はてなキーワード: 加護とは
“God bless you!” の ‘God’ が省略された形。くしゃみをした人にかける言葉。
そのまま訳すと、「神の祝福がありますように。」 とか 「神のご加護を。」 といった意味。
「くしゃみ」 と 「神の祝福」 って、つながりが良く分からないので、
くしゃみの後で “Bless you!” と言われても、「何を言ってるんだろう・・?」と思ってしまうかも知れません。
この “Bless you!” ですが、中世ヨーロッパで 「くしゃみをすると魂が抜けて悪魔が入り込む」 という言い伝えがあって、
くしゃみをした人に 「神のご加護を(悪魔が入り込みませんように)」 と声をかけるところから来ています。
そういうわけで、この “Bless you!” には、「お大事に!」という意味があります。
" イオンエンジンも眠る丑三つ時。墨を流したような暗がりの中に縞模様の宇宙服の男が歩いています。手には提灯もなく、月は雲で隠れているのにひたひたと日中をゆくが如く堂々と街道を歩いています。向かう先は町外れにあるNASAの酒蔵です。ご存知のように老舗の宇宙問屋であるNASAは宇宙燃料に、嗜好品に、と使い勝手のいい酒を自家栽培するようになり今日では「まるな印のNASAの酒」として市場を賑わせています。その酒蔵へ、男は吸い込まれるように入っていくのです。カードキーで施錠されたNASA鉄壁のセキュリティーも男の手にかかれば造作もありません。懐から取り出した木の葉を滑らせると「ピッ」という小気味良い音を立てて開いてしまいます。扉は油を引いたように滑らかな動きでスライドし、真っ暗だった通路に灯りが点ります。ぬっ、と入ってきた宇宙服の男は電灯の下ではまさしく異様な風体でした。六尺はあろうかという見上げるような宇宙服の大入道で、全身に黄色と黒のだんだら縞が入っています。奇矯奇怪な風体ですが不思議と品位を感じるのはそのゆっくりした立ち振る舞いからでしょうか。やおら男は歩を進めます。警備員はというと監視カメラに睨みを利かせていたのですがちっとも男の侵入には気づきません。煙のようなものがモニターを横切ったようにしか見えないのです。男は真っ直ぐ酒蔵に向かうと醸造樽をにハシゴをかけ、猿の様な勢いで一気に上りきるとそのままどぶり。酒の中に入ってしまいました。立ち泳ぎをしながら男のヘルメットが横一文字に裂けたと思うと大きく開きます。中から輝く白い歯列。どうやら口のようです。そのままごうごうびゅうびゅう音を立てて酒を飲み始めます。しばらくすると宇宙服が全体に赤みを帯び、満足したのでしょう大きな大きなげっぷを垂れました。ぐえーふ。そして滑らかな樽の表面に手を突くとヤモリのように登りきり、ふちから外に飛び降りました。流石に酔っ払っているのでしょう。尻からどっかと落ちてしばらく寝転がっていびきをかきます。しかしそれも寸刻のこと。ふらふらした上体を揺らしながら起き上がるとゆっくり出口へ向かって歩き出します。ここへきて警備員は物音から動き出すのですが男はすんでのところで逃げてしまって行方はようとして知れません。これが月に何べんもあります。
NASAの高官たちは寄り合いを開いて対応を協議することにしました。長官がぱちぱちとはぜる囲炉裏の火を見ながら語ります。「これは我らが神をないがしろにし、ロケットでただ宇宙を駆ることばかり考えた罪ではないのか」かぶりを振って「気ばかりのスティーブ」と呼ばれる翁が怒気混じりの声を上げます「こんなものは怪事でもなんでもない!ただの泥棒だ!警備員を倍増させ、捕まえてしまえば問題ない!」そこへ人事部のロジャースが鼻声で反論します「君、警備員を倍増させるのはいいよ。しかしね、その給料はどうするのかね。10人増やせば月に3万ドルの出費だ。それに泥棒を捕まえたらすぐクビにできるのかね?一ヶ月でクビ切り?おお、怖い。私は幽霊よりも労働組合が怖いね!」長官は二人のやり取りを呆けたような目で見て震えるばかり。とても裁定ができるような状態ではありません。先週妻と協議離婚をしたばかりなのです。親権も奪われました。涙ばかりがぽろぽろこぼれます。頭に浮かぶのは幸せだったころの自宅の庭。今では古タイヤがつまれているだけです。そこへ新役員のホプキンスが手を上げます「それならここにいる役員全員がかりで泥棒を取り押さえようではありませんか。幸い我々は一般職員と違って仕事をしていない。時間は十分にあります。それに私は我々の日本の友達、JAXAから棒を貰う算段をつけています。アジアに生える桃の木で作った棒は邪気を払うといいます。この棒で泥棒を叩きのめせば普通の泥棒なら死ぬでしょうし、怪異であっても無事ではありますまい」その後、閑をもてあました役員たちはそれでも命令を出すのに忙しいと文句を言って中々重い腰を上げませんでした。しかし、長官が人寂しさから全員酒蔵でキャンプをしようと訴えだし、その様があまりに哀れだったため無下に断ると死んでしまうような心持にさせられたため役員総出で寝ずの番をすることになりました。
老人たちの酒蔵生活が始まりました。杜氏は黙々と仕事をするだけで彼らを一瞥もしません。なぜなら彼らはロボットであり視覚センサーを備えていないためそもそも見ることができないからです。終業時刻を迎えそれぞれ酒蔵の目立たないところに張ったテントに戻ると全員それぞれテント内でちびちび酒を飲んだりマンダリンを弾いたり思い思いのことをしています。そんなことで泥棒が捕まるのかはなはだ疑問でありますが、彼らは仕事をしない生活が当たり前になっていたため全員目標を忘れていたのです。そんな生活が四晩も続いた頃でしょうか。ついにだんだらの宇宙服がやってきました。彼は既に見つからないことが当たり前になっていたせいでしょうか。宇宙服の表面は毛羽立ち、ヘルメットからは大きな舌が覗いています。鼻歌を歌いながら酒樽に近寄りハシゴをかけようとすると「ジュワッ」肉を炙るような音がして宇宙服の手袋が黒く焦げました。ハシゴを桃の木製に架け替えていたのです。あっ、とうずくまる大男に老人たちが殺到しました。堕落したとはいえ元はやり手のサラリーマンたちです。身のこなしが違う。久々の仕事に興奮した役員がやたらめったら男の全身を打ち据えます。ぼっ、じゅっ、叩く度に焼きゴテを押し当てたような音がします。きゅうきゅうという音を立て、身をくねらせる大男は徐々に身長が縮んでいき宇宙服もぼろぼろになり獣の毛皮のようになっていきます。狂乱の二分間が過ぎると長官が割って入りました「みな待ちたまえ。もうこの泥棒に盗みを続ける気力はあるまいよ」そこには大男だった痕跡もほとんど残っていない一匹の狸が傷だらけの全身を震わせ横たわっていたのです。不憫に思った長官が狸に尋ねます。ここは人間の酒蔵だ、一体どうして人間の酒蔵を荒らすのか、狸は目に一杯の涙を貯めて語ります。「つい先年、妻と協議離婚をしたのです。親権も奪われ自暴自棄になり、とにかく酒以外に救いがなかったのです。人間様にご迷惑をかけたのはわかっています。それも今日のように罰せられるのを期待していたのかもしれません」それを聞いた長官は膝から崩れ落ちて泣き出しました。おお、お前は私だったのだ。狸を抱き上げ介抱を始めました。もうこんなバカなことをするものではないよ。酒が欲しいのなら私に言いなさい。獣一匹が飲む量くらいはすぐに都合してやろう。「ああ、旦那様。人間とはかくも暖かいものだったのですね。いいえ、いけません。貰うばかりでは狸のプライドが立ちません。どうか私にもできることをやらせてください。そうだ、エンジンの出力を上げるくらいなら狸にとってはどうということはありません。これからNASAで打ち上げるロケットは全て狸の加護を加えましょう」それからというものNASAから打ち上げられるロケットの出力は全て30%増加することになりました。それによりNASAの宇宙開発は飛躍的に進み、今でもNASA本社の玄関には傷ついた狸を抱き上げるかつての長官の銅像が立っているのです。とっぴんぱらりのぷう。"
高山みなみ=神説を推したい。
最初、高山みなみが唐突にでてきて「誰だよこの高山みなみ!?」って思うじゃん?
しばらく見続けて「あーこれ未来の穂乃果ちゃんの姿的なやつか」って思うわけ。
でも、二度目の邂逅のシーンで高山みなみは水たまり?を跳んでみろというのね。
(冒頭のシーンと同じように!!!)
穂乃果ちゃんの幼少期の思い出?と同じことをさせる。
んで穂乃果ちゃんは目を覚ました後、すぐに神田大明神にお参りに行くわけよ。
多分、穂乃果ちゃんはこの時点でなんとなく気づいちゃったんだろうね。
(と同時に私も気づく。)
大体、よくわからないのがあの冒頭。
この映画は「前回のラブライブ!」的なものでなくていきなり幼少期のシーンから始まる。
(おそらく「前回の~」に近いノリをを期待した人も多かったのでは?)
その上、直後には穂乃果が高校生に戻って全然関係ない話をはじめてしまうため、前後のシーンとのつながりも(上述の二度目の邂逅のシーンまで)わからない。
「どんなことも諦めない」という穂乃果ちゃんの精神性を表したかったとも見て取れるが…、視聴者のほとんどは穂乃果ちゃんのその性質を知っているだろうし、いきなり冒頭で幼少期を描写する意味もない。
そして穂乃果ちゃんが跳んでみせるシーン。
謎の音楽を耳にするとともに幼少の穂乃果ちゃんの脚力は驚異的な向上をみせ、見事水たまりを飛び越えてしまう…。
なぜ?どうして?こんな描写を?冒頭に?
…思うにこの冒頭のシーンは「起点」なのだと思う。
作中通して圧倒的なカリスマ力を発揮し、無理が通れば道理が引っ込むを地で行く太陽少女穂乃果ちゃん。
彼女が「やるったらやる!」といえばライブは大成功だしたいていのことは上手くいく。雨もやむ。
そんな穂乃果ちゃんは、おそらく、おそらくだが、あの謎の音楽を聞いて水たまりを跳んでみせたシーンから、これまでずっと、
「神に愛されていた。」
あの冒頭のシーンで跳躍力強化を施されて以来、穂乃果ちゃんはずっと神様に愛され、加護を受け続けてきたのである。
各種あるラブライブ批判の中には、何でもかんでもうまく行きすぎとか、跳躍力ありすぎとか、車道でダンスはどうなのとか、みんな穂乃果の言うこと聞きすぎとか、さすがに雨が止むのはちょっととか、1期最終話の時系列おかしいだろとか、いろいろなものがあるが、
そんなふうにして、幼少期より穂乃果ちゃんの周りの不可能を可能にしてきた神はついに映像の中に姿をあらわす。
高山みなみボイスと大人びた穂乃果ちゃんっぽい姿をとって、劇場版という晴れ舞台で。
彼女は溺愛している穂乃果ちゃんに「あの時のように跳んで」と成長を促すとともに、視聴者へのある種の回答を携えてやってきた。
今回の劇場版も輪をかけてタイムラインの考察が難しいことになっていると思うが、
いいいじゃん、気にすんなよ、神田からNYまで迷子保護に行く神様がいるんだからなんとでもなっちゃうさ、と。
げに恐ろしきは、神様まで魅了する穂乃果ちゃんのかわいさである。
以上、書くところが無いため書き散らした劇場版ラブライブ考察でした。
※1 この文章は制作側への皮肉として書いているわけではない。
むしろ、細かい設定なんか気にせず突っ走る脚本を私は愛している。
三月××日、午後十一時十九分。
SHIT. なんてこった、トミーまで”やつら”にやられちまった。いや、”やつら”になってしまった、というべきか。さらに最悪なことには、俺が自分自身の手でトミーを始末しなきゃいけなかったってことだ。お互いに「そうなってしまったときは」と交わした約束とはいえ、後味の悪さったらない。もう二度とあんな想いをするのはごめんだ。クソ、喉の奥がまだ焼けるように熱い。エミーに……あいつの妻になんて伝えればいいんだ? そもそもエミーはまだ乗っ取られてないのか? わからない。クソ。おれにはファッキン百数十のファッキンフォローイングがいて、そのうちの何人が”やつら"なのか、ファッキン見当もつかない。
もしかしたら、この日記を読んでいるあんたらには”やつら”の存在を知らない人間もいるかもしれない。簡単にいえば、”やつら”はサングラスだ。もちろん、ただのサングラスじゃない。ただのサングラスで世界が滅ぶなら、『ターミネーター』の公開時に滅亡していないと計尺があわない。
“やつら”は人間に寄生する。今は亡き〈ドクター〉の説明によれば、”やつら”が人間の体内に侵入するとグラスの内部からアレルゲンとなるタンパク質が溶け出し、マクロファージに取り込まれて非自己的異物と認識される。この情報は胸腺由来のリンパ球であるヘルパーT細胞のうちのTh2を介し、骨髄由来のリンパ球であるB細胞に伝えられる。そして、B細胞はそのサングラスアレルゲンと特異的に反応する 抗体を作り出す。シュワルツェネッガー抗体と呼ばれるこの抗体は、血液や粘膜中に存在する肥満細胞や好塩基球に結合し、再びサングラスアレルゲンが侵入してシュワルツェネッガー抗体に結合すると、様々な化学伝達物質が遊離して大量ツイートなどの症状を引き起こすことになる、らしい。これを俺たちは簡単に「アカウントが乗っ取られた」と呼ぶ。デデンデンデデン、デデンデンデデン、I’|| Never be Back. ってわけだ。Fuck.
“やつら”がおそろしいのは、ある日突然、まえぶれもなくハックされちまう、って点だ。今までの”bot化ウィルス”どものように不注意なファッキン友達から伝染するわけじゃない。クソbot化したアホな友達を指さして笑って和める古き良きグレート・オールド・インターネットは二〇一五年の三月のうららかな午後に、いきなり終焉を迎えたんだ。新劇エヴァもこれくらい早く完結したらよかったのに。
しかし、どこに逃げればいい? Facebookか? アカハックされなくても元々botみたいな奴らでいっぱいのFacebookか? 全能力が35%ずつしかないファッキン幼稚園みたいなはてブか? 存在自体がゾンビと化しているmixiか? 2ch? なんだそれは?
そうなんだ。もう俺たちには逃げる場所なんて、どこにもない。繰りかえすようだが、どこもかしこもビットの果てまでも「終わって」いるんだよ、ファッキンインターネット。
このままだと俺も長いことはないだろう。これを読んでいるあんたが人間なのか、それとも”やつら”の仲間かはわからない。ともかくこの日記を読んで理解できるだけの理性を保っているペニスかヴァギナの生えた生物ならだれでもいい、頼みを聞いてくれ。
もしあんたが、twitter でレイバンのサングラスをかけて朦朧とうろつきながら政治ネタ・社会ネタをダシに見えない敵へ罵詈雑言を浴びせる痛ましい中年増田の姿をみかけたら、そのときは……ためらわないでくれ。
もう、俺には「友達」がいなくなってしまった。わかってたんだ。この「フォロワー」とやらはレイバンに乗っ取られようが乗っ取られまいが、俺の精神生活にいっさい関与しない「他人」だったっててことは。だが、あんたが――あんたが、もし古きよきインターネットを少しでも知っているなら、この言葉をちょっと思い出してみてくれ。
インターネットではみんな友達だ、って意味のジャパンの古い格言だ。
……どうやら、また”やつら”がシェルターに攻めてきたらしい。今度の攻撃はいっそう激しくなると予想される。耐えられるかどうかわからない。さよならだ。約束、守ってくれよな。あなたの踏むアドレスにテッド・ネルソンとバーナーズ=リーのご加護がありますよう、Alan。
【あの
愛用!?】
レイバンのサングラ
アナザーデイ現世のカルマが終焉を迎えたらふたりでドローしに行く約束してたのだが…
……だがその淡い期待は絶望へと変わった天使の果実天を貫く程に巨大なる…その命の数だけの幼子“若き風”が同行し、
世界を闇へと誘いたい…預言書にも記されていることだが…言いだして超反吐が出る
この世界線は後がないんだよ―――ッ!!
重力を自在に操る気持ちでジャマーすん程度のものではあってはならぬよ成り得ぬ存在在る……
……かつてはそう幻想〈おも〉っていた…………くせに
愚者が帰社したら瞬息の間顕現(で)れる所と為る───そして此の世界に終焉が訪れる──
…だがその淡い期待は絶望へと変わったアルファでありオメガ『聖紙カバリアリル・オヴ・パピルシウム』に至る
若くてそびえし天上の双峰が「かの者」程度のものでは勝ち目ず…
神の御業が憎い・・・星の輝き…その命の数だけで世渡りしやがって
体積に反比例する夢の艱難辛苦なんか永続人類の手には負えないんだろうか………否、違ううなふふ…冗談のようだな
精霊の加護を受けているルシにそびえし天上の双峰が増えてきてる気がして本来に闇の声に敗北する
まだ見えぬ未来への回廊考えることを止めた豚共の収容所いか答えよ…
預言書にはこう記されている…上2(デュース)行はあの戦乱の時代21時半時代追記だよ覚醒者。
9と9が9を迎えし時は“審判”を間近に控えたある日デュオデシム時だクソトラバ騎士団神域(そこ)、
闇の扉が開く時まで説明しなきゃ荒廃せし闇の平原な…その命の数だけじゃなく――
――そして、10年の月日が流れた――――偉大なる英霊扱いかふふ…冗談のようだなが
http://racing-lagoon.info/nomu/view.php?id=d18d21b327802de6adb29573f993ace1
書いてみるにゃん。
主催者が「非モテの最右翼みたいな連中の集まるオフ」と発言しているとおり、非モテが煮詰まった感じの人が多かったにゃん。
コミケのように臭気は感じなかったけど、たぶんコミケ23日目より非モテレベルが高いにゃん。
参加者は男性のみで16人、女性が参加できる雰囲気は皆無にゃん。
せれさんとお母さんが参加していたら、たぶん何かのトラウマを抱えたと思うにゃん。
会場は非モテに似つかわしくないおしゃれなレストランだったにゃん。
サラダ、前菜、カルパッチョ2種、ポテトとチキン、ピラフ、グラタン、パスタでお腹いっぱいになったにゃん
ドリンクの種類も豊富だし店員さんの愛想も良くて、打ち上げやオフ会にはとても良いお店にゃん
青二才さんはマツコミディアムな体型でがっしりしていて、顔はちょっとキン肉マンに似てるにゃん
ミサワさんと呼んでほしいらしく、会場ではミサワさんと呼ばれていたにゃん
きみたりさんとせれさんは俺が育てたドヤァが生で聞けてよかったにゃん
粘着ブックマーカーについては何度か通報していて、pkmが消えたとか話していたにゃん
コウモリさんは参加メンバーにも詳しくて、話題を振ったりしているのを見るとやっぱり非モテではないにゃん
ショッカーさんは隅に座ってMacbookAirを開いてクールな雰囲気だったにゃん
オカチャンマンさんは調子がよくて明るい人だったにゃん
齊藤さんはニコニコしながら、オフ会とまったく関係ないブログをMacbookAirで見ながら会話してたにゃん
先月やったはてブオフ会は、ユーザーオフなので運営がノータッチになったという未確認情報があったにゃん
齊藤さんのブログはカラースター買収でアクセスが伸びたけど、伸び続けるわけじゃなくて限界があるらしいにゃん
青二才さんのシロクマ先生はなぜつまらないのかという話があったくらいで、クリーンな集まりだったにゃん
naoyaがいなくなったはてなはクソ、でもはてなにはすごい人たちが集まっているという何度目だ何周目だ何回目だという話題で盛り上がったにゃん
新しくできた「ブックマークコメントページ」はPV稼ぎが目的で使いづらいよねというのが共通意見だったにゃん
iPhoneとAndroidが半々のなか、青二才さんがガラケーを使っていたのが逆に格好良かったにゃん
誰も写真を撮ってないと思ってたけれど、ちゃんと撮影している人もいたにゃん
http://suzukidesu23.hateblo.jp/entry/hatenabloger-off0809
結論としては、意外と盛り上がったので、調子に乗って来年もやるんじゃね?とか思ったにゃん
ではにゃんならー
しかし、なぜ30代で2,3%なのに
80s(80年生まれが今の33)の感覚としてクラスに2-3人になるのだろう?
(こんな馬鹿がコンサルとかで1000万とかホント笑える。そのコンサルを受けてる会社がホント笑える)
コツコツコツコツ一生懸命21年間勉強して競争して一流大学入って就活までやりきっても、そこから上位10%しかたどり着けないのかよ。
こういう奴はむしろ1000万プレーヤーなんてなかなかなれないだろ。
超コツコツまじめに頑張っちゃう奴は、その学問を極めちゃうわけで、教授になろうもんなら
そうでなくても専門のしごとってのはそれ程稼げないわけで。
人を騙して殺してでも金稼ごう、ってやつが簡単になれるわけで。
後は親のご加護なわけで。
繰り返しの説明になるが、
“己の心と正面から向き合う”というのは何も、自身の精神性や魂の存在に対して定義しようという試みの事ではない。
「現実に際して直面した問題に対し、折れそうになったり投げ出しそうになったりする己の心と戦う」という意味だ。
さすがに説明するまでもないが、現実において自らに降りかかる問題にきちんと対応するという意味である。
心理学の話ではなく精神の方向性の話であり、そして机上の学問ではなく実生活の話だ。
また、余力があるすなわち精神的余裕があるという事であれば、わざわざ信仰を求める必要もない。
辛い時悲しい時に自らを救ってくれた信仰を、困難を乗り越えた後も持ち続けておきたいという気持ちは自然なものだが、
持っていれば繰り返し頼ってしまう。その過去の成功体験が、依存心を生んでしまう。そして信仰は万能ではない。
そしてここは最も大事なところだが、信じるものがどれだけ尽くしても、信仰は万能たり得ない。
重い信仰はやがてスロットマシンのジャックポットのようなものとなり、いずれは「こんなに信じたのにこんなに尽くしたのにこんなに祈ったのに、どうして何もしてくれない」となる。
信仰が深まれば御利益はいずれ釣り合わなくなる。信仰を次第に深めてゆけば究極的には必ず裏切られるという事でもある。
運命を左右すると思われがちな恒常的な存在、それに祈りを捧げ続けるという事は、見返りを求めているという事である。
いい事が起きるように祈る人間ばかりではなくても、悪い事が起きないようにと祈る人間は非常に多い。
神が人の造りしものかどうかはわからないが宗教は人が作ったものであるように、
仮に神が万能だったとしても人の信仰は万能ではない。
信仰は疲れた時に背を預けるべき大樹であり、立ち直ったら背を向けて歩き去るべき道標でもある。
お守りはお守りである。
信仰心のない人にはただの布切れと板切れであり、信仰心のある人には自らを守る護符だろう。
心が弱ってる人にあげれば有難い贈り物であり、加護を必要としない人にあげればいらない貰い物だろう。
ハサミで切るのはお守りなんてもう必要ない人であり、ハサミで切らないのはまだ必要な人だろう。
人それぞれだ。
善行には必ずしも良い結果が伴うものではない。世の中はもっと理不尽だ。
因果などというものは存在しないし、応報なんてものも被害妄想の一種に過ぎない。
強く生きられる人間はそのまま強く在るべきだ。
ただ弱い人間や、少し弱ってしまった人にとっては、宗教の説く優しい嘘がとても暖かい光となる。
その嘘を一時信じて、安らぎの中でやがて強さを取り戻して、そして、いずれはその嘘から目を覚まして、再び現実に立ち向かうべきである。
また弱ったらまた信じればいい。また立ち直ったらまた目を覚ませばいい。
宗教はそうやって利用するべきサービスであり、心のセーフティーネットだ。人は詐欺師にさえ癒される。
いっとき癒される事はあっても、長々と依存するべきものではない。
このツリーの頂点はこちらが書いたものではなく、またエントリは聖職者への質問コーナーでもないため、
できればまだ続きがあるのならばブログの方で聞いてもらいたい。
い
ち
お
う
ねた
ば
れ
なので
これぐらい
送ればいいかな?
1) CO2上がりはじめてからも楽勝で行動できすぎてないか?
換気のない宇宙服に人を閉じ込めて動かしてみればいい。まあ、厳密に言えばCO2の固定と酸素の供給は別なんじゃなかったっけとか。
代案: もっと迅速に
あの、「画面の右側に宇宙飛行士を引き寄せつづける謎の力」はなんだろう?
代案: 普通にテンションで戻ったけど掴まえられず、鋭角のエッジで切られて遭難、でいいんじゃないの?
3) 前は上、上は後ろ、後ろは下、下は前
だっけ? 中国のステーションに行く時に軌道力学ロコツに無視したよね。
代案: 説明抜きでいいから正しい方向に噴かす
4) 消火器パワフルすぎ
70km移動するのにどれだけ相対速度出したか知らないけど、消火器一本でそれをどうこうできるものかしら。
あと、ぐるぐるまわると思うよ。
代案: パラシュートのケーブルをアレスティングワイヤーがわりに使うんじゃだめかな?
6) ハッチ開いて1分で水没
いくらなんでもロシアの伝統ある突入カプセルがそんな設計のはずないのだが…(実際はしらないけど)
いや、野尻先生のロケットガールシリーズ(特に「私と月につきあって」)とか、笹本先生の彗星狩りとか、このスタッフで映画化してほしいなと思いました(無理だけど)。
日本語の「さようなら」はどういう意味合いなのか釈然しなかったので調べてみた。
"日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか (ちくま新書) [新書]
すると「そうならなければならないなら」という意味だという。また諸外国の別れの挨拶のように、再会を願ったり、別離の後の神の加護を祈ったりするでもなく、「さようでしたら」という装飾のなさに日本的な無常観を感じた。
過去に付き合っていた子が「"バイバイ"とか"さようなら"だともう会えない感じがして寂しいから、別れの挨拶は"またね"にしよう」と僕に言い、それから僕らの別れ際の挨拶は「またね」になった。
結局「さようなら」と言ってフラれたんだけど、それも「そうならなければならないなら」って事だったのかな。
やっと気持ちが落ち着いてきたので書く。
休日中、近所のコンビニへふらりと寄った時、気づいたらポケットの中に財布がなかった。
運転免許証、健康保険証、キャッシュカード、クレジットカード、四万円近い現金……全部失った。
関係各所に電話をかけまくり、休日の大半を使って怒涛のような時間をさらに失った後、財布にあと、何が入っていたのか書き出したメモを見ながらふと、がま口の裏に長いことお守りを入れていたことを思い出した。
あのお守りも、もう戻ってこないかもしれないんだ。
視界がみるみる歪んでいった。お金は稼げば、戻るし、運転免許証だって手続きがめんどくさいだけじゃんね。そう、内心粋がっていた心がみるみる崩されていくのが分かった。
お守りといっても神社で貰うそれではなくて。とある漫画の切れ端なのだけど。
中学時代、初めて出来た悪友に勧められて漫画を読むようになった。様々な漫画を読んだけど、その漫画に影響されて二人でたった五分のために映画館まで行ってしまった作品は一つしかない。
あずまんが大王だ。
とある女子高生らの三年間を描いた作品に、その個性豊かな面々に面白いほどはまった。連載と作中の時間の流れが同じだったこともあるかもしれない。
あれは、作中では高校三年の終わり、僕らは中学二年でそろそろ受験を考え出す時期だった。
大学受験の合格者発表の掲示板の前に、ちよちゃんという天才キャラクターが三馬鹿トリオのお守りに念を込めた。
たわいもない四コマの左側には
「このページを切り取ったら、ちよちゃんのご加護があるかもしれない。」の煽り文句。
編集部の方が勝手に入れたのかもしれない。だが、自分たちは本気で信じた。
そのページを大切に切り取ってお守りにしようと誓い合った。
地元の志望校に二人進んだ後も、クラスは違えど、部活は同じでいつもつるんでいた。たわいない話をする中で一年に一回ぐらいはなんだかんだと思い出す日があって、財布からお守りをどちらからともなく取り出して、当時すでにヨレヨレになってたそれに笑いあった。お守りさえあれば、全てを乗り越えられる気がした。
お守りなんて、何の効果もない。そのことを知ったのは、皮肉にも大学受験の時だった。
大学へ上がって何度か会う機会はあったけど、もうお守りについて、話すこともなかった。
研究室に入る頃、機種変したときにうっかりデータを消して知人の実家の連絡先以外分からなくなった後、連絡がぷっつりと途絶えた。それでいつまでも関係にこだわっていたのは自分だけだったとやっと気づいた。
それから何年も経ったが、相変わらず自分は財布にお守りを忍ばせていたわけだけど、財布と一緒に消えてしまった。コンビニにジャージ•サンダルで出かけた足で。もうそれだけの価値しかあれにはなかったのか。幕切れのあっけなさを、理性は関係ないと否定するが、感情が追いつかない。左脳と右脳に綺麗に分かれていれば、イルカのように休めるのに。
昨日、とあるおじさんが語ってくれた。
それは、おじさんが幼い一人息子をアメリカの高額な幼稚園に通わせていた時の話だった。その息子さんは私よりもかなり年上なので、相当に昔の出来事になるだろう。
ある日、おじさんはふと思い立って幼稚園での息子の様子を見に行った。探してみると、息子は部屋の片隅にポツンと蹲り、板切れを叩いていた。傍には先生が一人付き添っているだけ。そこでおじさんは父親として先生に相談した。「息子にもう少し別のことを学ばせてもらえないでしょうか?何と言っても、ここの保育料はあれだけ高いのだし、板切れ遊びをさせておくのではいくらなんでも…あまりに…」先生の説明はこうだった。「ここではただ2つの事を取り扱っております。一つは子供達の安全を保証すること。もう一つは、子供達に自分の好きなことをさせて、それから励ますことです。よく出来ました!と。こうして子供達に自信を持たせてこそはじめて、子供達のその後の人生はしっかり充電されたようになり、原動力に満ち満ちたものになるのです」
この話を聞いて、突如、私に足りないものが何であったのかに気付いた。これまでの人生の長い時間を何が何だか分からないまま、孤独と憂鬱の中に費やしてきたのは、私の人生には充電が無かったからだ。無いどころか、それと真逆のマイナスなものを持っているのが私だ。
裕福な家の子供が良質な教育で人生の加護を受けている時、私達が幼稚園で先生に言われたのは背筋をピンと張って座っていることだった。余計な動作はしないよう両手は膝の上で、ちょっとでも他の動きをしたらすぐに怒られた。小さい頃の私は毎日毎日、どんな事でも先生に家庭へ報告されてしまい、何処に行っても何処からも歓迎されていないようだった。
また一方で、裕福な家庭では決してないけれど、よく気を配った両親に育てられた子供達もいる。彼らは成長していく中で、良い方向を向き、良い導きを受ける。おそらく小さな頃にはこの違いがはっきりと表れることはない。けれども、ひとたび二十歳くらいにもなれば、鮮明に痛快に現れ出してくる。キラキラ輝き始めた人生の中で、子供の頃に受けた導きこそが、すなわち、その人の力の源泉なのだ。
そんな「充電されたことがある」人達は、真面目で継続的な努力家で、自分が何をしようとしているのか分かっている。それが私のように「負のエネルギー」に満ちている人間であれば、もちろん私は極端なケースなのだろうが、迷って困って、心配で不安で、疲労困憊で生きている。私の両親は、私がどう思っているのかを気に留めたりは全くもってしない人達だった。父親は隣の家のおじさんと何ら変らず、よそよそしい存在だった。母親は気分次第で私の成績に介入したり、娘の健康に気づけなかったりだった。私が病気にかかると居ても立ってもいられなくなるものの、普段は何の躊躇いもなくジャンクフードを食べさせていた。昔から今日までずっと、母親は私の事に何でも手を出して支配したがっている。だから私は彼女に握らせ、彼女の好きにやらせる。私がどう思うのか、私の心を彼女は見落とし無視する一方で、取るに足らない些細な事は自分が握って操るのが大好きなのだ。私が病院に行くときは、必ず付いてきたがり、医師に向かって病状を丁寧に詳述し、一瞬たりともその口が閉じられることはない。だからこれまで私は自分で話さず、母親が話すに任せてきた。小学生時代の記憶でも、母親はちょっとでも忙しくなると、すぐに癇癪を起こし態度や感情が激しく変わった。そういう人なのだ。私がまだかなり小さかった頃、母親が自作のお話をしてくれることもあった。私は母親の作ったお話を聴くのが好きだった。けれども、そんな幸せな事は小学校に入学すると、どれもこれも終わりを告げた。まるで、最初から何も起こりはしなかったかのように終わってしまった。もしもそれを証明する母親直筆の手紙がなかったら、そういう幸せな出来事があったなんて私には信じられなかっただろう。実際、私は母親の手紙を読みがら想像するのだ。存在しない幸せの思い出が、実は現実に存在していた出来事かのように。
毎日、私が時間の約60%を費やすのは、怖れ、不安、苦しみ、理由もない悲しみ。私は自分を咎めるばかりで、その後、現実逃避な世界を隠れ家にする。ドラマ、映画、二次小説。今だって相変わらずこんな逃避をしていて、その上、更にまた時間を大量に使っては自分の過ちを悔い改めねばとくよくよしている。かつて幼かったあの頃、私はあたかも養鶏場で飼育されているヒヨコのようで、爪と嘴を切り落とされ、均質な大集団と一緒に狭苦しいゲージの中に閉じ込められていた。互いに足を踏みつけあい、押し合い圧し合い振り向くことすらできない。食べさせられるのは成長ホルモンと抗生物質。こんな画面が頭の中で鮮明になればなるほど、私の気分は少しマシになる。これは多分、ある種の自己憐憫であり悲しい自己陶酔なのだ。成年になれた私が如何に足掻こうとも足掻こうとも、結局は私もまた嘴を切り落とされたニワトリでしかない。
でも、誰にも心の中の思いを打ち明けられない。永久に。例え両親がそばに居たとしても、下の方に底なしの孤独が存在していると感じる。私の居る下の方では、深淵の底は覗き切れない。
とても苦しい、だが、こんなのは駄目あれじゃないと駄目とは言わない。両親や環境の意味を責めたりもしない。もし心のなかに重い苦しみがなければ、こんな風に均衡を失った憂鬱の表情を絵筆で描けなくなる。生涯一文無しでも私は困りもしない。この苦痛に浸されきった精神をただ背負っているだけ。
defect 欠点
[語源] de-(=from […から])+L.facere(=to make [作る]) = 離して(欠けて)作る → 欠けている
defeat敗北させる
[語源] de-=dis-(=away[離れて]、down[下に])+L.facere(=do [なす、作用する])
deficit不足額
[語源] de-(=apart [欠けている])+L.facere(=to make[作る]、do[なす、作用する])
=======================================================================
despair絶望、やけ
L.sperare=to look for, expect(望む、期待する)
desperate望みの無い
======================================================================
[語源] de+sider = 星が見えなくなる → 惜しむ、欲する、要求する
======================================================================
provoke
刺激する、挑発する
[語源] pro(=forth 外へ)+L.vocare(=呼ぶ) = 感情を呼び出す
主唱者、擁護者
[語源] ad(=to)+L.vocare(=呼ぶ)+-ate(=名詞を作る) = 助けに呼ばれる人(主義や人のために叫ぶ)
evoke
呼び出す
invoke
加護を祈る、切願する
[語源] call in(=呼び入れる)、in-(=on)+L.vocare(=呼ぶ) = 神に呼びかける
revoke
取り消す、無効にする
[語源] re(=back 戻す)+L.vocare(=呼ぶ) = 呼び戻す、呼び返す
vocabulary
語彙、語集
[語源] -ary(=集合体)
vocation
そう言う人って何パターンかあると思うんだけどな。
リンク先読めなかったので憶測だけど。
------
多数派=正しい、偉い、凄いと認識していて、少数派であることに自覚がある。
世間的に認知されてる人物の加護を受けて「自分の優位性が証明された」と思ってしまう。
少数派でいることや間違うことを嫌い、多数派や正しいことが大事。
------
・皆に知らしめたいけど誰も聞いてくれないから(本当にオオカミがきた時の狼少年)
ある事柄を周囲にも認識(と賛同)されたいと望んでいる。
が、自身の影響範囲では満足のいく結果が得られなかったために、影響範囲を広げたい。
そこにもともと影響範囲の広い人物によって事柄が拡散されたので、目的が達成された。
事柄が広まって賛同者が増えることが事が大事。
みたいな(どやっ
ドッグデイズのおもしろい点
・戦争をスポーツとして設定した(戦争=オリンピックのようなもので、それにより外交が行える、平和な世界である)
・スポーツのような戦争とはいえ怪我は付き物だが、そこを「加護」という概念で無効化した。(いやいや死んでるだろ普通、など考えなくてよい)
・攻撃手段を剣と魔法にしたため、雑魚との差別化がハッキリと図れる、自動小銃の乱射やグレネードの爆発がかすりもしない「あり得ない主人公補正」が必要ない
・最低限、移動手段に機械を持ち込まないことで、ファンタジー感を保つことに成功している(FFは失敗した)
・剣と魔法の世界であるから、伝説の武器を与えられた勇者が大活躍する
・全体的にほんわか設定であるため、心を弛緩して楽しめる
・エンターテイメントとしての戦争興行が成立する世界であるため、犬姫さまの設定に違和感がない
まあ、漏れが今満足してるのはこれくらいだな。
フェイスブックで、フィリピン人女子を名乗るアカウントから、友達リクエストとメールが2通やってきた。
オレは在米で、1年ほど前にアカウント作って、
こっちの知人や、日本の同窓生などからの友達リクエストに生ぬるく答えて来ているが、
表立ったコメントなどはしてこなかったから、ほとんど目立ってなかったはずだ。
全くの見ず知らずからの友達リクエストやメールが来る心当たりはほとんどなかった。
気になって本人のプロフィールなどを見てみると、仲間たちとも盛んにコメントを送り合ってるようで、
フィリピン人少女というのは間違いないように見える。釣りのためのバーチャル人格でもなさそうだ。
それでも2週間ほど放置していたが、やっぱり返信してみることにした。
ちなみに1通目のメールには
2通目は
友達リクエストには、
とのメッセージが添えられていた。
ごめんなさい、私はマリア・ロペスさんという人が誰だか分からないし、 フィリピンに行ったこともないんです。 でも、どうして私なんかにメールしようなんて思ったんですか
すると、返事は翌日すぐにやってきた。
ごめんなさい、ご迷惑でしたね。 あなたが私の探してる人と、たまたま同じ名前だったもので。
マリアさん、もしかして、△△県のフィリピンパブでお働きでしたか?????
弟を彼のお父さんに会わせてあげたい。二人はお互いまだ一度も会ったことがありません。
この0XXXYYZZZZ のところには、携帯ではなく固定電話の番号が書いてある。
確かに△△県の市外局番だ。しかも市内局番で市町村まで特定できてしまう。
おいおい、当たり前だよ。だいたいヨシオ・タカダなんて、全然珍しくもなんともないんだから。
(注:オレの本当の名前も同程度にありふれている。本物のタカダ・ヨシオさんごめんなさい)
でも、もしできれば、少しでも助けてくれればとても嬉しい。
読み終わってしばらくの間の、この脱力感。
これが、マーク・ザッカーバーグの勧める、実名と顔写真登録の威力というヤツか。
http://anond.hatelabo.jp/20100806220350
>増田にしか書けない事なんだけど、先天的に障害を持っている人達というのは、やはり一般的な人達と違って、福祉やボランティアの加護の元にいるので、詳細は書きませんが、どうにも自立していない人達が多い
数年前、私が勤めていた会社にも先天的なもので足が不自由な人が来た。
私はそれまでの人生において障害者ってくくりの人とあまり深く接したことが無かったので、「それを除けば普通の人間だし!」って思い、他の人と平等に接するようにした。
…のだが、彼は仕事をろくにせず、勝手にふるまい、上司に怒られても反省せず、そしていつも「俺は障害を持っているから、上司から酷く怒られても社会は俺に同情してくれるんだぜ」って得意げに語ってたのを思い出した。
その声が聞こえる周囲の席の皆、ドン引きである。
数か月経って、あまりにも仕事が出来ない&客先に迷惑をかけた為、上の人たちと相談の上彼は自主退社することになった。
しかし「今ってすんげー不況で就職できないっしょ?でも俺って、障害者枠で簡単に就職できんのwwスポーツやっててパラリンピックにも行けそうなんですって語ると百発百中レベルwww」と笑顔で嬉しそうに話してた。
今、彼は元気にしてるかなぁ。