はてなキーワード: Wikipediaとは
※ほぼメモ書きです。
ローズマリー・サトクリフ(Rosemary Sutcliff, 1920-1992)といえば、『第九軍団のワシ』をはじめとするローマン・ブリテンシリーズで有名な作家である。このシリーズは、一般にローマン・ブリテン三部作(『第九軍団のワシ』、『銀の枝』、『ともしびをかかげて』)ないし四部作(『辺境のオオカミ』も加える)と呼ばれている。岩波書店でもそう書いている。
https://www.iwanami.co.jp/book/b269788.html
一方、英語版Wikipediaのサトクリフの項目を見ると、『第九軍団のワシ』シリーズは他にもある。要は、4部作で終わっているというわけではないのだ。ファンサイトSutcliff Wikiでは、正式名称ではないとしつつ、"Dolphin Ring"と呼称している(一方、第九軍団のワシ、銀の枝、ともしびをかかげてを指してRoman Britain Trilogyという言葉遣いもされている。実際、1980年にThree Legionsというタイトルでセット本が出ている)。その作品群について整理しておく。
(1)作中時系列順
2世紀:第九軍団のワシ(The Eagle of the Ninth)
3世紀:銀の枝(The Silver Branch)
4世紀:辺境のオオカミ(The Flontier Wolf)
5世紀:ともしびをかかげて(The Lantern Bearers)
9世紀:剣の歌(Sword Song)
1954年:第九軍団のワシ(Oxford University Press)→岩波書店、1972年
1956年:盾の輪(同)→山本史郎訳『シールド・リング ヴァイキングの心の砦』原書房、2003年
1961年:夜明けの風(同)→灰島かり訳『夜明けの風』ぽるぷ出版、2004年
1963年:落日の剣(Hodder and Stoughton)→山本史郎・山本泰子訳『落日の剣 : 真実のアーサー王の物語』原書房、2002年(2巻本)
1980年:辺境のオオカミ(Oxford University Press)→岩波書店、2002年
1997年:剣の歌(The Bodley Head)→山本史郎訳『剣の歌 ヴァイキングの物語』原書房、2002年
これらの作品群がファンWikiでDolphin Ringと呼ばれているのは、言うまでもなくアクイラ一家のあのイルカの指輪(=古代ローマ人のハンコ)が共通して登場するからで、時代の流れとしても共通した設定を持っているからである。ただ、『三銃士』シリーズのような一貫した主人公や陣営を描いているわけではない。第九軍団のワシの主人公マルクス・フラーウィウス・アクィラ(訳書には従っていない)は、元々属州ブリタンニアに駐屯するローマ軍団に属していて、家のルーツはエトルリアにあるから、もとはといえばイタリア半島の人間なわけだ。ところが、彼が色々あってブリタンニア定住を決め込んだことが指輪の運命を決めている。『銀の枝』の主人公ティベリウス・ルキウス・ユスティニアヌス(ジャスティン)とマルケルス・フラーウィウス・アクィラ、『辺境のオオカミ』のアレクシオス・フラーウィウス・アクィラ、『ともしびをかかげて』の主人公アクィラ(上の名前は不詳)は、いずれもマルクスの子孫にあたる。
もっとも、ローマ軍団が描かれているのは『辺境のオオカミ』までであり、『ともしびをかかげて』はローマ軍団がいなくなったあとのブリタンニアを描いている。基本、サクソン人とブリトン人との戦争が描かれる。『落日の剣』はその後日譚にあたるが、主人公はアンブロシウス・アウレリアヌス(この人は実在の人物で、サクソン人と戦っていたブリトン人の指導者)の甥アルトス(アルトリウス)となっている(もちろんアクィラも登場するが)。つまり本書はアーサー王伝説の翻案なわけである。しかも『ともしびをかかげて』よりも長い。『ともしびをかかげて』は、20年ほどを描くが、後者は40年ほどのスパンがある。本書は明らかに大人向けであり(ファンWikiにもFor Adult Readersとある)、児童書である他書と毛色がかなり異なる。
『夜明けの風』はアルトスよりも100年ほどあとの時代で、デオルハムの戦いで壊滅したブリトン人の王族の生き残りオウェインが指輪を持っている。『剣の歌』では主人公はヴァイキングの少年ビャルニ(指輪は、ウェールズで暮らす少女アンガラドが持っている)になっている。そして時代的にはもっとも最後にあたる『盾の輪』の主人公もまたヴァイキングの少女フライサと孤児ビョルン(後者が指輪を持っている)で、湖水地方に立てこもってノルマン人に抵抗する様が描かれる。
見ての通り、厳しい立場に立たされた者を主人公にするというプロットはほぼ一貫している。『第九軍団のワシ』は父親の不名誉(ちなみに時代はあのハドリアヌス帝の治世にあたる)、『銀の枝』はカラウシウス帝に忠義を尽くした故に叛逆者となってしまった二人(なおこの頃の皇帝といえばディオクレティアヌスだ)、『辺境のオオカミ』は軍人としての失態だが、同時にローマ帝国と辺境民族(ピクト人)との戦いが背景にある。『ともしびをかかげて』は撤退するローマ軍から脱走して敢えてブリタンニアに残った主人公の苦労が描かれるが、彼の立場を厳しくしているのは、サクソン人のブリタンニア侵入である。サクソン人と戦う側が主人公になっているのは『夜明けの風』が最後で、『剣の歌』以降はヴァイキングが主人公になっている。アングロ・サクソン人のブリテン島征服が一段落して平和になったと思ったらデーン人がやってきたわけだ。さらにそのデーン人もノルマン・コンクエストで痛めつけられる(ノルマン・コンクエストは、思いっきり誇張すればデーン人(+アングロ・サクソン人)対ノルマン人の戦いであり、こいつら全員元をただせば海賊である)。ローマ人、ピクト人、ブリトン人、サクソン人、デーン人、ノルマン人とイギリス史に登場する諸民族の融和がシリーズのコンセプトとなっている(それは第一作の時点から明らかで、イルカの指輪は父を殺害したピクト人の長老がマルクスに返却している)。
出版年代を見ると、最初の『第九軍団のワシ』とシリーズ最終作となる『盾の輪』がもっとも早く出ていることが分かる。そして63年の『落日の剣』まではほとんど2年おきに出している。それから間が空いて80年の『辺境のオオカミ』と遺作の『剣の歌』がある。特に『剣の歌』は推敲が十分でないように思われる箇所もある(作業途中で亡くなってしまったのだろう)。日本語訳では『ともしびをかかげて』が一番早い(おそらく、内容的に最も評価されているのではないかと思う。カーネギー賞もとっているし)。明らかに児童文学ではない『落日の剣』はともかく、児童文学作品でも猪熊訳と山本訳(と灰島訳)とに分かれる。版権取得の問題かもしれないが、あるいは猪熊の作業量の限界だったのだろうか(1928年生まれだし)。そもそも『夜明けの風』は『ともしびをかかげて』の割と直接的な続編といって良いだろう。なお、自分の親は子どもの頃に『第九軍団のワシ』と『ともしびをかかげて』を読んでいたようだ(サトクリフの名前を出したら「あの小説か」と反応があった。結局「三部作」を貸している)。年齢が結構高い人でも、その二つは知っているのではなかろうか。
英語圏では多分されていない「四部作」(第九軍団のワシ~ともしびをかかげて)という言い方も理由がないではない。この四つはシンメトリカルな構成をしている。『第九軍団のワシ』『辺境のオオカミ』と『銀の枝』『ともしびをかかげて』(つまり13・24)と並べられる。前者では、主人公は百人隊長として失敗したあと、北方辺境で名誉回復を遂げる。後者では、大陸への渡海という選択肢を捨て、ブリテン島南部で戦う。「四部作」はアクィラ家のアイデンティティがローマからローマン=ブリテンへと移り変わっていく物語なわけである(既に『銀の枝』でカラウシウス帝の口からローマ帝国亡き後にどうローマを残すのかというテーマが語られる)。そしてもはや「アクィラ」という名前が語られなくなった世でも、困難に立ち向かうアクィラ家の精神は、イルカの指輪に象徴されてあとからきた民族へと受け渡されていく。そして現代のイギリス人にも・・・というのがサトクリフの言いたいことなのだろう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%82%B413_(1973%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)
マナーで迷い箸、刺し箸などは知っているけれど、食べる順番を気にしたことがなかった。(ダイエットや血糖値で食べる順番の話は見たことがある)
軽く調べると、1970年代に一部地域で…という話が出てくる。もしかして地域や世代で違うローカルマナーではないだろうか?元増田と妻が幼馴染だったらすまんが、出身地もしくは世代が違うのでは?
Wikipediaでは主に東日本の学校において、という記述がある。私は西日本出身。関西にも住んだ時期があるが、周囲でばっかり食べを指摘されたという話は聞いたことがない。
嫁と暮らすまでこういう食べ方をする人間を見たことがなかったので認識していなかったが、どうもこういう食べ方を「ばっかり食べ」というらしい。
このあたり、育った地域か世代が違うからではないかと思う。元増田の出身地では三角食べがマナーとして広まっていたため、ばっかり食べが少なかった。逆に妻の出身地では三角食べを推奨されておらず、指摘もされなかった。
困っているのは注意しても直さないとかではなく、そもそもこれが注意すべきことなのか、強制して直させるべきなのかという部分がわからないことだ。
あと悩ましいのが、今後もし子供ができて子供がばっかり食べをするようになったとき、これもまた直すべきか否かで自分が折れてしまいそうな気がする。
今住んでいる場所が増田の出身地で、通う学校でも三角食べを推奨しているのであれば、マナーとして気にした方がいいかもしれない。
しかし別の場所に住んでいるのなら、気にしすぎかもしれない。東日本でも、東京など都会であれば色んな出身地の人がいるのでマナーとして認識している人も少ないのでは。世代次第でもある。
元増田の実家で妻がご飯を食べるときは三角食べに合わせてもらった方が無難。
友達や同僚も出身地と世代の差がある可能性があるので、よほど気になる以外は指摘しない方がいいと思う。取引先や上司などが三角食べマナー派なら指摘した方がいいかもしれない。
ばっかり食べがマナー違反かどうかはかなり微妙だと思うが、料理を作る立場として三角食べで美味しく食べられるように意識しているから悲しい、くらいは話してもいいのではないかと思う。
何度か試してもらって、それでもばっかり食べのほうが美味しいというのであれば諦める。人の味覚もそれぞれで、ばっかり食べのほうが美味しく感じる舌なのかもしれない。
ういろうの元祖を標榜する外郎家の末裔(小田原外郎家)が現在、小田原市に存在することから生じた誤解である。小田原外郎家自身もういろう発祥の地を小田原としていない
『Art, Argument, and Advocacy』(2002年)は、討論の中で「子供たちのことを考えろ」と訴えることは、理性の問題を感情の問題にすり替える行為だと主張している[1]。倫理学者のJack Marshallは2005年、この慣用句がよく使われるのは、論理的な思考、なかんずくモラルをめぐる議論を阻害する効果があるためだと書いた[2]。
倫理学者のJack Marshallは「子供たちのことを考えろ」を、返答のしようがない論点を持ち出すことによって議論を打ち切ろうとするために使われる戦術であると説明している[2]。Jack Marshallによれば、この戦略は、理性による討論を阻止する効果的な手段だという[2]。
Carol Huntは、政治討論におけるこの慣用句の使用を「ヘレン・ラブジョイ抗弁」と呼び、これは「ヘレン・ラブジョイ症候群」としても知られていると書いた。彼女によると、この言い回しで「子供たち」というのは、問題の影響を受ける実在の子供たちのことではなく、架空の子供たちを指すことが多いという[31]。
例・
未成年の水着グラビアを禁止すると、性的な判断力が未熟な子ども達は、まるで自分の体と性が否定されたように感じるだろう。
大人たちによって、普通の水着さえ着るのを止めて肌を隠すよう促されたり。
女子プロレスやグラビアアイドルのような自分から望んでカメラの前に出た勇気を、「将来後悔するぞ」「間違った選択だ」として自由意志ごと踏みにじられたり。
ブラックリスト方式というかまさにそれが罪刑法定主義の考え方じゃないのか
調べるのめんどくさかったらwikipediaのリンク置いといてあげる
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BD%AA%E5%88%91%E6%B3%95%E5%AE%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9
https://ja.wikipedia.org/wiki/三角食べ
「三角食べ」として指導されることはほとんどないとされる。文部科学省の「食に関する指導の手引き」では以前は記載されていた「主菜とおかずは交互に食べる」という文章が現在はなくなっている
三角食べは上記の教育現場での問題以外にも様々な是非がある。日本食に固有の「口内調味」を実践できるものとして推奨している栄養士などがいる一方で、汁や飲み物でご飯などを飲み込む(押し流す)形になりかねず、咀嚼がおろそかになったり、唾液の分泌に異常が生じ、口腔乾燥症になる可能性があると主張する歯科医師もいる。また、おかずの味でご飯を流し込む食べ方になりがちなため急激な血糖値の上昇を引き起こしたり、口内調味を前提とした味の濃いおかずを食べる事による塩分摂取の過多に繋がると指摘されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/三角食べ
「三角食べ」として指導されることはほとんどないとされる。文部科学省の「食に関する指導の手引き」では以前は記載されていた「主菜とおかずは交互に食べる」という文章が現在はなくなっている
三角食べは上記の教育現場での問題以外にも様々な是非がある。日本食に固有の「口内調味」を実践できるものとして推奨している栄養士などがいる一方で、汁や飲み物でご飯などを飲み込む(押し流す)形になりかねず、咀嚼がおろそかになったり、唾液の分泌に異常が生じ、口腔乾燥症になる可能性があると主張する歯科医師もいる。また、おかずの味でご飯を流し込む食べ方になりがちなため急激な血糖値の上昇を引き起こしたり、口内調味を前提とした味の濃いおかずを食べる事による塩分摂取の過多に繋がると指摘されている。
サルコジ大統領は2009年以降、「フランスではブルカを受けいれない」と主張。2010年に政府法案を提出。禁止法案は、学校、一般道路など公共の場でのブルカ着用を全面的に禁止している。
ベルギーではブルカとニカブ(アラビア語版、英語版)を禁止し、着用する者は罰金または最長7日間の禁錮刑が科される[3]。2011年9月にはオランダで同様の禁止法案が閣議決定されており[4]、2018年8月にはデンマークでも同様に施行。またスペインなども同様に検討している。
ブルガリアでは、愛国戦線が議会で治安対策として、公共の場所でのブルカ着用を禁止する法案を提出し、2016年9月30日に可決した。違反者には、200から1500レバの罰金が科される。
自らの意思で着用しているムスリムの女性たちは「では、ミニスカートにタンクトップにしたら、女性が解放されるとでもいうのか」と反論している[12]。
では、ジェンダーレス水着を従来の水着やビキニにしたら女性が解放されるとでもいうのか。
では、女子中学生プロレスラーが夢を奪われれば女性が解放されるとでもいうのか。
では、未成年の水着グラビア写真を使えば女性が解放されるとでもいうのか。
総理息子が大学生っぽいバカ写真撮ってた問題だが、息子を馘首した事で単に政局として報道が止みそうだ。
だがそんなのどうでもいい、岸田さんが総理を続けていいから報道をもっと掘り下げて欲しいのだ。なんでかというと、「官邸で何やってるかよくわからない」「誰が出入してるかよくわからない」という問題があるからだ。「なんか怪しい」し、「なんか変な人が出入り」している。
例を挙げよう。
やまもといちろうは鳩山政権で何とか会議に呼ばれ、官邸で何とか会議に出席していた事を嘗ては誇っていた。官邸に出入してる事でハク付けしてたわけだ。
この事は今ではやまもとは言及しない。最近氏はまたネトウヨっぽい文章ばかり書くようになってきたので民主党との関わり触れられるとイヤなのかもと思うので、この事で突いてあげると面白いかも知れない。
この時に参加していた会議の名前は既に官邸HPにも内閣官房HPにもない。それでいいのか?
更にこの会議の内容となると最初から公開されていないのだ。「誰を呼んだか/出入してるか」は微かにしか判らず、「何を話し合ったのか」「どんな資料が交付されたか」は全然判らないようになっているのだ。安全保障に関わる事でもないのに秘する必要はあるだろうか?
これはやまもと氏がどこの馬の骨とも知れずという話じゃなくて会議の参加を公言している人でも会議内容がよく分らないという例なのであしからず。
そして第一次と民主党政権を挟んで第二時以降の安倍政権の特徴として「これら会議を作りまくる」というのがあった。
現在の官邸は2002年に完成したとされているが、実際には2005年くらいまで内装工事や造作替えが続いていた。
この工事は付近の地上げと造成を含む大がかりなもので、2005年くらいから付近はゴーストタウンとなって、誰もいない宅地に警察官が立哨しているという変な光景が見られた。
それで周りの道路も潰して超大型化した官邸が完成した。床面積は10倍近く拡大されたのではないかと思われる。今の官邸は低層ながらオフィスビルと同等の規模がある。前の官邸は屋敷だが今のはビルである。
Wikipediaのフロア図には官房長官控室とか執務室、会見室などTVで見る部屋ばかりが書いてあるが、
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Prime_Minister%27s_Office_of_Japan.jpg
それだけであれだけの床面積を使う訳がない。
各階に大小様々の会議室やオフィスがあり、デカいビル故に、調理室、冷暖機械室、変電室などもある。そう、高圧受電するほどの規模なのだ。311と福一事故後の電力自由化で高圧受電するコンビニなども出てきたが、それ以前で高圧受電するのは大マンションや工場、高層オフィスビルだけだった。
そして重要なのは第一次安倍政権では、この増やしまくった会議室が満杯で新たに間仕切りするほどに会議を開きまくっていた。所謂お友達問題だ。
第一次安倍内閣はお友達内閣とマスコミに揶揄されて書かれたが、その特徴は閣僚人事だけでなく官邸の政策会議も然りだったのだ。
そして誰が出入してるかについてはマスコミもちゃんと書かない。でも「どういう感じの」人が出入りしてるかは噂話として流れてくるわけだ。
前述の通りに官邸はオフィスビル化した。すると出入する業者も多くなる。機械メンテや調理、産廃、什器の購買廃棄、清掃など、設備と管理要員、営業マンが多数出入する。
官邸では入場者のIDチェックと公安問い合わせをしているが、派遣業自由化によってこれらの人員は派遣ばかりとなっている。その為に短期間での人の入れ替わりが多い。
すると官邸に変な人たちが出入してるよとかのスキャンダラスな噂話はすぐに広まる。派遣社員が同僚に話す、他の派遣先で話す、それを聞いた社員が家族に話す…となって「面白い話」は広まりやすい。
因みに、第一次政権で安倍総理が病気辞職したのを仮病だという人が居たが、政権末期に安倍氏がずっとおかゆだけ食べているというのは有名だった。だから実際に体が持たなかったのだと思われる。
ところでこれらの問題で安倍氏は自分の利益になる事があっただろうか?
桜を見る会に自分の選挙区の人らを招待していた事を除いてそうではなかった。役人を他人に便宜は図らせるように使役して問題になったのばかりだったのだ。
例えば森友学園では第三次政権が成立すると早速校長が総理と総理夫人明惠に接近している。
この公人への接近と距離が詰まるスキームは校長の特段の能力ではなしに、お友達会議が轍となったのではないか?
桜を見る会では反社会勢力に近い政治ゴロが招待されていたのが問題になった。招待状を出したのは内閣府の役人だ。
ではなぜそんなコネが出来ていたのか?それはお友達会議のメンバー経由ではないのか?
三浦瑠璃の旦那がソーラー発電関係の詐欺で逮捕され、瑠璃氏自身も失脚状態にある。
これを旦那の犯罪と本人の評価は別だと擁護する人もいる。一般にはそれは妥当な判断だ。
だが気になる報道がある。
旦那の会社がソーラーサイト予定地近傍の、ソーラーサイトと送電網接続部の土地を買占めており、相場とかけ離れた売価を要求したという報道だ。
ここで思い出したのは東海道新幹線予定地と西武鉄道(コクド)だ。
東海道新幹線の基礎は戦中の弾丸列車計画で要点の所どころ工事もされていたが、平地など細かいルートは変更の余地があった。
そして正確なルートが発表されて国鉄が地上げの交渉に入る前に奇妙な事が起きていたのである。
・「競走馬の練習場」と偽り偽装会社を通じて新横浜駅付近の線路用地をピンポイントで西武の堤が取得していた。
・伊豆箱根鉄道という三島のローカル私鉄がとっくに廃線となり線路も路盤も無くなった路線で鉄橋の建設を始めた。鉄橋が跨ぐ障害物はない。そこはピンポイントで新幹線予定地だった。そして伊豆箱根鉄道は西武鉄道の子会社である。
上のうち伊豆箱根鉄道鉄橋のほうは失敗したが、新横浜駅付近では多額の土地代金を国から得ている。騙されて売ってしまった農家たちは訴えを起こしている(請求棄却)。
この情報がどこから漏れたか?が問題となった。堤と運輸大臣の関係が怪しいとされている。
さて三浦瑠璃の夫は許認可事業であるソーラーサイト予定地の情報をどこから得たのか?
無論、官邸経由という証拠もない。だが三浦夫婦が如何なる会議に出席してどんな情報を得、どんな書類を交付されたかが全く判らないから官邸ではないだろう、という根拠すらも無いのだ。
第一次安倍政権を引き継いだ麻生政権はこの官邸で収容しきれないほどの会議を整理して変な人士の出入を制限したが、その後の民主党政権ではかなり徹底して整理され、これら会議の出席者たちはお払い箱になった。
民主政権は更に徹底していて出入り業者の殆ども変更した。多くの業者が仕事を切られたのだ。
自民党が返り咲いた第二次安倍政権では意趣返しのようにまた業者を入れ換え、秘書官も2人を残して首を切った。
その二人のうちの一人が強姦事件捜査隠蔽で有名な中村格である。
立憲の泉代表は岸田総理息子の官邸狼藉問題で岸田総理の世襲的任命責任と情報漏洩のセキュリティー問題として追及してるんだが、政局しか頭にないのが見え見えだ。
前者の世襲任命はその通りだが、前述のように変なやつが出入してておかしな事やってる方が問題なのだ。そんな事を隠したってしょうがない。
安倍明惠がV系入れて階段で耽美写真撮ってたって構わない。それが分かればいいのだ。お客を呼んで観光写真っぽいサービスしてもいい。国会てもホワイトハウスでもやるだろう。
そうじゃなくて岸田総理息子は官邸が昔のフジテレビみたいな身内受けの場になってるのを知ってるからあんなことをやったのだろう。そこに常識の無さはない。隠れて常識が無い政治ゴロが出入していた名残があるのが問題だろう。
だから政局なんてどうでもいいし岸田総理の進退なんて問わなくてもいいから、変なやつらが出入してるのが見えないって事を問題にして欲しいわけ。
オフザケ写真が漏れてもセキュリティ問題なんかにゃならない。だが新幹線や許認可事業の未発表資料が漏れるのはセキュリティ問題なのだ。一度政権に就いたのだからそういう細かいところを指摘して欲しいものである。
ファクトチェックというほど大層なものではないがネットで飛び交う言葉の印象と調べた内容に違和感があったので
県営公園や公営プールと思って多くの人がイメージするものとは異なるのではないだろうか
Wikipediaに記載の公園面積は31.1ha、なんと東京ドーム6個分以上だ。
私は事前に受けた印象と出てきた実態が違いすぎてビックリした。
https://www.parks.or.jp/shirakobatosuijo/guide/003/003428.html
当たり前だがプールは有料(なんと事前にセブンイレブンでのチケット購入が必要!)であり
そもそもイベント開催日はプールは営業期間外でどちらにしろ入れない。
ネット上では関係ない写真で印象操作するような手口が横行している
全然関係ないイベントである可能性や幼く見えるだけで中学生ではない可能性を考えて調べてみたのだが
しらこばと水上公園にて開催された水着撮影会イベントに中学生が出演していたのは本当
https://mdpr.jp/news/detail/3732070
なので過去にしらこばと水上公園で行われた水着撮影会イベントに中学生が出演していたのは本当
ただし、児ポ(もちろん正確な法的な意味ではない)的な攻め方はあまり有効ではないと思われるのは
https://dc.watch.impress.co.jp/docs/news/event/1506031.html
ここに名前が出ている178人(全員を調べられてはいないのだが)のうち、
アリン・イオリと、同グループの北口キャロライン美利衣も中学生であることは分かったが他には見付けられなかった。
私が見付けられなかっただけで全員調べてはいないので詳しい人や根気のある人の補足求む。
中学生を問題にするのならこいつらだけを出演停止させれば済む話でイベント規模や内容的には影響はほぼないと見ていいだろう。
(余談だが上記イベントは https://www.jcp-saitama-pref.jp/topics-pref/4648 記事と日付が違うが同日に二つも大規模イベントをやれるとは思えないので日付の間違いだろう)
赤い靴を履いて~作家 有吉佐和子の問いかけ~ - ETV特集 - NHK
https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/episode/te/R3X3G7V24G/
認知症介護の実態を描く1972年出版の小説『恍惚の人』に対する社会の反響を示すナレーションで、
みたいに言ってたが、おかしいだろ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%97%87#%E5%90%8D%E7%A7%B0%E5%A4%89%E6%9B%B4
“日本老年医学会において、2004年3月に柴山漠人が「『痴呆』という言葉が差別的である」と問題提起したのを受け~2004年12月24日付で、法令用語を変更すべきだとの報告書(「痴呆」に替わる用語に関する検討会報告書)がまとめられ~「認知症」を使用する旨の協力依頼の通知を出した”
「ボケ老人」や「痴呆」は今じゃ放送コードに引っ掛かって使えないの?
だったら言い回しを工夫しないと。
阿部千登勢の旦那の名前なんだっけと思ってkolorでググったら一番上にwikipediaが出てこなかった。
かなりのメジャーどころなのにと不思議に思って、「wikipedia」も入れて調べても出てこない。
Sacaiの方は英語版だけ出てきた。当然というか、阿部千登勢と阿部潤一の二人とも記事はなかった。
ちょっと気になって色々調べてみた。ヨウジとギャルソンは流石にあった。イッセイミヤケも。
コモリやatonになるともう出てこない。シュタインもサリバンもhykeも出てこない。
海外のハイメゾンは大体あった。ドリスは出てきたけどアクネもトーガもない。
面白くて、賢くて、粋で、格好良くて、危険な おっちゃんが おったんや。
・引退がネット普及の直前で、その足跡がネット上に殆ど無い事。
・増田自身がアラフィフで、 実際には上岡師匠の活躍を引退前の5~6年しか知らない事。
(追記修正:ごめんなさい。増田はアラフォーでしたわ。「アラフィフの人の意見が聞きたい!」 という気持ちが空回りしてしまいました。)
その実力と活躍に比して〈作品〉や〈芸〉と言えるものが少ない事。
考えが まとまらない。 思いつくままに書く。
大昔に引退された故人を語り継ごうと思う事自体が、増田が老害になった証拠なのだろう。
しかし、
上岡師匠に関しては、増田と同世代以上との 思い出話も紡げないと感じる。
訃報や、Wikipediaなどで上岡師匠の概略は説明されているだろう。
一方で、
恐らく、
23年以上前の動画や音声だけでは 前提情報や文脈が違い過ぎ、あの時代の空気感は おろか 意味や意図も正確に伝わり難いだろう。
無謀にも増田はそこを少し補いたい。
訃報に際し、
上岡師匠が時にトラブルを巻き起こした事は書かれてあると思うが……。
決して、トラブルメーカーなタイプでも、我儘でも、爆発するタイプの芸人でもなかった。
基本は、
常に機知にとみ、理知的で冷静な姿勢を保ちつつ毒舌を組み込んでいく司会とトークの達人だったのだが。
出演されているだけで
これは、テレビやラジオへの誠実さの裏返しで常に少し緊張感のある芸風だった。
それが良かった……。
そして
社会的正義と、ご自身の信念が重なった領域では決して曲がらない人だった。
【時代】
当時は
インターネットやケータイの影響は確実に有ったが、ネットが使えて当たり前という時代では無かった。
動画の送受信なんて一般には不可能で、 画像の表示さえ重かった。
ただ、
テレビが、マスメディアとして独占的地位にある最後の時代だった……。
増田は、上岡師匠はネットとテレビの現状を当時の時点で察しておられたと確信している。
「(ネットが普及すると) ウチら(芸人)は いらん様になるな。 だって、友達と喋った方が面白いもん。」
(追記修正:肝心、要のポイントなのだけど。『松紳』での紳助さんの発言と混同しているかも……。申し訳ない。)
実力的にも、年齢的にも、まだまだ余裕だった筈。
ただ、
引き際も含めて上岡龍太郎という【芸】の完成形だった……。
上岡龍太郎を知っている。あるいは影響を受けた
しかし、そこに
上岡龍太郎の知性、センス、バランス感覚、人間性、 思いやり、そして環境が揃わなければ。
いや……、増田は……、
暗い優越感でもあった事を認めねばなるまい……。
20世紀の終わり。
師匠。
本当に綺麗に引退されましたね。
増田も当時、幼いなりに その価値、その意味を分かっていたつもりでした。
でも 正直、寂しいですわ。
この23年間の何処かで 、また見たかった。また聞きたかったです。
甘いですわね。
イヤになっちまうわ……。
探偵!ナイトスクープのDVDとかは有るし。
ここで買えるみたい。増田も後で買う。
https://ebookjapan.yahoo.co.jp/books/430131/A001805387/
何か、お別れ会も無いみたいだし。
師匠の思い出話も出来ないわ。
アラフィフ以上の人も集まって 師匠の思い出話が集まる様な場所を知っている人がいたら教えて欲しい。
このまま散逸するのは悔しいわ。
追記とかもするし。