はてなキーワード: 改革派とは
ここに来た人の中で自分がキリスト教徒であることをはっきり言える人以外は
一度ここ読んだ方がいいね。
特に無宗教決め込んでキリスト教を含めた「宗教」の信徒を馬鹿にしている人は、知らないことがあることを知った方が後々安全。
キリスト教徒でも知らないことあるから、読んでみることをお勧めします。
http://homepage3.nifty.com/yagitani/kurihon/kurihon18.htm
結婚が一度きりに限るとか、教会が実際に結婚について信徒に制限加えるのはそれカトリックと福音派だけだから。異端は知らない。
異教徒と結婚しているキリスト教徒とか、フツーにいるから。完全にそれを許してないのはプロテスタントのうちの福音派だけだから。ロマ書読んだ?
しつこい勧誘をするとか、それ異端だけだから。伝統教派は基本「自分の意思で来る人以外拒む」し、「勧誘をする」のは三位一体や使アタナシウス信条すらアウトにしてる某異端たちだけだから。
堕胎や婚前交渉同性愛、職業選択にうるさくなるのは宗教だけが根本にある訳じゃないから。無宗教を謳う人がこれだけ多い日本で、「倫理」が何故話題になるかわかんないかな。
人類の進化を受け入れなかった、ってそれあの大所帯のカトリックが「すべての人が価値観を変えた」と確認するまでトップが受け入れたことを表明するのに慎重になっていることがわからないかな。
例えば最も保守的な正教会には「七日目」に朝があり夕があったとの記述が創世記に無いからまだ地上が完成したとは結論付けていないんだけど、それはどう考えるのかな。
そういえば、ロマカトとプロテスタント福音派や異端ばかり見てない?
狭い。カトリックの人が書いてるけど、正教も伝統プロテスタント(⇔改革派からは「福音派」と呼ばれる)もサイトあるんだから多少は自分でググってね。
カトリックだってローマカトリックだけじゃないんだよね、日本には無いけど。(つまり東方典礼カトリックを自称する日本の教会はあったら異端ってことです。)
聖書の訳も何種類も出ていて、日本聖書協会が出版していないものは完全に異端だと認めていいことも知らないだろうから、訳も調べてみてね。
お勧めは正教訳といきたいところだけど難しいので、カトリックのフランシスコ会訳と、カトリックと聖公会、ルーテル(と極少数の改革派)が使ってる最大利用者の持ってる新共同訳。
新改訳は「改悪」という評判を随分聞いてるから読んだことがないね。
「キリスト教」と一言で言っても、十戒の最大の禁忌のひとつ「偶像崇拝」の解釈すら教派によって違うから、少し勉強してから発言しないとちょっとしたことでも恥かくよ。
正直見てて痛々しい。
追記:知恵の書2章~3章をキリスト教徒の兄弟姉妹たち、今一度お読みになってください。旧約聖書続編にあるので、手元に無い場合はせめて一度読んでみて。信仰を持たない人の人生観が書かれています。
正直に今の気持ちを話してみたら。不安な点とか。それで決着がつくと思うよ。
どちら側につくのか?はっきりさせないと両者は分かり合えないよ。
どうせなら、これを拡散させてよ
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%80%AC%E6%88%B8%E5%B8%82&oldid=50017570
窯業関係者で瀬戸窯業資源対策委員会http://archive.is/N5YOp顧問の市長の給料は、数年前まで愛知県一位。2011年1936万円http://blogs.yahoo.co.jp/chugamo2008/35924073.html 2012年 月収99万円愛知県の首長給料番付 2012年2013年月額2千円減額 Daily SANQ2011http://www.845.fm/daily-sanq/?p=3901 Daily SANQ2012 http://www.845.fm/daily-sanq/?p=6006
2012年8月23日市会議員から市長に、「 平成 11 年度から現在までに、鉱山資源採掘に関わる事業者、珪砂組合関係者、窯業業界団体等から政治資金を受け取っているか伺う。 」質問が出された。http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:ui11oV-2KQ8J:www.city.seto.aichi.jp/docs/2012082300013/files/usuiatusi3.pdf 質問状4ページ16
この地方のテレビ放送の親局である瀬戸デジタルタワーが市南部にある。 瀬戸デジタルタワーがある幡中町には、フェロシルトが埋まっている。回収状況(2013年10月31日現在)石原産業のページhttp://www.iskweb.co.jp/feroshilt/ 時代に先駆け放射性物質に汚染された街 放射性ゴミのリサイクル偽装~「フェロシルト」事件(1)【井部正之】 2011年12月11日 20:56http://www.asiapress.org/apn/archives/2011/12/11205631.php
2010年11月子熊射殺でいくつかのブログで顰蹙を買う。怒鳴る職員騙して射殺に、市役所にメールで抗議を呼びかける人もいた。google検索「瀬戸市 熊」保存http://archive.is/TvD9y 魚拓 http://megalodon.jp/2013-1205-2301-22/archive.is/TvD9y
そんな~ 大家↓ は~ 改革派wwwww 窯業関係元市役所勤務 でありながら この市長選落ちた人支持 はてなダイアリだったが、この市長選落ちた人の息子の尾張旭市議最下位落選にも触れているのがある http://d.hatena.ne.jp/ichi-nagoyajin/20131006/p1 その位置に行く保存 https://archive.today/5EH9Q#selection-691.4-691.9 落選以外にも問題あるが、この人はもう政治家として市議であっても返り咲く事はできるのだろうかと・・・
不動産屋!!!! 2chのどっかで荒らしてる?という説がツイッタにあるが の保存 https://archive.today/Kagka
大家www
この論の帰結とか結びに
ヘルメット中学生に被せての登校風景が≪豊○の恥辱≫とまで言うのなら
参加さえしてない町内会が、個人情報を当然のように召し上げようとしたり 防災基本台帳なるものを勝手に作っている事も
と、思ってもらわないと 気が済まない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
虐待否定は人権否定だから、少数意見も大切にするのが、民主主義やろwwwww
と、入れようとして 忘れてた。
出せるわけないじゃない!!!!! お金払ってまで、してるのに!!!!! それは余分に受け取っておいて!!!!! 【保証人の代わりの分】
その後も 相談には乗るというので、話していると 保健所でもなかなか~ と、 親から保護するためにも相談に乗る病院の手配はしてくれない話【アップはしてないけど 名古屋のM区の保健所での 精神衛生相談の録音もあり】 をしていたら
どこそこの、子供(引きこもりか何か) は、皆で相談して保健所の何とか員?か何かの人も呼んで、病院に引き取ってもらったけど・・・とか、そういう話をされたが
では、そこの子供は、自活してたのか!!!! そのお金でわざわざ初期費用や家賃以外に 【お金を払ったのか!!!】
全く 無茶苦茶だ!!!!!!!!!!! 何でも話をそういう方に持って行かれた
名古屋の保健所でもどこでも、明らかにおかしな人を収容するためのノウハウならあるようで、主に家族からの相談に応じていた。 これも探ると問題ないこと無いかもしれないが、批判してるのがカルト宗教のフロントが多いという問題はあるが、要は薬の引き受け要員とする人を探している面はない事もないと思う。 だから普通の生活が送れて、神経症領域に精神的にまいるとか、家族に困らされて逃げているとか そういう人用ではない。
もっというと、もしかしたら、家族にも虐待や抑圧 過干渉などの問題はあったかもしれないけど、症状が出た本人を 一人悪いものとして 収容 → 薬漬け にしてる例も もしかしたら あるかもしれない・・・ (そういう事もできない事はない仕組み というだけで、全てがそうとは言わない)
ネットや 特にはてな民も 家族性かどうかは知らないけど、周囲に脅威を感じていたり 不適応であったり・・・ そういうストレスをさらに弱そうな(弱いとは限らないけど)にぶつけることで解消してる 人達もいると思う・・・
ヲチなんて その際たるものだろう なんら生産的行為でもないのに、それをやらずには居られない のだから・・・ 依存とか 異常性を感じる
追加
【【【 瀬 戸 】】】 は こ う い う 所 ! ! !
http://voicejapan2.heteml.jp/janjan/election/0704/0704234320/1.php 瀬戸市長選:増岡氏3選 異色市議誕生 2007/04/24
>さて地方で市会議員といえば地域で功成り名を遂げた人物の名誉職の意味合いが強い。しかも互いに「狭い地域を代表する」ボス同士で、馴れ合いのうえ地縁血縁でがんじがらめ、議席に座っているだけの議員がほとんどで4年の任期中、議会で発言がゼロの議員すらいるという。
>議会は多数決の場である。数がすべての現実は確かにある。かといって党利党略でがんじがらめのような現在の地方議会では「マトモな発言、本音の意見を述べる人物は変人・奇人・変わりもん」と烙印を押され、仲間外れにされることを懼れ、表だって行動する議員は稀であるようだ。
【「マトモな発言、本音の意見を述べる人物は変人・奇人・変わりもん」】
【「マトモな発言、本音の意見を述べる人物は変人・奇人・変わりもん」】
【「マトモな発言、本音の意見を述べる人物は変人・奇人・変わりもん」】
また追加
名古屋の保健所での相談で唖然とさせられたのは、こっちが行く病院に当然話を通してくれるのかと思って、ではどこの病院を紹介してくれるのか?と聞いたら 冊子を渡されただけで、特定の病院を紹介すると、公的機関としてまずいから と言うんですよ!!!
でも、情況によって対応は考えるべきだし、こっちに選ばせて 話を通す でも良いのに!!!
医者の子供で、2chを荒らしながら住所を晒してた人が、ある女の人(特定の近所の人物と思われる)に犯罪でもしそうにも読める内容を載せてたため、本当に心配して(それでも私が家族にいう事で本人が良くない病院に収容などあったらどうしようか?家族が虐待してたらどうしようか?散々迷った)連絡したら ちょうど名古屋の人で当時住んでた所から、3kmくらいのところの人で、親は本当に医者だった。
虐待はしてないけど、別の問題はあった。最初は気付かなかった。アスペルガーというのも本当のようで、最近流行の心理テストでアスペルガーという拡大解釈のではなく、脳の血流が本当に計ると前頭葉に行くはずのが少ないという人だった。(でも、後に気が付いたが、物凄い異常ではなくても、親も少しそのような傾向にある場合が多いので、子供の面倒が見られないようだった ネグレクトとかじゃなく面倒見てるんだけど細やかな情緒的な関わりや配慮に欠けてしまう。悪気はないのだろうけど非常に危なっかしい 余談だが父の医者はネットでヘイトスピーチはしないけど右翼みたいな首長を書いていて、その中で唖然としたのが、徴兵を嫌な事は避けようじゃなく、掃除と同じように・・とか、例えが色々おかしい事も書いていた。これ一つじゃなかった。現実的な事より精神論とか戦うという事に鼓舞されるのか、幼児が戦闘ものアニメ見てるみたいな印象さえ持ってこの人は本当に医者だろうか?と思った。アスペルガーの子供の前で刺激になるような事は言わない方が良いのでは?と言っても、何が刺激かわかってないようだった。日常的にそんなんらしいし、日テレのたかじんのそこまで言って委員会の勝谷のファンらしい(その医者)と奥さんであるアスペルガー当事者の母は言っていた。こんなんだったw )
その医者の子供が入院した事がある病院(実際は入退院を繰り返し・・・だから治ってない。アスペルガーだからといって必ずしも二次障害が出るわけではないので、やっぱりヤブというかあまり腕は良くない事がこの話からも伺えると、今は思う)が、保健所で見た冊子にあったので、その事も相談で話したら、相談に来ていた医者が【良い病院ですよ】なんて言うので
ずっと前に、ネットカフェに避難【アパート半壊 警察でも責められ 区役所もきちんとは助けない という状態】していた時、そこから電話し、保護的に入院させてもられないか?聞いたら
事務員なのに、診断もできるわけないのに、ヘラヘラと嗤うように、最初からおかしい人として対応され そのくせ 入院させてくれ というと 親か親族の同意が必要!などと言った (録音有)
(【これはおかしい】同意入院というのがあるので、普通に診察を受けに行き、入院の希望を伝え、部屋が空くとか、諸費用の点で折り合いがつけば 【自立支援法があるから、手続きがうまく行けば 公費でという方法もある】入院できるので、言っている事がおかしい。 名古屋はどうかわからないが、家族の虐待的扱いにより精神的にまいり、逃げた後でも、神経内科や心療内科や精神科にかかる場合もあるし、本人が相談して入院という話も有る )
この時、どれだけ それらの病院やそれを取り巻く情況が、矛盾に満ちているか 怖いかの説明に ずっと昔名古屋ではない町で 病院に相談に行ったら、パトカーを呼ばれ連れて行かれたのに、そのまま野放しにされた話をしたら・・・
すかさず 【 暴れた とかね 】 と言われた。 これも録音してある!!!! これで、こういうふうに こちらにとって最悪に都合が悪く 医者側にものすごく有利に解釈する人もいるのだ!!!と思って怖くなったり、そういう可能性も考えられるのかと、あらゆる可能性を考えてしまい、不安でたまらなくなった。。。
この話は 読売新聞が大々的にキャンペーンする前の話 なので、余計怖かった。
でも、【暴れた】という話も、もし暴れたのなら、なぜその後 帰って下さい (間違いです とは言わないものの まあそういうことですよ 医者側のいう事を聞いて動いたが 間違ったなと・・・ でも医者に抗議はできないしなと・・・ ) になるのか?という事は考えないので矛盾があるし、暴れた可能性があるような人なのに、治療や相談や入院を検討もしないのもおかしいし、本人が入院と言っているという事は、何らかの病識があると考えられるのだから、是非病院に来てきちんと診察させれば良いのに、それはしない。
おかしいではないか?
認識に問題があるにしても、ないにしても、あるなら治療や保護の対象とせねばならない、という事で → 通院なり 入院なり へ導く のが正しいはずだし
ないにしても、保護的に入院なり、相談や治療を望んでいるのだから、医者には治療義務もあるのに、来ないでとは普通なら言えないはず。 ( これも、暴言や 暴力ある場合は違うらしいが、精神科の場合はそういう人も収容するノウハウある病院も有る これはこれでまた色々問題出てきてるが )
僕はある組織に属していた。組織の繁栄、維持のために尽力し、身を捧げてきた。その甲斐があって、幹部に抜擢された。
組織は今までも十分に機能していたが、僕は組織をよりよいものにしようと、改革を提案した。古い体制によって生じていた問題を払拭し、新しい風を引き入れ、より良い組織にしようと。
しかし従来の利得や権益に固執する一部の派閥が猛反発した。組織は保守派と改革派の大きな2つの派閥に別れて争うことになった。
組織の力関係は、保守派がやや有利だった。利権を握る奴らは、やはり権力も資金力も豊富だった。我々改革派は、組織内での力を失い、組織の外に力を求めるしかなかった。
そんな内輪もめを続けているうちに、我々の派閥は外との関係を強めていくことになった。そして次第に我々は、自分が所属する組織のためにではなく、外の組織の利益を求めて行動するようになった。
派閥内で、それが本末転倒だと意見をすることさえできない空気だった。改革派のリーダーとなった私には派閥そのものを批判することはできない。それを認めることは己自身の間違いを認めることになるからだ。そして派閥内からの批判を許すこともできない。それは派閥の不和解体を招きかねないからだ。
それはかつて、組織の一部が権力と癒着し、組織を疲弊させているにも関わらず、自己批判を禁じ、改革を疎んでいたあの保守派がやっていたことそのものだった。我々は保守派のやり方に異を唱えて改革を求め、新たな派閥を作ったにも関わらず、その派閥内で結局保守派と同じ事を繰り返していたのだ。いや、それだけではない。外と癒着することで、自らの属する組織をさえ壊滅させかねない状況を作り上げてしまった。我々の派閥はいつの間にか、緩慢に、あるいは急速に組織を滅ぼす一群となっていた。
派閥の皆はそれに気づいていないのか、あるいは気づいていて気づかない振りをしているのか、・・・あるいはもう組織などどうでもいいのか。
ガンダムシリーズはそのほとんどが、最終話においては「明日がやってくる、希望を持って生きよう」という方向性に収束する。
逆襲のシャアで、アムロは「貴様ほど急ぎすぎもしなければ、人類に絶望もしちゃいない!」と言う。それは「明日からやってくる日々の中で毎日努力してすこしずつよくしていけばいいじゃないか」ということを言っているのだ。これは、まおゆうにおいて魔王が言う「一緒に行ければ、どんなことでも乗り越えられるさ。それに何が起きたって幸せだけは約束できる。丘の向こうには、きっと“明日”があるんだから」と、努力の方向性として、ほぼ同一だ。
逆襲のシャアにおけるシャアというのは、急進的改革派なわけだ。現在に絶望してテロに訴えてでも世界を変革しようとした。
まおゆうにおける最終的な敵対概念は、守旧というか停止主義だ。既得権益をまもるために世界を静止させようとした。
これらにたいして、アムロと勇者/魔王は毎日の改良によって徐々に変革をなすべきだという主張をとなえる。ゆっくりでも、一歩ずつ、悪いところを直しながら明日へ進んでいけばいい。そういう主張だ。両者はその点において同じ側に立っている。
逆襲のシャアは素晴らしい作品だけど、あえて疵を探すとするならば、アムロの主張を実行できるかどうかに、疑義があることがあげられる。
これは主観も入るので、視聴者全員に「そうだったでしょ」と決めつけられる話ではないのだが、アムロのなかに、その主義を唱えるのとはまったく逆の個人的バックボーンも見え隠れするのだ。
アムロは「人類に絶望もしちゃいない!」と叫ぶわけだが、彼は一年戦争で心を通わせた少女をうしない、英雄として戦争終結に貢献したにもかかわらず戦後は体制派に飼い殺されていた過去がある。事実、その後、反体制派武装組織に協力している。彼は十分以上に絶望するような人生は歩んできているのである。
もちろん、それは悪いストーリーではない。彼が不遇を託っていたからこそ、アムロの叫びは読者の胸を打つ。自らの絶望から立ち上がったからこそ「人類に絶望もしちゃいない!」と叫ぶ彼は雄々しく、格好良い。その意味では、キラ=ヤマトの「それでも守りたい世界があるんだ!」も、ほぼ同一の文脈だ。
もっといってしまえば、まおゆうの勇者も確実に同じ文脈だろう。
英雄として世界を救うもにもかかわらず迫害を受け、絶望しかけるが、個人的な繋がりや精神的克己によって立ち上がり、人々を救うために奔走する。
「この絶望の中にあって明日を信じられますか?」という問いにたいして、アムロや勇者は「信じられる!」と叫ぶ。それは、彼らが彼らの魂を担保として叫ぶわけだ。その強い輝きによって闇を飛び越える。
これらはストーリーとしてはよくできているが、じゃあ、それが、読者である我々にも適用できるか? といわれると返す言葉に困る。つまり、我々があの種の絶望におとされたあと、再び立ち上がって「人類に絶望もしちゃいない!」と叫べる保証はどこにあるのか? という点だ。「この絶望の中にあって明日を信じられますか?」という問いにたいして、逆襲のシャアは「アムロなら叫ぶね」と答える。そして、現場にいた兵士もサイコフレームで思いが伝わった結果命を捨ててそれに賛成する。
この構図が、 id:Gaius_Petronius が批評したところの「英雄譚」であり、「英雄譚の限界」なのだ。
アムロは立ち上がり叫んだが、我々が同じ事を出来るとは限らない。というか、出来るようには思えない。サイコフレームの光があれば特攻くらいは出来る気がするが。
これにたいして、まおゆうは別の答えを読者に提供しようとする。それは歴史的な視点だ。
読者は現代日本に住んでいる。色々問題があるし、苦しみもある。でも、500年前とくらべてみれば明らかに恵まれている。みんなご飯をそこそこちゃんと食べている。電気が通っている。暖房も冷房もある。乳幼児死亡率は極限にまでへらされた。風邪は即死を意味する病ではなくなった。なんとネットにまで繋がってる。それどころか個人用の通信機器をみんなが持っている。これら視点で見れば、現在は、過去よりも、確実に具体的により良くなっている。もちろん大きな戦争もエネルギー問題もある。が、飢え死にばかりしてた頃に比べて、漸進していることは確実だ(この認識にぐだぐだ文句をつけてる人間が中国やアフリカ奥地に移住した例を知らない)。
その視点を提供した上で、魔王は「この絶望の中にあって明日を信じられますか?」という問に答える。
「信じられる。だってそれは歴史を見れば明らかだ。人間は愚かかもしれないし、間違いを沢山起こすが、それでもここまでやってきた。この先にいけないはずがない」と。
この具体性や説得力は、アムロにもキラ=ヤマトにもなかったものだ。
主人公個人の精神的高潔さや勇敢さに仮託をせずに、読者にも実行可能なやり方で「英雄を超克」させてくれる物語上のギミックだ。
(この部分の指摘が、「物語三昧」には欠けているようにおもわれる)
まおゆうの提供する「丘の向こう」というのは「戦争が起こらないSF処方箋」でも「近代に続く血みどろの道」でもない。
「丘の頂上に立ったとき見られる向こうの景色=明日」と対になるようにしてあらわれる、「丘の頂上に立ったとき見られる歩いてきた景色=歴史」であり、未来と過去の両方をあわせた視界だ。読者に提供される「丘の向こう」というのは、この視界であって、それ以上でも、以下でもない。そしてこの視界は、英雄の苦難や高潔をもたないでも、誰にでも(それこそWikiを検索する程度の労力で)手に入る。
まおゆうがガンダムを踏まえて、より先へ行こうとした部分があるとすればここだし、物語の類型を一歩進めた部分も、まさにここにある。
今ネット界隈でにわかに話題になってる公務員の残業多すぎワロタwwwっていう報道
残業年1873時間で783万円、年収1574万 さいたま市職員なぜそんなことが許されるのか
http://www.j-cast.com/2012/09/21147316.html
案の定、2ちゃんねるでは盛り上がり、まとめブログもしっかり紹介
【貴族】残業年1873時間で783万円、年収1574万 さいたま市職員
http://news4vip.livedoor.biz/archives/51906836.html
そもそも、公務員の給与が民間に比べて高いというイメージがある。
現場にいると、そんな気はしないけれど、そもそも日本の労働環境が悪化し賃金が伸びない状況下では給与が相対的に上がっている。
加えて、現在のデフレ経済下では、実質的に給与が値上がりしているともいえるし、私が住む街も基本的に仕事がなく、銀行員、教師、そして公務員という職業が一種の特権階級のように思われているのも事実である。
あと、公務員というと何か暇そうだというイメージがある。具体的には以下の様な感じだろうか。
ゆめみがちサロン : とある公務員の1日のタイムスケジュールが怠惰すぎる
http://blog.livedoor.jp/yumemigachi_salon/archives/51410325.html
当然、冗談半分だと思うが、民間に比べて役所は暇そうだというのは市民から言われる。
それでは、実態はどうかというと、公務員の取り巻く環境というものは
1 公務員数の削減
2 高齢化の進展
今まで二人でやってきた仕事を、一人で受け持つことになり当然作業量が多くなる。
生産性を高めようとしても、市民サービスの向上を叫ばれているので、ベルトコンベアーのように効率化できない。
特に顕著なのが、生活保護を担当しているケースワーカーである。
基準では80世帯が相当だと言われているが、実際は100世帯を超える。
不正受給問題なので、チェックを強化しようにもキャパを超えているし、自立に向けたきめ細かい行政サービスも不可能である。
不正受給問題も、自立支援の強化もケースワーカーの数を増やせばいいのだが、現在の日本においては逆に公務員の職員数を減らすことが行われている。
財政再建の名の下に職員数の新規採用の抑制などを行い、一人当たりの負担はより増えていく。
加えて、高齢化の進展によって高齢者の窓口対応業務が年々増えている印象がある。
若い人は日中忙しいので実感はないかもしれないが、日中の市役所のフロアは、まるで病品のように高齢者、年配の方が大半である。
かつては地域のコミュニティがあり、そこに高齢者が集まっていたが、現在ではそのようなコミュニティが失われ、お世話をする民生委員も少なくなったせいか
役所に入り浸る高齢者が増えてきている。用事はないけど、話をきいてもらいたい、といった件数が増えている。
日中にやるべき事務処理があるが、窓口対応、電話対応に忙殺され、結果的に営業が終わる5時以降にしか事務仕事ができないということになる。
市民サービスであるので、きめ細かくやらなくてはいけない。しかし、その線引が難しい。
現在、役所ではワンストップサービスを進めているが、そもそも行政の仕事は多岐にわたり非常に困難である。ゆえにいろんな部署、関係各課と連携しているわけだが
市民からしたら、いろんな部署をたらい回しにされているという印象を抱く。
また団塊の世代の増加によって、一言モノ申す的な件も増えてきた。
今まで以上に慎重な対応を求められ、対応するごとに顛末書、報告書を書くので事務処理の増加になる。
ある職員が言った言葉が忘れない
「福祉から移動になったけど、個々の業務でも結局。高齢者対応がメイン。だから、もはや高齢者福祉と行政サービスはイコールだ」
現在、国家公務員の人件費削減が進められつつあるが、地方公務員の給与削減も時間の問題である。
今後、民間と同じく賃下げが行われるは確実で、今回のニュースをきっかけに公務員の残業代見直しの機運が高まる可能性がある。
現在の市議会なども定数削減が行われ、かつてのように何もしないのでは市民から厳しい叱責があるそうで、議会への個人質問に力を入れている。
(しかし、その質問が増えれば増えるほど、答弁に答える執行部である職員の負担は増える。)
ただ、今後自称(改革派)の議員などは、公務員の身分保障について厳しく追求してくるだろう。
そのモデルケースが大阪の橋下市長であり、彼は公務員を叩けば人気につながる、労組を叩けばもっと人気につながるということを体現した。
今後、公務員の給与引き下げの突破口として、残業代抑制へとつながり、住居手当、通勤手当、といった各手当もやり玉に上がっていくだろう
しかし、だからこそ政治が機能してデフレ経済の克服するための政策を実行し、民間活力を伸ばす環境づくりをしていくべきである。
バブル期などは、公務員になることが馬鹿だと思われていた時代でもある。公務員は確かに下がらないが、同じ上がらない。
したがって、建設的な議論としてはそもそも低すぎる賃金を上げてもらうことではあるが、その主役である労組がもはやボロボロなのでそんな力もない。
応援していた某民主党も結局、自民党に対抗できる存在でなく、自民党から出馬したかったけどコネがなかった保守派議員が主流になってしまった。
結局、一番声上げなくてはいけない若者が忙しくなり、政治や行政に対して発言できなくなり、
代わりにお金と時間を持て余した高齢者が行政に殺到している現状がある。
高齢者ほど不安になり、救いをもとめて今日は福祉、明日は税金、明後日は。。。というように役所をさまよう。
そこに市民団体やら議員が加わって、本当に困っている人、本当に行政の支援を求めている人が見えにくくなる。
職員の声は大きくなり、文章のフォントも大きくなり、高齢者が忘れて、あとで水かけ論にならないように詳細に顛末書、記録を取るようになるでしょうし、実際やってます。
こうして若者はより政治や行政から遠ざかり、一方で公務員試験の勉強に励むのだろうと思う、この国の未来を絶望せざるを得ない
http://anond.hatelabo.jp/20121012225331
ブログを始めました
今ネット界隈でにわかに話題になってる公務員の残業多すぎワロタwwwっていう報道
残業年1873時間で783万円、年収1574万 さいたま市職員なぜそんなことが許されるのか
http://www.j-cast.com/2012/09/21147316.html
案の定、2ちゃんねるでは盛り上がり、まとめブログもしっかり紹介
【貴族】残業年1873時間で783万円、年収1574万 さいたま市職員
http://news4vip.livedoor.biz/archives/51906836.html
そもそも、公務員の給与が民間に比べて高いというイメージがある。
現場にいると、そんな気はしないけれど、そもそも日本の労働環境が悪化し賃金が伸びない状況下では給与が相対的に上がっている。
加えて、現在のデフレ経済下では、実質的に給与が値上がりしているともいえるし、私が住む街も基本的に仕事がなく、銀行員、教師、そして公務員という職業が一種の特権階級のように思われているのも事実である。
あと、公務員というと何か暇そうだというイメージがある。具体的には以下の様な感じだろうか。
ゆめみがちサロン : とある公務員の1日のタイムスケジュールが怠惰すぎる
http://blog.livedoor.jp/yumemigachi_salon/archives/51410325.html
当然、冗談半分だと思うが、民間に比べて役所は暇そうだというのは市民から言われる。
それでは、実態はどうかというと、公務員の取り巻く環境というものは
1 公務員数の削減
2 高齢化の進展
今まで二人でやってきた仕事を、一人で受け持つことになり当然作業量が多くなる。
生産性を高めようとしても、市民サービスの向上を叫ばれているので、ベルトコンベアーのように効率化できない。
特に顕著なのが、生活保護を担当しているケースワーカーである。
基準では80世帯が相当だと言われているが、実際は100世帯を超える。
不正受給問題なので、チェックを強化しようにもキャパを超えているし、自立に向けたきめ細かい行政サービスも不可能である。
不正受給問題も、自立支援の強化もケースワーカーの数を増やせばいいのだが、現在の日本においては逆に公務員の職員数を減らすことが行われている。
財政再建の名の下に職員数の新規採用の抑制などを行い、一人当たりの負担はより増えていく。
加えて、高齢化の進展によって高齢者の窓口対応業務が年々増えている印象がある。
若い人は日中忙しいので実感はないかもしれないが、日中の市役所のフロアは、まるで病品のように高齢者、年配の方が大半である。
かつては地域のコミュニティがあり、そこに高齢者が集まっていたが、現在ではそのようなコミュニティが失われ、お世話をする民生委員も少なくなったせいか
役所に入り浸る高齢者が増えてきている。用事はないけど、話をきいてもらいたい、といった件数が増えている。
日中にやるべき事務処理があるが、窓口対応、電話対応に忙殺され、結果的に営業が終わる5時以降にしか事務仕事ができないということになる。
市民サービスであるので、きめ細かくやらなくてはいけない。しかし、その線引が難しい。
現在、役所ではワンストップサービスを進めているが、そもそも行政の仕事は多岐にわたり非常に困難である。ゆえにいろんな部署、関係各課と連携しているわけだが
市民からしたら、いろんな部署をたらい回しにされているという印象を抱く。
また団塊の世代の増加によって、一言モノ申す的な件も増えてきた。
今まで以上に慎重な対応を求められ、対応するごとに顛末書、報告書を書くので事務処理の増加になる。
ある職員が言った言葉が忘れない
「福祉から移動になったけど、個々の業務でも結局。高齢者対応がメイン。だから、もはや高齢者福祉と行政サービスはイコールだ」
現在、国家公務員の人件費削減が進められつつあるが、地方公務員の給与削減も時間の問題である。
今後、民間と同じく賃下げが行われるは確実で、今回のニュースをきっかけに公務員の残業代見直しの機運が高まる可能性がある。
現在の市議会なども定数削減が行われ、かつてのように何もしないのでは市民から厳しい叱責があるそうで、議会への個人質問に力を入れている。
(しかし、その質問が増えれば増えるほど、答弁に答える執行部である職員の負担は増える。)
ただ、今後自称(改革派)の議員などは、公務員の身分保障について厳しく追求してくるだろう。
そのモデルケースが大阪の橋下市長であり、彼は公務員を叩けば人気につながる、労組を叩けばもっと人気につながるということを体現した。
今後、公務員の給与引き下げの突破口として、残業代抑制へとつながり、住居手当、通勤手当、といった各手当もやり玉に上がっていくだろう
しかし、だからこそ政治が機能してデフレ経済の克服するための政策を実行し、民間活力を伸ばす環境づくりをしていくべきである。
バブル期などは、公務員になることが馬鹿だと思われていた時代でもある。公務員は確かに下がらないが、同じ上がらない。
したがって、建設的な議論としてはそもそも低すぎる賃金を上げてもらうことではあるが、その主役である労組がもはやボロボロなのでそんな力もない。
応援していた某民主党も結局、自民党に対抗できる存在でなく、自民党から出馬したかったけどコネがなかった保守派議員が主流になってしまった。
結局、一番声上げなくてはいけない若者が忙しくなり、政治や行政に対して発言できなくなり、
代わりにお金と時間を持て余した高齢者が行政に殺到している現状がある。
高齢者ほど不安になり、救いをもとめて今日は福祉、明日は税金、明後日は。。。というように役所をさまよう。
そこに市民団体やら議員が加わって、本当に困っている人、本当に行政の支援を求めている人が見えにくくなる。
職員の声は大きくなり、文章のフォントも大きくなり、高齢者が忘れて、あとで水かけ論にならないように詳細に顛末書、記録を取るようになるでしょうし、実際やってます。
こうして若者はより政治や行政から遠ざかり、一方で公務員試験の勉強に励むのだろうと思う、この国の未来を絶望せざるを得ない
ブログを始めました
今回の民主党代表選だが、なんと3人も日本新党出身の政治家がいる。
90年代の「新党バブル」の頃に熊本県知事だった細川護煕によって立ち上げられた政党。当時は自民党・社会党などの既存政党に対する不信感が強く(今と変わらない)、選挙の度に勢力を拡大(まるでどこかの党みたいだ)。宮澤内閣の「嘘つき解散」により実施された第40回総選挙では35議席を獲得。武村正義の新党さきがけとともにキャスティングボートを握り、当初は分派により党制退潮した自民党と連立する予定だったが、細川が小沢一郎により総理大臣に担ぎ出され非自民非共産連立政権が誕生することとなる。
争点だった小選挙区比例代表並立制を実現させると、政権は目標を失い突如として「消費税を廃止し国民福祉税7%を導入」を連立与党の合意を得ないままぶち上げる。これにより連求心力を失い、更に細川の佐川急便からの借入金問題や、小沢一郎と武村正義の対立などもあり連立与党は分裂。263日で細川内閣は総辞職することとなる。
つまり政権ブン投げの元祖は、17年前の日本新党細川護煕首相が元祖というわけだ。
ご存知「政界渡り鳥」。所属政党の数では鳩山邦夫に及ばないものの、日本新党、新進党、自由党、保守党、自民党と「その時に調子がいい政党」を渡り歩き、細川護熙、小沢一郎、二階俊博、小泉純一郎、安倍晋三、中川秀直とその時の調子がいい権力者に取り入る。2009年の総選挙では幸福実現党/幸福の科学に選挙応援を依頼するも小選挙区落選。twitterでの発言がすごい。国会議員というよりもネット右翼のような発言。
名古屋市長。2009年に衆院議員を辞し名古屋市長選へ。住民税10%減税などをぶち上げるも、市議会と対立しさらには民主党とも対立するようになる。「市民に是非を問う」との理由で任期途中で市長を辞し、自らが先導した市議会リコール選挙に合わせて市長選に再び立候補し当選。その後リコールされた市議選にも自ら率いる「減税日本」から41名擁立し28名当選する。第一党はとれたものの過半数に届かず、自ら仕掛けた政局騒動により民主党とも対立している。更にほとんど政治経験のない「素人集団」の減税日本もまともな政党として機能していない状態である。「中京都構想」「減税」「議員定数削減・議員定数カット」「歳出改革」など派手に政策をアピールするが具体性はなく、市役所に丸投げ状態である。
元横浜市長。高秀秀信4選を阻止し市政の若返りをアピールし衆院議員を辞して市長選立候補。当初は箱物行政の転換、市立大学改革、住基ネットの任意参加など「改革派」のイメージで無難に市政を回していたが、2期目に「横浜開国博」を開くも入場者は伸び悩み巨額の負債をかかえて失敗、任期途中で市政を投げ出す形で辞任。市長辞任後は新党ブームにのり「日本創新党」を結成し参院選に立候補するも落選。近年は産経新聞への国防関連の寄稿など右旋回しつつ有る。また、高岡蒼甫の韓流にかんする発言に同調するなどしている。
元杉並区長。杉並区長時代は石原伸晃を支援する。2010年に中田宏と共に日本創新党を結成し参院選に出馬するも落選。区長時代からチャンネル桜に番組を持っており、維新政党・新風から推薦も受けている。
目立つ政治家だけ並べてみたが、この他にも荒井聡(キャミソール)、小沢鋭仁(中韓から電力輸入発言)、渡辺浩一郎(会派離脱騒動)など、とにかくひどい政治家ばかりだ。共通する特徴として
やはり、新党バブルに出てきたということでその程度なのだろう。そんな人達を総理大臣にしてはいけない。
枝野幸男という大物を忘れてたが、上に上げた面々と比べるとはるかにまともに見えるのは気のせいだろうか。
さきがけは…
うーん、鳩菅があんまりにも目立ちすぎて結構地味な印象。途中で新党日本から先に上げた前原・枝野・キャミソール荒井・電力輸入小沢が合流。
自賠責は、交通事故で発生した被害のうち、死亡や後遺障害に対して保険金を出すという仕組みである。この仕組みは特別会計の一つであり、保険料を取り過ぎていて剰余金として積み上がった約6000億円を、国庫に対して貸与している。
この貸与金は、来年度に全額返済される筈だったのだが、税収の不足を理由に、先送りされた。埋蔵金として使い込まれてしまったと言ってもいいであろう。つまり、自賠責契約をしてきた人々は、6000億円分、何の法的根拠も無く徴税されたという事である。
自賠責の保険金の支払い額が増えているので、保険料を値上げしたいと言う主張も、出てきている。これには二つの理由がある。一つ目は、飲酒運転厳罰化の影響で、轢き逃げによる被害者の重態化や死亡者が増加したという点で、法改正の失敗が原因である。もう一つは、保険会社等の経営上の都合である。保険は、本質的に統計データが直接採算に反映される仕組みであり、平均値が変動すれば、その変動に対して採算も変動する。国民の所得水準が低下しているということは、加入者数が減少していくという事であるのに、保険会社の人件費や営業所維持費といった固定費は変わらない。天下りや監督省庁幹部の縁戚といった縁故採用した人の人件費も下げられないし、リストラも出来ない。さらに、生命保険やガン保険といった非損保分野の売り上げが低迷している分を、所有者が強制加入になる損保分野でまとめて補おうという話になっているのである。非損保分野の余剰人員を損保分野に回すというのは、保険会社の雇用の維持という点では正しいが、部分の最適化が全体の最適化にとっては真逆の効果に繋がるという、典型的な合成の誤謬となっている。
損保分野の採算悪化は、若者の自動車離れが直接の原因であるが、非損保分野を含めた保険というビジネス全体の採算悪化は、若者世代が独立した世帯を持てないような経済環境が根本的な原因である。さらに、税収の悪化と社会保障コストの増大は、家族制度を破壊して核家族化を進め過ぎたという政策の失敗と、既存企業を優遇する余り、新技術や新製品・新サービスの開発・実現が不利な愚行となってしまっている、産業政策の失敗にある。
実行すべき課題は目の前にあるのに、自賠責保険料の値上げや消費税の増税といった財源が問題であると矮小化して時間を浪費するという点では、民主党政権も自民党非改革派政権でも変わらないようである。
次期主席が習近平では「大変革」など望むべきもなし、と香港専門家ら
ダークホースが王権を手に入れたが背後にいるのは利権巣窟特権階級
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香港「りんご日報」(21日付け)によれば、習近平の軍事委員会副主席入りは「ダークホースが王権」を手に入れつつあるが、かれは高級幹部一族の「太子党」出身であり、特権階級の権利を擁護し、独裁体制を維持させることに汲々とする連中が支持基盤である限り、大変革なんぞありうるシナリオではない、と冷淡に分析した。
2007年にいきなり上海書記に抜擢された習は政治局入りを果たしたダークホースで、しかも翌年三月に国家副主席への三段跳び、四段飛びと異例の階段を駆け上った。
習が「改革派」「開明派」として知られた習仲勲の息子であることから、「政治改革に大なたを振るい」、あるいは「“中国のゴルバチョフ”になるかも」という淡き期待は消し飛ぶだろう、と同紙は続けた。
2012年党大会で、習近平は党総書記と党軍事委主任となり、2013年に国家主席となることは、いまや規定の方針だが、江沢民が最後まで「国家軍事委員会主席」(形骸だけで党軍事委主任が事実上の統帥権)を、三年保持して軍へのにらみをきかせたように、バランス上からも胡錦濤は、2015年まで「国家軍事委主任」のポストは手放すまいという観測もあがっている。
他方、香港の有力紙「明報」は同日付けで、尖閣諸島衝突問題に言及し、「結局、中国があまりに驕慢だったため、日米両国の同盟をかえって深化させ、中国を非友好国としてあつかい始めたことは『外交的失敗だった』」とする時殷弘教授の談話を引用し、「中国外交の失敗」と題した林華保のコラムを掲げている。時殷弘は中国人民大学アメリカ研究センター主任。
(林華保は有名なコラムニスト)
通巻3110号
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/d5a3a2bcc1ede917c0a77ccbf76959ed
小泉のときは与党で改革イメージ出してたから地方の利権派と都市部の改革派の支持を両方取れたし、2001年は野党も民主自由社民と候補がばらばらだったから大勝できた。でも今は自民党は野党だから地方の利権派はついてこないし、一票の格差もあるし、当時より民主候補も統一されてるので構造改革路線で勝てるわけがない。あと比例の得票数では2001年小泉自民<2007年小沢民主、2005小泉自民<2009鳩山民主なのでこれをみても小泉ほどのブームも起こせそうにない河野が勝つのは無理ってのは明らかだろう。地方区は定員一人か二人で自民民主以外が勝つのはほぼ無理だが都市部は3人いい上あるのでみんなの党が都市部で候補立てて躍進させるほうがまだやりやすいはず。もともと参院の議席もないし、比例は社民並に取れてるので増やせるのは確実。
なぜその組み合わせが合流すると思うのかわからん。民主左派なら労組と仲いいし小さな政府も嫌いだろうからネオリベ路線の自民改革派と組むわけがない。そもそも誰が好き好んでせっかく与党になったのに野党に合流するんだよ。自民が経済政策ばらばらでもまとまれて多様に民主だってまとまれるよ。昔の非自民連立みたいに選挙直後にいきなり組んだわけじゃなくて10年以上政権交代目指して組んできた人たちなんだから。それにアメリカですら郵政は国営だし、日本が国営でも何もおかしくない。高速無料化だってやってる国はいくつもあるし、育児世帯への現金給付だってたいていの先進国は多いし、民主の政策はそこまで変なものばかりでもない。
「ゆとり教育」と名付けられた政策の本質が、教育における『規制解放』であり新自由主義的政策であることは言うまでもないが、新自由主義にも二つの側面があることは同時に指摘されるべき。従って、ゆとり教育に対する議論は大きく四分することで概観できる。
「教育の市場化」推進のために『ゆとり教育』を推進した人々(寺脇、経団連)。すでに主流を逐われている。
「教育の自由化」推進のために『ゆとり教育』を推進、または賛成する人々(文科省主流)。
変化を好まない保守派・大衆。自分たちを大多数と思っているが、時代の変化から、おそらくこの主張が将来生き残る道はない。
新自由主義への反発から教職員組合(実はどこよりも保守的)などがこの立場を取る場合も多いが、一方で単純に競争主義を肯定し、
見れば分かるように、立場上敵対している人が実は同じ立場・教育観にたっていたりするので、話が混乱してるわけです。『詰め込み型知識学力か/思考力か』という話は、実は議論の中心ではない(もともと両方とも必要に決まっているから)ことに注意。
痛いニュースなんかでは、やれ女子高生が泣いた、男子高生が「いじめられたから私立しかいけなかった」とかよくわからないことを言ってる高校生とバッサリ切り捨てる橋下しか書かれていないが、高校生も一応言うこと言ってるんだよな。まあ、確かに、稚拙ではあるが。
「ちゃんと税金取っているなら、教育、医療、福祉に使うべきです。アメリカ軍とかに使ってる金の余裕があるのなら、ちゃんとこっち(教育)に金を回すべきです」と涙ながらに訴えると、橋下知事は「じゃあ、あなたが政治家になってそういう活動をやってください」と切り捨てた。
さらに高校生が「それは、わたしが政治家になってすることじゃないはずです」、「高速道路なんか、正味あんなたくさんいらないと思います」と税金に無駄遣いがあると指摘すると、橋下知事は「それは、あなたがそう判断しているだけで、わたしは必要な道路は必要だと思っている」と反論し、一歩も引かなかった。
「道路とかまずなんとかすべきでは?」にたいして
「それは、あなたがそう判断しているだけで、わたしは必要な道路は必要だと思っている」
ってこれ、反論じゃないよォオオオ!?
なぜ必要か根拠も示さない。議論になってねぇw
一方が「こう思うのだが」(まあこの高校生も、もう少し具体的に指摘するなどしたほうがよかったんだけど)と言ったら「それはあなたの意見。私はこう思う」って、反論じゃねぇw「意見交換」って銘打ってるのに、意見全然交換する気ねぇw何て意味のない場なんだ!
そこはしっかり、きょうは議論したいと思いますので
って言ってるのにこれっておまw
議論してねーよw
初めから「俺の意見はこうだ。あ?高校生の意見はそう?ああそう、でもおれはこう思うから」
って意味わかんねーよw議論じゃねーよwジャイアンリサイタルだよw
大体こいつ、反論なんてほとんどしてない。高校生は高校生で何言ってるのかわからんのも多いが。「16歳は壁にぶつかって、ぶつかって」とか「今は自己責任が基本!」とか、反論でもなんでもない。だいたい言ってることがイメージ的すぎ・曖昧すぎ。議論でもなんでもなくて、「オレの考え発表ショー」でしかない。だって高校生が「反論」(稚拙だが、むしろ高校生の方が一応「反論」はできている)したら「それはあんたの考え、オレは思わない」んじゃ議論もへったくそもねーだろがwで、挙句の果てに「だったらお前がこの国変えれば」って、結局「オレはこう思う。だから従えよ。従えないなら出てけよ」ってちょwww独裁国家ktkrwww民主主義びっくりwwww
「橋下徹の、『オレが日本を変えてやる』ディナーショー」はもう腹いっぱいだよwwwwww
これに「そのとおりだ!」「正論だ!」っていってるやつはなんなんだよw
「え?痛みって具体的になによ」
「痛みは本当に伴わねばならないのか?」
「ていうか漠然としすぎじゃないのか、結局具体的には何やるんだよ?」
等と本来は皆が冷静になり疑問に思わなければならなかったのに
「確かになんか、改革するっていったら痛みは避けて通れない感じするなぁ」
と感覚レベルでついていった日本国民の地は結局未だ変わっていないw
「確かに、自己責任だよなぁ」「学生は甘えたこといってないで勉強しろ!」
何も議論なんかねぇ。初めから心地よい一般論をただ主張してるだけ。
ニホンジン、ギロン、デキマセーン。
この高校生たちはこう応対すればよかったのに。
「やっぱり16歳はぶつかって、ぶつかって」
『橋下知事、失礼ですが、僕は知事の個人的な人生観を聞いているわけではありません。
具体的な言葉で説明をお願いします』
教育で財政を削る以前に、不必要と思われる道路等の財政の見直しが先ではないでしょうか。
道路やダムなどの大型公共事業の予算はそのままで、教育や医療などの予算は大幅削減する、という内容になっています。
例えば新名神高速道路なんかは、あまり必要性の低い道路であると僕は考えますが、これは1キロ180億円もの金額がかかります。一方、私学への助成金は、28億円です。
勿論、大阪府の財政状況が大変厳しいものであることは、僕たちもニュースを通じて知っています。本当にどこをどう削ってもこれ以上どうしようもない、私学の助成金も削らざるを得ない、そうであれば僕たちも勿論大阪府民として了承せざるを得ないとは思います。
しかしながら、あまり必要とも思えない道路を放置し、一方で国の基本ともいえる教育の、それも道路一キロ分の6分の1ほどの財政を細々と削るというのでは到底納得できるものではありません。
知事はそのあたりについてどうお考えなのでしょうか』
「それは、あなたがそう判断しているだけで、わたしは必要な道路は必要だと思っている」
『はい。私はそう判断しているだけです。しかし知事のご判断も、それはそれで知事がそう判断しているだけですね。
その知事の判断の理由、妥当性について私は問うているのですが。なぜ、必要だと思っているのか、それを問うているのです。道路が必要にせよ不必要にせよ知事が必要だと考える理由、根拠。必要だとしても教育より優先すべきか、という議論。その辺をしたいといっているのですが』
『失礼ですが、この会は意見交換の場だったのではないのでしょうか。僕は僕なりに僕の考えの根拠を示し、知事に提示しました。知事がそれに反論するのなら、それ相応の根拠と説明をもってしてもらわなければそれは「反論」にはなりえません。
最初から「高校生はそう思うのかもしれないが、知事である自分はこう思う、だからそれでいい」のならば、意見交換以前の問題ではないでしょうか。知事はさきほど「議論をする」と言っていた記憶がありますが、知事の言う「議論」とは最初から知事の考えをゴリ押しする、高校生が何かを言ってきても「それはお前の考えだ、自分は違う」と切り捨てることだったのでしょうか、ご返答お願いします』
生徒『それは新自由主義者の考え方ですね。そういった考えが、今日本・米国を初めとして
主流であるのは認めますが、日本憲法にそう示されているわけではありません。
知事個人の思想を、大阪府の政治に持ち込まないよう深くお願いいたします』
「いいものを選べば、いい値段がかかる。条件を比較して、あなたが選んだのでは」
生徒『僕はこれだけの助成金が支払われている私学を、その通り比較して選んだわけです。
その前提を知事が変えようとなさっているので、こうして反対しているわけです』
「最後のところを救うのが今の世の中。生活保護制度がちゃんとある」
生徒『知事、その台詞は生活保護制度が実際にきちんと実行されているのが前提で言える言葉ではないでしょうか?』
「今の世の中は、自己責任がまず原則ですよ。誰も救ってくれない」
生徒『それは、日本国憲法にそう書いてあるのですか?漠然とした感情論、精神論はやめていただきたい。また、知事個人の思想を政治に持ち込まぬようお願いします。また、知事の言う自己責任とは何でしょうか、きちんと定義をした上でお願いしたい。僕は自己責任というのは、そもそもその個人が自由に選択をできる場が保証されているのが前提で起きるものだと考えます。例えばですが、一種類の道しか目の前にない、あらかじめ他の道を実質削除されているのに、その道を進んだ結果起こった事が全部お前の自己責任だとするのは、それは本当は他者の責任であったものも、ある一人へ全て背負わせているだけの、ある種の「甘え」ではないでしょうか?勿論これは一つの例であり、僕たちが全てこうでるとは言いません。僕たちの責任もあります。しかし現状を全て自己責任自己責任と切り捨てるのでは本当の問題が見えてこないのではないでしょうか?自己責任だといって、知事の権力のもと、ただ切り捨てるのは簡単ですが、それは独裁政治とどう違うのでしょうか。知事はどういうつもりで自己責任という言葉をお使いになっているのでしょう、お聞かせ下さい。それを聞いてからでないと、何かと言えば「どれもこれもあれも自己責任」では、初めから議論にも何もなりません』
維持すべき現状ってナニ?
反改革派のその辺の見えなさ加減が気持ち悪いわけ。改革さえ潰せばいいってことならそれはなんか違うでしょうと。