10代の女性にとって、大人=社会的存在になることと、女の身体になるのと=多数派の性的対象になることは表裏一体をなしている。まずはこれが大前提。
社会的存在になりたくない、というのがサイマジョのメッセージならば、月スカでの主張はその裏側、性的対象になりたくない、ということ。そして、二つの曲、というか詩世界で、そうなりつつある状況に対する反発が昇華されている、という構造。
サイマジョにおいて声を上げたい、黙っていたくないと主張する主人公は、対して月スカで声を上げようとはしない。なぜならば、声をあげれば、自分が性的対象になってしまったことを認めることになるから。だから彼女は沈黙で抗おうとする。
押し黙ったことによる欲求不満が、表側、社会的存在になりたくないという、サイマジョでの主張となって爆発する。そういう構造。