はてなキーワード: 沈黙とは
10代の女性にとって、大人=社会的存在になることと、女の身体になるのと=多数派の性的対象になることは表裏一体をなしている。まずはこれが大前提。
社会的存在になりたくない、というのがサイマジョのメッセージならば、月スカでの主張はその裏側、性的対象になりたくない、ということ。そして、二つの曲、というか詩世界で、そうなりつつある状況に対する反発が昇華されている、という構造。
サイマジョにおいて声を上げたい、黙っていたくないと主張する主人公は、対して月スカで声を上げようとはしない。なぜならば、声をあげれば、自分が性的対象になってしまったことを認めることになるから。だから彼女は沈黙で抗おうとする。
押し黙ったことによる欲求不満が、表側、社会的存在になりたくないという、サイマジョでの主張となって爆発する。そういう構造。
どうしても後一歩というところで完成に届かない。
やはり問題はリダイアに関する情報の真偽、その取捨選択ではあるが、グループ内で意見が分かれるのも混迷の一因だ。
「やっぱり、こっちの文献に書かれたことが嘘なんじゃないかな。こっちに書かれたリダイアの容姿は、青年くらい。この時点で青年だとすると、40年後の彼はもう老人だ」
「こっちの文献にはリダイアの容姿について書かれていないから、矛盾はしないだろ」
「活躍の内容が問題なんだよ。スーパーアスリート並の身体能力で敵を蹴散らしたことになっちゃうんだ。ましてや人間の平均寿命が今より遥かに低かった時代だ。なおさら有り得ない」
「だが、そっちの文献は伝聞をもとに書かれた手記だろ。正確性に欠けるんじゃないか?」
「そんなこといったら、あっちの文献はリダイアと敵対する勢力が書いたものだろ。偏見が混じっている可能性がある」
こんな調子だ。
「というか、リダイアはこの町では建築家として名を馳せたんだよね。こっちの方だと天下無双の猛将ってことになるんだけど、どうもイメージが湧かないんだよなあ」
「医者として多くの命を救ったと書かれてるな、こっちは」
「うーん、この文献にはアマゾンの集落でヤマト魂を発揮したとか書かれているのが謎過ぎるな」
もう一つ厄介だったのが、リダイアに対するイメージがメンバーそれぞれで異なっていたことだ。
歴史的な英雄というものは、ある意味でそれを見た人間の理想という側面もある。
リダイアという英雄はそんなこと言わない、そんなことをしない、この主観が判断を鈍らせることもある。
文献をまとめるのに苦労した理由は、そういったメンバー間での価値観の違いによるところも大きかった。
こうして制作が滞っている割に、議論だけは白熱している状態が1時間ほど続いた。
沈黙を貫いていた俺もさすがに痺れを切らした。
「みんな、議論はここまでだ。意見を一致させるだなんてことが、そもそも無理だったんだ」
「方法はある」
そう、方法はあるのだ。
当然、俺がその方法を今まで提示しなかったのは相応の理由があるからなのだが。
しかし、このままじゃ判定すら貰えないかもしれないので、背に腹は変えられない。
「具体的にはどうするんだ。そもそも各情報の真偽を判断できず、取捨選択に苦慮しているから進まないのに」
「シフトって、どういう風に?」
「発想の転換さ。取捨選択が困難なら、取捨選択なんてしなければいい」
「……はあ?」
三人は全く同じ調子で、同時にそう声を発した。
そういうところだけは一致するんだな。
たまにご飯を食べる関係でいたいので、そういう目で見ないでください、告白は絶対にしないでください。と、前置きで忠告しなければ、男性はすぐ好意を持ってしまう生き物なんですか?
今年の4月から新卒で今の会社に入社しました。配属希望は全て無視され、友達も親戚も1人もいない土地に住んでいます。上司は既婚のおじさんとおばさんがいるだけで、お客様も年上ばかりです。
こちらに引っ越してきて5ヶ月です。友達が出来ません。1人で過ごすのも苦ではないのですが、焼肉食べたい!仕事の愚痴を聞いて欲しい!昨日見たテレビの話をしたい!等、友達にしか出来ないようなことが、たまにしたくてたまらなくなるのです。
お客様と仲良くなり、ご飯を誘われることが数回ありました。私は美人ではありませんが、顔面は中の中レベルで、スタイルは良い方かと思います。男女問わず、大人に可愛がってもらうのが好きなので、愛嬌を振りまくのは得意です。学生の頃からですが、31歳の男性ばかりに好かれます。自分に好意があるとは知りつつも、付き合う気はありませんでした。ただ一緒にご飯を食べて、お話がしたかったのです。
1人目 公務員
ドライブ、行く道行く道全て行き止まりで疲れました。彼はそれでも楽しいようでした。私が少し黙っただけで「どうした?(笑)」と毎回聞いてくるので、すごくストレス。自分の話ばかりで、私は「へー!凄い!知らなかった!なんでも知ってますね!」の繰り返しで、接待かよ…早く帰りたい……と思っていました。その後何度か誘われましたが、会話が疲れるので何かと理由をつけてお断りしています。
会話が楽しいし、沈黙も苦ではない。自分のことを全部話したくなるし、ただうんうんって聞いてくれるのが居心地良い。毎週会ってご飯を食べるのが楽しみでした。でも告白されて、友達でいて欲しいと断るとそれ以降誘われなくなりました。とても悲しかったです。
3人目 会社員
とても心優しい人でした。色々な考えを持っていて、一緒にいるのが楽しかったです。無邪気で少し子供っぽくて、精神年齢同じくらいでした。良い友達になれそうと思いましたが、初めて遊んだその日に「もっと関係を発展させたい。でもまだ早いよね」と言われました。悲しくて、帰り道1人で泣きました。
なぜ、友達ではいられないのでしょうか?一緒にご飯食べて嬉しそうにしてたら、こいつイケるなって思うんですか?男性側からしたら思わせぶりな態度を取っているように見えますか?でも、本当に友達が欲しいだけなんです。もしかして31歳と23歳が恋愛感情無く一緒にいたいと思うのは、そもそも無理ですか?なぜ恋人関係だけを求めるんですか?31歳独身という肩書きが、そうさせるんですか?若い子同士だと、恋愛感情はなくともご飯を食べることくらい普通です。どうすればいいか分かりません。このまま友達が出来ずに、この土地で働き続けなければいけないのでしょうか?告白されたくないです。告白されると悲しいです。
2013年とかアニメ放送前はヤマカンを全面に押し出して、知名度不足を解消しようと宣伝活動していたWUG。
その放送直前にヤマカンを「炎の7番勝負」とか炎上を題材にしてと全面を出したタイトルでWUGを宣伝してた時、
条件か知らんが製作委員会引っ張り出て抱負とか語ってあいさつしてたね。
今製作委員会とか誰もコメントしないよね。新監督も不明瞭だったし。
残ったのはプロデューサーと音楽の神前+モナカのみだね。説明とかなんも説明してないけど後ろめたいのかな?
大ヒットではないこの作品がまがりなりにも展開を続けたのはまあ、企画持ち込みで原案者だったヤマカン氏が離れることで嬉しがる人もいたようではあるし、期待する人もいるだろうね。
ただヤマカン氏が監督であったことからこそ好きになったという奴もいるわけで、はてさてどうなるか。
一般的にオリジナル作品で変更はカタストロフィ的な出来事で混乱と比較が生まれてしまいマイナスになるところを、
原案者であるヤマカンの名前を隠すことでさらにマイナスになるね。
新ユニットを成り立たせようとすればWUGファンで怒る人もいるだろうがこれも説明などがなく公式が沈黙してるのは今までのファンに悪印象や不安を与えるんじゃないかな、悪手。
加えてヤマカンだから見ないと言ってる人が続編から見てくれるというのはほとんどないと思うしそういう博打掛けたのなら失敗なんじゃないかな。
一方辞めさせられたことて業界嫌いになってしまったヤマカン氏は業界外で生きると決心したかのように業界内での反発や暴露や政治発言も社会派のような事もつぶやいてるけど
レントゲン写真をボールペンのケツでつつきながら、医者はそう言った。
目の前が一瞬暗くなって、それから、さっきまで石ころのように
小足で蹴りながら運んできた仕事、家族、可能性が、ドブに落ちていくのを感じて、あっ、と思った。
手術でしょうか?入院でしょうか?治るんでしょうか?
医者は、はいともいいえとも言わずに、顎に手をやりながら暫し沈黙すると、
「まあ、悪いものでもなさそうだし、とりあえず様子見ときましょうか」
拍子抜けとともに、思わず笑顔になった、医者も笑顔で頷いた。世界に色が戻ってきた。
自覚症状が無いだけで、大抵の人は加齢とともに価値観が出来てしまうものらしい。
あーあ、俺ももう若くないんだなあ。
ところどころフェイクを入れる。だいぶ長い。
すごく綺麗で"大人の女性"という雰囲気があり、いつも颯爽としていてかっこよく、紫の光沢を帯びたヒールが似合っている人だった。3年ほどお世話になった。もう6~7年ほど会っていない。
私は慕っていたけど、その空白期間に彼女に連絡する気はなかった。というのも、最後に私がちゃんと挨拶しないまま彼女がどこかへ行ってしまったので、やや気まずい雰囲気で終わった経緯があるからだ。
ある日なんとはなしに彼女の名前で検索したところ、彼女の本名ブログを見つけて驚いた。独立して仕事をしていることが容易にわかった。私が慕っていた頃とあまり変わらない様子でやっていることがわかった。
「びっくりしたなんて嘘でしょう。本当は傷ついて、怒っているんでしょう?自分の感情と向き合おうよ。」
感激していた。自分が慕うきっかけになった人生訓時を、書いてくれている。コメントもブクマも一切しなかったが、わりに彼女のブログを覗いていた方だったと思う。
しかし私もただ彼女の人生訓時を読んでいたわけではない。そこに2つの感情を抱いていた。
まず、彼女が独立をして仕事をしていることに嫉妬を覚えていた。年齢差があるとはいえ、(私から見た限り)本人の特性に合ったことで働く彼女に、憧れや羨望以上に焦りがあったのだと思う。
そして同時に疑問の感情も湧いていた。「これでどうやって稼いで、生計を立てているのだ?」、と。
ブログを読む限り集客モデルはおろか、ビジネスモデルとして成り立っていないと正直思った。仕事の詳細は触れないが、言ってしまえば『綺麗な言葉を並べて、詐欺まがいに近い』と思っていた。コンサルタントというと言葉の響きはいいかもしれないが、一歩間違えば紛れもなくフリーターだった。彼女は学歴も職歴も不確かな人間なのだ。
そして彼女の精神面に寄り添って更に言うと、「これは彼女ではないのでは」とも感じた。言葉が綺麗でポジティブになりすぎていたのである。
彼女はどちらかといえば、ネガティブな人間臭さのある人で、けして綺麗な言葉ばかりを言う人ではなかった。
彼女が今までとは違う生き方を真に選んで生きていきたいなら、第三者の私は口出しをすべきではないだろう。
しかしそれも踏まえた上であえて書くと、「でも彼女は、そうしたポジティブな考え方を続けることができない人だ」と、直感が言っていた。
これは経験的な勘なのでこれ以上は説明できないが、私の感性はそのように告げていた。
そんな気持ちがますますふくらむころ、前触れもなく彼女のブログ更新は止まった。
彼女の近況が知れなくなったのは寂しくもあったが、「もしかしていい人でも見つけて、結婚でもしたのかな」とぼんやり考えていた。
たまに彼女の名前で検索して、やや胡散臭い文章で止まったままのブログを読みに行っていた。
しかしあるときいつもの検索ページ上位に、違う結果が表示された。
そのページを眺めたら、よくわからないイベントの主催者として表示されていたのだ。
「ああ、胡散臭いな」と思った。そう思わせるイベントだったのである。
苗字も変わっていないので結婚はしていないのだろう。そんなことを知った。
彼女の新しいブログができていた。しかし、仕事内容とは関係がないように思えた。
"何か"をエントリーしたようだったが、すでに公開を取り下げたようだった。
それからまた、転機が訪れる。彼女が更に新しく作ったブログの、最新エントリが表示された。
その記事は1日前に更新されたようだったが、やはりすでに公開取り下げをしていた。
けれどタイミングよく私はそのエントリのキャッシュを得ることができ"てしまっ"た。
そのブログはとても長い内容だった。
その書き下しで始まったのだが、本当にそれは"自己紹介"だった。
彼女の本名・生年月日・血液型から始まり、何に興味を持っているのか、何に興味を持たないのか、彼女はどんな人なのか。それはとても詳細に書かれていた。
「これは紛れもなく彼女だ。」、そんな気持ちを得たのに、文字を追うにつれて不安感が募ってきた。
・社交性が低いのではなく、社交に興味がないのかもしれない。
・うわべだけの会話が苦手。社交辞令も苦手。
・本当でないものが、嫌い。
こんな感じの、箇条書きが続いた。
そしてこう続く。
・生きる理由がわからないけど、死ぬ理由もないから、とりあえず生きている。
読んでいて、どんどん辛くなってきた。
ある友人から、「あなたは自分自身の面倒臭い部分を見つめて、それと向き合って生きていける人」と言われたエピソードが本当に嬉しかったこと。
彼女が、いかに面倒な彼女自身の人間性とどのように付き合っていくか、その哲学に人生の半分を費やしたこと。彼女が今までにどのように行動を起こしたのかということ。
いっときは変わったとも思っていたが、周りの人から「素敵な人だ」「やさしい」といった言葉を受けるたびに、内面の彼女と外面の彼女とが乖離している気持ちを受けたこと。
"自分はいかに愛されキャラポジションとは真逆で、いかに他人と付き合いにくいキャラか。客観的に自分を見て、自分と友達になりたいかと言われたら、沈黙を選ぶ。けど、そんな自分も悪くないと思っている。"
そんなことを、ひたすら綴って終わっていた。
「これが、こじらせの末路か。」
そんなことを思った。
ほとんどの人は、うわべだけの付き合いなんて望んでいないだろう。
「社交辞令は嫌い。本物の言葉が欲しい。」と彼女は言うが、彼女は他者の仮面を剥ぎ取るような努力を真に続けたのだろうか。
ほとんどの人が、いろいろな人間関係に揉まれて、切磋琢磨して、心が安らぐ人との真に揺るがない信頼や親愛を勝ち得るのである。
「こんなに面倒臭い私だが、こんな私であるという唯一事実に降伏して、生きていく。」
「こんな面倒な私だが、まんざらでもない。」
結びの言葉に、「ああ、この人は一人で生きていくしかないな」と素直に感じた。
自分の不完全を認めた上で、それを他者に補完してもらうことで、人と人は共生できる。
もちろん社会が多様化した結果、自分一人で生きていける人もいるだろう。しかし、多くの人間がそうであれば、社会は成り立たない。
自分の不完全さを自分一人で完全に受け入れて、自分を愛しては生きていけないのだ。特に、彼女のような人は。
(あるいは、彼女のような人こそ、一人で生きるべきなのかもしれない。)
僕は小説を読むのは好きなのだが文章を読むのはあまり好きではないという、どうしようもない性質を持っている。
酷いときは最初の一行を読んだだけで本を放り出すこともある。なにか事件が起こる前にだらだらとまえがきのようなものが続くともう読む気が失せてしまうのだ。
なので冒頭ではさっさと本題に入って、その世界に引きずり込んでほしいと常々思っている。
特に気合を入れて臨む長編と違い、軽い気持ちで読み始める短編ではその傾向が強い。
そこでちょっと気になったので短編小説の書き出しをまとめてみた。
筒井康隆 傷ついたのは誰の心
中上健次 赫髪
三島由紀夫 雨のなかの噴水
小島信夫 馬
庄野潤三 蟹
安部公房 家
安岡章太郎 愛玩
丸谷才一 贈り物
他にもタイプはあるのだが主だったところはこんなもんだろう。
こうしてまとめてみると僕は【状況描写型】が好きなようだ。
この小説は明るい話なのか、暗い話なのか、どういったテーマなのか、いったいどこへ向かっているのかを早々と提示してくれるのはものぐさにとってはありがたい。
穏健な思想を持つ人々が沈黙し、あるいは無気力・無関心になり、あるいは過激化する。
それによって日本が混乱し、弱体化させることができる。
過激な革命家にとって革命の最大の障害になるのは、過激な反対勢力ではなく穏健な人々。
結局、不人気の職業体験の面目を保つという意味合いも含めて、俺はアパレルらしきものを選んだ。
「そういうマスダもか」
「それで、僕たちは一体なにをすれば?」
「最初は店でレジでもしてもらおうかと思ったんだけど、いつ来るかも分からない客を待っていたり、かといって雑用作業なんてのも退屈だろ?」
「はあ……」
「そこで趣向を変えて、最近目をつけていたとある商品の販売に専念してもらうことにした」
俺もタイナイも嫌な予感がしていた。
思いつきの経営を、ましてや俺たちにさせるってのは、どうなんだろうか。
「これを見てくれ」
そう言うと、店頭にあった箱を指差す。
箱の中には小奇麗な石が十数個ほど並べられていた。
何かの原石とかだろうか。
「そう、何の変哲もない石だ。これを売ってもらう」
自信満々に言ってのける。
俺たちは戸惑いを隠せなかった。
「え……っと、何らかの使い道がある性質だとか、何らかの効能というか、そういうのがあるんです?」
「いや、別に。石は石だ」
つまり、それら石は事実上道端に転がっているものをちょっと綺麗にした程度のものであり、それ以上でもそれ以下でもなかった。
本当に道端から拾ってきたんじゃないかというほど不揃いで、使い道に困る不恰好なものばかりだったのだ。
「え、それを売るんですか」
「何の問題が? 別に商品説明を盛っているわけでもない。いたって誠実だ」
そうなのかもしれないが、そういう話ではない。
これといった用途もなく、宝石のイミテーションにすらならないものだ。
「売るって、いくらですか?」
「そうだなあ、ひとつ500円で」
恐らく「500円くらいなら文句を言う気にもなれないし、まあこんなものだろう」と消費者に思わせたいのだろう。
狡っからいと言いたいところだが、この石はそれ以前の問題な気がした。
値段をつけて売る価値があるかすら疑わしい。
俺たちの怪訝な表情を察したのか、その人はやれやれと溜め息交じりに語りだす。
「商売ってのは売りたい人が売って、欲しい人が買う。需要と供給は絶対正義だ。モノの価値ってのは人間が後からつけたものなんだよ。キミたちは価値を感じないのかもしれないが、オレはそうは思わない。後は欲しいと思っている人を探すだけだ」
本気かどうか分からないが、相手は経営者で、俺たちは商売の是非を把握しているわけではないティーンエイジャー。
「販売方法はキミたちに任せる。売れた数に応じて評価点をあげようじゃないか。大丈夫、大丈夫、簡単、簡単。」
この経営者が何を持って簡単だとのたまうのか、俺たちにはよく分からなかった。
少なくとも俺たちは、この石を主観的に見ても客観的に見ても価値を感じないわけで、仮にこれに価値を感じる人間がいたとしても特定できる気がしない。
しかし評価点を餌にされた以上、俺たちみたいな大人しい若者は大人しく従うしかない。
十数個の石が入った箱をそれぞれ渡された。
改めて個々の石を眺めてみるが、やっぱり売り物として成立するとは思えない代物だ。
「それらはキミたちがそれぞれ売る石だから、片方に押し付けたりしちゃ駄目だぞ。それに売り上げと、売れなかった分の石はちゃんと返してもらうから。誤魔化してもキミたちが損するだけだからな」
こうして俺たちは「簡単な商売」の職業体験をさせられることになったのであった。
私がそうなんですけど他にそういう人います?
初対面だとお互いに何も知らないから
「お住まいどこですか?」
「ご出身どこですか?」
「趣味は何ですか?」
みたいなべタな質問から会話がスタートして「へぇ、私も東横線沿線なんですよ。通勤時辛いですよね~」と会話が盛り上がるんだけど、2度目、3度目と会う回数が増えていくと、差し障りのないネタも無くなってきて会話が続かなくなる。
で、そんな沈黙が嫌だから、何となくその人と会うのを避けるようになっちゃって、挙句に相手に「あれ、私嫌われたのかな?」と思わせてしまうという悪循環。
いつもこんな感じで気まずくなるんだけど、他にこういう人います?
【再掲】■アマゾンの「バックオーダー発注」廃止は、正味戦争の宣戦布告である
https://anond.hatelabo.jp/20170601214849
ここまでに集まってきた情報を集約し、どう対応するのが出版社にとって得策なのかを考えたい。前回同様、「僕と契約してe託出版社になってよ」と囁く声に揺れている人に向けてこれを書く。出版社が死に絶えた先に本の未来があると信じる人は、そう行動すればいい。私はそれに賛同しないし、その人たちのために論考を書く気もない。
5月から出版社に向けて五月雨式にアマゾンから「説明会」の案内が送られている。内容はここ数年繰り返されてきたのと同じ取次流通への悪口雑言と、「このままでは貴社の流通が危ない! さあe託契約を! 6月中なら特別条件で!」というものだ。
目新しい情報といえば、日販の在庫率が出版社の規模によって違う、つまり、「あなたたち中小は差別されていますよ」という煽りだ。しかし、先般日経新聞に出ていたアマゾン負担による集荷構想は、小規模出版社には適用されないという。なんのことはない。アマゾンだって差別をやっているのだ。説明会の案内が来ない出版社には特別条件も提示されないし、説明会に参加することも許されない。質問しても答えも来ない。
日販はここに至っても、対応についてなんら説明を始めていない(大手にはしているのかもしれないが)。この沈黙は組織としての老朽化を実感させる。なので筆者としては、ことさらに日販を擁護するつもりもない。ただ、説明会でのアマゾンの弁によれば、今春にヤマト運輸と期を一にして、日販も条件改定の交渉を切り出したとのことだ。アマゾンから執拗に「在庫の拡充」を求められ、その原資を求めたのだろう。本件において日販は、愚鈍ではあるが邪悪ではない。むしろ、これまで一般書店そっちのけで利益の低いアマゾンを優遇してきた不正な状況を改善しようとしたと言える。
業界紙『新文化』5月25日号記事「アマゾンジャパン、「日販バックオーダー発注」停止の真意/バイスプレジデント・村井良二氏、事業企画本部長・種茂正彦氏に聞く」でも、日販に在庫要望を繰り返したことは明言されている。
この記事で可笑しいのは、アマゾンが40万点やら200万点やらのアイテムについて「精度の高い需要予測を持っていて、その数量の在庫を持つよう日販に求めたが、応じてもらっていない」と不満を述べているところだ。この主張こそが、アマゾンが求めているものが読者の利益でも流通の速度や確実さでもないことを裏付けている。
それだけ確度の高い予想をもっているのであれば、現在の在庫を3~4倍増し、6~8週間の需要予測分を仕入れて在庫すればいい。調達日数は8-10日くらいなのだから、需要のスパイクもほとんどがそこで吸収でき、欠品率は80%以上向上するだろう。アマゾンは「ロングテール」を誇っているのだから、たとえ予測が大きく外れても、100週間くらいのうちにはあらかた消化できる。もちろん経費はかかる。しかし駅前やロードサイドの一等地に店舗を構える書店にくらべれば、はるかにコストもリスクも低い。しかし、その在庫経費を日販に求めようとする。お門違いとしか言いようがない。
だから、前回に言ったとおり、アマゾンが求めているのは経費の負担であり、流通の改善などではない。これは正味戦争なのだ。(前回のエントリで「正味戦争」という言葉を知らない業界人が多いことを思い知らされた。61年の雑誌戦争、69年のブック戦争を総称して正味戦争と呼ぶ。書店による一斉販売拒否などの実力行使を含む激しい闘争であったが、当事者間で情報が共有されオープンな話し合いがもたれただけ、今回の戦争より公正であった。)
さて、戦争の状況を概説したい。アマゾンが提示している中小出版社への「特別条件」は65%である。個別交渉で時限ながら68%を獲得した社もあり、前述のとおりオープンな条件ではない。アマゾンは各方面で為される「条件切り下げ」の指摘を気にかけているようで、「全アイテムの登録・週5日の出荷回答・2か所(+1か所になる場合あり)への納品」の3条件が遵守されるかぎり、この条件を「変えるつもりはない」と語っている。
しかし、条件が遵守されているかの判断権はアマゾンが握っているし、「変えるつもりはない」というトークを明文条項に盛り込んで契約できた社はない。なによりe託契約は「完全なる合意」を条項に謳っており、個別の覚書や担当者との口約束等は意味をなさないとされている。
これらの条件を「6月末日までですよ」と決断に期限をかけ、「もうこの条件は出ませんよ。いますぐ契約を!」とテレビショッピングのようにプレゼンしているのがアマゾンの説明会である。まともなBtoB商売のセンスではない。
これは商売の正味の話だ。だから、検討する人は正味の損得を計算するのが最初にやることだ。しかし、この件についてあちこちから相談を持ちかけられるが、自分で計算をしている人があまりに少ない。
週5回2~3か所に宅配便で出荷する経費は、送料・梱包手数料・資材費を計算するとかなり大きな割合を占める。60%掛に切り下げられたときに、実正味がいくらになるのか。それはアマゾンでのカゴ落ち失注を防ぐ(e託で防げるとも限らないが)ことで割にあうのか。宅配便の追加納品先が突然鳥栖に切り替えられても大丈夫か。冷静に計算してみることが必要だろう。
アマゾンでの失注は、100%が失われる売り上げではない。そのうち、切実な需要の分は、他の身銭を切って在庫をもっていたり、迅速な調達に努力していたりする書店にまわるのだ。アマゾンが在庫と調達に不熱心な書店である事実が広まれば、その率はますます高まるだろう。
当方ではエクセルの計算シートでそれらの要素を試算し、パラメータが変わるごとの得失がわかるようにした。より汎用性の高いものに改善でき次第、近日中に本項への追加として公開することにしたい。大して複雑な計算ではないが、自力での計算方法に自信がもてない方は、それまで決断を待ってはどうだろうか。
なお、匿名性の高いspreadsheetの公開方法を募集中である。
本記事のライセンスについて「CC BY 4.0」を宣言します。転載・再配布・翻案自由とします。また、はてなによって本記事がまた消去された場合は元記事の掲示が無意味になりますが、その場合もどなたかが再掲載してくださることを希望します。
今の彼氏も口下手で、二人でいてもまったく会話が盛り上がらない。
テレビを見ていても、政治経済や歴史文化に関する知識が乏しいから、ちっとも会話が弾まない。
それは私もだけれど。
がんばらなくていい
面白い話をしようとしなくていい
話したくないなら話さなくていい
一日中ダラダラしてていい
活字なんて読まなくていい
映画を見ても、「ふ~ん」で終わっていい
本を読まなくていい
好きなことだけしていればいい
結局、似た者同士で」付き合ってるんだと思う。
一緒にいて成長するってどういうことだろう?
お互い知らないことを教えあったり、素敵なものや景色を見つけにいって面白がったり。
話が面白くない
本も新聞も雑誌も読まず自分の考えも整理せずにただ快楽のために生きている
そんな自分の欠点を、目の前の相手がまざまざと見せつけてくる。
八方ふさがりである。