はてなキーワード: あの日とは
このニュースに関して
『京急運転士、保安装置に細工 「非常ブレーキかからないように」』
https://digital.asahi.com/articles/ASS4N4H4NS4NULOB00KM.html
『地元民だが、京急のブレーキ細工のニュースなんかおかしくない? 』
https://anond.hatelabo.jp/20240421174815
この細工をしたという保安装置はデッドマンと呼ばれる装置で、普段乗車中の急ブレーキとはちょっと違う。
デッドマンというのは、鉄道みたいに操作をしなくても勝手に進んでしまうような機械、特に無操作時間が長い機械に付ける装置で、その名の通り、操作者が死んだ場合に止める為のものだ。
んで、このデッドマン装置、運転者が死んだり居眠りしてない事を検出するための仕組みに二通りがある。
ブザーが鳴って1~2秒以内に確認ボタンを押さないと非常ブレーキがかかる。採用してるのは国鉄、JRなど。
放してしまうと非常ブレーキが掛かる。気絶したり居眠りしても足や指は掛かったままだが、指や足の力が抜ける。その時にはね戻されるくらいの力のバネを仕込んでおく。その為に結構身体的に負担が大きい(デスクワーク中に15kg程の重いペダルをずっと踏んでいないとパソコンがシャットダウンされると考えてみてくれ)。
身体の負担が大きいので細工してズルする者が後を絶たない。海外ではズルした状態で居眠りして大事故に至った例も。
今回の京急の場合は、操作レバーの裏に自転車のブレーキレバーみたいなのがある。これを駅に止まってる時以外ずっと握っていなければならない。
これをヘアゴムで縛って手を楽にしたというのが今回の事例。実際に運転士が気絶や居眠りした時にはブレーキが掛からないので危険というか、事故に至る可能性が高い。
静電容量を計測してブレーキに触っている事を検出する、というのが人には優しい設計だ。だが気絶や居眠りでも手は離れないので事故を防ぐ力が弱い。
身体負荷が高すぎてズルが横行すると意味がないし、そのせいで事故になる事もあり、例えばカナダの事故では重いペダル式を止めて定期的ブザー式にした方が良いとの事故調査結果が出ている(ヒントン列車衝突事故 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E5%88%97%E8%BB%8A%E8%A1%9D%E7%AA%81%E4%BA%8B%E6%95%85)
次に元増田が訴えている京急でガックンブレーキが多い理由だが、2019年の神奈川新町での踏切事故が原因だ。あの脱線して火まで出た大事故だ。
事故の主原因はトラックの立往生だが、業務上責任というのは相手方の責任が大きいから当方の責任が相殺されるってもんじゃない。で、この事故では京急と運転士にも責任があった。
踏切の手前には踏切がちゃんと作動している事を示す信号と、異常があった場合にそれを知らせる信号というのが設置されている。この設置場所は次の通りに決まっている。
路線ごとに最高速というのが決まっていて国交省に届け出されている。また場所ごとに制限速度がある。
この速度で走っていて、異常信号が発光しているのを見てブレーキを掛けたら止まれる距離に信号を付けることとなっている。
つまり、踏切の異常信号を見て非常ブレーキ掛けたら絶対に止まれるワケ。
でもこの異常信号機は歩行者の踏切突破でも作動する。踏切に赤外線のフォトトランジスタ装置があって、踏切作動中に何かが横切ると例の信号が発光するってわけ。
踏切突破する不届き歩行者は結構いるから、発光しても様子見て歩行者がそのまま渡り切ったら警笛だけ鳴らしてそのまま通過というのが常態化していた。
で、あの日も同様に異常信号が発光したのに直ぐに非常ブレーキを掛けなかった。どうやら様子を見たのでは。
でも信号がなかなか消えないので4秒遅れでブレーキを掛けた。現場手前はカーブになっていてカーブを恐らく100km/h近くで通過したら踏切を全部塞ぐトラックが見えた。もうこの時点では衝突は避けられず、まともにぶつかって脱線、電車の下敷きのトラックが炎上する大事故になった。
そこで国交省の手入れが入り、社内規定と慣行を見直して異常信号を確認したら例外なく非常ブレーキを掛けろ、と厳命されたはずだ。
だから急いでいて降りている踏切を突破する不届き物が居た場合、非常ブレーキで停車という過剰にも思える反応になった。
というわけで、デッドマン装置のズルと元増田が毎日食らってる急ブレーキは関係が無いし、あの大事故が引き金で踏切突破などで非常ブレーキが必須となった為なので我慢するしか無いのではないか?
せめてもっと緩いブレーキにしろ、と言いたいかも知れないが、「踏切異常信号視認でも通常ブレーキを使うのが慣例化していた」というのも指摘されてるので無理な話なのだ。
数年前に子宮体癌の検査をしたのだが、お医者さんに「痛ければ麻酔をするね」と言われ物凄く痛かったので処置の途中で麻酔をしてもらった。
恐らく注射による局所麻酔なのだと思う。とにかく痛かった事しか記憶に無く麻酔に関してはあまり覚えていない。
確かな事は「ちゃちゃっと麻酔してくれた」「処置後はすぐに帰れた」「痛みはほとんどなくなった」「意識に影響は無かった」という点である。
Xではちょいちょい子宮がん検診の鎮痛について話題になるが、その度に「子宮体癌の麻酔は静脈麻酔である必要がある」とお医者さんが発信しているのを見かける。
お手軽に痛みを取り除いてもらった身としては腑に落ちない。
複数の婦人科医が同じように発信しているので事実なのだろう。彼らは専門家だ。中には自称に留まる人も居るのだろうが、そうでないと確信を持てる人も居る。だからきっとそれは正しい。
では、あの日私は何の麻酔をされたのか。なぜ他の病院は同じように手軽に痛みを取り除けないのか。不思議でしょうがない。
あれはなんだったのだろうか。
VTuberの事務所はにじさんじとホロライブの圧倒的な二強で、他はすべて相当な差で後塵を拝していると思われます。
その中では歌に絞ることで比較的上位にいた?と思われるRe:ACT所属のV。
(現在ではぶいすぽっ!とかのが勢いあると思う)
「歌手志望の子を騙して連れてきたんじゃないか?」(ド失礼)と思ってしまうくらいいい曲歌います。
作詞作曲が出来て歌えるということで、シンガーソングライターに近いと思われます。
地道に数年頑張ってて、たまーに見てる。
最近…でもないけどホロライブの「Blue Journey」という音楽プロジェクトに「あの日の僕らへ」という楽曲を提供した(作詞作曲)。
古いものでも支障が無ければ使い続けていいかーなんて思っちゃいがちな春なんだけど、
新しいものはやっぱり畳は新しいって言う方がいいのよね。
でね、
ずーっと使っているものを何かの弾みで新しいのに替えてみよう!ってえいや!って古いのを窓から放り投げて捨てて新しいものを買ってきて使った春の日には、
え?今こんなに便利なことになっているの?って
とんでもナイアガラの滝の滝壺に落とされた気分なのよ!
いい加減そう思うわ。
こんなことならもっと早くから買い替えて使っておけば良かったっぽくね?って
そんな驚き屋も驚きを隠せないほどに洗濯洗剤のシーエムで驚きの白さ!ってもの凄く驚いた様子で「驚きの白さ!」って録音を吹き込むぐらい、
いやー今の驚きっぷりとても良かったですよ!って
スタジオ何時間か抑えているのにもう数分で収録終わっちゃったぐらいな感じの。
もうペキカンな驚きなの!
車だって
鍵穴に鍵を差し込む作業ですら怠けてしまう人間の怠慢さなのよ。
勝手に手もとで開け閉めができるパワーウインドーシステムはパワー!って感じだわ。
便利なものに慣れちゃうと引き返せないそんな春の日でもあるわ。
何かしら外でのパソコン作業は
信頼と実績のウインドウズパソコンやクロームブックで決まりね!って思っていた時代があった私の春の日だけれど、
これですら
え?いまもうiPadこんなことになってるの?って気付きの春の日であり、
こんなことならもっと早くから使っておけば良かったっぽくね?って
だから最近の私の鞄の中にはiPadだけ入っててそれで済んじゃう感じ。
iPad単体でテキストをPDFにして電子ペンで書き込み修正などができるのよ!
今まではいちいち、
プリントアウトしてスキャンしてそんな春の日が続いていたけれど、
もう私はその作業が1台で完結しまくりまくりまくりすてぃーなことに気付いてから、
重たいノートパソコンを入れていた鞄を窓から投げ捨てそうになったけど
流石にノートパソコンは捨てたらそれを捨てるなんてとんでもナイアガラの滝の滝壺に落ちてしまう気持ちになってしまうので、
捨てられないわよね!
ついついいつもの癖で窓から投げ捨てちゃいたくなる衝動のテヘペロ案件だわ。
気付いて良かったー。
だから昔使った杵柄も昔の杵柄は使いにくかったから全自動餅つき器だよね!って思っていたけれど
あれ?今の杵柄って超軽くね?って
杵柄もアップデートされてるのよ!
臼は流石に重いっすけどね。
過去のイメージでそれ以降つ買ってなくてそこからの知識が止まっていてアップデートされていることに気付かないのは勿体ないので
やっぱり新しいものにはアンテナを張り巡らしてそりゃーこんがらがらないようにはしたいけれど、
アンテナ張りすぎでね、
そう言った感度も上げていかないと行けないなーって思った春の日なのよ。
明日じゃ遅いの。
今日なの!
おとといなの!
もう一昨日にはアップデートされてたの!私は気付かなかったの!
え?こんなことになってるの?って。
私は膝から崩れ落ちそうになりそうなりよといきなりここでコロ助登場しそうなほどの勢いで、
カチカチに固まり凝り固まった概念を打ち砕く旅に出たい春の日でもあるわ!って思ったわ。
なにかちょっと気分転換に新しいものを取り入れたりしたり新商品のお菓子コーナーにも立ち寄ってみたり、
え?こんなお菓子新発売になってたのケンちゃんラーメン!ってぐらい驚くほどそんな春の日を発見して欲しいの。
たぶん春先神戸にいけばもっと何か新しいことが待ち受けていること間違いない!って思うけど
長崎から船に乗って神戸に着いた~って歌を地で行くほどそんな神戸って行ったことないのよね。
それなんて五木ひろしさん?って思われそうだけど。
でも春の日にはどこかしらになにかアップデートされたモノが見つかるはずなので、
そりゃーさ、
私の中の心にあるインスパイヤザネクストはいつもとどめておいて忘れないようにしないと。
うふふ。
家で炊いてきたつーか小鍋で器用に私ご飯炊けるのよ!
子ヤギの上でアルペン踊りを小躍りそうじゃない?
もう少量炊く分には炊飯器面倒だわ。
違うことには間違いないこと間違いないわ!
これもまあ前にも言ったかも知れないけれど、
もう直接茶漉しをカップの上に乗せて淹れるタイプの淹れ方をしているわ。
これも春の日かしら?
まあ要はめんどくさがり屋さんなのかしらね?
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
当初はベタ打ちの記事でしたが、あまりにも可読性が低いので見出しに記法を用いました。
今見返すと修正したいところは多々あるのですが、明らかな誤記(退学届→退部届)の修正、追記日付の補記を除き、情報が陳腐化している箇所なども含め、そのままにしています。
スポーツ推薦で高校に行く人がどれくらいいるか知らないが、行ったはいいけど馴染めない、中退して想定していたルートから脱落する、最悪の場合自ら命を絶ってしまうという人は(残念ながら)少なからずいる。
中学へスカウトにきた顧問は、週に1日は休み、練習も平日は2時間、勉学の時間も大事にする、著名な大学にも推薦で行けると熱弁した。
私は技量はあったが体力がなく、すぐ高熱をだすようなひ弱な中学生だった。スポーツ推薦なんか到底無理と思っていたが、休みがあるなら、その先があるなら、三年間だけ頑張ってみようと決意した。
結局のところ、顧問の説明は全て嘘で、三年間がんばった先輩たちは浪人か就職で、推薦で大学に行くのは極めて少数、かつ、いずれも著名とは言い難いところだった。
それでも、しばらくは頑張った。もがいた。40度の熱を出しながら罰走を走らされ倒れた。水を被ってまた走った。自分の決断と、それを支持した親の思いを無碍にしたくなかったからだ。
だが、夏頃に怪我で数日通院し、練習に出られなかったことをきっかけに上級生による苛烈なイジメまで始まった。
大学に行きたかったので、高校は辞めるわけにいかない、と私は思っていたが、あの恐ろしい部室に行くと思うだけで、ボロボロと涙が溢れ始める。
推薦で取った生徒の不登校というのは、顧問には痛手らしい。手をかけ品を変え、顧問から登校するよう連絡があった。それでも私が応じないと、両親揃って呼び出され、強い口調での退学勧奨を受けた。
子の不登校に加えて、顧問による叱責がよほど強いストレスだったのだろう。両親まで懇願するように、それが受け入れられないと怒鳴り声をあげて退学を求め始めた。この世に味方はいないのかと絶望した。
が、結局のところ、私は図々しくも高校を卒業した。部活も半分以上ボイコットした。そして大学に通い、やりたかった仕事に就いた。
今思えば辞めても大検を取れば良いだけだったのだが、大人の不当な圧力に負けなかったという経験は、今でも自分を支えているように思う。
数は少ないかもしれないが、同じようにスポーツ推薦で進学するも、クラスや部活に馴染めなかった方と、その親御さんのためになればと、私の経験を書き残しておく。
なお、なるべくなら普通に通学して部活やって卒業した方がいいに決まっている。
それができない我々のための話と思ってほしい。
大検はそんなに難しい試験ではないが、履歴書に卒業高校が書けないのが嫌なら、なんとかして卒業を目指すことになる。
卒業には単位が必要で、単位取得には出席とテストでのスコアが必要になる。
テストのほうは、まあ、頑張って取るしかない。こういう所を読むくらいの「ナード」なあなたなら、スポーツ学級向けの試験で赤点を回避するくらいはなんとかなると思うが、どうでしょう。
クラスで浮いてしまうのは仕方ないと割り切るしかない。授業が始まれば別に気にする必要はないし、休み時間は寝ればいい。だって眠いでしょ?
行かなきゃいいのだ。授業に出て、終わったら帰る。
スポーツ推薦入学者は、部活を辞めることはイコール退学だとよく言われる。実際、そういう前提での退学勧奨が横行している。それに応じる人も多い。本人が納得できるなら、それも別に間違いではない。
あなたは正当に入学し、保護者は学費を納めている。あなたの進路はあなたが決められる。退学勧奨はあるだろうが、応じる必要はない。
(もし、念書とかを書かされていたのならごめんなさい。でも、そんな念書有効なのかなぁ。)
そして、部活に行かないこと、やめたことを理由とする退学処分なんて、通常なら出しようがないはずだ。ナードなあなたは暴力を振るうことはないし、成績も悪くない。わざわざ制服でタバコを吸うこともない。
生徒手帳を開いて校則を読もう。あなたならちゃんと読み取れる。なにか退学に値することをあなたはしているか?していないはずだ。
とはいえ、退部届を出すのはポイントオブノーリターンを超えてしまう。私は退部届けは出さず、部活に出ないに留めた。
時折顧問に呼び出されたが「いじめがあるなか部活には行けません。すみません。」ということを述べ続けた。
顧問はいじめがあること自体を認めたくないので解決に動くこともしない。なので、一生平行線だ。
あなたが学校に行けない状態なら、少なからず精神的にダメージがあるといえる。心療内科などで相談して、その結果を伝えるのも一考と思う。
もし、やりとりのなかで、あまりにも酷いことを言われたら日時とともに覚えておくこと。それはあなたの自尊心を大きく傷つける表現かもしれないが、受け止める必要は一切ない。相手の不当性を立証する強力な武器になるのだから、内心喜んでもいい。
顧問はすぐに手を出す人間だったが、私は幸い暴力は受けなかった。ポイントは、表面上反抗しないこと。
無抵抗で頭を下げる人間を一方的に殴っちゃまずい、という計算を大人はしている。クソ野郎ほど損得計算した上で手を出しているのだ。
賢いあなたは内心、大人をバカにしまくっているだろうが、それは心の内にとどめておこう。
万が一、暴力を振るわれるようなことがあれば、それは警察に届け出ていい。仮にあなたの態度が反抗的であっても罪は罪だ。
多くの部活は3年の夏頃には引退なので、そこまでいけば逃げ切り。あとは高校生活満喫してやろう。
暇なら部活と同じスポーツを部活以外でやってもいい。部活じゃないから声出しを強いられることも、ミスを咎められてランニングさせられることもない。
大学は相応の学力があれば入れる。内申点は関係ない。顧問の権力は全く届かない。
大学では、ちゃんと勉強しておくとよい。案外、飯の種を拾えることがある。捻くれ人間のあなたと馬の合う、もっと捻くれた人間がたくさんいる。楽しいですよ。
もしあなたが部活をサボれば、顧問は「そんなんでは社会でやっていけない」「人間失格」など言いたい放題いうだろう。言われ続けるとそんな気もしてくるかもしれない。
けど、大丈夫です。私はいま、普通に暮らしている。なんなら、十分恵まれた生活を送れているくらいだ。
正直、一部のブラック企業を除けば、イかれた高校の部活のほうが「社会」よりよっぽど理不尽だ。認めたくはないが、部活で地獄を見た分、多少のことには動じない。それは一つの強みになっている。
あなたも、実はすでに一般人の平均よりも理不尽耐性が育まれているし、一度は推薦を受けるだけの身体能力ないし学習能力があり、こんな長文も読みこなせるのだから、世間からみれば優秀な人材だったりする。
あなたは社会に通用しないわけではない。むしろ活躍の機会があると思っていい。
それから、一度逃げたら逃げぐせがつく、みたいな言説もあるが、逃げぐせ、結構じゃないですか。私は激務で殺されかけたこともあったが、逃げぐせのおかげで死なずに済んだ。より良いポジションをとれた。適切なときに自分を守れるのは恥でもなんでもない。
一度死んで死にぐせがつくよりいいんじゃないですか。
小学校、中学、高校とくると、高校が世界のすべてのように感じるし、高校でうまくいかないと人生の全てがうまくいかないように感じる。私はそうだった。
でも、実際は高校なんて人生のごく一部にすぎない。思い出せば色々あるが、思い出すこと自体少ない。どうでもいいんですよ。
あなたが真っ当に部活に出なくなると、顧問をはじめ、高校側はあなたに対して色々言ってくる。でも、高校は別にあなたの人生に責任を全うするために何かを言っているわけじゃない。向こうは向こうの都合があり、そのためにあなたを退学させたり登校させたりしたいだけなのだ。
正直、イージーではない。同級生に蔑まれたり、恨まれたりすることもあるだろうし、親の協力も得られないかもしれない。
でも、騙されたとはいえ自分で選んじゃった道なので、まあうまくやるしかない。何度も言うけど、高校の知り合いなんか一生会わないこともできるから、適当でもいい。
なんにせよ、スポーツ推薦が体に合わなかった人は、大変だけど、とにかく死なないことは徹底してほしい。
死ぬことに比べれば、一瞬しか関わりのない人間に嫌われるのなど無傷に等しい。常にいい人でいる必要はないんだから、高校時代まるまる、いい人を封印したっていい。
あなたの善性はイかれた部室の中でではなく、将来出会う真っ当な環境で、真っ当な仲間に対して発揮すればいい。今は図々しくあれ。サバイブすることに全力を傾けていい。頼れそうなら親に頼れ。高校と関係ない友達を大事にしろ。
健闘を祈る。
お子さんの状況に心を痛めているのではないかと思います。思うようにいかない毎日に強いストレスを感じていることでしょう。
私も今は二人の子の父親です。親御さんのお気持ちも今となっては察することができているつもりです。
大変ななか心苦しいのですが、ひとつだけお願いがあります。お子さんの人格や将来を否定するような言葉だけは止めてください。
私はいま、十分に幸せな生活を送っていますが、不登校時代、高校を辞めさせたくなった父が絶叫した「お前の人生はもう終わってんだよ!」という言葉が忘れられません。
私が学校に行けず、さりとて辞めることもできなかったのは、私自身が人生をどう打開すべきか、悩み続けていたからです。
そんなことを知ってか知らず投げつけられたその言葉はかなりのショックでした。親に叱られることこそあれ、将来を否定されることなど想定もしていなかったからです。
私は全くの無意識に「いつか必ずお前を殺す」と口走りました。
口から出た言葉が己の耳に入った瞬間、私は後悔しましたが、謝罪なり撤回なりの言葉を紡ぐ前に、父は「おう、そうしろよ!やってみろよ!もうとっくにお前は終わってんだよ!」と叫び続けました。
私のなかで父への信頼、敬愛が全く失われたことをよく覚えています。
このやり取りを思い出すたび、未だに激しい怒りに身を任せそうになります。
子供を連れて実家に帰るとき、父は人生が終わったはずの息子が連れてきた孫を心から歓迎して、膝に乗せておしゃべりをしています。
父の心底幸せそうな顔を見ると、今この瞬間、父を殴りつけてあのやり取りを思い出させ、徹底的に謝らせて、痛めつけた挙句に殺めれば、いくらか救われるだろうと思う自分がいます。
しかし、父の笑顔を見るたびに、お前のいうとおりにしてやるよ、と告げたくなるのです。おそらく、私は父が死ぬまで、父を殺す機会をうかがい続けることでしょう。
父と会わなければよいわけでもないのです。
子供たちはしょうもない私に対して無償の愛を向けてくれます。この子達のように率直に父を愛せたのならどれだけ気楽だったのだろうと考えてしまいます。そして、あの日の怒りを思い出してしまうのです。
ベビーベッド、バウンサー、公園の砂場、保育園の帰り道、アイスを食べながら休むベンチ、初めてのランドセル。幸せに満ちているはずの至る所に父への殺意が頭を顔を覗かせるのです。
そして、いずれ私自身が父のように、子供を否定する日が来るのかもしれないと怯え続けています。
結局のところ、私の傷は社会に受け入れられても癒えることがありませんでした。20年近く前の親の一言で、私の人生の一部は壊れてしまっているのです。
しかしながら、どうか、どうか、お子様の人格と将来を否定しないでください。
長文、乱筆失礼しました。
(なんかうまくいかず、再投稿してしまっていたようです、ごめんなさい。こちらに改めて記載します。)
このような長文、悪文にも関わらず、想定を遥かに超える反応をいただき、驚いています。読んでくださった皆様、ありがとうございます。
疑問点もあると思いますが、身バレはしたくないのでこれ以上の説明は避けます。
温かいコメントや反応が多いことはとても嬉しいのですが、想定外でした。
ここまで好意的な意見が多いと、私の手法がみんなに支持される、定石や必勝法のように思う人(特に危険なのは中学三年生)が出てくるのではないかと、少し不安になってきました。
その点について、もう少し書かせてください。
私の対応はあくまで緊急避難であって正攻法ではありません。私のパーソナリティ、顧問の間抜けさ、高校の意外な寛大さが合わさったという偶然の部分が大いにあります。
また、同じようにスポーツ推薦で入学し、日々理不尽と闘う同級生、先輩後輩からすれば、私のような立ち回りをする奴は完全なクソです。皆さんが顧問に対して抱いてくださった反感と似たような感情をぶつけられる対象になるのが普通です。
必勝法でもなければ、周囲に褒められるやり方でもないのです。
「とりあえずスポーツで行って、ダメならサボればいいか」というのは絶対にやめたほうがいいです。実力で行ける高校に行きましょう。
もしあなたが極限状態にあるなら、私は何度でも「自分本位と言われてもいいからサバイブしてね」と伝えます。これは全くの本音です。大人に迷惑をかけてもいい。生きましょう。一般社会より厳しい世界をあなたは知っている。あなたは人に優しくなれる。あなたの優しさを、まともな世界にまで運びましょう。
でも、あなたがまだ選択の余地を残しているのであれば、最初からこんなことを狙っちゃダメだ。
愚かで幼稚な父のために、私と子供達の幸せが犠牲になるなんて絶対におかしい。
高校時代の出来事など、人生のうちの一瞬のことに過ぎない。俺自身、そう書いたではないか。
許すことはできなくても、忘れること、思い出さないことは努力できるんじゃないか。
というところです。話し合いは正直怖いんですよ。年老いた父は幼い孫たちには優しいですが、母や私のきょうだいにはますます頑迷になっていて、本当に手をかける結果になりかねない。
心配してくださったみなさん、労ってくれたみなさん、本当にありがとうございます。
この文章が、必要とする人に届いて、悩む学生さんが希望する進路へ進む契機や、良好な親子関係の構築の一助になれたとすれば、これに勝る喜びはありません。
私は車を所有してはいるが、車について全く興味がなく、もっぱら移動手段の一つとして考えているので手頃な価格の中古車を買った。
だが、仕事の付き合いで色んな人と話していると、車に詳しい人はともかく、それなりに車に関心がない人でも当たり前に「アルファード」「ヤリス」「ヴォクシー」「オデッセイ」「ステップワゴン」という単語を基礎教養かのようにバンバン出してくる。
私は全く車種名には疎いので、「アルファード」と聞かれてもどんな車なのか?全然想像できない。名前聞いて分かる車と言えばせいぜい「ベンツ」くらいだ。(といっても、高級車なんだな、とエンブレムがついている車だな、ぐらいの認識)
少し気が強かったものの美人で、色々と尽くしてくれて、ほんと俺にはもったいないくらい可愛い彼女だった。今にして思えばおそらくその頃がちょうど俺のモテ期だったんだと思う。
大学で、他の女の子から告白された。その子はおっぱいが大きくて、彼女は小さかった。
告白を俺は受け入れてしまった。その場で断るのはなんだか悪いし、それにおっぱいが大きかったし。
告白の件がバレると彼女は激怒した。そして告白してきた女の子は胸が大きいことでちょっと有名だった。だから彼女は胸のことを口にし、「私とおっぱいのどっちが好きなの!?」というので「おっぱい」と俺は答えた。彼女は俺にビンタし何度も蹴ってきた。それから泣きながら出ていくとそれで関係は終わってしまった。
俺はおっぱいの大きい子と付き合い始めたものの長くは続かず、彼女が浮気したことであっさり別れた。
それから十数年、俺には彼女が居ない。今は零細企業の安月給で働き、趣味はVTuberにスパチャを送ることぐらいで、名前が呼ばれたり呼ばれなかったりで一喜一憂して暮らす日々を過ごしている。
あの日、あの時。俺がおっぱいの欲求に負けず、彼女と付き合い続けていれば今頃は家庭を築いて家族で幸せに暮らしていただろう。
そうだ。そうに決まっている…
俺はおっぱいが憎い。
強く生きようと心に誓ったあの日。そのおかげでスキルを蓄積して上手いこと立ち回って今に至るので、この時の経験には感謝している
匿名で吐き出させてくれ。
それは6年前。昔憧れていた女の子と飲みに行って、夜もいい感じになったんや。
ワイが泊まってるホテルで飲み直し、そこからイチャイチャした雰囲気になりキスをして押し倒す。もう空気は出来上がった。
なのに、なのにだ。
マイサンが反応しない。
EDにはグレードがある。上がリンゴの硬さ、下はフニャフニャ。ワイはまごうことなきフニャフニャだった。
触られてもくわえられても、ずっとフニャフニャ。
最後は、「なんだかゴメンね…」って言われて帰って行った彼女の後ろ姿が忘れられなかった。
その後も性欲はあれどもギンギンになることは無く、自家発電はできてもフニャフニャを弄んで至る感じだった。これは良くないと思ってもそういうやりようしか無いぐらい、マイサンはフニャフニャだった。
あの日の失態があったのに、その子はワイの宿泊先で飲もうと言ってくれてた。もう失敗はできない。
次はもう彼女に恥をかかせるわけにはいかない。ワイは病院へ向かった。
行ったのはイースト駅前クリニック。断じて言っておくが回し者ではない。Googleで調べて宿泊先に一番近い病院がそこだったんや。
行くまでに、ED治療薬の種類(バイアグラ、レビトラ、シアリス)の特徴や特性は頭に入れておいた。フニャチン野郎のワイはこの中でも効果が一番高いというレビトラにするつもりだった。
ところが、世界的なシェアはシアリスが一番だという。効果の持続時間が長いため、コスパが良いからだろう。
しかし、何度も言うがワイはフニャフニャだ。この数年、ガチガチのマイサンも見てない。風俗すら行く勇気が無いぐらいのフニャフニャだ。
しかし、その子はワイの宿泊先に一晩いる。複数回致すチャンスがあるわけだ。持続時間は捨てがたい。しかし、シアリスで効果が無かった時に追いレビトラというわけにはいかない。ならば、初弾にかけてレビトラで行くべきか…。
そしてワイは、シアリスとレビトラを両方買った。両方ジェネリックだ。優柔不断が極まり、決めきれなかったんだ。
悩んだ。「レビトラ 飲んでみた」「シアリス 体験談」思いつくキーワードで調べまくった。
そして、最後は腹を括った。バーで会う約束をしていたので、飲食の影響を受けにくいという一点でシアリスジェネリックを飲んだんだ。
ED薬は別に性欲が増すわけではない。飲んでも特に変化はなかった。不安がつのる。
約束の時間。その子は当時と変わりない笑顔でワイの前に現れた。あの日、フニャチンのワイと別れたのにその笑顔。守護りたい。
バーからホテルに移り、飲み直す。ホテルでワイがベッドに身体を投げ出したら、その子はそっと隣に来てくれた。髪の匂いが鼻をかすめたその時。
ギンッギンである。
えっ?嘘?なにこれ。中学生以来かと錯覚するほどのギンッギン。
もうそこからは一直線だった。サガミオリジナルを素早く被せ、一回戦に進出した。
幸せだった。もう性交はできずに朽ちていくものとばかり思ってた。
そして、ベッドに横たわっていたワイ。この日までの悩みや日中の病院での薬チョイスでの葛藤などもろもろの気疲れもあったと思う。いつの間にやらまどろんでいた。
なんだか息がしづらい。ふと目を開けると、その子がめちゃくちゃキスしてきていた。そしてマイサンはギンッギンである。嘘だろ。さっき致したばかりなのに。どうやら、その子は一回戦がむちゃくちゃ良かったらしく、おねだりが始まったのだ。いや、一回戦が消化不良だったのかもしれない。だけど、今あるのは二回戦のプレイボールを求める強い意志だけだ。
二回戦。人生においてもそうそう無い二回戦進出だった。県大会初戦敗退のような自分が全国大会で勝ち残れた、そんな気持ちだった。ワイは全力で致した。
そして翌朝も致した。朝立ちすら近年無かったワイが、前日に2回致しているのに朝からストロングスタイルで盛っている。もはや自分ではないようだった。
わざわざ増田したのは、フニャフニャでもシアリスで満足できるという情報が見つけられず、あの時不安だった自分と同じように情報収集している誰かに伝わればと思ったからだ。病院の口コミにはバイアスがあるかもしれないと不安な人もいると思う。ワイもそうだった。
自分の中でこれは良かったかも、と思うのはとにかく腹を空かせて空腹状態で服薬したことだ。そして、それから2時間は水分のみ。致したのは5時間後だったがしっかり成分が回っていたおかげか十分に効果を感じることができた。
男の自信は年齢と共に失われるものだと思うが、一粒の錠剤で景色が変わることもあるからチャンスを逃したく無いと悩む男性各位に、一つのケースとして読んでもらえたら嬉しいなと願う。
アカデミー賞受賞とかで騒がれていたのでPERFECT DAYSを見てきた。
みんなはこんな日々がずっと続けばいいのにと思ったことはない?
俺はいくつかある。
小学校卒業間際のみんなで遊んでた日々(中学は私立に行くことが決まっていてみんなと分かれるのが分かっていた)
高3の夏休み、友達と教室で勉強する名目でふざけて遊んでた日々
大学生のとき、就職が決まった後のいよいよみんなとお別れのカウントダウンが始まった感覚があった日々
大好きな子と付き合って頭がその子のことでいっぱいになっちゃう日々
どれも俺にとっては完璧な1日の集合だった。
どれほどこのまま何も変わらずに過ごすことができればいいのにと思ったことだろうか。
俺が何をすれば変わらずにすむのだろうか。なんでもするからあの日々をずっと続けて行きたかった。
主人公の平山の最後の涙は、平山が愛してた完璧な日常がどうしようもなく変わってしまうことに対する悲しみなのではないだろうかと思った。
私は生きている。
それを胸抱えて日々を過ごせば過ごすほど、あれは一体何だったのだろう空を仰ぐばかりだ。
家も消え、土地も消え、人も消え、思い出になる前の記憶さえ消えた。
死体が浮く街を歩いた。水が引いたら、何キロも先にある同級生の卒業証書が自分の家に流れ着いていた。やれることをやるしかないと笑えば、時折鳴る着信から友人や恩師の訃報が届く。
偶然誰かに会えたなら、そこでようやく互いに安心できた気がした。会えたら生きてる、会えないなら死んでいる。そんな日々が続いて、誰かに会うのも嫌になりかけた。
仮設安置所に踏み入れば、眼下に真新しい棺桶が広がる。途方もなく、隅から隅まで、ボーリング場だったらしいその場所に、四角い木の箱ばかりが広がっていた。そうして、端から端まで歩いた。知っている名前が無ければいいのになんて考える前に、知ってる名前ばかりが並んでいた。私に楽しさを教えてくれた人も、私にいじわるした人も、私が優しく出来なかった人も、ちゃんと名前が書かれていた。この光景は、何だったんだろう。何を恨めばよかったんだろう。それを自分に問うてしまったら、その答えは「そのうち会える」と機会を先延ばしにしていた自分を恨むしか他にないのに。これは一体、何なのか。誰かに答えてほしかった。
私は生きている。私はその選択肢を選び取った。そのせいで、私が座るはずだった場所に座った誰かが死んでしまった。私は怖かった。初めて行動の取捨選択で見知らぬ誰かと命のやり取りを終えてしまったから。私はそれがすごく怖かった。こうして文字にできるまで今日までかかってしまった。手など合わせられない。自分が死んでいたら、死なないはずの子がいたはずなのだ。私は怖かった。これは何なんだろうと。親にも友人にも、この恐怖だけは一生言えないままだと気づいたときにはもう、何も出来なかった。私は今でも地震の揺れや津波よりも、それがとても怖い。きっとだれも私を責めてくれないのだから。
3月10日のことを想う。読んでいた小説も、私の名を呼ぶ祖父の声も、適当に送り出してしまった父の背中も、履いていた靴も、カサついた母の手の温かさも全部全部全部鮮やかだ。
3月11日のことを想う。年上のお姉さんがくれたアーモンドチョコの美味しさも、避難所の床の冷たさも、満点の星空すらも、全部全部鮮やかだ。
私はこれを、死ぬまで思い出にすることは出来ないのだろう。
そうして私は生きていく。
〇〇さん来たから帰るね〜と、お昼休憩中のパートさんが席を立った。
帰ってもなにもすることないんだけどね休んでちゃダメだねと笑いながら帰り支度をするパートさんを、
そういえば13年前の今日、父は熱を出していて、昼ごはんを食べに家に帰ったらしい。
普段なら職場で食べているが、その日は母にうどんを作ってもらって、体調を心配されつつ職場に戻った。
もしも自分が、ありえないけど、
これから起こることは知らないままで、あのときあの家にいたら、母とともに父の体調を心配しただろう。
会話もする。休んでも全然良いよ、ね、休もうよ。
実際あの日私は学校にいて、父の死に関して出来ることはなかった。
13年前と日付が一緒の今日、
お昼に帰ったのはパートさんで、会話したのは私だった。
駅のホームの列車進行方向に進む列と逆方向に進む列の2列分の幅しかないような場所で挙動のキショいデブ眼鏡女(同じ車両に乗っていたが終始謎に体が揺れてて、一人で「うん?」とか「ふわ〜」の様な謎のキモい鳴き声を発していた ヘルプマークがついていなかったのでこいつが一般企業に勤める健常者である可能性が普通に存在するのが一番恐ろしい)が明らかに無理な幅なのをかまわず追い抜かしをしようとし、案の定逆方向の列のリーマンにぶつかって、舌打ちとともにめちゃくちゃ睨みつけた後、すぐにスマホを取り出して以後改札までずっと歩きスマホで何か書き込んでたという一連の出来事を目撃した事がある
自分も明らかスペース空いてる場所が十分にあるのにわざと体格差のある人間だけを選んでぶつかりに来る悪質なジジイにやられた事があるので本当に悪質な「ぶつかりおじさん」も存在する事は一応身をもって知ってるが
「男にナメられやすいのかしょっちゅうぶつかられる」「毎週色んな男にぶつかられる、やはり男性は攻撃性が〜」みたいな話をネットで披露してる人はぶつかった自分が100悪いのに相手をぶつかりおじさんに仕立て上げてしまうあの日のキチガイデブメガネと同類なんではないかと疑っている