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はてなキーワード: 行方不明とは

2020-11-27

anond:20201127005035

何を言いたいのか本人もわかってないのではないか疑われる、あちこち話題が飛び主題行方不明ものに関しては、わかりにくいと言いたい。

難しいことをわかりやす表現するのに苦労した結果、難しくなるのは許容できる。

けれど、難しくないこと、あるいは中身がないことを、分かりにくく表現しているのは、無駄な労苦を課せられたように感じてしまう…

2020-11-17

地域猫行方不明です!目撃情報お願いします!!

ってさすがにそれは知らんがなやん…

2020-11-04

anond:20201104145408

迷子女児を連れてきた人を何時間も拘束して書類を書かせる警察

誰もが迷子無視する社会にしたいし女児には行方不明になってほしいんだな

簡単解決できる事件のお手柄を民間人横取りは許さな

民間救助がない状態警察官に発見されれば警察ポイントを稼げるし

行方不明後に死体発見されたとしても、それは犯罪者国民が悪い解釈になって警察権力の強化に使える

2020-11-03

日記を再開。55冊目の日記帳。

2020-11-02。日記始めます

今日は昨日一昨日に引き続き、さむかったですね。

今日は、読み応えのある日記を読みました。これ。→ https://anond.hatelabo.jp/20201026003439

もはや日記でも何でもないんだけれども。面白かった。

で、これを読んで、匿名性の高い、でもって、誰かにまれ日記を書くというのは

おもしろいかもな~と思ったしだい。 アカウントに紐づかないのが気楽すぎる。2ch/5chとかもそうだけどさ~

で、自分増田書いてみよう、と。

今日はてなアカウント登録をし、はてラボ人間性センターかにまれつつ

日記をつけはじめることにしてみた、と、こういうことです。

そもそも小学校6年から大学2年まで、私は日記をつけ続けていて。その日記帳は53冊にわたります

でもその53冊は、現在行方不明。(探せばみつかるかも)

時間をおいて、54冊目のかわりに「さるさる日記」というネットサービス登録していくら日記をつけたんだけど(2002年ごろだったっけ)

その内容は、「さるさる日記」ともども完全に失われてしまった。ということを今日知った。

Internet Archiveにも残っていないので、発掘はむりですね。どうせろくな事記録してないし、いいや。

でもってこの「増田」が、55冊目の日記帳。

いい歳して、いまさらですが始めます今日が1日目。

(2020-11-02)

2020-10-28

anond:20201028090034

なんかここ10年くらいの競馬騎手にしても種牡馬にしても一局集中し過ぎてつまらない

昔は乗り替わりが今ほどなくて中野とか大西みたいな微妙騎手がそのまま日本ダービー出て勝ったりしてたよね

今だったら絶対に乗り替わりでしょ G1出馬表見ても騎手が毎回同じような面子なのはどうかと思う

若い頃の横山典なんてメジロライアンで駄目騎乗しまくってもそれでも乗り続けさせてもらってそれで一流ジョッキーになったわけじゃん

エージェント制の弊害なんだろうとも思うけど、これじゃ若手騎手が一向に育たないと思う

種牡馬にしてもSS系ばかりでつまらない なんだこりゃみたいな零細血統の馬が昔はたまに走ってたのになあと思う

産駒のメルシーステージ重賞連勝したおかげで、種牡馬廃用になって行方不明になってた父のステートジャガーの捜索がはじまって種牡馬復帰出来たエピソードとか大好きだったわ

2020-10-25

ひぐらしの綿騙し編はどうなると思う?

綿流しの騙しルートなら詩音登場、祭殿の中で拷問器具を見る。時報34は行方不明になって詩音k1は疑心暗鬼にならない。

鉄平が出てきてサトコを救うために行動するんかな

令和になってひぐらしにワクワクするとは思わなかった

2020-10-21

月城ルキーニまとめ 拝借しつつ編集

カフェブレイク

お気に入り世界美女

キーニって情熱的だし、イタリア人だし、スペイン系の女の人が好きなのかと思いきや、最後可愛いスコットランドを持って行くから、意外と情熱的と見せて、可愛い清楚系が好きなのかな。

中井さん)だからエリザベートみたいな人を好きになって狙う?

本当は、一番エリザベートが好きなんですよ。執着してるから

もっとビックリ

エリザベートをやると決まった時もビックリだったが、いざ、やってみると、歌の複雑さ、ルキーニという役の深さ。途中の説明部分もただの狂言回しなっちゃダメなんだ、それだとルキーニの面白さは出ないと先生に言われた。

エリザベートという、作品自体が、ルキーニの妄想なんだよっていう。

トートを作ったのもルキーニというつもりでやってます

お気に入りのシーン:最終答弁

自分がよみがえらせて物語を語らせていた、歴史を辿っていたところ、死んでもなお言いたい主張とかをもういっかい言わせるっていうのがルキーニ的にはすごい快感。それを言うことによってトートもそそのかされて、トート感情的になって、だんだん自分計画が終わりに近づいて達成しようとしているところにすごくテンションもあがる

トートとルキーニの(主従)関係

いろんなつくり方があると思うけど、わたしはルキーニの妄想で、っていうのを大事にしようかなと思っているので、トートを一番崇拝してるけど、でも、自分は、もっと引きで見ている。

ちょっとだけ、トートとおんなじ動きをしてみたりとか、そういう瞬間もつくってみたり。自分が作り出したというのが、少しでも伝わればと思ってやってます

色紙:グランドモーレ

自分エリザベート殺害正当化するというか。

偉大な…

愛なんだよというのが、いや深いなと思って。いろんな意味がふくまれているので、これにしました。

ニコライ少尉

日常会話でどこに地雷が埋まってるかわからんタイプのやべーやつ

トート閣下大好きすぎて、尊敬しまくって崇拝してて、過激妄信の結果、なんでもいいなりになって、シシィを殺っちゃった感じ

もう完全にトート閣下のしもべでね、トート閣下の役に立てるのが嬉しくて嬉しくて仕方なくてニタニタ笑ってしま

突然わけもなくキレるとこ見ちゃったからっていうのもあるんですけど、急に暴れ出しそうな怖さ。

理性がすぐ行方不明になりそうな感じ。

そういう恐怖を思わせる笑い方

れいこルキーニは、たくさん女は寄ってくるんだけど、会話しててやっぱり謎ポイントで突然ガンギレするから女の子から去って行きそう。

かざまルキーニは心に傷を負うんだけど、れいこルキーニは体に傷を負いそうなんだよなぁ…

2020-10-20

Android の不満

Android の「戻る」「ホームに行く」などの動作を指示するものをナビゲーションジェスチャーという。Android には現在3種類のナビゲーションジェスチャーが用意されている。「戻る、ホームに行く、タスク一覧」がボタンになった「3ボタンジェスチャー」。スワイプアップでタスク一覧やホームに行くことができる「2ボタンジェスチャー」。現在の新 iPhone採用されているものに似ている、画面の左右端からスワイプすることで「戻る」、画面の下端からスワイプすることで「ホームに行く」「タスク一覧」を実行することができる「ジェスチャーナビゲーション」という。「3ボタンジェスチャー」は昔から採用されてきたもので、Android 9 から「2ボタンジェスチャー」、Android 10 からジェスチャーナビゲーション」が採用されている。

私は、Essential Phone という端末を現在使用している。詳しい方は、懐かしいと感じる方もいるだろうか。私は Android Q BetaAndroid 10 Beta)の頃からジェスチャーナビゲーションを使用していて、その頃から何だか微妙に使いにくいと感じていた。それでも現在まで2年ほどか?そのくらいそのままの設定で使っている。新しいものには積極的に慣れろ、という精神だ。使い続けた理由は全体的に微妙な使い心地だが「戻る」の画面端スワイプが便利すぎるからだ。

この「ジェスチャーナビゲーション」の良くない点を挙げていきたい。

などがある。付け加えれば、Android 10正式リリース時はジェスチャーナビゲーションを有効にしたまま標準のランチャーからサードパーティを既定として設定すると、ジェスチャーナビゲーションが無効化されかつ選択不可能になり、2ボタンに設定されてしまう。この既知の不具合Beta の頃から報告されていたものの、10正式リリース半年後ぐらいまで?放置され続けた。サードパーティ使用可能になっても何だか不安定挙動をしている。サードパーティ開発者に対して酷い仕打ちである。これは根拠のない想像だが、標準のランチャーOS と深く結び付きすぎた制約からサードパーティではそれが上手く扱えるようになっていないのではないか

ということで原点回帰。3ボタン万歳。画面端スワイプは魅力的なのでアプリを入れて有効にしようかな。

「私の端末ではそのようなことは発生していない」という読者はぜひコメントして欲しい。そろそろ新しい端末が欲しいと思っているが、読者のオススメの端末を是非。

蛇足 : 文句があるなら iPhone を使え、という声が聞こえてきそうだが、根本的にユーザー制限があることを美とする Apple思想を私は受け入れることができない。まぁ近頃は iPhone としては安価選択肢もあり、独自プロセッサとか興味深い話もあるので、私のような宗教的に受け入れがたい人でなければ良い選択肢だと思う。

2020-10-12

遊戯王Arc-Vの思い出話

anond:20201012142538

遊戯王ならARC-V、時折VRAINSも含まれ


10年ほど遊戯王のかなりマイナーな分野を探求してきた者です。元々はアニメ2作目の最終盤をみて、そのなかのCMであった遊戯王オンラインにハマったのがすべてのきっかけでしたね。そこからシンクロモンスターテーマにした5D'sとZexalと来て、たどり着いたのがかの有名なArc-Vです。記憶を掘り出しているのでかなり偏りがありますが、思い出補正込みで書いていきます


さて、この作品賛否両論どころか、おそらく日本の糞アニメ史上の末席を汚すような作品です。遊戯王OCGという列車を運ぶ車輪の一部でありながら、その実態とうもろこしのようにグズグズな有様です。ですがそこらのアニメ作品とは一線を画すのは、その尺の長さに加えて「主人公以外が素晴らしい」という点でしょう。脚本全体が酷いのですが、なぜか主人公に関連しないところばかりに光るものがあります。にもかかわらず、その逸材達がことごとく主人公にとっては噛ませ犬であったりするため、酷評に至っていると思われます。そのアンバランスさが、同時期に放映されていた鉄血との相乗効果も相まって、実に刺激的です。

以下は自分記憶だけで書いた感想です。

あらすじ


主人公の榊遊矢(以下、遊矢)はデュエリストとしてはとても平凡な少年。彼は行方不明になった一流デュエリスト父親言葉を受け継ぎ「エンタメデュエル」なるものを心情としている。ある日、彼は謎の力「ペンデュラム召喚」を身につける。それはその世界誰も知らない召喚方法で、未知のカード構成されていた。彼はその力と仲間と共に4つの世界を渡る旅に出る。

このアニメでは、過去作品リメイクカード召喚方法スターシステム採用しています。正直これでコケること自体が難しいのですが、それでもコケました。

失敗1「ペンデュラム召喚



この作品の最大の売りにして最大の失敗は、遊戯王OCGで採用されたペンデュラム召喚のものだと思います遊戯王ではアニメの新シリーズが出るたびに新しい召喚方法が登場しますが、中でもこのペンデュラム召喚曲者です。

簡単に言えば「どんどんモンスターを手札やエクストラから出す」というものです。制約はありますが、後半は主人公補正でほぼ無双状態


ただでさえ何をしているのかさっぱりわからない遊戯王で、このペンデュラムは本気でよくわからない。モンスター魔法カードになるとかエクストラから出てくるとか、OCGをちゃん理解していないと多分無理でしょう。それにカードの絵柄がごちゃごちゃしているので本気で見ずらい。視聴者の中には、最後までペンデュラムが何なのかわからない人もいることでしょう。まあそれは過去作品も似ていますが。

最終的に他の召喚方法比較してペンデュラムを持ち上げようとした結果、単なる無双状態引き起こしたあげく、他の召喚方法ででかいモンスターだすだけのよくわからない戦い方となってます別に面白いとは思えませんが。


失敗2「デュエル笑顔に」




この作品価値低下を最大限補助しているのが、よりにもよって主人公とは。声優演技力が低いとかではありません。むしろちゃんとしているから困るんです。

主人公の遊矢は「エンタメデュエリスト」を自称しています。彼いわく、「デュエル笑顔に」が心情です。この言葉100回は聞きます。そして一度たりとも実行されたことはありません。


遊矢のいうエンタメデュエルとは、どうやら華やかな演出による楽しいデュエルらしいのです。全員ボコボコにするだけですけどね。

前述のペンデュラム召喚は遊矢が得意とする戦法ですが、これはモンスターの大量召喚可能します。そこから各種の強力なモンスターへと繋げるのが遊矢のスタイルなのですが、別に笑顔にする要素なんてありません。視聴者にとってのみ新カードのお披露目があって嬉しいとは思いますしかし対戦相手からすると大量のモンスターがでてきて、さらに極悪なモンスターで壊滅させられるという経験をするのみ。エンタメ自称するためか遊矢は「レディースジェントルメン」と声高に叫んでからえげつない展開をするのですが、視聴者にとっては「これから対戦相手フルボッコします」としか聞こえません。


例えば、敵役として登場した融合次元エド(GXの人気キャラ)に対しても似たようなことを叫びながらフルボッコにして、なぜか負けたエドは遊矢のデュエルに楽しさを覚えた様子で改心してしまます視聴者からしてみればこのデュエルのどこに感銘を受けるのか、皆目検討がつきません。素晴らしい展開とか考えつくされた伏線とか、驚きの勝利方法とか。そんなのではなく「力こそパワー」で殴ってくるだけの遊矢に共感する人っていたんでしょうか?

あと、度々登場する父親との思い出の「スマイル」(?記憶おぼろげ)というカード。実際なんの意味もないカードです。使う場面も限られるし、使っても意味がないことが殆ど。でも遊矢はたまに使いますし、スマイル切り札のような雰囲気を出します。でもなんの価値もないカードなんです。演出目的としても不自然すぎて気持ち悪い。


失敗3「アクションデュエルアクションカード




この作品では実態を持つフィールドを生成して行われるアクションデュエルが多用されます。まあそれがどうでもいい。ようは街なかに溶岩が出現したりするんですが、別にそれがなにかおもしろいわけではない。確かに空中を移動したりする要素はあっても、面白いとはいえない。作品の骨子の一つであるのに、その要素が殆ど生かされていない。5D'sのライディングデュエルとは正反対なんです。その中でも特に不評なのはアクションカード

アクションカードフィールド上に無作為に落ちているカードで、拾った人が誰でも使用可能。大抵はダメージ軽減の「回避」です。そしてそれを最も多用するのが主人公の遊矢。

遊矢の切り札はほぼこの回避です。ただ落ちているカードを拾うだけ。それまでの主人公にあった、あっと驚く回避方法はありません。


「このままでは遊矢のライフゼロに」

ちゅどーん

アクションカード回避を発動」

こればっかり。面白さを心情とする主人公が、劣勢では常にワンパターン。なにこれ?ちなみにこのシーンは本当に飽きるほど出てきます。というか遊矢のデュエルでこれがない回はあまりありません。ようは勝ち筋がなく、その場しのぎでしかないデッキ脚本なんです。



失敗4「主人公以外が面白すぎ」




恐ろしいことに主人公が直接絡まないデュエルはめちゃくちゃ面白い。そのデュエルを盛り上げる登場人物個性豊かで際立っています


主人公が何考えているのかわかりませんが、それ以外はちゃん自分スタイル存在します。黒崎復讐と妹のため。社長世界を救うため。権現坂は仲間のため。ジャック王者であるため。

例えばジャックアトラス。5D'sでは主人公ライバルであり天然な面もありますが、今作では一貫して王者です。主人公の遊矢が「自称エンタメデュエリストであるのに対し、彼のデュエルは本気で面白い。「キングデュエルエンターテインメントでなければならない」という台詞がありますが、全くぶれない。遊矢と似て圧倒的な力で対戦相手ねじ伏せるスタイルであるにも関わらず、付け焼き刃ではないきちんとした王道を行きますデッキ自体自分象徴であるレッドデーモンズを中心に組まれており、それを展開しつつ防御や攻撃を丁寧に処理していきます。大げさな演出も含め、ちゃんデュエルできる数少ない逸材です。


ジャックVSセルゲイかいいですよね。ジャックの堂々としたデュエルと、セルゲイ偏執的なまでの美学がぶつかります自分が一番、自分が勝ちたい、絶対に負けない。そういう自我がはっきりした同士がきちんとデュエルして勝敗を喫するという、ひどく一般的な構図が、この作品には殆どありません。それが叶う場面が時々あるから評価が難しいんです。


まあ基本的にその全てが遊矢にとっての噛ませ犬でしかないので、最高の材料を使って泥団子を食べている雰囲気を味わうのには最適です。


失敗5「尺が長すぎる」




酷い脚本だって短い期間なら許せるものです。でもこのアニメは3年間続きました。アホみたいな脚本に3年間です。それに付き合った自分もっと馬鹿ですね。

最初の2クール異世界に行く人員を選別する予選みたいなものが行われますが、これがムダに長い。こんな2クールかける意義が全然からないほど内容が薄っぺら。そしてシンクロ次元編が異様に長い。まあこれは監督スタッフが元々5D's作っていた関係なんですが、それにしても長い。おかげで融合やエクシーズが薄い薄い。融合次元が敵の総本山なのに、結局尺が足りないのか飛び飛びな印象でしかないんです。



結論「中身のない主人公が中身のない戦いで世界翻弄するだけの話」




最終的に遊矢は世界の敵として君臨します。ペンデュラム自体が忌むべき存在だったというオチですが、アニメの質も同時に呪われていました。

ただ、主人公が悪になってしまう経緯ってもっとキチンとしてほしいんですが、当然この作品にそれを望むことはできませんでした。各種の伏線はあるものの、遊矢の戦いが世界を救うための行いという側面があってこその悪堕ちなわけです。はっきりいえば遊矢は声のでかいだけのモブ。それが悪堕ちしても虚無感しかありません。

主人公としての信念は他人言葉をただ繰り返すだけ。中身が本当にないんです。しかもそれを劇中のジャックアトラスから誰かからの借り物の言葉デュエルをするな」と言われている。いや本当に視聴者が思っていることをずばっといってくれるキングです。素晴らしい。そう、作品自体が遊矢を主人公と認めていないんです。にもかかわらず遊矢は一切成長することなそのまま悪堕ちします。成長した末にではありません。なんとなくです。


そして他の魅力的なキャラたちが遊矢を救おうとします。なぜ?

本当に何がしたい作品なのか見当がつきません。


まあ他にも、顔がそっくりではないそっくりキャラとか、悪役としては随分小物なハゲオヤジとか、同時期放映の鉄血でも散々な社長役だった細谷さんとか。ツッコミどころ満載ですが、そこそこ面白い作品ですよ。Arc-V。

2020-10-05

anond:20201002193005

まじかよ羨ましい…

俺は結局貧乏SEだよ

成功したやつなんて一握りっていうかほとんどいね

行方不明になった奴もいる

anond:20201002193005

まじかよ羨ましい…

俺は結局貧乏SEだよ

成功したやつなんて一握りっていうかほとんどいね

行方不明になった奴もいる

anond:20201002193005

まじかよ羨ましい…

俺は結局貧乏SEだよ

成功したやつなんて一握りっていうかほとんどいね

行方不明になった奴もいる

2020-09-22

キャンプブームだな。そりゃいいんだけどよ。気を抜くんじゃねぇぞ。

3密避けてアウトドア流行

キャンプブーム到来だ。

近場のキャンプ場は休日ともなると大賑わい。

アウトドア好きとしてはこういう流行否定的ではない。

これからキャンプするには過ごしやすい時期になるので、子供が川や海で溺れたり、森で行方不明になったりするんだろうな。

日常を味わいたいのは分かるけど、気を引き締めてもらいたい。

其処は日常ではないのだから

2020-09-21

anond:20200921133321

埋もれていた遺体が出てくる可能性くらいはだれしも考えるだろうよ。

まさか行方不明になったときの姿のまま、泣き叫んでいるところを発見できるとは誰も思ってないだろ。

2020-09-19

行方不明JCが見つかったらしいけど・・・

男がやばいと思って解放したんだろうな・・・

けがはなく無事って書いてあるけど、本当に無事なのかな〜😜

2020-09-18

【速報】千葉・中3少女行方不明 10から警察写真公開

日本中どこもかしこ監視カメラだらけで漫画家の置換みたいなどうでもいい事件も一瞬で逮捕なのに

女児発見できないなんてこと有り得るのかな

上級が関与する事件からからない分からないとしているだけで本当は犯人知ってて庇ってるんじゃないのか

https://news.yahoo.co.jp/articles/9061e09d1686b1acce6c930937326c2774fd94b7

2020-09-15

市教委によると、6月12日心電図検査のため校内で着替えをしていた女子児童スマートフォンを見つけ、担任男性教諭に「撮られている」と報告し、学校滋賀県警近江八幡署に相談

男性教諭は同日行方不明になり、翌日、三重県内で死亡が確認された。

男性教諭犯人と思われる人もいるが、真犯人スケープゴートとして消された可能性が高い。

2020-09-14

うちの父のパソコンが増殖していく。

実家に帰ったら、今までディスプレイ一体型のパソコンが鎮座していた場所に新しいタワー型のパソコンが置いてあった。しかZOOMをやるためにwebカメラまでディスプレイに付けてある。父はiPadを持っているので、それでやれば良いんじゃないかと思ったが、そういうのに強い友人たちにそそのかされたのか、「やっぱり大画面の方が…」とか言っている。大人数で話すなら大画面の方が良いかも知れないがせいぜい2~3人ぐらいならタブレットの方が簡単ではないだろうか。

それよりも問題なのは旧型のパソコン処分しないこと。ついこの間まで使っていたWindows 7機を手元に残しておくぐらいならまだ良いが、昔私が実家に置いていったWindows 98ノートパソコンあたりまで残してあると思う。たぶん新型機に引き継ぎたいデータをどうやって移行したら良いのか分からなくてそうなっているのだと思うが、比較最近のWindow 7機ですらどのデータを移行したいのか分かっていないようなのに、それより古いのをどうするのかと思う。

デジカメで撮った写真とか、CDから取り込んだ音楽データぐらいなら私でも外付けHDDコピーしてあげられるが、父はいろいろなソフトをこれでもかとインストールしてあるので、そのソフト作成したデータがどのくらいあるのか良く分からない。まぁインストールしただけで使っていないソフトが大部分だと思うので、年賀状アドレス帳データとか、学生時代同窓会名簿とかだけ救済すれば何とかなると思うのだが、変なところでケチなので、Windows 10でも使えるソフトは引き続き使いたいらしい。

かなり昔、長期の海外旅行に行ったときデジカメ写真が入ったパソコンが起動不能になったときも、新しいパソコンを買いつつ、古いのを未練がましく残していた。たぶん今も実家のどこかに眠っているはず。誰か詳しい人に聞くか、データだけ何とか救済出来そうな業者を探して金を払うしかないのではないかと思うが、もはやそのパソコン存在すら忘れているのではないか

実家に2台あるiPad理不尽状態で、新型の方のパスコードを忘れてしまい、旧型の方で電子書籍を読んだり動画鑑賞をしたりしている。新型のパスコードをリセットしてしまうとデータ消滅するのが怖いということでそのままになっている。新型の方で撮った写真動画iCloudバックアップされていないのだろうか。そのデータの無事さえ確認できれば容赦なしにリセットできそうなのに。

もともとあまり整理整頓が得意でないのは分かっているし、それは私にも遺伝しているのだが、父の状況はあまりにあまりであるネットショッピングは好きだが、すぐにIDパスワードを忘れるので、同じwebサービスで何個もIDを作ってしまっていると思う。いちおう登録したIDパスワードメモするように心がけているらしいが、どこにメモたかを忘れてしまうので結局ダメらしい。会話するとわりと話の内容はまともなので、認知症ではないと思うけれど、このカオス状態はどうにかならないものか。

母がしっかり者で、父がいろいろな貴重品を行方不明にして騒ぐたびに見つけてきたので何とかなっているが、これで母の頭のネジが緩んでしまったら悲惨である。私はいっぺんに両親の面倒をみる自信はないし、どちらか一人でもかなり厳しいと思う。両親が自力生活できなくなったらどうするか、考えておくべきだと思うが考えたくない。

2020-09-11

(続き)精神的に不健康作品コンテンツについて考えてみた

前回はこち

https://anond.hatelabo.jp/20200904203318

増田の皆さんのコメントには考えさせられた。

ビジネス本を根拠として、娯楽を健全と不健全に分けるのは余計なお世話とか、「人間」と「作者という存在」を同一視するのは不健康とか、コンテンツ精神的に健康/不健康で断ずる行為はよくないなどの意見をいただいた。

特に、「私自身が敵意を持って何かを貶めたい意図を持っているので、記事のもの精神的に不健康である」という意見には唸らされた。

それでは、精神的に不健康作品コンテンツの続きをどうぞ。

今回は個別作品を取り上げる。





ゲーム

 一般販売されているゲームで、自分クリアしたことのあるものに該当はなかった。

 やはり倫理基準があるので、人権侵害をメインに扱ったゲーム審査を通りにくいし、そもそも売れないのだろう。

 それに、私がここに書かなくても、「グロ 残虐 ゲーム」などの単語でググってもらうと、有志がそういうコンテンツを紹介しているページに易々と辿り着くことができる。

 なので、今回はフリーゲームを取り上げたい。フリゲは主に個人制作するものなので、その人の心の健康がありありと現れる。考察にはうってつけだ。

 以下に紹介する。できるだけネタバレはしない。

タオルケットをもう一度(1~3)

 かなしみホッチキス氏の代表作。

 見た目はほんわかしているが、中身はエログロ特にグロ)。見た目はMOTHER2のような暖かい印象を受ける。

 プレイを初めて1時間以内に、このゲームの異常性に気が付くことだろう。気持ちが悪いタイプの異常性ではなくて、続きが気になるタイプの異常性だ。 

 ネーミングセンスが独特であり、作中の随所に現れる。

 どこが精神的に不健康なのかといえば、ストーリーの救いのなさだ。特に2。1と3は、グロ展開を挟みつつも笑えて感動できる物語なのだが、2はとにかく救いようがない。

 特にラストステージ。人によっては恐怖で進めなくなる。ニコニコ動画の実況プレイ動画にも、「怖すぎて〇〇さんの動画に来ましたwww」といったコメントが並んでいる。

 私自身も当時は震えた。深夜1時頃にクリアしたのだが、翌日にあった英語の演習でミスを繰り返したのを覚えている。

 あの時の私は、恐怖を感じていたんだろうか?

 違うと思う。あのラストステージというのは、ぱりぱりうめというキャラクターの抱える苦痛嫉妬絶望や愛や夢が、画面を通じてプレイヤーを殴りつけるとしか言いようのない展開だったのだけど、その感情に心を揺さぶられたのだ。だから涙が止まらなかったのだと今では思う。

・いりす症候群!

 ゲームサークルであるカタテマによるパズルゲーム

 大学生4人(男2女2)が旅行に行く。そのうちの一人が入巣(いりす)京子旅行先で楽しんでいる途中、事件が起こって1人ずつ行方不明になっていく。

 パズルゲームでの得点によって物語分岐する。バッドエンドだと、いりすが友人を したのを示唆するEDになる。高得点を取ると、行方不明は友人たちによる仕込みであったことがわかる。サプライズ誕生日パーティーをしたかっただけなのだ

 プレイを続けていると、ゲームフォルダ内のデータが少しずつ置き換わっていることに気が付く。テキストファイル画像データが現れたり消えたりする。

 最後までプレイすると、いりすのキャラクター性や、旅行について考えていたことや、男側の主人公であるうーじの抱える闇が明らかになっていく。

 いったいどこが精神的に不健康なのかというと、〇〇と見せかけて、実は〇〇でした!みたいな展開の連続であり、特にその裏側に残虐性(しつこいようだがネタバレはしない)が潜んでいる。

 以前の作品である愛と勇気かしわもち」でもそうなのだが、プレイヤーを悪い意味ビビらせることに全力を注いでいる。

 プレイヤーの心臓に冷たい何かが突き刺さって、心臓が凍り付いて、血管が破裂するような恐怖を味わわせることに作者は快感を覚えているのでは?と邪推せざるを得ないほどに、このゲームプレイヤーを驚かせてくれる。

・ドキド文学部!

 数あるフリーゲームの中でも最大級の――精神的に不健康作品だ。

 ゲーム冒頭の説明にあるように、精神疾患の人や未成年絶対プレイしてはいけない。一般の人にもおすすめできない。やっていいのは恐怖を快感に変換できる人だけだ。

 体調がおかしいと思ったら、プレイしている最中でも中止すべきだ。例えば、2周目に入ったあたりで、「ここで止めたら負けだ」とか、「モニカ、てめーは絶対○す」などの感想を抱くかもしれないが、それでも途中でやめるという選択はありだ。

 作者、特に2周目の恐怖演出担当した人間の悪意が突き刺さってくる。どのような理由でも説明できないほどに悪趣味演出だった。

 プレイしている最中に感じたことがある。

「このゲームを作った人たちは、学生時代に苛めや虐待などのひどい目に遭って、社会に恨みを持つようになったんじゃないか? だから、こんな残酷ゲームを作って社会復讐しようとしたんじゃないか?」

 私はそう推測した。

 「違う。このゲームは高い評価じゃないか」という意見もあると思うが、典型的確証バイアスだ。別の言葉で言えば、コミットメント一貫性

 プレイヤーは、恐怖と戦いながら数時間~数日をかけてゲームクリアする。敵だと思っていた存在は、自分のことを(以下略)。ハッピーエンドではなかったけど、恐怖に打ち勝ってこのゲームクリアできた。俺はチキンじゃない!

 終わり良ければ総て良しという言葉がある。悪趣味演出にどれだけイライラしたとして、最後までクリアしてしまった後で、このゲームプレイした時間無駄だったと認めることはできない。

 そんなことをすると自分愚か者だったことになる。だからこそ、個性的ゲームだったね、just monicaだったねと高い評価を与えることで、自分の考え方と行動に一貫性をもたせようとする。それがこのゲームが高く評価される理由ひとつだ。

 今までにないタイプゲームだったのは間違いない。ホラーゲーム好きな人にとっては珠玉一品だったと思う。私も、このドキド文学部!に評価を投じた。★4つだったと記憶している。



小説

 読んでいて苦痛を感じた作品トップ3を紹介する。

悪徳の栄え

 名前だけは聞いたことがあると思う。エログロかと言われればそのとおりだ。

 この作品は、上下巻の約700ページ(しか行間ほとんどない)に渡って以下のような展開が続く。

ジュリエット(とその仲間たち)が乱痴気騒ぎを起こして一般人を強姦したり殺したりする

②騒ぎの最中かその前後パートで、ジュリエット(とその仲間たち)による哲学論議が行われる

ジュリエット(とその仲間たち)が不仲になって仲間を殺す。あるいは新しい仲間を作る

 特に①②の割合が高い。

 エログロ小説世間では見られているが、実は哲学小説だ。作者であるマルキ・ド・サド貴族出身でありながら、変態行為が露わになって逮捕→投獄というパターン小説を書き始めたタイプの人だ。

 この小説が有名になった理由ひとつは、サド自身社会に対して抱いていた恨み(今でいう反社会性障害?)から生じるエログロ描写の反面、その知性や教養から精緻に描かれる人間社会に対する哲学的な理解の鮮やかさが奇妙なほどマッチしていることによる。

 哲学的な描写の例として以下の例を挙げる。主人公であるジュリエットの序盤の師匠であるデルベーヌ夫人の科白だ。この小説キャラクターは喋りの量が半端ないドストエフスキー並みだ。

 ※一部のみを抜き出した。この場面の文字数引用箇所の軽く数倍はある。

「まあ!」とあたしはデルベーヌ夫人に申しました、「それではあなたは、御自分の評判などどうなったってかまわないほど、無頓着でいられるというのですか?」

「そのとおりよ、あなた。本当のことを言うとね、あたしは自分の評判がわるいという確信をもてば、ますます内心で愉快を覚えるの。そして評判がよいと知れば、まあそんなことはないでしょうけれど、きっとがっかりするでしょうね。いいこと、ジュリエット、このことをよく覚えといてちょうだい、評判なんてものは、何の役にも立たない財産なのよ。あたしたちが評判のために、どんな犠牲を払っても、けっして償われはしないのよ。名声を得ようと躍起になっている者も、評判のことなど気にかけない者も、苦労の多い点ではどちらも同じよ。前者はこの貴重な財産が失われはすまいかといつもびくびくしているし、後者自分の無関心をいつも気に病んでいるの。そんなわけで、もしも美徳の道に生えている茨が、悪徳の道に生えている茨と同じほどの量だとしたなら、いったいなぜこの二つの道の選択にあたしたちは頭を悩ますのでしょう、あたしたちは自然のままを、思いつくままを、そのまま素直に信用していればよかりそうなものじゃありませんか? P.16

 今時の心理学の本に載っていそうな感じではある。アドラーの『嫌われる勇気』に通じるものがある。

 悪徳の栄えで論じられている思想ニーチェハイデガーに通じるものがある。この世に存在し続けるものに重きを置いている。

 私にとっては面白い小説ではなかった。万人にお勧めできるものではない。というのも、哲学的な論考はあるものの、残虐な場面や、人間的に醜い描写が多く登場するからだ。

 今のコンテンツでいえば、『ダイナー』が一番近い。ダイナーを哲学的な内容にすると現代版の悪徳の栄えになる。

 私が読むのをやめようと思いかけた場面のひとつを挙げる。ジュリエットが、師匠の一人であるノアルスイユという金持ち気持ちを打ち明けるところだ。

 ※上を含めて、引用箇所を探して打ち込むのに2時間半もかかってしまった…いずれにしても引用が多すぎる。これで最後にする。

「おお、 ジュリエット、おまえはまだ全部を知ってはいいからそう言うが……」

「なら全部すっかり話してください!」

「おまえの父御さんや母御さんのことだがな……」

「どうしたと言うんです?」

「生かしておいてはおれのために都合が悪かった……息の根を止めてしま必要があったのだ。で、二人ともばたばたと死んでしまったのは、おれが彼らを自分の家に招いて、ある飲物を飲ませたからだ……」

 ぞっとあたしの総身に冷たいものが走りました。だがすぐに、自然があたしの心の奥底に刻みつけた、極悪人にふさわしいあの無感動な冷静さで、あたしはノアルスイユを正面からじっと見据えながら、「人非人! 何度でもこの名を繰り返してやりたい」と叫んでおりました、「あなたは見るも怖ろしい男です、でもあたしは、そういうあなたをやっぱり愛しております

「おまえたち一家殺戮者でも?」

「ああ、そんなことあたしに何の関係があるのでしょう? あたしはすべてを感動によって判断します。あなたの兇行の犠牲となったあたしの家族は、あたしに何の感動も生ぜしめてはくれませんでした。けれどあなたがあたしにしてくれたあの犯罪告白は、あたしを熱狂させ、何とお伝えしていいか分らないほどな興奮の中へ、あたしを投げこんでくれました」 P.57~P.58 

 ノアルスイユはジュリエットの父母を殺している。そのせいで、裕福だったジュリエット修道院に送られて貧しい生活を送り、やがては売春宿で働くことになった。

 その原因を作った張本人であるノアルスイユに対してこのような言葉を出してくるところに、この悪徳の栄え醜悪さを感じた。読者をダークサイドに送り込もうとしている。

 物語の中で悪事を働く人間の基本になっている考え方のひとつに、「悪事をする人間自然有益である」というものがある。考え方自体はとんでもないのだが、文学者翻訳を務めている関係でやたらと格調高い文章になっており、それが読者の心に響いてしまう。

 年末年始を使って上下巻を読んだのを覚えている。今では読むべきではなかったと後悔している。

隣の家の少女

 前回の記事ブクマコメントにこういう意見がある。

同意しない。そもそも残酷作品」の多くは「読んで心が痛い」という理由で人気がある。

 いわゆる鬱小説というやつだ。心が痛くなるコンテンツ。とにかく痛い。この本も読むんじゃなかった。アマゾンで高評価がついていたので出来心で買ってしまった。

 この小説のいったいどこが精神的に不健康かといえば、「いたいけな少女をいたぶること」を主眼に置いているからだ。

 アメリカ田舎町に暮らす主人公のデイヴィッド(12)。ある日、隣の家に住んでいるルースのところに、両親を亡くしたという快活な美少女メグ(13才以上)が妹のスーザンと一緒に引っ越してくる。デイヴィッドはメグに心を奪われる。ザリガニ釣りから始まって、次第に仲を深めて、お祭り観覧車に一緒に乗る。花火が綺麗、みたいな描写だったのを覚えている。

 「はい終わり、ここで終わり!めでたしめでたし

 という言葉脳裏をよぎった。まだ未成年だった頃、某動画サイトにアップされていた『true tears』というアニメを見ていた。眞一郎と乃絵が仲睦まじくしている様子を見て、ほかのみんなが一斉にこのコメントを打ち込んでいたのを思い出した。

 この小説は、読者に精神的な苦痛を与えることを目的として、メグに対してありとあらゆることをやってのける。

 メグは何でもされる。肉体的な苦痛から精神的な苦痛まで、何でも揃っている。

 巧妙なのは、このメグというのが優秀設定のキャラクターであることだ。

 運動神経は抜群で頭がよく、そのうえ美少女ときている。いわゆる利発キャラ。例えば、虐待が始まってすぐの段階で地元警察相談に行っている。普通の子どもはこういう行動を取ることはできないだろう。

 実際、一度はルースの家から脱出成功しかけるのだが、障害持ちのスーザンを気に掛けるあまり失敗してしまう。

 ルースやその子ども達から虐待さら苛烈になるが、デイヴィッドはただ観ているだけだ。傍から虐待されるのを眺めるばかりで何もできない。親に相談しようとするも、恐ろしくてできない…

 この小説を読んでいる間に心が相当削られた。品性下劣という感想を抱きながらも、最後まで読まないといけない気分になっていた。悔しいが作者の勝利だ。

 今回の記事を書くにあたり、隣の家の少女について調べたところ、ネットフリックス映画があるらしい。今度見てみることにする。

路地の子

 作者である上原善広の父を主人公に据えたノンフィクション小説。ということになっている。物語というよりは、作者が精神的に不健康な例だ。

 あらすじとしては、牛の解体場で働く上原龍造が、自らの腕だけを頼りに食肉業界経営者として成り上がっていくというもの

 昭和時代の話なので、解放同盟共産党右翼ヤクザが出てくる。彼らと渡り合いながら、少年だった龍造は成長を遂げてゆく。

 問題なのはノンフィクションと謳っておきながら創作であることだ。

 作中では、実際に存在した人物名前や経歴が書き換えられている(ex 作者の父の名前は龍造ではない)のみならず、解放同盟支部の結成年や支部名その他、多くの事実に誤りがある。

 作者と新潮社解放同盟から怒られた。出版である新潮社HP謝罪文を出している。作者である上原氏もnote反省文を書いているが、はっきりいって反省していない。

 路地の子の誤りを指摘することを目的としたネット記事もある。

https://kadookanobuhiko.tumblr.com/post/167512723599/%E4%B8%8A%E5%8E%9F%E5%96%84%E5%BA%83%E8%B7%AF%E5%9C%B0%E3%81%AE%E5%AD%90%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%80-%E2%91%A0

上原善広路地の子』を読む

 巻末のところで実父に関連して、自分の来歴や、元嫁や兄について語っているのだが、なんというかもう、ツッコミどころが満載なのだ。本編を読む前にこれを読んでいたら、一生読むことはなかったと思う。

 ※個人情報その他の関係で、ここに詳細を書くことはできない。上のネット記事には詳細がある。

 最後

 逆に精神的に健康作品コンテンツについて考えてみた

 https://anond.hatelabo.jp/20200911212405

2020-09-09

anond:20200909143207

自衛隊否定するやつ+自民党投票しない奴は国民の敵だから震災で見捨てられて死んでも仕方ない

東日本大震災の時は民主党政権だったか国民の敵が多かったから死者と行方不明者数が増大した

自民党政権になって以降は自然災害で死んでいない

自民党を支持していれば自然災害が起きても救助拒否されて死ぬことはない

有田先生

拉致被害者家族」ではありません。「拉致可能性を排除できない行方不明者」の家族です。

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