はてなキーワード: 住民投票とは
出来ることはあるのかもしれないけれど、
どれも今の戦争には間に合いそうもないことばかりだよね。
寄付をすることも
苦境に立っている人を勇気づけるかもしれない。
でも状況を変えることは出来ないよね。
だったら長期的になら?って考えたら何か出来ることがあるんじゃないかな。
まず忘れないことだよね。
そして何でこんなヘンテコな戦争が始まってしまったんだ?って考えること。
忘れないことっていうのは世の中には戦争を起こしたがる人間が必ずいる、ってことを忘れないこと。
ぼくたちはついつい忘れてしまうよね。
そして見たくない事実を見ることが出来ない。
戦争は多くの人にとって無用なものだけど、そうは考えない人が必ずいるってことを忘れてはいけない。
考えるっていうのは何でこの戦争は起こったんだ?って考えること。
なんでこの戦争が始まったんだ?ってことをシンプルに言ったら、
ロシアの民主制度が機能していないからってことに原因があるよね。
いまのロシアの指導者が政権の座について22年が経過している。
これって、おかしいよね?
まともな民主主義の国で22年も政権のトップで居続けるのなんてことありえない。
だから、こういったことを可能にするカラクリであるとか、そういったことを許してはいけない。
いま、許してはいけないと書いてしまったけど、でもロシアにそのことを許さない、という権利は僕たちにはないよね。
僕たちはロシア国民ではないからそのことをとやかく言うことは出来ない。
じゃあ、どの国にそのことを許してはいけないのか?
といえば、僕たちが住む日本の話になるよね。
僕たちの国が将来、他国を侵略するような国にしないことは将来の不幸を招かないことになるよね。
これが長期的になら出来ることがある、って言う意味だ。
僕たちは幸い今のところ民主主義が機能している社会に生きている。
でも、それは永遠不滅のことではなくて僕たちがきちんと国民の役割を果たさなければすぐにではなくてもいずれは崩壊してしまうことだ。
例えば住民投票で2度も否決された事実を無視して自分たちの党是を優先した政策を進めようとしている政党があれば、それは民主的ではないよね。
そのこと自体は小さな出来事だったとしても、それを許せば次の出来事、また次の出来事が発生していくからだ。
そういった連鎖反応がやがては怪物のような独裁者を生むことになる。
考える、ということはこういうことだと思う。
これはもちろん僕の考えであって他の人は違う考えを持つと思う。
そして、それは当然のことだ。
重要なのは、ひとりひとりが戦争が何故起きるのか?起こさないためにはどうするべきなのか考えること。
伝える、っていうことはいまはまだ子供であるとか生まれていないとかで事実を知らない人に伝えること。
つい一ヶ月前まで戦争が起こるなんて信じられなかった。
でも実際に起ってしまった。
伝えなくてはいけないのは、このことだよね。
何もしなければ戦争は必ず起こる、そのように人間社会は出来ているから戦争を起こさない努力をしなければいけない。
でも忘れてはいけないことだよね。
だから、僕たちは今日起こったことも80年前に起こったことも忘れてはならないこととして伝えていかなくてはいけない。
そういったことが僕たちに出来ることだし、そういったことが将来の戦争をなくすことに繋がるのだと思う。
ておくれになるまえに きょう できることを する。
ほとんどすべての国が考えることと同じだ。自国の領土と権益を守りたい。ウクライナにNATOの基地ができたら、米国は数分でモスクワを破壊できることになって、米国との核抑止も怪しくなる。ウクライナ国境からモスクワまでは平原が広がっており、陸軍で侵略するのも簡単だ。キューバ危機と同じ構造だと思えばいい。当時はアメリカが引かなくて危うく核戦争になるところだった。
ロシアの国家モデルと権力システムが魅力的なものである必要があった。しかし、ロシアは魅力的なシステムを作ることができなかったので、ウクライナは、欧米に行ってしまった
これを正論だという人がいるが、これは不正義だと私は思う。「欧米に行く」というのは、ロシアと欧米が対立していることを仮定している。「欧米」は軍事面でも経済面でもロシアよりずっと強力で、欧米がロシアと本気で敵対したら、ロシアに勝ち目はない。そんなことはロシアもわかっていて、冷戦終了後はロシアはかなり歩みよっていた。
その流れを変えたのはNATO側だと私は思う。おそらく決定的な事件は、コソボの独立だろう。NATOが親ロシアのセルビアに空爆を行い、強制的にセルビアからコソボの独立を認めさせた事件だ。軍事攻撃で中央政府を恫喝し、無理やり一地方の独立を認めさせる、というのは、第二次大戦以降ではコソボが初めてだ。コソボではNATO軍に保護された住民投票によって独立が決定したが、普通、一地方の住民投票では国家からの独立はできない。また、コソボでは多数民族と少数民族が激しく対立しており、セルビアから独立するという決定を、単純多数決で行うのはかなり疑問が残る。実際、少数民族は独立後に激減している。ロシアがクリミア地方にやったこととほぼ同じだと思う。ただ、米国主導のコソボの独立は、ロシアと違って、どの国からも経済制裁を受けることはなかったけどね。
同時期のNATO東方拡大と合わせると、たとえロシアが欧米のルールを尊重しながら融和路線を取ったとしても、欧米はルールを無視して軍事力を使いながらロシアの影響力をじわじわと奪い取ろうとしてくるに違いないとロシアが感じてもそれは妥当だと思う。ウクライナにNATO基地ができたら、例えば対中国包囲網とかでロシアと欧米の利害が対立した時、軍事力をちらつかせながらロシアに屈服をせまるのは容易に想定できる。
これは私の想像だが、西側諸国が安定しているとロシアにとってはろくなことにならない、とプーチンは考えているのではないか。それ以外に、サイバー攻撃などで米国の大統領選挙に介入する理由が思いつかない。世界最強の軍事力を持っている国を怒らせるリスクよりも、アメリカが安定して世界の警察官始めちゃうリスクのほうが高い、と思っているんだろう。アメリカは、ヨーロッパと違ってロシアと戦争になっても本土が戦場になることはないから、ロシアには強気一辺倒だ。負けることはないし、軍需産業でも復興でも儲かるしなあ。
そもそも、軍事同盟として米国と西欧を含むNATOは強力すぎて、周囲に脅威を与える。ロシアだけじゃなくて、イスラム諸国もNATOに対する警戒感は強いし、軍拡の理由になっている。本来の目的であるソビエト連邦は消滅したにもかかわらず、拡大を続け、NATOと全く関係のない他国(セルビア)を分割するために軍事介入した事例のある危険な組織だ。NATOの軍事をつかさどる参謀総長は常にアメリカ出身者が占めている。もし平和維持軍的な軍隊が世界に必要なら、それは国連を中心としたものであるべきだと思う。
松下玲子さんの「本条例は参政権を認めるものではなく、住民投票の結果はあくまで参考にされるだけで、法的拘束力はないのだから、たとえ外国人であっても意見を表明する自由は認められるべきだろう」という考え方も理解できるし、玉木雄一郎さんの「所謂"参政権"を認めるわけではなくとも、一般的な意味で"政治に参加する権利"を認める以上、憲法などとも調整しながら最大限慎重に判断されるべき」という批判も、どちらもよくわかる。
おふたりとも非常に優秀な政治家で、私はどちらも応援しているので、変なイデオロギー闘争に巻き込まれるのは勘弁して欲しい。
「外国人が参政権を持って何が悪い」と言う左翼の人たちも、「外国人に意見を表明する自由なんて必要ないだろ」と言う右翼の人たちも、我田引水するのも大概にして欲しい。
http://www.city.musashino.lg.jp/shisei_joho/sesaku_keikaku/kikakuseisakushitsu/1034683/index.html
本市の住民投票制度は、外国籍の住民が市長や市議会議員、国会議員の選挙へ投票できるものではありません。
参政権のうち、もっとも一般的で重要なものは選挙権とされていますが、本市の住民投票制度は条例に基づき実施されるものであり、投票結果に法的拘束力を持たず、「意見を表明するため」の制度です。投票結果に法的拘束力があり、「代表者を選ぶため」の選挙権とは明確に位置付けが異なるものです。
よって、本制度の確立により、外国籍住民へ選挙権(市長や市議会議員選挙等へ投票する権利)や被選挙権(市長や市議会議員等へ立候補する権利)を与えるものではありません。
外国人参政権ガーとか言うから何かと思って警戒してたら、そういう話か。
住民投票でどうやって乗っ取るの?
https://anond.hatelabo.jp/20211102032036
これの増田です。多くの方にブクマ、ブコメしていただきありがとうございました。やっぱり自分が書いたものに反応がいただけると嬉しいですね。
ただ一切見たことも聞いたこともないブログのURLを貼ってパクリ扱いしてきたブコメは意味不明すぎて笑いました。単純に前回と比較してるだけの内容なんだから同時多発的に同じ結論に至っても全く不自然じゃないってば。
いただいたコメントの中で「維新が伸びたのも前回希望の党に吸われた分が戻っただけ」というものにはハッとさせられました。立民についての話なので立民が結党した2017年のものと今回の比較にしか目が行ってなかったんですが、ちゃんと見るためにはそれ以前もチェックしておくべきでした。素直に反省。
というわけで、今回は民主党政権から再び自民党政権に政権交代した2012年以降の4回の衆院選の結果を見てみます。
今回の立民の敗因として挙げられているのが比例で議席を伸ばせなかったことなんで、以下は比例での獲得議席数です。
民主・立民
2012 30
2014 35
2017 37
2021 39
2012 40
2014 30
2017 8
2021 25
2012 57
2014 68
2017 66
2021 72
2012年と2014年は立憲民主党はまだ存在しないので、前身である民主党の数字を当てはめています。
以上を見るとわかることとして、まず、民主党・立憲民主党の比例での獲得議席数は下野以降少しずつ伸びています。立民は比例で議席を伸ばせなかったせいで大敗したと言われていますが、今回の立民の比例での獲得議席数は民主党時代を含めても下野以降で最大のものとなっています。
維新は今回大きく勢力を伸ばしたと言われていますが、やはり前回が希望の党に票を吸われた影響で極端に少ない数字になっていただけで、実は今回比例で得た議席数は2012年や2014年に及んでいません。
自民党は全体では15議席減という結果でしたが、比例での獲得議席数は政権奪取以降最大でした。つまり、比例では伸びたものの小選挙区で大きく減らしてしまったということですね。ここで小選挙区の結果も見てみましょう。
民主・立民
2012 27
2014 38
2017 18
2021 57
2012 14
2014 11
2017 3
2021 16
2012 237
2014 223
2017 218
2021 189
今回の衆院選では自民党が小選挙区で大きく負けているのがわかります。政権奪取以降で衆院選の小選挙区で200議席を獲得できなかったのは今回が初です。
大きく伸びた維新なのでは? と考えるのが自然ですが、数字を見てみると比例と同様に希望の党に吸われて前回極めて大きく議席を減らしていただけで、それ以前と比べるとそこまで大きな伸びではありません。2014年と比べると5議席、2012年と比べると2議席の増加です。一方、自民の議席は2014年と比べると34、2012年と比べると48減っています。この数字は維新が議席を伸ばしたというだけでは全く説明がつかない。定数の減少11を全て自民が被ったと仮定してもまだ全然足りません。
では立民はどうか。前回の18という数字は結党直後で小選挙区に満足に候補を立てられなかった影響が大きいとして民主党時代と比較したとしても、2014年から19、2012年からなら30も伸ばしています。要するに今回立民は小選挙区では過去と比べて大勝だった。もちろんその最大要因は野党共闘で票が分散するのを防いだからでしょう。比例での伸びはここまで大きくないため支持自体が伸びたと考えるわけにはいかず、そうすると野党共闘が効いたと考えるのが最も自然です。そしてこの伸びは自民党の小選挙区での負け分のうちのかなり多くを説明できるくらいに大きいものです。
つまり今回自民党が議席を15も減らしたのは、維新が伸びた影響よりも野党共闘の影響の方が大きいと推測できます。立民は野党共闘で議席を伸ばし小選挙区で自民の議席を削った。一方希望の党として議席を得た議員を引き入れていた立民はその分を失い、それらは希望の党ができる以前の投票先であった維新に戻っていった。それが今回の衆院選で起きたことだったのではないでしょうか。
そしてここから先が本題。
あのね、みんな適当なこと言いすぎ。
「野党共闘は失敗だった! 見直すべきだ!」とか「立憲民主党は左に寄りすぎて支持を失った!」とか。
ここまで見てきたように事実として立憲民主党は旧民主党時代と比較しても選挙区・比例ともに議席を少しずつ増やしている。野党共闘をしていなかった旧民主党時代よりも今のほうが比例での獲得議席数は少し多い。
要するに野党共闘のせいで票を減らしているなんてことは別にない。一応野党共闘しなかったらもっと伸びたはずだと考えるならそう言うことも可能かもしれないけれど、そこまで立民のポテンシャルを過大評価すべき理由はちょっと思いつかない。
大敗の理由は本来立民の支持層にはならないはずの希望の党の議席を自分たちのものにしてしまっていたのでそれが剥がれたと考えるだけで十分に説明がつく。そこで「共産党と組んだせいだ!」「左に寄りすぎたせいだ!」と言うのはあまりにも短絡的でデータを無視した議論と言わざるを得ない。
立民が大敗した!→今回共産党と共闘していた!→だから共産党と組んだのが失敗だったんだ! なんてのはただの連想ゲームであって分析ではない。
https://news.yahoo.co.jp/byline/murohashiyuki/20211104-00266257
そしてこの記事なんかがまさに典型なんだけど、なぜ支持されないかを分析するていでなぜ自分は支持しないのかを語る人が多すぎる。
自分と他人は違う。自分がこれこれこういう理由で支持してないから支持してない他の人たちも同じように考えているはずだなんてことは別にない。本当のところはどうなのかはちゃんと調査してみないとわからない。
左に寄りすぎたから支持されないんだという主張は、有権者の多くが各党の主張、思想、政策といったものを把握した上で投票先を決めているということを暗黙の前提に置いた発想から出てくるものだ。でもまずその前提が成り立つのかがだいぶ怪しい。
普段からネットで政治の話をしているような政治オタクたちからすれば右だ左だというのは共通言語だろうけど、それが政治オタク以外にも本当に通じるのかちゃんと想像してみてほしい。
政治オタクたちは各党が掲げる政策を重視するけれど、大多数の人たちも本当にそうなのか。維新は大阪で支持されている。でも維新が掲げていた主要政策のはずの都構想は住民投票で否決された。都構想に反対した人たちは維新に投票しない人たちだったのだろうか?
立民がツイッターのエコーチェンバーの中で狭い支持者たちに引っ張られてしまっているというのは、まあ、そうかもしれない。では、立民が左に行き過ぎて支持されないんだとかおしゃべりしている人たちはエコーチェンバーの中にいないんだろうか?
新自由主義160キロストレートを投げ続ける維新がなぜこんなに強いのか、ネットの言説で自分の肌感覚と合うものがなかったので言語化してみたい。
①今回なぜ維新が強かったか? →答え:吉村知事(「吉村はようやっとる」)
③維新の今後は?
この順に書いてみる。
大阪では、演説をすれば満員の聴衆。兵庫県ですら、三宮にくれば鈴なりの人だかりで老若男女スマホを片手に見物をした。そして吉村知事が去ると、大方みんな解散。これは選挙特番でも取り上げられた事象だ。
なぜこんなに人気かというと、答えは簡単でテレビにたくさん出ていたからだ。
コロナ禍において、とにかく関西では彼を目にする機会が多かった。中でも10チャンネルの「かんさい情報ネットten」という夕方のニュース番組の影響は大きいという肌感覚がある。中谷しのぶさんという女性キャスターがメインで、関西では人気がある。中谷さん自身は非常に聡明で、物腰柔らかくスマートに番組をまわすので、見ていて安心感がある。各コーナーも吉本の芸人などが関西の情報を取り上げていて名物化しているものも多く、関西では夕方はとりあえずこれという家庭も多いはずだ。
この番組に吉村知事はたびたび登場した。そうでなくても、吉村知事の記者会見は毎日取り上げられた。関西の番組なのでこれは当然である。番組に登場したときも、吉村知事はマスクや手洗い、外出自粛など、ごくごく常識的な内容を一生懸命発信していた。そう、彼は発信力が高いのである。
他の地域の方からすると、全国最悪の事態を招いたのは、他ならぬ維新ではないかと思われるに違いない。実際、維新の新自由主義的切り捨てによって弱体化した医療体制等々により事態が悪化したり、吉村・松井両氏による無計画な雨合羽集めで現場が疲弊したり、あの有名な吉村イソジン発言など、どう考えても頭がイッたとしか思えない場面が多々あった。
しかし、多くの大阪府民、関西圏の吉村知事に対するイメージは、上記とは少し異なる。吉村知事は、ずっと前線で必死に情報発信し、今できることをやり続け、分からない中でとにかく行動をし続けた、そういうイメージのほうが強いだろうと思う。
それは、東日本大震災のときの枝野官房長官に似ている。あの時の枝野氏は、明らかに寝不足状態の目で脂汗を浮かべながら必死に情報発信し、わからない中で誰よりも必死にやっている様子が伝わってきた。一時「#吉村寝ろ」がネットで話題になったように、そのへんの府民、関西人を捕まえて話を聞けば、吉村知事は何かよくわからないがとにかく頑張っていた、それはもう菅首相や西村さんやあんなのよりずっと必死に動いて頑張っていた、という感じのイメージを語る人がマジョリティだろう。
いや、その事態の悪化はかなりの部分、維新が招いたものだろう、とあなたは言うかもしれない。しかし、東日本大震災のとき、政府や菅首相の対応にまずさがあっても、誰よりも必死にやっている枝野官房長官の誠については多くの人が信じたように、吉村知事の誠についても多くの府民が共感を覚えたのだ。実際、イソジン発言など明らかに頭がイッた、さすがの多くの関西人も「ワオゥ…」と思う場面はあったにせよ、確かに、吉村知事が本気で府民に訴え、情報発信し、駆け回っていたことは間違いない。その多くは少なくとも菅首相の死んだようなメッセージよりは多くの人に届いていた。むしろ政府との対比で吉村知事が頑張っているように見えた。忽那賢志が阪大教授にやってきてからは、ブレーンとなった部分もあったのか、かなり適切に発言していたし、無理を承知でもとにかくやれることをということで野戦病院みたいなことをやると表明したり、アレな部分はあっても実際頑張っていた部分も大きい。
維新が勝ったというより、吉村さん=維新のほうがずっと政府、自民より頑張ってくれてるやん、という感覚の人が多かったのだと思う。
その昔横山ノックが勝ってしまったように、橋下徹が圧倒的に強かったように、タレント的知名度、人気があれば、一気に波に乗る。これは別に大阪以外でもそうだとは思うが、今回の吉村さんにはそうした強さがあった。それがもう、今回の圧勝の最大にして唯一の理由だ。
この背景には、お上が嫌いという大阪の気質もあるように思う。まずはやはり、東京は好かんという、わしらはわしらで大阪やという意識は、陰に陽にいろんなことに作用しているように思う。しかしそれに留まらず、何もせんと偉そうにだけしているお上は気に食わんというのは、多くの一般府民のもつ感覚で、それは大阪府や大阪市の役所にも長く向けられてきていたものだった。大してなんもしてないくせに、金ばっかり無駄遣いして、偉そうにして、なんもわしらのこと考えてくれへんやんか、あの役人どもは、というわけだ。そして実際、確かにその通りである部分は多かったのだ。
そこへ維新、橋下徹がやってきた。大阪府、大阪市の役人は無駄遣いばっかりして何もしてくれへん、徹底的にそれを叩き直そう、無駄をなくそう、偉そうにしてるだけの時代はもう終わりや、そういうメッセージを発した。これは強かった。確かにそれは新自由主義になる。しかし、そのへんの大阪府民をつかまえて、新自由主義について説いたところで理解されるだろうか? 橋下さんはやりすぎなとこもあるけどな、ほんまによう頑張って戦ってくれよるで、今まで役人は偉そうにしすぎたんや、そういう答えが返ってくるのが関の山ではないか。維新はようやっとる。
そこへ、数日前に維新がツイッターであげたような画像がくると、それは府民にウケる。確かに10年前の大阪城公園なんか、閑散としていた。今はカフェなどもたくさんでて、とても賑わって楽しい場所になった。こういう目に見える、ウケる政策を打っている。それは確かにポピュリズムだ。しかし、古い政治や自民はそういう草の根レベルで、確かに自分達のために動いてくれている、と多くの一般人が感じることをしてこなかった。維新になってようなった。
松井代表、吉村知事、維新にはみんな、上記のようなイメージが重なっている。それが今回の圧勝の背景にある。
では最後に、③維新の今後について、つらつらとできるだけ短く書いてみたい。
ここまで維新の人気ぶりを書いてきたが、しかし、だからといって大阪府民が諸手を挙げて全肯定しているかというと、そうではない。ここは大事なポイントだ。大阪都構想は、二度までも住民投票で否決されているのだ。
あれは、「ようわからんけど、大阪全部かえてまうのは、いくらなんでもやりすぎやで。そんなん、意味あんのかいな。やりすぎちゃうのん、知らんけど」と多くの人が感じたからで、維新のやることを何でもかんでも大阪府民が肯定しているわけではない。
自民以外に入れたくない保守層が、維新に流れた面もかなりあるだろう。自民にお灸を据えたいと思ったときに、維新は外交政策などがわりとしっかり保守なので安心して入れられるのである。
あるいは無党派層の中のリベラル寄りの人たち。立憲民主は共産と組んでてどうんだろう、しかしれいわとかは行き過ぎやしなぁ、とぼんやりと思っていっる層も、上記の①のような印象があると、まあ維新頑張ってるし自民に入れるのはありえないし、今回はいっぺん維新伸ばしとくか、となるパターンもわりとあるように思う。
では、自民や立憲民主などが、維新をおさえようと思ったらどうすればいいのだろうか。
兵庫県知事は、長らく井戸敏三というお爺さんが20年に渡り務めていた。この人は、ずっと与野党相乗りで、知事選なんてあってないようなもので、兵庫県民からすると選択の余地がなかった。まあ特に大きな失政や反感もなかったので、長らくまあいいやという感じだった。
端的にいうと、この井戸さん、菅首相や政府と同じだったのである。何も対応しない。何もせず偉そうにして、やることといえば吉村知事の悪口ばかりだ。多くの関西人からはそういうふうに見えた。実際、行動は遅かった。挙句、任期終了が迫っているのに公用車にセンチュリーの購入を決めたりして、お前が最後にええクルマに乗りたいだけちゃうんか、という多くの反感を買った。
そして知事選。
井戸さんの後継者が自民公認となった。しかし地元の自民党市議会議員、県議会議員や後援者たちは、井戸さんの後継者では勝てないと肌感覚で実感していた。だから別の候補者をおそうとした。しかし自民党本部に潰されて、遺恨が残った。ちなみにその遺恨から、今回兵庫1区ではその地元自民の人たちが無所属で候補をたてて、地元の支持団体などがそちらに流れた結果、毎回接戦だった自民・盛山さんが大きく負けて、盛山さんと勝ったり負けたりりだった立憲民主・いさかさんが余裕勝ちしている(これには立憲・共産の選挙協力もあるが)。
とにかく、兵庫県知事選では、もう井戸さんの後継者(自民)に入れようという県民は多くなかった。井戸の後継者なんかが出るくらいなら、維新の斎藤さんのほうがマシや、ということである。若いから色々腐った部分もやる気をもって正してくれそうやし、どうせ井戸の後継者にしてもコロナ対策はぼんやりして動きも遅いままやろう、維新には若干の不安もあるがこの際仕方ない、やっぱ20年もやったら驕りもでるし一般人の感覚も忘れるし腐敗もするんやな、ここは変えなしゃあないな、ということである。
これをみて、兵庫県知事選でまで維新がかった。兵庫県民、お前らもかよ。アホちゃうか。関西はみんなアホなんちゃうか。愚民なんじゃないか。
と言われても、そうとばかり単純に言って終わりにはできない背景があるのである。
下あたりをみて触発されてかいた。
地下フロアのあるオフィスビルには「汚水槽」という大きな水槽がある。
地下フロアは下水道本管へ直接汚水を送り込めない為、汚水は汚水槽に流れていき、汚水槽に溜まった汚水を排水ポンプでまとめて本管へ送り出すという工程を経て処理されている。
汚水槽は溜まった汚泥は一定の水位まで上がらないと排水ポンプが起動しない。汚泥が滞った場合どういう事が起きるかと言うと、汚泥が腐り、元々臭い汚泥が更に強烈な悪臭を漂わせる。その腐敗を防ぐために「曝気装置」という汚泥を攪拌させるポンプがある。仕組みは単純で、汚水槽の底に空気を送り込み汚泥を対流させる物だ。これにより汚泥の腐敗を防いでいる。
この仕組みを見た時に「なんか選挙みてえだな」と思った。自民党が政権を獲得し続けた結果、汚泥は腐った。モリカケに桜を見る会、島国のアドバンテージを1mmも活かせていない杜撰なコロナ対策、住民投票のない見栄と利権のオリンピック。これは腐敗した汚泥なんだろう。
これで次も衆院選で自民党が政権を獲得したら、汚泥の腐敗はもっと進み強烈な悪臭を放つんだろう。
新しい下痢便や1本グソが流れ込み、古い汚泥が排泄されても、曝気装置の無い汚水槽は腐り続けたままなのだ。そして、その曝気装置であるはずの国民はその機能を果たせていない。
「どこに投票しても変わらん」「どこも糞」その気持ちはわかる。きっと劇的に変わる訳では無い。でも、「いいウンコ」と「悪いウンコ」の区別がつくんだろうか。俺はつかない。糞は糞であって糞以外の何物でもない。糞に対して不満を漏らすのは滑稽だ。オムツの中で漏らして欲しい。しかし、夥しい糞を撹拌させて、少しでも腐敗を防ぐことはできる。俺は臭い汚泥より、少しでも臭いが抑えられた汚泥の方がましだとおもう。
板の新設とかも住民投票なの?
住民投票で決めたんだぞ
自民と公明の連立ができるのだから立民と共産もできるという人がいる
これは勘違いも甚だしい
大政党である自民が右派から中道をカバーしていて小政党である公明は中道タイプの政策を志向しているということ
大きい側から見たときに連立相手の小政党が中道であることは大きい
なぜなら大政党側が掲げる政策のほとんどはマイルドな形に修正することで小政党側が妥協するからだ
公明が実力以上の票を獲得できるのは、政策の立ち位置が中道であることが大きい
そして数の多い中道有権者は自民と公明が妥協したときには公明を批判する
せっかく新しく法を作るのになぜ右寄りのものを増やすのかと怒るのは当然だろう
立民は左派から中道をカバーしている政党、そして共産党は左にかなり偏っている政党
立憲民主党にとっては右寄りに作られている社会制度や法を中道に持っていきたいと考えているのに、最も左にいる共産党との妥協点をいつも探らなければならない
しかも立民の支持者で声が大きい人は左に寄っている人が多い
国民民主党勢力が抜けたことで支持者の中道と左派のバランスはより左に寄ってしまった
仮に枝野内閣というものが成立したら、枝野が政策を実現する上で妥協点を探る相手は常に自民穏健派、公明、維新、国民民主となるだろう
立憲民主党と共産党の連立が成立するという思い込みをしているのは共産党支持者と
立憲支持者の中でもとりあえず自民党を引きずり下ろすことができれば何でもいいと考えている連中くらいだろう
それでは民主党の失敗を繰り返すことになるから枝野には迷いが生まれるわけだ
立憲民主党の中で先が見通せる人は共産党と組んでも継続的な政権獲得は無理だとわかっているはずだ
おそらく枝野が考えているのは、とにかく政権をとって実績をみせて民主党時代の汚名返上をしたいということだろう
今の自公政権と比較してもらえるなら上手くいくと思うのも仕方ない
だが、本当にそうだろうか
私は前回、民主党政権が誕生したとこ自体は何も間違っていないと思う
そして誕生した民主党政権も後半はひどい状態だったから、また自公政権に戻ったに過ぎない
この民主党政権後の自公連立である安倍政権が第一次安倍政権と同じように美しい国日本なんかを掲げていたら有権者はすぐに安倍を引きずり下ろしただろうと思う
だから旧民主党勢力は自民が政策を横取りするという頓珍漢なことを言っていたわけだ
安倍は政策を横取りしているのではなく多数である中道志向の有権者に合わせているに過ぎない
そして自分の主要支持者である右派に対して公明との妥協という丁度いい言い訳を使うわけだ
右派からの批判も中道からの批判も公明が請け負ってくれるのだから、安倍にとってこんなに良いやり方はないだろう
自民と公明の連立が成り立つのだからという言い方に従うのなら、相手は国民民主党や維新の会ではないのか
維新なんて新自由主義のネトウヨ集団じゃないかという人もいるだろう
それをいうなら左派寄りの立憲民主党はなぜガチガチの緊縮派が多いのかという疑問には何と答えるのだろうか
敵にレッテルを貼るという行き過ぎた手法によって自縄自縛となっているのではないか
まずは国民民主党や維新の会と政策協定を結べるかどうかを探ったほうが未来があるように見える
支持団体の官公労のことを考えるのなら維新の会と敵対することをやめて協力するほうがお互いに得するのではないか
だがそれは公明と妥協しているのはなく中道有権者に合わせているだけのようにみえる
共産党との協力にこだわれば社会党と同じように有権者からの関心を失い消えていくだけではないのか
公明党が『池田大作を個人崇拝し、創価学会の国教化を目指す宗教カルト政党である』事をスルーして、「中道政党」と評価する人のバイアスを疑う。
政策のスタンスの話をしているので、それが多数派有権者の受容範囲にあるかどうかが論点です
あえて宗教問題を論点とするなら創価学会に限らず神道でもそうですが国教化するのは、まず憲法上ハードルが高すぎて現実的ではないです
そして先進国で宗教を法の上においている国はないので強引に実行しようとすれば国際的地位を失います
宗教政党である公明が与党でも国民が安心して暮らせるのは日本が立憲主義の国家だからです
憲法の範囲内で活動しているものに対しては、たとえそれが政治的に対立する相手であってもレッテルを貼るのは止めたほうがいいと考えています
なぜなら自公の結束を高め反撃のエネルギーを増やすことになるだけだからです
たとえ敵であっても最低限の敬意を払うことをしなくなったことが立憲民主党が支持を失っている原因のひとつだと思います
これは言いたいことはわかります。最初から最後までひどかったと言いたいのだろうと思います
民主党政権は3年3ヶ月でしたが、私としては最初の1年半は大目に見たいと思っています
雇用問題でジワジワと有権者の不満が溜まっているところに消費税増税の話をするという流れです
そして今またもや曖昧に消費税のことを扱ってしまい突っ込みどころになってしまっています
多くの有権者は消費税に関してはどの政党のことも信用していないと思います
消極的自公支持者や無党派層から見れば、そのフェーズは新進党、民主党とすでに2回も機会を与えているではないかという気持ちではないでしょうか
今の立憲民主党のやっている方向性は新進党より前の8党派連立政権期まで後退していると思います
新進党を作るときにさきがけと社会党が離脱して公明党は参議院が合流しないという敵に塩を送るような振る舞いをしていた頃を思わせます
維新と大阪公明が支持者である創価学会員を軽んじて、まさに集票の道具であるかのように扱った結果が反対派の勝ちに繋がったのでしょう
主要支持団体である労組がついてこれないような政策や選挙戦術を掲げれば勝てるわけがありません
脅したり宥め賺したりというような支持者の扱い方が通用するような時代ではないです
支持者が納得できるような政策や選挙の方向性を示さないで支持者はどうやって選挙運動をするというのでしょうか
この支持者を軽んじる傾向はすべての政党で起きていることです
最も数が多い支持層の扱いが雑で選挙活動のエネルギーが低下しています
支持者がまっとうに盛り上がっていくから無党派層に広がっていくものだと思います
応援するのに値しないような不正をする人倫理観のない人を引っ込めもせずに党の推薦を出すというのは支持者を馬鹿にしている証拠です
サンフランシスコが酷い有様…住民投票で可決した法案で$950(日本円で約10万)以下の窃盗が微罪扱いになってる関係で窃盗天国に - Togetter
こういう話題が出ると詳しくないのにいっちょ噛みしたがるあほピッピが湧くので牽制球をシュート!
カリフォルニア州は2014年に住民投票で"Proposition 47" (以下Prop47)を可決した。
いろんな刑法に影響したが、話題になっている窃盗に関しては「被害額が$950以下の窃盗(万引きからグランドセフトまで)は"微罪"(Misdemeanor)とする」という改正である。
これについてネットの無知無知パーソンは「そんな高額な窃盗まで微罪だなんておかしい!」とおっしゃるが、実はそんなに高額じゃないのだな。
テキサスなんて$2500(日本円で約277万円)までなら"微罪"なんですぜ?
アメリカの犯罪はだいたいMisdemeanorとFelonyというカテゴリに分けられていてね、前者は軽め(だいたい1年以下の懲役とか)の犯罪で、後者は重め(懲役なら少なくとも1年は超える)。ぶっちゃけこの2つはアメリカの法律用語なんで適切な訳が困難。
直訳するとMisdemeanorは軽犯罪とか軽罪とか微罪になるんだが、"serious misdemeanor"のような使い方からわかる通り、適切な訳じゃない。深刻な微罪ってなんやねん。
Felonyも重罪とか重犯罪、重大犯罪なんて直訳があるが、懲役2年くらいの犯罪でもFelonyだったりするんでやっぱり変。
さらに第〇級Misdemeanorや第〇クラスFelonyみたいなランク分けもあって大変。しかも州ごとに違う。
ちなみに裁判の結果でFelonyかMisdemeanorかが決定するタイプはWobblerと言います。
これらを踏まえてProp47を説明すると「被害額が$950以下の窃盗はMisdemeanorとし、それを超える窃盗はWobblerとする」という改正である。ちなみに改正前は$400以下がMisdemeanorだったはず。
なんにせよ"微罪"の持つニュアンスが強すぎるので「住民投票で可決した法案で$950(日本円で約10万)以下の窃盗はMisdemeanor扱い」とでもした方がニュートラル。
さっきカリフォルニアの$950設定は特に高額じゃないって話したんで、アメリカの州で窃盗がMisdemeanor扱いになる被害額をまとめた。
ただし州ごとに異なる様々な条件――盗んだのが自動車や家畜や銃器だったり、人から直接盗んだり、盗んだ相手が政府や警察やお年寄りだったり、盗むときに暴力的だったり、犯人が前科持ちや銃の所有者だったり、エトセトラ、エトセトラ――が存在しており、被害額単独でMisdemeanor or Felonyが決定するわけではないのに注意。
アラバマ:$500以下
アラスカ:$750以下
カリフォルニア:$950以下 ※$950を超えてもWobbler。
コロラド:$2500未満
コネチカット:$2000以下
デラウェア:$1500未満
フロリダ:$750未満
ジョージア:$1500未満 ※$1500以上25000未満はWobbler。$25000越えからFelony。
ハワイ:$750未満
イリノイ:$500以下
インディアナ:$750未満
アイオワ:$1500以下
カンザス:$1500未満
ケンタッキー:$500未満
メリーランド:$1500未満
マサチューセッツ:$1200以下
ミズーリ:$750未満
モンタナ:$1500以下
ネブラスカ:$1500未満
ネバダ:$1200未満
ニュージャージー:$200未満?
ペンシルバニア:$2000未満
ロードアイランド:$1500以下
サウスカロライナ:$2000以下
テキサス:$2500未満
ユタ:$1500以下
バーモント:$900以下
ワシントン:$750以下
ウィスコンシン:$2500以下
見てわかるようにカリフォルニアの$950は特別変な値段設定と言うわけじゃない。
「住民投票で可決した法案で$950(日本円で約10万)以下の窃盗が微罪扱いになってる関係で窃盗天国に」なってるんだったらアメリカの大体の州は窃盗天国だぜ。
別にリベラルな州が高く設定してるわけでもないんで「リベラルが~」とか言ってたアホぽんは一回脳みそ取り外して水洗いしてどうぞ。
ぶっちゃけよくわからん。2014~2016のデータでは窃盗が少し増えたっぽい(https://www.ppic.org/wp-content/uploads/r_0618mbr.pdf)けど、Prop47のせいなのかはよくわからん。Prop47の無かった仮想のカリフォルニアのシミュでは現実のそれと差が無かったという研究はある(https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1111/1745-9133.12378)。
さらにコロナ禍のインパクトが大きすぎて今後の統計にも期待できない。犯罪率がガタ落ち――例えばサンフランシスコでは2019→2020で窃盗4割減――したので、もうアレのせいで増えただの減っただの言いようがない。
白昼堂々の窃盗、誰も止めることはできないサンフランシスコの日常。
2014年に住民投票で可決された法案により、暴力性の無い$950以下の窃盗は軽罪に。万一逮捕されても即釈放が多く、店側も店員に介入しないよう通達している為、窃盗犯の天国。企業の閉店、撤退も相次ぐ。
ちょっと補足。1000ドル以下の窃盗が微罪(misdemeanor)になったのは2014年に住民投票で可決された法案Prop 47(The Safe Neighborhoods and Schools Act)の結果。正確には重罪(Felony)になるしきい値が450ドルから950ドルに変更された次第。
https://twitter.com/masayang/status/1307955184006385664
微罪(misdemeanor)でも犯罪は犯罪なので、カリフォルニアのほとんどの地域では警察が呼ばれて犯人を捕まえるはず。サンフランシスコの場合は、もともと微罪では出頭命令書(Citation)を発行しておしまい、というケースが多かったけど新型コロナ以降は市当局が「逮捕するな」と警察に通達を出している。