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はてなキーワード: 一般大衆とは

2022-10-14

anond:20221014194450

立場を守るためにわざわざサビ残してる無能一般大衆気持ちを汲んでやればよかったのに

2022-10-04

“やれることからやる”って姿勢大事だと思うけどね。

でも、それって言い換えれば“中途半端”ってことでもあるわけで。

しかも、その“中途半端のしわ寄せがくるんだったら文句の一つも言いたくなるわな。

いつも着ているシャツ毎日アイロンはかけたくないからね。

まあ、つまりストローはクソってことよ。

逆に言えば、しわ寄せさせこなければ中途半端でも勝手にどうぞって、大半の人は思ってるはず。

最近IKEAプラントボール食ったんだが、へえーこれで肉使ってないのかってレベルで感心したよ。

ミートボール提供してるんだが、それより安く売られているのがポイント高い。

さすが環境先進国スウェーデン発の店なだけあるね。

一般大衆心理を良くわかってるというか。

コスト的に考えたら、プラントボールの方が高くてもおかしくない。

ミートボールの味に近づけるために、色んな食材調味料で加工しまくってるんだから

でも、そこで値段を高くしてしまったら、意識高い奴だけしか食わないってことを分かってる。

大半の人間は、“持続可能性”とか考えながら生活してないからね。

意識高い人間だけしか参加しない「持続可能社会」は、社会として破綻してる。

まあ、つまりストローはクソってことよ。

あとアパレル業界サステナブルの波がきて久しいけど、今でも歓迎してないよ。

みんな声を大にして言わないだけで、作り手は割高なリサイクル素材で服を作りたくない。

それで価格つり上げたら、売り上げ悪くなるの分かってるからね。

「リヨセル? テンセル?」

「いい素材ですよ」

「他の素材じゃダメなの?」

「まあ、ダメってことではないですが」

「安いの?」

「いいえ」

「イージーケア?」

「いいえ、でも環境に優しいです」

まず俺らに優しくしろ

合皮は、まあ頑張ってるとは思うよ。

ファッションに関心のある人は「本革の方がいいとは思うけど」って口を揃えていうが。

とはいえ本革より安いし、ケアが楽って利点もあるしね。

スタンスミスが合皮になったのは個人的にショックだったけど。

それでも紙ストローほどじゃない。

2022-09-19

ついに俺様4℃叩き叩き叩きを完膚なきまでに論破し尽くす

>売れてるから正義!ダサいと感じる方がおかしい!ってうざすぎる。

これは何よりも許しがたい。

お前いっつもこれ言うけど、俺がもともと「売れてるもの正義であり、売れてるものを良いと思えない少数派に人権は無い」とするサブカルファシズムが許せなくて許せなくてたまらない人間だとわかっててわざとこういうイヤミ言うよな?

俺は常に正しいがゆえにこの間違った世の中においてはずっとマイノリティだった

マイノリティであるがゆえに、正しい側なのにもかかわらず、物の価値がわからないダセエ一般大衆から「お前のほうがダセエ(理由は少数派だから)」として迫害されてきた

から多数派のダセえセンス批判するさいには必ずそれを良いと思わない自分マイノリティなんだという自覚を忘れないんだよ

どちらが正しいか間違ってるかでいえば俺が正しい

しかしどちらが多数派で少数派かというと間違ってる一般人多数派で正しい俺が少数派だ

もちろん少数派の側が常に正しいとも言ってない。

少数派が間違ってる場合もある。テロとかやる過激派なんかは少数派かつ間違ってる奴ら。

多数派問題は、間違ってても数の論理で「正しい」とゴリ押しされること。

少数派だったらテロでもなんでも正しいとして擁護する某えもん界隈のような極左も悪だし

多数派だったら少数派の存在なんか無視して数の力でイキり散らしていいとする一般社会も悪だ。

少数派の過激派から権力側のネトウヨヘイターと決めつけられ、多数派からリベサヨポリコレと決めつけられ、その両方をどんだけ憎んでるか全くわかってもらえない。

しかし、少数派だろうが多数派だろうが正しいものは正しいし間違っているものは間違っているんだよ。

正しいか間違っているか基準にするならば、数が多いか少ないかはどうでもいい。

ただ逆に言うと数が多いか少ないか基準にしたら正しいか間違ってるかがどうでもよくなるのは当たり前。

世の中は正しさよりも数が基準にされがちなのを忘れてはいけない。

そこで4℃叩きの奴らだけど、あれは4℃ダサいとする自分感性が「多数派である前提で、4℃を良いと思う「ダサい少数派」を攻撃してるんだからな。

実際に多数派なのがどちらなのかは関係ない。

本人の主観問題なんだよ。

実際には小山らの言うように4℃はめちゃくちゃ売れててあれをダサいと思うほうが少数派だったとしても

本人は「ダサいと思う自分多数派なんだから、良いと思う少数派の気持ちなんか踏みにじってかまわない」と思ってるわけだから

例えば民族差別とかの本当に自分らが多数派に属する問題の場面では、普通に差別する多数派の側に立つ可能性が高いわけだよ。

そのくせ批判されると「個人の感想を言っただけでちゅう~」などと被害者ヅラしやがるからムカつくんだよ。

個人」ではなく「多数派代表」としての立場で主張してたくせに。

そのうえでさらに、小山らの「実は4℃は独り勝ちレベルで売れてるブランドであり、4℃叩きなんかツイッター中年くらいしかしてない」という調査結果が間違いないとすれば

これは「実際は少数派のくせに多数派気取りでイキッてた」という非常にイタい実態だった事になる。

それでも、常にマイノリティとして多数派ファシズムに抗ってきた俺みたいに、自分マイノリティだと自覚したうえで「多数派一般大衆からセンスダサい」と言ってるならまだわかるんだよ。

小山共感するタイプの面々は逆に俺みたいなのこそが嫌いだろうと思うけどな。

4℃叩きの奴らの、俺が何よりも許せないのは、

「私は4℃ダサいと思う。よって、私がダサいと思う4℃が売れてるわけがない」として、自分個人的な主観客観的現実区別がつかないところ。

4℃叩きとキモヲタ敵対しがちだが、キモヲタ4℃叩きも、こういう甘えた精神共通してるよ。

私が嫌い(な4℃)だからみんな嫌いにきまってる。

僕チン達が好きなもの(萌え絵)はみんなも好きにきまってるでちゅう。

ほらみろ完全に一致した。

科学的なエビデンスによって「4℃は売れてる」と証明されたとみるや次は奴らは「あれはセンスない男が一方的プレゼント目的で買ってるから売れてるのであり、女はダサいと思ってるはずだ」と主張するのだが

それすら小山によってTikTokやインスタでは

<

こうなってるというエビデンス付きで論破されてる。

イケてる若者が集まるTikTokでは、普通に彼氏に貰って喜んでるのは5万7000いいねされ、ツイッターなら大ウケしそうな「メルカリで売ったわ」はたかだか4000いいね

文字通り桁が違うわけだが、どっちが真の世論なのか議論余地すらないだろこんなの。

それなのにあいつら「ツイッターで毎年炎上してるのに」とかなんとか、5万7000の健全若者よりもたった4000人の自分らヒネクレ老害の方が社会的に影響力が強いとナチュラルに思い上がってるんだよ?

べつに俺は多数派から正しいとは言ってないんだよ。

自分が少数派だと自覚したうえでセンスねー多数派を叩くんならわかるの。

俺がいつもやってることだから

少数派のくせに自分多数派だと勘違いしてるのがイタいし、

自分の周りの狭い界隈を世界全体よりも大きいという更なる勘違いカルトじみててヤバいから怒ってるんだよ俺は。

小山らは怒ってなくて笑ってる。

にっくき天敵ツイフェミ実態が思ったより弱者だっから余裕で勝てると笑いが止まらないのだろう。

俺は大の大人がこういう幼稚なマインドで生きてて、しかもそのくせ威張り散らしてる事実には、怒りを感じるな。笑い事にはできない。

2022-09-17

anond:20220917065849

キジバトはけっこう崇高な鳥だからなあ

日本古来の

ドバトはワイらみたいな一般大衆という感じ

2022-09-14

anond:20220912182117

テロ terrorem (ラテン語)というのは、恐怖を与えることで法治によらない強制を行うこと

山神は一般大衆には恐怖を与えていないのでテロとは言えない

2022-09-13

テレビCMを流す意味

シリコンウェハメーカ半導体製造装置メーカって、一般大衆からはとても縁遠いのによくテレビCMを流してるよなぁ。

一般大衆は完成品しか手にしない。莫大な広告費を出して認知度を広げようとしたって効果限定的だと思うが…

半導体不足が叫ばれて久しいが、広告費を出すよりは設備投資したほうがいいんでないの?

2022-09-09

anond:20220909213705

反例1個挙げて論破!みたいなのがナンセンスなのは当然だが、成熟した大人なら平均値物事を特徴づける全てではない(分散や外れ値などが本質的意味を持つことは普通にある)ということは理解しておいて欲しいね日本一般大衆は9割方理解してないんだけど…

anond:20220909162708

マゾ国家に付き合って高い税金を払うなんてただのバカだろ。

まあ、一般大衆ガソリン税節約しないバカばかりだから、俺が節税しながら自家用車を持ててるわけで。バカ大衆文句は何もないけど。

俺の分も税金を払ってくれ。

2022-09-01

anond:20220901172754

そう言う奴らは一般大衆話題にし始める前に作品を見つけていた俺すごいって言いたいんだから一般知名度が低いうちに主張するんだぞ

から何でもかんでも来るって言うしその大半は来ないんだぞ

2022-08-31

anond:20220831121759

政府の依頼で、一般大衆投資に興味をもつように仕向けてる投稿が増えた。

2022-08-30

anond:20220830142319

本当に儲かる話は、お得先である大金持ちのところにしか行かないからね。

彼らがそれを話すことは絶対ない。承認欲求は別のところで満たす。

その結果、一般大衆に伝わるのは、儲かるかもしれないし儲からいかもしれない話ばかり。

リスクを取らないと儲かりませんよ と言われるままに、ハイリスクロウリターンな投資してる。

anond:20220830123212

それでも年賀状作成ソフトは、多くの一般大衆が利用し、実際役に立ってただろ

2022-08-23

平原さんを叩く人たち

格差是正のために、学力より経験重視の社会を」と謳った平原さんがTwitterで叩かれている。経験重視は格差是正するどころか更に広げることが分かりつつあり、もしかしたら学力重視の方が良いのかもしれない…が、別にそんなことはどうでも良い。

平原さんを嬉々として叩く人たちを見るのが辛いのである。まるで鬼の首を取ったように経歴を調べ上げ、マイケル・サンデルカズオ・イシグロ、その他の著名人言葉引用し、平原さんの意見否定批判するのである平原さん一個人意見なのだから、そこまで言わなくても良いのではないか経験重視でもやり方を変えれば今分かっているような格差も生まれないのではないかと思ってしまうのだ。

否定批判する人がこれほどいると、自分もこれら一般大衆の一員かと錯覚しとても辛い。

2022-08-05

清水晶子(東京大学)「学問の自由キャンセルカルチャー」Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略

目次

anond:20220805225632 Part1 〜学問の自由とその濫用

anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略

anond:20220805230017 Part3 〜Academic Bill of RightsとProfessor Watch List〜

anond:20220805230307 Part4 〜キャンセルカルチャー批判

anond:20220805230534 Part5 〜Ahmedが見立てキャンセルカルチャー批判メカニズム

anond:20220805230705 Part6 〜質疑応答

学問の自由キャンセルカルチャー」Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略

https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI&t=2904s

48:24~53:05

ポリティカル・コレクトネス

伝統的な大学制度における性差別人種主義同性愛嫌悪などに挑戦する改革側を、自由を抑圧する権力者として描き出す

アラン・ブルームアメリカンマインド終焉』(1987)

ニューヨーク・タイムズコラム政治的正しさという覇権の高まり」(1990)

ジョージ・H・W・ブッシュ大統領(当時) ミシガン大学におけるスピーチ(1991 (自分の考えを口に出す自由を脅かす不寛容さとしてのポリティカル・コレクトネス

報告タイトルにもなってるキャンセルカルチャーというのは、まさにこの文脈で作り出され拡散されてきた用語です。

これは学問の自由だけに関わるものではなく、幅広く文化活動一般に関して使われていますが、

学問の自由がその射程に含まれることもまた間違いはない。

ただ2010年代、後半ですね特にから急激に広まってきた「キャンセルカルチャー批判」についてお話をする前に、

その文脈ていうかその前身とも言える、いわゆる「ポリティカル・コレクトネス」っていうものについて少し確認をしていきましょう。

ポリティカル・コレクトネスという語自体は、

元来共産党が打ち出す公式路線に過剰に忠実な思考や行動を指す、ある左派の間の内輪の自嘲的な用語として使われていたものです。

ところがこれアメリカ文脈ですが、古典学者であるアラン・ブルームによる1987年の『アメリカンマインド終焉』、

1990年ニューヨーク・タイムズコラム政治的正しさという覇権の高まり」、っていうここら辺を契機として、

各種メディアなどにおいて、ポリティカル・コレクトネスを巡る議論というのが沸き起こる。

1991年5月には、当時のジョージ・H・W・ブッシュ大統領ブッシュ・シニアミシガン大学におけるスピーチで、

ポリティカル・コレクトネスというのは自分の考えを口に出す自由を脅かす不寛容さだ」というふうに言及するに至ると。

現在日本ポリティカル・コレクトネスというと、

専らポップカルチャーでの表現みたいな、映画とか漫画とかそういうことをイメージされるかもしれませんが、

そもそもポリティカル・コレクトネスについての議論というのは、大学という場をその主要な舞台の一つとしていました。

1980年代アメリカ大学では、女性学アフリカ研究など新しい学部プログラム設立

それからアファーマティブ・アクション採用それから大学におけるセクシャルハラスメントへの対応の開始、

それからコースとかカリキュラム見直しなどが一気に進んでいくことになります

これらは全部具体的な制度的変更なんですけれども、それと同時に大学における教育研究というものが暗黙の前提としてきた、

性差別人種主義ホモフォビアなどの検討修正とを迫るものでもありました。

こういう変革への抵抗や反感というものを、単に大学という限られた場所における制度上の闘争という形で提示したら、

それはあんまりアメリカの広い一般大衆の興味を引くことはなかったかもしれない。

けれどもこれをアメリカ価値の根幹に関わる、思想言論の自由危機として提示することで、

保守派側は一般の注目と関心を引きつつ、

伝統的な大学制度覇権に挑戦する改革側のほうをこそ、逆に自由を抑圧する権力者なのだというふうに描き出すことに成功します。

合衆国全土で言論の自由攻撃されている」

「この国土において不寛容さが増大していること、論争を解決するのに理性ではなく威嚇を用いる傾向が強まっていることに、私たちはみな警戒心をもつべきだ」。

実際に当時、先ほど申し上げたブッシュ・シニアミシガン大学演説ではこういう言い方がされている。

合衆国全土で言論の自由攻撃されている」と。

「この国土において不寛容さが増大していること、論争を解決するのに理性ではなく威嚇を用いる傾向が強まっていることに、

私たちはみな警戒心をもつべきだ」と。

1980年代から続く共和党政権なんですが、ブッシュ・シニア共和党政権は、

例えば女性の性と再生産に関わる健康権利の獲得に向けた運動というのを、はっきり言って足踏みさせた政権です。

またHIV/AIDS流行に対して同性愛嫌悪に満ちた対応で、LGBTコミュニティに深刻な打撃を与えてきた政権でもある。

人種主義に関して言えば、国内人種差別問題というのも当然温存されていて、

このミシガン大学演説の翌年92年には、ロサンゼルスでの人種暴動というものが起きてる。

にもかかわらずこの演説では、政府共和党によるそういう長年に関わる差別や抑圧が一切問題にされないんですね。

この演説暴力的な抑圧者だとして名指すのは、そういう差別とか抑圧を指摘して批判してきた側のその差別に対する不寛容

その差別に対する不寛容暴力だと抑圧だというふうに名指していく。

ポリティカル・コレクトネスという言説戦略

大学という特定組織における性差別人種主義同性愛嫌悪などに対抗することを目的とした取り組みを、思想言論への検閲であるかのように見せる

ポリティカル・コレクトネス」なる強権的な弾圧から思想言論の自由を守って闘う被抑圧者としての多数派

まり右派が持ち出した「ポリティカル・コレクトネス」というのは、

大学という特定組織におけるセクシズムやレイシズムホモフォビアなどに、対抗することを目的とした取り組みというのを、

逆にあたかマッカーシー旋風の再来を思わせるかのような、思想言論への検閲であるかのように見せる、

非常に巧妙な言説戦略だったというふうに言うことができます

この枠組みは既存体制に内在する差別や抑圧から人々の目をそらす、

しろ多数派こそが「ポリティカル・コレクトネス」なる強権的な弾圧というものから

思想言論の自由を守って闘う被抑圧者なのだというふうに主張することに成功したわけなんですね。

anond:20220805230017 Part3 〜Academic Bill of RightsとProfessor Watch List〜

2022-07-25

どんどん残念になっていく安永航一郎

元々が特撮ネタギャグマンガ家デビューした第一世代オタクであり、特撮が大好きなら軍事ネタも大好きであり、この世代特撮オタ軍事オタが心情右翼寄りなのは普通なのでまあ平均よりちょっと右翼色強めぐらい

なんとなくだが、陸軍中野予備校が連載は継続してるにも関わらず単行本発売が遅れに遅れ(当時、書店に張り出された発売予定表に予定日が出ていたのに出ず、そのまま音沙汰なしで数年出なかった)、その後に前にも増して各方面挑発的な方向へ振り切れてったあたりから何らかの事情で何かが壊れていったようで

ツィッター発言はもともと政治的発言は多く、旧左翼をくさし超然的立場をとりつつちょっと理屈が通ってそうなこと言う(中身は怪しい)平均的な60代特撮オタらしい発言を繰り返していた

のだが、ここのところで統一教会ネタが取り上げられることがいたく気に入らないらしく、攻撃性が増している

からファンなのでこういう人なのは仕方ないとある程度まで飲み込んでいたのだが、赤松健擁護も心情ベース安倍元首相擁護も心情ベース、とにかく政治的発言が心情ベース一辺倒であることを隠しきれなくなっていて、半端に理屈をこねられる人なのが仇となり、言ってる理屈がどんどん破綻していく

からファンとして「ああいキワモノギャグを書いてた人がこういう残念発言に終始するんかい」と、さすがに失望を禁じえない

今回の統一教会事件は、理屈こねて穏健右翼やって左翼をやんわりといなすタイプの「俺って頭いい」タイプの人が墓穴掘りまくってる感じがあり、「穏健で頭の良い俺が暴走する一般大衆に教え諭してやりますよ」という態度で発言おかしくなっているのを見ていると、はてブ名前を上げられがちな常時暴言失言マン暴言よりきつい

2022-07-19

anond:20220719134604

ネット左翼自体赤松の件で1議席にも影響力がない泡沫のノイジーマイノリティーって確定しちゃったからな

連日のTV報道一般大衆統一教会を怒らない限りはスルーしておしまい

2022-07-13

こないだの人か。

https://anond.hatelabo.jp/20220702070421

庶民の「雑」な意見理解を、「間違い」って言い切る事は出来るのだろうか?

もちろん正しさなんてものは、人間である以上は、一義的に決められないが、

今の日本民主主義国家なので、「民主主義視点からの正しさ」はあると思うよ。

「それに反発する人間意見も封じ込めない」、ってのも民主主義だし。

間違いと思ったらお互いにいいあえるから平等じゃん。

「言い切る」ってことは独裁主義ってことになる。日本ではそんな状況ないと思うけど・・・

2022-07-12

■全員が「正しさを理解している」国って怖くないか

なんというか、具体例を挙げると

(左:一般大衆、右:専門家哲学者、〇〇キチ)

なにか八百長くさい・わざとらしいやり取りや行為を「プロレス」と呼ぶ → プロレスはそんな物じゃない!プロレスとはリングの上の神聖なうんぬんかんぬん

なにかふわふわした良く分からん文章表現を「ポエム」と呼ぶ → 詩を馬鹿にするな!ポエム蔑称で使うやつは教育を受けてないうんぬんかんぬん

こんなことはまあ良くある事だと思うしTwitterとかでも度々バズったりしてるが

もっと深刻なことでいうと

ある絵や映画とかを見て単純な感想をいう(あるいは性描写を単純に受け取る) → 日本美術教育実践的になっておらず無責任大衆大量生産しうんぬんかんぬん

不毛な議論を「宗教」「神学論争」と呼ぶ → 神学はれっきとした哲学の一分野でありその様な用法で使われることは日本の文化環境頽廃うんぬんかんぬん

なにかの独裁的な様子を「北朝鮮」みたいと言う → 諸外国を引き合いに出すのは差別日本なら日本の歴史で例えろうんぬんかんぬん

なにかの出来事に対して「どっちもどっち」「相対主義」をとる → 相対主義日本の悪癖で、ガンダムひろゆきの見過ぎの悪影響でうんぬんかんぬん

みたいな、用語その物への「雑」さによる、無数の人々の対立って常にあるわけだよな。

言葉狩りには至ってないが、用法が普及しきってしまっていて修正できない事への専門家のいら立ちとでもいうか。

相対主義漫画アニメで「理解」することとかはもっと深い問題だとは思うが。

でも実際、大勢人間が「なんかこの絵よくわかんねーけどおもしれー、うわーおっぱいだー」「相対主義ってのは、そういうもんだろー」「神学論争うぜー宗教くせー、もっと現場こいや」みたいな理解をして、そして毎年そんな人間再生産されている以上、

「雑」とされる感性ってどこまで雑なのか、それこそ大衆理解がなんで間違ってるって言えるのかということになるよな。

もちろん用語の使い方が差別的だステレオタイプ的だとか個別問題にあるにせよ。

東大慶応早稲田の偉い先生よりも、アニメ制作自身がどう考えてるかは別)や、ひろゆきが影響を与えているとして、

この国が資本主義自由主義であり何を選んだり消費するかの自由がある以上、庶民の「雑」な意見理解を、「間違い」って言い切る事は出来るのだろうか?

相対主義ってそんなに悪か?相対主義が原因の直接的暴力ってものがあるなら悪いと思うけど、無いなら、まあ最低基準かなみたいにしか思えない。

相対主義のせいで人々が社会正義に参画せずー」みたいなことをいうなら、別に他にもいろいろもっと強力な参画しない理由がある訳だし。

というか全員が全員「相対主義の悪を理解してる」「正しい芸術見方を知っている」国(義務教育でそう詰め込まれる国?)があるとしたらそれはそれで怖くないか

anond:20220712175830

anond:20220713135524

宗教自体一般大衆を型にはめて扱いやすくするために発展してるところがあるからリベラルとは価値観が合うはずもないわな

2022-07-12

全員が「正しさを理解している」国って怖くないか

なんというか、具体例を挙げると

(左:一般大衆、右:専門家哲学者、〇〇キチ)

なにか八百長くさい・わざとらしいやり取りや行為を「プロレス」と呼ぶ → プロレスはそんな物じゃない!プロレスとはリングの上の神聖なうんぬんかんぬん

なにかふわふわした良く分からん文章表現を「ポエム」と呼ぶ → 詩を馬鹿にするな!ポエム蔑称で使うやつは教育を受けてないうんぬんかんぬん

こんなことはまあ良くある事だと思うしTwitterとかでも度々バズったりしてるが

もっと深刻なことでいうと

ある絵や映画とかを見て単純な感想をいう(あるいは性描写を単純に受け取る) → 日本美術教育実践的になっておらず無責任大衆大量生産しうんぬんかんぬん

不毛な議論を「宗教」「神学論争」と呼ぶ → 神学はれっきとした哲学の一分野でありその様な用法で使われることは日本の文化環境頽廃うんぬんかんぬん

なにかの独裁的な様子を「北朝鮮」みたいと言う → 諸外国を引き合いに出すのは差別日本なら日本の歴史で例えろうんぬんかんぬん

なにかの出来事に対して「どっちもどっち」「相対主義」をとる → 相対主義日本の悪癖で、ガンダムひろゆきの見過ぎの悪影響でうんぬんかんぬん

みたいな、用語その物への「雑」さによる、無数の人々の対立って常にあるわけだよな。

言葉狩りには至ってないが、用法が普及しきってしまっていて修正できない事への専門家のいら立ちとでもいうか。

相対主義漫画アニメで「理解」することとかはもっと深い問題だとは思うが。

でも実際、大勢人間が「なんかこの絵よくわかんねーけどおもしれー、うわーおっぱいだー」「相対主義ってのは、そういうもんだろー」「神学論争うぜー宗教くせー、もっと現場こいや」みたいな理解をして、そして毎年そんな人間再生産されている以上、

「雑」とされる感性ってどこまで雑なのか、それこそ大衆理解がなんで間違ってるって言えるのかということになるよな。

もちろん用語の使い方が差別的だステレオタイプ的だとか個別問題にあるにせよ。

東大慶応早稲田の偉い先生よりも、アニメ制作自身がどう考えてるかは別)や、ひろゆきが影響を与えているとして、

この国が資本主義自由主義であり何を選んだり消費するかの自由がある以上、庶民の「雑」な意見理解を、「間違い」って言い切る事は出来るのだろうか?

相対主義ってそんなに悪か?相対主義が原因の直接的暴力ってものがあるなら悪いと思うけど、無いなら、まあ最低基準かなみたいにしか思えない。

相対主義のせいで人々が社会正義に参画せずー」みたいなことをいうなら、別に他にもいろいろもっと強力な参画しない理由がある訳だし。

というか全員が全員「相対主義の悪を理解してる」「正しい芸術見方を知っている」国(義務教育でそう詰め込まれる国?)があるとしたらそれはそれで怖くないか

アメリカEV販売分水嶺を超えた

ブルームバーグ

EV販売比率が5%を超えると変化が加速する。ブルームバーグアナリストが19カ国と比較分析した。

一定以上の年齢の方ならスマートフォンが世に出た時を覚えてるだろう。そのデバイスは奇妙で高価で、新しい物好きな一部の人の気を引いていた。あれから10年…今ではスマホを持っていない方が珍しくなった。

同じような変化が世界中EV販売で起きている。そしてアメリカが、ようやく分水嶺を超えた:新車販売の5%がEVになった。この水準を超えた新技術一般大衆に支持されて一気に拡大していくのだ。

過去6ヶ月間の新車販売で、アメリカ欧州、そして中国という、世界の3大自動車市場が、分水嶺を超えたのだ。アメリカ欧州中国などのすでにEVが普及し始めている19カ国のトレンドをなぞるなら、2025年には新車販売の4台に1台はEVになっているだろう。

なぜ5%が重要なのか?

テクノロジーの普及はー電気テレビ携帯電話インターネットLEDライトに至るまでーS字カーブのように普及していく。アーリーアダプターの時点では売上の増加はゆっくりで、そして主流派に受け入れられると急拡大していく(S字の上の横線は、最後までスマホ拒否してガラケー使う少数派である)

EV場合は、5%がアーリーアダプターから流派需要が移る切り替え点であるアーリーアダプターのみの間は、売上の増加は不確かで微々たるものだ。主流派が求め出すと需要は急拡大していく。

世界中の国は同じようなパターンを辿ってEVが普及していくだろう。障害は多い:急速充電器は足りないし、車体は高いし、供給も足りない、顧客EVについてよく知らない。しかし、5%のアーリーアダプターが道を切り拓けば、主流派はついていくのだ。

よって、これからアメリカ自動車市場は、2021年分水嶺を超えた韓国や、2018年に超えた中国、そして2013年に5%を超えて今では新車の9割がEVとなったノルウェーと、同じような普及期を迎えることになる。

https://www.bloomberg.com/news/articles/2022-07-09/us-electric-car-sales-reach-key-milestone

2022-07-10

anond:20220710082118

昔なんとなく遊んでなんとなく面白かったゲームがなんとなくリメイクリマスターされたらなんとなく買ってなんとなく面白いって評価するのが一般大衆である

悲しいことだがご予算有限だしそこまで悪し様に言うものでもない

 雑感です。

 ふだん政治には興味を持たないスタンスで、理由は「本当のところはわからない」から選挙権を得たときからずっとスタンスは同じで、ゆえに投票は「自分にとって都合いいこと言ってるかどうか」だけで決めている。俺は政治に興味がない一般大衆なので、それ以上のことは考えないと決めている。ゆえに政党がどうとかいうことにも興味はない。

 事件被害者に関しては特になんの感情もない。知り合いじゃないので。

 ただ、今回の事件はさすがにでかすぎる。ふだん政治に興味を持たないと決めている俺でも、関連のニュースはかなり追ったし、ブコメも読んだりした。

 まず事件第一報を聞いて感じたのは「勘弁してくれ」という感情だ。この「勘弁してくれ」の中身には多少説明がいる。

 まず、事件象徴的すぎる。でかい。元国家元首暗殺された。それも毀誉褒貶いろいろあるタイプの人がだ。そして大きな事件が起きたときには、かならず世のなかのなにかが変化する。特に今回の事件被害者ネットにおける論争の争点になりやすい人だ。

 俺は、人が大きく動くことがとても怖い。無数の人の感情が一体化して大きな拳になったときに、たいてい殴られる側に属してきた。今回も、きっとなにかの変化がある。どう変化するのかはわからない。俺の「勘弁してくれ」はこの不安と恐怖に由来している。

 たいていの大きな事件の後って、変化はそのときすぐにわかるようなものではなく、たとえば20年後になって事件を振り返ったときに「あれ? あのときからじゃね? 変わったのって」というかたちで気づくようなものだと思う。今回、ふつうの人程度だとはいえ、ある程度は事件を追いかけているのは、その変化が自分にとって都合の悪いものではない、という確信を得たいからだと思う。もちろん原理的にそんなもんは得られないわけだが。

 次に、速度感が速すぎる、と思った。

 インターネットあるのであたりまえである。が、それにしたって速すぎる、ということをあらためて痛感した。

 事件が起きたときもっとも怖かったことのひとつ模倣犯がある。なので、ふだんはやらないツイッター検索で「模倣犯」で検索をかけてみた。そうすると、さまざまな意見がある。要するに、みんななんか言いたい。だから言ってる。それはそういうものだろう。システムとして「言える」もの存在してるんだから

 ただ、それでもなお速すぎる。

 死んだ人がそういう立場にあった人だから、といってしまえばそれまでだけど、その死は、すぐに意味づけられなければならないものなのだろうか。毀誉褒貶があるということは、評価が定まっていないということだ。定まっていないものを定まったもののように語ることは、これこそが政治性であり、俺がもっとも「政治」に関連して苦手とするものだ。もちろん知ればいい。知る努力をすればいい。しかし俺は政治というものに関してそこまでのコストを支払いたくない。ゆえに知らない。

 ならば、その人の死について意味づけをしようとする人たちはなにを知っているのだろう。そこが疑問だ。知らない人たちの言葉が大量に舞っている。それらの言葉を発した人たちの背景を俺は知らない。言葉のものから情報を得るしかない。けれど、だれもが自分の背景を詳しく説明できるほど文章を書くことに特化しているわけでもないし、そもそもこれだけ大量の人間発言の背景すべてを知ることは物理的に不可能だ。そういう言葉が大量に流通していることそのものが怖い。

 もちろん、そういうものだと納得はしている。可視化されているのが前提の時代だ。俺とてもその言葉を娯楽として消費していることは多々ある。けれど、怖い。多くの人が、自分生活に密接に関係するわけではないことについて、大量の「判断」を下している状況そのものが怖い。

 あと、暴力否定や人の死に関する扱いについて、ちょっと疑問があった。

 暴力はよくない。あたりまえである。殺されてもしかたない。そんなことはもちろんありえない。なぜなら、この世界はそうしたもの否定したうえに成立しているからだ。なので、暴力否定はあたりまえである。俺も殴られるのいやだし、殺されるのもいやだし。

 でもまあ実際のところ、今回の事件を通じて多くの人が感じたのは暴力有効性のほうだと思う。だからこそまず、事件に触れる人はその有効性を否定しなきゃだめなんだろう。ただ、有効性を全否定となると話はちょっと違ってくる。「なるほど、有効である。ならそれを有効でなくするにはどうするか」という話だと思うんだが、まあこれは触れるには時期が早すぎるということなのかもしれない。

 それともうひとつ感じたのが「供述の力」みたいなものである犯人宗教云々という発言したことで、焦点がごっそりとそっちに向いている。これ、たとえば「政策が気に入らなかった」とかだと世論はまったく違う方向を向いていたに違いないし、今後も違う方向に進むだろう。犯人供述、ドチャクソ強い。象徴性のある人物を殺したことによって得た発言権、めちゃくちゃ強い。過去に起きた自分が知ってる限りのいくつかの大事件でも、やっぱりなんらかの象徴性はあったと思うんだけど、犯人単独、殺した相手有名人で、しか国家元首象徴性のでかさ半端ない供述の声、めっちゃでかくなる。メディアが大宣伝してくれる。

 で、それはどうなの?と思う。ここのところはちょっとうまく言語化できない感じなんだけど、素朴に、殺人やった人になんでそんな影響力あんの、という疑問。かといって、なにもあきらかにされないのではよりよくないだろう、ということくらいはわかる。正解が見つからないんだけど、ヤケにさえなれればやったもん勝ちじゃん、みたいな感じがする。それは違う気がする。

 で、いろいろ見てきて、今回の事件、もちろん歴史的大事件には違いないし、年表にも確実に載るだろうなと思うけど、その後のニュースの動きを見ている限り、そこまで根こそぎの変化が起こるものじゃないような気もしてる。

 ちょっと前、どれくらい前からかはよくわかんないけど、なんとなくはてなを眺めてて「ああ、政治の季節ってこういうふうに始まるのかな」みたいな感想を持ってた。よく知らないけど安保闘争とか? 政治に興味を持たないこと、政治思想性がないこと、そういうのがダサいとか無責任とか思われるような時代。まあ来るなら来るんだろう。俺には関係ないけど。

 だれでもネット上でなんらかの発言はできる時代になったけど、かといってみんながみんななにかを言おうとしているわけでもない。特に声を上げることをしない人たちを駆り出して、ひとつの方向に動かすようなタイプ事件かな、というと、あんがい人は明日明後日ふつう生活してるんじゃないかなと思う。過去のいくつかの大事件と違って、すぐに自分に影響が及ぶようなものじゃないから。

 ただし、俺はテレビを見れる環境を持ってない。こういうときテレビがその死をどう扱うかは、世論バカかい影響を与えそう。

 今日、知り合いのじーさんからこの事件話題を振られて、こんな地雷原みたいな話題に触れるのいやだったから「いやあ、テレビ持ってないんですよね」と答えたら「え? 持ってないの?」ってすごく驚かれた。「パソコンでたいてい間に合っちゃうんで」と答えたら「パソコンテレビ見れるの?」って言われた。

 考えてみれば、テレビが家にないということが相当に「おかしい」ことだった時代って過去に確かにあった。よほどの変人か、世捨て人か、まあそんなようなイメージ。それがいつのころだったかはよく覚えてないけど、この世にはまだテレビがすべての情報源の王様だと思ってる人が、わりとたくさんいる。その影響力は大きい。

 別に結論はない。まとまってもいない。いま感じたことをとりあえず書いておかないと不安からそうした。増田あってよかった。

 俺はただ、明日明後日も、人々が地に足をつけて日々の生活をし、半径何メートルかの人々を愛し生きていることだけを願う。だからこそ政治重要なのだと言われれば、それもそうだろう。だれも政治には無関係はいられないはずだ。けれど、ふつう生活している人たちが党派性に乗っかって大騒ぎする必要があるのかと問われれば、疑問符をつける。言葉は、独り歩きする。それはよくも悪くもだ。言葉の上で言葉が乱舞し、雪だるまみたいに膨らんでいく。どこに立てばいい? だれが俺の安寧を保証してくれる?

 本当のことなんてわからない。だから俺は、自分生活だけを考える。

 明日、いやもう今日か。この先の一里塚がどこに設置されるかわかるんだろう。

2022-07-07

赤松健選挙が下手すぎて辛い

当落ライン上と言われている赤松健選挙活動素人目にもヘタクソに見えて辛い。

氏はマンガ家であるから選挙活動についてのノウハウは乏しいだろうが、それにしてもひどいと感じてしまう。

ロビー活動は「対・偉い人」向けの活動である

まり大衆意見はあまり気にしなくていい。

既に関係のある同業者連携して、なんとか偉い人を言いくるめれば良い訳だ。

しかし、選挙活動とは「対・誰とも分からない大勢一般人相手活動だ。

たぶん、この差は決定的である

筆者は大学でも政治系の講義は取っていなかったレベルのド素人であるが、政治とは綺麗事では済まない世界だろう、という想像くらいはできる。

清濁併せ呑む、とにかく損得勘定で考える、道理よりも利害関係の調整、胃の痛くなるような根回し、そういう世界なのだろう。

例えば、与党で大きな権力を握っている人間が、法に触れなきゃ何やってもオッケー、関係各所との利権で私腹を肥やす『大悪人』と世間から称されるような人物だったとする。

プライベートでは絶対に関わりたくないような相手自分の中の道理と照らし合わせても唾したくなるような相手でも、ロビイングをするとなれば話は別だ。

なんとかこの偉い『大悪人』のご機嫌を取り、言いくるめ、時に何らかの利害関係を調節し、自身の主張に賛同してくれるように関係を築かねばならない。

無論、『大悪人』以外に働きかける方法もあるだろうが、活動可能な人手や政権への影響力を総合的に判断した時に「一番偉く、一番ヤベー人格の輩」に取り入るのが最善手という事もあろう。

さてロビー活動として『大悪人』と関係を結ぶことを、世間の人々はよく思わない事だろう。

政治は綺麗ごとではないと言っても出来ればクリーンな若手に力を伸ばして欲しい、そう思うのが人情だ。人間、わりと感情の獣である

しかロビー活動の内容は世間の人々にはあまり届かないし、届いた少数の人がその活動非難しても、ロビー活動のものには大した影響はないだろう。

何故ならロビー活動で一番大切なのは「偉い人との関係」だ。世間から非難など、活動のものに支障が出ない範囲でなければ、あまり問題にはならない。



しかし、選挙となれば事態が全く逆になってくる。 と思う。

偉い人ではなく、一般大衆いかアピールするか。

同業者やオトモダチではなく、自分を知らない人、自分意見対立するかもしれない人に、いかに話を聞いてもらうか。

いかにして「ハジメマシテ」の人に良い印象を持ってもらうか、そしてなるべく敵を作らないようにするか――

素人なりに、そういう事が大事になってくるのではないか、と想像する。

マンガで例えるならば、既にいる自分ファン向けに描くのではダメなのだろう。

自分世間流行には媚びない、ウケ狙いなんてしない、自分の描きたいものを描いて、それに共感してくれる人がきっと居る筈だ! ではダメだ。

新規の読者を獲得し、或いはアンチを取り込み、世間流行に乗っかり、商業的な成功を収める事に全振りしたマンガを描かねばならない。

まして赤松氏は今回が初出馬政治の場に彼のファンは少なく(支持母体が無い)、ちょい売れ同人作家商業に売り込もうとしている状態に等しい…と思う。

だが、最近赤松氏の動向はどうか。

「行き過ぎたジェンダー論」その他、是非はともかく燃えそうな気配のある言動

実績アピールとして、世間一般からの評判があまりよろしくなさそうな人物との関係を強調。

様々な言動に対する様々なツッコミを(勿論、中には揚げ足取りやただの茶化しもあるが)総スルー

売り込みは既存ファン、或いは「自分と同じタイプオタク」向けで、「タイプの違うオタク」の一部を敵に回すような言動も見られる。

選挙活動が本格化したか可視化されているだけかもしれないが、ツイッター上のアンチ赤松の増殖速度はマジでヤバい気がする。

ロビー活動時代応援していた人が「ちょっと今回はダメだわ」みたいな感じで離れていく例も割と見た。

ツイートを見る度に「なんでまたそんな新たな敵を作りそうなことを…」と辛い気持ちになるばかりで、筆者自身そっとフォローを外した。

政治は綺麗ごとではないと思う。当選したとして、表現の自由を守る為には評判の悪い議員と付き合う必要も出てくるだろう。

そのワンイシューをどんな手を使っても貫くため、大衆ウケの悪い言動を取って党内のポジション取りをすることを強いられるかもしれない。

しかし、赤松氏は未だ厳しい状態に置かれる候補者だ。

ポジション取りだの根回しだのの前に、世間一般の人々の人気取りをしなければいけない状態の筈だ。

だというのに、赤松氏は今日既存ファン以外の好感度を下げアンチに悪評の口実を与えそうな「身内向けアピール」を繰り返している。

それでも筆者は赤松氏に投票する、たぶんする、たぶんきっとおそらくする。

その一票が無駄にならない事を、切実に願ってならない。

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