2024-01-22

他人に心を揺さぶられたくない

友達に連れられて観に行ったライブ村岡由太 という青年の唄を聴いた。

ヒョロヒョロの体から想像できないような、魂の底から絞り出すような歌声だった。

一気に彼の世界観に引き込まれて、心を揺さぶられてしまった。

 

この人すごいな、歌の力ってすごいな、と思った。

それと同時に、強い拒絶反応も感じた。

私の心を揺さぶらないで。今は揺さぶられたくない。

 

私の心は私のもので、誰かの悩みや誰かの怒りや誰かの魂の叫びによって揺さぶられたくない。

それはあなたの悩み、あなたの怒り、あなた魂の叫びであって、私のものではない。

村岡由太クンは悪くない。私が魂の不意打ちに対応できなかっただけ。そんなふうに心を揺さぶってくる人が出演することを知らずに出かけた自分が悪い。

 

だって心が揺さぶられる体験はしたいけれど、自分の心を揺さぶものタイミング自分で選びたい。

それは仔猫たちを守る母猫の愛だったり、美しい夕焼けだったり、絵画だったり、もちろん音楽だったりもするわけだけれど、いつ・どこで・何によって心を揺さぶられるかは自分コントロールしたい。希望制御された揺さぶられであってほしい。

 

人々は「全米が泣いた胸を打つストーリー」に殺到するけれど、なんで泣かされるとわかってて観に行くのか。

泣いてしまうほどの心の動揺は、本来、強いストレスのはずである。わざわざお金を払って心に負荷をかける人の気が知れない。私の心が脆弱なのか。

正直、戦争地震ニュースも見ていられない。苦境にある人々を思うとつらいからだ。子を亡くした親、親を亡くした子、みんな可哀想だ。だめ、むり、ってなってチャンネルを変えてしまう。めげる。

 

母猫が仔猫の頭を舐めてあげてる映像だけ見ていたい。

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