当時はそれが珍しいものであったというだけで,古い作品の内容自体は昔から珍しいものではない.作品が批判的であるというただその観点からのみ現代美術として認められただけのことである.また,数ある似た作品も内容がタブーであったことから一部の人間にしか知られず,問題の作品の支援者や作者を含めた多くの人々はこれが批判的で新しいと”非常に稚拙ながら”感じたにすぎない.実際,作品の作成された時代を考えればインターネットすらないのだから,作者があれをアイデンティティだと感じたのはまだ納得がいける.(支援者はこの現代においてそんなことも知らない頭の悪い人間としかいえないが) 作者を含めた支援者がおり,しかもそれが森美術館や評論家などの世間一般から言えばアートに詳しい人間であるということは,どちらかといえば現代美術をとりまく頭の悪い人々を露呈させたといえる.現代アートというのは,作品が1つ以上あれば事足りるものである.少なくとも他者がいくらでも想像しているものであっては意味がない.同じようなものがごろごろあるようなものは,社会に対して批判的なものとして捉えることはできないからだ.しかし,今回は内容の特殊性から,類似品が多くあるにもかかわらず知られなかったため,このような問題が起きてしまった.私は森美術館を含めた支援者が社会的に叩きのめされないのは納得がいかないが,狭い世界で遊んでいる彼らを自戒させるのは容易ではないだろうし,放っておいても社会に危害を加えるわけでもなく彼らがバカのままというだけだから,しょうがないだろう.