生をくつろげるものに変える努力に関しても、冷ややかな見方をしてきたように思われるのです。

 コミュニケーションという営みは人間基本的に切り離せないもので、人間はそれを用いて自分人生他人人生コントロールしようとします。しかし、そのような一般的コミュニケーション立場と、カフカコミュニケーションに対する立場は明らかに違うように思われますとはいえカフカの立たされていた環境を考えれば、我々が用いるようなコミュニケーションのあり方と、カフカにおけるコミュニケーションのあり方との乖離は、さして驚くべきものではないでしょう。

 つまりカフカユダヤ人でありかつオーストリア人でありかつチェコ人と呼べる極めて国家国民性というアイデンティティが複雑に錯綜した人物であったからです。これはカフカ研究においては極めて一般的な基礎知識ですが、カフカ現在チェコに当たる地域で生まれたにも関わらず、その日常においてはチェコの土着言語を用いずにドイツ語を用いました。また、当然のことながら創作においてもドイツ語を用いておりました。チェコで生まれながらにしてチェコ語を使うことを許されない――つまりカフカ自身の持つ言語によってさえ一種の疎外を受けていたと言えるわけです。超基本です。

 カフカにとってコミュニケーションとは――なかんづく、コミュニケーション根本的に支える言語というものは――自身人生リラックスさせ、他者との間に健全コミュニケーションを成立させる、我々における言語のあり方とは少しばかり違うものだったということです。カフカは生まれながらにして一種異邦人であった、ということですね。この「異邦人」という記述はもはや陳腐な言い方なのでしょうがしかしやはりこの視点カフカ理解する上では切っても切れない重要な点となりますカフカはそのアイデンティティの複雑さ故に、生粋異邦人でありましたし、そして彼が用いる言語レトリック基本的に、一種生存戦略だったのです。要は、植民地支配を受けた国家国民が土着言語を用いず宗主国言語を用いるのに近い、生存戦略の一環として言語を用いる生活を送ることが、彼の人生においては定められていたのです。我々にとって言語人格は複雑に結びつき、そして、自身人格感情を表す際に、極めて重要役割を演じます。恐らく、この世界におけるほぼ100%近い人類が、言語に対してそれと同じ感覚を抱いていることでしょう。しかカフカにおいてはそれは事実ではありません。

 カフカ作品群において、カフカ言葉によって感情を語ることはありません。カフカが語る感情は、物語構成依存しているか、ないしは物語中における舞台装置によって、つまり暗喩によってのみ語られることとなります。その、感情表現の大いなる欠落が、カフカ文章における特徴ですらあるのです。あるいは、それは仏教における「見立て」の感覚に近いかもしれません。つまりは、一種の擬似的な曼荼羅と言いましょうか、物事物質をある特定の配置に並べ変えることで、何らかの物質を超えたメッセージを贈ろうとする試み。枯山水現実自然を表すように、カフカはある種の機械や道具立てによってのみ自身感情説明しようとし、翻って言うならば、カフカは直接的な表現によって感情説明しようとなどしなかったのです。感情の欠落。

 この「感情の欠落」が文学の特徴であることは明らかにカフカが作り上げた文学の一潮流と言えると思います。後年の作家であるトーマス・マン文学においても、感情内省と言うべき人間の心のあり方が、敢えて描かれない抑制的な文体の影を見ることができるように思われます感情とはなんなのでしょうか? コミュニケーション言語は、我々にとって慰めと言えるものなのでしょうか? カフカはそれに対して否と答えます言語は、必ずしも我々に結びついていない。同時に、言語を基底として成り立っているコミュニケーションもまた、我々に属していない。我々は、根本的に言語によってコミュニケーションを取ることができない。

 しかしそのコミュニケーションへの失望結論ではないのです。何故ならカフカは、コミュニケーション失望をしていてさえなお、小説ものしたのですから

 何故カフカ文学を書いたのでしょうか? 文学自己表現である、という一般的見方と、カフカ文学的なあり方には乖離があるように思えてなりません。カフカにおいては寧ろ、文学自己から自己への感情乖離です。いわば自己自己に対する乖離のものです。

 そのような営みは、恐らくカフカ人間性に淀みを与えているようにさえ思えます自己自己に対する分離、乖離を通して、恐らく彼の感情も一部彼から乖離し、分離していたからです。そのような営みが、彼にとって一体何だったのか? それは我々には想像するほかありません。短絡的に考えれば、その営みは、その乖離と分離の営みは、単純な自己破壊行為であったと断じれるかもしれません。自己から自己を分離し、乖離させることは、明らかに自己にとって好影響を及ぼす行為ではないからです。とは言え、彼の行為は本当にその自己破壊目的にしていたのでしょうか? あるいは、世の人々が芸術家小説家に対してしばしば言うように、彼は文学というものを用いて、彼の生命生活痕跡世界に残そうとしたのでしょうか? それも、疑わしいと僕には思われます。つまりカフカ文学コミュニケーションに対する諦観なのですから。そこには、コミュニケーション言語に対する深い諦めの影の姿を見て取るほかないのです。

 結論から言えば、カフカ文章を書いていたのは、恐らく乖離目的とした、逃避行動だったと言えるでしょう。そして同時に、彼は自己から自己乖離させることによって、一般論的に自己省察を深めようとしたのでしょう。敢えて、自己から自己を分離させることによって、自己省察可能対象として対置する行為が、彼の文学目的の一部だったと言えるでしょう。


 このような記述文学における一般論範疇を出たものではなく、彼の人生文学目的は未だもって謎に包まれていますカフカに限らず、一部の文学者は、そして小説家は、コミュニケーション媒体である文字言語を用いながらに、コミュニケーションを諦めているのであり、つまりは何かを伝えようとしながらに、我々に対して何も伝えようとなどしていないのです。あるいは、最終的には彼らのような小説家の目的は、一言によって表せられるのかもしれません。

 つまりは、彼らは何かを諦めたかったのであろうと。

2020-09-14

新型コロナ人口あたりの死者数

つの間にか上位国は中南米が目立つようになっている。

ペルーが独走しており、不落と思われたベルギーを抜いてもうすぐ1万人に1人が死ぬことになる。

スペインボルビアが肉薄する中、3位を守るつもりなのか第2波なのか再び死者数が増加傾向になっている。

その後をチリブラジル、そしてエクアドルが続く。あれほど騒がれていたイギリスアメリカイタリアスウェーデンはこれら南米の国々に追い抜かれている。

とはいえアメリカは未だ意気軒昂だ。スウェーデンを置いてきぼりにしイギリスを抜くのも時間問題であろう。そんなところで負けん気を発揮しなくて良いのに。

スウェーデンは元気がない。今も元気に死んでいるメキシコ背中を捉えている。アメリカメキシコの間にはイタリアスウェーデンという壁があるがメキシコは破ることができるであろうか。

メキシコに続くはパナマだ。次がフランス。そしてコロンビア

ここまで上位15国中、中南米8カ国が占めている。

だが中南米勢もここまでだ。他の国はぜんぜん少ない。ぶっちぎりのペルー宗主国が同じである国が多いのだが。何が明暗を分けているのだろうか。

南半球はこれから夏に向かい北半球免疫が落ちる冬に向かっていく。

死のレース行方誰も知らない

2020-08-29

anond:20200829004632

だったら宗主国が逃げ出すほど有利な条件をまとめた安倍内閣もっと評価されてもいいんじゃないですかね

2020-08-02

anond:20200802164243

からそんなこと言ったら俺らカレー食えねえじゃん

それともインドカレー宗主国協会か何か作ってそこにカネが回るようにでもすればいいわけ

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