はてなキーワード: 尊厳死とは
コロナや尊厳死や政治やら、毎日問題が出てそれについてワーッと議論しているが、
問題点が洗い出されるわけでもない。
議論する人が納得感を得られるわけでもない。
各々が主張をもっているが自分の言葉で説明できないので、自分の主張にあう理屈を出す人を探し、
それが専門家だったり、それっぽい理屈を展開できる人だったり、強い発言をする人だったりするわけだが、
展開が硬直しだすと、興味が担ぎ上げた人への人格やら問題解決能力やらの、本筋とは異なるところで言い合っている。
多くの人の時間、通信にかかるリソースを費やしているわけだが、なんとかならないのだろうか。
Googleの主張を見ているとWebをよくしているように見えるのだが、本当によくなってるのか?
ABテストで多くの人が使っているから良いはずだと技術者が思っているのが、多くの人にとって必要に迫られて関わらざるを得ないことを選択してないだろうか。
答え1「障碍者の自殺を社会的に認めることは、社会に対する衝撃or圧力or影響力が大きいため賛成しない」
→ ×
個人は社会に対して良い効果を及ぼさねばならない、植松と根本的な思考が同じではないか?
採用すべきでないし、採用しないし、無自覚で言っているやつはダメだと思う。
答え2「自殺というのは多くの場合判断力が無いほど鬱な人が選ぶのだから、自由意志での安楽死選択を認めることはできない」
→ △
これかなと当初考えたが、今回自殺した人が"安楽死・尊厳死を考えていますがどうすればいいですか"的な相談の手紙を出していたらしいので、前提が崩れてしまった。今回のケースに関しては、年単位で自由意志を有し続けていなかったので、安楽死希望は必ずしも本段意志でなかった……と規定するのは無理がありそうだ。
答え3「たとえ難病でも他人の手を頼らないで自殺することができたはずで、安楽死・尊厳死をしてもらおう、楽をしよう考えたのが間違いだ。捕まった医師くずれも同じ意味で楽をしていて、説得するとかそもそも治すとかいう困難な道を安易に避けている」
→ ○(?)
しかしそもそもの困難な問題を単に迂回しているだけのような気がする。
リベラルは選択肢として夫婦別姓を支持しているだろうに尊厳死の選択はどうして否定出来るのだろうか
人間は頭が悪いから正常に判断出来ないから、みたいなのもあるけどそれもリベラル的な判断ではない
元々リベラルは人間の可能性を(割と無邪気に)信じていたと思うのだけど、なぜか最近は保守化しているのか人間に否定的で可能性を信じずに行動を制限するのが好きになっているような、保守を通り越してまるで暗黒啓蒙にまで届きそうな勢い
現在でも胃ろうや人工呼吸器などの延命治療の拒否は可能で、QOLを重視した家族を否定するような感じがあって、ここ数日の尊厳死を頭から否定するような言説が気に入らないというのもあるけど、リベラルに違和感はないのだろうか?
個人レベルと社会レベルで問題を分けて認識できない人が結構いるように思う。
社会的には不遇な人、個人的には近寄りがたい人という両面を抱えたまま考えないといけないのに
「近所にいたら嫌だから追い出す法律つくるべき」という個人レベルの感情だけで社会の仕組みを思考する人がいる。
保育園騒音問題なら社会的には必要な施設であり隣になったらうるさい施設。
尊厳死なら個人的には必要だけど社会的に整備したらやばい制度。
ある問題を社会レベルでどうするべと議論してると、個人レベルの感想持ち込んで場をまぜこぜにしようとする人が必ず現れる。
○ 米国における自殺幇助 (Assisted suicide in the United States - Wikipedia )
https://en.wikipedia.org/wiki/Assisted_suicide_in_the_United_States
「当然のことながら、死の幇助の受容性は文脈によって異なります。2014年のComRes/Careの世論調査では、73%が
“末期の病気で、自分の人生を終わらせることを明確かつ確定した意思を宣言した英国の 知的 精神的 判断能力 がある成人が、
致死量の薬を自己投与して自殺をする支援を受けることができる” という法案の合法化に賛成しています。
しかし、これらの同じ人々の42%はその後、死の幇助に反対するいくつかの経験的な議論が強調されたときに、考えを変えました。
例えば、愛する人に負担にならないように彼らの人生を終えるように人々に圧力をかける 危険性のようなものです。」
○ オレゴン、ワシントン、カリフォルニアの尊厳死の2016年レポート (尊厳死国立センター)
尊厳死法に基づく処方箋 | 尊厳死法による死に基づく死 | 尊厳死法に基づく死亡者の割合 | 全死亡の割合 | |
オレゴン | 204 | 133 | 65% | 0.4% |
ワシントン | 248 | 192 | 77% | 0.3% |
カリフォルニア | 191 | 111 | 58% | 0.1% |
合計 | 643 | 436 | 68% | 0.3% |
賛成派なら教育水準が高い=年収も高い層が尊厳死を選んでいるとするでしょう。
自分は反対派なのでハイパー学歴社会の米国に置いて高卒未満(Less than high-school education)がこんなに含まれているのかよが感想。
つかなんで修士未満か?じゃねぇんだよ、ニュースかドキュメンタリーで実質的に州から死ねと言われているってヤツみたぞ。
白人 | 非白人 | 高卒未満 | |
オレゴン | 96.6% | 3.4% | 5.9% |
ワシントン | 95.7% | 4% | 3.3% |
カリフォルニア | 89.5% | 13.1% | 5.4% |
賛成派なら、治療費の懸念は尊厳死にほとんど関係しない、経済的理由以外で自分自身に選択を下したとするでしょう。
自分は反対派なのでやっぱり経済的理由を気にしている人おるやんけ!!!以外に無い
保険なし | 治療費が気になる | |
オレゴン | 1.4% | 3.1% |
ワシントン | 2% | N/A |
カリフォルニア | 3.6% | N/A |
anond:20200726153114 anond:20200726161457 anond:20200726174558
共通して周りに迷惑をかけているという自覚がある本人たちの地獄
これだけじゃないおそらく私には想像できない地獄を生きている人たちが世の中には沢山いると思うの。
けど、そういう人たちの死にたいという気持ちはどうすればいいの?
残された人の悲しみもわかるつもり、だけど、それでも生きる方が辛い。誰にも相談できない。
そういう人たちはどうすればいいの。永遠に地獄を味わないといけないのかな。
いつか光が見える。それはなんでそう言えるのかな。
そういう人たちに安楽死という選択肢があるだけで楽になるんじゃないかなと思うことがある。
そういう考えはどうなのかな。
当事者っぽいのが出てきても、ひどいコメントしかつかなくてみていて悲しい。
ごめんなさい。うまく言葉にできなくて。
先進国って一つとでも思ってるんだろうか
Flag of Oregon.svg オレゴン州 - 1994年「尊厳死法 (Death with Dignity Act)」成立
Flag of Oregon.svg ワシントン州 – 2009年
Flag of Montana.svg モンタナ州 - 2009年
Flag of Vermont.svg バーモント州 - 2013年
Flag of New Mexico.svg ニューメキシコ州 - 2014年
Flag of California.svg カリフォルニア州 - 2015年[8]
ルクセンブルクの旗 ルクセンブルク - 2008年「安楽死法」可決。
故意に患者の死期を早める目的をもって行う処置。日本では以下の4要件を満たしていなければ患者自身の希望があったとしても違法行為とされる
・死が避けられず死期が迫っている
死ぬと分かっていながら救命・延命に必要な処置をとらないこと。
日本においてもDNAR等、生前に本人や家族の意向を聴取して急変時に挿管や心肺蘇生、補助循環などどのような処置を行うか・行わないかを決めておくことがある。
これは患者や患者家族が説明を聞いたうえで医療を選択する権利でもある。
生命短縮の危険を伴う苦痛緩和の処置を行うこと。モルヒネやドルミカムなどの投与。ただしこれらの処置が本当に生命短縮を伴うかは議論が定まっていない
不治で末期に至った患者が、本人の意思に基づいて、死期を単に引き延ばすためだけの延命措置を断わり、自然の経過のまま受け入れる死のこと(日本尊厳死協会)
尊厳死について決まった定義がないので日本尊厳死協会の言う尊厳死を載せる。
意識がない状態でもリビングウィル(終末期医療における事前指示書)を残しておくことで自分の意思を表明することができる。
消極的安楽死と似ているが、国によっては積極的安楽死を含むことがある
尊厳死=消極的安楽死は日本では罰せられず、厚労省から終末医療の決定プロセスとしてガイドラインも出てるぞ。医師が応じないならそいつがガイドラインに反してるし戦え。
今回のニュースで有名になってるけど、要件満たせば積極的安楽死でも医師は罪に問われない。
それで十分だろ。
安楽死尊厳死を認めてしまうと、あまり死にたくはないが状況的に尊厳死もできる人が、強制的に尊厳死を選ばされてしまう恐れがある。
もっともです。
ただ、だから尊厳死はダメ、ということで止まって欲しくありません。死にたくても自分の力では簡単に死ねない人が「死にたい」と願った時、死ぬ権利はないのでしょうか。
難病が発覚したが、まだ辛うじて自由がきくうちに死んでおくべきなのでしょうか。それこそ、将来死にたい時に死ねないことを防ぐためにできるうちにやっておくと、死を助長することにはならないでしょうか。
生きたいと望む人が生きられる制度や環境は当然整って然るべきです。ただ、全ての人が難病や障害を抱えてまで生きたいと思っている訳では無いことをわかって欲しい。いっその事死んでしまいたいと心の底から思っている人の気持ちは犠牲にされてもいいのでしょうか。
難病をかかえればどうしたって家族や周囲に迷惑をかけます。自分の時間を犠牲にして看病してくれる人を前に、軽々しく死にたいとは言えない。ましてや殺してくれなんて言えない。でももう生きたくない。終わりにしたい。
健康な人には分からないでしょうし、なにより健康な人は周りを見る余裕があります。「尊厳死は分かるけど、死を強要される人がいてはいけないよね」と。でも病気にかかれば見知らぬ他人のことより今苦しい自分を優先したくなります。とにかく辛さから開放されたい。
安楽死なんてない
安楽に他殺してほしいんだろ その手をかしてくれた人に一緒に死刑になって死んでほしいとか甘ったれにもほどがある
制度化を望むなよという話に過ぎない
それにお前が言う底辺とやらに対する嘱託殺人の権利(安楽死や尊厳死とは全く違う概念だということを強調しておく)はこの世界のどこでも認められてないです
植松は人間と非人間の線引きの意識があり、第三者が同意なく(意思表示できなければ)殺して良いとする優生思想だが、
大久保山本は腐っても医師なので「全ての医療行為は患者の同意がいる」としており、終末医療の在り方と医療経済学的な問題意識だと思う。
欧米で合法化されている終末期の安楽死・尊厳死は、"命の選別"とか"優生思想"ではないのだが
マスメディアや政治家がその辺りを混同してるのは意図的なのかバカなのか。
優生学(ゆうせいがく、英: eugenics)は、応用科学に分類される学問の一種で、一般に「生物の遺伝構造を改良する事で人類の進歩を促そうとする科学的社会改良運動」と定義される[2]。
優生学とは,「人類の遺伝的素質を改善することを目的とし,悪質の遺伝的形質を淘汰し,優良なものを保存することを研究する学問」である(『広辞苑 第6版』岩波書店,2008)。