はてなキーワード: 学費とは
http://anond.hatelabo.jp/20151002003234
の著者が
http://blogs.yahoo.co.jp/ut_kankyo/42274104.html
「当会が問題と考える点」(東大 キャンパス環境の改善を求める有志)を読んだ。
匿名ブログでくだをまくことしかできない私と違い、実際に駒場の学生支援課と駒場図書館と交渉されているそうで、その実行力に敬意を表したい。
その上で、「東大 キャンパス環境の改善を求める有志」の会の方々は、主に駒場キャンパスでの問題に取り組まれているようなので、本郷キャンパスへの「学外者」立ち入りに関する所感を以下で述べてみたい。
というものだ。
本郷キャンパスへはじつに様々な人たちが出入りしている。センター試験と2次試験以外の日に、もっともよく見かける人たちをあげてみるだけでも、これだけいる。
これだけの人たちの立ち入りを制限して、正門でいちいち入構手続きを求めるのはさぞかし大変だろう。
とはいえ、本郷キャンパスが観光地化しているという指摘はあたっている。
毎日のように大型バスが何台も大学前にやってきて、中高生や観光客の団体が列をなしてキャンパス内に入ってくる。日本国内からだけでなく、中国、韓国、台湾といったアジア諸国からやってきたらしい団体もよく見かける。
これらの人々が固まって道を塞いだり、騒ぎながらセルフィー棒で写真をとっているのを見かけて、眉をひそめる東大生がいたとしても全然おかしくないと思う。
しかし、「学外者」の立ち入りを完全にシャットアウトすることは難しいのではないかと思う。本郷へやってくる人たちのなかにはきっと、東大に漠然としたあこがれを持ってやってくる人もいるのだろうし、そうした人たちに対して大学も悪い顔はできないだろう。
キャンパス内を物珍しそうな顔で歩いている中高生が、10年から20年後には、彼らを迷惑そうに見つめる東大生をはるかにしのぐ立派な研究を東大でやり、場合によってはノーベル賞も取ることだってありうるのではないだろうか。
先日話題になった世界大学ランキングでトップ10に入っている大学で、私が訪れたところはいずれも、東大よりはるかに観光地化が進んでおり、観光客でごったがえしていた。大学の主要な建物の周りには土産物屋が立ち並び、大学のロゴが入ったパーカーやTシャツを売っている。その周辺にはカフェやレストランがあり、一つの経済圏を形成している。
大学の方もまたしっかりしたもので、歴史的な建物やカレッジは入場料をとり、一日のうち限定した時間帯に立ち入りを許している。立派な美術館やカテドラルを持っている大学(カレッジ)は、これらの入場料から収入を得ている。
こうした大学で観光客と学生とのあつれきが問題になりにくいとしたら、先のエントリでも述べたように、もともと大学と周辺の街との境界線があいまいだからだろう。
東大の場合、キャンパスの内と外の区別がかなりはっきりとしており、キャンパス内が手狭なので、そこに多数の人が一挙にやってくると、学生はストレスを感じやすいように思う。
本郷キャンパスでは現状で、研究棟に「学外者」が団体で入ってくることはないので、研究室にこもっているかぎりでは、「学外者」との間で問題が生じることはない。
「学外者」が大声で話すことがあったとしても、現状では、研究棟の造成工事や、総合図書館の新設・改築工事の騒音のほうが、はるかにうるさい。
問題が生じるのは、学生と「学外者」が共有するアメニティスペースや、「学外者」の団体立ち入りを許している施設だろう。
まず、キャンパスに立ち入る「学外者」のうち、もっとも人数が多いのは修学旅行の団体であるが、彼らは門の前にしゃがんで集合したり、狭い道で立ち止まったりして完全に通行を遮断することがあり、引率の教員もそのことに気づいていない場合がある。
また、修学旅行生やウオーキングツアーの団体が昼時に中央食堂へいっせいにやってくると、数十分間の間、学生にとっては食堂の機能が完全にフリーズしてしまう。このため、12時から13時までのあいだ、「学外者」の利用は遠慮してもらうよう依頼する貼り紙が入り口にある。しかしこの制限がかかる時間帯の直前にやってくる団体は結局制限時間帯になってもいる場合があり、あきらかに貼り紙を無視している人々も制限時間帯に複数いる。授業の合間や、実験や論文執筆の合間をぬって食堂を利用したい学生にとっては、食堂が一体誰のために、何のために存在しているのかわからないと憤慨する時があっても無理はないように思う。
総合図書館は、現在は工事中で「学外者」の見学を受け入れていないが、それ以前はキャンパス内ツアーの経路に入っていた。中に入る「学外者」は、大きな声で話すということはないものの、多数の人達がドカドカと足音を立てて閲覧室に入ってくる。彼らは勉強中の学生の姿やノートを、好奇心いっぱいで覗きこんでから、無言で立ち去っていく。このようなことを毎日のように繰り返されて、いい気持ちがする人はいないだろう。
医学部前の広場は、日暮れ時は、愛犬家の交流スペースとなっている。犬と人が遊んでいるのを見るのは心和むひとときであるが、一部の人は、人通りが最も多い昼休み時に犬を連れて狭い道を歩きまわっており、さすがに周囲への配慮が足りないのではないかと思われることがある。
キャンパス内でただくつろいだり歩きまわったりしたい人を追い出してしまったら、そこは学生にとってもさぞかし息苦しい場所だろう。
とはいえ、学費を払って真剣に勉強している学生が、配慮が足りない一部の人々の行為に対して黙っている必要はないのではないだろうか。
キャンパスにやってくるさまざまな人が快適にひとときを過ごすことができるように、お互いの存在に気づくことができるように、声を上げることは、全然おかしいことではないと思う。
たとえば、
大学の教職員は、学生が集中して学習できるように、もちろん日々配慮しているだろうが、かれらは幾分年をとっているため、細かいことには気づかない場合がある。
年を取ってくると、10代後半から20代前半の学生は、教職員にとって、生理的に、まったく別の生き物に感じられるようなので、学生の細かい要望に応ずる善意があったとしても、そもそも相手が何を望んでどのように感じているのかわからないのではないか。
また、任期がない教職員は基本的に国家公務員のメンタリティを持ち続けている(彼らは文部科学省の社会保険に加入している)ので、自分がクビになるリスクがない限り、何らかの業務改善をしても得られるインセンティブはそれほど大きくないという認識を持っている。なので、文句をいわれないかぎり、学生の要望を察知して自分から動くということは、あまりない。
私も増田みたいに上京を反対され、お前が家を離れるなら一切の援助をしないとつっぱねられ、
増田は親の意向を無視してまで自分の意思を貫いたことに罪悪感を抱いてるみたいだけど、
そうじゃない私は少し考え込んでしまった。
増田は、家の金を持ち出して逃げた訳でもない。
父の人格を否定して(まあこの場合多少は必要なのかもしれないけど)修復できないような関係になった訳でもない。
心配ならお兄さんに聞いてみなよ。
あと感謝する気持ちが少しでもあるなら、お父さんに絵葉書の1枚でも送ればいいんだよ。
奥さん亡くしてて最後の頼みの娘も家を出たんじゃ、普通の男の人でも寂しいもんは寂しいはず。
電話とかにしたら謎の説得とかされちゃうかもしれないから、元気にしてますよって絵葉書でも手紙でも送ったらいいんだよ。
もうバレてるのかもしれないけど、住所は伏せてね。
男の人って弱くて、うちの父も私が実家からいなくなってから病気した。
心の拠り所はあるに越したことないかなと思う。
増田が娘として父にしてあげられることって今はこれくらいかなって思う。
もう悩んじゃダメだよ。
幼い頃に母を亡くして、父子家庭で育ってきた。
父と、7つ上の兄と、3人で暮らしてきた。
父はよく稼ぐ人だったから、金銭的に不自由することはなかった。
兄はとても優秀で、なおかつ面倒見が良くて、いつも優しくしてくれた。
近所の人たちも事情を知ってくれて、すごくお世話になった。
私と兄は、母親がいないという点を除いては不自由も無く、たぶん、健全に育った。
兄は大学生になっても優しくて、帰省する度に私の宿題を手伝ってくれた。
高校生になり、進路を考えるようになって、ずっと兄の背中を見てきたものだから、同じ大学に行きたいと思うようになった。
私は出来が悪くて、兄ほど優秀ではなかったから、一所懸命勉強した。
成績も上がって、胸を張って志望大学を言えるようになった。
ある日、進路を父に相談したところ、東京には行かせられない、と言われた。
金銭面の問題かと思い聞くと、私は箱入り娘なのだから1人暮らしをさせるわけにはいかない というようなことだった。
お兄ちゃんは行ってるじゃん と言っても、お前は女の子なんだから と言うばかりで聞いてくれなかった。
そのとき初めて、父に不信感を抱いた。
学校で友達に相談してみたが、周りにもそんな子が何人かいるらしく、たわいもないこととしてあしらわれてしまった。
高校で学年1位の子は、東京大学も合格圏内なのに地元の公立の女子大しか認めてもらえないと言っていた。
彼女は仕方がないからともう諦めている様子だったが、私が彼女の諦めに同調する必要はないと思った。
担任の先生や進路指導の先生に相談をしたところ、お前が勉強を頑張ればお父さんも認めてくれるはずだよ なんて、的外れな答えしかもらえなかった。
成績がどんなに良くなっても、父は頑として家を離れることを認めてくれなかった。
地元にはいわゆる難関と呼ばれる大学がひとつあって、父はその大学を勧めてきた。
でも、私は理系を選択していて、希望する学部学科は別キャンパスにあった。そこは本キャンパスから遠く、家から通学するとなると大変で、結局1人暮らしをする羽目になる。
そのことを強調して伝えると、父は、なら文転すればいいだろうと軽く言ってきた。
兄には許されたことなのに、私は、女であるということだけで進みたい進路にも進めないのかと悲しくなった。
その日は全く話し合いにならなかった。
兄は、多分そうなると思っていた と言っていた。
私はずっと、自分は恵まれていると思っていた。そして実際に、恵まれていた。
でも、ちょっとの不満や疑問も、恵まれている故のものだと思っていた。
兄曰く、母が亡くなってからの父は、ずっと、私に対して過保護だったらしい。
そういえば、女の子なのだから怪我をさせられないと公園に遊びに行くことも禁止されていた。
ズボンを履くことも禁止されていたし、自転車に乗ることも、男の子向けの番組を観ることも、危ないこと、はしたないことは全て禁止されていた。携帯電話だって父と共用だった。
全部、兄は禁止されていなかった。
それらに私は何の疑問も抱いていなかった。嫌だな、と思うことはあっても、自分は恵まれているんだから我慢しなきゃ と思っていた。
父は私を縛り付けたかったのだろうか。
そのような考えから父の言動を見ると、もしかするとこれは普通ではないのかもしれないと少しずつ思うようになった。
毎朝の行ってきますのキスも、週1の交換日記も、中学まで一緒にお風呂に入っていたのも、たぶん、普通じゃなかった。
本当はずっと嫌だったけど、ルールだからと慣れてしまっていた私も、普通ではなかったのかもしれない。
兄は、お父さんの言うことを聞くか、お父さんを捨てて東京に来るか選べと言った。
そんなことを急に言われても、父を捨てるなんて考えられなかった。
父は、優しくて頼もしい、自慢のお父さんだから。
親を捨てるというのは家族と上手くいっていない人や虐待を受けた人だけがすることだと思ったから。
でも、どんなに説得しても父は家を出ることを認めてくれなかった。
父は頼れなかった。私は兄に相談して、兄に言われるがまま目一杯勉強した。
2月、受験前日、交通の乱れを懸念して受験会場近くのホテルに泊まった。もちろん、会社を休んで着いてきた父も一緒に。
理系のキャンパスは遠いが通えなくはないということで認められ、文転だけは免れていた。
いわゆる難関大学だったが、試験は簡単だった。私の本当の志望大学はこんなものじゃないくらい難しいはずだったから。でも、どうしても行きたくなくて、わざと間違えた私は不合格になった。
父には、浪人する、と伝えた。認めたくない様子だったが、必ず受かると高を括って私立大学をうけていなかったため、その他に選択肢は無かった。
高校を卒業して、3月中旬、友達と卒業旅行に行くと言って東京に行った。
もちろん卒業旅行にも父は大反対だったが、これだけは譲れないと強引に家を出た。
東京に着いて、会社を休んできた兄に迎えられ、私は、志望大学の後期試験を受けた。
もし落ちたら、本当に浪人するしかなかった。でも、なんとか、合格した。
合格通知を見せると、父は激昂した。優しい父が怒っている姿を初めて見た。
認めないから金は出さない、と父は言った。私はアルバイトもするし、兄にも援助してもらうことを伝えた。
後期受験を兄も知っていたことに怒るかなと思ったが、予想に反して、お前にアルバイトなんかさせられるかと父は泣いていた。
そのとき初めて、父を怖いと感じた。
宣言通り、父はお金を出してくれなかった。入学金さえ払わなければ、私がいなくならないと思っているようだった。
私は貯めていたお年玉を使った。入学金、授業料で足りない分は兄が出してくれた。
支払いが終わってからも、期限ギリギリまで父にはお金を出してくださいとお願いし続けた。払ったことを知られては困るから。
3月末、すっかり安心しきった父が仕事に行っている間、私は荷物をまとめて東京に向かった。捜索願を出されてはかなわないので置き手紙をした。
しばらくすると、兄の携帯に父から電話がかかってきた。兄に促され私が電話をとった。
2度目の父の激昂だった。
でも、どんなに怒られてももうお金は払っているし、もう東京に来てしまっている。
帰らないことを伝えると父はまた泣いていた。
後日、同じく上京していた高校の友達にお願いして、何日か部屋に住まわせてもらった。
父も休日に上京し兄の家に来ていたらしかったが、携帯電話すら持っていない私に連絡をとることはできなかった。
入学式には、父も兄も来なかった。式が終わり友達の部屋に戻ると、上京した同級生が何人か集まっており、おめでとうパーティーをひらいてくれた。
自由になったような気がした。
熱りが冷めてからはまた兄の部屋に住まわせてもらった。
いつまでも兄の世話になるのは申し訳なくて仕方がなかったが、兄に頼る以外の手段が私には見つからなかった。
兄の元には今も頻繁に父からの連絡がきているらしい。そして兄の口座には私宛のお金が振り込まれているらしい。
私の学費も、生活費も、兄が出してくれたようで結局は全て父のお金だ。
だからと言って際どいアルバイトに手を出そうとすると兄に止められる。
結局私がしていることは、家にいた頃と何も変わっていない。
成人式の報せや諸々の手続きなど、全て父と兄がやりとりをして済ませてくれている。
ただただ自分が恥ずかしい。
あの日、父を捨てる決意をしただけで私は何も捨てられていない。
親子喧嘩をして意地を張り続けているだけだ。
でも、だからと言って、そう簡単に仲直りできるわけでもない。
このままじゃ私はいつまでも、箱入り娘のままだ。
・ある程度付き合いのある人間には愛人がいると話す(というか愛人の経営している店に連れて行かれる)のだが奥さんには隠している(ばれてて見逃してもらってるだけだろうけど)
・学費を全額援助していることは少なくとも奥さんは知っていない
と言ってもご指摘の通り暴露したところでほぼダメージないだろうね。学校の講師兼任してるからそこ周辺に悪い風評流せるくらいかな。
社長Aの方は、別に愛人持ちの社長なんて世の中いくらでもいて堂々としている事も多いし
■対象者(私が強い恨みを持っている人物)
(1)社長A
・愛人がいる
普通にこれを暴露した場合、合法か非合法かは知らないが仕返しをされるであろう。何か上手いやり方はないか思案中。
(2)元恋人A
・ある日突然別の人と付き合うことにしたとメールが来て音信不通
こちらも対象者の人生を狂わせることができる程度の「カード」は所持している。しかし普通に「カード」を使った場合何かしら法に触れる可能性が高い。何か上手いやり方はないか思案中。
…こんなことを昼間から考えて頭の中で不幸な目にあっている対象者の様をイメージしてほんの少しだけストレスを解消している私は何なのだろう。
大学で嫌なことといえば、可愛い女の子がチヤホヤされているところを見ることがトップだろう。
それは置いておこう。
自分が嫌いな授業というのを考えたら、やっぱりそれは専門系の授業だった。
実技が大っ嫌いだ。
二番目が外国人と話す授業が好きでない。
とにかくその二つが嫌なのだけど、外国人と話すのは仕方ない。ガマンする。
でも、実技はもう嫌で嫌で仕方がないのだ。実技の授業を休んだ日は枷が取れたようだった。
映像とかいうふざけた学部に行ったのは受かりやすかったからだ。
入って後悔しかない。みんなどうしようもないのはまぁ許すとしても、上の学年を見てもどうしようもないのも目をつぶっても、教授を見るのが嫌で仕方がない。テキストも機材も嫌すぎる。
もちろん大学にいる皆さんは糞だし、可愛い女の子がチヤホヤされる様を見ると限りないストレスだし、左京区には辛くて苦しくなるからいけないのだけど、やはり授業が楽しい。
すでに教養科目をたくさんとっているので、来年は一つ授業を取れば卒業の要件は満たすのだ。教養に関しては。
地獄なのは専門科目の単位を来年から大量に取らなければならないことだ。
やりたくない。見たくない。
年200万円も取られて大学の金蔓なのは確かだし、みんなも大好きな武○○の元市長を立派な人として学部に呼ぶ始末なほどのオツムな教員や事務な雰囲気だし、もう嫌すぎる。
転部を目指すのがやはり妥当か。
なんでこんなとこ行ったんだよ。自分は。
だいたいビジュアルを一番にする学部に行っても見た目はよくならないんだよ。
なんなんだよ。
うっせー汚ったない容姿の男 キモいんだよ 美人のほうが価値が上なんだよというのはそうだ。
見ていて限界なんだ。美人でも悩みがある うんうんとかいう輩がいるのはホント腹立つんだ。
同じ学部のドブス 顔がとても大きくて肌が泥水色の何もかも汚ったない、殆ど1人か似たような容姿の女といる、会話も振る舞いも書いてる小説らしきものも全部汚ったない女を見ると美人の悩みなんて甘えなんだよ。
美人の方が偉そうにできるから、目に飛び込んでくるブコメも自分やあのドブスには出来ないことだらけで腹が立つんだよ。
自分の救いなのか分からないが、父親が稼ぐ金で毎月の仕送りが家賃抜きで12万円で、実家が千代田区の賃貸の1室なのに、年間学費200万の京都の馬鹿大学の金蔓学部に通っているけど、美人はやっぱり強いんだよ。
父親がもっと金を稼げる可能性があるけど、金で容姿は良くならないんだよ。
あのドブスも自分も整形してもどうにもならねーんだよ。
整形なんて限界あってレポートなんかに使えない週刊誌のspaにも整形しても不満な奴が半分以上だというのを読んだ。傷やら後遺症のせいではなくて、整形しても限界があることに対しての不満だ。
容姿は金で買えねーんだよ。
なんで、こんな酷い容姿であのドブスも自分も生まれたのか知らないけど、こっちはひどい容姿で生まれたくなかったんだよ。
もう、大学や街で美人みたり、ネットで美人の写真やらチヤホヤされてる様をみるのは限界なんだ。
そんなこというなよ。
父親が一人ってことは相談できる相手がいないで育ててきたってことだぞ。
昇格だってしなくなる。
どっちが不幸だったんだろうね。
それだけは絶対やめてほしい。
取りあえず、危ないことはしないで家に帰った方がいい。
頭がいい大学の人は目的のための手段と考えて割り切れるから風俗で働くことに抵抗がない場合が多い。隠し遂せる自身もあるのだろうし。そして何より行動力がある。偏差値低い大学の人間と偏差値高い大学の人間の何が違うって、バイタリティ、自立心だと思うんですよね。それを感じる。体偏差値の大学の人間がこっちに流れてくる場合、単純にバイトの選択肢に当然のように風俗や水商売が入っているというだけな場合が多い。
あと学力があるだけに家の経済力が伴わないのに進学してしまって学費がないというケースも多い気がする。
ただトラックバックで指摘されているような「外国のエスコートクラブ」的な意味で言えば、高級な店に有名大学の人間が多いかといえばそんなことはないと思う。高級な店では風俗一本のプロ(技術がある)やタレント崩れ、単純に顔面偏差値が高い女のほうが珍重がられるから。
ただし、結構いるとは思うが元増田のような割合で出会うことは考えにくいね。特にソープは閉鎖的な業界でどうしても風俗ドップリの人間のほうが多く、女子大生のかけもちみたいな人の絶対数がかなり少ない。
将来はゲーム雑誌の編集者になろうなんてなんとなく思っていた。
ああ、邪魔者がいなくなったな、と思った。
泣いた。
応募したら採用された。
数年勤めて辞めた。
それなりに生活できた。
ある日、恋人ができた。
この人と結婚するのだろうと思った。
酷く落ち込んだ。
追い討ちをかけるようにプログラマから私の感情を煽るメールが届き続けた。
怖かった。
気が狂った。
寝たきりになった。
仕事ができなくなった。
ある日、友人に病院に連れて行かれた。
友人は長年精神疾患を抱えていた。
その友人曰く私は鬱状態とのことだった。
診察を受けて薬を処方してもらった。
貯金は底を尽きかけていた。
仕事を再開しようと思った。
その知人と一緒に仕事をすることになった。
以前と同じレベルで仕事をすることはできなかったがなんとか食いつないだ。
ある日、恋人ができた。
一緒になる将来を考えられないとあっさりふられた。
その通りだと思った。
またある日、恋人ができた。
複雑な環境で育ったとても変わった人だった。
同棲した。
もう少し頑張って将来結婚できるようになりたいと思った。
二度浮気された。
あなたが悪いと何度も言われた。
自分を責めた。
同棲解消したいと言われ振られた。
別れたくなかった。
諦めた。
少し楽になった。
仕事はなんとか細々と続けられていた。
ある日、一緒に仕事をしていた知人が急死した。
知人の持っていた仕事の取引先の一部を任されることになった。
少しだけ生活レベルが上がった。
ぼんやりと日々は過ぎていった。
好きだと言われた。
好きだと返した。
恋人にはならなかった。
リアルで会って遊ぶようになった。
それでよかった。
多分この人もそのうち私から離れるのだと思う。
もう疲れた。
それでいいと思う。
このままだと数年もしないうちに生活できなくなることはわかっている。
それでいいと思う。
明日終わるのも数年後に終わるのも大して変わらない。
おやすみ。
ツイッターのフォロワーがいい年下息子と母親で手をつないで歩いていたキッショとみたので
20世紀の終わりごろ、母が死んだ。
俺は19歳で馬鹿な浪人生で、母親に何もしてやれないガキのまま母が死んだ。
母親は腎臓の病気で、俺が高2のときに病気がわかり、そこから入退院を繰り返しながら
最後は病院で、意識が混濁して話も出来ないままの日が2週間くらい続いてから死んだ。
母はだいたい病気が分かった時にはそんなに長く生きられないってのわかってたみたいで、
暇があれば俺と街に出た。どうでもいいような服を買ってやりたかったみたいだけど、
俺は富士見ファンタジア文庫がほしかったから本当は現金がよかった。
妙に高いんだけど、どこか田舎くさいブルゾンとかまだ捨てられないで残ってる。中年太りで着れないけど。
病気だからしかたないけど、周りから見たらそんな病気にみえないよっていう人もいるたいで
腹が立った。
腹が立ったけど、俺もなんかそう思った。自分以外のしんどさが想像つかなかった。
道で俺と歩くとき、結構しんどいみたいで、でかけるのがつらいならやめればいいとしたり顔でいう俺を
こらといいながらも連れまわした。
帰りの地下鉄、7番出口からでるときが一番しんどそうで、俺は母の手をひいたりしてた。
いまだに実家帰っても7番出口は使えない。
父さんはのんきな地方公務員だったのに、母さんのために仕事の多い部署に異動して残業たくさんして
でも、それなりに中流だったから、あんまり金で苦労してなくて、自分が働いて家を出るまでは父さんの苦労とか
稼いでたすごさがわからなかったなあ。母さん病気だからもっと早く帰れと思ってた。
理解するのがいつも俺は遅すぎる。
年々母の声を忘れそうになる。子供の頃の記憶じゃなかったのに、
母さんの手を引いた買い物行程
恥ずかしかったよ母さん、そりゃ。
18歳で学費問題、自分も似たところに躓いて、でも大学を卒業した自分には興味深いエントリ。
そこそこ程度の学力があり、且つ学ぶ意欲があるなら二部という選択肢がある。
入学金及び前期学費は国の教育ローンで一部まかなった(基本は高校時代のバイト代)。
入学後の学費は、大学にもよるけど自分のところは昼間部の半分程度。
友人たちの多くは、バイトなどで自分で学費負担している人が多かった。
学力的には昼間部より低め。
問題点としては
・学部が限られている
学びたいと思う人に、高校の先生は、基本、好意的に動いてくれると思う。
担任が嫌なら進路指導や進みたい分野の担当教科の先生でもいいから話してみたらどうだろう。
別に詳細に話す必要はなくて、「親に学費の負担をかけられないんです」と言うので十分。
国公立二部は高校からの推薦だったりするので、早めなほどいいと思う。
ついでに、在学中のお仕事。
あとは倉庫関係、大学→深夜バイト→帰宅、ってコースで結構稼いでいた。
自分の学生職員は特殊だと思うけど、メリット多かったのでオススメです。
学内生協のバイトでも交通費補助出たらしいから、そういうの探してもいいと思う。
学生ローンという名の借金が怖いなら、1年間、割り切ってバイトをする手もある。
経験上この手の人は、十年以上たっても自転車操業状態から抜け出せない。なんだかんだで家族が君のお金をあてにするようになる。
この状況から抜け出すためには次がいい。
●高校卒業して、理系職に就いて、なるべく早く「海外」に行く。
君の場合は文系で、法律に興味を持っている理由が分からないけど、プログラマーを目指してみたら?少なくても情報処理試験の基本情報技術者に合格していれば何社か受ければ就職できる。
アメリカでプログラマーやってる知り合いに聞くと新入社員が普通に年収1000万円以上。日本で収入の話をするのもバカバカしい話。お金に関しては海外に行くことだけに集中するのが正解。
一方、お金に困ってない日本の技術者にお金の話をしても余り意味ないけどね(いかに刺激的な仕事ができるかという話をすべきということ、でも最近10年日本に刺激的な仕事は余り無いけど)。
また、60過ぎの親戚に聞いたら、昔は大学の学費も寮費も安く、仕送り無しでも週数回の家庭教師で十分生活できたそうな。(それなりの学力の人しか大学行ってなかったけど。)
つまり、ノーベル賞取った人たちは実はお金には全然苦労していない(すぐ就職して稼がないといけない状況もあっただろうけど)。日本は色々変えないと当分大変な状況だろうと予想される。
結局、何するにも金なんだなって18歳で実感した話
実用的なことを書いている人もいて、参考になる。
http://anond.hatelabo.jp/20150913135332
ただ俺の場合は頭も相当悪かったので国公立に入れるなんて考えられんかった。
だから増田が「本当に頭が良くない。それでも大学に行きたい」ケースについての対策について答えたい。
それでも大学に行きたいと思うのであれば、職業能力開発校から大学へ編入するケースが一番『間違いが少ない』と考える。
○流れ
・職業能力開発校を探す
職業訓練校にも様々な種類がある。ここで増田が「こういうことを学びたい」という明確なものがあれば決めやすいだろう。実際に行ってみるのもいい。電話で前もって先方に確認すれば、大体は時間を割いて対応してくれる。
大事なことはそこで大学編入の話もすること。その職業能力開発校で行ける大学や学部についても教えてもらえる(取得した単位によって編入できないこともある)ちゃんと専門の人に教えてもらおう。
もし近場に行きたいところがなかった場合は……学校によっては寮があるところもあるのでそういうところを探すのもありだろう。
・入試を申し込む
大体9月頭から推薦入試、10月ぐらいから一般入試の募集が始まる。
・試験を受ける
学校によって違うけど、だいたい数学英語国語の試験に面接が入ると思う。
○メリット
・金がかからない
コースや学校によっても違うが、学費は大体年十数万だ。これなら片手間でバイトしていてもなんとか捻出できる金額だ。実際俺も夜のバイトをしていた(奨学金も使えるはずだ)
・頭が悪くても大体入れる
高校生なら推薦枠が使えるだろうから(もう終わっているかな?)そこで推薦してもらえばよっぽどの問題がなければ入れる。
一般入試で入ろうとしても、出てくる試験も高校一年生レベルに毛が生えたようなものばかりだ。増田は最初から大学を狙っていたレベルなら、軽々といける(と思う)
増田の文章を読んでいると、自分の心配と同時に家族の心配もしていて優しい奴だと思う。
奨学金で入学しても色んな事情で家の金がどうしようもなくなってしまい、四年間通えずに途中で辞めるケースもある。
ちゃんと技術をアピールできれば、会社の受けは大変良い。普通に大学に行っていた人よりは即戦力に近いからだ。それに学校も「就職」させようと四方八方手を尽くすので、教師に言われたとおりに履歴書書いて面接行ってなにも考えずに就職した奴もいる。
高卒で就職するよりは良い条件で入れるし、専門技術の会社はパッと出のベンチャー企業より安定していることが多い。
ちなみに俺は就職した。
・編入試験は難しい
受け入れてくれる大学にもよるだろうが、途中から入ろうとしているのだから内容は難しい。ただそれでも大学に行ければ、
能力開発校でやる勉強では『絶対』に受からないので、ちゃんと教師に相談してしっかりと対策を練ったほうがいい。情熱が伝われば(大抵は)君の味方だ。
・出席日数がキッチリとられる。
大学と違って、出席日数はしっかりととられる。総出席日数じゃなくて、単位ごとだから注意しよう。バイト等で疲れて休みたいこともあるだろうが、ある一定の割合欠席すると問答無用で追い出される(何割か忘れた)
元の増田の文章を読んで「向上心はある」「地元の私立は入れるくらいの頭はあるが、それ以上のランクは狙えない」「将来の不安がある(金銭や家族等)」「借金はできるは高額はしたくない」ケースの人かなと思った。
嫌になった。あんな奴らとまた授業を受けなければいけないのかと。
金がなくて大学に行けない人間がいても、大学には行きたくないのである。
昔は貧乏大学と言われていたこのクソ大学は、度重なる授業料の値上げと、偏差値の低下と付属校の乱設で現在は田舎のバカな金持ちが大量に入学するところになっている。
都内に実家があるのに、こんなところに通っているのはとてもとても恥ずかしい。
自分は、薬学部に並ぶ年間200万の学費のクソみたいな学部に通っていることはよく書いているけど、今年、その学部が一般入試の合格最低点でほぼ底辺だったらしい。
当たり前かもしれない。
進学校に通っているから、お前がサボったとか言われる時があるが、そもそも進学校に通えた理由が、中学受験の時、母の親戚に学校の理事がいたので下駄を履かせてもらったからである。やはり元々の知能、先天的な問題で慶応大学や早稲田大学に受からない気がしてならない。
じゃあ、お前は背丈にあった大学に行けたな よかったなであるが、楽しいキャンパスライフを送れるのは、顔がいい人間だけである。
このクソ大学では性的魅力がある人間ほど強者だから、自分は楽しめないのは確かである。
川の向こうの大学なら別の楽しみもあるのだろうが。
自分は「ぼくは麻理のなか」という漫画の最初の主人公の部分なのかもしれない。
大学にもう行きたくなくて行きたくなくてたまらないのだが、制作実習で自分は重要な役割を引き受けてしまったので、自分が行かないとみんなや教授が白い目で見るわけである
するとなんとかいける語学の授業も行くのが苦しくなり単位はでないし、来年から大学へいくのも苦しくなるわけである。
大学をやめたいと父に言っても「自分が選んだ大学だろ なんとか行ってくれ」という返事である。
だいいち田舎の街だからって一泊10ゴールドとか採算取れないでしょ、館主はお人好し過ぎる。
この前酔っぱらいからパフパフ迫られたけど館主のやつ愛想笑いしかしてくれなかったし。
あ〜あ。
トスン!
彼「凄いよ!凄いよ!おれずっと遊んでばかりだったけど、賢者に転職できた!初めてルーラ使ったよ!」
うちも似たようなもんだったのでマジレスする。
長くなるけど、進学したいなら読んでくれ。増田と自分の状況が全く同じということもないから、鵜呑みにする必要はない。
進学は不可能ではないかもしれないということを考え直す機会になればいい。
それらが受けられるほどの学力があるもしくは家庭環境ならそっちを受けるのがいい。下の長い文章を読む必要もない。
免除も受けられないし親からの金銭的援助も受けられなくてどうしようもなくて困ってるならって内容になる。
就職して稼いでから大学入りたいなら別だが、浪人したくないなら国の教育ローン使え。
申し込みして最短2週間で入金されるから、遅いなんてことはない。
受験前でも申し込み可能だから医学歯学薬学辺りの私大に行かないんであれば、入学時の納入分くらいは借りられる。
ついでに言えば、多分受験料等も借りられるだろう。自分のときは貯金で賄ったのでここは不透明ですまん。
大学在学中でも利息分は返済義務があるから最低限のバイトはしろよ。これは学校入って翌月くらいからもう発生してた気がする。
国の教育ローンは日本学生機構の奨学金とも併用できるから、後期以降の学費はそれと併せてやりくりすればいい。
一応、これは地元国公立大に行く前提で話してるからな。その家庭状況で進学校に通ってるなら元々自宅通学出来る国公立狙いだろうってことで。
そうじゃないなら、もし上京して一人暮らしを始めたり私大に行くことになるなら、ここまで書いた方法ではいかないだろう。
自宅浪人でコツコツ真面目に出来るならいいが、バイトして疲れて勉強出来ないんじゃ本末転倒だから
浪人中でも利用可能な国の教育ローンを使ってでも予備校に行くことをお勧めする。時間が決まっていた方が浪人で失敗することも少ない。
あとは検索して返還シミュレーションでもやって計画を立てるんだ。
親の扶助が全く受けられないんじゃもしかしたら飛んでもない返済額にもなるかもしれないが、
自分の就きたい職の平均収入も調べて可能かどうかも考えて借りるんだぞ。給付以外の奨学金は借金だからな。
わかってるだろうが、奨学金を借りる時は親に書いてもらう書類が沢山ある。
親の名義で借りることになる奨学金もある(上に書いた国の教育ローンがそうだ)。
書類を書いてもらえないなんてことにならない為にも、質問されて答えられるくらいの知識はつけておくこと。
ここからは自分が増田に言いたいこと言うだけだから読まなくてもいい。
おそらく進学校に通ってて周りが至れり尽せりの環境で育ったお坊ちゃんだらけでへこたれてるんだろうが、
人生は必ずしも生まれで決まるもんじゃない。格好つけたい訳じゃなく本当だ。
家がそんな感じなら腹括って自分で生きていくって覚悟決めるしかない。
進路担当の先生が知らないだけで無茶してでも進学してるやつは案外沢山いるぞ。
そんで、増田が大学って言ってるからその体で話を進めたが、大学以外にも道はあるしな。ここで諦めるなよ。
父親の生活態度も気になるだろうが、父親もこんなことになるとは思ってなかっただろうよ。腐るのも仕方ないかもだぞ。
増田のような家庭環境に加え、平気でDVするような親を持つやつもザラにいる。
自分の周りにもいた。ちなみにそいつもなんとか進学してちゃんと頑張ってる。
増田がそういう非人道的な親を持つ身なら該当しない自分はもう何も言うことはないが、そうじゃないなら、
今の状況じゃ嫌悪する以外に無くてもいつか家を離れたときにでも有り難みがわかるなんてことあるかもしれない。
もし、家族に対して希望を持てなくても働いて自分で食っていけるようになるだけで100点満点だ。
ちゃんと生活が出来ていれば言うことないし、人生に希望が持てたらそこからは加算式だ。
そんな日が来ることを願ってるよ。そしたら増田に自慢でもしに来てくれ。