はてなキーワード: 脳外とは
ググりました!
明治大学中退後、東京厚生年金看護専門学校に入学。同校を卒業後1987年より東京厚生年金病院に勤務。内科病棟を経て、神経科病棟および緩和ケア病棟の看護師長を歴任する。
小林光恵
茨城県立鉾田第一高等学校在学中は地学部やチアリーダーで活動をしていた。1982年に東京警察病院看護専門学校卒業後[1]、看護師、編集者などの経験を経て、著述業となる。
国立療養所宇多野病院付属高等看護学校卒。都内で看護婦として働く[1]。夫は新聞記者の柴野徹夫。1987年に『看護病棟日記』を刊行して話題となり、数冊の著作をなした。
山中利子
室園孝子
久留米医師会看護専門学校卒業後、聖マリア病院へ勤務、並行して音楽専門学校にてボイストレーニングを重ね、バンド活動等を経験。 二児の母になったのをきっかけに執筆活動を始める。
真杉静枝
1911年に一旦日本に戻ったが、再び台湾に戻り、台中の看護婦養成所を卒業して1916年から看護婦として台中病院に務める[1]。
弥永英晃
看護師として救急救命・外科・内科・整形外科・脳外科・終末期医療・訪問看護・精神科の経験、病院・クリニックの心療内科・精神科・児童・思春期外来で病院カウンセラーとして勤務。独立し「心理カウンセラー・メンタルトレーナー・作家」として活動。
吉見マサノヴ
ルイーザ・メイ・オルコット
1860年にオルコットは「ジ・アトランティック・マンスリー」(The Atlantic Monthly)誌に作品を書き始め、また1862年から1863年にかけて六週間ほど、ワシントンD.C.のジョージタウンにある合衆国病院で看護婦を務めている。
1997年、家族がコンピュータを買ったことをきっかけに小説を書き始める[2]。この時、看護師になって20年が経っており、まだ看護師という職業が好きだったが、何か新しいことを始めてみたいと思っていたという[1]。
ヴィッキィ・バウム
https://anond.hatelabo.jp/20190823163251
何年も付き合ってて相手がそんな、いい歳こいて思春期ずっと引きずってるみたいなピーターパン症候群だったのになんで気が付かなかったの?バカじゃね?
股おっぴろげて男のチ〇ポハメハメしたくらい相手に気を許す間柄なのに気が付かなかったって、共感性がないとか思慮が足りないと改善の問題じゃね?脳外科行って自閉症かなんかの検査受けてきた方がいいよマジで
アンタ今いくつよ?5年やそこらも付き合ってんのなら大学の時と考えても20後半言ってるよな?あと数年以内に結婚できなきゃ女として絶望的だべ?
頭の悪さがにじみ出てるような文章なのは読んでたらわかるから、一人で金稼いで一生暮らせるような能力がないのは丸わかりだし、自分で美人じゃないとかいってるうえにババアとか場末の風俗でも雇ってもらえないから就職先どんどん少なくなるぞ?
5年も付き合ってたのなら結婚する意志がないとわかるならなんで並行してほかの男探しておかなかったの?人生舐めてない?自分の立場わかってんの?
こんな騙されやすい性格で女としての価値がある年齢の大部分をスルーしてしまった以上、もう結婚してくれそうな奴といえばウンコみたいな髪の色した鼻ピアスで腕にドラゴンのタトゥーとか入れた無職同然の低学歴DQNとかそんなんしかいないぞ?稼ぎも悪いだろうし、DVされまくって子供を産めたとしたってアンタの頭の悪さとDQNの頭の悪さに輪をかけた、ガイジ寸前のハイブリッドDQNガキ見たいな、後ろ神だけ伸ばして眉毛剃りこんだミニゴブリンを育てさせられる羽目になるわけだ
ラーメン二郎に行ったら客が泡を吹いて倒れた話。
http://www.cojking.com/entry/2018/10/16/233321
を拝読したところ、「泡をふいて倒れた」というのはもしかして、てんかん発作ではないかと思いました。
そうではないかもしれません。ただ、これを機会にてんかんで倒れた人の対処方法について乗っからせてください。自分のブログより人目にふれるかと思い匿名ダイアリーに書きました。
私はてんかん患者です。てんかん発作をおこしたときに対処してくださる人は本当に有り難いことだと思います。いきなり、けいれん発作をおこしたり、倒れたり、泡をふいたりしたら、驚くし怖いと感じることもあるでしょう。それでも、手を差し伸べてくれる人がいるのは、本当にありがたいです。
ただよく言われている「口の中にスプーンを入れる」など、口の中に何かを入れることは、窒息をおこすかもしれないので、今はやってはいけないことになっています。
てんかんinfo
https://www.tenkan.info/spasm/care/
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発作時
けいれんの最中は名前を呼んだり、体を押さえたり揺さぶってはいけません。
舌をかまないようにと、けいれんの最中に口の中に指、タオル、スプーンなどを無理に突っ込んではいけません。無理に硬いものをさし込むと歯が折れたり、口の中を傷つけたりしますし、指を入れると噛まれてけがをしてしまいます。物をさし込むより、下あごを下から軽くあげ、けいれんの際に舌を噛まないようにしてあげましょう。
発作後
上を向いていると、発作後に食べ物を吐いたときに、吐いたものが気管に詰まって呼吸ができなくなるので、発作の後は顔を横にしましょう。
けいれん発作後にしばしば眠ってしまうことがありますが、発作後にもうろう状態となり、物にぶつかったり、危険なものに触れたりすることがありますので周囲の人が軽く寄り添って保護してあげましょう。
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意識がないように見えても、実際回りの声は聞こえていることもあります(発作にはさまざまな種類があります)。
私も駅のホームで発作を起こし倒れたことがありますが、2人の人が、助けてくれました。1人の人が、頭の下にかばんを入れて、手を握ってくれました。
「てんかん?」と聞かれてうなづくと、「大丈夫、大丈夫だよ」と声をかけてくれました。
もう一人の人が駅員さんを呼びに行ってくれました。
「大丈夫だよ」と言ってくれた人は、消防員の方でした。非番だったそうです。
もう一人の人は学生さんでした。
駅員さんが来てくれた時は、もう発作が収まっていました。
消防員の方が、発作を起こしてからの時間を計っていて、頭は打っていないことを確認していたことなどを話していました。
私は発作の後、体がうごかなくなる(トッド麻痺)ので、そのことを話すと、タンカで救護室まで運んでもらえました。
私の場合は、脳外科手術の後遺症として、てんかんにり患し、その頃はまだ薬でのコントロールがつかなかった為、発作を起こしてしまいました。
てんかんのことは自分がなるまで、まったく知らなかったですし、きっと発作を目の当たりにしたら怖かったでしょう。
それでも、手を差し伸べてくれるのはほんとうに有り難いので、よかったら、ぜひてんかんのことを知ってください。
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薬でまだ発作をコントロールできていない人たちへ。
私はコントロールできるまで2年半かかりました。発作が起きるたび「また起こしてしまった」と絶望的な気持ちになりました。
それでも。意識消失する発作から、半身発作、足だけの発作…とだんだん軽くなっていき、今ではほぼコントロールできています。
だから。あきらめずにがんばろうね。絶対コントロールできるって、信じようね。うまくいくよう祈っています。
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■現在
体重:80.4kg(-0.4kg)
うーん、誤差の範囲!!
■今日やること
・目標1万歩以上
・水をこまめに飲む
・プランク
・フリパラ体操(テレビでやってたからやる!二の腕とウエストに効果あり!)
■雑記
会社に来たら「顔色悪いよ!」と言われた。
原因不明だと本人にしか辛さ分からないし嘘だと思われることもあるから」と言われた。
部長が思ってることなのかな。尊敬している上司なだけに、そう思われてるんだったら辛い。
めまいについて耳鼻科いったら「原因不明、筋肉注射と点滴で様子見」と言われた。
ちょっと気になったのが、寝起きグラッとして
その2分後くらい。深呼吸した後は血圧が122、84、 心拍数は98。
原因はこれなのかなぁ。
研修医2年目の女です。当直明けのぼんやりした頭で書いています
このエントリーは決して女性の社会進出を批判するわけでもなく、ミソジニーでもなく、ただ生殖機能の構造をもとに考えた場合この問題はどうにもならないと思って、私が吐き出したかった内容です。不快に思う女性がいたらごめんなさい。
私は今研修2年目で2週間から1ヶ月ペースで診療科をローテーションしています。研修中「うちに入局しない?」と声をかけていただくことがあります。
「うちの科は女性が多いし、女医さんに優しい環境だよ。○○先生も××先生もお子さんがいても働いているし医局としても女医さんを応援しているからね。」
研修中に大体そうした内容でお誘いをかけてくれるのはマイナー科です。言わずと知れた皮膚科、眼科、耳鼻科に加えて直接患者を持たない「病麻放」、内科系ならアレルギー、リウマチ、糖尿病。大体そんな感じ。
医者の仕事量が半端ではありません。わんさと来る外来患者と検査・治療で入ってきた入院患者を診なくちゃいけない。問診取って診察してCT撮って内視鏡入れて薬をオーダーして生検してオペしてetc…どの科もやらなくちゃいけないことがひっきりなしにやってくる。特に大学病院や地域基幹病院は毎日毎日忙しくて、現場は随分疲弊しています。
急変がある科なら尚更です。オンコールで呼び出されることもあれば月10日以上病院に寝泊まりする先生もいらっしゃいます。小児科や産科のような昼夜区別なく患者が来院する科や循環器や脳外など命に直結するような、しかも手術にあたって精緻な手技が要求される科はそうした傾向が強いです。
しかしそんな内情を医師が公に嘆くことは許されません。「命を扱う仕事だから当然だ」「高給取なんだから当たり前だ」と社会の風当たりは強く、まるで私たちがスーパーマンであるかのように、あるいは給料泥棒のように糾弾されるのです。働き方改革法案が可決されましたが、医師は専門職(高度プロフェッショナル職業)だから適応されることはなさそうだよと言った同僚の声の冷たさは忘れられません。多くの乗客を乗せて飛ばすパイロットは私たちと同じように「命を扱う仕事」ですが、福利厚生はパイロットの方がずっとしっかりしています。
私は誰かを治したいとか苦しんでいる誰かの痛みを和らげたいとかそうした優しい気持ちで医学の門を叩きました。
しかし年齢を重ねていくにつれて、私は気づいてしまったのです。この医療という現場は私たち手を差し伸べる側をいつか圧殺するであろうことに。
アドヒアランスが悪い患者さんがいる、患者から叱責される、運悪く死亡してしまった時訴訟問題になるケースがある、昼夜区別なく呼び出される、患者のことだけを考えなければ。
いつからか医者のライフステージも真剣に考えるようになりました。
高校卒業後現役入学してストレートで卒業できて24才です。研修医が2年ありますから、その段階で26才。研修医終えたら希望の診療科に入局です。ここでやっと自分の専門を決められるわけです。そこで何年か修行して専門医取って一人前というのが医者の大まかな流れです。あとは大学に残るも自由、基幹病院行くのも自由、開業するのも自由です。最近は皆さん医学部卒業後に研修医を2年やることは割とご存知かなと思いますが専門医って何?って人が多いかと思います。まぁ箔付けみたいなものでみんな持ってるから持たなきゃねみたいなものです。しかしこの専門医を取るのが厄介なんです。加えて専門医制度は今年大きく刷新され、中でも内科専門医の変更については議論を呼びました。
この専門医取得については各診療科ごとに決められた常勤年数があります。
今までは1年の研修で内科認定医を取得、その後4年で各サブスペシャリティ(循環器・呼吸器・消化器etc)の専門医資格を得られました。しかし、新制度では初期研修終了後3年の研修で内科専門医を取得し、さらに研修を積んでサブスペシャリティの専門医取得となります。今までは1年でよかった内科認定医を取るためのローテーション研修が2年伸びました。
これがどういうことか分かりますか?今までは26で研修医終わって27で内科認定医、これでいよいよ循環器内科で頑張るぞ!だったのが、29で循環器内科だ頑張るぞ!になったんですよ。このサブスぺシャリティという真のスタートラインが29才になったのが新専門医制度。18才で医学部に入って真のスタートが29才って。
妊孕性が年々低下していくことなんて世間でも認知されていて、国家試験でDown症は高齢出産ほど起きやすいなんて選択肢まで出すのに私たちはいつ妊娠すればいいの?29で真のスタートラインに立った、けれど子供産んでから復帰するのであと3年は待ってくださいになるのでしょうか、それとも研修医終わりました、26で子供産んで落ちついてからから内科認定医取ります、みたいな流れなんですか。
「命を扱う仕事だから当然だ」「子供産みたいなら医者になんかなるな」
世間様はそう言う声が多数派なのかな。しかし私だって結婚したいし子供が欲しいし人間的な生活を送りたい。
あぁ、私みたいなのが医者になったのが間違いだった。知らない誰かを最優先できる人、自分の、女の、幸せ全て投げうてるような人が「女医」として許される人間なんだと自責する日もあります。でももう私も26だから。辞めて今更人生やり直せないの。ごめんなさい。
「小児科の○○先生さ、終業と同時に走って帰っていくの。そうしないと保育園にいる子供のお迎えに間に合わないから。旦那さんも産婦人科だからさお迎えは○○先生なんだって。…ああはなりたくないよね」
同期はこんなことを言っていた。小児科の○○先生みたいになりたいって女性学生はいるのかな、私の周りにはほどほど働いて後は子育てしたいって人が多かったです。
じゃあ何科に進もう。
そうです、マイナー科です。言わずと知れた皮膚科、眼科、耳鼻科に加えて直接患者を持たない「病麻放」。
「うちの科は女性が多いし、女医さんに優しい環境だよ。○○先生も××先生もお子さんがいても働いているし医局としても女医さんを応援しているからね。」
こうした声をかけてくれるマイナー科に行こうと思いました。マイナー科は大体5年で専門医取れるし、急変も少ない。患者も少ない。もしくはない。
最高の仕事場だと思いました。ここに骨をうずめようと。
しかし女医の復帰を支えるマイナー科同期男性医師の気持ちになって考えるとこれまた嫌な話なのです。女医が産休に入った分、自分の業務は増え所詮人の子のために尻ぬぐいをしなくてはなりませんから。子供を産もうとする女医は結局どこまで行っても腫物なのです。最近は女医の復職支援も行っていますといった講演や広告も見ますが、「命を扱う仕事なのに途中で離職したり産後フルタイムで働けないならそもそも中途の女医じゃなくて最初から男医採っとけばいいじゃん」という反論にはぐうの音も出ません。
昨年度の私の卒業した大学の入試面接では「最近女医が増えてきていますがそのことについてあなたはどう思いますか?」という質問があったそうです。
…なんて答えればいいのか私には分かりません。
ここまでつらつら書いてきて結局何が言いたいのかというと「医者という仕事が壊滅的に女性のライフステージに合っていない。」これに尽きます
H24年度の調査で医師全体に占める女医の比率が19.7%、医学部入学者に占める女性の割合は33%を超えていて今後も増加が見込まれています。相対的に医学部の男子学生減り、将来的に男性医師も減っていくでしょう。しかし女性医師の多くは妊娠出産で途中で離職します。加えて女性医師は出産・育児を考えた場合、以上のようなマイナー科を積極的に専門に選んでいくでしょう。内科・外科・産婦小児・救急に長く従事する医師は結果として少なくなり、マイナー科はマイナー科でブランクがある女医を少ないベテラン男性医師が支えていく構図が目に浮かびます。
同じ女性の私が、もう医師になってしまった私が、こうしたことを言ってもブーメランにしかならないことくらい分かっています。
しかしただでさえ肉体的にも精神的にもキツイこの仕事を、肉体的に男性に勝っているとは言えない女性が、子供を産める性である女性が、この職業に就くことは誰にとっても不幸なのではないか。そんなやりきれない思いを吐き出したく利用しました。
「医療崩壊」、それは一体何を指すのか。
医療崩壊(いりょうほうかい)とは、「医療安全に対する過度な社会的要求や医療費抑制政策などを背景とした、医師の士気の低下、病院経営の悪化などにより、安定的・継続的な医療提供体制が成り立たなくなる」という論法で展開される俗語(wikipedia)…だそうです。
高齢化が進みますます高齢者は病院にやってくる、医学部は増員したのに「何故か」増えない医師、疲弊する数少ない医者。
医療崩壊はすぐそこまで来ているのだと思います。この危機を救えるのは、働き方改革より何より「医学部の男子学生増員」だと思っています。
私も男に生まれたら、人を治したいという気持ちで突っ走れたのかな。
研修医が終わったら、私は今お付き合いしている人と結婚してマイナー科に入局します。きっと私は後ろ指を指される要領のいい女医になるのでしょう。