はてなキーワード: 管理とは
去年の大晦日に「メモアプリの知見を貸してほしい」という増田を書いた者です。750超のブックマークと注目をいただきまして大変感謝しています。
https://anond.hatelabo.jp/20221230142549
あれから半年経過してみて自分の使うメモアプリが定まってきただけでなく、メモの意識およびスタイルに変革が生じました。これを、皆さんからお借りできた知見の「お返し」としてご報告したいと思います。
「中身に興味無いけどブコメしたいからブクマした」という人は、簡単に作れそうな激辛料理を教えてください。最近自炊が楽しいもので…中華ばっかりですが。
「うるせー経緯は良いから何に落ち着いたのかだけ簡潔に教えろ」という方は、「asdf」「あsdf」「あかさ」でページ内検索してください。
ブコメは270件、増田のトラバは50件と膨大なアドバイスや激辛スナック情報を頂いて、まずは発見がありました。
ある人が「タラタラしてんじゃね〜よ は激辛?」と聞いてきた折に「自分は激辛とは思ってないけども〜略」という返答をしたのですが、同じことがメモにも言えることに気がついたのです。これはメモ?それとも他の人にとっては違う?
私の以前の認識では「私的で体裁の整っていない文書は文量問わず例外なく全部メモ」と思っていました。そんな意識では提案されたもの(勧めてもらったものは余すことなく試しました!)を実際に触っても帯に短し襷に長し。要件定義に不足があったのですから無理もありません。
1. 要件が済んだら破棄されるもの(実例:買い物メモ、日程が過ぎた忘れ物チェックメモ)
2. 要件が済んでも備忘録として残しておく価値があると感じるもの(実例:スーパーの安売り曜日情報、激辛スナックリスト、ロックマンXのパスワード)
3. 2.の体裁を後から整えたくなったもの(実例: 読書メモ、アニメ感想メモ)
提案してもらったアプリおよびサービスが、以上の3タイプに対してどれくらい適性があるのかを確かめることにしたのです。全てに対応したオールインワンでスッキリとしたアプリがあれば、学習コスト的にも理想的ですからね。
そんな理想郷はなかった。
1-3全てを1つのアプリケーションが管理するというのは、私にとっては文書の混沌を意味します。たとえデータだから実体がないとしても(電磁気的にはありますが…)、タグで分けられるとしても、付箋・ペライチ・ノートが混在するような収納を許せる器量が自分にはありませんでした。
メモはメモであるべきで、後付で構造が生まれたものはメモではないと確信し、3の隔離の必要性を認識しました。これもうわかんねぇな
1-3で共通した要求は「PC/スマホで編集できる手段がある」「データの共有が端末間でできること」。そして3にのみ「目次機能を始めとした文書的機能」が要求されていることがわかりました。
1-2は最早ToDoリストで良さそうなミニマルさ、3には編集機能にリッチさが欲しい雰囲気になりました。
絞り込みがスムーズになりそうです。
1-2の選定は数ヶ月にわたり苦悩しました。前述の要求でGoogle KeepとOneNoteの二大巨頭に即刻絞り込まれましたが出来がどちらも良く、最終的にGoogle Keepを選んだ理由が「前からちょいちょい使ってたから…」しかありませんでした。それくらいOneNoteの出来も本当に良かったです。
私がメモアプリを勧める立場になったら、この2つのうち好きなほうで良いんじゃない?と言うことでしょう。あまり面白みの無い結論かもしれません。
3はメモではなく、もはやノートと呼んで差し支えのないものに昇華しました。従って、原題である「メモアプリ」からは少し枝分かれというか、切り離した話題になります。
ここでかち合うことになったのがNotionとObsidianです。
Notionは複数人で共有できたり権限管理もあったりで組織で使う分にはかなり強力なアプリであることは実感できました。今回は「私的な文書」を取り扱うわけですが、それでも私はConfluenceの使用経験もあるので「こういうの便利だったんでわかるわかる」という箇所が多かったです。
とは言え他のコメントにあったように「使いこなせている感じがしない」気持ちについては強く共感できるものがありました。Obsidianも多機能にできるのですが、それはプラグインによるもので自分の選択の結果として多機能になるのです。学習コストと関わるところですが、「ある機能が欲しくなってそれが実現できることに気づいたので学習する」(Obsidian)のと「『こういう機能がある』と最初から使うかもわからない機能の存在を脳の片隅に置かれる」(Notion)のでは私は前者を好む人間です。探検好きなので。
あ、誤解のないように記しておきますが今回の模索は個人のメモをとる分の話です。友人や組織の仲間とのやりとりではNotionを使っています。あまり使いこなせてはいませんが…。
Obsidianのデータ共有については課金しているので問題ありませんが、そのあたりに抵抗があるならば…実体はmdファイルなので自分でバックアップを取る感じですかね…?
そんなわけで、減点方式的ではありますがObisidianに落ち着きました。
メモはGoogle Keepになりました
メモをノートにレベルアップさせるときはObsidianを使っています
一応はてなブログもあるからそこに書いても良かったんですが以前が増田だったので報告も増田でやるのが筋だろうと思い、またここに失礼させていただきました。
アプリを2つ使うことになろうとは思っていませんでしたし、おそらくコメントを下さった方もこういうオチになるとは思ってなかったんじゃないかということで、経過報告と面白い報告を兼ねていることを願っています。
メモの定義がしっかり定まっていなかったために(おかげで?)多様な提案をいただく結果となりましたが、片っ端からアクセス、インストールして試しました。しっかり自分の糧となっています、感謝しきれません。
あっそうだ。メモアプリに興味もなく、激辛スナックを食べられない皆様には2023年の抱負を書いていただきましたが、経過はいかがですか?順調でしょうか?
子どもがいない選択が最高みたいなのが最近よく流れてくるので、反対に子どもがいる人生を歩んでいる私の話。
今現在は30代。
何故子を儲けようと思ったのかと言えば、“愛する人と結婚したら子どもを産み育てる”というのが生きとし生けるものという認識だったから。
そんなありきたりな話。
(もうこの認識も、既に一昔前なんだろう)
自分は父や母のようになりたかったし、父や母のような家族を持ちたいと思った。
そう、私は家大好き人間であった。
美味しいものを食べて、温かいお風呂に入って、家族みんなでゲームしたり一日の話をしたりして過ごす。
ぬくぬくいつまでも入れるぬるま湯状態で過ごせる身分であったのが大きいのかも知れない。
実際生まれてきた赤子を見た瞬間には
「なんて大変なことをしてしまったんだろう!」
と思ったけれど。
一生守り続ける、と強く誓ったもの。
子どもとは〜赤子とは〜という育児予備知識入れていたが、そんなもの外れていくのが子育て。
すっかり推しの出ているテレビはリアルタイムでは見えなくなったし、コンサートライブに参加できるようになったのは卒乳後。
ファッションには疎くなったし、行くところはすべてショッピングモールで完結。
(スーパー、子ども用品、ファッション、日用品、ドラッグストア、飲食店、遊び場まであるショッピングモールはなんて素晴らしいと思ったか)
ガチャガチャの出費は嵩む。
ちなみに仕事は職場にとても恵まれ、コロナ禍もあり基本リモートワークの職。
子の体調不良時は保育園に通園できないため、自宅保育しつつの仕事になるが業務調整が効くの一人仕事なのでそこがとても良かった。
夫は急な欠勤は難しいものの、18時台には必ず帰ってくる。
(余談だが、夫婦で小遣い制。家計簿アプリで通帳やカード履歴の見える化をしている。)
付き合いが長かったのもあるが、お互いに何でも言い合えて揉め事があれば話し合いからの妥協も含めて改善できる。
今では、どちらかが子どもに構えばどちらかは家事をする、そんな分担ができているから不満もない。
寝かしつけで寝落ちしたら、その後の処理を完璧にやってくれる夫は最高である。
保育園は有給時のリフレッシュ保育を可能としていて、夫婦で有給取得してレストランランチに出掛けることもできる。
休日はワンオペ可能な夫に任せて友達と遊びに行ったり、美容に金をかけることもできる。
思えば実家の家族全員集まって揃ってBBQもしたり、お祭りに行ったり、水族館動物園に行ったり、ご飯に行ったり、旅行にも行った。
たぶん、大人になって自分の親とBBQするなんてことは子どもがいないとしないだろうな…と考える。
子どもがいたらできないこと、というのはあるだろう。
100%自分に注ぐことはできないけれど(それに粗相をしないか周囲の目は必ず気になってくるし)、それでも子どもがいてとてもとても幸せだとは言える。
私自身「生まれてこなきゃ良かった」なんて思ったことがないからかも。
Twitterの愚痴を見て、「私って恵まれてるな…」と感じることが多い。
義実家も優しくサポートもしてくれるし、実家は最高だし、夫も書いた通り何も言うこともない!
結婚する人、しない人。
子ども産む人、産まない人。
いろんな人がいて良いと思う。
子どもを産む、育てるは大変。
大変ではあるんだけど、Twitterで見るマイナスばかり目立ってしまうから書きたかった。
以上!
・サービス残業を誇る
「俺〇分前から来てるしぃ、昼休憩も取らないし、残業もつけてないのに居残ってるから実質残業〇時間だわ」
いや知らねえよ。ダイヤの関係で早く来てるだけなんだから嫌なら引っ越すなり勤務時間調整しろよ。何の為のフレックスなんだよ
昼休憩取らないとかもっと知らねえよ。会社命令じゃなくて自主的に昼食ってねえだけじゃん。むしろ昼休憩取りづらくなるから行けよ。デスクワークの特権だろ
残業もつけずに残ってるのはお前が話しかけてくるからだろ。こっちは残業つけたうえで業務やりながら話してんだよ。誰にも強制されてねえじゃん
先方から「お宅の管理どうなってるんですか?」ってクレームがきたことあるって聞いた時は笑ったけど、納得する杜撰さ
書類2週間も温めておいて今日付けで処理して!ってどの立場から物を言ってるんだろうか。遅くなってごめんなさいは?
3日前から分かってる時に、その時点でこっちに言わないで就業時間過ぎた後にしれっと明日の午前中までに処理よろしく。とか言ってくるのも嫌い
俺がたまたま(3か月連続特別条項締結)残業してるから良かったけど、定時に帰ってたらどうするつもりだったの?
・行間が読めないやつが鬱陶しい
「この件って聞くなら誰に聞けばいいですか?」って質問と同時に丸で囲んだ範囲を指していて、その範囲から該当しそうなやつを教えてくれってだけの話なのに「誰ってwwwそんなこと聞かれても知らないしwww」とか言い出す
「この問いは誰に訊ねるべきか。丸で囲まれた範囲から適当な人間を従業員名で答えてください」まで言わないとダメってマジ?試験の問題文か何か?
会話するのホント疲れるんだけど。忙しい時にふざけた問答やられるとキレそうになるわ
別の職場でもこんな毎朝定例MTGあるのか…?私のメンタル弱すぎるのか…?と不安になりまして…。
全体朝礼や週末のMTGはこれまでもありましたが、タスク管理や業務内容、進捗の突っ込みを毎朝やる環境は初めてだったんですよね。
大変な状況だと伺いますが、無理に自己のキャリアプランを決定しようとすると、逆にストレスを感じることがあります。どうすれば良いか、具体的な提案をする前に、まずは心の状態から考えてみたいと思います。
鬱気味とお感じの場合、まずは心の健康を優先してください。社内カウンセラーや外部の専門家、信頼できる友人や家族などと話すことで、現状のストレスを少しでも軽減できることがあります。その上で、少しずつ自分のキャリアについて考えていくことが大切です。
その上で、キャリアプランについて具体的に考えるためには、以下のような視点が役立つかもしれません:
現在の業務について:現在の仕事の中で、何が得意で、何が好きなのか、逆に苦手で嫌いなものは何か、考えてみてください。これは、あなたが自分の能力をどう評価しているか、そして何を楽しむかについてのヒントを与えてくれます。
将来の業務について:必ずしも具体的な目標を設定する必要はありませんが、将来、どのような業務を行いたいと思いますか? これは、仕事に対する希望や志向を示しています。
キャリアの可能性:キャリアの幅は広く、自分が適性を持っていると感じる分野へ進むことも可能です。また、業務の中で新たな興味を持ったこと、学びたいことなども含めて考えてみてください。
ライフワークバランス:仕事だけでなく、プライベートの時間や趣味、家庭とのバランスも考慮に入れると良いでしょう。自分のライフスタイルに合わせたキャリアプランを考えることができます。
上記のような視点を持つことで、あなた自身のキャリアについて少し考えやすくなるかもしれません。
また、会社のアンケートの回答として「現状の業務に集中したい」や「自己の健康管理を優先したい」などの意見も有効です。その意見が受け入れられる企業文化がある場合、あなたの現状を理解し、サポートするための取り組みを考えてくれるかもしれません。
忘れないでください、キャリアプランはあくまであなた自身のためのもので、自分が心地良く働き続けるための道筋です。他人と比較するのではなく、自分自身の幸福と健康を優先して考えてみてください。
モリーッス
本日は世界海洋デー、世界脳腫瘍啓発デー、日本においては学校の安全確保安全管理の日、大鳴門橋開通記念日、ヴァイキングの日、成層圏発見の日、ガパオの日、ロハスの日となっております。
学校の安全確保安全管理の日ですが、池田小学校の事件が発生した日に由来しております。
子供が犠牲になる事件は書いててちょっと暗い気持ちになりますが、何が起こるかわからないのが世の中です。
調べてみると現場等に不審者が入ってきた時の対応にも役立つかもしれません。
ということで本日は【緊急時の対応よいか】でいきたいと思います。
そう思うかどうかはではなく事実を言いました。
マイナンバーの公金受取口座が家族名義になっていた件が話題になっているけど、
自分名義の口座に、窓口またはATM(今時はネットバンキングもある?)で、入出金や振込をする経験って、
ちなみに自分は大学進学で仕送りや学費のやりとりをしたのが最初。
それまでは、いわゆるお年玉用の口座があったけど親管理だった。
集中管理してるタイプは入金が確認できれば水道ガス電気あたりは数時間単位で復帰します
指定の口座に緊急銀行振り込みとかをした場合は、振込の控えの紙は復旧まで捨てないでくだされ
俺も公園クレーマーになりかけた。家の前が金網に囲まれたグラウンドで、中学生やら高校生やら、毎日数人が夜9時過ぎまでたむろして、金網に向かってサッカーボールを蹴りまくられている状況だった。そこは一応使用に連絡必要な区管理のグラウンドだったけど、鍵がなくて夜は入り放題だった。ガシャン…ガシャン。増田の言う通り、ランダムに訪れる騒音しんどいんだよな。少し音が止んで、終わったかなと思ったらまたガシャン。夏休みは毎日中学生が花火でキャーキャー騒いで、春休み、冬休み、学校が長期休みなんだなとすぐわかるようになった。
子供が産まれて、赤ちゃんがその騒音で泣くようになった。勇気を出して、注意しに行った。クレーマーだって怖いよ。ボコボコにされたらどうしよう。でも子供のためだと思って注意しに行った。めっちゃ、足ふるえてたよ。3〜4人でたむろしていた少年たちは、「あ、すいません」と言って消えていった。でもまあ増田の言う通り、数日後には別の奴らが来るんだよな。今は引っ越したけど、やっぱりあの家にはいい思い出はないよ。ほんとに自分の行動が騒音だなんて気付いてないから、無理なんだよな。俺も若い頃夜友達と集まって、コンビニで買い物して、あれ楽しかったよ。わかる気持ちもあるんだよ。でも赤ちゃんが泣くんだ。注意させてもらったよ。増田の様に騒音過敏モードに入らなかっただけで、役所に鍵つけろ!とか相談しなかっただけで、一歩間違えば俺も公園クレーマーになってたよ。
「子供や家族連れで賑わう公園が突然の閉鎖。そのきっかけは、子供の声がうるさいという近隣住民からのクレームだった」
そんなニュースを聞いてあなたはどう思う?
――そいつは何て心の狭いやつなんだ!せっかくの遊び場を、どうせ使いもしない奴が文句言いやがって!
――死にゆく老人がこれからを担う子供の遊び場を奪うな!
そう感じるだろう?俺も同感だ
子供はしっかり外で走り回り、きゃっきゃと声を上げ、草や土を掴み、全力で遊ぶのが何よりだ。本当に心からそう思う。
だが、そんな俺も公園を管理する市に対してクレームを入れたことのある1人なんだ。勿論、騒音について。
つまり傍から見れば、俺は「公園で大きな声を上げて遊ぶ子供を愛しながら許容しない」不思議な存在だということになる。
日本各地にあるこの問題、まず確実に言えることがある。
「公園クレーマーと非公園クレーマーが見ている公園の姿は違う」。
そして、「現状、公園クレーマーたちはクレームを上手に世間に伝えられていない」。
次に、これを読んでいるあなたが「公園クレーマーってちょっとオカシイよね」と思っていることを前提に、以下の事実を列挙したい。
・公園クレーマーは必ずしも子供の声が無条件に嫌いな偏屈ジジイではない。
・非公園クレーマーが公園クレーマー化するのは、一部の非常識な利用者のせいである。
・非常識な利用者だけを除外する仕組みを、行政は持ち合わせていない。よって、公園クレーマーは全ての利用者を敵視するしかなくなる。
・公園クレーマーは、クレームをつける行為に負い目がある。
さて、じゃあ早速冒頭の文章をニュース原稿だとして、続きを想像してみよう。
――子供や家族連れで賑わう公園が突然の閉鎖。そのきっかけは、子供の声がうるさいという近隣住民からのクレームだった。
とすれば、次に来るのは男性ナレーションの低音ボイスであえて野暮ったく読み上げられる次の語句だ。
――「子供の声が、うるさい」
その次は行政の記者会見のシーン。
――「近隣の方との話し合いを続けてまいりましたが、双方の納得には至らず、やむを得ず閉鎖の判断を致しました」
で、そこからが問題だ。恐らくここで、普段の公園の様子か、或いはイメージ映像などで、元気よく遊ぶ小さな子供たちが映し出されることになる。
――「家族連れで賑わう平和な公園で、何が?」
これが大問題なんだ。
少なくとも俺は、こうした元気よく遊ぶ小学生、保育園児、幼稚園児は、好きなんだ!癒される!
きゃっきゃきゃっきゃと楽しそうにおいかけっこをして、たまにミ゛ャー!と寄声を発して、あーあーと泣き出して、しばらくすれば何でもなかったかのようにまたギャーギャーと走り回って…
心から平和を感じるんだ。
精一杯走りたまえ。あーあー、転んじゃって。大丈夫?
俺はこれを、うるさいとは思ってはいないんだ。
じゃあ、「子供の声がうるさい」と言ったクレーマーの気持ちはなんなんだ?
俺はそのクレーマーの気持ちを理解しようと努めることができる。恐らくその人も、最初からそれがダメだったわけではないんだ。「ダメになった」んだ。
(一応補足しておくが、この日記では「俺」と「公園クレーマー」という主語をほぼ同一として扱う。いわゆる「主語がでかい」状態だが、便宜上許して欲しい)
俺が公園クレーマーになった原初のきっかけは、とある夜のことだった。
当然すぎて端折っていたが、俺の家の目の前には公園がある。住所はとりあえず北関東ということでボカさせてほしい。
大きくはないが、追いかけっこは勿論、キャッチボールやフットサルくらいなら十分できる広さがある。
2階の窓からすぐ見下ろせるところにベンチがある。そこに、夜な夜な中学生か高校生くらいの男子連中がたむろし、談笑しながらボール遊びをするようになった。
変声期を終えた男子の声は、かなり通る。そして、ボール遊びの中でもとりわけサッカーボールを蹴る音というのも、実はかなーり、通る。
少なくとも俺の家の窓は全く防音性という面で貢献しなかった。
ボン、ボン。ギャハハ。ボン。ボス。ギャハハ。ボン。
不規則なリズムで、しかし短い間隔でリビングに響くその音を聞いていると、30分も経たないうちにまるで面白半分に自分の頭を蹴られているような気分になり、怒りが湧いてくる。
ここで、自明の事実を書く。
こうしたたむろ連中は、必ずしも「迷惑をかけるつもりで」やってはいない。
彼らは、「自分達の発している音が、目の前の家の中にまで達していることを想像できない」のである。
壁を隔てた向こうに、自分たちの存在が察知されていることを知らないのである。
これは誰しもが陥りがちなことであるが、どうも人間と言うのは「見えていないならば聞こえていない」と認識しがちである。
自分から見て、近くの家の中など当然透視はできない。ならば聴覚も届かぬ場所であると錯覚するのだ。
要は、「想像できないことは認知できない」のである。
結局その日は警察を呼び、お帰り願った。(夜9時台だったので世間一般的にも迷惑案件だと判断した)
翌朝、その場所にはペットボトルやカップ麺などの大量のゴミが散乱していた。
夜の騒音はその日で終わらなかった。
ここでのポイントは、「同じ連中が毎晩たむろしに来るわけではない」ことである。
とにかく色んな人が来る。
金もなく公園に行くしかないカップル。
夜しか時間が取れないのであろう、子供を引き連れてバッティング指南をするおっさん。
花火をしに来た家族連れ。
先程の件と別の男子学生グループは幾つもいた。
中には缶チューハイで酒盛りする中学生男女グループというのもいた。世の中的に見れば全く珍しくもない、可愛い非行の一種だが、目の前で見せつけられるのはさすがに弱った。
そしていずれの人達も、当人らが思っている以上にその声や動作音は聞こえてきた。
中にはTikTokの流行りの動画を大音量で流す奴もいた。
ただ、それですら、彼らはこちらのことを認識していないのである。
単に「流行りの音楽を好きな音量で鳴らす俺」という環境を欲しているのであり、それが他者に聞こえているとは思っていないか、考えたこともない。
彼らにとって俺の家は書き割りの背景と同じなのである。
そのうち、夜に公園に来るすべての人間がバカに思えてくるようになった。
先ほど書いた通り、「自分の出した音がどのくらい遠くまで聞こえているか」「それが思いもよらぬ誰かの耳に届いているか」というのは「想像力」の話である。
なので、彼らは「想像力の無いバカ達」だということになる。
一方こちらは常に公園の音が耳に入ってくる。
自分の感知エリアの中に公共の場があるのだ。自分の感知エリアの中にバカが入り込んでくる可能性が常時あるのだ!
これは結構大変なことで、つまり自分自身が「公園の24時間警備システム化」してしまったのである。
これは良くないと思い、市に電話を入れた。
クレームではない。「夜間の大声やボール遊びを禁じる看板を立てられないか」という要望としてだ。
「あくまで自分は要望のつもりだったんですがねえ」と言い訳したいのではなく、あらゆる体裁において実際要望として伝えた。
いわゆる公園クレーマーとしての立場になりたいわけではないし、日中の利用のマナーは良く感じているというようなこともできるだけ言った。
結果、1週間内には夜間早朝のボール遊びや集会、騒音を立てる行為はご遠慮ください、といった旨の即席看板が立った。
この看板にはある程度の効果があった。
ありがたいことに地域の全体的な民度は低くなく、夜の利用者がこの看板を見て「もう1個の広い公園行こうか」などと発言する様子も見られた。
だが、それでも無視する者も少なくなかった。
そして、俺ももう手遅れだった。
警備システム化した神経は、最早日中の音ですら気になるようになってしまったのだ。
常時テレワークであるため、在宅せざるを得ない中、ボールを蹴る音や子供の騒ぎ立てる音が聞こえる。
いや、それでもやはり冒頭書いたような、「小さな、天使のように朗らかな子供たちの駆ける音」は何の問題もなかった。
中高生男子の声とサッカーボールの音が、いかにもたむろ連中を想起してしまい、聞くだけで頭痛がするようになった。
大半の少年たちは育ちが良く、騒ぎ立てはするものの、辺りが暗くなればささっと帰ってくれる。
だが恐ろしいことに、「そもそもいること」が許せなくなった。夕陽が沈みかけ、薄暗くなったあたりで「早く帰れ早く帰れ」と念じるようになった。
そして――どうにかベンチを撤去出来ないか?一部の区画だけでも閉鎖できないか?
いつしか「クレーム」を入れるようになったのだ。
ここで、非公園クレーマーであろうあなた方に問いたい。
あなたが想像する公園クレーマーが「子供の声がうるさい」と言った時、あなたが想像する声の主はどんな姿だろうか?
小学生や、幼児たちを想像していないだろうか?
そのうえで「まさかこんな子供たちを排除するなんて!」と憤っていないだろうか?
また、「勝手に昼間で想像している」のではないだろうか?
違うのだ。
もう少し上の年齢の、「自我が目覚め、夜遊びもしたい、生意気盛りの子供たち」なのだ。
そして、俺には今自宅の目の前にいる利用者が「良い利用者」なのか「悪い利用者」なのか判別がつかない。
全ての音を拾うしかないのだ。
そうなれば俺が言うことはただひとつ、「子供の声がうるさいんだ」である。
しかしその言葉から逆引きされる「子供」とこちらのいう「子供」には隔たりがあるし、経緯はいっさい伝わらない。
さて、そろそろあなたには幾つかの疑問、というより「ツッコミ」が生じていることだろう。
――引っ越せばいいのでは?
――家の防音性能を上げればいいのでは?
――イヤホンとか耳栓でなんとかならない?
――他の住民が気にしてないなら気にし過ぎなのでは?
引っ越しはそう簡単にできるものではない。膨大なローンが残っているし、自分ひとりの問題ではなく家族を巻き込んだ話になる。
窓を増設するという手がある。しかしこれも公園に面した各窓に処置するだけで100万円はカタい。マインクラフトみたいに素材があればポンと設置できるものではない。
イヤホンや耳栓というのは応急処置として有効である。しかし「自分の家で行動を制限される」ストレスの方が強い。なぜ自分の家で、家族との会話もシャットアウトし外界の音に我慢させられているのか、ということになる。
それに、これはまた派生的な「症状」なのだが、俺のようになると音だけでなく「窓を開けたら人がいる」という状況ですら悩みの対象になるのだ。目の前のバカがいつバカをやり出すかわからない恐怖が発生してしまうのだ。
大体、「夜間の集会はご遠慮ください」という看板がある状況で集まっている時点でそいつはルールを自己都合で無視できる人間なのは確定しているのである。
そんな奴が自宅から10m強先にいること自体がストレスになってくるのだ。
そして最後。
ここがまた、公園クレーマーと非公園クレーマーの隔たりの原因である。
公園クレーマーとは、恥ずかしいものなのだ。
だって、公園は良いものである、という世間の認識があるのだから。
そして既に、公園にクレームを入れるのは「わからずやの偏屈ジジイ」だとする一般通念があるのだから。
俺だって、もし街を歩いていてテレビの取材にあたり、「公園にクレームを入れるのってどう思いますか?」と聞かれたら、
「ウフ、うん、まあその、公園って子供たちがねえ、元気よく遊び回る場所だからねえ、その、それをねえ…」
などと口ごもるだろう。
「アッ、こいつ公園クレーマーの仲間だぞ!」と思われたくないので。
恐らくだが、インタビューで公園の騒音を肯定的に捉えている人の中にも、「実は参ってるんだけどね…」という人がいる可能性はゼロではないと思う。
こうして、公園クレーマーの印象は「誰にも理解できないキチ○イ」へとどんどん先鋭化されていく。
とはいえ、この日記では解決策を示して欲しいわけではない。
あくまで公園クレーマーとは何なのかを公園クレーマーの立場から書いているだけである。
ということで長くなったが、それでも、俺のような公園クレーマーに対して「偏屈」「気にし過ぎ」と感じる人は多いだろう。
それはそれで問題ない。何せ事実、神経過敏になっている。
最早俺は、バカが来て騒音を出すのがダメなのではなく「常にバカが来て騒音を出す可能性がある」ことがダメになっている。
もしかすると、今はまだ俺が愛おしく思っている小さな子供たちすら、今後は煩わしくなっていくのかもしれない。
そうなれば、次にニュースに登場し、世間から罵られるのは俺ということになるだろう。
だが、非クレーマーたる皆さんには、少しだけ想像をしてもらえないだろうか。
あなたがイメージする「公園」「公園の騒音」は、クレーマーの思うそれとは時間帯も対象人物も在り方も違っていないだろうか。
また、あなたは公園の目の前には住んでいないのではないだろうか。
ならば、「自分が自宅に居ながら公共の場の音を感知する警備システム化する」という感覚を知らないはずである。
何も公園クレーマーを理解しろとは言わない。
ご推察の通り、精神疾患的な症状は少なからずあるので、そこを含めて理解しろというのは傲慢であろう。
ただ、公園の騒音という社会問題について何か語ろうと言う時、少しだけ、想像をしてほしいのである。
最後に余談として。
あなた方が考えるツッコミにはもう一例あると思う。
――自分が若い時もやんちゃしたのに、今の若い子のそれは許せないの?
これはこれでデカいテーマなので書くなら別の日記として書くべきだろうことだが、正直に言えば「許せない」が「心の慰めにはなっている」という程度だろうか。
俺も学生のころ、男子連中で友人の家に寝泊まりし、近くの公園でバカ騒ぎした記憶がある。
下校時に彼女を連れ立って、公園の木の陰でいい思いをしたこともある。
迷惑をかけたし、その近隣の住民に我慢を強いたうえで「仕方なく許された」のが今の俺であることは解る。
実際それらは個人的には「いい思い出」として処理されているし、懐かしく思うこともある。
だが、「ならば自分も許そう」はそもそも道理でない。単に個人の思想の一種でしかない。
あえて極端な例を言えば、過去にゲーム感覚で万引きをした経験のあるヤンチャ坊主が成長して小売店の店長になったとして、自分の店の万引き犯に対して「でも自分もやったことだしなあ」と許せるかという話である。
学生の頃イジメを働いた人間が社会人になって会社でイジメられて「でも俺もイジメっ子だったしなあ」となるかという話である。
そういう因果律で人生を捉える人がいてもいいが、それがイコール正しい考え方ではない。
一応ネタバレありと書いておく。
冒頭の数分見て、謎解きゲームみたいだった。
こういうゲームは一度実況動画などで解法を見てしまうと楽しくなくなるやつだと思い、アーカイブは閉じて自分でやることにした。
最初から何も考えず一直線にやってBADENDまでの謎は正直簡単だった。
そこからが一苦労。何かしら試してもBADENDに何度も直行して出てきた謎ノのヒントコーナー。
ヒントの内容的には、ギミックがわかればなんてことはないものの
「これやんのか……いややってもBADEND直行したが??」
とあまりに動線がなさすぎて困る。FC版DQ2の「じゃしんのぞう」みたいな感じ。
その後もフラグ管理がよろしくないのか操作をしても画面に変化がなく進行不能になったり、
諦めて他のギミックを解こうとしたらその画面のまま固まって動けなくなったり、
動けなくなってリロードしてタイトルに戻るときにOPが流れる前にスキップボタンが出てスキップできなかったりが発生しまくりで正直萎えてしまった。
その中でも唯一できたのは静凛ノ謎とAnother END?みたいなやつ。それ以外はよくわからなくなったし上記で萎え切ってしまったので備忘録がてら途中までやってみた履歴を書いておく。
リゼノ謎までの道中で詰み
セバスがリゼのうんたらを投影するとか何とかいったのでそれっぽい体験談を開く。
写真を通り過ぎると強制的にゲーム側にフォーカスが入って体験談の様子が再現される。
1,2枚目は再現されたが、3枚目は表示はされるもののゲーム側に入らなかったり、3枚目までスクロールしても2枚目に加算で重なって明るくなるだけになったりとまぁ何すればいいかよくわからんになったのでやめた。
他の体験談読んだりとかしたけど写真なかったしこれ以上やることねぇなぁになる。
剣持ノ謎までの道中で詰み
クソマロ一覧が表示され、ゲーム側は検閲ワードを選ぶ形になっている。
クソマロのうち、右下のだけアルファベットが並んでおり、ところどころ赤くなっている。
アルファベットの数とクソマロの数は同じなので、赤い場所だけ検閲ワードを押してみたが、それ以上は何も起こらず。
逆にすべてのクソマロから拾えるワードを順番に押してみても何も起こらず。
検閲ワードを押すごとにアルファベットの文字も変わっていたので何かしらのワードに揃える可能性もあるが、わからな過ぎてやめた。
楓ノ謎までの道中で詰み
ゲーム側にフォーカスをあわせると楓と委員長が一緒に歌ったやつのみになったと言われる。
並べとけといわれたから並べてたが何も起こらず。
曲の再生にギミックがあるのかもしれないけど、別に歌聞かんし……。
とりあえずカウンセリング行ってきた結果、「あなたには病名がつくかもしれません。」ということだそうで。
大学院生に必要な能力として、大枠のテーマを細かくタスク分けして、それをどの期間にどの程度進めるかとかあると思うんだけど、そのタスク分けしようとした時点で頭真っ白なのね。
内定いただいた会社はSEなんでいろんな人のタスク管理とかの上流やると思うんだけど、自分自身すら制御できないやつができるのか?
で、指導教員からも面談しましょう。って連絡いただいたんで、なんとか卒業したいです、留年してもいいから修士号欲しいですって泣きつくしかないわな。
中退したら24歳既卒、学部卒同級生はもう2年目で後輩指導とかもしてる中で、なんの能力もない人間が就活市場に放り出されても負けは初めから見えてるわけで。