はてなキーワード: 何だかとは
二人きりの会話なら、相手も話す相手が他にいないので話に応じてくれるので何とかなる(まあ、それでも無視してくる人はいるが)
でもそういう相手も三人以上になった途端、それまで頑張って話し掛けてた私の存在は完全に無視するようになるんだよなあ…
以前、飲み会で自分と同様ぼっちっぽく孤立している女の子がいたから声を掛けて
しばらくの間は二人で話していたが
エルデンリングにおいてはボスがかなり強く、隻狼やダークソウルのようにプレイヤー自身のスキルを以て倒そうとすると、それなりの修練が必要となる。
しかしみんながみんなアクションが上手いわけではないから、お助け要素として、① 「遺灰」(召喚獣のようなもの)、② NPCの手助けが用意されている。
平凡なスキルしかないプレイヤーは、強いボスに出会ったとき、①②のいずれか、あるいは両方を連れてボスに立ち向かうことになる。
ゲームバランスとしては、平凡なスキルをもったプレイヤーが、ボスごとの適正レベルに上げた上で① 「遺灰」を連れて行った場合に、ぎりぎり苦戦するような難易度に設定されている。
そのためプレイヤーは、強いボスに出会ったときは、自然と②NPCを連れていくという発想に至るようになっている。
しかし、各NPCはただでボス討伐を手伝ってくれるわけではなく、事前に恩を売るなどして筋を通す必要がある。
依頼を受けて敵を暗殺したり、秘宝を取ってきたり、穴に嵌ったNPCに油を塗って尻を蹴飛ばしたりする必要があるわけだ。
こうした「根回し」が奏功してはじめてボスを倒すことができる。
これまでのシリーズでは、ひたすら己の腕を磨いてボスを倒すというスタイルであったから、まるでサラリーマンのように各地を回って頭を下げる(実際には下げてないが)主人公の姿は衝撃的であった。
オープンワールド化のひとつの帰結が「根回し」というのは何だか皮肉だが、「ダークソウル(魂)」という看板を下ろして「エルデンリング(輪)」というタイトルを掲げた理由はこの辺にあるのかもしれない。
まあ、思い出は美化されてるというのもあるかもしれないが。
個人的には子供の頃よりも、社会人になってからの方が平然と無視や陰口を言ってくる相手は多いし
人間関係に苦労すると思った
学生時代は何だかんだ言っても、クラスという閉鎖的な環境で他に行き場がなかったらその中でみんな仲良くしたりするんだよね。教師の介入もあったりするしさ
しかし大人になってからは、相手ももう自立した大人で自己責任だという方便の下、付き合ってもメリットの無い相手には一切話しかけないし相手から話しかけられても無視する人ばかり。
普通の神経してたら言わないだろうというような侮辱や悪口も当たり前のように言ってくる。
仕事上の必然性があっても平然と一人を無視して必要な情報を渡さないなんて事は日常茶飯事。上司もいじめられている方を無能と看做すから放置し
だから学校で孤立している子供達には言いたい。自殺するなら今のうちだぞって。
大人になったら周囲がまともになるなんて事はないし、今の辛い状態がそのまま何十年も続くだけだから。
社会は子供の自殺には過剰反応してめちゃくちゃ同情してくれるが、大人の自殺に対しては冷淡だ。
ほんと少しでも若いうちに死んでおいた方がいいよ
10年以上やってるけど、社内エンジニア同士角が立ちやすいんだよな…
むしろ、ディレクターとかデザイナーとかの方が話しの方がやりやすい
(まあ、同じ職種だからどうしても角が立つのかもしれないけど)
クオリティについて自分の方が沸点が低いというか、技術に対して沸点が低いと言うか…
「チームとして良い物作ろう!」みたいな雰囲気の時に、「手を動かすのはこっちなのに、何熱くなってるの?」「考えが甘すぎる」みたいな雰囲気を居ないところで出すのに
エンジニア同士になると「もっといい物作ろうよ!」って叱咤されても「何だかな…」って言う気持ちになるっていうのが根幹にあるのかもしれない
Twitterに吐き散らかす独り言にしては長すぎたので、ここに置いていこうと思う
私は20代後半の女で、生まれた時からオタクになるべしというような環境で育ってきた女だった。
父は鉄道模型や電車が好きで、大型の鉄道模型を作ってはその資金源について母に咎められ、最終的にはそれが家庭内別居、ひいては母との離婚の一因になったような男だった。ついでに言うとアニメ好きである。
母は私の幼少期の時にはそういった片鱗を見せなかったが、若い頃はアニメーターを目指し始動したばかりのアニメージュ編集部に突撃し、アニメのラフを強奪してきたらしいと言うとんでもない経歴を持つ女だった。今の時代ではありえないが、若くそれなりに可愛い女が田舎からアニメージュ編集部を訪問してきたことが、当時の編集部にとっては驚きだったらしい。実際後から強請って絵を描いてもらったこともあったが、キャンディキャンディのイラストで、かなり絵がうまかった。
歳の離れた兄もいて、これまた非常にオタク気質だった。刀剣や寺院に詳しく歴史学の教授のような男子で、小さい時は父の影響か色んな電車のモデルを暗記していてすらすらと言えた。
父は元々家族に興味が無かったものの、自分の趣味について聞かれるとぺらぺらとよく喋る男だったため、父と話そうとするともっぱらレトロアニメとパソコンと模型の話だった。母は情緒不安的になりがちな兄によくかまっており、私は放置された妹であったため、私は可愛がってくれ面倒を見てくれる兄に必然的にべったりになった。
つまり、私の趣味はそのまま兄のコピーの趣味だった。年齢差ゆえに難しい歴史の趣味はついていけなかったが、ゲームは一緒にいろいろした。マリオとカービィ、ソニック、ポケモン。可愛いものも好きではあったのでハム太郎やサンリオも好きだったが、それでもピカチュウとリザードンのぬいぐるみを抱えて寝ていた。
そのうち兄は父の影響もありレトロアニメにはまりだした。地元のテレビで再放送されているアニメや、アニメチャンネルの影響もあり、その時に見たファーストの機動戦士ガンダムは衝撃的で、あまりにも面白かった。兄を引っ張り父を引っ張り母を引っ張り、ガンダムのグッズをいろんな形で買ってもらったり、付き合ってもらった。
初めて父にねだって埃まみれの古い模型屋で買ったのは、積んであった初代ガンダムの144/1スケールのプラモデルだった。模型屋のしわしわのお婆ちゃんにこれください、と言うのは、すごく緊張した。
幼かったので組み立てるのには苦労したが、兄に手伝ってもらって完成させた時の喜びは忘れられない。そのあとゲルググを作ったり、安価でより簡単な、小さいプラモデルをそれ以降は購入した。好きなモビルスーツはファンネルがかっこいいキュベレイで、好きなキャラクターはそのパイロットのハマーン様。誕生日にはとっておきのおねだりとして、母にハロを買ってもらった。アムロよろしくハロは連れ回した。兄にはずっとガンダムのゲームで一緒に遊んでもらった。
そのあとは順調にZ、ZZと試聴し、あまりの楽しさに私はレトロアニメ好きを小学校でも隠さなくなった。当然私は浮いた。お前ガンダムなんか好きなんかよ、だっせえ、と男子にすらからわかれた。女子友達の花とゆめとかなかよし読もうよ‥という誘いにも拒否はせず一緒に見ていたものの、すれ違いの素敵な恋愛模様より、どこか孤独なシャアやアムロの方が、幼いながらにわかっていなかったものの個人的にずっと共感できて、何だか辛かった。少女漫画の素敵な男の子より、等身大の無茶苦茶なアムロの方が好きだった。当時から少女漫画が嫌いなわけではなくむしろ今となっては好きなのだが、私の初恋はウルトラマンというくらいセンスがまわりとズレてしまっていた。
次第に友達は同じく兄の影響でジャンプを読んでいるというたった1人の女の子だけになってしまった。彼女にはレトロアニメの良さは共感してもらえなかったが、男の子っぽいものが好きでさっぱりとした彼女とは非常に相性が良く、ずっと親しくしていた。
私はその後もレトロアニメを見ることはやめず、兄と一緒に鉄人28号、宇宙戦艦ヤマト、999、などいろんなレトロアニメを見た。それでもまだ一番はガンダムだった。
またその繋がりでスパロボが好きと言うクラスの男の子と共感し仲良くなったが、クラスメイトにお前らできてんだろ、とからかわれて疎遠になった。その後少し大人になり、男の子の友達も増え、女は私1人という環境下で逆襲のシャアの鑑賞会をした。楽しかったが、男の子たちにはずっと腫れ物に触れるかのような扱いをされ続けた。
次第に私は、やはり女という性別で、このままではいけないのではないかと、ガンダムを見るのをやめた。ちょうど当時放送していたガンダムのシリーズが宇宙世紀でなくなる区切りだったせいもあったと思うが、私はガンダムのプラモデルを買いに行くことを、金輪際やめようと思った。
兄は友達と好きなことを一緒にできているのに、私だけ相手が兄しかいないのが、どこか羨ましくてしんどかった。クラスメイトにからかわかれるのも、もういい加減うんざりだった。仲良くなった男の子とガンダムの話をしていると、付き合ってるんじゃねーのと軽率に言われるのも、もう嫌だった。
だから同じ趣味の男の子たちにも、腫れ物にされていたのだと思う。
私はずっと中途半端だったから。男の子にもなりきれず、女の子にもなれなかった。私は所詮、男の子の好きなものが好きな女の子だったのだ。
そのあと成長した後も男の子趣味でゲームをやったり競馬を見ていたりもしていたが、腐女子の流行がきてジャンプを読む女の子が増え、少し共感できる友達が増えた。バンドやメイクにも興味を持って、世界が少しずつ中身も趣味も女の子寄りになり、今までとは違う友達もできた。
でもやっぱり、悔しかった。小学生の時の私が好きと言っていたものを、周りに理解されず馬鹿にされた経験は、しこりとして残り続けていた。
そうだったんだと気づいたのは、ジョジョの人気が沸騰してからだった。ジョジョはここ10年以上にわたりアニメ化を続け、今やっている6部は徐倫が主人公で、アニメ化してからと言うもの女子のファンがわっと周りでも増えた。5部からは明らかに女子をターゲットとした商品も増え、コラボコスメが増えた。もちろん買い占めるくらい買っている。
私の小中学生時代、一番好きなジャンプ漫画はジョジョだった。ジョジョ立ちは兄の友達が可愛がって付き合ってくれたが、周りには理解されない趣味だった。あんなに周りには、楽しいのに…お兄ちゃん許してたから貸すようちの漫画‥と言っていたのに、誰も読んでくれなかった。唯一のジャンプを読む女の子の友達でさえ、ジョジョは好きじゃなかった。共感してくれたのはテレビ越しのしょこたんだけだった。
ようやくこの時代が来たんだほら見たことか!と叫んでやりたかった。
そして今、水星の魔女でやっと、やっと小学生の頃のしこりが、消えたような気がする。
ヨドバシへエアリアルのプラモデルを、十数年ぶりに買いに出かけた時、何だかすごく、すごく泣けた。買いに行くおゆるしを、やっと自分に出せた気がした。
ガンダムSEEDについては、周りの腐女子友達が関係性が好きだと言っていたことがあったのだが、それでも私はずっとずっと、ガンダムの世界観丸ごと、モビルスーツのデザインもよくて、キャラクターもよくて、そういったガンダムの世界まるごとを好きだと言っても「変だよ、女の子なのに」と言わない世界が欲しかったんだと思う。
私はもういい歳で、でも周りの女性も、おそらく子供世代も巻き込んで、水星の魔女は話題によく上がっている。キャラクターのカップリングだけでなく、世界観の考察含め、ガンダムの過去作も見たいと言う人がいる。
多分今エアリアルが好きと言っても、欲しいと言っても、女の子が言っても、馬鹿にされないだろう。だってパイロットはかわいいたぬき顔の女の子なんだから。ファラクトミカエリスなんかもシャープでめちゃくちゃかっこいいモビルスーツだし、ディランザも真っ先に足元を見た時にドムを思い出すようなかっこよさがある。全部欲しいしみんな好きだと思う。小学生の時でも全部欲しいと思ったと思う。特にファラクトはガンビッドかっこよすぎて絶対ほしい。
改めて、思い切った決断で初めて女性主人公のガンダムの新作を作ってくれたこと、すごく感謝したい。こんなたった1人かもしれないけど、過去の思い出ごと、丸ごと救われてしまったひとがここにいることを、製作陣に感謝したい。
母も毎週ファーストガンダムの放映を楽しみに、学校から帰るのが楽しかったと言う。母はガンダムを好きになった私に喜んでハロを買い与えたが、母も恐らくガンダムが好き、アニメが好きと言う友達には時代もあって全く恵まれなかったと思う。
そんな母の子である私もガンダム好きな友達には恵まれなかったが、今の小学生は、性差なくきっとガンダムの話ができているだろうと思うと、こんなに嬉しいことはない。もう亡くなってしまった母もきっと喜んでいることと思う。
水星の魔女、毎週すごく楽しくて、楽しみです。作ってくれてありがとう。見られなかったガンダムシリーズもこれから見て、ガンダムが好きだとこれからは自信を持って言いたいと思います。
いつもライブ配信に通う音楽系のYoutuberがいるんだけど、毎回万単位の投げ銭をする参加者がいる。
てっきり富裕層の恵まれた方なのかと羨ましく見ていたんだけど、実はそうではなかったらしい。
「そろそろ貯金も底をつきます」的なコメントをしていてびっくりしてしまった。
今後大丈夫なのかなと他人事ながら不安で薄寒くなってしまった。
直接的には言わないけど「いやいやいや、ねえ、こうして配信できるのも○○さんのお陰なわけなんですよ」的な。
えっ、それでいいの?
振り返ってみると、その参加者はこれまでもちょくちょくアラートを出してきた。
そのたびに配信者は意味を取り違えたような返答をしていたけど、あれは故意にはぐらかしていただけなんだな。
なんだかその参加者がまた大金を投げ銭するのをみるのが恐ろしくなって視聴するのは止めることにした。
配信者だけじゃなくそこでつながれた他の参加者とのわちゃわちゃも楽しかったんだけど、あの人達はこのことをどう思っているんだろう。
自分で金銭管理できないちょっと頭のおかしい奴のことは放っておいて、そいつから巻き上げた金で楽しく過ごせばいいんだろうか。
みんなならどうする?
誰か教えて欲しい。
数年前(いや、もう十年前か?)、俺が彼女とデートしてたとき。
映画だか何だかのポスターの中で、生まれて間もないだろう仔犬は、お腹を踏みつけられてグッタリしていた。
俺「ブププッw」
俺「 踏まれて死んでらあw」
そして進行方向とは逆方向に歩き出した。デートは、始まって二時間も経たないうちに終了した。
もっとショックだったのは、彼女に振られた体験談を打ち明けたときの反応だ。
ひょっとすると増田諸氏・ブクマカー諸君にも目にした人がいるかもしれない。
サイコパス/別れて当然/ホラー/彼女さんが正解/反省したほうがいいよ?/どうして子犬のきもちになれないの?/可哀想だと思わないの??
「いや、だって、フィクションじゃん。仔犬は存在しないじゃん。」
返ってきた返事は、しかし冷酷だったよ。
そんなような言い方で、バッサリと、断罪された。
——…時は流れて、つい最近のこと。
娘にねだられて読み聞かせをした後、質問コーナーの時間が始まった。
娘「浦島太郎がかわいそう」
娘「だって、なんにも悪いことしてないのに」
「サイコパスが。浦島太郎は存在しない」——そんな真っ黒い考えが一瞬、頭に浮かんだが、もちろん言葉にはしなかった。
俺は、間違っている。間違っていた。架空の登場人物によるフィクションの話がここにある。しかし現実の人間の情動は、強く反応する。共感能力が人間にはあるから。共感能力は認知のバグでも何でもない。感情移入したり共感する動物だからこそ人間はフィクションの文化を発展させてきたんだ。
実際に自分の娘が高校の麻雀部に入って、なぜか知らんがバニーガール姿で広告塔にさせられたら嫌だよなあ。お前ら、無抵抗なアニメキャラなら問題ないのかよ。最低だな。
仁藤さんは流石にもうそろそろ勘弁してくれって言いたいと思うんだよね。
Colaboにまでケチ付いちゃってるけど、何だかんだでColaboを維持しなきゃいけないわけで焦って対応したらボロがさらに出ちゃって火に油注ぐみたいな感じになっちゃってるもん。
ぶっちゃけさ、今ごろ仁藤さんは温泉むすめの件について失敗を認めてるよ。やりすぎたと反省してるんじゃない?
ノリなのか、勢いなのか、生来持ってた癖なのか、誰かに乗せられたのか知らんけど、偶然目に入った温泉むすめに攻撃した形になっちゃってさ、その当初は良かったけど、まさか狂人がミラーリングしてくるなんて思わないじゃん。
2000年以降オタク趣味が一般化した世代が増えてることに気付いてなかったんだろうけど、いや何なら2000年以降のオタク趣味が一般化した世代が既に子供でなく知識と経験を積み始めた大人であることへ気付いてなかったんだろうなって感じるよ。
フェミニストを自称しているわけでないけどさ「女性の権利は大事です」って言われたら「そりゃそうだ」って2000年以降のオタク趣味が一般化した世代の大人たちは返してくるよ。子供じゃないんだから。
仁藤さんは大人へ対して手法はどうであれ圧力を掛けたんだから大人はその知識と経験を持って圧力へ対抗してくる可能性は十分にあるんだよ。相手はアニメや漫画を楽しんでキャッキャ言ってるだけの娯楽に飢えた子供じゃないんだよ。大人なんだよ。
仁藤さんを支持していても支持していなくても大人の皆さんへ純粋な気持ちで1つ質問しようか?たぶん殆どの大人は純粋な気持ちで「そりゃそうだ」って返すと思うよ。
「表現の自由って大事だよね?」
女性の権利も表現の自由も大事なんだよ、そして分別つく大人ならば誰しもが「そりゃそうだ」って純粋に返してくるんだよ。
フェミニストの皆さんだけが分別のつく大人じゃないんだよ。
仁藤さんは大人だよ間違いない。
事業として女性支援やってるし、揶揄したいわけではないけれど民事訴訟って方法を選ぶことが出来る立派な大人だよ。
大人ならばわかるだろう、相手も大人なんだ、クリエイター支援をしたりクリエイター自身だったりするし、そして状況に合わせて民事訴訟って方法を選ぶこともできる立派な大人なんだよ。
正直、仁藤さんと暇空の喧嘩を見ていてさ言いたいのは「2人とも互いに謝れよ」なんだわ。
大人だろ?やっちまったことは消せないけど互いに誤って矛先おさめろよ。
お前らの喧嘩、女性支援にもクリエイター支援にも何も役立たないんだわ。
このエントリ、何も整理せず頭に浮かんだこと書きなぐったエントリだけどさ「2人とも互いに謝れよ」って意見に「そりゃそうだ」って言ってくれる人が多く居ることを願ってるわ。
あぁ・・・そうなのか。ブコメで皆さんの意見を読んだ。
仁藤さん、そして暇空。お前らこの争い最後まで本当に辞められないぞ。
支持者もアンチも野次馬もあなた達の闘争を望んでて、失っても良いと割り切っている暇空に対して失うものが多い仁藤さんは勝っても負けても何か非常に大事なものを失うことになる。
ワンチャンそうだそうだ辞めようぜってなることを期待していたわけだが、闘争を続けることを望まれるなら、どう考えても今後Colaboの活動には支障が出る。今後支援してもらえるはずだった女性が最低1人は減る。
闘争を続けろと言っている支援者もそれを望んでると言って良い。ある意味で大義名分を得たな。自分で辞められない戦いの大義名分だ。
女性支援しようって人が何でこんな風になってしまったんだろうなぁ。
それに賛同する人たちが何でこんな風になってしまったんだろう。
自分が女だということを自分で否定しなくていいんだ! と、ある日の仕事中に思いついて、雷に撃たれたかのような衝撃を受けた。まあ、心の中でだけ……。その時私は90代くらいの女性を接客中だったのだが、無意識に子供時代のようにくねくねナヨナヨした女々しい喋り方で話していたのだ。もちろんちゃんと敬語だったけど。こういう、男だったらオネェと呼ばれ、若い女だったら「あざとい」や「ぶりっ子」と呼ばれ蔑まれて攻撃されるような喋り方で、おばさんが喋るのは何ら問題ない……問題はないのだ……!
幼稚園時代までは、誰に教わったわけでもないのに非常に女々しい言葉遣いで喋る子だった。それは、「〜だわ」「〜よ」とかいうやつじゃなくて、ほんと例えるならオネェキャラの人みたいな、何を喋ってもクネクネしてる感じのあの喋り方だった。
だが、小学校の中学年以降になると、同世代は男子も女子も黄金時代のジャンプに影響されまくって育った世代だったので、みんな極めて口が悪かった。いとも容易く「死ね」「殺すぞ」と言い放つような。しかもバリバリに活躍する女性が形だけでも持て囃されたからだろうか、逆にぶりっ子というのは死ぬほど嫌われたものだ。同性からも、異性からも。そんな時代だったので、自分の身につけた喋り方で通すのは、肩身が狭すぎて無理だった。しかし、女子ですら一人称にわざと「おれ」を使うような中で、一緒になってオラオラした喋り方でイキリ散らすのは、自分には合っていないのに何だか強くなったような気がしてちょっと快感だったのも本当だ。
それから十年くらいして社会に出た。五歳くらい年上の女性上司は一人称に彼女自身の名字を使っていた。それが当時の意識高い系の人達の間での流行りだったのだ。それに加えて、語尾は「〜ッス」とか。オッス、ウッスと野球部か柔道部の男子みたいな話し方を若手の女子社員もする。そんな様子にもしかしたら上の世代の上司や先輩たちは眉を顰めていたかもしれないが、だからといって女子達は負けなかったというか、そもそも怖いものなしだった。
まだ入社して間もないある時、会社の食堂で休んでいたら他部署に配属された同期の女子社員の大声がホールに響いた。
「ふっざけんじゃねーよ、テメェ!」
怒りの一言ではない。あくまでもじゃれ合い、猫パンチのようなものだとわかる声色だった。その同期は同じ部署の同期男子二人と会話中だったのだ。それには、歴の長いパートのおじさんとおばさん達がヒソヒソした。だが、その時の私は、年配の人が差別的なのは仕方ないと思った。思いつつ、内心、すごくフェミニンな服装を好む同期が言葉遣いでは今どき男子でもしないような粗暴さなのが気になっていた。でも、私だって同じような言葉遣いをしていた。就職難の時代に運良く職にありつけたのはいいものの、職場は食うか食われるかの修羅場だった。そんな環境で生き残る為に男よりも男らしく粗暴にワイルドに振る舞ってうざいオッサンお兄さん上司や先輩達と戦いながら働くのは当然の権利とまで思っていた。
……けど、そうやって肩肘張って生きる事にいつの間にか疲れていた。子供時代のようにクネクネナヨナヨした女々しいだけの自分に戻りたい。いつの間にか、そんな風に思っていたのかもしれない。
おばさんとなった今の私には誰も強さを求めていない。誰も私を強いとも偉いとも賢いとも思っていない。おばさんっていうのは、非力で愚昧でどうしようもない、ウルセェだけの取るに足らないヤツだと素で思われてる。そんな私が女々しい言葉遣いをしようが誰も何も思っていない。なんなら、接客する時は人当たりが良いのがプラスになるというか、しょーもないヤツなんだからせめて人当たりくらい良くあれみたいな感じで、昔理想としたのとはかけ離れたしかただけど、なんか肯定されてる気がする。
まず土台として音程を取れる、喉を開いて歌える、適切に大小をつけられる等の「汎用基礎力」みたいなのがあって、
その上にビブラートかける、しゃくりを入れる、ファルセット使うなどの「応用テクニック」が乗るイメージ。
汎用基礎力だけで歌うと、正確なんだけど中学校の合唱コンクールみたいで味気なくなるし、
応用テクニックだけで歌うと、色は付くんだけど素人がやる河村隆一のモノマネみたいにキショくなる。
そして、応用テクニックも曲のジャンルに合ったものをセレクトして使わないと「何か違う」ってなるので難しい。
迫力が必要なロックでミュージカルみたいにビブラートかけて朗々と歌ってしまったり、
逆に演歌みたいな繊細に歌う曲で粉雪みたいに絶唱してしまったり。
でも何だかんだ一番大事なのは、自分の声質に合ったレパートリーを見つけてくる力だと思う。
声質は訓練で変えられないから。
昔からの友達が、ネットワークビジネスというか、怪しい団体(みんなで幸せになろう!みたいな)にハマってしまってからすっかり人が変わってしまった。
それまでは寡黙で真面目な友達だったが、急にウェイ系に大変身し、チャラチャラした格好と言動で夢を語り始めた。
夜遅くまで仲間とつるんでいるため、仕事も遅刻が増えているらしい(具体的に何をしてるのかはわからない)
仲間以外はゴミと言わんばかりの扱いで、俺が用事があって連絡しても返事が来ないことが増えた。
それまでは友人や知人に対しての礼儀はきっちりしていたので驚いた。
何だか変わっちゃったなーと思いつつも、人間性って付き合う人によって驚くほど変わるんだって実感した。
きっと、友達が元の真面目な男に戻ることはないんだと思う。
じゃあ、付き合って良い方向に変わる(変われる)友達ってどうやったら見つかるんだろう?
Facebookで見つける?
今後悪い人に知り合って影響を受けてしまい、良い人との縁が切れるのはできるだけ避けたい。
かと言ってこれから生きていくに当たって誰とも知り合わないはまず不可能。
どうしたらお互いに良い影響を与えられる友人知人にに出会えるのか。
たまにそんなことを考える。
高校の同級生に小説家志望がいたので、そういえば彼はどうなったのかと数年ぶりに名前を検索した。高校時代に何かの文学賞で賞を貰う程度には文才のある人間だったから、上手く行けばそろそろデビューしていてもおかしくないだろうなどと考えていた。もしこれで彼の名が書影やネット記事と共に華々しく紹介されていたら、ドヤ顔で周囲に自慢していたと思う。
グーグルの検索トップに出たのは、彼の本名が題された日記、というかnoteだった。
誰に向けて書いているのか、正直言って相当自分に酔った文章だった。本人の人となりを知っている身からすると笑える文だったけれど、つまらない日常を御大層に語っているだけなので、事情を知らなければただの自分語り乙で終わる。典型的なワナビだった。そんなものに数十ブクマがついていて、更には有料プランまで開設されている。つくづくネットサロンとは阿漕な商売と思った。立派な目標や感傷ばかりで結果が残せていなくても、ファンを囲い込めたら一定の反応は見込める。互助会かもしれないけど。
小説はあまり芳しい結果が残せていないようだった。自叙伝的な作品をフィクションという建前で公開していたので、読んでみた。事実に基づく部分の描写だけが妙に詳細なので、何だか笑ってしまった。
小説家になりたいとは言っていたけど、もはや小説を書くことを楽しんでいるのではなく、小説を通じて売名することが目的になっている印象を受けた。実際、即売会に出て小説を売っていたようだけど、派手なスペースで目立てば爆売れするという世界ではない。弱小サークルならそもそも手に取ってもらえないのに、彼の販売に対する意気込みはどうもズレているように感じた。自分は二次創作畑の人間なので、一次創作界隈だとまた事情は異なるのかもしれないが。
御託を並べる暇があったら短編でもいいから新作を書けばいいのに。
彼が日記に色々と書いていたおかげでどうでもいい情報ばかり知った。
てっきり慶應に入学したと思っていたのだが、知名度も微妙な謎大学に進学していたのは意外だった。悔しさを再三小説に滲ませるぐらいなら仮面浪人でもすればよかったんじゃ?
自分なりに「論」を構築したうえで、相手の論理を理解して適切に批判する、というのは何だかんだでトレーニングが必要なので、訓練がないとできない人もいる。年齢よりも訓練次第か。
あと個人的には論理的な批判すら嫌う(なぜ批判するのか、好きでないなら受け流せ = not for me)の風潮があるのでは、と疑問。
結局タイムラインを管理するように、同質の情報だけに触れたいというある種の弱さ(もしくは生活に押されて余計な思考にパワーを割けないという余裕のなさ)がトレンドなのか。
セブンファイブオーライダーの熟練度星5つ行けるか目指して目前待ったなし!なんだけど、
どう見ても今月中のシーズン1のうちには達成厳しいわね。
って私がこまめに研究している熟練度達成目標スプレッドシート折れ線棒グラフレーダーチャート指数表グラフがそう言っているのよ。
まあぼちぼちやるわ。
でもさ、
これもしかして
セブンファイブオーライダー改とかって新しいブキ出てきたら最初っから?って思ったけど、
どちらにしろ
新ブキでても私はとりあえず達成さす目的があるのでまずはそこよね。
とうか、
ロブの旅シーズン2はちゃんとシーズン2に新しい旅がジャーニーするのかしら?
センチメンタルだわ!ってなんでやー!ってツッコまれそうだけど
密かにロブの旅も楽しみにしているんだけど、
もしシーズン2始まったとしても
瞬殺で全部コンプリートできそうな季節だと思うわ。
カタログもあれ景品椀飯振る舞いじゃない?
ほとんどそこでもらえるギアが使わないまま増えていくばかりで、
あれ要らないギアは何かに交換か売却かどうにかして欲しいギアのページが何ページにも渡ってめくるのが面倒って話もあるわね。
ちょっと話し変わるけど、
ポケモンの新しいヤツ出たじゃない?
あれって私が今までポケモンの道を通ったことが無いからとりあえず流行のものだしやってみよう!って
ポケットモンスターアルセウスやってみたた話しはここでは有名なんだけど、
これ私が思っているポケモンと違うくね?ってあんまりポケモンポケモンしていないというか、
なにがザ・ポケモンなのかよく分かっていない私でも
なんかこれ違うポケモンなのかも?って思ってあまりにもポケモンの印象がアルセウス一色になってしまうところよ。
チラッと見た新しいポケットモンスターはサンドイッチが作れると言うことで、
ああ!私の嫌いな調合系のアイテムの素材を集めてきて自分で作るヤツのタイプだ!って
この調合って私苦手なのよね。
それに重きを置いていないので、
どんどん戦って先に進んでいきたいタイプなのよね。
でも美味しいサンドイッチが作れるなら、
私は私に問いかけるべく
ソフト交換チケットがあと1枚余ってるのでここぞとばかりに交換できないこともないんだけど、
あんまりポケモンってってファーストインプレッションの印象があまりにもアルセウスだったので、
うーん、
これまたポケットモンスターで失敗したくないわ!って一抹の不安が与一の矢のように私の胸に刺さって気になるのよ。
でも私は今忙しいから!
スプラトゥーン3やんだもん!ってスゴい意気込みでってところは分かって欲しいわ。
いまやってるテレビシーエムがキル取れなくても塗りで頑張っている私みたいな女の子が登場しているんだけど、
かつてのかつてまくった
私のスプラトゥーン2の時は
ただひたすら塗る!って事に命を賭けていたところがあって、
だから私のスプラトゥーン2歴の1番使っていたブキはカーボンローラーなのよね。
軽くて速く塗れるところがいいのよ!
だから私は最初は塗りまくっていてチームにあのようにシーエムで貢献していた懐かしい日々を大黒摩季さんの歌のようにラララって思い出すニオイがしそうな夏だったわ。
でもなんか勝てなくなって何だかなあ?って阿藤快さんばりに思っていたシーズンで
これキル取れないと勝てなくない?って多分気付いたんだと思って、
ジェットスターからセブンファイブオーライダーにってブキ遍歴なのよ。
一言でここまでまとめると、
あんたもナナって名前なんだね!の一言で集約されてしまいそうな私の名前はナナではないけど、
そのぐらい木の実ばりにそう思ったワケよ。
多分私が思っていたポケモンはきっとそう言うことで縁が無かったと思うんだな。
アルセウスだった私の頃をクリアして全クリ出来たらなぁって思うの。
ほったらかしにしていたドラゴンクエストVと同じぐらいあんまりやる気が無くて大変申し訳ないんだけど、
たまに起動するDSのマリオカートには未だにオンライン対戦者がインターネッツの世界の中に閉じ込められている襟裳岬よりかは何かがある!って何年前のマリオカートなんだよ!って
大貫妙子さんの例のメトロポリタン美術館の絵画の絵の中に閉じ込められた人のようで、
私が対戦して勝ってその人たちを救い出して解放してあげる!って使命感に駆られるこの話も何回もしてるんだけど、
古いゲームに人がたくさんいるってなんか恐怖を感じるそのホラー感があって、
クリアしないでほおって置いて放置しておくのが一番申し訳ないのかもしれないし、
うふふ。
なんだか、
寒いのか寒くないのか、
油を断つと風邪を引くからストーブは油を切らさないよう消さないに限るわね。
グレープフルーツ炭酸レモンウォーラーに冷え冷え冷たい感じが目が覚めるわ。
温かいものが冬中心になる温活にも完全にそろそろシフトかしら?
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!