はてなキーワード: 公言とは
なぜなのか?
嫌な奴は嫌
それで何がいけないの?
趣味に関して
「偏見はよくない」やら「人それぞれ」とか濁す奴
「気にしない」とか「興味ない」とかいう奴
酷いように言う。例えばアニメだのニコニコ動画だの、ボカロなど。
良い年してみっともないらしい。
そういう下で育ってきたために
人に公言しても恥ずかしくない趣味をしてる人だけを認めるようになってしまった。
今、大学生だけれど関わる人ほとんどが迎合主義で寛大ですごいと思う。
今の環境はなんだか不気味なんだ。
追記:なんだか自分がつまらない人間なんじゃないかと思う反面、やっぱり
個人的に「おいおいそんな趣味、声を大にして公言するなよ、何を勘違いしてるんだ?」
と思わせるような人間は、悪いけれど気持ち悪いと思ってしまうんだよな。
上司が帰るまで誰も彼も帰る気配がないから私も帰れない、という愚痴を多方面でよく目にしますが
これは暗黙の了解なんでしょうか?
モラルとして残業のない会社が残業が毎日何時間もあってそれを当人に強制するというのは如何なものです。
たとえばこんな実例があります。
某有名ファーストフード店ではノー残業デーをここ最近謳いはじめましたが、実際には残業があり言葉自体有名無実といわれています。
また、ある大手シンクタンクでも残業なしと謡っておきながら、実際にはサービス残業が課されており、水曜日がノー残業デーと言われていますが、
実際には会社を締める時間を過ぎても会社には明りが点々とある状況です。
この中でノー残業デーという言葉が出てきましたが、平たくいうと、その日だけ残業とみなされないという意味です。すなわち残業代が出ない日、それがノー残業デーの実態です。
これはどういうことでしょうか。
サービス残業がさも当たり前のようになされています。ノー残業デーは=サービス残業デーとも言い換えられます。
誰が誰に対してのサービスなのか、その辺りが会社として不透明な点は多いです。
残業がないと世間では謳ってるのに実態は残業があり、しかもその残業時間は給与に加算されていません。
ですが、何故言い出せないのでしょうか。クビが怖いから?上司に睨まれて左遷?
労働監督署に通報されないのでしょうか。もしかしたら報告して動いてくれたが会社が有耶無耶にした?それとも監督署が動かない?
様々な問題を含むこの「サービス残業」は無くす事が不可能なのでしょうか。
そもそも何故サービス残業が当たり前のようになされているのか、そこが疑問でなりません。
ある日、ぼくが行きつけのバーに足を踏み入れると、こんな会話がなされていた。
「わたしって○○が好きなんだよね」
「ああ、××ってやつですね」
「おー、わかっているじゃん!(握手を求める)」
バーのカウンターには5、6人の客がいたと思う。その店は小さくてカウンターしかなく、みんなで話題を共有するところだった。それにも関わらず、二人は二人だけに通じる言葉で盛り上がっていたのだ。
池下チエの元カレである田無タクミに、新しい彼女ができた。チエはその手助けをしてくれたため、タクミはお礼がしたいと食事に誘い、タクミの彼女とチエの彼氏の西尾みのるも含めて4人でご飯を食べることになる。
みのるとタクミは初対面。なおかつチエと肉体関係がある同士ということで微妙な間柄なのだが、会話をしていくうちにお互い百人一首が好きだということがわかってくる。そして、二人で相手が口にした上の句を聞いて、下の句が当てられるかというゲームをしだすのだ。
チエは百人一首がわからない。そのうえ、タクミの新しい彼女まで、このゲームに参加しだしてしまう。
一人取り残されたチエは……怒って部屋を出ていってしまうのだ。
『婚前特急』と冒頭のバーの会話に共通しているのは、「限られた人間で知識の確認をしあう」というのと、それによって「阻害」が生まれているということだ。
ぼくはこの手の会話は世界で一番醜いと思っているし、参加しないようにしている。なんの発展性もなく、周囲を排除するような排外的な会話になんか加わりたくない。
そうして、ぼくはバーで一言も口を開かず、朝までずっといた。
こうした会話はサブカル好きのあいだで頻繁に行われている。彼らの会話は本当に幼稚で、頭がくらくらしてくる。ずっと「知識の確認」に終始しているのだ。
A「○○って知ってる?」
B「知ってるよ」
A「すごい! ××は?」
B「知ってるよ」
A「すごい!」
そんな会話を横で聴きながら、ぼくはどうやったら世界が平和になるかについて考えていた。結論だけ言えば、サブカル好きを文化シーンから早急に退場させるしかない。
2010年に芥川賞を受賞した小説『苦役列車』はこんな話だった。
中卒で家を飛び出し、日雇いの肉体労働で生計を立てている貫多には、長らく同年代の友人がいなかった。稼いだお金もソープで使い潰すような毎日を送っていた貫多だったが、仕事現場に専門学校生の日下部が働きに来るようになる。二人は年齢が近いこともあり、現場終わりに飲みに行くような仲になっていくのである。
貫多にとっては久々にできた友人だったが、二人の関係は突然終わってしまう。日下部が貫多との飲みに女友達を連れてきたのが原因だ。
二人は貫多を置いてきぼりにし、二人だけで趣味の話題に盛り上がってしまう。
一人取り残された貫多は……怒って店を出ていってしまうのだ。
サブカルの醜さを浮き彫りにしたこの小説は、見事日本文学のトップの称号を得た。なんていったって石原慎太郎が認めたのだ。
サブカルとは要するに安易な優越感を売る「ファストフード」でしかない。
町山智浩や吉田豪、菊地成孔などをフォローし、発言を真似すれば、自分も「わかっている」側にいられると考える浅ましさ。実際は、自分で何の価値判断もせずに、彼らの美学にフリーライド(タダ乗り)しているに過ぎない。ファストフードを貪り食い、自分は「グルメ」なんだとドヤ顔をしている。結局は、他人の真似事でしかないのに。
たまに「大槻ケンヂが好き」と公言するアイドルが出てきたりして、何がメインなのかさっぱりわからない中途半端な雑誌で対談したりしている。そんな人間ははっきり言って「信用できない」。
なぜなら「オーケン」が取り上げられるのが、必ず「主流とはちょっとズレたものが好きな私」という文脈だからだ。
大槻ケンヂなんて、メジャー中のメジャーだ。「サブカル」でのなかで一番目立つものを手にとっておきながら、「一般的な女の子とはちょっと違ってマイナーな趣味嗜好を持つ私」というブランディングを展開している。
安易そのものじゃないか。本当に自分だけの美学を持っていて、それに合致するマイナーなものが好きなんだったら、大槻ケンヂなんか手に取るはずがない。ネットの片隅にしかないような、誰に言ってもわからないものを偏愛しているはずだ。
「大槻ケンヂ」に手を出す時点で、安易なエゴイズムが芽を出している。
雑誌『TokyoGraffiti』を開いてごらんよ。「消費」を、あたかも「経験値アップ」だと思っている連中が大集合している。彼らはサブカル文化人やサブカル雑誌が誉めそやしたものをコレクションすれば、自分の「レベル」(「ステージ」と言い換えてもいい)が上がっていくと思っている。
ドラゴンクエスト6には「かっこよさ」というパラメータがあったが、すぐに次作で消えている。堀井雄二はわかったんだ。「センス」だとか「オシャレさ」だとかいうのは、決して数値化できないし、競うことでもないってことを。
「美学」っていうのは外にあるものじゃない。自分の内側にしかないのだ。ぼくらはそれを孤独と向き合いながら、井戸を掘るようにして、少しずつ深めていくしかない。美学っていうのは他人の真似事で生まれるようなものじゃない。
他人の美学に安易に乗っかって、得意顔をするのは、結局のところ、滑稽でしかない。
じゃあ、この現状を打破するにはどうすればいいのだろうか?
彼らに間違いを気づかせ、正しい道(自分だけの美学を磨く旅)に向かわせるにはどうしたらいいだろう?
ぼくは『小説の読み方の教科書』(岩崎夏海)を読むことでしか解決できないと思っている。
この本は「本当の読書」とは何かを教えてくれる。ぼくらはあまりにも汚染されてしまった。誰よりも詳しくなきゃいけないだとか、センスが重要なんだとか、これを理解できるのは頭がいいからなんだろう、とか。
岩崎夏海はそんな現状を正しく認識し、解毒剤を処方してくれる。
誰かを仮想敵とするような読書はやめなさい、と。「本を読む」っていうのは孤独な作業であり、作者の「問い」と「自己」を真摯に向き合わせることなんだ、と。
これはすべての消費行為に言えることだと思う。「誰かに勝つための消費」をサブカルはしてしまっている。
そして、それはすべて他人の価値観に基づいているのだから、始末におえない。「あの人が褒めていたから、これを見れば周りに勝てる」って具合にね。
誰かの価値観に依存して、他者を阻害して、そうやって得意顔になっているエゴイストたち。
こんな人間が蔓延っているようでは、日本の文化は早晩終わってしまうだろう。そうなる前に、彼らの目を覚ましてあげなきゃいけない。ぼくはそのために生きるよ。
それぞれが、それぞれの美学を成長させ、それに乗っ取って生きていけば、ぼくは世界がもっと楽しくなるに違いないと、信じている。中沢健の美しさを、ぼくらは見習わなきゃいけない。
人類の歴史を紐解けばわかるように、自分だけの美学を磨いた人間だけが、世界を驚かし、未来に名を残すことができるんだ。
そう、紀里谷和明のようにね。
とあるジャーナリストがこれまでの言動を【重要なおしらせ】と称した一つのHTMLファイルで覆してドヤ顔するという前代未聞の出来事が起った。
その辺のオッサンではない。言論で飯を食っているジャーナリストだ。
言葉を切り売りして生きているはずの人間にとって、言論とは命そのものではないのか。
それをたったの数行の【おしらせ】でひっくり返して涼しい顔をしていやがる。
悪質な言論をまき散らし、それでいながら着々と信奉者を増やし続ける男、上杉隆。
こんなフリージャーナリスト一人ですら潰せない日本のネット民は甘過ぎる。
日本のネット民はいつだってそうだ。飲酒運転を公言した大学生を祭り上げて潰して悦に浸るのが関の山。
そんなガキどうだっていいだろ。もっと攻撃するべき対象があるはずだ。
こいつらは今日もノホホンと生きてる。涼しい顔して今日も同じ日本人の足を引っ張りやがる。
オレの 10 万円が、20 年掛けて溶けていくのをただ見届けるしかない件
http://anond.hatelabo.jp/20121011192712
http://anond.hatelabo.jp/20121012173415
今回のエントリは注意喚起が目的でしたが、これを公言するのはある意味「バカがここにいます」って自分で言うのと同じなので増田さんにお願いしました。
言いたいことは「追記 (http://anond.hatelabo.jp/20121012173415) 」で書いたのですが、せっかくたいへん大きな反響があったので、ブコメ&ツイートなどからめぼしいものをピックアップしてここに書き出してみます。
ポスト前はこの手のコメントが多数かもって思ったんですが意外と、少なかったです。全体の1割もない。エントリ主旨の誤読が最低限で済んだということで安心しました。それとこの手のコメントをされた方に一応申し上げておきますが、あなたのようなタイプがいちばん危険ですのでご用心ください。
数名見つかります。問題を知覚できていないヒトやこれから調べるっていうヒト、更に予備軍まで含めたら、これから何桁の額が金融モンスターの唾液に溶かされていくのか…想像もできません。
http://401k.sblo.jp/article/59104503.html
http://fiftyplus.jp/dc_for_non_investors/
…などが見当たります。非常にありがたいポストです。今後の展望を具体的に解説されている点では銀行(あ、「ファイナンシャルプランナー」か。)さんより丁寧ですね。しかし残念なことに、一般人の金融リテラシーではこれを読み解くだけで一苦労。勝手を承知であえて申し上げますが「で、どうすりゃいいの」っていうのが一般人の正直な感想じゃないだろうか。本当に申し訳ない。ボクは勉強好きですが、この失敗を取り返すためだけの勉強をするのにどれだけのコストがかかるんだい、っていうツッコミをせざるを得ないのが実際問題です。
金融商品が賢者の知恵の賜物であり、有力な武器になることは知っています。一方で確定拠出年金に限らず金融トラブルというのが日常茶飯事なのも知っています。だから、スキルもリテラシもないボクは関わらないようにしています(いました)。今回の件でボクが訴えたいのは、id:hima-ari さんなどもおっしゃっているように会社の半強制によって、個人の金融スキルや主義と関係なく加入させられていて、多くの方がリスクに気付かないまま巻き添えを喰らっていることです。こういうことを、大手銀が素人相手に初めていることです。
id:festerfester さんは「弱肉強食」という言葉を使われています。意外に思われるかも知れませんがボクは「弱肉強食」、結構なことだと思っています。しかし「バカは損をする」と「弱肉強食」はまったくの別物ですね。それに、バカはどちらなんでしょうか。タマゴを食べてしまったら、将来タマゴを産むヒナは孵らないのですよ。銀行の営業マンたちは、それを分かっていない気がします。ボクの目には、狩り場を失ったハイエナたちが島国の中で共食いを初めているように映るのです。怖いです。
とにかくリテラシのない人間を確実に相手にしているんだから、サポートを怠らないで欲しい。サポートをしてもらえるのなら、手数料を上乗せしてでも払ってやろうじゃないか。
そーなんですよねー。
まぁ、中小企業だと「いやー、純粋に能力だけで選んだ結果男性オンリーです!」
ってのが意外と通っちゃう結果が、現在の男女の雇用差なんだろうけど。大手さんはムリだろうねぇ。
反社会的と言われない程度に男性中心の採用とする。女性はあくまで社会的ポーズで雇う男性社員の付け合せ。
そうなるわけです。公言はしないけど、そうなるわけです。どうしても、そうなるわけです。
「子作りします」宣言してくれるか、妊娠初期に教えてくれればまた別なんだけど。
というわけで、やっぱり責任ある仕事をバリバリやりながら子育ては
余程の大企業じゃない限りムリだと思います。粛々と、諦めましょう。
「粛々と対処」。仰る通りです。
あーでも、妊娠かくして必死で働いた結果流産とかそれはそれで会社のダメージでかいし
結局、人命より大事なものは無いわけで。会社の迷惑なんて一切顧みず
曲解してると思いたいんだろうけど、それはあなたが曲解していると思いたいだけ。
みっともよくない体型になるのは事実
という言葉が『『余計』』。自画自賛は良くない。
こういう時は、自分がトレーニングしていないなら、トレーニングしないとみっともないよね。というのはありだが。
トレーニングしている奴が、トレーニングしていない奴に、トレーニングしないとみっともない。というのは 自画自賛だからありえない。
逆説的にトレーニングしている自分の体=みっともなくない と主張しているが、それはダサイ。
相手を下にしないと自分が上になれないという話し方はきいていて『みっともない』
おれはトレーニングしていますから、体はみっともなくありません。キリッと 逆説的に公言している奴がいたら、そら、トレーニングしている奴が注意するだろ普通。
リア充とコミュ障についての一般的理解についてはすでに得られているものと仮定する。ところでこれは世界一般の傾向とは言いがたい。コミュニケーション力のあるなしは、たしかに社会での成功につながったり、リーダーとして選ばれる資格ではあったりするものの、社会全体を二つに分けたりはしない。同じ趣味を共有する者たちは、リア充であろうとコミュ障であろうと仲良くする。同じようにリア充であっても価値観、例えば政治信条が違うなどすれば必ずしも仲良く話したりはしない。これは西洋社会のことを説明したのだが、アジアや中東やアフリカがそれぞれ違うかもしれないが、いずれにせよ世界で一般的な社会構造とはいえない。
日本での特徴は、コミュニケーション力が高く集団のリーダーになりうる人間に、その他大勢のある程度コミュニケーション力ある人間がコバンザメのように付着し、そしてその外的構造であるコミュニケーション力がかなり低い人間を自分たちの場にいれないように蹴落とそうとするところにあると考える。ある種のコミュ力の低い人間、たとえば極めて知能の高い人間や有名スポーツ選手などはリア充集団に歓迎して迎えられるが、それはリア充集団が彼をどう捉えるかによって決定されている。つまり、社会構造の決定因子はリア充クラスタの集団意思に拠っている。
ここでアニメ・ゲームをはじめとするオタク文化を考察すると、ここは実のところ必ずしもコミュ障 ∋ アニメオタクという符号が成立しないことには、この分野に詳しい諸家はすでにお気づきのことと思う。大方コミュ障はアニメ好きを許容し、リア充はアニメを毛嫌いするような一般的合意があるように思われるものの、その結果としてリア充クラスタにおける「アニメ好き」趣向は、まるで韓国における「親日」と同じレベルのタブー、クラスタからの脱落を意味しかねない極度にセンシティブな因子なのである。かくしてリア充構成員はたとえアニメ好きであったとしてもそれを隠蔽する傾向にあると推察される。一見すると強力に両クラスタ間を分別する因子がオタク文化のように感じられるかもしれないが、実のところ本質的な差異である「コミュニケーション力(あるいは空気を読む力)」に比較するとオタク文化の識別能力はさほど高くない可能性がある。リア充クラスタにおいて本来オタク文化を好む傾向を持つものは、宮崎アニメ好きやゲーム好きなどという仮の衣をまとっていたりすることがあろう。
ここでコミュニケーション力の高い人間の中でもリア充クラスタを引っ張るほどに実力の高いものには、上記のタブー要因が作用しないことにも注意したい。かくしてリア充リーダークラスに認められたオタク文化、例えばゲームであるとか、エヴァンゲリオンなどと言ったものは、一時的ではあってもリア充クラスタに受けいられることはある。しかしその発言権を有するのはリーダークラスだけであって、構成員はたとえエヴァンゲリオンが面白いと感じてもそれを口にだすべきではないわけだ。
もしこれを読むリア充構成員が、そんなことはなくて本質的にアニメなどくだらなくて毛嫌いすべきもの、自分はどこまで言ってもあんなものを理解することはない、と思うとしたらそれは知性のなさを吐露するものと捉えられよう。どんな文化にもその文化の理解と経験からなる文脈的解釈があって、たとえば夏目漱石を読みたいたいならその背景のあの時代の日本の小説文化をわかっていないと凄みがないし、ゴダールを楽しみたいならヌーヴェルバーグについての一定の知識がないと到底わからないだろう。これらのマニアックな趣味ならばこの発言はすぐに受けいられるが、これはたとえばレディー・ガガだって、浜崎あゆみだって、「読モ」だって同じ事だ。「読モ」なんていうのはあからさまに文脈的文化であり、芸能界と大衆一般文化・特に女子高生文化との異常な接近を意味しているに過ぎず、これがたとえば欧米社会に言って受けいられるようなスター性がある人間たちだとは到底思えない。それはしかし逆も真であって、現在の欧米のセレブリティが普遍的価値を持っているわけでもない。さらに欧米であったって、日本のアイドル文化の文脈を理解した者たちは、熱烈にモーニング娘を支持したりする。結局のところ文脈だ。そしてその文脈を理解した時、アニメの面白さというものが血となり肉となって味わうことができるのであるが、アニメの文脈を捉えようとしたことのないリア充が「アニメなんて子供のものでつまらない」と言った時、文脈をきちんと理解した時彼が同じようにつまらないと思うかどうかはわからない。本当はそのアニメの強力な支持者になりうる資質をもっていたかもしれない。
ここでまず第一の議論に入ろう。先日、プリキュア好きのアホな若者が未成年者略取の事件を起こした際、プリキュアを見るような成人男性は幼い女の子を誘拐しかねないから監視すべきかという議論があった。ここで、金銭目的ではない幼女略取事件を起こすための決定要因はロリータ・コンプレックスの存在にあるとする。これはいいだろう。
おそらくコミュ障・ロリコンの人間はプリキュアを見ている。それは否定しがたい。相関も出るだろう。コミュ障でミリタリーが好きな人はエリア88を好むかもしれない、そういった趣味傾向の行先として当然の帰結であろう。しかし、リア充・ロリコンは、上記の社会的プレッシャーによりプリキュア好きを公言しないか、もしくは好まないもののそれは文脈理解の不足によるもので、コミュ障と同じだけのアニメ文化の洗礼を受けた上で見てみると、その人間の本質的な趣向はプリキュアを是とする可能性がある。プリキュア視聴という因子は、リア充でロリコンの人間を識別する能力を全く持たないと考えられる。
そこで、プリキュア視聴の幼女略取事件発生に関する精度が高いためには、コミュ障の条件付けでは相関があるものの、リア充の条件下では相関が出ないと思われることから、そもそも幼女略取を起こすのはコミュ障であってリア充は起こさないかもしくはとても可能性が低いという前提が必要だ。しかしこれは確認されていない思い込みである。過剰な前提である。コミュニケーション力の有無によって幼女性愛傾向が決まるというのは過剰な前提だ。そもそも幼女に話しかけてつれさってどこかで何かしようという行為はコミュニケーションによって成立しているように思われる。
であるから、現在の情報をもとにプリキュア視聴によって幼女略取を推定できると考えられるとは思われない。しかし研究対象としては興味深い。本当にコミュ障でプリキュアを見てという人がほとんど幼女略取事件を起こしているのか、それとも実はリア充で、社会的理由によりプリキュアを見ていない者が、ロリコンなので幼女略取事件を起こすのか。報道などを総合する限りは、野球選手で幼女にイタズラした事件なども含め、必ずしもコミュ障だけがこの手を事件を起こしているとは思われない。私の直感では、「プリキュア視聴」の識別能力はさして高くないものと思われる。私はここでことさらプリキュア好きな人を擁護したいのではなくて、我が子を守ろうという社会的行動にあってプリキュア好きを調査する行為はおそらく無意味であって、それよりももっと他の面を充実させることで犯罪抑制を図ってもらったほうがよいだろうという思いから述べたものである。
次に第二の議論に移りたい。
最初に述べたようにリア充クラスタにおいて、アニメ好きというのは集団からの集中攻撃を受け、個体として排除される可能性を生むほどの強烈なタブー因子である。それでは、人生のある時点においてコミュ障クラスタからリア充クラスタに移動した人間においてはどうであろうか。これは一般には「大学デビュー」などと称される現象として観察されている。
これは私の話である。高校時代はエヴァやガンダムW、3x3アイズやああっ女神さま、ロードス島戦記といったそんな世代だ。コミケは所要で行きそびれたが、今から考えると正解だったか。萌えとかいう言葉はなかった、と思う。大学に入った当初くらいはエスカフローネやウテナを見ようとしていた記憶もある。しかし内容については一切記憶が無い。私は結果として、アニメ好きを決して公言せず、周囲に同調して「この年齢でアニメ見るとかヤバい」「twitterのアニメアイコンキモい」とか言い始めるようなそんな人間になっていた。実際には周囲の人間は、「こいつちょっとオタクくさいよな」とは思っていたかもしれないが、リア充クラスタというものは、大学レベルで就職なども視野に入りポリティカリー・コレクトな発言を志すようになると、「僕はリア充クラスタに入信したいです!過去のことは水に流します」という気持ちでありさえすれば受け入れてくれるものである。そしてなれないおしゃれな服を買ったり、カラオケではやりの曲を歌ったりするのである。高校まではバカにしていたような、軽薄な恋歌を。そうやっていると、「彼女」が得られるのだ。現代日本社会において、古代ローマ帝国における「ローマ市民」を意味する社会階層に移ることができる。
ところで彼女を得たり、彼女を得るための努力をしたりしているうち、軽薄だと思っていた恋愛の歌が、実際に経験してみると自分の気持ちや彼女の気持ちをわりとうまく表現しているということに実感が至り、そうそう軽薄といってバカにすべきものでもないなとも思う。とはいえ思ったこと感じたことを書いただけで、より深い洞察はどこにもないが。ショッピングも、自分がその中で役割を演じる主体となってみると、無駄な時間と思っていたそれがわりと楽しいものと感じる。買ったものが無駄であることに変わりはないが。
結局のところ彼女に最高のプレゼントを購入し、サプライズ込みの記念日を演出する自分がいながら、その傍らでそれを冷めた目で見つめている自分がいる。オタクコミュニティの言説への親和性はその後もずっと高く、それになんとなく寄り添う気持ちは持ち続けている。
ところがだ。たとえばネットで、オタクへの攻撃的言説があったとしよう。両世界を知る人間としては私は言うが、そのほとんどは謂れ無き差別、思い込み、妄想のオンパレードで、リア充側に理があるといったことはほとんどない。実のところ私と同様に二つの世界を移った人間が、コミュ障的世界への決定的決別を宣言するがために、わざと理不尽な攻撃を繰り出しているのではないかと思えるほどである(そもそもネット系ツールで自分の主義主張をかましてしまうような人間が、オタク文化に一度も染まったことがない可能性はどれほどなんだろう。はてなならまずそれはないと言い切れるが、twitterなら真っ当な人間もいるのかもしれない)。ここでわたしは実名世界ならば「まあまあ」といったところでお茶を濁すところだ。一方匿名であれば、コミュ障側への深い理解と共感、リア充の身勝手さへの反感を述べるのである。それができるのがネット世界であった。わたしの年齢だと、大学くらいから徐々に浸透してきたものだ。
ところがそれに対する反応はどうか、「上から目線だ」「こいつオタク装ってオタクじゃねえ(やはり短期間でも離れると会話についていけなくなる世界だ)」「とにかくむかつく」というような、つまり、リア充がリア充そのものの発言をした時よりもよりいっそうの猛烈な反発をくらっちゃったのである。うん。くらっちゃった。僕はコミュ障のオタク達を助けたかっただけなのに・・・
ここでは韓国において、日本のリア充にあたるのが「反日」、コミュ障が「親日」と考えよう。親日っていうのがいるのかいないのかわからないと言われるかもしれないが、私は少なくともそれなりに知っている。しかし強烈なプレッシャーがあり口にだすことができないという。社会で生きていくのに困難さすらともなう、場合によっては転向を要求される、転向しさえすれば許される。これがコミュ障クラスタと似ていないと言えようか。一方、反日クラスタの中では、ちょっと過激すぎて理不尽とも思われるような反日的発言(日本の高校生のバットは圧縮バット、みたいな)が容易に許される、やや知的に劣等な面が見られる。そう、これがリア充クラスタだ。「親日」側は日本の「コミュ障」よりもはるかに強烈に弾圧され法律まで持ちだされて言論封殺されているような環境ではあるが、構造としては似ている。
そこで李大統領は、就任前の経緯や就任当初の発言を見るに基本的には「親日」側の人間であるように思える。韓国政界でもそのように攻撃されていた。であるが、そこは韓国だ。私が実は井上喜久子姉さん(17)が好きなんですーなんて口が裂けても言えないのと同様に、李大統領も本来の親日発言をすることはできないのだろう。した瞬間に引きずり降ろされる。しかしそれでもなんとかしてやりたい。僕はもうアニメ好きには(親日には)決別してしまったように社会的には行動していたとしても、自分は自分として評価されなくてもいい、ただし何か一つでもアニメ好きの人たちが嫌われない、少しでもよく思われるように、こちらがわ(反日側)の内部からそのクラスタを説得できるようなことができないものだろうか・・・
アニメが危険なものだなんて証拠はないって言わなければ(過去の記憶だけにとらわれず前向きに行こう)、でも僕自身はアニメ好きなわけじゃないって付け加えないとねリア充の人たちから疑われるし(従軍慰安婦への謝罪が不十分だ)、あとアニメ好き側の人も振る舞い方を少し気をつけたほうがいいよねって書こう(天皇陛下に来てもらって謝罪をするなど大胆な行動が必要だ)、そうするとリア充側も納得するだろうし・・・
で、もちろんリア充の方に向けて発言してるわけだから、自分はアニメを支持するわけではないっていうニュアンスをちゃんとただよわせなきゃ(来たいなら来ればよい)、そうしないとむしろ自分が攻撃されてしまうしね・・・
それで猛烈な反発を食らってしまった。ほんとは僕はあなた方のために行動したかったのに・・・(日韓関係の専門家を集めて、真意が伝わっていないと不満をもらす)
どうだ、見事にハマっているわけではないか。李大統領はかつてオタク文化にハマったコミュ障住人で、ある時点でリア充クラスタに移ったのだがあの時のオタク文化に恩を返したい、そんな義理堅いやつなんだ。だけどそんなことしてオタク側から猛烈に反発くらっちゃったわけなんだな。
という壮大な妄言はここで終わりです。
マスコミがSNSをはやし立て引き立てるものだから多少SNSで有名になった者が世の中を動かしている気取りで天狗になっているようですね。
言えてる言えてる。「私のフォロワーは3万です」とか。はあそうなんですかと。
そして悲しい事にこの狭苦しいはてな村にも我が物顔で闊歩するマフィアグループが存在します。
はてなコミュニティの絶対的な方向性を指し示した最大勢力を誇るマフィア
他の一派に対しても大きな影響力を持っている
--蝦夷家 ekken
大きく分けるとポジティブシンキング志向のキラキラ本家と、説教大好きネチネチ家に分けられる
--ネチネチ家 Holygrail ono_matope等
人の道を踏み外してしまった落伍者が集うファミリー ロリ・精神病であることを憚らず公言する傾向にある
あまりの過激っぷりにはてな村においても居場所が無くなり衰退気味
--本家 y_arim hashigotan等
必要無い。
よほど酷い歯並びならともかく。
カラコンとか怖がられるって。瞳孔大きくする奴もホラーだったよね。
・ツヤツヤの黒髪し、前髪は下ろす。茶髪は論外。
化粧の構造とかあんま気付かないと思うよそもそも
関係ない
聞いたことが無い
・外食自慢をしない。
これは当たってそうだがオタクは関係ない(オタク以外の男でもボルゾイとか飼ってる相手には引くと思うぞ)
現代はオタクはサブカルを、サブカルはオタクを、互いに嫌っている。
正しい
ただ「ひいきの野球チーム」は逆に今ありかも。
女で野球をちゃんとわかってると一目置かれるというか
会話の糸口が増えて結果としてかなりモテると思う。オタクと関係なく。
よほど普段のキャラが絶妙でない限りキモがられるか内心で馬鹿にされるぞ
イベントに足繁く出かけてアイドルを支えられる、アニメ鑑賞や読書はあんまりしない前者。
インドアでコンテンツの消費・コンテンツの「勉強」が好きな後者。
前者は容姿に致命的な欠陥がある以外元々興味や志向は”リア充”サイドであって、
これさえやれば人気出るのに出来無い奴が多い
1 :名無しさん@実況は禁止です:2012/08/26(日) 13:13:26.06 ID:L2mZGlSS0
・ツヤツヤの黒髪し、前髪は下ろす。茶髪は論外。
・メイクはファンデーションとチークとマスカラだけにする(スッピンと勘違いする)
・上品な言葉遣いにする。敬語を使うようにする。「ウチら」はダメ。
・「オタクの人は頭がよさそうだし優しそう」とイメージでおだてる
・料理上手をアピールする、もしくは料理下手をアピールする。中途半端は×。
・外食自慢をしない。
・高そうなペットは飼わない。雑種ならよし。拾ってきたならなお良し。
・韓国好きは死んでもアピールしない(韓国料理屋へ行ったことも隠す)。政治、宗教の話題は絶対NG。
・たまに谷間写真やキュウリを食べる写真などで釣る(毎日は×)
・安物の服やバッグを身につけて(あえてダサくするくらいで良い)、お高くとまった女ではなく気安い女であることをアピール
・タクシーに乗ってることは隠す。電車を利用してることを公言する。
・ブログ、ぐぐたす、モバメはこれでもかというほどマメにする。
・地鶏の角度に変化をつけ、ブログの画像はなるべく高解像度にし、加工しない。
・家族のことに触れる。特に異性の家族(父、兄、弟)ならなお良し。
・リア充っぽい雰囲気が出るから、あまり女友達とつるまない。ぼっちアピールをする。
・握手会に命をかける。
最後の項目から分かる通り、もとはAKBのメンバーの話なんだけど、これがオタクとか非モテが求めるステレオタイプな女の子なのかなと思った。
名義貸しなだけじゃないの?もしくは履歴残してるだけとか。
証拠で動画が流れてるけど、「http://www.nicovideo.jp/watch/sm18313604」
これにしたって柏木っていう創価の代表選手が個人撮影してたってだけだし証拠能力ゼロだよ
創価が撮影したら撮影対象も創価って発想が愚直というか何というか。
よく芸能人でつベ辺りに投稿されてる創価学会員名簿とかいう動画がこういった記事の証拠で取り上げられてるけど、全く関わってない人も普通に出てるよね。
例えば、ガチガチの左巻きで有名な愛川欽也とか。キムタクも親と嫁が創価ってだけだし本人が学会に参加したって公式の動画があれば別だけど。
創価の嫁がいる、太陽にほえろやブラックレインで知られる松田優作は共産党系だし、高橋ジョージもロードが売れた事への恩義で熱心なだけで鳥居潜ってるし創価の意義とか知らんでしょ。名義貸してるだけっぽいわ。
話を戻すけど、創価系って言われてるのって案外事実誤認だったりするんじゃないかと。香川は祖母が熱心な学会信者ってだけだし公式に香川が創価公言してるならともかく第三者の眉唾、信頼性に欠ける個人動画や潮とかいう創価機関紙で特集されてたからといって創価学会員かどうかはまた別の話でしょ。大体親が未活動って事は少なくとも祖母の活動には異議を唱えてた可能性の方が高い。となると反創価か脱会していないだけとかその程度の事じゃないかと俺には見えてしまう。
昨夜の飲み会で、黒髪美脚美人さん(仮にAさんとします)から表題の台詞を言われました。
昨夜の飲み会ではAさんは超ミニスカートで来ていたので、自分は「Aさん脚綺麗ですねー」と言っていた訳です。この台詞自体は割と頻繁に言っているものです。
すると、「脚触っていいのよ」と言われた次第。
理由を尋ねると「○○さん(自分)に一線を越えるキッカケを作れたら」とのこと(私は日頃から非モテ・彼女いない歴=年齢・童貞を公言しています)。
その場にはAさんの彼氏も居り、彼も「さわってみようよ」と言います。
ちなみにその場に居た他の男性が「触って良い?」と尋ねると「ダメ」とのことで、自分だけ特別に許可が出ている状態です。
当事者達は「触っていいよ」と言っていますし、周囲も背中を押す状況であるのですが、なんか色々と考えてしまいます。
彼氏も私の友人ですし、彼の存在は問題ではありません。むしろこの場で目の前にいることは望ましい。
Aさんはとても雰囲気の良い黒髪美人さんで、とても好みのタイプ。
敢えてそのようなことを言うということは、その点では少なくとも自分のことを嫌いではない、触られても構わないと思っているのでしょう。
飲み会で周りに居た友人達は気心が知れた仲間であり、彼らに見られて恥ずかしいとかそいうのも無いです。
人間関係的な条件は、問題無いでしょう。
結論から言えば、触れませんでした。
自分は女性をどこかしら神聖視しているところもあり、自分のような汚らわしい者が触ることで汚れるのではないかとも考えてしまうような気もします。
でも、Aさんも彼氏が居る訳で、その意味では既に汚れている(汚されている)と言えます。
相手を汚したくないとかではなくて、実は自分が可愛くて、自分自身が汚れたくない、ということなのかもしれません。
そういう発言に引いたというのは無いつもりです。むしろ、そう言って貰って嬉しかった。それも自分だけ特別というのは嬉しかった。自分のために、そうやって脚を出してくれたのは凄く嬉しかった。
それに対してはしたないとか貞淑さが足りないとか言うつもりは無いです。
あるいは、じらすことで何かをしたかったのかもしれません。
要するに「据え膳に箸を付けなかった」訳ですが、彼女にどう思われたか、わざわざそのようなことを言ってくれた彼女に対して失礼ではなかったかというのは後からもやもやと考えてしまいます。
私の説明に異議があったならその時にその文を引用して具体的に「ここに異議アリ!」とやってください。
後からなんとなく「出来てない」と言われてもどこに不満があったのかがわかりません。
これまでこうやって部分に対して「いやそれこういうことだよね」って言ってきたやり取り全部が「異議」なんですけど。
例えば私モテが自己中心的だしそれがキモイと指摘すると「自己中心的でキモイと思うのはあなたの価値観」「意味が分からない」「他作品もそう」とか言って、「私モテの自己中心的と言われる要因」についての指摘は何ら覆せてないでしょ?
っていうかむしろ認めてるしね、オタクがモテない女子高生かぶってるしそれは奇形的だって。
今のあなたの主張っていうのは要約すると「オタクがモテない女かぶってモエててわりーか!かわいいんだからモエるんだから売れるんだからいいだろうが!叩くな!!1!叩きは全部感情論で意味がない!!1!!」ってことでしょ。
そんなの叩かれるのはしょうがないじゃん。異様だし身勝手だし自己中なんだから。自分の欲望に都合良いようにしか考えてないんだから。
「勝手なこと」っていうのは批判されちゃうものなんだよ。真に受けたくないならスルーすればいいのに。
代表的なところで
1部、5部、3部(5部)、2部
登場キャラは「英国紳士」や「イタリアンマフィア」の皮をかぶっていますが彼等のスタイルや思考回路や好悪の感覚、正義、怒り…は本物の英国紳士やマフィアのものではなく荒木飛呂彦や私達でも理解や共感が出来るものになっています。
意味不明。挙げられた部のどのキャラが「皮被った日本人」なの?
「本物の英国紳士やマフィアのもの」じゃないって、読者が理解・共感できるから本物じゃないっていう理屈なの?その「本物」って何?
「異様」という新フレーズが出てきましたが、これまでの類語です。
「気持ち悪い」「ちゃんとしてない」「まともでない」「真っ当でない」「超勝手」 +「異様」。
これらはあなたの感覚と違うということしか説明しない単語で、『私モテ』があなたの感覚に合わないことはもうわかっていることです。
不当で不誠実。不正確。かつそれに意図的に目をつぶろうとするのが身勝手であり超勝手。自己中心的。
ほら、また話を変えようとしてる。よく読んで。
元の文章って「オタ向け作品が叩かれるのは何故か」っていうことに関してのわたしのいち意見であってわたしが気に入る気に入らないの表明じゃないから。
荒木飛呂彦の思考回路や拘りをそれらのプロフィールや状況に当てはめているわけです。
あれは要するに…「荒木飛呂彦が独身の殺人鬼ならどういうポリシーを持ちどう行動するか」というエミュレーションです。
『私モテ』作者は智子について自分の思考回路や思い出(主に駄目なもの)を女子高生というプロフィールや状況に当てはめているわけです。
違うでしょwジョジョのやってることはエミュレートというよりシミュレート。
リアリティを重視すると公言する岸辺露伴をきちんと描写するためには、想像力が大事と考える荒木飛呂彦個人のこだわりは差し置いて「岸辺露伴ならどうするか」を考えなきゃダメじゃん。
荒木飛呂彦が独身で人殺したくなったとしても吉良吉影の三位重視のポリシーとか他人の手首へのフェティシズムとかとは別の動機別のスタイルになって当然でしょ?
岸辺露伴も吉良吉影も、架空性の問題以前に作者とは別だからだよ。
私モテの「作者の高校時代を女子高生でやってます」という話とは全然別次元でしょ。出発点からして違うし。
それにジョジョに「こんな人いるいる!」感がないっていうのは私モテに「こんなモテない女子高生いるいる!」ってのがあり得ないのと同じですから。
どうでもいいですが、私は『私モテ』が好きだなんて言った覚えは一度もありません…。
でももこっちには萌えてるんだよねw「かわいい」とか言ってたみたいだけど、かわいくはないよ。かわいくはないよ。
作者もかわいくなく描いたって言ってるらしいし。
>「描けば良いのに」「不誠実」「超いい加減」。
これまでもそうだったけどすごく簡単な日本語しか使ってないので、「意味が分からない」は今後スルーしますね。
「これこれこういうことだと理解してるけど、違いますか」くらいには自分の理解レベルを示してから言って下さい。
それを持ち出すぐらいならまずジョリーンや他の女囚が別に女性的でもないことを持ち出します。
あなたの論理を六部に当てはめれば「主人公が女でなければ描けない、女でなければリアリティが出ない説得力を持たせられないものを描くために主人公を女にするならまだ意味があるけど、
『ストーンオーシャン』はそうじゃないじゃん。」
むしろ「すごく良く女を描いてる」と言ってる評もあるんだけど。
http://blogos.com/article/20426/
作者本人の見解としてはhttp://proudyblood.nobody.jp/wryyyyyyy6.htmlの冒頭、作者コメントの引用かな。
ちゃんと「これを表現するためには女でなければならない」というポリシーで描いてるわけ。
絶対「そのギャップが面白いと思った」というあたりで私モテと同一だとかいって揚げ足取ってくるだろうと思うので先に潰しておくけど、女ではハードルが高い困難を超えさせるということが物語を盛り上げる上で「面白い」という意味であって、男がやるより女がやったほうが見苦しくないとかカワイイとか萌えるとかいう面白さは全然追求してないから。ジョジョにはそういうごまかしは見られない。
残念ながら。
あなたがすごく気持ち悪いと感じていることはよくよくわかりましたが
それでもわからないとしたら、たぶんあなたがそれを「欠陥」と認識できないということなのでもう私にはどうしようもないかな。
かなり長くやりとりをしてきたのに
っていうことにしておいて下さい。
1行目と2行目が繋がらないと思います。
例えば「作品」のかわりに「社会」であれば1行目と2行目は完全に繋がりますし、
そのような社会は間違いなく不当です。
が、「作品」と言い出したら、そんなもん、購読者の絞り込みでしかないと思いますが…。
「全てが喪男を喜ばせる方向に動いてる作品」は喪男以外の人が期待読者層から排除されているかもしれませんが、
排除された人達にはそんな喪男向けコンテンツなんか以外の無数のコンテンツが用意されています。
ないがしろにはされていません。
「ないがしろにする」の意味はその後のやりとりで出ているのでよく読んでね。
そのとおりで不当だし不快を感じる人がいても当然でしょ。あなたはそう感じない?
レディスデーのときにデートで映画入ろうとする女がいたら男はイラッとする可能性あるじゃん。
CamCamは基本ファッション雑誌なのですべて女性向けで不当っていう感じでもないけどananとかは特に女から見ても「うわあ…」って紙面のときあるよ。
仮に客側読者側である女が「それは商業的に向こうがそうやってるんだから仕方ないじゃん」と言ったとしたら、「そうだけどだから?文句出るのは当然じゃん?むしろ何で擁護みたいな感じになってんの、自分が利益得られるから?」って言い返されるのは全然おかしなことじゃないでしょ。理屈として間違ってない。
笑えることって楽しくない?w
「客観的にこの作品は批判されるべきである」といった主張をするなら論理性が足らない(というよりほとんど無い…)と感じます。
「客観的」というのは「あなたの感性にも合致するかたちで」ってことじゃないんですけど。
むしろ論理性が足らないと「感じます」って、あなたの主観でしょそれ。
感じることは人それぞれだからそう感じたこと自体は責めないけど(あなたを見習ってw)、それは私の意見に論理性がないということは意味しないから。
せめて間主観くらいには自分の枠から出てきてから言って欲しいな。
「非難されるべき理由や要素」というのは残念ながら一つもわかりません。
ほらこれも、「わかりません」。「ありません」じゃなくて。
「挙げられたこれとこれとこの指摘は作品に関する事実と相違しています、つまり誤解です、誤解なのでその非難は的外れです」とかじゃない。
あなたがわからないだけなんだよ。あなたの主観において受け入れがたいだけ。
あっごめんねwだって反応のパターンがすごいよく似てると思ってさ。
本当に冷静な人間はw文字一つとっていちいち攻撃だとか感情的になってるとかあげつらわないもん。そこ本題じゃないんだし。
取り乱してもいいんだよ?それだけ傷ついてるってことなんだから。
だからネットで産み育てられてきた「喪女」っていう言葉のバリューについて
同一性が歪められたっていう訴えならわかるんだけどさ。
(って、何度も何度も何度も何度も何度も何度も書いてるよね?ね?)
つまり容姿とコミュニケーション能力が不自由で苦しんでる現実の女性達が
「私が好意を持たれてる」とか
「私が言い寄られる」とか
「私が消費されている」とか
言い出すのは
>読者もそのように指摘してること、
>何度も何度も書いてるのに読めないふりしないでよ。
だから”「喪女」という言葉”の権利侵害についてならその通りだってずーっと言ってるじゃん!
それとは別の、
あなたが主張し続けてる
ということについて根拠を書いて下さい。