はてなキーワード: 国勢調査とは
ブコメの。
上記
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はてなブックマーク - かつて喪女だった伝説の歌姫、ジャニス・ジョプリンの同窓会
[悪口][陰口][告げ口][お世辞][心にもない言葉]ねたみ・批判にあった時(このあたりが出所でいいのかな。よくわからん)
割と待機児童が多いと批判される市の公務員なんですがね。現場の感覚から指摘させてもらうと、現状でほぼ保育園の数と定員は足りてるが不必要な申し込みが多すぎて足りていない実態があります。
政治が悪い、役所が悪い、と責めるのは構いませんし、たしかにそういう側面も有りますから声を上げるのは良いことですが、利用者の質についても問うべきです。
数年ほど前ですが、国勢調査の基礎統計(昼間人口動態)を元に就学前児童に対する保育所の必要率を28%と算定しました。
つまりどーいうことかといえば、国勢調査の世帯状況から共働きだったり、核家族だったりで明らかに保育が必要な児童数と、一年前の就業状態の統計と出生数をクロスマッチさせて、出産を機に仕事をやめた人数の推計資料など、割りと横断的に公的統計資料を駆使して算出したのです。当然ながら地元大学の統計学の権威にも協力を仰いで算定したのがその数値です。
地域性もあるため必要率は変動するでしょうが、都市部は似たような数字になるはずです。
で、ウチの場合は現在の利用率が32%ぐらいあるので、統計値と比べると4%ほど乖離しています。
この原因については抽出調査で利用者実態調査をして、本来は保育園を利用すべきではない人が利用しているために生じている誤差だろうという結論に至りました。
具体的に言えば保育料は世帯収入によって利用料金が変わるのですが、国勢調査の世代別世帯別収入分布と保育料の利用料認定分布をクロスマッチすると、明らかに歪なアンマッチが表面化しています。
現場の人間の肌感覚を統計資料で裏付けをとったものですが、結局これを正規化する動きは出来ないので審査方法を変えるなどして工夫しましたが、痴呆公務員に出来ることなど限界があります。
政治が悪いのではなく、じつは保育所のお迎え駐車場で小一時間井戸端会議してるキノコヘッドたちが自省すれば、保育所は足りてるんですけどね。
県庁所在地である前橋と鉄道網の中心である高崎が対立しているせいで、どちらも中途半端な都市になっている
県で一番高い建物が群馬県庁ビル 二番目が高崎市役所だが、これも両市の対立の産物と言われている
2015年の国勢調査では前橋も高崎も人口が減少して増加したのは太田だった
前橋駅前は県庁所在地の代表駅として日本一ショボいことで(一部で)有名 山口駅とワーストを争う
空きビルをエキータとしてリニューアルするが1年で撤退する店が続出
現在は近隣高校生の自習場所として活用されているが、出没する不審者に警戒するよう注意されているらしい (エキータの歴史 http://repadars.org/200.html)
オフィス空室率30%超え 5年連続日本一 http://www.reinet.or.jp/?page_id=3131
153メートルの群馬県庁ビルは都庁に次いで都道府県庁ビルとして日本2位の高さである
群馬を代表するターミナル高崎駅を中心として前橋の代わりに群馬を引っ張る街のはずだが、平屋店舗、広い駐車場付きコンビニなど繁華街としてアウトな要素があちこちにある
街の中心部に駐車場付きコンビニがある(ファミリーマート高崎あら町店)
高崎駅から400メートル地点に平屋のガストがある(ガスト高崎駅西口店)
演奏に代金は払いたくないのか(一部のコメントに対して。最初の文章から変わっています)|ソプラノ川上真澄の音楽とバラがいっぱい、時々子育てブログへようこそ!
約めて言えば、会社における社員教育のせいだ。それと「仕事」に対する意識の違いだ。
アメリカの会社は大手であればあるほどいわゆる「即戦力」を取りたがる。何かしらの技能、資格、実績を有している人々をリクルートするのだ。だから、しぜん中途採用が多くなる。つまり、最初から「プロ」として雇われるわけだ。
対して日本の会社はいわゆる新卒一括採用を行う。たいして技能も実績も持たない純真無垢な新人社員をOJTで実地教育していく。このとき、社員たちは様々な分野の部署をたらい回しにされる。どの部署についても一定の知識を得られるように、よくいわれる「ジェネラリスト」教育ってやつ。
しかし、このジェネラリスト教育に罠がある。というか、教育後の人材の使い方に罠がある。
アメリカの会社員はプロフェッショナルなので、基本的に自分の分野外の仕事はできないし、仮にできたとしてもしない。日本ではよくある「君、◯◯もできるって言ってたよね? ちょっと助けてよ」が通用しない。なぜなら、それは契約にないから。もしその人から助けを借りたければ、金を払って雇い直すしかない。
一方で、(まあ企業にもよるけど)日本の社員はそのへんかなりユルユルだ。極端な話、全然自分とは関係ない他部署を特別な技能を発揮して手伝ったところで、お礼なんて感謝の言葉と、よくて飲み代のおごりくらいだろう。「会社は仲間なんだから、家族なんだから、親切(ただばたらき、と読む)にするのがあたりまえじゃん?」という意識だ。持ちつ持たれつってやつ(自分のほうが持つとは言わない)。
それだけじゃない。こうした仕事における「境界のゆるさ」はどんどん拡大されていく。
まず日本人は仕事とそれ以外の時間をあまりわけない。国勢調査かなんかのアンケートに出ているが、日本人の人生の優先順位のトップにくるのは「仕事」だ。その意識がトリクルダウンを起こした結果、「仕事外の時間も仕事の話をしてもいい」という変な慣例ができる。
たとえば、「飲みニケーション」といわれるものがそれだ。日本企業で働く外国人はよく「ニホンジンは飲み会で業務に関する重要な情報交換を行うカラずるいデース」と愚痴る。そう、業務時間外に仕事の話をしあうのは彼らにとって「ずるい」のだ。一時期の喫煙室なんかもそうした役割を担っていた。
そして残業。サービス残業。これについての説明は不要だろう。文字通り、自分の時間を会社のために捧げているのだ。タダで。
こうした仕事と人生、公私の境界線がゆるゆるになっていった結果、さらりまんたちの倫理もメルトダウンしてくる。
彼らはニコニコ動画や youtube にあげられているちょっと面白い専門技術を持った面白い人々の動画を見て、あるいは pixiv のイラストなどを見てこう思う。
「この人たちは『親切で』こういう面白いものを公開してるんだ。良い人たちだなあ」
そこに奴隷を収奪するプランテーションオーナーのような攻撃的意識はない。むしろ、彼らはプロフェッショナルに「好意」を持って「讃えて」いるのだ。
そこには「この人たちは『たまたま』特別な才能や技能を持っていて、そういうものがあるんだから当然『親切』で芸を提供してくれるよな」という考えが底流にある。「尊敬」などはない。あったとしても「技能」ではなく、「態度」や「生き様」などといったその人自身の人間性に対する部分への尊敬だ。
日本の「芸」は大道芸人だから〜「芸」は自分でも習えるから「芸」なのだ〜などというなまっちょろい歴史解釈的説明づけなど及びもつかない残酷さがここにはある。日本人の「プロに金を払わない主義」は間違いなく近代日本社会が、私達が作り上げ是認してきた監獄なのだ。
私たちは根本的な錯誤をしている。プロは「誰にでもできること」を「助け合い」のために使う人間ではない。「誰にでもできるわけじゃないこと」を「報酬」のために行使する人間のことだ。言葉で言えばまるで簡単だし、誰でも表面上は「そりゃそうだ」と思うかもしれない。でも、日常的に誰しもがプロをプロとして扱えるように振る舞えるわけではない。わかっているはずなのに。わかっているはずなのに。わかっているはずなのに。なぜだろう。なぜそうできないんだろう。
社員教育システム、そして仕事に対する倫理観を根底から変えないかぎりこういう悲劇は今後も続くし、「プロ」は永遠に軽視されつづける。そしてこの国において「◯◯しないかぎり」という言葉は暗に「未来永劫実現しない」という意味を含んでいる。つまり、これが日本だ。がんばってはたらいていこうな!
調査票も何も来なかったゾ?
どうやら私(29歳・オス)は人間じゃないようです。
いや、原因は分かっているのですよ。
1. いわゆる脱法ハウスかもしれず、住人は""いない""ことになっている可能性がある。
2. 外国人が多い(訪日期間が3ヶ月以上(見込み含む)ならカウントされるんですけどね)。
ちなみに私は日本人です。
3年以上前に住民票移しているし、国民保険料払っているし、どう考えても損する国民年金保険料さえ払っているんだよ?
後段、国勢調査とは関係ないですね…… あまりの超展開に頭がおかしくなっているのだと思います。
マイナンバーでも同じことが起こるのでしょうか?
もし番号がもらえなかったら、甚だしい不利益被ることになるでしょう。
そういや自分は5年前の今頃、国勢調査のコールセンターにいたなあと思って留まった。
初代iPadで国勢調査のオンライン回答ができなかったんです。
ラジオボタンがただの丸として表示されて、選択できない状態でした。
「初代だしAppleから見捨てられているし入力できなくても仕方ないかなー」
と思って念のため動作環境を確認してみたら、iOS5以上で動作とか書いてあるじゃないですか。
ウチの初代様は最終バージョンの5.1.1じゃー適当なこと抜かすなアホンダラーって、頭に血が昇ったの。
結局どうしようもなかったから、自分のiPad airで入力して完了したわけですが。
最終的に入力できたんならいいじゃん、クレーマーかよと思われるかもしれませんが、
実は私がiPadをairに買い替えた時に初代様を母に譲っていたんです。
もはや時代遅れのスペックながら、母は初代様でネット見たり動画観たり家計簿つけたりと活用していた。
パソコンは全く使えない母だし、初代様も傷だらけで売れもしないし愛着あるから捨てられもせず、
なかなかいい使い方かなーと思っていたわけです。
私の場合同居していたから母からのヘルプに対応できたけど、こういう例はそれなりにあると思うので、
今頃コールセンターにはそういう質問やクレームが来ていることとは思いますが。
Androidだと2.2以上で動作するってあるので、これもきっと動かない上手くいかない!ってクレームが来ると思う。
自分の泥スマやKindleHDでも動作するか試してみればよかったなー。
以上、ありがとうございました。
俺もオッサンなんだけど、過去の自分を見ているみたいなのでアドバイス。
若いってだけでモテて調子乗ってる女は30代になって婚活で苦労する。
男の場合は快適な30代が女の10代にあたる。
仕事も覚えてお金もできて社会経験もあって、いい感じなんだよ。
でも人間は年をとる生き物。食の好みが変わるように、快適な生き方っていうのも変わってくるんだよ。
30代の快感ってのは40代では維持しにくいんだ。50代になったらもっと変わってくる。
「快」っていう感覚は脳内物質で得ている。それは本能に従った行動をしている時にご褒美として放出される。
「子孫を残せ」「時間がないぞ」と。
だから少しずつ今の快適さは維持できなくなってくる。
具体的に言うと40代になっても結婚していない事実は、他人にマイナスとして評価されやすくなる。
社内の出世にも影響するし、人付き合いにも影響する。
子孫を残す=幸せと認識している多くの人間が、あなたをそう評価するのだ。
同年代の結婚した友人は遊べる機会が減っていくし彼らの興味は家族になるから話題も合わなくなるパターンが多い。
親からも孫見せろプレッシャーはかかるし、年上の世代からは人間的に何か問題があるのでは?というレッテルを貼られやすくなる。
どこかに旅行にいっても美味しい物を食べても仕事で成功しても一緒に思い出を共感してくれる家族はいない。
年を取るほど未婚の友人は少なくなり孤独感が増す。
子供が大学卒業前に定年も考えられるし、男性の精子劣化リスクも知っている女性が増えてきた。
だからよほど年収がよくない限りは40代になっての結婚は難しいんだ。
国勢調査によると40台を過ぎると男性も結婚できる可能性は極端に下がる。
http://matome.naver.jp/odai/2139321691696009301
俺たちが60代になるころの40代とかなら許されるかもしれないが、俺たちは無理なんだ。
「大学の新卒者が、主体的に行う求職活動」だと、世論は思うだろ。
実際は違う。
本来は、雇用契約に至るまでのネゴであってさ、雇用主と労働者とが一対一の契約関係になるんだろうけど、
実体的には「企業による、大学の新卒者を対象とした採用活動」なワケだろ。
本当に結構な割合で就職活動を通じて、人間性を否定されたと思って傷つく人間が居る。
気の持ちようで前向きになれると思うから書くんだけどさ、ちょっとまずは俺の仕事を想像してくれよ。
まずは、オマエさんは起業してそこそこ成功した実業家だとしよう。で、人手が足りないから新卒採用をしたい。
なんだかうまいことTVCMの効果もあってか名前だけは売れてたから、どっとエントリーシートや履歴書が来たとしよう。
まあ、ざっくり1000通の応募があった。採用したいのは10人ぐらいだ。
毎月給料払ったり保険料出したりするんだし、20人雇ったら会社が傾きかねない。
で、だ。
いやタダなんだが、オマエさんが雇ってる人事担当者であるオレに月給という形で給料を払ってる。
そうすると、書類審査をするわけだ。いやま、実際酷いのもある。
プリクラが貼ってあったって都市伝説から、写真が剥がれちゃってどれかわかんねえとか(写真の裏に名前を書かない)、
明らかにコピーな上に、別の会社の名前が書いてあって入りたい意気込み述べられちゃってるとか、
コピーなのは良いんだけど斜めってて端っこが欠けてるとか、まあ想像を絶する実話が結構ある。
そういう、「明らかな問題外」をハネる。
すると、まあ、だいたい900通ぐらいは普通の応募していただいた学生さん達が残る。
上司からはグループ面接からでも、できて100人だかんな、と言われてる。
で、こっから先は会社に寄るだろうけど、オマエならどうやって選ぶ?
会社に関係のある研究してる院生が応募してきた?それは残しとこう。Fランで字が汚い、うーんじゃあ申し訳ないけど。
そうやってノリと勢いでざくざく切り落としていく。
会社によるよ。大学名で切ってると(飲み屋では)公言する企業も存在はする。逆に大学名を隠して面接してる所もある。
大手ならネットで試験をしたり、人海戦術で巨大会場でテストやったりね。
集中力を見る「大」を20コ書かせる試験とか、「誰かに常に監視されている気がする YES/NO」みたいなストレス耐性みるテストもある。
この辺はまだギリギリ「人の価値」でフルイワケしていると言える段階だったりはする。
んでだ、なんとかかんとか100人を選んで、5人のグループ面接x20回を通じて、まあ30人くらいに絞るわけだ。
よく考えてくれ。テストでもTOEICでも大学偏差値でも良いんだが、そこまでは定量的な基準で評価が出来る。
開示するわけにゃいかんが、それで「オレは他人に比べて実力が無かったんだ……」と落ち込むのは判る。
そこは、自己分析で自分の商品価値で身の丈を知るのにも意味はあるだろう。
TOEIC頑張るなり、院で学歴ロンダリングでもなんでもしてくれ。
お前の前に座ったオッサンは、通り一遍のレクチャーを受けてるか、下手するとタダの部長だったりする。
そうするとな、そこは定性評価だったり、フィーリングだったりするんだよ。
一緒に働きたいと思うような、価値観が合う相手を選ぶ、とかならまだ納得のしようもあるだろう。
面接の直前に部長の浮気が奥さんにバレて「説明して下さい」というメールを貰った直後だったりすると、
当然ソイツらの評価は悪くなる。人間、自分の状況で評価にぐらつきが出る。
愛人から「早く会いたい」ってメールが来た直後の面接だったから、キミは2次面接に残れたんだよ、とか説明できんだろ。
国勢調査のアンケートとかって、質問の順番もかなり慎重に調整されてるらしい。
なんでかっていうと、人間、前後の状況にかなり左右されるんだよね。
「アイドルとしては無しだなwww」とか2chで書いててもよ、実際に飲み会で出会ったら超可愛く見えるとかな。
だから、書類審査で撥ねたはずのトンデモねえ学生さんがやってきた後に、
可愛らしい女性が面接会場に入ってくると、そりゃオッサン共の点の付け方は甘くなるわな。
我が社を志望した理由を教えて下さいとか、まあ儀礼的に聞くわな。
学生さんだってうちのことはコマとしかみてねえだろうから、本気度を見たいわけだよ。
内定辞退されないと自惚れていない自覚がある人事が居るところほどそうだよ。
で、「本気度」とか別に数値化できるわけじゃないから、「オレ」のフィーリングだよ。
そして、オマエさんの目の前に、1000人から厳選された30人がやってくる。
オマエさんが社長だが、人事からはキツく、どんなに採っても内定辞退予定込みで15人までです、と言われている。
さあ、どう選ぶ?そして、選ばなかったヤツは、なぜ選ばなかった?
(一応書いとくと、不安で不眠になったり暴飲暴食するとか言うときは、心療内科行くと楽になるよ。ヤバイと周りから言われたら病院へ行こう)
良く言われるフレーズに「就活で問われるのは、社会人として最低限必要なマナーである」というのがある。履歴書の文体、形式、字の綺麗さ、面接での挨拶、服装、表情、声の大きさ、抑揚、etcetc....。それらが減点方式に評価されていく。
履歴書に書かれる内容も、「いかに自分が人間らしく、生き生きと過ごしてきたか」についてである。
今の就活で問われているのは「人として最低限のことができてますか?」ということである。つまり、就活に失敗するということは、最低限がクリアできていないことに他ならない。
こんなこと考えて、「落としたヤツは人として最低限が成ってない」とか思って落とした?
そうじゃないだろ。
フィーリングとか、可愛いとかカッコイイとか、襟袖が汚れててなんか不衛生とか、髭が汚えとか、同郷だったとか、
たまたま自分の大学時代の専攻と同じで知識が身についてるヤツを残して、他のヤツの研究が良く判らなかったとか、
その程度のモンだよ。面接の評価者は、別に定性評価者として訓練を受けてるわけじゃない。
就活に失敗したって言うのは、単に「企業側が感覚で選んだ中に残れなかった」ってダケ。
だから、主体的に就職活動をする学生さん側ができることって、ほとんど無い。
単純な話、バブルの頃より大卒が増えて、企業側の採用人数は絞ったり変わらなかったりだよ。どうやっても余りが出る。
コレは単純な算数の話で、誰が悪いわけでもない。
例えば、三菱商事にどんなに入りたくても、あそこ150人ぐらいしか採らないわけだよ。
転職先としても相当な実績がなきゃ無理だろ?
そうやって、「実績無し」状態の自分が、どこに転職する?と考えて動けば、ダメ元で応募してるわけだし、落ちて元々だと思えるだろ。
今なら就活特集で言われる「面接に落ちた時、自分を否定されたように感じた」という言葉が理解できる。売り出す商品も自分、プレゼンするのも自分。就活というコンペに負けた原因は、プレゼンの仕方が悪いだろうと、商品の質がわるいのだろうと、他の商品より魅力がない原因は、どうあがいても自分以外何物でもないのだ。
コンペに負けた原因は、面接担当官が前日に彼女にフられたからだよ。
もしくは、一回精神を病んだ上司に顔が似てたからだよ。うまくいかない同僚と仕草がそっくりだったからかも知れない。
コンビニのポテチだって、手にとって貰うところがスタートだけどよ、
のりしおを選んだオマエが手に取らなかったコンソメが「自分が選ばれなかったのは、自分が悪いからなんだ……」と病んでたら、どう思う?
就活側から見れば、単なる運だよ。対応するには、数こなすしかないよ。自衛隊とかすき屋は嫌なんだろう?
(まあ、一次面接で常に即嫌な顔をされるなら服装と清潔感を見直そう)
ざっくりいって今の日本の「就活」は、企業側の「ピックアップ作業」が主体だよ。正否はそっちで語るべき。
「大志を抱く地方青年は、東京だけを目指す」というのは、実は戦後の価値観でしかない、と思う。
戦前は、「東京を目指す」青年の数倍の数の青年が「満州を目指し」ていた。
戦前の帝都(東京)は確かに地方から見たら魅力的だったが、反面、財閥や華族・藩閥などの「旧勢力の巣窟」の都市だった。
だから、有為な青年は、「旧勢力のしがらみのない、実力本位」な満州を目指した。
戦後の東京一極集中という現象は、「満州を失った副作用」という側面もあると思う。
※「戦前は、人口流出の受け皿は帝都じゃなく満州だった」仮説、これはあくまで仮説なので、国勢調査データで検証してみたいのだが・・
話は飛ぶが、北海道民の県民性に「因習に縛られない、合理的」てのがある。
実は満州移民も、「県民性」は北海道と同じように「因習に縛られずに合理的」だったらしい。
アカデミックな世界や、技術の世界でも、満州は「因習に縛られない、合理的な新世界」だった。
満鉄などでは、内地でも(帝大などのしがらみが理由で)導入できない世界最先端の技術を、次々と導入して生産効率を高めていた
自分は帝国主義には否定的だが、「満州社会の合理性」の部分は、もっとポジティブに評価すべきだと思う。
満州は「内地では出来ないことをトライアルする、一種の特区だった」訳で、
戦後日本に「特区の成果」が導入されて社会改善に繋がった効果は否定出来ない。
現代日本の閉塞感って、満州みたいな「しがらみのない新世界」を持ってないことにも起因する気もする。
戦前の国民が、「満蒙は日本の生命線」という松岡洋右の言葉に激しく共感したのは、
「40歳男性が、子供を持ってる比率」(有子率)というのが、国勢調査や住民基本台帳データで存在しているのかな?と思って調べてみたが、
意外なことに、そういう基本的なデータを、国は持ってないらしい。
女性の場合であれば「経産婦か否か」というデータを取っているが、男性に関してのデータが存在しない。
国以外の機関で、そういうデータがあるのか、と調べて見たが、女性については存在しても、男性については無いようだ。
※「有子率」で検索してもダメだが、「無子率」ないし「生涯無子率」で検索したらそこそこヒットする。
女性の生涯無子率が37%なので、性比を考慮したら男性の生涯無子率は40%程度と推察出来るが、正確じゃない。
そもそも自分がなぜそのようなことを調べようと思い立ったか、と言えば、
「世間的には『いくら未婚化、少子化でも、まあ7割位の大人には子供がいるよね』という『思い込み』があると思うが、
実は40歳男の有子率は50%未満で、有権者全体の平均有子率も50%未満なんじゃないか?」という素朴な仮説。
実は自分の素朴な疑問は、11年3月4日に東浩紀が同じ疑問をツギャッターしてた。
しかも、この単純な疑問、いろんな有識者がツギャッターに参加してたが、「実は個人単位の集計が存在しない」で未解決で終わっている。
「子持ち成人が子無し成人より多数派である、という常識は間違ってるのでは?
政策決定に影響するのでは?」ということ。自分も同意見である。
政府は「子供の絶対数」を重視する為、「平均子供数」統計は重視するが、
「子持ち成人と子無し成人の社会学的な差異」は無視してる為、「子持ち成人数」「子無し成人数」というデータを用意してない
政府は「子供一人の成人と子供二人の成人の差」は「子供ゼロ人の成人と子供一人の成人の差とイコール」と見なしている。
一方、東浩紀は「子無し成人と子持ち成人では質的に決定的な差異がある」
「子供一人成人と子供二人成人の差異なんて、子無し成人に比べたら誤差の範囲」としている。
だから、40歳時点での男性婚姻率が60%未満なら、40歳男性の有子率は50%未満になる計算。
確か男性の3人に1人が生涯未婚と聞いてる。つまり40歳男の婚姻率は67%未満。
だから、40歳男の有子率が50%あるかどうか、微妙だと思う。
あと能面ヅラ美のブログにあったネタだが、「孫無し高齢者が増加することの、社会的影響」を社会学者は本格的に研究した方がいい。
孫無し高齢者は孫有り高齢者より平均寿命で1~2歳は短い、というデータが出てもおかしくない。
将来「孫無し高齢者」率は5割に達する、の予想をみたことがある。
従来の「高齢者は孫がいて当たり前」という常識は通用しなくなり、高齢者の健康・精神状況に悪影響(高齢者犯罪増加の一因にも)。
孫有り高齢者と孫無し高齢者の平均寿命分析などは、個人情報保護法を無視して、研究の為の戸籍謄本取得を認めれば、そんなに難しくない。
医療費のデータ2010年のしか見つからなかったから人口も2010年のデータ使った。
医療費のデータは全国でのデータしか見つからなかったので全国のデータを使った。
1.厚生労働省の年齢階級別一人当たり医療費(http://www.mhlw.go.jp/bunya/iryouhoken/database/zenpan/nenrei.html)
2.統計局の平成22年国勢調査による基準人口(http://www.stat.go.jp/data/jinsui/9.htm)
75歳未満:約20.1万円
75歳以上:約100.7万円
75歳未満:約11,925千人
75歳以上:約1,234千人
75歳未満:約23,391億円
75歳以上:約10,687億円
75歳以上の窓口負担分(2割)を無料にする為には年間約2,137億円必要。
たぶんしばらくは毎年増加傾向と推測。
おそらく、新成人の数は、男性何万人、女性何万人、という報道がなされるだろう。
その際ぜひ注目して欲しいのだが、おそらく男性成人数の方が、女性成人数よりも5~6%は多いはずである。
あまり知られてないが、実は新生児の段階で、男児の出生数は、女児出生数より、5~6%は多い。(日本における数字)
そしてそのまま、成人時点、或は適齢期時点でも、男性数は女性数より5~6%は多い。
この男女の同世代における個体数比を、人口学的には「性比」という。
女性の方が長生きなので、年齢を重ねるにつれ、性比は男性過剰→女性過剰へシフトし、日本全年齢平均では、多少女性過剰である。
人口置換水準出生率が「2.07」とされ、「2.00」じゃない理由は、男性が過剰だから、2.00では男性過剰分が
性比の話だと、中国韓国インドベトナムの極端な男性過剰問題があって、それは相当深刻なテーマなんだが、今回はその話は割愛する。
自分は長らく「適齢期性比はどの社会でも男性過剰である」と信じていたが、先日1970年の国勢調査人口を見て、目を疑った。
その時点の20代後半の性比は、実は女性のほうが過剰だった。
その時点で20代後半というのは、1940~1945生まれ。
おそらく、乳幼児期に大戦等で栄養状態が悪く、或は感染病の影響などで、女児より男児の方が「自然淘汰」された
結果と思われる。
(徴兵される危険性がある男児を間引いた、という説も考えられなくもないが、おそらくそれはないだろう)
しかしよく考えたら、人類の長い歴史の中では、今のような「飽食」「感染症の心配がない」時代の方が、
極めて珍しいのである。
その過程で、多くの乳幼児が生殖適齢期になる前に死亡した。(特に男児が死亡)
となると、長い人類の歴史の中で、生殖適齢期性比が男性過剰な時代はごく一部でしかなく、男女同数、
ないし女性過剰の時代の方がメジャーだった、と言えるのではないか?
逆に言えば、人類という生物種は、乳幼児における男児死亡率の高さを前提として、
予め新生児時点で、5~6%は男児過剰で生まれてくるように「進化」してきたのではないか?
今の「男児新生児が女児より5~6%多く生まれてくる」のは、長い人類の生物種としての進化獲得の名残である。
先日「男児が女児より多数生まれるのは、ヒトの生物種としてのプログラムミス、バグである」という趣旨の本の