はてなキーワード: 有用とは
小学校〜中学校の夏休み、どこの学校でも自由研究が宿題に課されていたと思う。
私はそれがひときわ苦手だった。
まず、テーマが出てこない。自分が何をやりたいかが出てこないのだ。
出てきたとしても、それは既存の実験やら本に記載されたアイデアの焼き直し。
小学校の頃は、親に渋々手伝ってもらって、テーマを一つに固定して行ったことを覚えている。
中学の頃は、統計のような資料を基にしてある種あたりまえのようなことを述べるだけだった。
そしてそのどちらも、テーマに関する考察や疑問が設定できず頭を抱えたものだった。
今になって思えば、ああいう課題は子供の発達障害(の一部)を見分けるために出しているのかもしれないと邪推している。
紋切りや媚びた文章で覆い隠されがちな読書感想文よりも、よっぽど自己発露が試されるからだ。
ちゃんと自発的に考えられるか、きちんと疑問を持ち、それに対して解決できる小柱や実験を計画できるか。
そういったことを見定めるある種のファクターとして活用できる、もしくはされていると思う。
ただそれは、研究室時代に子供の頃から矯正を放棄されていた考え方を改善されたから。
教授や先輩にミッチリしごかれたからこそ、無事論文を提出し、就職できたと思っている。
今でこそ研究テーマを自分から持っていき、質疑や討論を出来るようになったものの、
(たまに重箱の隅をつつくような意味なし質問をしていまうこともあるけれど)
配属当初はアウトプットがボロボロすぎて「君はなんのために研究をして学問を学ぶのか」と詰問された程だ。
その流れに乗って私も技術書典に行き、毎回10冊弱程度買うようになった。
しかし買っても読めない。
2017年に買ってまだ1ページも読んでいないのもある。
そして読まないといけないというプレッシャーみたいなものもあって苦しい。
去年の秋くらいからなんとなく読まないといけないというプレッシャーに押しつぶされそうになっている自分が居て正直ツラかった。
が無くなっている事に気がついた。
アウトプットするために技術書を読んでインプットしているのに、これじゃ本末転倒だと絶望した。
この悩みを去年末の親しい友人と集まった忘年会で打ち明けてみると、
「通勤中に読もうと思って毎日持って歩くけど満員電車で読めないよね。」
とみんな同意してくれた。
CTOをやっている友人は
「今は同人技術書が流行ってるからみんな何十冊とたくさん買ってるけど、だんだん全部は読めない事に気づいてきて必要な1~2冊を買うくらいに収束するんじゃないかね」
という話をし、周りも頷いていた。
一番納得したのは
「買って読まないとどんどん情報が古くなるから必要な時に必要なのを買うのがベスト。新しい版では情報がアップデートされている事が多い。」
という話。
これは本当にそうで、2017年頃のフロントエンドの同人技術書を2020年の今読んでももう使い物にならないという実感がある。
その本は数ページ読んで使い物にならない事がわかったので捨てた。
2017年当時に読んでいれば有用だったかもしれないのにもったいないことをした。
なので私は2020年、技術書典で同人技術書を買うのを控えようと思っている。
とはいえ、何か知りたいこととかわからないことがあって、それを解決するために技術書を買うことはしようと思っている。
(今までは自分の見識を広げようと、特に課題もないのにいろいろなジャンルの技術書を買っていた。)
これを読んでくれている皆さんはどうなんだろうか。
みんな技術書典等で買った同人技術書は全部読み切っているのだろうか。
ご意見をお聞かせ願いたい。
小保方氏の不正が発覚してメディアで取り上げられたのは大学生の頃で、小保方氏が記者会見をしたあとの研究室の人間は2種類の人間に別れたものだと印象に残っている。
・「ありまぁすw」「教務のあの人小保方に似てね?w」など積極的に言う人
俺は前者の人間とは絶対に仲良くなりたくないとわかったので、ある意味有用なフィルターを作ってくれた小保方氏には感謝すらあるのだが、研究と学業がうまくいってたのは、どちらかというと前者の人間だったとも記憶している。というのも、前者のような人間は、うまく人に頼ることができる人間だった。
4回生で研究室に配属されているにも関わらず、未だ単位が足りていない2人がいた。単位を落とすとまずい科目を2人で分担して取り掛かろうと話し合い、レポートを協力してすることになった。一人は前者、一人は後者の人間だった。後者の人間は、協力者にもわかるように1つのレポートを作成したが、前者の人間は、「わからんかったw」という理由で、担当分のレポートを結局2人で協力してやっていた。つまり、前者の人間は実質0.5で、後者の人間は1.5の作業量であった。
卒論に関して言えば、前者の人間は指導教員に積極的に話しかける人間だった。指導教員と仲良くなるし、わからないことがあればすぐに周りに聞く人間だった。指導教員のサポートもあり、卒論レベルでは十分な成果を出せていたと思う。当然卒業した。
後者の人間は、コミュ障を自虐し自称するも、この人なりに努力して色んな人にわからないことを聞いていた。だがこういうタイプに多いのは、できるだけ自分ひとりの力でやろうとするという特徴がある。この人もそうだった。たいてい、心配になった指導教員がみかねて話しかけると、「実は環境構築でエラーが出てて…」みたいな感じのやりとりがあった。その調子で研究が進んでいっていた。この人は1月になっても実験を繰り返しており、M1の協力もありつつ、徹夜に次ぐ徹夜で提出締め切りギリギリで卒論を提出した。無事卒業した。
俺が小保方の名前を見て思い出すのは、彼女の不正とか、誰かが死んだのは誰のせいとか、そういうのよりも、「性格」というのが人生を決定づける大きな要因だということだ。自分でやらなければ自分の力にならないと信じる人間は存在して、その努力はなんの成果にもならず、ただ時間を無為に過ごすことを繰り返すことを努力と履き違えることに気づいていようも、それでも何かの力は身についていると信じているか、あるいはそれが自分というものだからと言い訳し、専門家から見るとお遊びのような自己研鑽を積み続ける。たとえ実験の間違いに気づいていても、反論するだけの知識もなく、とにかく口が回らないので、指導教員のアドバイスどおりにやった結果、怪しいがそれでも成果とも言える何かが生み出され、その何かに軟膏を塗るように後付けで理由を貼り付けて、からまった因果関係をひねり出し、論理を組み立て、それで最終発表をやり過ごし、それでもこの苦しい経験は自分の生涯の力になったと信じている。その錯覚は「自分は研究には向かなかったが、企業人としてこの経験を活かして生きよう」という呆れた人生の指針を生み、呪われた性格を背負ったまま次の修羅場へと自ら進んでいく。不憫で無能で仕方がない。
https://anond.hatelabo.jp/20200101232410
はてな村で好まれそうな話題だなとは思って投稿したものの、想定以上に反応があって驚いてます。
酔った勢いで書いたものであるので、文体が一致してなかったり論理が破綻してたり誤字脱字がひどいですね。
結果、説明不足だったり変な文章だったりが原因でいくつかこれは補足しておきたいなと思ったコメントがあるので補足させてください。
解説本を読むことで原典にあたった際の新鮮な驚きが減るのは確かと思います。ネタバレ効果というか。小説系では顕著と思います。
また、解説者の解釈が固定化されるという懸念も確かにあるかと思います。
しかし、私の記憶では「これは私の解釈だが」「多数の説の中で、私が支持するのは」など、
俺の解釈が絶対だという態度で解説してた解説者はいなかったし、異説も提示していることが大半でした。
ここまでやってくれたらあとは受け取る側のリテラシーかなぁ、と思います。
また、100分で名著の解説で実施していることは「あらすじ」+「執筆背景解説(作者の人生の中で著作の占める位置など)」+「解説者の解釈解説」と思っていますが
この内「執筆背景解説」が一番の目玉であり、知識のつながりを作ってくれるところで、この部分は原典だけ読んでも絶対に得られない補助線です。
私は持久スポーツを趣味にしていますが、例えばフルマラソンなら当たって砕けろでもまぁ、レース中の数時間もがき苦しみ、暫く足がまともに動かなくなる覚悟があればゴールは出来るでしょうが、
ウルトラマラソンとか、アイアンマンになると当たって砕けろではまぁ無理で相応の準備がなければ、失敗したという経験を経験値に変えることも出来ずに敗退すると思っています。
特に古い思想書は知的作業としてウルトラマラソン級だと思いますし、かつ何かを求めて読むわけでしょう。
ウルトラマラソンで周りの景色も何も見えないぐらいつらい状態になって、制限時間オーバーで失格になっても兎に角意地になって歩き続ける人がたまにいて、マラソンならそれでもいいかなと思いますけど、
古典を読む場合最後のページにたどり着ければよい、というものではないですよね。
途中の景色を楽しむためには相応の準備というものが必要なのではないかな、よほど読書体力に自身があるのでなければ、背景を知識として持っておくのは良い方にしか働かないのではないか、と私は思います。
100分で名著の一番の強みは「TV番組であること」であり一番の弱みもまた「TV番組であること」であると思っています。
強みとしては、インタラクティブな解説(動く図形とか、アニメとか、俳優の朗読とか)が可能になること
弱みとしては「解説者の準備期間、解説時間に制限がかかること」「番組上では注釈を実質的に挿入できないこと」「月に1冊のペースでしかラインナップを増やせないこと」ですね。
特に月イチのペースでしか増やせないのは大きな制約で、解説本の中で出てきた関連本に解説が欲しくても、100分で名著で解説される可能性は極めて低いと言わざるを得ません。
そういう意味で、名著巡りの入り口にしかならないといえばならないのだと思います。
100分で名著をメインに追いつつ、他にも手を出してみようとは思っています。
私は実は番組はあまり見ていません(3割くらいかな)。毎週火曜日この時間にTVに向かっていることが難しいからです。
理想は両方こなすことだと思いますし、伊集院光さんのリアクションは時々ハッとさせられることもありますが、私はどちらかを取れと言われたら解説本だけ読みます。
番組が「あらすじ」+「執筆背景解説」+「解説者の解釈解説」で割合が2:2:6~1:5:4まで変動するとしたら
解説本は執筆背景解説に一律+3、解説者の解釈解説が一律-2って感じです。
(逆に、あらすじだけ知りたい場合100分で名著は重厚長大で、もっと手軽な選択肢があると思います。)
そりゃ、番組の中で解説にちらっと出てきた著者の友人の来歴とか、著書とか、いちいち全部触れられないですよね。
つまり、私が元投稿で言った「本の解説で繰り返し取り上げられる要素(人名、思想、歴史上の出来事など)があることがわかった」現象は
番組を見るより解説本を読んだときのほうが顕著に起こると思われます。
なので、もし元投稿を見て「知識がつながるって面白そう」という点に興味を持っていただけたなら、解説本の方をメインにされることを私はお勧めします。
頑張って読んだ、という感覚はありませんでした。
おそらく、原典には「頑張らないと読めない」ものもたくさんあると思いますが、解説書の段階では頑張らずに済みました。
正直、興味をそそられたかどうかにはレベル差があるので、結局読まない原典もあると思います。
古典名作だと聞いて読んでつまらなかったら被害甚大ですが、水際で食い止めてくれたことになると思います。
読みたくない本、という感覚もなくて、どちらかといえば「知らない本は読めない」ですね。
恥ずかしながら「エチカ」だとか「夜と霧」だとか「全体主義の起源」なんて知らずに生きてきたので
まず読みたくないかどうかも解説書読んで判断しようと思ってました。
食わず嫌いよりは、試食コーナーの匂いで避けた、の方がまだマシかなと言う感覚です。
シャワーを使う際には、本はタオルにくるんで蓋に挟んで防水します。
このスタイルで読書して2年位になりますが、多少湿ることはあっても、問題になるほどビシャビシャになったことはないですね。
以前スウェーデンに出向していた友人から聞いた話ですが彼の国では大学とは必ずしも高卒すぐ入るものではなく、
暫く働いてから勉強したいことを見つけて入る人も相当にいるらしいですね。
その彼が聞いた日本との違いを顕著に表しているセリフが「高卒のガキに大学教育はもったいない」「日本人は高校生の時職業決めるんでしょ?すごいね」です。
後者は嫌味なのかな?と言う気がしないでもないですが、前者は今本当に身にしみています。
大学教育をきちんと受け止められる18歳って、そんなに多くないですよね、、、
以下私の勝手な解釈です。見当違いのことを言ってるかもしれないですが、、、
私と趣味が合いそうだなと思ったら、まずは以下をお勧めします。
スペシャル版なのでちょい分厚いですが、これが私の一押しです。
日本の大乗仏教諸派の成り立ちと違いについて、今まで何度か教わったし読んだはずなのですが全く頭に入ってこなかったのがすらすら入ってきました。
読了後は、まるで自動車教習所に通ったあと今まで目にも入らなかった交通標識が急に意味を持ち出したような感じで、街中のお寺から情報を取れるようになりました。
私自身が茶道やってる事が大きいかもしれませんが、日本人が外国人に、英語で日本文化を説明する起点として最高と思いました。
実際、ボストンで友人とあったとき(作者の天心はボストン美術館の東洋部部長です)なんと役に立ったことか、、、
全編、声に出したい日本語だと思いました。言葉がやや古いのですが、原典も薄くて読みやすいです。
維摩さんというレジェンド級のアマチュア(在家信者)がプロ(菩薩軍団)をやり込めまくる話です。
「煩悩は湧くに任せよ、とらわれないことが大事だ」というフレーズがとても頭に残っています。
一番実践しやすい仏教な気がしました。アメリカの方で流行っているzenとかsatoriってこれを目指してるのかな?と思っています。
↓と思った記事
https://aishinbun.com/clm/20181218/1888/
人間は自己愛ゆえに苦しまねばならぬ、というのがメインの本と理解しました。それだけでも納得感あるのですが、
本人的にはキリスト教最高!で異教徒を折伏するために書いた本らしいのに仏教が目指してるところと同じっぽいのが面白くて読んでました。
原典が思いっきり重そうなのですが、いつか読みたい本の一つです。
いろんなことを言ってるわけですが、
私は趣味を持て、幸せになれるぞ?という本だと理解しました。ラッセルさんの趣味の定義とは「~を収集すること」らしいです。つまりスタンプラリーですね。
何かに対して情熱を持ってスタンプラリーしてるうちは人生に飽きない、ということかと思いました。
解説本読破もそのノリでやってやらぁと思ったのを覚えています。
正確には100分で名著シリーズではないのですが、この「一週間で資本論」が成功したので100分で名著が始まったらしいです。
資本家の行動原理が今とぜんぜん変わらず、ギグ・エコノミーとかも19世紀の理論で説明できることに驚きました。
経済を理解するためというよりは自分の身の振り方を考える上で有用だなと思った本です。
リストがほしいというコメントをいただいたのでリスト載せます。
趣味が合いそうだなと思ったら、参考にしてください。
(抜け漏れあったので追加。まだ何冊か忘れてる気がする、、)
・点と線
・かもめ
・人間失格
・斜陽
・三四郎
・こころ
・茶の本
・奥の細道
・昔話と日本人の心
・死者の書
・銀の匙
・世論
・ペスト
・ゴルディアスの結び目
・1984
・苦海浄土
・夜と霧
・野火
・ソラリス
・マクベス
年末年始休みは読書もはかどり、新たに買った原典も既に8冊終わりました。
今のところ、全て期待通りの内容でとても充実した休みになっており今年ずっとこの調子で読み勧めていけたら、、、(無理だろうけど)と思ってます。
どういうふうに仕事の本を差し込んだら、自分の中の読書熱にうまく歩合出来るかを考えるのが今年の課題かな。
動物本とか、読んでて飽きることがあるんですよね。
なお、私が100分de名著を知ったきっかけは単身赴任中の父がずっと見ており、解説本を纏めて実家に持って帰ってきたのがきっかけでした。
私も読み出して以来、お互いの話題の共通点も増え、お互いの読書の幅も広がって、
初めて父と同等の視点で知識交換をできるようになったような気がしており、その点でもこの番組には深く感謝しています。
(私の専門のITのことでは以前から教える立場でしたが、これとはなんとなく異なる現象のような気がしてます。)
良い1年を!
そもそも学術系のクラファンいくらでもあるんじゃが?興味があればお調べになりご支援しては?
世の中には知的であるほど所得が高いと思い込もうとしている方々が右向いても左向いてもいるから
その方々がボク/ワタシは知的であるとキャッキャうふふふ出来る価値を売ればよい
思った以上の反応を頂いて驚いてます。
コメントへの返信など、追記しようかと思ったのですが、長くなったので別記事にしました。
興味あったら見てください。
https://anond.hatelabo.jp/20200102201209
釣りっぽく書いたけどほんと。
結構色んな意味で読書や知識というものに関する意識が変わったので、なんかアウトプットしたくなった
なお、名著そのものを知ったことに関する感銘とかは今更私が言うまでもないので省きます。
書きたいのは100分de名著シリーズを対象にした読書を集中して実施したことに関するメタ効果に関して。
スペシャル版とか、ブックス版はもう少し厚いけど。どれも約120ページで、読書慣れしてる人なら2-3時間で読める量だと思う。
いやそれじゃ読んだことにならないだろ原典あたれよ、って思うよね。私もそう思っていた。
だから最初の20冊くらいは解説本を読んで、原典にあたって、と繰り返していたけど、以下の2つのことに気づいて一気に解説本を読む方向に転換した。
勉強とか、何でもそうだと思うんだけど、繰り返し出てくるものって記憶に定着しやすくなる。
さらに、その要素が「影響を与えられた」ものの解説として出てきたり「影響を与えた」ものの解説として出てきたりする。
何でもそうだと思うんだけど、流れというか構造の中にある知識って単発の知識より遥かに定着しやすくなる。
なので、バックナンバーの中で関連のありそうな同時代、同地域、同分野の本をグループ化して間開けずに読んでいくのが効果的に思えた。
まぁ要するに、それを読むだけで半年とかかかりそうなものがチラホラあったということ。
そこに突っかかっているうちに飽きて来ることを懸念した。
実に20年ぶりくらいに読書にエンジンがかかっていることを実感していたので、これに水を指したくなかった。
よく「文系は作者の気持ちでも考えてろ」と言われるけど、「本気で作者の気持ちを考える」ってのは実に尊い活動だと考えられるようになったこと。
今みたいにリアルタイムに意見のやり取りが出来るわけでもないのに、驚くほど人間の考えや意識ってのは「繋がって」いることがわかった。
ある偉い人がいいことを言うに至った過程を忘れてしまうのは人類の損失だなと。というか、理系と一緒なんだよね。
アインシュタインの相対性理論だって、洞窟で暮らしていたアインシュタインがある日突然思いついたわけじゃない。
それに、曖昧さを嫌い、論理にはもととなる論理が明確に存在する理系学問「ですら」そうなんだけれど、
現時点の主流見解は現時点の正解ですらなくて、考え直しが迫られるのはよくある。
そういうとき、どこから間違っていたかどこから考え直すためにも、歴史的な思考の経緯は絶対に失わせてはいけない。
文系の学問の究極の目的は、新しい思考を生み出すことと思っているけど、新しいものを生み出すために今までの流れを知ることも必要だ。
果実を生み出すのがポンと生まれてきた天才的な作家や哲学者だけれど、
天才の誕生を待つ間その過程を丁寧に残すのがむしろ普通の文学者の役割で、
アカデミズムとしての文系学問の真髄はそちらにあるのかもしれないと思った。
これ、理系のブレイクスルーを起こす天才待ちと同じ構図だよね。
(天才、と呼ばれる人間も自身の業績についてちょっと違う視点で物事を捉えただけ、とかちょっと違う組み合わせを思いついただけ、と語るのはよくあることだ。)
「かなりいい勉強になった」
「大学生の頃にこういうことをやっておくべきだった」
「あ、でもこんな事やってたらそれだけで四年間終わっちゃうか?」と。
そこで計算した。
100分deというくらいなので上記解説本一冊は、約100分の映像となる(補足説明踏めると1-2割、解説本のほうが情報量多い気がするけど)。
以下、とても雑な計算だけれど。
100冊なら、約11単位。計算してみて驚いたが、たったそれだけ。
一般的な大学生は1年に20-30単位取得するだろうし、卒業には120単位程度必要だ。
定義上サボり気味の大学生の半期分程度の勉強しかしていないことになる。
嘘でしょ?
驚いたついでにもっと攻めた想定をしてみる。
こんなことを意識している大学生はほとんどいないと思うけど、15時間の講義には、30時間の事前学習と30時間の事後学習が想定されているらしい。
http://www.ohshiro.tuis.ac.jp/~ohshiro/univlaw.html
原典には上記したとおり全16巻あるものもあれば、100ページもないものもあるから、慣らすとだいたいそれで読めてしまうとする。
「最も頭の冴えた4年間に」「専門家が選んだ良質なテキストを」「専門家の解説付きで、必要なら質問し放題の環境で」「1200-1300冊読んで理解する」
場所だ、ということだ。
ああ、確かにそれをこなせば立派な「学士様」になれたろうと思う。
私は修士を持っているが、この10分の1も学士になれた気はしない。俺はなぜあんな無駄な時間を、、、
可能なら、放送大学なりでもう一度大学生をやってみたいと思う。
なんというか、これから実施していきたい諸種のおもーい本を含む読書に挑む筋トレというかジョギングと言うか、基礎体力を作ってくれた感ある。
活字を追う体力、意味を捉え続ける体力みたいなのがないと、ほんとうの意味で読書を趣味にすることは出来ないと思った。
ていうか、楽しむ余裕がない。
スポーツと一緒で、やる気と勢いだけでやっても続かないと言うか。
この1年やってきたことは運動部の1年生が実施するような、練習をするための練習。これがまず必要だったとろこで、その役割を果たしてくれたと思う。
練習のための練習として、この「解説書読破」が有用だったと思う理由は以下の2つ
週末、朝と夕方に一時間読む気でいればその日のうちに「また1冊読めた」と思って寝れる。
平日でも、風呂に入ってる30分で読めば25%終わり、はっきりと進んだ位置にしおりを挟んで寝ることが出来る。
進捗が目に見え、さらにすぐ終わりが見えるというのは精神的に楽だ。
価値が保証されている書物を、その書物についての深い理解があることが保証されている著者が解説する本であるということは、
読んでいた時間が無駄になることはない(たとえ激烈につまらなくても3時間で終わるし、つまらなければ原典を読む必要はないという判断ができるということだ。)
という確信を持って取り組めるということだから、これも精神的に楽だった。
つらいだけのうさぎ跳びとかしたくないのよ。
いろいろな本の中で語られていたことだが、
日々「モヤッと」してることはたいてい昔の人も同じこと感じていることがわかった。
下手の考え休むに似たりではないが、自分程度が疑問に思ったことはきっと昔の頭の良い人が一生かけて考え抜いているので
自分の中で結論出そうとするより同じ疑問を持っているであろう偉人の著書にあたったほうが
考えを前進させる上でコスパが遥かに良いことが芯から理解できた。
実はこれが一番の収穫だと思っている。
というわけで、これから年末にかけていよいよ原典にあたっていこうと思う。
の前に
解説本読破の中で出てきたいろいろな付随知識、これがまとまりそうで纏まらなかった。
これをまとめてからの方が、今後の知識吸収速度が格段に上がりそうな気がすると思って、適切な本を暫く求めていたが結論はまさかの高校教科書だった。
今読むととんでもなく面白い本だ。まさに私の求めていたものだった。無論完璧じゃないが、知識の統合がすすむすすむ。
なぜ俺はあんな無駄な時間を、、、と思うけど、おそらく解説本読破と順番が逆じゃだめだったろう、OKOK。
さて、年末に山川をやっつけたあと、原典の中で特に気になっていたものを30冊ほど買った。解説本で実施した筋トレ効果で読むスピードが上がっているが、
途中で気になった関連書籍とかその年気になった本とかをはさみつつ、100冊(巻数でいうと200近い)読み終わるのは3年後くらいの想定だ。
来年もシリーズは続いていくので、積ん読もどんどん増えるだろう。
挙げる必要もないけど、サッチャーやら中曽根、小泉・竹中ラインから現在の安倍政権に至るまで
「官から民へ」が一つの正義、一つのこれからの社会のあり方として進められてきた。
もちろん目的は合理的経営とコストカット。「無駄を削減しよう」は
90年代から2010年代までこの20年間ずっと続いてきたキーワードであり、トレンドでもある。
どうせコメントで言われるだろうから、先に言っておくと、昔の国鉄や役所の窓口の対応がひどかったのが、民営化でよくなった?
はいはい、よくなりましたね。駅ナカビジネス、囲い込みでおめでとう。空中権の打ち出の小槌、おいしいね。
話がずれました。さて、「官から民へ」は確かに合理的経営・コストカットに有用だろう。
でも、そもそも民間企業が提供できないサービスを提供するのが公共サービスの役割なわけで、
公共サービスが合理的経営・コストカットに削ぐわないものであることは当然なんですよ。
だからこそ、インフラ、通信、教育、医療などが公的サービスとして日本では提供されてきたわけです。
元は田舎者だったのが東京に出てきて成功したからか、急にルサンチマンを発揮して、
成功したのは自分の能力のおかげ、それ以外の地方民はすべて死ね、もしくはお前らは東京のお荷物だ、
みたいなことを言い出す頭の悪い連中が、クリームスキミングを目的に、
「官から民へ、そして私のふところへ」を繰り返してきたのがこの20年でしょう。
どこかは合理化されたのかもしれないけど、それ以外の多くは合理化どころか疲弊してサービスの質が低下したのが事実。
https://twitter.com/yamanoikazunori/status/1206536417699979264
https://anond.hatelabo.jp/20190122160549
公務員が働いている職場にいる派遣社員をすべて公務員と同待遇にしたい
https://president.jp/articles/-/30191
仮に民業圧迫となる公的サービスがあるのだとしたら、民営化ではなく禁止したい(ゆうちょ銀行、かんぽ等)
https://this.kiji.is/579249207395763297
保育と幼児教育の垣根を壊して、無認可保育園をなくして、公的教育の一環にしたい
https://www.bengo4.com/c_5/n_10537/
https://univ-journal.jp/29150/
入院中にお金が払えなくて自己破産し、ついでに病院から蹴り出される社会にしたい?(米国)
アップルとグーグルの従業員を運ぶ社員専用バスが襲撃される社会にしたい?(米国)