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はてなキーワード: 一心とは

2022-05-26

anond:20220526101304

強くないと生きていけない世界は良い世の中と言えるのか。人間はそれを克服するした生き物ではなかったか。弱さの中にも美しさを見出せるのではないか

何を言いたいかというと、バブりたい。一心不乱に。生まれたて赤ん坊のように腹を単に向け、おぎゃおぎゃおぎゃと涙を流し。真の姿の解放、心の解放、そして掴み直すアイデンティティ

おぉ、神も照覧あれ。

2022-05-20

電車の中の一休さん

仕事帰り電車通勤のワイ、いつもの席(端っこ。窓枠がちょっと向こう側にエグレてて、腕やら肘やらのせられる)に着こうと列車の乗り口から視線をそちらに向けたら、

一休さんみたいな自転車乗りが先に座ってた。

座席の隣の車椅子固定用スペースに輪行袋に覆われた自転車を停めて、青々とした剃髪に太目の黒々とした眉で背筋をしゃっきりと伸ばし、一心不乱にスマホを連打していた)

メジロマックイーンのイメ損やめない?

一心同体とか奇跡の復活とかマックイーンを弱いものとでもするかのようなことばかりしてるし、メディア露出多い割にマックイーンの扱い必ず雑。

マックイーンのかっこよさなんて全く見せようとせず、ただひたすら面白キャラヒロインばかりさせて主人公みたいなシーンとかイケメンなシーンはほとんど作らない。ただひたすらメジロマックイーンイメージ面白おかしものにしていく。

トウカイテイオーゴールドシップトレーナーの添え物にするなら他もいるじゃん。なのになんで毎回メジロマックイーン名前の着いた面白人形を使うの?もうやめてくれない?マックイーンが嫌いなのは分かったからそれ以上私の憧れたメジロマックイーン名前を汚さないで欲しい

今の選挙インテリリベラル層に不利すぎる

選挙活動って本当に気の遠くなるような単純作業の積み重ねで、

電話かけ

・証紙はり

仕分け

ポスティング

ばかりなのよね

で、こういう作業一心不乱に取り組めるような人ってそもそもあんまりリベラル思想を持ち合わせてない学のない人が多い。

地味な作業の積み重ねが票に繋がるような今の選挙制度はあまりにもインテリリベラル層に不利で、何度やっても立憲や共産が勝てないのはその辺りにありそう。

テクノポリスとかコンプティーク最後の方のページにマシン語ダンプみたいなの載せてたけど、

小学生低学年があんなの打ち込んでも忍耐力しかつかないし、意味ないよな

こっちもゲームで遊びたい一心からやってただけで…

その後、テクノポリスコンプティークプログラミングネタゼロエロゲー雑誌なっちまって、

正直、自分は買わなくなってしまったんだけど、

経営方針としては正しいよな

2022-05-15

愛されてる猫を見てるとムカついてくる

自分は猫好きだと思ってたけど、それは表面的な感覚に過ぎなかったらしい。

YouTubeとかで流れてくる、トップクラスで有名な猫動画見てると、溺愛されてる映像に対して憎しみを覚えるようになった。

あの愛情一心に受けてる感じ

惜しみない愛情に包まれ真底から存在を受容されて、飼い主の愛情に全幅の信頼を寄せて、ある意味自分が猫であることすら忘れてしまっているかのような猫を見てると、

何とも言えない暴力的感情がわく。

2022-05-14

anond:20220514233649

最近日本の風潮だと、自分の子の婚前交渉を疎んずるのは父親よりも母親の方だったりしないか? 娘を守りたい一心で。(一方それを言われると脛に傷のある父親は….)

2022-05-06

神田橋処方を実践したこと

母親貶めるような罵詈雑言離婚した元夫と元夫家族暴言などを思い出してフラッシュバックのようになって数ヶ月に1回の数日間は眠れなくなることがあり、先月ようやくメンタルクリニックへ行きました。

元々不眠でメンタルクリニックへ通っていたけど離婚を機に治まってきたので様子見になっていましたが、フラッシュバックがあまりに耐えられなくなってきて仕事に支障が出始めてしまいました。

診察でフラッシュバックの詳細を話した際に、神田橋処方の治療を勧められました。

治したい一心だったので「受けます」と回答し約2ヶ月分の処方を頂きました。

神田橋処方は特定漢方薬2種を組み合わせて朝昼晩2ヶ月欠かさず飲むと、トラウマPTSD幼児の癇癪などがほぼ完治するとの事でした。

処方された薬は下記2種類でした。

・桂枝加芍薬

・四物湯

朝昼晩飲む必要があったので処方された薬は大量で驚きました。

(すぐに用意できない量のため、結局翌日受け取りにもなりました)

飲んでみて1ヶ月経しましたが、こんな感じになりました。

自分が居なければいいと思わなくなった

トラウマPTSDになるような現場に遭遇しても怯えなくなり「何言ってんだこいつ感覚になった

フラッシュバックはなくなった

・薬の成分のせいかおならがよく出たりお腹がゆるくなることがある

あと1ヶ月飲まないといけないですが、薬が終わったあとの再発が怖いなと思ったりもします。

完治まで頑張っていきたいです!

2022-05-01

醜い女オタクから脱却したい

醜い女オタクから脱却したい。

その一心で、化粧を研究して、ダイエットもして、骨格診断パーソナルカラー診断に行った。

アニメ漫画ラノベpixivを見なくなった。

代わりに料理ボルダリング趣味になった。

テンションが上がっても早口にならないように、ドゥフドゥフ笑わないよう徹底した。

友人たちも自然オタクではないタイプ比率が多くなってきた。

かつて自分が持っていた「オタクらしい嗜好」が今の私には無くなった。

なのに、醜いオタクらしさのようなもの全然抜けない。

なんで醜い女オタクから抜けられないのだろうな。

2022-04-29

anond:20220429070943

前日譚があって、海で釣りをしてた浦島太郎を見た竜宮城乙姫太郎に恋心を抱いて

太郎に遭いたい一心で、魔女に頼んで美しい声と引き換えに亀の姿になって陸に上がったところを

子どもに捕まってイジメられていたんだな

2022-04-26

子供がいる親の感情若者文化蹂躙されているのが辛い

ジェンダーの話の9割そう。

子供ができると子供守りたさ一心

今まで慣れ親しんでいた10代のラブコメ

少年少女が酷い目に遭う話に過剰に反応するようになるように思考が変化してしま

「今まで気づかなかったけどこんなに危険マンガアニメが溢れてるんだ!子供のために規制しなきゃ!」

とか言う始末。親の個人的感情で世にある創作否定するのは異常だよ。自分子供の頃、そういう大人自分たちのカルチャー迫害されてきたのを忘れて同じことをしようというのか。

自分立場だけで世界を見過ぎ

2022-04-25

anond:20220422112457

先週末の土日もいろいろ捗った。

アルター高原の「夜の騎兵」や「死の鳥」などフィールドボス撃破しつつ、「ウィンダムの地下墓」をクリア

ウィンダムの地下墓」を探している途中に「ゲルミアの英雄墓」も見つけたけど、「英雄墓」と名のつく場所は面倒そうなんで、ここはいったん放置

面倒そうな「日陰城」は、「堕落調香師」や地中から出てくる蜘蛛人間みたいな「王族幽鬼」がネックだったけど、近接やめて遠距離攻撃できる戦技「氷槍」ランスの装備でだいぶ楽になった。

ボス部屋の「鉄茨のエレメール」はグレートソードの「獅子斬り」連発で撃破

部屋の前では瀕死の「パッチ」に遭遇して「踊り子打楽器」をもらったので「タニス」に渡すも、その後、とくにイベント進展無し。

ライカード」の遺体を食べる「タニスヤバい。気になって首だけのライカードをペシペシ叩くも、とくに変更無し。そりゃそうか。

これ、いつかは食べ終わってイベント進行するんだろうか。

次は、これまた面倒そうな「ソール城砦」の「宿将ニアール」に挑戦。

前回、近接戦を挑んで惨敗だったので、近接用のグレートソードに加えて「氷槍」ランスも装備、防具は「大楯」持ちの「中量」に変更。

まず雑魚騎士2体を「獅子斬り」で潰してから、後はローリングで「宿将ニアール」の攻撃回避しつつ「氷槍」で遠距離攻撃に徹したところ、なんとか撃破

先に進んで「聖樹の秘割符(左)」をゲット。

調子に乗って「ソール城砦」近くにいる「死儀礼の鳥」「ティビアの呼び舟」、祝福「氷結湖」近くにいる「凍てつく霧ボレアリス」を騎乗戦で撃破

ボス撃破続くと楽しい

「聖樹の秘割符」も揃って、あとは「安息教会から先に行けばメイン・シナリオも進みそうなので、その前に取り返しのできない要素をなるべく潰すため、放置エリアイベントを回ってみた。

「忌み捨ての底」は2体もいる巨大エビや頻発する落下死に苦労したものの、なんとか「ローデイルの地下墓」に到達して「もう二度と来たくない」の一心で「血の司祭エスガー」までクリア

「ローデイルの地下墓」は「帰りたい」のメッセージ共感しかなかった。

「忌み捨ての底」自体にはまだ続きがあるらしいけど、シナリオ進行後も再訪できるみたいだし、面倒エリアが続くと心折れそうなので、またしばらく放置することにした。

その他、「王都ローデイル」で時限アイテムらしい「グランサクスの雷」を拾ったり、すっかり放置していたNPCイベントを進行。

セレンイベント放置していた「サリアの隠し洞窟」をクリア、同じく魔女の「ラニイベントでは、まったく眼中になかった地下都市の「ノクローン」や「ノクステラ」へ行ってみた。

ここに来るまで地道に取りこぼしないよう進めてたつもりだけど、一度訪れたエリアでも、行けてない場所やゲットしてないアイテムがどんどん出てきて驚く。

プレイする人によって、ここまでエンディングまでの過程が異なりそうなゲームはそうはない。

エルデンリング、なかなかにすごいゲームだと思う。

今週は金曜からGW

面倒そうなエリア連休中にやるとして、平日はなるべく取りこぼし要素を潰しておきたいと思う。

というわけで、以下、今週の目標

  1. 永遠の都ノクステラ」をクリアして「ラニイベント進める
  2. その他、取りこぼし確認
  3. 安息教会から先に進む
  4. これまでに発見した「英雄墓」と「忌み捨ての底」の奥に進む(後回し)

2022-04-21

anond:20220421001735

俺はぼーっとしてる時は、一心不乱に全力でぼーっとしていて何も考えてないよ。

2022-04-19

anond:20220419102953

書いてない事を曲解して記述する自己紹介どうも。

叩く積もりはないけど、関係ない癖にしゃしゃり出てくるの、名前を印象付けて世間に覚えてもらいたい一心しか見えないけどね。

頼んでもないのに選挙カー走らせる候補者と同じマインドセット

その品性なんだって話が鼻についたんでしょ

2022-04-13

悪魔のような女の子と付き合ったことがある

もう8年も前になる。

当時付き合っていたころは苦しんでいたが、今は自分が悪かったと結論しており、自戒のためここに残す。

 

彼女は非常に可愛らしい人だった。

少し丸みを帯びながらも大きな目。

鼻筋の通った高い鼻。

均整の取れた顔立ちと綺麗な肌。

 

バイト先などではおよそ10人の男のうち8人が連絡先を知ろうと声をかけていたことを知っている。

当然その中には自分よりも格好が良く、お金にも余裕のある歳上の男性が多くアタックしていた。

 

しか彼女自分と別れることはなかった。

当時の自分は、彼女即物的ものに惹かれない素敵な女性だと思っていた。

一方で、いつか別れてしま不安も解消されることはなかった。

 

その不安を消すために、大学生だった自分扶養限度額の103万ぎりぎりまで稼ぎ、食費や交通費も削り、交際費に使った。

彼女はとても喜んでいてくれたと思う。

とても楽しい日々だった。

しかしそんな生活をずっと続けることは難しかった。

そのため自分はある日、交際費の減額をしたいと彼女に伝えた。

そして彼女は「そっか、それなら別れよう」と答えた。

当時の自分意味が分からなかった。なぜそんな答えが返ってくるのか。

彼女は「私のために頑張ってくれる君が好きだったけど、頑張ってくれないなら付き合う意味を感じないから」と言った。

衝撃だった。

自分が考えていた恋愛とは全く異なる価値観提示され、理解共感もできなかった。

彼女は僕のことを好きで付き合ってくれていたわけではないのか、しか彼女のために頑張る僕のことを好きだと言ってくれている、でも別れるとも言っていて、じゃあやっぱり好きではないのか。

堂々巡りだった。

しかし別れたくない一心で、減額を取りやめることをその場では伝えた。

彼女は喜び。その姿を見て自分もほっとした。これで良かったのだと思った。

しかし辛い生活が変わることはなく、彼女は今まで通りで、なぜ自分だけという不満だけが募っていったのだろう、だんだん彼女に対して性格の悪いことを言いはじめ、その数か月後にあっさりと振られた。

 

振られた直後はあれだけ頑張ったのにと腐る一方で、彼女のことは好きなままで、愛憎入り混じる感情を持ったまま生きていた。しか時間の流れはありがたいもので、数年たって当時の苦しみを忘れることができてきた。

 

大学卒業就職を経てお金時間にある程度の余裕が出てきた今、彼女のことを思い出すと、あぁ悪魔のような子だったんだと実感している。

 

さて、悪魔とはどのような存在だろうか。

ここではよくある悪魔エピソードとともに定義したい。

 

ある両親が、不治の病にかかった我が子を直すために悪魔に願った。

悪魔は願いの代償として、両親の最も大切なものを貰っていくと答えた。

両親は快諾し、子の病は治された。代償として子の魂を悪魔に持っていかれた。

 

なんともひどい話である子供のころに憤慨した記憶があるが、大人になった今では、悪魔には悪魔道理があるんだなと理解した。

 

もしここで最も大切なものである子の魂を両親が渡さなかったとしたら、それは悪魔に対して不誠実な行為である悪魔人間にとって性格の悪い存在ではない。人間にとって価値あるものを欲しがる存在と言える。結果的に、取られた人間は苦しむのである。逆に言えば、取られても苦しまないものはその人間にとって価値があるものとは言えないだろう。年収1億の人にとって100万円ははした金であろうが、年収100万のひとにとっては何よりも価値があるだろう。だからこそ悪魔のような彼女はそれを自分に欲していたのだ。

 

自分が苦しくなるほど価値あるものを代償に関係を維持する付き合い方は悪魔との付き合い方なのだろう。およそ凡人である自分にはとても不可能なことであるのも当然である。このように考えると、人との付き合い方とは、自分が苦しくならないもので保てる程度の関係で良いのだと思えている。

 

あなた悪魔の付き合い方をしている人はいませんか。もししているならば、私はあなた尊敬します。そしてあなた人生幸せであることを願います

 

 

 

2022-04-07

No More Dヲタ界隈の暗黙ルール強要

 批判覚悟書き込みます

 シンデレラ城前等映えるスポットに居座ってTikTokやインスタの撮影をしている子達と、一番ベストポジションでショーパレを楽しむために何時間も前からショー、パレードルート地蔵している人達に違いはありますか?

どちらも景観を損ね、通行の邪魔になっているという意味では大して変わらない気がします。

正直前者はオタクが単に自分達の中で決めた暗黙のルールを破っているか排除対象として非難されているようにしか見えません。

 トゥーンタウンの木箱やアラビアンコーストの窓枠、シンデレラ城の階段の手すり、アクアスフィアの石枠等確かに高い場所に登って写真撮影を行うことは危険だと思うし、注意が必要だったかもしれないです。けど、それはネットで総叩きして個人情報を晒されるという制裁を加えられなければいけないほどのことでしたかキャスト一言「あの子たち危険行為をしていませんか?」と伝えれば、それがもしトラブルにつながるのであればキャストゲストに直接注意して終わる話ではなかったのでしょうか。

あの一件10インスタ映えの子達が悪かったが世論でしたが、正直トゥーンタウンの木箱の周りに植栽が置かれたり、アラビアンコーストの窓枠が埋められたり、アクアスフィアの柵が増設されたりしたのも、ゲスト危険から遠ざけることだけを目的に設置されたんじゃないと思います。これ以上OLCが介入できないようなゲストトラブルを避けるための対策という意味合いもあったのではないでしょうか。

 一部のDヲタはよくよく自分の行動を振り返ってみてほしいです。やりすぎていませんか?

 一部のDヲタの「気に食わない。」という憎悪の私情一心での度の過ぎた注意喚起、本当によくないと思います。皆んなTDRでの楽しみ方の価値観が違うだけなんだということを知ってほしいです。

私はTDRがDヲタけが居心地の良いDヲタのためのパークになって欲しくありません。TDR魔法イマジネーション世界に包まれて、時には誰かの夢が叶う素敵な場所であってほしいです。

A新聞のM記者元総理一本釣りされた説を検証

いや、検証できるほどの材料手段も持ってないので、単なる想像ないし妄想だが。

A新聞のM記者編集委員)が元総理の意を受けて、D社のインタビュー記事事前検閲しようとして新聞から懲戒くらった件。

ブコメも沢山ついてて、一部の新聞記者政治家がベッタリなことや、朝日新聞にも自民党の重鎮と一心同体な記者がいた事実についていろいろ言及もされている。

だがしかし、この件、いわゆる“日本マスコミ政治部政治記者政治家とズブズブ”とか、“仲良し記者クラブが政治と緊張感ゼロ”みたいな話とは、少し毛色が違うのではないかと思う。

公表されてる経歴を見る限り、M記者地方支局から大阪社会部をへて中国留学して中国特派員と、どちらかというと社会部畑の経歴のようだ。

たいていの新聞社で、政治ベッタリの政治部と、とき警察検察サイドから汚職事件とかも追っかける社会部は仲が悪い。

おそらくM記者は、“特定政治家に太いパイプがあることでスクープものにしたり、社内で存在感を示してきた記者”ではなく、わりと真っ当に中国での活躍頭角を表したタイプなのだろう。

M記者本人もnoteでそのへんは弁明していて、安倍氏とのつながりはあくま個人的ものであることを強調している。

おそらく虚偽ではないだろう。

以上推測するに、元総理サイドが“中国事情に強いA新聞社の記者”をうまいこと一本釣りして取り込んでしまったのではなかろうか?

これ、A新聞上層部も、M記者がここまで元総理サイドの人間になってたのに気づいてなかったのではなかだたのかもしれない。

新聞社としては、職務として元総理に近づくようにM記者に命じたわけでもないし。

編集委員というのは、会社によって人によって結構職務に幅があるようだけど、一般にはある種の“専門職”で、わりと時間も行動も自由になる立場のようである

ときには、窓際がわりにとりあえず肩書あてがわれてる人もいるようだけど。

(なお、組織としての出世コースを目指す人は、デスクとか次長とか部長とか局次長になるので、編集委員にはならない)。

社会部出身中国が専門の編集委員が、その自由立場を利用して気づいたら元総理の“代理人”になっていたとしたら、A新聞幹部驚愕したのではなかろうか。

見ようによっては、“元総理スパイ”のようでもあるし。

もともと“政治家に取り込むことが仕事”の政治部も、あんまりおしろくはなかろう。出し抜かれてるわけだし。

そして、わずか数年のうちにM記者をすっかりシンパに取り込んでしまった元総理サイドも大したもんである

あの人の周りには、妙にお友達同士の結束が強固で、たんなる利害による結びつきにとどまらない親密さがたえず漂っているけれど、なにか近寄ってきた人を取りこむ磁場のようなものがあるのかもしれない。

いや、近寄ってきた人だけじゃないか

なぜかネットにも信者のような支持者が散見される。

権力者は中には、ときにすごい人たらしな一面を見せて周りの人を取り込む力のある人がいるというが、なんかそんな力があるのか。

とまあ、以上は勝手想像だけど、結構現実に近いのではないかと思っている。

いずれ、いろいろ裏話がでてくるのだろうが。

2022-04-06

銀座すき焼き屋を貸切って、高校生の時に付き合ってた女性と会った

味は一切わからなかった。吐きそう。吐きそうだから、ここに吐き出させてくれ。

経緯だけ。何が起きたのかは書かない。経緯だけ。

僕は高校に入った直後からイジメでずっと暴力を振るわれていた。

家に帰っても、親の前でいい子にしないといけなかった。逃げ場がなかった。

殴られている時にまわりの女の子から笑われた。

女の子に興味ある年だったのに女の子も怖かった。劣等感しかなかった。

金を取られたり火を付けられそうになったりした。死にたかった。

イジメっ子のグループの中で居場所を作ればいつか止まると思って、自らイジメられるようになった。

おかしくなってた。

そんな中、隣のクラスの子を好きになった。

もちろん自分ゴミだと思っていたし、彼女なんてできるわけがないと思ってた。女の子には笑われる人間だと思ってた。

でも告白したら彼女は付き合ってくれることになった。初めての彼女だけど、自分にとってそれ以上の意味だった。

地獄の中で、僕を承認してくれた、神だった。

当時僕は、彼女はもちろん僕のことを好きだから付き合ってくれていたと、思い込んでいた。

でも、違った。 彼女中学ときレイプされてから境界性パーソナリティ障害的な自傷行為として、いろいろな男に身を売っていた。

単に僕もその一人だっただけだった。

彼女は付き合ってすぐ僕に、「彼氏がいても他の男とセックスする汚い女だから別れたほうがいい」と言ってきた。

典型的境界例の試し行為だった。普通の男なら秒で別れるところを、

僕は、地獄降臨した神様を失いたくない一心で「それでもかまわない。好きだから一緒にいたい」と言った。

彼女は、わざと他の男と関係をもって「ほら別れたいでしょう」という行動を、僕に何度も繰り返してきた。

もちろん当時は精神分析なんてできないので、自分から別れを切り出さないのに、別れを勧めてくる彼女意味がわからなかった。

付き合っている人が自分以外の男と関係を持つという苦しさも、別れてまた一人ぼっちイジメを受けるよりはマシだった。

から「それでも別れない」と必死にしがみついた。

結局、それが彼女にとっての承認になった。図らずも、彼女にとってはありのままを知っても受け入れてくれる存在になった。

そこから、お互いがイジメレイプそれぞれの暴力による苦しみから精神的な逃避場になり共依存になった。

彼女は僕に救われたし僕は彼女に救われた。周りから卒業したら結婚するだろうと言われていた。つかの間の幸せだったかもしれない。

僕にイジメがなくなり彼女も他の男に身売りしなくなって3年たった夏のある日に、僕が浮気した。

僕は軽い遊びのつもりだった。けど彼女にとっては男性への信頼が崩れたフラッシュバックになった。

自傷行為が激しく再発して、手当り次第男と寝るようになり、そのうち父親不明妊娠した。彼女はひとりで生むことを選んだ。

自分のせいで再び狂っていく彼女を見て、僕は必死に謝ったり、駆け落ちをしようとしたりした。

けれど彼女からの信頼は戻らず、結局最後には、彼女から逃げ出すことにした。

大学に入ってもうイジメもなくなっていたし、浮気相手の子と付き合って、すべて忘れて過去と決別して、新しい人生を送ろうとした。

あれは全部なかったことだと、イジメも、そこから救ってくれた彼女も、その彼女自分で再び壊した自分も、ぜんぶ悪い夢だったんだと

それから10年ぐらい経って、僕はサラリーマンになってそれなりに成功して、独立をしようとしていた。

そのあたりから体に異変が起き始めた。毎年、夏のある日になると眩暈吐き気自律神経失調に悩むようになった。

ガン化した記憶にはうすうす気が付いていた。毎年大きくなっているのも知っていた。だけど見て見ぬふりを続けた。

数年前からは、夏の日の前後に鬱になるようになり薬を飲まないといけなくなった。

カウンセリングをうけると、当時の後悔と自責の巨大なトラウマがあり、時間が経てば立つほど一層ひどくなると言われた。

僕は20年の時を経て、あのときと同じように、彼女に助けてもらうことを選んだ。

自分封印自分で解いて、彼女に会って、その後20年でいったい彼女になにがあったのかを知ることにした。

そして、勝手に謝って、あわよくば許してもらって、助かりたいと思った。

カウンセラからは、彼女の状況によっては僕の症状は急激に悪化するかもしれないと言われた。

刺されてもおかしくない。でも、そもそも僕は高校で死んでいたかもしれない。

あわよくば助かりたい。でも刺してくれるなら、刺してほしい。あの人に殺してもらえるなら、それ以上の喜びはない。

そんなエゴエゴを重ねた理由で、20年ぶりに、銀座彼女と再開した。

ありがとう

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どんどん詰ってくれ。詰りまくってくれ。20年たってもう一回繰り返してるんだから

銀座の貸切はフロア単位な。零細の経営者だよ。

会社起業の軍資金は、その時に一人で子供を産もうとする彼女誘拐して駆け落ちしようとしたときの軍資金だよ。警察沙汰になって失敗したけど。

から経営投資成功すればするほど、メンタルが壊れてきてるんだよ。自慢してるのか自傷してるのかわからん。救いようない。

妄言だと思ってくれればそれでok

2022-03-30

小林麻耶さん、麻央さんについて思うこと

小林麻耶さん・麻央さん姉妹は、とてもよく似ている。

麻耶さんも麻央さんも恐らく、自分気持ちを抑圧する事で、家族平穏自身安全を守ってきた(そうして生き抜くしか方法がなかった)タイプの方々ではないかと思う。

幼少期に何があったかは知らないが、もしかしたら苦労もあったのかもしれない。

表に見せる表情と、心の内にあるとても繊細な気持ちとが乖離せざるを得ない環境にあったのではないか

まり、本当は寂しくても悲しくても、本当は傷付いていても、家族の為(あるいは自分の為)に無理に笑顔を作り続ける必要性があったのでないか

そうする事で乗り越えられた事、うまくいった事も確かにあったのかもしれない。

特に麻耶さんは、姉という立場もあり、背負うものが多い分、小さい頃から自分気持ちよりも家族や誰かを優先する機会も多かったのだろう。

自分気持ち自身無視し、心の傷がなかったかように振る舞う機会が多ければ多いほど、「私は平気だという顔」と「笑顔」仮面が張り付いたように剥がれなくなる。

以前から麻耶さんは、典型的なそれだと感じていた。

一方麻央さんは、そんな優しい姉の健気な努力に守られつつも、姉の無理を案じ気遣っていたのだろうと思う。

本当は繊細な姉の心を、これ以上犠牲にしなくてもいいよう「お姉ちゃん、少なくとも私は全然平気だよ」と、のほほんと、しかし図太く逞しい自分無意識に演じていたのではないかと感じる。

そのため麻央さんも麻耶さん同様、複雑な思いを抑圧していたのではないだろうか。

似たような特徴を持つ麻耶さんと麻央さんだが、2人には決定的な違いがある。

麻耶さんは、背負うものの重さによりその時その時が精一杯で、また、張り付いて剥がれない笑顔仮面と繊細な心との狭間で、どうしても「のらりくらり」状態になってしまう。

とても苦労をしているのに、苦労をしてるからこそ、フラフラとしているように見られてしまう。

一方麻央さんは、姉に守られている分の余裕を最大限に生かし、姉の苦悩をひっそりと支え続ける為の洞察力と安定感を磨いてきたのではないだろうか。

麻央さんなりに姉を守る為、のほほんと図太く鈍感な自分を保ち続けるというある種の信念を掲げていたであろう麻央さんは、とても真っ直ぐで、そして実は頑固な方だったのではないかと思う。

そんな姉妹大人になり、妹麻央さんは海老蔵さんと結婚する。

麻央さんは海老蔵さんに、麻耶さんと似たようなものを感じていたのではないだろうか。

海老蔵さんは、麻耶さん以上に強く強く自分を抑圧して生きてきたように見える。

しか麻耶さんとは違い、海老蔵さんには、いくら自分に圧をかけ抑えつけても漏れ出してしまうほど、溜め込んできた強い感情エネルギーがあるように感じる。

その強いエネルギーを抑え続ける為に、人間らしい感情を極限まで削る事を意識しながら、生きなければならなかったのではないだろうか。

そしてストイック自分を追い込み、恐らくあるであろうルーティーンをこなす事で安心感を得つつ、それでも足りない部分はさまざまな方法ガス抜きのように発散し、やり過ごすように生きてきたのではないだろうか。

麻央さんはそんな海老蔵さんの内なる心を、分かっていたはずだ。

今まで、抑圧して生きてきた姉をそばで見ていたのだから。そしてそんな姉を、ひっそりと支えてきたのだから

海老蔵さんと結婚した時点で麻央さんは、今まで姉にしてきたように、彼を支え守るという信念を掲げたのだろう。

彼の心をこれ以上犠牲にしなくても良くなるように「少なくとも、私は全然平気だよ」と、強く逞しく穏やかに

麻央さんの最期言葉は「あいしてる」だったと聞く。

麻央さんはどれだけ辛くても、自分犠牲にしようとも、その信念貫き通したのだ。


麻耶さんの話に戻そう。

妹は耐え難い苦しみを抱えながら、それでもひたむきに信念を貫こうとする姿。

麻耶さんは、そんな麻央さんをどう見ていただろう。

察するに余りあるが、麻耶さんは妹と妹が掲げた信念を守り抜く為、今まで以上に自分の心を抑圧し、「笑顔」で麻央さんと甥姪を支え続けていたのだろうと思う。

しかしもはや、今までのように「笑顔」では乗り越えられないほどの理不尽現実と、今までのようには抑えきれない強い感情もあったはずだ。

それでも、それでも麻耶さんは、笑顔を崩さなかった。崩せなかったのかもしれない。

妹を失っても尚。

麻耶さん自身、すでに剥がし方のわからなくなってしまった、そして結局何も救えなかった自分の「笑顔仮面」を憎んだだろう。

どれだけ自分を責めただろう。

その「笑顔仮面」が、ガラガラと崩れて剥がれるキッカケとなったのが、麻耶さんの元夫、國光あきらさんだ。

國光さんはとても優しい方なのだと思う。

恐らく麻央さんしか知らなかった、麻耶さんの笑顔仮面の下にある本当の顔を、彼は優しく撫でたのだ。

麻耶さんが今まで、家族や何かを守る為に笑ってやり過ごしてきた長い長い年月。

そして、抑圧してきた悲しみと怒り。

國光さんは自らが、麻耶さんの心を写す鏡となり、本当の姿を麻耶さんに思い出させた。

そして、そんな麻耶さんの全てを愛し守ると誓った。

「怒っていいんだよ、僕はとっても怒っている」


麻耶さんは時に恐る恐る、時に解き放つように、今まで抑圧してきた感情放出し始めた。

本当はとっても傷付いてきたのに、それを無視するように笑ってやり過ごしてきた自分自身

そうして傷付けられたことを、許したかのように振る舞ってしまっていた自分自身

そんな自分を変える為に、もうこれ以上後悔しない為に

から笑顔は、抑圧した気持ちを素直に吐き出し受け止めた先にあると信じ

今まで抑圧してきた感情の塊を、海老蔵さんに一心に向ける事で

自分自身を救おうとしている。

私には、そんな風に見えて仕方がない。



部外者勝手意見申し訳ありません。

麻耶さんへの誤解が解け、麻耶さんが救われる事を私は願っています

2022-03-28

あと少しで漏らすところだった

女。20代

その日は飼っている虫にあげる餌を採りに公園へ。

ひとけは少なく、近くに男性1人と駐車場で休憩している人が数人おり、たまに散歩の人が通りかかる程度。

開けた原っぱの中心で一心不乱に食草をムシっていると、腹痛と同時に便意に襲われた。

やばいと思った。

2日前に食べたネギトロに当たったのか、前日は5回ほど下痢をしていた。

当日の朝はなんともなかったので完全に油断していた。

公園公衆トイレは500メートル程先にある。

急ぎ足でトイレに向かう。

悪天候でいつもより冷たい風邪が腹痛をより誘発する。

何とかトイレに到着するも、手洗い場に石けんがない。

だめだ。

石けんのないトイレは使いたくない。

近くのコンビニまで車で5分。そこでしよう。

と、トイレを出ると男性と出くわした。草をむしっている時に近くにいた人だった。目が合ったあと男性男子便所の方へ歩いていった。

この人もトイレかな?でもこの公園トイレは石けんないぞと思った。

だがそんな事を考えている場合ではない。急いで駐車場に向かうも10歩歩いたところでギブアップ

石けんはないが、仕方がない。腹を決めてトイレに戻る。

手洗い場に戻って水は出るか確認していると、さっきの男性女子便所の方に戻って来るのが見えた。ここのトイレは壁に穴が空いたデザインなので、手洗い場から外が見える構造になっているのだ。

男性と壁越しに目が合う。

慌てたように再び男子便所の方に戻って行く男性

嫌な予感だ。

しかし奴はもう肛門の出口にスタンバしている。

無理だ。私はトイレの個室に入った。

カバンを置く場所を探していると、女子便所入口の方で物音がし、心臓が飛び跳ねる。

さっきの男か?盗撮か?もしそうなら今扉を開けていいものか?それともカメラがドアの隙間から出た時にカメラを奪い取るか?いやいや、ただの公園利用者かもしれない。

瞬時に色々なことを考えたが、奴が今にも肛門をぶち破って来そうだった。

パニックの末ここを出る決断をした。

そっと個室のドアを開けると、入口にはあの男が立っていた。片手にはスマホを持っている。また目が合った。固まる私。

男は目を合わせたまま立ち去って行った。

しばらく個室の入口で立ちすくむ。恐怖のせいで奴が少し引っ込んだ気がした。

急いで車に乗り、コンビニへと向かった。

公園を出る時、まだあの男がトイレの周りをうろうろしているのが見えた。

やはり盗撮魔だったのだろうか。

だとしたらやはりスマホが出てくるのを待った方が良かっただろうか。

変出者を見逃してしまった。

でもスマホを奪い取ったところでどうなる?個室内で警察通報したとして、警察が到着するまで安全に居られただろうか。

古い公衆トイレボロボロのドアを蹴破られない保証はない。

そんな事をぐるぐると考えているうちにコンビニに着いた。

無事、トイレは空いていた。

夫を連れて先程の公園に戻ると、もうあの男は居らず、小さい子どもを連れた家族が遊んでいた。

食草集めを見守っていた夫が毛虫に刺された。申し訳ない。

また新しい狩場を探さねば。

2022-03-05

先生に出さなかった年賀状の思い出

今は個人情報問題があって難しいと思うが、私が子供の頃は、担任先生から必ず年賀状が来ていた。

よく考えたら、年賀状代はおそらく私費なんだろうし、40人分近く印刷するのだって、それなりに手間がかかる。

そんなふうに、プライベート費用と手間まで費して、教員というのは本当に大変な職業だと思う。

その点ではむしろ教員が生徒に向けて年賀状を出す習慣というのは、無くなった方が平和なのかもしれない。

さて、年賀状は来たら基本的に返信するものである。私も担任先生に返信していた。

そして、担任から外れた次の年からは、感謝なのか慣習からなのか、年賀状自分から出すようになった。

すると、いつ辞めるかが問題になる。私の場合大学生になってようやく辞めた。

逆に言うと、大学生になるまで、担任だった先生への年賀状を延々と出し続けていたのだ。

初めてもらった年賀状幼稚園先生からだった。なので、一番長先生だと10年以上やりとりを続けていたことになる。

そんなに長くやりとりが続いて、微笑ましいことだって

いや、その事実は私にとって結構トラウマだ。

なぜなら、担任先生年賀状を送るのは、おそらく「学級通信」の延長みたいなもので、

担任としてのコミュニケーションを円滑にするためであろう。そうであるならば、担任と生徒の関係が終わったあとは、

こんなに長く年賀状をやりとりするなんて望んでいなかったんじゃないかと思うのだ。

端的に言うと、迷惑だったんじゃないかと思うのだ。

年賀状しか接点の無い単なる一生徒から10年以上も年賀状を送り続けられて、果たしてしかったのだろうか。

なにしろ、送った相手教員なのだ

「○○高校に行きました」と報告されても、多数居る教え子の一例でしかないのだ。

そんな多数の中の一情報に「嬉しい」と感じられるものなんだろうか。私が教員なら無理だと思う。

それに、この件で何が一番たちが悪いかというと、私自身の対応の仕方だ。

大学生になるまで担任だった人に年賀状を出し続けるというのは、そもそも私の本意ではなかったのだ。

他人年賀状をやり取りできる嬉しさで、10年以上も会っていない人に年賀状を出し続けたわけではなかった。

しろ、怒られるのが怖くて年賀状を出し続けていた。

具体的には、「担任だった先生年賀状を出さないなんて礼儀を失している」と親に怒られるんじゃないかと思っていた。

担任先生を想ってではなく、親に怒られるのが怖いという一心で、出したくもない年賀状を出していたのだ。

先生年賀状を作るのは手間だったろうが、当時子供だった私には、年賀状作りなんて冬休み憂鬱になるほど面倒な作業だった。

30代を終えようとしている私が子供の頃は、PCなんて普及していなかった。

そのため、自分干支イラストをクーピーで書き、「高校では○○部に入り、云々」みたいな近況を知らせる文面を考え、

ペン書きなので、書き損じにならないよう(つまり無駄になったと親に怒られないよう)、必死に気を使って書き付ける。

そんな、夏休み工作みたいなことを大学生になるまで毎年繰り返していた。

ということは、高校生のときももちろんそうしていた。

高校3年生の受験シーズンでも、受験時のナーバスな時期だからこそ、親に怒られるなんて絶対に嫌だと思って、

干支の絵をお絵描きしていた。そしてそれを、例えば幼稚園とき先生に送っていたのだ。

こうして、改めて今になってよく考えると、本当に頭のおかしいことをしてたんじゃないかと思う。

高校生になっただろう相手男性)が、小学生みたいな干支イラストで毎年年賀状を送りつけてくる。

それも、10年近く会ってない相手から

きっと、なんでこんな稚拙な絵を延々と送り続けてくるのか、新年早々の疑問になっていただろう。

しろ、恐怖を与えてしまっていたかもしれない。

などと客観的に考え出すと、我ながら恥ずかしいことをしてきたと、枕に顔を押し付け叫びたくなるほど後悔する。

受験勉強をセーブしてまで、やりたくも無いお絵描き10枚近く、きっと存在しなかった親の怒りを恐怖するために書き続けていた。

そう、この恥ずかしい行動の原動力は「親への恐怖」だったのだ。ここがいまだに、自分ことながら意味がわからない。

どうして、そこまで親に恐怖していたのだろう。別にそこまで仲が悪いわけでも無かったのに。

12月になると、特に希望もしていないのに、親から毎年無地の年賀状10枚渡されて、

それを無駄にすると怒られると思ったから?それにしたって、「もう高校生だから」と断ればよかったのだ。

本当に、私は頭のおかしなことをしてたと思う。「親への恐怖」という妄想で、かつて担任だった人々に迷惑をかけた。

自分ことながら、一種心理ホラーにさえ思える。

まあそれでも、大学生ときには、担任だった先生への年賀状を辞めることができた。

大学生になったので、塾のバイトを始めて給料が手に入り、年賀状くらい自分で買えるようになる。

当然、親から年賀状をもらう必要も無い。「年賀状自分で買うから」と、ようやく断ることができたのだ。

そして、自費で年賀状を買う段になって気づいた。気づいたことは2つある。

まずは、それなりの額を出せば、イラストが付いた年賀状が買えるのだということだ。

それまで、イラスト挨拶が書かれた年賀状は、大人業者に頼んで大量注文しないと手に入らないものだと思っていた。

それが、大学生協に並んでいたのだ。これは、本当に救われた!という気分になった。

そんなの、コンビニスーパーにも並んでるから大学生にならなくとも気づくだろ、と思われるかもしれない。

しかし、私は大学生になるまで、ろくにコンビニに入ったことが無かったのだ。

その理由は、私の家ではお小遣い制度が無かった(金銭必要とき必要なだけもらえる)というのが大きい。

学級帰りにコンビニに立ち寄ってパンでも買って帰ってくる、みたいなことをするお小遣いが手元に無かったのだ。

スーパーにしたって、中学生以降は親と行動するのが恥ずかしくなるわけで、ろくに立ち入ることが無かった。

まあ、そもそも田舎に住んでいたので、自宅から歩く距離にはコンビニスーパーも無かったわけだが。

話が横道に逸れたが、とにかく、金を出せば年賀状稚拙イラストを載せなくてもよいと知ったわけだ。

そして、もう一つ気づいたことは、そもそも論になるが、担任への年賀状意味はあるのかということだ。

それは大学生になって、担任というシステムから解放されたのが大きい。

(いや正確には、学年全体での担当教授は居た気がする。しかし、有名無実というか空気みたいな存在だった。)

大学では、自分知識は多くの教員バラバラと与えてくるものであり、担任という唯一の存在依存する必要が無い。

(まあ、ここについても、研究室に配属されるようになると、考えはまた変わってくるわけだが。)

そう考えると、それまでの「担任」という人々に、こんな10年も経ってまで感謝を示し続ける必要があるのか疑問になってきたのだ。

そういうわけで結局、大学一年生のとき年賀状は完全に取り止めた。

ちなみに、当時は実家暮らしだったため、自分年賀状を出していないというのは、親にも当然バレるはずだった。

正月以降に、毎年来るはずの担任先生たちから年賀状が全く来ない、という形でバレるはずであり、戦々恐々としながら新しい年を迎えた。

しかし、親には怒られなかった。

今考えれば、親に怒られるなんて全て私の妄想だったので、当然の結果だったわけだが、当時は心の底からホッとした。

まあ、そこからようやく「親への恐怖」が自分妄想であることに気づくようになり、

前述のとおり、これまで稚拙年賀状を出してきたことをトラウマに感じるようになってしまうわけだが。

というわけで、担任だった先生への年賀状の話でした。

結局、自分妄想他人を振り回してしまったわけで、その点は今でも申し訳なく思っている。

そして何より、自分自身稚拙イラストを書いたり本当に苦痛だった。

そんなお互いに苦痛な習慣を、自身勘違いで長年続けてしまったのは本当に黒歴史だ。

リアル相手にはとても言えないけど、黒歴史な思い出は文章にしてちゃん客観視しないと、

いつまでも「思い出しアー」になって苦しむことになる(実際、毎年年末に思い出して苦しんでいる)ので、一通り書き出した。

あとはこうして、匿名掲示板に記して供養としたい。

ちなみに、年賀状トラウマになったので、大学生以来誰にも出していません…

となれば、お話し的にはキレイな展開なんだと思うが、高校ときの友人との年賀状は、数枚ながらもまだ続いている。

大学生の頃は、年賀状なんか一生出すもんか!とも思っていたのだが、卒業すると就職で散り散りとなり、お互いの近況を知りたくなった。

現在であれば、それはLINEか何かで実現できるのだろうが、15年以上前の話なので、そこはやはり年賀状でのやり取りとなった。

携帯メールはあったんだけど、何かこう、正月だとかのきっかけがないと、お互いやりとりしないよね。

って、やっぱり私も古い人間なのかも。

まあとにかく、子供の頃は色々やってしまったけれど、年賀状を誰かに出す習慣はまだ潰えていない。

今はさすがに年賀状コンビニで買ってきたものを使っているけれど、その印刷された文面の端っこに、

ペン書きながらも簡単イラストを書いてしまうのは、そういう過去があったからなんです。

最後まで読んでくれて、ありがとう!)

2022-03-04

創作課題黒歴史

中学生の頃の思い出。ある時読書感想文課題があり、当時作文が、特に読書感想文がどうしても苦手だった私は代わりに創作文を書くことにした。本を読むことは好きだったが、読んだ感想というものがよくわからず、それならば一層のこと最初から自分で考えた方がまだ簡単だろうという目論見だった。創作なんてしたことは無かったが、何故か当時の自分は自信に満ち溢れていた。だが、実際に考え始めると、物語を考える行為は予想していた以上に難しく、結局ゲームの設定の世界クエストをやるような、今で言うなろう系の成り損ないのような話を書くことになった。そうして出来上がった内容は、村人である主人公が仲間と薬草を取りに冒険に出る、みたいなものだった。文章主人公したことの箇条書きでしかなくて、小学生自由帳に書き殴ったかのような内容とクオリティだったと思う。それでも、当時の自分は完成させて、書き上げた物語にとても自信を持っていた。そして私は自分物語を見せびらかしたい一心で、同じく創作文を選んだことを聞いたクラスメイトに、参考にしたいから書いた文を見せてほしいと頼んだ。しかし、私はそれを後悔した。当時の創作文の上限は2万字近くだったと記憶しているが、それに届くかに思えるような圧倒的な量と、pixivの人気字書きが書く綺麗な二次創作一次創作に落とし込めたようなクオリティクラスメイト作品は兼ね備えていた。思うに、そのクラスメイト普段から創作活動に励んでいたのだろう。対照的に私の作品は下限ギリギリ原稿用紙数4枚程度を、出来事を羅列したプロットに近い形でなんとか埋めたようなものだった。そんな作品を、私はクラスメイト作品を読ませてもらった後で、お返しに読んでもらおうと握りしめていたのだが、クラスメイト原稿の一枚に軽く目を通すや否や、自分作品が恥ずかしくなって、思わず借りた原稿を返した。そして、そのまま自分原稿用紙を人に見つからないように自分の家へと持ち帰り、ゴミ箱に捨てた。結局、課題は何も出さないまま提出期限を迎え、締切を延長してもらい、怒られて急かされても尚何も出さなかった。ここでこの黒歴史は終わりである。話のオチになるような出来事はとてもないが、あの時自分の書いた文章を恥じた感情が、少しでも今の自分によって弔われていると良いなと思った。今でも自分文章を巧いと思うことはなければ、他人に書かれた優れた文章比較して劣っているように感じることもあるが、それでも自分が書いた文章を好きだと、自分で言ってやることはできるようになったのだから

2022-02-25

生きることは、一心に続けること


「オミクロン」という単語を、昔のロボットのように、イントネーションつけずに発音してみよう

何かが変わる


まずは発音

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