はてなキーワード: 分不相応とは
日本人として生まれて頑張って働いて納税して、子供育てるのにお金かかるから節約もしてこっちは必死になってしんどいなぁと思いながらも誤魔化し誤魔化し生きてんのに、海外から今より楽な暮らし良い暮らしを求めてやってきて
その割には生まれ育った地方を捨てて上京したり、他都道府県の大学に行ったり、親と違う職業についたりするんだよな
自分のラッキーは努力、他人の不運は努力不足。自分の努力は国のため、他人の努力はわがまま。
言っちゃあ悪いが
★貧乏人は金もないのに分不相応に子供を産まないで欲しい。どうしても産むと言うならめちゃくちゃ苦労して育てて欲しい。こっちは金持ちの子供に生まれて頑張って高給を勝ち取って沢山納税して必死になって生きてるのに、納税額が少ない貧乏人がエゴで子供産んで子供に楽な暮らしをさせようとかしないで欲しい。
まじでやべえよ
浴室干し用の除湿機を切り忘れたせいで室内はひどい暑さだった。昨朝干したバスタオルは水分という水分が奪われて干物のようだった。そんな浴室の天井に黒くて小さいそいつはいた。
私は虫が苦手だ、掴むことはできない。ホウキではたいて自分の頭上に落ちてきたらこのサイズでも少し怖い。シャワーで流してしまう手もあるがこんな手合いのためにせっかく乾いたこの部屋を濡らすのも馬鹿らしい。
後で殺そう
ベッドに腰掛けた私の顔の高さに張り付いていたので確実に目が(これが目なのか定かではないけれど)合った。
小さな前足をこしこしとこすり合わせ安っぽい賃貸のビニールクロスに張り付いていた。
こんな至近距離でクモを見たことはない、不思議と恐怖はなかった。
それどころか私のことを恐れる様子もなくマイペースに身繕いをするちいさなそいつを不覚にも可愛いと感じた。
ここ最近、何もする気が起きない。
仕事にはなんとか通っているがこの土日は家に引きこもっている、やれGOTOだと言われても外に出る気が起こらない。食欲もない、眠りも浅い、というか人と関わりたくない。つまり病んでいた。
引っ張られまいと気をつけてはいたのだけれど最近立て続いた悲しいニュースにかなりダメージを受けている。
私の母は自死だった、精神が不安定な彼女に長年振り回されたので亡くなったと聞いた時は正直安堵した。
それから最後まで身勝手なあの人に腹が立った、そして不器用な彼女なりに自分を愛してくれていたことに感謝した。
それでもまだ彼女に対する複雑な想いは拭えないけれど、私はついに誰にも縛られず自由に生きられるのだと思った。
それも長くは続かなかった。
この時勢、短期間で様々なことが起こりすぎて『何でどうして』を明確には語れないのだけど、とりあえず何もする気が起こらない。
ただ部屋でぼんやりとする時間が増えている、意味もなく涙が出る。ここ数週間それが顕著になってきた。ネットで調べてみると先ほどの状態を含め鬱のはじまりはこんな感じらしい
『だろうな』と思った。
理由は後述するがこの状況から抜け出したいという危機感はなかった。
私はずっと容姿にコンプレックスがあった、実際何度か顔にメスを入れた。
仕事をしつつ、自責癖のある母に悟られないようにやったので劇的な変化は望めなかったがそれでも元の顔に比べれば多少はマシになった。
身なりにも気を配った、歩き方ひとつも美しくあろうとした、親に教わらなかった最低限のマナーは本で学んだ。生まれ持った容姿をそんなことで補正しようとあがいた、所詮全て付け焼き刃だったが奇跡的に分不相応の異性と知り合えた時期もあった。
(母には捨てられるに決まっていると酷く嘆かれた、実際長くは続かなかった、それ以来彼氏はいない)
とにかく今の自分の生き辛さのすべての原因は自分が馬鹿で醜いからで、配られたカードを最大限生かし切ることの出来ない己のせいだと自分を責めた。
一番にはなれなくても”普通”になりさえすればきっと人並み程度の幸せが手にできると盲信していた。
みんながうらやむような華やかで素晴らしい人生を送って欲しかった。そんなものはエゴだと分かっているけど。
あんなに美しい人たちが、私にとって雲の上の美しい人たちが、多くの人に愛されるあの人たちが、母と同じような死に方をする、信じたくなかった。
母の遺品を整理した時、古いアルバムを見つけた。若いころの彼女は客観的に見てもとても美人で可愛らしかった。
精神を病んでしまった晩年はそれはそれは酷い顔だったと記憶しているけれど、写真に写る彼女はキラキラ輝いていた。
学生時代は多くの異性に言い寄られたという武勇伝はあながち嘘ではないんだろう、なんで私は母に似なかったのかと亡き父を恨んだ。
しかしこれほど愛らしい容姿を持って産まれた人間でも決して幸せにはなれない。あんな酷い最期を迎える。
うまく言えないのだけど自分の信じてきたもの、アイデンティティがそこで崩れてしまった。
最近のその想いが否応なしに強まった。
TLに流れてくる生前の美しいあの人たちの姿を見ると在りし日の母の笑顔を重ねてしまう。
私は人と上手く人間関係を築くことができない。
親友と呼べる人はいない、親戚とは疎遠で母以外の身内もいない、彼氏もいない、先述した通り無条件で愛されるような容姿もなければ、以前のように愛嬌を振りまく気力もない。
最近はとても口が悪くなっている気がする、まるで晩年の母のようだと思う。
このまま自分も母と同じ道を辿るのだろうと考えることが多くなった。
母はあんなめちゃくちゃな状態になりながらも子供のことは愛していた、彼女の残した日記には私を一人遺しては逝けないという想いが書き殴られていた。(それを読んだ時あまりに生きることが不器用なあの人を哀んで泣いた)
ただ私には誰もいない。この状態を抜け出したいと思えない理由はこれだ、私にはこの世に未練がない。
強いて言えばこれまで恥ずかしくて書けなかったファンレターを推しに一通だけ書きたい。置かれた状況も、身の上話も一切書かず、ただお礼を述べたい。
あとは身の回りの整理
こんな生活感丸出しの部屋を人に見られるのは嫌だ。それは私の最後の美意識というか、最後の最後まで人に本音を見せることのできない人間の悲しい性なのだと思う。
だからこの土日で部屋を整理しようと試みた
私は虫が嫌いだ。なので部屋に観葉植物は置いていない。(以前はあったが水受けの皿に黒いあいつの死骸があったことがトラウマでそれ以来置いていない)
切り花を飾った時期もあったけれど日々しおれていく花を見るのが悲しくて辞めてしまった。
だから今、私の目の前でぴょこぴょこと動くこいつはこの部屋で私以外の唯一の生き物だ。
いや、ダニやノミだって生物なので厳密に言えば間違った認識なのだけど、私の目に見えないものはいないことと同じなので、やはりこの部屋にいる生き物は私とこのクモだけなのだ。
そう思ったらこいつが無性に愛おしく感じた、そして自分はなんて寂しいやつなんだろうと今度は己を哀れに思った。
こんな私の部屋にやってきてくれた小さな客人、彼(彼女?)は大人なのか、赤ちゃんなのか、そもそも本当にハエトリなのか、もしかして成長して私の世界で一番嫌いなあいつをモリモリ食べてくれる軍曹なのか(このネタが分からない人は「クモ・軍曹」で、ググってほしい)、皆目検討もつかない。調べようかと思ったけれど画像が怖いのでやめた。
今は床に散らかしたままの服や下着に囲まれこの文章を打っている。
さっきまで部屋中央の照明のあたりにあいつはいたはずなのだけど今はその姿は見えない。多分エアコン付近の死角にあたる場所にいるのだと思う。こいつはずっと動いている気がする。
あの小さなクモの方が数十年生きている私なんかよりよっぽど強くて生きるのが上手だ。
よく見たら造形もスタイリッシュだし、目(?)もくりっとしていて結構可愛い。
どうも彼らの多くは無害で虫を食べてくれる益虫らしい。
負けている。私なんてクモより役立たずで、クモよりずっと醜い。あんなに美しくなりたかったのに虫にすら負けた。
もともとマイナスだった自尊心だけどまだ底があった。笑うしかない。
元気が出たので散らかった服をゴミ袋につめこんだ、死ぬ前に出したい推しへのファンレターの下書きをした。(思いの丈を書き散らかしたらめちゃくちゃ長くなってしまった、どうしよう)
あとはこれまで集めたグッズを価値のわかる人に譲らなければいけない。
せめて死ぬ前に荒れた肌を直したい。髪を染め直したい。ベリーショートにしてみたい。健康問題と思われたくないからジムも再開しとこうか。
のどぐろを食べてみたい。寝台特急に乗って一人旅をしてみたい。全く理解出来なかったテネットをもう3回くらい観たい。
そういえば推しの出演作も来月に控えている、
ああやっぱりグッズを手放すのが惜しい、服もまだ捨てるの勿体無いかも、他にも何かあったかな、多分ある。
この文章を打っている途中は死ぬことしか考えていなかったのだけど私にはまだ未練が山ほどあった。
自分の根幹に関わる重大なことから先延ばしにしていたことしょーもないものまで山ほどあった。
これは母の自死までをリアルタイムで見た自死遺族としての経験則だけど、死にたい衝動は長くは続かない。希死念慮と自殺衝動は違う、後者は発作のようなものだと思う。
その瞬間にたまたま悪い条件が全て揃ってしまうと最悪の結果をもたらしてしまう。それを本人の意思で止めることは難しいし、周囲の人間が止めることはもっと難しい、本当に難しい。
逆を言えばその一瞬踏みとどまればいい、ほんのささいなきっかけで命は繋がるのだと思う、例えば小指の爪ほどの小さなクモ1匹の存在でも。
事実私はこいつに現在進行形で救われていて、今は部屋の隅っこで泣きながらこの文章を打っている、病んでいる。やっぱり病院へ行こう。まだクモの姿は見えない。
私は虫が苦手なので、これ以上君が大きくなったら同居はできないかもしれない。けれど絶対に私は君を殺しはしないから安心して欲しい。
些細なきっかけで人は死ぬ、些細なことで人は生きる。けど結局人はいつか死ぬしこの世は碌なものではないという考えはもう私の心に根付いてしまって、これを変えることはできない。
このまま鬱が本格的に悪化して今度は本当に死にたくなるのかもしれない。そればかりはわからない。
母と同じように首に縄をかける瞬間が来たら、私は天井を見上げるとおもう、見上げたいと思う。
ちいさな友人を探すとおもう、縋るとおもう、さよならの挨拶をするために君を探すとおもう、その時に今日のことを思い出して最悪の条件が揃わないことを祈る。
死んでいいタイミングなんてない、私には未練がごまんとあるのだ。
忘れるように努めてたけど、忘れる努力に疲れてしまったというかもう気を使わなくてもいいかなとなったので吐き出す。
なお、保身もあるが、読んだ人の中で私ではない誰かがこれを書いたと思われてしまう危険性があるので、フェイクを混ぜている。
とあるジャンルのとあるカップリングで細々と作品を作っていた。
人がそんなにいないジャンルだしカップリングだったので、拙い作品でも見てくれる人はそれなりにいた。
村長は別にいたし、クソ面倒なので村には関わりたくなかったが、
人が少ない頃にTwitterやらオフ会やらで絡んでいたのでそうもいかなかった。
(この頃はちょっと人付き合いを頑張ろうとしていたが、結局全部無駄だった)
しばらくはTwitterでブロックしたりミュートしたり鍵をかけたりとごまかしごまかし交流を続けていたが、
ところで、このカップリングには村長ではないけど中心人物のA氏がいた。
気さくで親しみやすく、本も定期的に出し、即売会ではカップリングの本を買って感想も伝えてくれるため、とても人気がある人だ。
A氏とはジャンル関連のイベントやコラボカフェなどを中心にサシで会うこともある程度には距離が近かった。
向こうもイベントに当選したら声をかけてくれたりと、かなり気を使ってくれていたと思う。
A氏はカップリングの最古参と言っていい人で、何かを企画するのならまずA氏がやるのではという空気があった。
(正直なところ、このプレッシャーには同情しているが、かといってこちらが先に企画するのも難しいほどの空気だった)
そのプレッシャーに折れたのか、A氏はついにカップリングで初のアンソロジーを企画した。
A氏らしい素敵な企画で界隈の空気も一気に盛り上がり、私も含め皆が喜んでいた。
ただ、個人的に応募することにはためらいがあった。
前述の通り、私は評判があまり良くないのにくわえ、作品自体も拙いうえに人を選ぶものだったからだ。
初期の人が少ない時分ならまだしも、作り手が増えてきた今、私が応募することはマイナスになりかねない。
とはいえ、A氏から企画開始前にそれとなく話をされおり応援すると答えていたため、今さら梯子は外せない。
悩んだすえ、人を選ぶ要素を抜いた差し障りのなさそうな話を考えて、応募することにした。
応募後、A氏も私も参加する同人誌即売会が開催された。
A氏が企画主催として同カップリングのサークルに本を買いがてら挨拶をしていたのを覚えている。
もちろん、私にも以前出した本の感想や企画参加へのお礼を含めた挨拶をしていただいた。
アフターとしてA氏と私含めた古参数名でカラオケに行き、企画へのお礼や人が増えたことなどを話していた。
話題が今日買った本へ移った時、A氏は「応援として買ったけど、このサークルの同人誌は読まない」と取れる発言をした。
アルコールが入っており、年単位で付き合いのあった面々のため色々と口の滑りがよくなっていた場である。
多少であれば気安い話をしても良いとA氏が思ったのかどうかはわからない。
それでも、公募企画を主催している人物が公募企画に参加しているメンバーの前でする発言ではないと私は感じた。
応援も読まないのもA氏の自由ではあるのだが、本人がいない場所で吊し上げのように「読まない」と宣言するものではないと思う。
他のメンバーの反応は「同意」だった。正確には、同意であるように見えた。
解散してから、私は今後について考えた。人によってはどうでもいい話であるし、私が気にしすぎている部分も大きい。
ただ、この違和感を飲み込んで企画に参加できるかというと、できないという判断をした。
どちらにしろ周囲の評判が良くないのだから、A氏との関係も分不相応な待遇である。
私は企画を辞退し、数少ない付き合いのあったフォロイーをブロックしTwitterアカウントを鍵アカウントに変えた。
今後も、作品を作ることはやめられないと思う。ただ、今のジャンルでも新しいジャンルでも交流することはもうないだろう。
地味な苦しさが続いている。
寂しい。苦しい。今の状況になっている原因は自分にもあって、そのことは十二分に承知しているつもりだが、それでも苦しいと思わずにいられない。
何もかもが間違っているんだと思う。
他人がこわい。プライドが高い。誰かと話すたびにこれは間違っていないだろうかと恐ろしくなる。
自分のすべてが間違っているような気がして、何もかもが傲慢で誰かを傷つけている気がする。
生きてる中で要求する何かがすべて間違っている気がする。
いつまでこうして生きているんだろう。
新しいところに行ったところで、また自分は自分も周りもすべて疑って、動けないまま孤立するんじゃないだろうか。
自分が生きていることで発生する責任とかがうまく受け止められない。すべての振る舞いが間違っている気がする。
必要とされたい。自分のやりたいことなんてない。わからない。振る舞う場所が無ければ私はそこにはいないような気がする。
そうなりたいと思っていたはずなのになんで自分は苦しんでいるんだろう。道はあるはずなのに未来が見えない。
周りはみんな進んでいて、自分だけがここに止まっている気がする。ここから出られない気がする。
何も求めてはいけない気がする。もう叶えるとか言う間もなく夢を見ることすら分不相応な気がする。
誰のことも見たくない。けれどこの家に居て、誰の姿も見ることなく生きていけば自分は窒息してしまう気がする。
自分の状態がよくわからない。進んでいるのか淀んでいるのか。少なくともそこまで進んではいないだろう。
今日も眠れない。昼夜逆転して久しい。考えることをやめられない。苦しい。
全部を肯定してほしくて優しくしてほしい気もするけれど、ぜんぶを否定してほしくて滅茶苦茶に罵倒されたい気もする。
うまく保てない。崩れそうだ。このまますべてから疎遠になってしまいそうだ。
やり方がわからない。何も理解できない気がする。ここから出たい。誰の顔も見えないところに行きたい。
ぜんぶの人のことを忘れて自分のことも忘れられたい。
バカみたいに入り浸ってるSNSをやめてみたらあの人にも心配してもらえるだろうか。
打算だ。何もうまくいかない気がする。
自分の薄っぺらさにも能力の低さにも吐き気がする。全部忘れてやるべきことに打ち込みたいのに関係ないことがどんどんよぎって何も手に着かない。
死にたい。いや死ぬ気はまったくない。だから安易にそう思うのは嘘だろう。本当に絶望しきってしまってつかれきってしまって、本気でそれをしようとした人たちに比べたらこんなのは嘘だ。
死んでみたい、が正しいかもしれない。自分を可哀想だと思いたいんだと思う。きっとずっと恵まれている状況にいるんだろうし、それを受け取ることができない自分が悪いんだろう。
それを受け取ってのほほんと生きてしまったら、自分の中のなにかが終わってしまう気がする。そうでなければ誰のことも理解できなくなる気がする。
だからせめて自分が悪い人間だと思っていないといけない気がする。
嫌われたい。見捨ててほしい。
全部人のせいとすっかり思い込んで人を恨んで何も考えないバカになって惨めったらしく死んでほしい。
手遅れレベルで脳内お花畑の自分もそうしたら現実に覚めることができるかもしれない。
今更なにも変えられないかもしれない。
この手の「非モテ男は並以上の女しか見てない、非モテ女は大抵不細工」って本当なのかね?
俺の知る限り、非モテ男も非モテ女も自分で思ってるほど不細工じゃないぞ。
俺自身、若い頃はリア充女からウザいキモいと散々な扱いを受け、30過ぎまで余裕で童貞だった人間だが、なんかの偶然で同様の非モテ女と付き合って結婚することになって現在に至っている。
だが、妻が年齢=彼氏いない歴の処女(当時)だと知ったのは付き合ってだいぶ経ってからだぜ?俺は妻は顔立ちも悪くないしてっきりリア充側の人間だと思っていて、自分が童貞だとバレると失望されるかと思い、付き合う前は必死でリア充を装ってたもんだ。だが現実は以上のごとしだ。そしてその事情は妻の側も似通っていたようで、そのコンプレックスゆえに俺の視線にはなかなか気づかなかったらしい。そして、よく聞くと過去には、客観的に見てモテていた状況も複数あったようだ。だが、自分の容姿への自信のなさと、相手への興味のなさが相まって、自分がモテていた自覚がなかったように見える。
で、妻の友人も類は友を呼ぶで非モテも多いようだ。だが、俺にはどう見てもその非モテ女子とやらが全員並以上の容姿、いや、けっこうな美人にしか見えない。むしろ学校出てすぐ結婚したとか昔から彼氏が切れないとかいう人たちよりも余程外見上の男受けは良さそうに見える。性格も知的で愛想がよく、職業上のキャリアも申し分ない常識人にしか見えない。でも妻曰くそのうちの少なからずは処女かそれに近いらしい。
これは男の側も同様。俺の知人友人でどうしても恋愛できなくて相談所で相手を見つけたような人たちも、夫婦揃って整った顔立ちということの方が余程多い。むしろ、アトピーとか肥満とかそういうわかりやすい弱点を抱えた人たち(男女を問わず)の方が余程早く自力で恋愛結婚しているようにすら感じる。そして若い頃から自他共に認める美形でモテていた男女が意外と婚期を逃しつつあったりする。
人の外見をどうこう言えば言うほど品のなさが嫌になってきたのでこのくらいにしておくが、要は非モテ男は分不相応に面食いだというストーリーはもっともらしい反面、現実に即しちゃいないんでないのってのが実感(←これが言いたかったこと)。
非モテってのは単なる巡り合わせとか運とか内向的な性格とか、そちらの要素の方が大きいんでないの?(努力不足とは思わないし、言わないよ)
救いようのないほど容姿に恵まれない人というのもそりゃ勿論いるだろうし、それ故に結婚できない人には同情する。
が、むしろ、自分からみて並以上の容姿の人間は非モテでないと勝手に思い込んでない?
あるいは、過去に心ない人に不細工扱いされたことが原因で(まあ若い時代は誰しも多かれ少なかれ無神経で見る目もないからそういうことも多いだろう)、それを引きずって、いつまでも自分が救いようもない不細工だと自分だけで思ったりしてない?
繰り返すが、全ての非モテがそうだとは思わない。本当に容姿に恵まれない人もいるだろう。が、そもそも世の中の人の、異性の容姿に対する許容範囲ってそんなに狭くないぜ?少なくとも三十路が見えたら異性に求めるもののうち顔の比重ってかなり下がってると思うよ?
人権に期待しすぎでは?
あなたのいってるのは、どう見ても魅力の無い低収入の女性が「美人だったらニートでもすぐ養ってくれる男性みつけるでしょ?本当にブスって人権ないんだな」って言ってるようなもの。
大抵の人は「普通に働いてる普通にかわいい女性」がいいというだろうし、実際「現状ニートでも結婚しようと思えるほどの美人」っていうのはそうそういるもんじゃない。そこそこの美人の場合でその境遇を手に入れる場合は、よっぽどのレアケースを除いて男性の方に釣り合うだけの恋愛的に不利な部分(極端な年上だとか)がある場合が殆ど。
「一回り下の異性」や「自分が並み以下の社会的地位でも気にせず(見下しもなしに)拾ってくれる異性」なんてのは「ぜいたくなこと」なの。ぜいたくな境遇を手に入れたいと主張する(格差がある異性にアプローチする)以上、相応の美点がある人じゃなければ身の程しらずになる。大企業の正社員は、相応の学歴や実績が無いとなれないでしょ?そうじゃない人が受けに来たらよくて苦笑い、悪いとなんで受けたの¿的な態度をとられるしそもそも足切りされることの方が多い。分不相応なぜいたくをしようとする人は、批判すべき悪じゃないけど身の程しらずと思われるのは覚悟しといたほうがいい。就職ならわかることが、恋愛だとわからなくなる人が多いのは逆転があり得ると信じたい人が多いからなのかな。アプローチするのまでは「人権」が保障されるけど、それにドン引きして気持ち悪いと思うのを表明するのもまた相手の「人権」。
個人的には不相応な高望みをしたからといって思い切り叩いていいとは思わないけど、痛い人だと思われるのは仕方ないと思う。口に出すのはマナー違反だけどね。
40歳を迎えて妙に高額の買い物をしたくなった。
もともと貯金が趣味で通帳の増える数字を眺めるのが好きだったので先立つものははそこそこあるんだが、買うものがない。転勤族で家は賃貸だし、車は乗らない。子供はいない。(結構ご同類の増田を見ましたね) そういえば最近再開したお稽古の楽器はどうだろう? 今使っているものは小学生の頃に買ってもらったものだし折角だから中年に似合う渋い感じのちょっと古くてカッコいいものが欲しいなあ。というわけで素人がバイオリンを買うことにした。
子供の頃に習っていたが辞めてしまい中年になって再開したような素人からすると、そもそも楽器を買う場所がわからない。小学生の頃は親と先生に連れられて東京のどこかに行ったような…? とりあえず今習っている先生に聞いてみたところ、自分の馴染みの業者はいるけど紹介するとそこで買わなきゃいけない雰囲気になるから、まずは大きい楽器屋さんで試奏をかさねてみてはどうか、という非常に良心的な回答だった。
店に行く前にまず予算を決める。小学生の時のものが50万だったから、とりあえず倍の100万くらい。まわりの人で車を持ってる人はだいたい350〜500万くらいらしいから、最大でそのくらいか。条件は新品ではないこと、見た目と音が自分好みなこと。低音がよく響くのがいい。大きい店は広くて入りやすくて、営業さんは親しみやすくて話しやすい。予算を伝えるといろいろ持ってきて弾かせてくれる。(下手くそなのでこの試奏がはずかしい) いろいろ見繕って見積もりをもらって一旦帰宅。一店あたり3点くらいずつ候補が出てくる。
また、家の近くを検索してみると小さい楽器商がいくつかあった。事前予約をして、見せてもらう。これが普通の一戸建てだったりマンションの一室だったり、一人ではとても行きにくい感じ。なんとなく大きい店よりは値段は手頃なのかもしれないが、気の弱い人は買わずに出てくるのが難しいかもしれない。個人の楽器商には元演奏家だった人もおり、試奏が下手くそで恥ずかしかった。
こうしていろいろ数を見ていくと、だんだん欲がでて条件も変わっていく。無銘で150万の楽器と、鑑定書がついた300万の楽器があって後者がいずれ150万で売れるとしたらそっちの方がいいんじゃないか? バイオリンは経年で価値が上がっていくし、今後のアジア圏の隆盛を見ても値下がりすることはないような気がする。300万で買って600万で売れる、なんてこともあるかもしれない…。
本来なら楽器は音で選ぶべきなんだろうけど、なにしろ素人なので耳に自信が持てず、情報に頼ってしまう。この辺りからはひたすら調べ物ばかりしていた。鑑定書にもランクがあるらしく信頼できる鑑定家を調べる。鑑定書は英語じゃないものも多く、なんとか翻訳して読む。製作者の名前で検索して、評価や人気等を調べる。やはり海外の方が情報が多くて、情報交換の掲示板などがあり役に立った。また、AmatiとかTarisioでは海外オークション相場や職人情報が調べられて役に立った。ちなみに日本の国内販売価格は海外相場よりかなり高く、なるほど海外に行って買う人が多いわけだなあと思った。日本国内でも予約して複数店舗回るのは大変だったのにこれが英語となると自分にはハードルが高すぎた。そんなこんなでいろんな情報に翻弄されながらも、候補に残ったのが500万台のもの。選んだ理由は下記の通り。
本体に合わせて弓も買って合計で700万くらいだった。分不相応ながら、総じて満足のいく買い物ができた。唯一の心残りはニスの色。好みで行くと黒>赤>黄色なんだが、黒っぽいのは音が好みでなかったので仕方がない。楽器そのものが良いとなんだか自分まで上手くなったような気がして、単なる開放弦の音でもうっとりしてしまう。非常に生活の質が上がった気がする。特にコロナ関連でここのところずっと自宅に篭っているが、ゆったりとした美しい生の弦楽器の音には大変癒されている。バイオリンは軽いので高齢になっても弾けそうだし、長い時間をかけて弾きこんでいきたい。
独立系SIerに勤めて10年ほど。収入は入社時から殆ど変わらず手取り18万。
特別に節約らしいことをしていないせいもあって、収支は常に微赤字。
不足分はカードローンに頼っていたが、積もり積もってそれも遂にパンク。
結局は両親に借金を肩代わりしてもらい、このままではまた借金膨らむだけなので、
東京で転職活動もしてみたものの、ずっと客先常駐で社内調整ばかりしていた為、
面接までいけても、せいぜい今と変わらない待遇のところばかり。
実家は一番近い食品スーパーまで車で20分といった具合のど田舎。
しばらくは両親の貯金と年金を食いつぶしながら暮らすことになるが、再起は難しそうだな。
一生「東京から逃げ帰った」という劣等感を抱きながら働くことになりそう。
辛いな。
https://www.youtube.com/channel/UCWN0Vh4soqqhYJEF5Qk5tdw/videos
年商数十億。
スーパーカーとクルーザーを買いまくる豪快セレブとして最近再生回数を上げている。
チャンネル登録者数は15万人に迫る勢いの有名人の舞台裏を、登記簿謄本、決算書、営業レポートなど証拠に基づいて少しずつ観察していきたい。
真っ赤な嘘。
これが最盛期の決算書で、売上は4億円少し。
年商数十億円どころか、最盛期でも月末の口座残高は2-300万あれば良いところの会社規模。
現在、業績は絶賛転落中で、Youtube事業に人生をかけている模様。
現状の売上は年商2億円以下がいい線と思われる。
これも嘘。
経費で落としているものを加えても当時で年に3000万円は届かないレベル。
当時はANITUBEなどを大口顧客に、漫画のDLサイト、アダルトサイトの運営者、2chまとめブログ、ポイントサイトの広告管理が主要業務で、広告代理店というのはちょっと厳しい内容。
毎日毎日、2chまとめブログを読み耽って黙々と営業メールを送り続ける会社が正体。
2chまとめブログの転落とともに業績が坂を転がり落ちる様子はまたUPします。
■車を買うお金はどうやって準備したのか?
メインバンク「だった」銀行や政策金融公庫からの借り入れをそっくりそのまま流用。
アストンマーチンとその次の車は多分本当に買っていると思われる。
銀行から事業資金を借りる→車を買う→売る→売却代金を頭金にローン組んで次の車に の流れがどこかで頓挫した模様。
千葉の不動産を買えなかったのは、分不相応な高級車ローンやクレジットカードでの浪費が祟って住宅ローンの審査に落ちたと思われます。
「億使った」車の大半は、試乗車をレンタルして動画にしていた模様。
なお、メインバンク「だった」銀行は、融資したお金の半分以上が車、犬に変身したのを見て即手を引いてしまい、現在没交渉だとか。
(※FUKKI=犬)
ファビオちゃんねるでは複数の会社、事業を経営していることを匂わせているファビオ氏。
パンジャンドラム→ https://voyagejapan.jp/
売上はほぼ0。内容はまぁ、お察しです。
アダルトサイトの広告専業の会社などに声をかけて、共同で設立。
アダルトサイトの巨大なトラフィックを買い取って、そこに一般サイト向けの広告を出稿する、完全なるアドフラウド※を目的に設立。
※アドフラウド→ https://growthhackjournal.com/article/acquisition/eventreport-appsflyer2-2/
アダルトサイトの開拓に失敗。実体が出来上がる前に放置状態に。
ROSSO→低空飛行でなんとか、生きている状態。月商は300万円ほどの推移の模様。
2chまとめブログの運営→月商は30万円前後というところか?
どれをどう足し算すれば数十億円になるかわからないのですが、夢がある話ですね。
それを有り難く頂いた後に母親が「そのお金を預かっておくから2年後のスーツ買う時に使おう」という提案をしてきたので
「いやいや、もう子供じゃないんだから、20超えてるんやぞ、スーツ買うときには働いているんだからこんくらいの金はすぐ出せるわ」
などと言って死守したのだが、何気なく口に出したこの論は真理を突いているのでは?と気付いた。
子供の頃、お年玉や入学祝いなどでお金を頂いたとき我が親は「ランドセルに使うから」「学生服買うために使うから」と言った理由でお金を回収していった。
当時の私はそういうものなのだなと考え、残念には思いながらお金を渡していたが、今思えば非常に勿体ないチャンスを逃していたのだと思う。
「身の丈にあったお金の使い方をしなさい」
しかし、それが重要になるのは、身の丈が極端に変わらない大人になってからだ。
親戚から貰えるお金は、往々にしてその年代には少々大きい額になることがある、だが10代の少年少女が使うお金の額はたった数年で一桁ずつ上がっていくため、数年後には有り難みのない額になってしまう。
言い換えれば、数少ない「身の丈を超えた、しかし数年後には身の丈に合うお金を使う経験」を得られることができるローリスクハイリターンなチャンスなのだ。
ローリスクというのは、「親が不要なお金を渡すことはない」という立場を取れることである。
「あまり会わない親戚から、祝い事の時だけ貰えるお金」ということを子供が認識していれば、身の丈を超えたお金を日常的に使えるものだと思うことは少ないだろう。
ハイリターンというのは、各々具体的な例を考えれば理解してもらえると思う。
自分は小学生の頃にカラオケやボウリングなどのレジャースポットを知っていれば、中学・高校生の時は物怖じせずに遊びに行けただろうなと思うし、中学・高校生の頃から服や化粧品を買うことができていれば、大学生大人になった今もう少し身嗜みに苦労することはなかったと思う。
ここで言いたいのは、分不相応という言葉も子供の頃なら悪いことではなく、大人になろうと背伸びをして初めて背が伸びていくのである、ということだ。
もし将来自分が結婚できて子供が産まれ、お祝い事でお金をもらった時には一緒にお金の使い方を考えたい。
まぁ自分が無理でも兄は恋人もいるしそのうち結婚して子供できると思うのでその時は甥っ子姪っ子に良い経験をさせてやりたいものだ。