はてなキーワード: 運動部とは
・客が普通に食ってんのに夫婦同士(店長と店員)がくだらない喧嘩始める(しかも個人店ではなくフランチャイズのチェーン)
・小学校で女子生徒に冗談めかして抱きつく男性教師、男子生徒の局部を(なぜか手の甲で)触る女子教師
・淫行で逮捕されて懲戒免職食らった教師がほとぼり冷めたあとによその学校へ再就職してその後教頭に昇進(しかも公立学校での話)
・高校の運動部で血出るまで、怪我するまで部員を殴る蹴るする指導者が当たり前にいた
・(やった側、やられた側を合わせると)カツアゲ経験率の驚異的な高さ
・課のみんなで風俗旅行(気合入ってるとタイに遠征して幼女買いに行く)
・薄給でいいからとにかく休みが多くて残業少ない仕事に就きたいという価値観がキチガイ扱い
・飲食店のレベルが今じゃ考えられないほど軒並み低く、完食不能なレベルにマズイ飲食店すらそこかしこにあったので外食がギャンブル
・深夜番組でオッパイ平気で出るし発売予定のAVの紹介なんかもしてた(ドラマGTOなんかでは作中でAV流れるシーンもあった)
・精神病院や障害者施設で生きるか死ぬかの虐待が平気で繰り返されてた(そういう闇を題材にした『聖者の行進』というドラマがあり、虐待描写が酷すぎて抗議が殺到したらしいが、現実の事件はこれより全然酷かったという)。
また、精神疾患起因の妄想ではなく、健康にも関わらず陰謀によって精神病院に強制連行され薬漬け&軟禁で人生終了させられた人がマジでたくさんいた。
・反社と強い関わりがある、のではなく反社そのもののベンチャー企業でも上場できた
・過激派の内ゲバでまだ死人が出てたし、革マル系サークルに住み着いた部外者の排除に踏み切った大学学部長が自宅から出た瞬間に角材で滅多打ちにされる事件なんかも
・一般人が被害者の凶悪殺人事件が起きたら芸能レポーターや取材陣が平気で葬式に押しかけてその時撮った映像を夕方のニュースで10分くらい流す
・都心まで20分かつ駅近の下町や湾岸エリアの宅地と、都心まで80分かつ駅徒歩20分の新興住宅地の坪単価が同じだったりした
リア充からはAV(加藤ゆりあ)を、俺からはエロゲー(ダークロウズという若干マニアックなエロゲ。アリスではじめてボイスがついたエロゲだったっけか)を、というトレード貸し借りをした
衝撃だった
そういうものなのか
止め絵とテキストから妄想をたぎらせてエクスタシーに至るのは、特別な技術なんだな
そう悟った出来事だった
俺はといえば、家で共用PCでエロゲやってたんだけど、よりによって人妻コスプレ喫茶をインストールしていたのを母親にばれる失態をおかした
ぶっちゃけインストールしただけで全然プレイしてないし人妻もの好きでもないのに
つーか俺当時どうやって生きてたんだろ
学校では真面目に授業受けて、屋外の運動部で学校しまるギリギリまで頑張って、
土日も練習あって(今は絶対週一で休みあるんだよね?やば。それが普通だと思うけど)
朝は6時半に家をでて、電車の中で英単語みて小テストの暗記して・・・
ああそれがいまやもうこれだよ
あーあ
しねよ
9割の生徒が4年制大学目指すような感じだったけど皆、倫理感覚や思考様式がどっちかっていうと獣に近かった。
友達に誘われたら「ウェ~イw」くらいの軽いノリでオレオレ詐欺や宅飲みレイプの手伝いしかねないくらいの危うさと低能さがあった。
高卒ストレート就職で公務員(消防)になった運動部の奴は1年目で飲酒運転やらかしてパトカーと追っかけっこした挙句に逮捕されてたし。
国公立10人くらい受かるような高校なのにこんな同級生出るとかもう……。
って理由で特に疑問も持たずにタトゥー入りまくりのやつとかと未だに友達付き合いしてる奴とかいたし。
以前5chのなんかのスレで
「地元じゃそこそこエリート扱いだろうけど高校受験で偏差値60はなかなか頭ヤバい」
タイミングと運次第じゃ反社になっても全然おかしくない感あるもん、うちの高校の奴ら。特に高卒就職で警察や消防や役所行った連中。
知性のせいで。
正職に就けてる以外何一つ取り柄がない人間なんだけどこのままじゃいけないと思ってはいるが一歩前に踏み出すチカラがない
土日は買い出しと時折病院や散髪に行く程度で後は寝ていないと平日をやり過ごす事ができない
寂しいとは思うが他人(ペット含む)が同じ空間にいる自分の姿を全く想像できないし仮にそういう人が現れても自分よりもっといい人がいるから相手に失礼としか思えない
心に余裕がある人っていつ心を鍛えたのかな?
きっと青春時代に運動部に打ち込み恋愛にも励まないと育たないんだろうね
悲しいよ
(前part)
https://anond.hatelabo.jp/20231213191557
直情的なタイプだった。怒りだろうと悲しみだろうと、感情の振れ幅が大きいタイプである。
最初の方で説明した場面で、職場のコピー機が置いてある台を蹴っていたのが彼になる。傍目から見ても、「どうして採用されたのだろう……」と疑問が湧いてくるほどだった。
ストレスには耐えられないし、自分勝手なスタンドプレーは多いし、立場が弱い人間には辛く当たるし、自分は凄いといった主張をしていた(「俺の親、若くして自治会長だから!!」など)。相手の意見を曲解することが多かった。
私も手痛い思いをしたことがある。私がいた指導課には住民基本台帳ネットワークシステム(戸籍課や税務課の職員が使っているものと同じ)があったのだが、B君は特に許諾もなくそれを操作し、職務遂行に必要な個人情報を入手していた。本来であれば事前申請を要するし、厳しい自治体だと戸籍課以外の職員によるシステム操作を認めない。これが普通である。
ただ、ほかの部署から個人情報取得の依頼があった場合でも、身内だからということで、口頭による承認で住基システムを使わせることはあった(課員への一言)。能率を考えてのことだ。が、B君の場合は明らかに一線を超えていた。職務遂行に必要であることがわかるが……一度だけ、彼を思い切り叱り飛ばしたことがある。以降は、口頭で課員の承認を得てからシステムを使うよう徹底させた。
ところで、あなたの職場にもいるのではないか? 仕事でも家庭でも趣味でも、何でもいい。ストレスで精神的に潰れかけた人間の姿である。B君は、元々コミュニケーション能力に難があった。いわゆる話がわからないタイプだった。
残業も多かった。指導課や学事課の教員出身者と同程度と仮定すると、おそらく月60h~70h程度か。彼の上司は「仕事をたくさん振っていないのに……なぜ?」というスタンスだった。
市職員の場合は、予算がある限り時間外勤務手当が支給されるという。私が若い頃だと、時間外勤務をしていないのに、予算消化のために闇残業を認めるという慣習があったほどだ。
教員出身者の場合は、月20hまで支給されていた。学校現場から教育事務職に移った者にとって、長時間労働やサービス残業は避けて通れない。この試練があるからこそ、一定の基準に達した教育人材を育成することができている。
人は光を求める。そして、その光の見える方向へ動いていく。教職員にとっては、教育に関する哲学、という光を見出すための修行の場こそが教育委員会である。量・質ともに圧倒的なレベルでの修行。厳しい体験を幾度となく積み重ねるから人格や能力が磨かれ、玉になっていく。
さて、彼の上司はB君を徹底指導して残業縮減に務めた。だが結果は出ない。残業縮減の効果は僅かだった。ところで、B君の場合は学校歴がよかった。地元の名門公立高校を卒業して、大学も相応のところを出ていた。地元的には血筋もいい。それが採用に繋がったのだろう。
縁故が悪いか? といえば時と場合による。一概に悪いとは言えない(ex.公共の学童クラブの指導員は、その多くがスカウトである。特に、男性の場合はほぼ100%だ)。教職員の採用試験においても、学科・面接試験の点数以外で、非公式に評価すべき点というのは確かにある。
行政一般事務の職員のことはよく知らないが、彼らと仕事をしていると、確かに地元において血筋がいいとされる人に仕事のできる人が多かった。※主観的な統計である。
高等学校の入学試験ですらそうだ。学科試験以外で評価される要素がある。内申点などは、その典型である。本人の人柄や人格、学習態度や常識力、社会への順応性が点数化される。内申点以外にも、+-の評価がされる要素も一応はある。
プラス評価の例としては……今では絶滅した慣習であるが、昔は公立校でも縁故による入学があった。とある高等学校の名門運動部などが、どうしても○△中学校のあの子がほしいという場合、事前に保護者・児童や中学校側と話をつけておく。かくして3者が合意に至った場合、入試前に合格が決まっていた。内申点は中三期を満点にするなどして対応する。
マイナス評価の例としては……生活習慣だろうか。公立高校の入学試験の基本は、学科試験+内申点の合計で決まる。とはいえ、点数に関わりなく不合格になるケースもある。こちらは犯罪行為であるとか、補導されるのを繰り返したとか、入学試験の際に相当奇抜なことをしない限りは関係ない。
ただ、その子が合格基準点に達していた場合でも、入学試験の要綱要領に定めのある範囲で不合格になることはありうる。欠席数が極端に多かったり、在学中に異常な行動を繰り返したなどが内申書に書いてある場合だ。学校教育とはいえ、高校側も不用なリスクを取りたくない。名門とされる公立高校に問題児が少ない理由のひとつである。
B君の話に戻ろう。その年の夏頃に聞いたところだと、どうやら事件を起こしたらしい。
梅雨が明けた頃に、霞が関の新卒キャリア官僚が研修にやってきたという。T区の各部署を廻って地方行政の実務を学習するのだ。T区は、その年の中央省庁の研修先のひとつに選ばれていた。
キャリア官僚達は、ごく普通にT区の歴史や成り立ちを勉強して、地方行政の実務を視察して、心ばかりの現場仕事をこなして、一週間ほどで霞が関に帰る――はずだった。
最後の日に行われた交流会(飲み会)で、B君はやってしまった。喫煙所のよもやま話で聞いたところだと、以下の流れだ。
ex.研修先部署の部長の肩に手を置く、女性職員の体に何度も触る、別省庁のキャリア官僚に「ぶっ殺す」と発言するなど
③国交省キャリアが「お前の区の国庫補助金ゼロにするからな」と言ったところで、B君がキャリア官僚を蹴り飛ばし、馬乗りになる
④ほかのキャリア官僚とB君の部署の係長が、彼を羽交い絞めにして止めた
……気持ちはわかる。侮辱されて悔しかったのだろう。だが、いくら何を言われようと、暴力だけは駄目だ。確かに、若手官僚の場合、調子に乗っている者は一定数いる。子どもの頃から勉強に勉強を重ねてきた自負があるとともに、仕事では自分の親ほどの年代から神輿を担がれるような扱いを受けるのだから。調子に乗るのも当然である(上に出てきた国交省キャリアは東京大学卒だった)。
かくいう私自身も、文部科学省の事業査定担当官であるとか、会計検査院の検査官から相当辛辣なことを言われたことがある。だが、怒りの感情に囚われてはいけない。駄目なのだ。
人間はいかなる状況の下においても、自己の衝動をそのまま表に出してはならないし、出すべきでもないし、さらに言えば、出したいとも思わない、という主張はまったくの真実であり、妥当な見解であると私は考える。衝動は制御することができるし、制御しなければならない。それは現実の要請というだけでなく、一人の個人としてのまとまりや一貫性および価値観の要請でもある。突き詰めて考えるならば、人生には実存的葛藤や解決不能な問題、さらには、あることのためには別の何かを諦めなければならないというような状況が数多く存在しているのだ。こうした状況こそ、人間が生きる上での本質的条件となっているのである。何らかの葛藤が常につきまとい、ある方向へ進もうとすれば別の道を諦めざるをえない。人間はこうした状況に苦悶しつつ、自己を制御しながら生きていかなければならないのだ。 完全なる経営(2001) A.H.マズロー (著), 大川 修二 (翻訳) P.295
私とB君が教委事務局で一緒だったのは一年だった。その年は、社会教育課にとって厳しい年だったらしく、彼は相当追い詰められていた。年度末の三月時点では、まるで50代のごとく自分が思ったことを脊髄反射で口に出すようになっていた。
声をかけようか、とも思った。あまりに辛そうだったからだ。係長も課長も、彼を見放しているところがあった。どれだけ残業が積み重なろうと、仲間によるフォローを呼び掛けたりはしなかったし、むしろ失敗に対して反省文を書かせていた。
B君は、口に出すのが憚られるほど救いようがなかった。もし、上司や仲間にとって彼が『かわいい奴』だったら、こんな事態にはなっていない。彼は、実際に不良な人間だった。職場の仲間から非人格的な言動を咎められるのはまだいい方で、はっきりいって見捨てられていた。自業自得だった。
しかし、やはり可哀想に感じることがあって、廊下をすれ違う時やトイレなどで「元気?」「今日は温かいね」「辛くないですか」など声をかけることがあった。
それから、彼がどうなったかというと、真相を確かめたわけではないのだが……私が定年になる前に退職したらしい。別の部署に異動しても活躍できず、しかしながら、何の因果だろうか――霞が関への出向を命じられたという。省庁までは不明。
本来名誉であるはずだが、その出向期間中に退職を申し出たということだ。もしや、生贄型の出向だったのだろうか?
現代社会において、感情が表に出るタイプの人間はしんどいのだと思う。彼が今、どうしているかはわからない。ほどほど幸せにやっていることを祈っている。
先ほどの2.3.でいうところの係長にあたる人物だ。この人は、冷血漢と呼ぶにふさわしい人間だった。サイコパスとは書いたが、私は臨床心理学の碩学ではない。仕事熱心で、結果を求めるタイプだったのかもしれない。目的のためであれば何でもする人だった。思い出してみる。
例としては、部下の叱責だ。普段は物静かで、部下の相談や報告を聞いている。が、一定レベルの何かに触れると怒号を発する。
C係長「お前、こないだできるっていったよな!」
若手部下「すいません」
「なんでできねーんだよ」
「……なんとかします」
「言ったな? じゃあしろよ。今週末までだ」
※部下ができなかった場合は、定時を過ぎても何十分でも説教していた。そして、できるまで残業をさせる。
後は、イベントだろうか。市区町村においてイベントを主催する部署はいくつかあるが、教委事務局もそのひとつである。教育○○大会などの厳かな発表会もあれば、○○総合フェアなど若い人や家族連れが多く集まる文化的なものもある。
さて、そのT区にとっての○○総合フェアの時だった。毎年過ごしやすい季節に、とある大公園で実施されるのだが、50以上もの出店が立ち並ぶ大イベントだった。
その年のイベントは、残念ながら雨天だった。初日は少雨で済んだものの、翌日以降の天気は崩れる可能性が高い。社会教育課は、教育総務課・指導課と並んでイベント主管課のひとつだった。
その初日の、夕方~夜にかけてのことだった。教育長を始めとする幹部級職員が現地に残って、明日以降の対応を話し合っていた(ほかの教委スタッフは全員帰っていた)。主な論点は次のとおりである。
□ イベント会場は維持できるのか?
上記3点のうち、2点目がなかなか結論に至らなかった。イベント会場には、テントも備品も野外展示物も並んでいる。風雨によって損傷する可能性があった。そして、2点目の解決手段を提示したのがC係長だった。
彼は、「業務委託している会場警備員がいるでしょう。数十人。彼らにやらせましょう。折り畳み式テント(※鉄パイプではない)の屋根を低くする作業や、野外展示物の収納もです」といったことを述べた。
私は「それは契約内容に入っているのですか?」とC係長に問うた。すると、彼は「緊急事態です。契約内容にあろうがなかろうが、現場の指示に従ってもらわないと」と言っていた。
教育局長は「後で問題にならないか?」と聞いたが、「私の責任で収めます」と彼は返した。教育長に「本当にできるんだな?」と聞かれると、「問題ありません。警備の発注は当課です」と返していた。ここから先はうろ覚えだが、C係長は警備会社の現場責任者と交渉を始めた。
夜7時頃だったか。私がトイレに行く途中で、社会教育課長とC係長、警備会社がロビーで交渉しているのを見た。当然ながら、相手方は渋い反応だった。
私はそのままトイレに行って、また帰り際にロビーを通りかかったところ、「契約切るぞ。ええんか!?」というC係長の声が聞こえた。この人は、気分が高まると大体こうなる。
以下、会話を手帳にメモしているわけではない。思い返してはいるが、やはりうろ覚えである。
「切るといっても来年からね。今年はもう契約してるし。来年は、こちらの権限でほかの警備会社と契約します。それでいいなら、あなたの判断で断ってください。テントの作業OKなら、これから私の責任で指示しますが」
「いや、でも。ちょっとの量じゃないでしょ? テントの数は何十個もあります。それをひとつひとつ、高さを下げていくんでしょ? それはもう――」
「あなたが決めるしかないでしょ。責任者なんだから。この時間、あなたの会社に上司がいるんなら電話で伺ってください」※このあたりから方言になる
「判断ができません」
「毎年、あんたの会社と契約しとるんやぞ。しっかも言い値で。本来なら正式に競争入札せんといかん金額やのに。こういう時のために、うちは権限使っとるんやぞ。官製談合みたいなこと、してやっとるんやぞ。俺らとあんたの会社のためを思って。で、上の人間に電話するか、あなたの判断で決めるかのどっちかや。あなたが決める場合は、契約切られても全部責任とるんやぞ」
「……」
「俺が責任を持つ。あんたが上司に怒られんようにする。後で言っとく。知り合いだから。頼む!」
「わかりました。指示をお願いします」
C係長のこの判断が正しかったのか、誤っていたのか。今でもわからない。
結果だけ見れば正しかった。その夜は雨も風も激しかった。(鉄パイプ式でない)テントを張ったままだと、風雨で確実に潰れていた。テントや野外展示物を片付けるといった作業は絶対に必要だった。それを怠って、一般スタッフを帰した私たち幹部の落ち度である。
手続き的には違法である。正しくない。警備会社をロハで使ってしまっている。C係長のことだから、きっと事後処理はうまくやったのだろう。あの後、彼やその上司が処分を受けたという話は聞いていない。
個人的には、C係長の行いは正しかったように思える。実際、あの場面だとああするしかなかった。組織のために泥を被ってくれたとも言える。ただ、それが未来に繋がる行為だったかというと怪しい。
例えば、テントが崩壊する未来を選んでいれば――教委事務局が「組織として学習」することができていた。それがいい未来につながった可能性もある。
(次part)
日大アメフト部廃部の問題についてなんだが、あれはどうにも腑に落ちない。
言うまでもないと思うが、現状、日大に求められているのは、アメフト部やその他の運動部への統制を取り戻し、違法な行為を防止する、あるいは違法な行為があっても発見できる体制を構築することだ。
あちこちで言われているとおり、不祥事発覚が懲罰的廃部につながるのであれば、内部告発を期待できなくなるからだ。
廃部には色々なデメリットがあるが、それでもどうしても廃部をしなくてはならない状況としては、廃部をしなければ統制を取り戻せない、ということが考えられる。
通常であれば、責任者の交代・管理体制の刷新・外部モニタリングの導入などで統制を回復してくのが筋だが、そのような通常の手段ではどうにもならない、という状況なのかもしれない。
つまり、「平和的に統制を奪おうとしましたが、アメフト部の権威・権力が強く、できませんでした。闘争によって打倒を目指します」という、一種のお手上げ状態の表明である。
常識的に考えて、いち運動部が大学執行部を恐れさせるような力を保持しているというのは、ちょっとありえない。
そこらの木っ端大学ではなく、日大のようなマンモス校の権力を上回る力をアメフト部が持っているというのは、いささか信じがたい。
しかし、ブコメ諸賢にも「廃部しない限り無理」という意見が多く見られた。それどころか「廃部してもすぐ復活する」という意見さえあった。おそらく日大OBや関係者などが近くにいるブクマカだろう。
ブクマカの情報を信じるのであれば、アメフト部が日大を上回る力を持っている、というのは本当のことなのかもしれない。
しかし、そうすると別のことが腑に落ちない。
それだけの権力があるものを打倒することを表明するのだから、これは一種の宣戦布告であるはずだ。
権力があるものを倒すのであれば、クーデターのように、あるいは奇襲攻撃のように、準備を整え相手に対応する時間を与えず、一気にその要所を叩くべきだ。もたもたしていては反撃を受けてしまう。
そうであるはずなのに、理事会が廃部に対してあいまいな態度をとっていることは、ちぐはぐな印象を受ける。
宣戦布告をしておいて戦う体制が取れていない、というのはどういうことだろうか。
考えられる可能性はふたつある。
ひとつめとしては、「アメフト部が日大を上回る力を持っている」などということはない、という常識的なものだ。
理事会は、統制を取り戻すことなんか考えず、世間の処罰感情におびえ、情緒的に廃部を検討しているだけ、という可能性である。
さすがに悲観的すぎるし、前述の通り、ブクマカの知性を信じるならこれは否定してよいだろう。
ブクマカが処罰感情から暴走しているだけ、というのは現実的には考えにくい。
考えられるもう一つの可能性は、すでに日大はアメフト部に一敗地にまみれている、ということだ。
日大執行がアメフト部にクーデターを挑み、そして鎮圧された、または鎮圧されかかっている状態ということである。