2015-09-14

かーちゃん案件

ツイッターフォロワーがいい年下息子と母親で手をつないで歩いていたキッショとみたので

思いでスイッチ入った案件

20世紀の終わりごろ、母が死んだ。

俺は19歳で馬鹿浪人生で、母親に何もしてやれないガキのまま母が死んだ。

母親腎臓病気で、俺が高2のとき病気がわかり、そこから退院を繰り返しながら

最後病院で、意識が混濁して話も出来ないままの日が2週間くらい続いてから死んだ。

母はだいたい病気が分かった時にはそんなに長く生きられないってのわかってたみたいで、

暇があれば俺と街に出た。どうでもいいような服を買ってやりたかったみたいだけど、

俺は富士見ファンタジア文庫がほしかたから本当は現金がよかった。

妙に高いんだけど、どこか田舎くさいブルゾンとかまだ捨てられないで残ってる。中年太りで着れないけど。

はいきなり太った。すげえ顔がパンパンになった。

病気からしかたないけど、周りから見たらそんな病気みえないよっていう人もいるたいで

腹が立った。

腹が立ったけど、俺もなんかそう思った。自分以外のしんどさが想像つかなかった。

道で俺と歩くとき結構しんどいみたいで、でかけるのがつらいならやめればいいとしたり顔でいう俺を

こらといいながらも連れまわした。

帰りの地下鉄、7番出口からでるときが一番しんどそうで、俺は母の手をひいたりしてた。

いまだに実家帰っても7番出口は使えない。

父さんはのんきな地方公務員だったのに、母さんのために仕事の多い部署に異動して残業たくさんして

俺の学費と母さんの医療費を稼いでた

でも、それなりに中流だったから、あんまり金で苦労してなくて、自分が働いて家を出るまでは父さんの苦労とか

稼いでたすごさがわからなかったなあ。母さん病気からもっと早く帰れと思ってた。

理解するのがいつも俺は遅すぎる。

年々母の声を忘れそうになる。子供の頃の記憶じゃなかったのに、

あのパンパンな手の感触も時代と共に忘れてさ。

母さんの手を引いた買い物行程

恥ずかしかったよ母さん、そりゃ。

いまもういい中年になったからなんてことないし、母さんが喜ぶなら裸踊りでもなんでもできるけどさ。

あのころ馬鹿から恥ずかしかったんだわ。

今思ってるよ、ババアになった母さんの手を引いて、またあの七番出口から家に帰りたいって

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