はてなキーワード: モザイクとは
禁止出品物
●法令に違反しているまたはその可能性があると当社が判断した商品(例:無修正ビデオ、児童ポルノなど)
●反社会的なものまたはその可能性があると当社が判断した商品(例:レイプ、盗撮など)
●被写体の実年齢や被写体が実在するか否かにかかわらず、服装、肢体、タイトル、商品説明などを総合的に判断し、18歳未満の者の性的な姿態を連想させると当社が判断した商品(漫画・アニメーション、フィギュアなどの商品を含む)
(例:被写体が学生服、幼児服、ランドセルを着用している商品、タイトルや商品説明に「幼女」「○学生」「S 学生」「JC」「T 学生」「C 学生」「女子高生」「女子校生」「女○○生」「JK」「男子高生」「男子校生」などという表現が用いられている商品)
上から順に説明していく
無修正、児童ポルノは論外として、それっぽいことが書かれていてもNGである
モザイクという単語も不可。○○デジタルモザイクなんてタイトルのAVがあるが、そのまま書くと消される
●被写体の実年齢や被写体が実在するか否かにかかわらず、服装、肢体、タイトル、商品説明などを総合的に判断し、18歳未満の者の性的な姿態を連想させると当社が判断した商品(漫画・アニメーション、フィギュアなどの商品を含む)
(例:被写体が学生服、幼児服、ランドセルを着用している商品、タイトルや商品説明に「幼女」「○学生」「S 学生」「JC」「T 学生」「C 学生」「女子高生」「女子校生」「女○○生」「JK」「男子高生」「男子校生」などという表現が用いられている商品)
定番の内容だが、消される可能性は非常に高い
パケ写も引っかかるので、制服、スクール水着を着用した作品の場合は注意
顔がロリっぽいだけでも消されたことがある
今後、基準の厳密さが変わることもありうるので参考程度に
何度も削除されていると、IDの停止などもありえるので気を付けて出品してください
米寿を迎えた祖父母を見舞った帰り道、スローガンをたたえた幟が個人雑貨店の出入り口に立てかけられていて、思わず呻いてしまった。
つくし野、という高度経済成長期に作られたニュータウンならどこにでも見かける名前に合わせるかのように、
確かにまたつくし野に戻ろうとしているのが肌に感じられたから。
近くに出来たマンション群の甲斐あってリフレッシュに成功した駅前と変わって、
かつての田畑を宅地に造成した住宅街はそこに住む住人とともに歳を静かに重ねていくように見えた。
もっともその風景の半分は家庭菜園という趣味が景色の一端を担っていて、
静か過ぎる平坦な休農地の隣で騒がしくしていた。
休日の今日は色々な人が出入りしていたけど、それに合わせるかのように田畑もいろいろなモノが植えられている。
年の瀬にしか来ない弁財天でお参り。楼門を支える白く塗ったコンクリを品がないと思うのはいつものこと。
裏手に回って祖父母の名前を確認して安心を覚えるのもいつものこと。
橋に来た。よく伸びる冬の日差しが川面に落とした自分の影を辿ると、
ふと子供の背丈しさない欄干を乗り越えたい誘惑に駆られる。思わずよろけた側を、ごめんなさいと風に乗った自転車が通り過ぎていった。
長い。長すぎる。早く行きたい。ちょうど側を追い抜いていったランナーについていって十秒で息が切れた。
そしてたどり着くは辺境、もといちょっと田舎目な二郎店……時間が悪いのか開いてない。
2キロ先のスタバで時間を潰して戻ると、日も暮れて良い時間になっていたがやはり開いていなかった。
悪い予感がしてスマホで検索すると二郎botにお休みするの店長の声。結局二軒隣の吉野家で散財した。
駅までの帰り道、住宅街にありつつ、いい感じのスイーツのお店を見つけて入る。
嬉しいことがあるたびによくクッキーとケーキを持ち帰ったことをつかの間思い出した。
後々、原宿で偶然入った同じ名前のお店が姉妹店であることを知って、
そっちにある方が失礼ながら違和感が絶えなかったのを思い出す。
残念ながら原宿店は閉じてしまったけど成瀬の方は無事妹と同い歳を迎えたはず。
このお店はどうだろう。
軽く10キロ以上歩いた後のくたびれた気持ちをコートで軽くガードして、
カウンター横のコーナーを物色しながら、半目でチョコレートコーナーを視界からガードする。
二郎の口直しにまた買いに来よう。
GoogleMapは人を知らない。
初めての道が幹線道路を外れてついでに街灯も外れてるのだけど、どうなの。
夜道モードがあれば、良いのにと思う。
せっかくなので、通信メディアの個人史を書いてみたい。自分のブログでやっても良いのだが、わざわざ誘導するのも申し訳ないので増田で書くことにする。あと、前半部分は「通信メディア」の話ではない。
ぼくが初めてパソコンに触れたのは小学校4年生のころだった。当時、既に型落ちだったNECのPC-6001を買ってもらったのだ。当時はまだ「パソコン」か「マイコン」かで名称が統一されていなかった時代でもある。記録媒体はカセットテープ。ゲームをするためにはまず、何十分もかけてロードをしなくてはならない。あとちょっとでロード完了というところでエラーが出たりすると泣きそうになった。
市販のゲームは高価だったので、ぼくは当時の多くのパソコン少年と同じく、雑誌の載っていたプログラムをよく入力していた。姉の使っていた譜面台にパソコン雑誌を乗せ、そこに掲載されたプログラムを延々と入力していく。もちろんミスが多発する。エラーが出ると雑誌とにらめっこをしながら、どこが間違えているのかを必死で探す。デバッグがすべて完了するころにはゲーム自体に飽きているということもよくあった。
当時はまだ、パソコンのメーカーがそれぞれの独自の規格でPCを開発していた時代だった。しかも、同じメーカーのパソコンであっても機種が違えば互換性がないことが多かった。だから、NECのパソコンのソフトがシャープのパソコンで動かないのは言うまでもなく、PC-6001はPC-8001よりも新機種であったにもかかわらず、後者のプログラムは前者では動かない。パソコン雑誌で他の機種用の面白そうなゲームプログラムを見ては悔しい思いをよくしていた。移植をする技術はぼくにはなかった。
その後、中学校に上がると、ぼくのパソコンはPC-8801mkII FRになった。名機と言われたPC-8801mkII SRの後継機だ。記録媒体は5インチのフロッピーディスクになり、一瞬でセーブやロードができるようになった。ただし、中学生にとってフロッピーディスクは高価な代物で、500円で10枚入りという安売りのものを愛用していた。ちなみに、安いディスクだとドライブに入ただけでシャカシャカシャカシャカ…という音がする。仲間のあいだでは「シャカシャカディスク」と呼ばれていた。
せっかくの新マシンではあったが、やはり用途はゲームだった。雑誌に掲載されるプログラムも徐々に高度になり、マシン語を使ったものも多かった。01 C3 AA 90…みたいな文字列を果てしなく入力していく作業はかなりの苦行で、エラーが起きると手に負えなくなることも多く、挫折ばかりしていた。
なお、当時はすでにパソコン通信が始まっており、PC-VANやアスキーネットなどの大手もすでにサービスを開始していた。当初は音響カプラという装置を使っていたのではないかと思うが、詳しくはわからない。ぼくにとってパソコン通信は遠い世界の話で、雑誌でたまに見る程度のものだった。
中学3年生になり、高校受験を控えたぼくは、何を思ったかパソコンで受験勉強をしようと思いついた。受験RPGなるものをN88-BASICで作ろうとしたのだ。街を歩いているとモンスターに遭遇する。そのモンスターが出してくる問題に正解すれば、プレイヤーは経験値を稼げる。最終目標は名門ナダール高校への合格という、ゲームと勉強の両立を目指したものだった。結果はまあ、書く必要もないだろう。世の中にそんな都合のいい話はないのである。
高校に入学すると、ぼくの関心はパソコンから遠ざかっていった。部活が忙しくなったほか、当時のバンドブームにのってギターなどを始めてしまったからだ。無論、このあたりはぼくの黒歴史になっている。
ちなみに、ぼくとほぼ同年代の英国人ライター、スティーブン・プールには『トリガー・ハッピー』(2001年)というテレビゲームの歴史を扱った著作がある。この本を読んでいると、高校時代にゲームから離れてバンドをやるところまでまったく同じだった。ここには国境を越えた何かがもしかするとあったのかもしれない。
しかし、大学受験を前にして、ぼくは再びパソコンに向かい始める。3年前に挫折した一大プロジェクトである受験RPGの製作にふたたび乗り出したのだ。アホだ。予備校の夏期講習を受けながら、頭のなかで構想がどんどん膨らんでいった。
技術は全く進歩していなかったが、根気だけはついていた。ゲームの目標を大学合格に切り替え、パソコンのメモリの少なさに苦労しながら様々なアイテムやイベントまで用意した。しかし、言うまでもなく受験には全く何の役にも立たなかった。大学受験が始まる数日前、ほんの気晴らしのつもりで始めたドラクエ3を受験日程がすべて終了するまでにクリアしてしまったのが悪かったのか、1年目のぼくは受験に失敗し、浪人生活に突入したのである。
1年間の辛い浪人生活を経て、ぼくは東京の私立大学になんとか滑りこむことに成功した。入学式当日、知り合いの誰もいないキャンパスを一人で歩いていると、同じく新入生とおぼしき一団が歩いていた。彼らの一人が「あいつのポケベルの番号、いくつだっけ?」と言うのを耳にしてぼくは衝撃を受ける。東京の学生はポケベルを持っている!ぼくにとってポケベルというのはサラリーマンのためのツールであって、普通の学生が持つようなものではないと思い込んでいたからだ。
入学式の時点でグループができているということは、彼らはおそらく付属校か東京の進学校の出身者のグループだったのではないかと想像する。この時点ですでに情報メディアの利用をめぐってかなりの格差が生まれていたのかもしれない。
いずれにせよ、その後のぼくの生活にやはりポケベルは無縁だった。女子高生のあいだでポケベルが流行っているというのも別世界の話題だった。女子高生の妹がいる友人によると、メッセージが来るとすぐに返信しないと仲間はずれにされかねないということだったので、それはそれで大変そうだと思ったのを記憶している。
その一方で、大学に入学してから、ぼくは固定電話と大変に仲が良くなった。一人暮らしを始めたこともあって、友人とよく長電話をするようになったからだ。コードレスではなかったので、硬い床に寝転がりながら何時間も話をした。「いやー、今日はよく話したよね。ところで、いったい何を話していたんだろうね」などと会話を振り返り始めることで会話がまた長くなるという、まったく生産性のないことをよくしていた。ただ、こうした長電話はぼくに限った話ではなく、わりと一般的に行われていたのではないかと思う。一人暮らしの寂しさを紛らわせるうえで固定電話は重要なツールだったのではなかろうか。
あるとき、風呂にお湯を張っていると、たまたま当時好きだった女の子から電話がかかってきたことがあった。話しているうちに浴槽が一杯になった。コードレスではないので電話をしたままではお湯を止めにいくことができない。だが「お湯を止めてくる」と言えば、電話を切られてしまうかもしれない。そのため、浴槽からお湯が溢れるのをただ眺めながら会話を懸命に続けていたことを思い出す。
ぼくが「インターネット」という言葉を初めて聞いたのは国際政治の授業だった。大学2年生のころだったから1994年のはずだ。日本でもインターネットの商業利用は1992年にすでに始まっていたが、パソコンに関心を失っていたぼくには全く無縁の話だった。大学のパソコン室でタッチタイピングは修得したものの、授業で履修したC言語はあっさり挫折した。数学が果てしなく苦手だったぼくは、理解できない数式をパソコンに解かせるという作業について行けなかったのだ。
大学2年生の終わりごろ、ゼミの選考があった。メディア系のゼミを志望したせいか、志望者には新しいもの好きが多かった。面接の待機場所では多くの志望者が携帯電話を持ち、お互いの番号を交換していた。衝撃的な光景だった。彼らは無意味に相手を電話にかける遊びなどをしていたので、単に見せびらかしたかっただけかもしれない。
しかし、ぼくが携帯電話、というよりPHSを購入したのは大学4年生も終わりに差し掛かったころだった。1996年から1997年にかけて携帯電話・PHSの普及率は25%から46%に跳ねがっているが、こうした指標では若者が先行しがちなことを考えると平均的か、やや遅いぐらいではなかったかと思う。
当時は街のいたるところでPHSの安売りをしていた。今川焼を売っている店でさえ扱っていたぐらいだ。PHSを1年ほど使い、その後はドコモの携帯電話に切り替えた。通話が途切れやすいという難点はあったものの、PHSのほうが音質は良かったのではないかと思う。
他方で、大学3年生になると、ぼくは再びパソコンに関心を持つようになった。1995年、ウィンドウズ95が発売された年である。「インターネット」という言葉が急激に人口に膾炙していった。大学のパソコン室で友人に電子メールを送るようにもなった。当時はメールが来るだけで嬉しかったものだ。ブラウザはまだモザイクを使っていた人が多かったのではないかと思う。しかし、当時のぼくはまだブラウザという概念を理解していなかった。周囲のひとが「モザイク」という言葉を口にするたび、それはエッチな何かなのかとあらぬ妄想に浸っていたのだった。
ともあれ、エプソン製のノートパソコンを購入し、自宅からインターネットに接続するようにもなった。大学の授業でホームページを作ったという友人に刺激を受け、自分でも卒業の直前ぐらいに朝日ネットでホームページを立ち上げた。いまでもそのアドレスにはぼくのホームページが置いてあるので、もうかれこれ20年近くになる。先日、インターネット・アーカイブで自分のページを探してみたところ、16年ぐらい前まで遡ることができた。若気の至りというのは本当に恐ろしいものである。
もっとも、ぼくの目線からすると、当時のインターネットはそれほど面白いものではなかった。今ほどに情報が充実していたわけでもなく、それを探すためのスキルもなかった。ぼくにとってインターネットよりも面白かったのがパソコン通信だった。当時、すでにパソコン通信の時代は終わりつつあったはずだが、それでも見知らぬ人たちとやりとりをするのが面白くて仕方がなかった。もちろん喧嘩も多く、罵り合いをなんとか仲裁したいと思いつつ、結局はうまくいかないということばかりだった。
ぼくが参加していたのは朝日ネットのフォーラムだが、恐ろしいことにいまでもログインすれば当時のログを見ることができる。「ネット上からはとうに消え去ってしまったはずの今なき父親の情報が、パソコン通信のログに残っていることを主人公が発見する」というフィクションを考えていたのだが、興味のあるひとは使ってみてください。
その後、パソコン通信は急速に退潮し、インターネットの時代が本格的にやってきた。ネット上で怪しい情報が飛び交うサイトがあるということを最初に教えてくれたのは知人だった。言うまでもなく「2ちゃんねる」である。それ以前にも「あやしいわーるど」や「あめぞう」といった掲示板はあったはずだが、それらはぼくの全く知らない領域の話だった。
…と、ここまで書いて力尽きた。ここから先は特筆すべきこともあまりないので、唐突ではあるが、このあたりで終わろうと思う。ずいぶんと長くなったが、最後まで読んでくれたひとは果たしているのだろうか…。
http://anond.hatelabo.jp/20150226113822
~ 暗転 舞台は車内へ ~
ぬーべー 「じゃあちょっと悪いんだけどちょっと脱いで・・・もらえますかね」(棒読み)
ぬーべー 「そのぶんは、ギャラ出すんで」(棒読み)
ぬーべー 「じゃあさ、あのこの、これで濡らしてもらえるかな」(棒読み)
~ 渡されたフランス書院を読みながらヴ●ギナを触るアルビレックス ~
岡台区長 「それ(濡れ具合)っていうのは何割ぐらいかなぁ?」(棒読み)
~ ぬーべーに何かをされているアルビレックス。モザイクでよく見えないがアルビレックスの顔は明らかにドン引きしている ~
岡台区長 「じゃあ続きは、ホテルの方でって感じで」(棒読み)
ぬーべー 「それ良い体してんね」(棒読み)
アルビレックス (ぬーべーにスカート脱ぎを催促されて)「スカートも・・・」(棒読み)
~ しぶしぶ承諾し、ニヤけながらも全裸になるアルビレックス ~
ぬーべー 「悪いんだけどさ、立ってもらえるかな」(棒読み)
岡台区長 「じゃあ後ろ向いてもらって・・・後ろォ」(棒読み)
ぬーべー 「自分の手でこう、ミェ、穴が見えるように、広げてくれる」(棒読み)
アルビレックス 「ケツとかは・・・勘弁してくださいね」(棒読み)
~ そう軽く請け合うとおもむろにベッドにアルビレックスを寝かせるぬーべー ~
.
サジダ・リシャウィ死刑囚の釈放が日本人1人の命を助ける条件となった時点で、なんだか意味不明な感じになって来たね。どっちかって言うと、それはヨルダン政府のさじ加減なので、日本政府的にはお願いするしかないという。しかもヨルダン的にはイスラム国に捕まってるヨルダン人のパイロットとの交換でサジダ・リシャウィ死刑囚を材料にしてたわけですから、もう寝耳に水って感じ。「いや、日本人より自国民優先だよ!」って言いたくなるのは当たり前ですな。
さて、書きたいことはそんなことじゃなくて、日本人2人が人質となった事件と2人を同じレベルで報じてるわけですが、まぁ、人道的な見地とか命の重さとかって感じではそうなんでしょうけど、個人的にはそう割り切れないんだな〜。
世界の紛争地域の情勢を命を賭して伝えようとするジャーナリストと、ちょっと引きこもり気味だったのが趣味の延長的に民間軍事会社を作って、その会社の実績作りのためとか言って素人と大して変わらない状態で激戦区に行ってサクッと捕まった人とでは、やっぱちょっと違う気がするんですけど。もちろん救出する対象としての大事さは両者同じ。同じなんだけど......って感じ。最近、テレビに登場してる湯川さんの会社の顧問という立場の親戚の人のコメントもダメ。「あいつがしっかり仕事してくれればと思って会社作る時に協力したんだけど......」的なこと言ってるけど、だったら止めろよ!会社作る時に「民間軍事会社なんて、お前、何考えてるんだ!もっと、人様の役に経つ介護の仕事とかどうだ?」とか言ってさ。そんなこんなで、私には湯川さんを同情する気が全くおきないんだな〜。
ちなみに、いまこのタイミングで日曜の未明にネットにアップされた画像のモザイクが小さくなり音声が公開されたのは、日本政府の思惑があるんじゃないかという邪推してしまいます。後藤さんのメッセージをストレートに聞くと何とも自己中です。もちろん言わされてる内容だとわかってるんですけど、それでもちょっと同情感が薄れる内容。だからこそ、政府は公開したのではないかと。この問題で安倍政権にキズを付けるわけにはいきませんからね。4月には統一地方選挙も控えてますし。なんか、世の中の空気感が醸造されてる感がするのは俺だけか?
ただ、個人的に一番困るのはこれ。この事件をきっかけに、またまたエンタメの世界で自粛が始まってる。例えば、先週金曜日のMステに『凛として時雨』が初登場(?)してましたけど、過激な歌詞の部分をちょっと変えたり、歌詞のテロップを出さなかったりとか。なんだかな〜って感じ。凛として時雨の曲が主題歌に使われてる映画『PSYCHO-PASS』って、ゲリラとかテロとかそういうのがバンバン出て来ますけど、いつか観れなくなったりしてね(俺、もう観たから大丈夫)......まぁ、考え方は色々ですけど、エンタメはエンタメで切り離して欲しいと思いますけど。
とりあえず、2人が無事救出されることを祈ってます。
http://anond.hatelabo.jp/20150105203836
いや、まったく矛盾してないと思う。アナルと恥じらいはいわば一心同体。どちらかがかけても駄目だ。
あくまでアナルは「恥ずかしいところ」「汚いところ」であり「そんなところにモノを入れるなんてもってのほか」であってほしい。そういう穴に無理やりモノを入れてやったり拡張してやったりするのが興奮するのだ。
アナルとは触れてはいけない聖域である。しかしその聖域を犯すという罪悪感にも似た感情が、より性欲を掻き立てる!!
個人的にはバイブなどより、指でほじるのが好き。より恥じらいを感じる気がする。
だから、自分は海外のアナルもののavではイマイチ興奮しない。女優がアウアウ言いながら全開でアナルを楽しんでいてはダメなのだ。あくまで女優が恥じらいながら、恥ずかしいやめて、と言ってないとダメなのだ。
あと、日本人でもアナル慣れしたAV女優とかも興奮しないですよね。
私は普通のAV女優の尻ものが一番興奮します。恥じらいながら、広げられたり、アップで見られたりなど、たまらない。
アナルセックス解禁とかもよいが、モザイクがかかるからなぁ。まあ、ケツにチンコのような超異物が挿入されてると思うと、モザイクあってもまあいいかとも思える。
当協会として喜ばしい限りである。
お前が一人で勝手に書いてるんだろ!と思われるかもしれないが、当協会の作品ではないことも多い。
本当に増田でアナルが流行りつつあるように思う。素晴らしいことではないか!
このまま、増田からリアルにまで広まり、世間がアナルに寛容になることを望んでいる。
例えば、女の子がアナルを見せて街を歩くような、へそ出しルックならぬアナ出しルックが流行するようなそんな世の中。
みんながマン○よりアナルを好きになり、アナルにフォーカスを当てないとAVが売れなくなる。
巷の女もアナル大好き。アナルセックスNGの男性はあり得ないとか言い出す始末。
そのうち、どんどんエスカレートしていき、街中で女の子がうんこを漏らしてもOKになる。
皆さんはお気づきでしょうか?この世にはおっさんしかいないことを。まず、信じないでしょう。そして、信じがたいことでしょう。しかし、それが現実なのです。
一番身近な例としては、アニメがあります。美少女が可愛い事をしてくれる様を描いた夢の様な作品。あれの制作者のほとんどがおっさんであり、おっさんの妄想を元におっさんが描いた絵でおっさんが萌えるという、おっさんの無限機関とも言える物であることは、詳しい方ならご存知のはずです。
実は、それだけに留まらないのです。インターネット上で女性を自称している人ばかりか、日々生活する中で出会う女性らしき人物のほとんどは中身がおっさんなのです。衝撃的でしょう。信じられないでしょう。信じられなかったとして、何か一つでも確証があったでしょうか?
そして最悪なことに、2014年12月現在、日本からはほぼ女性が絶滅してしまいました。何よりもの証拠は、アレにモザイクが掛かっていることや、アレの名前を言うと伏せられてしまうこと、アレを造形しようとすると逮捕されることからも明白です。そう、アレの本当の造形が知れ渡ってしまえば、女性が絶滅したことがバレてしまい、日本から男がいなくなってしまう恐れがあるため、政府の陰謀によってこれを隠そうとしているためです。完全に隠れていない?無修正を見たことがある?それが無修正だと何故言えるんですか?全てがCGでないと言えますか?
「高精細なCGを描画する技術は最近やっと獲得したものであって、それ以前に技術が存在していない」と言い切れる根拠は何ですか?たとえば、PS3はスーパーコンピュータ並みの処理能力を発揮しましたが、その技術的進歩のみが現実の姿であると言えますか?人工衛星とファミリーコンピュータに搭載されたCPUが同じものだと本当に信じているのですか?それは全て、政府の陰謀によって企てられたブラフであり、裏で行われた開発競争を覆い隠すための罠だったのです。そうでもなければ、有害なゲームばかりを出すあの忌々しい箱を作ろうなどと何故思うのでしょうか?即ち、実際にはこれよりも処理能力の高いコンピュータが既に開発されていてもおかしくないということです。
では、何故子供が出来るのか。人間が絶滅してしまわないのか。疑問ですよね?この日本には既に女性はいません。たとえ男性が生き残っていたとしても、ツガイとなる存在がいなければ、子供なんて出来ないはずです。なのに出来ている。その子供、本当に人間でしたか?もう既に日本のほとんどがアンドロイド化しているのです。そのアンドロイドはもちろん、おっさんが操作しているのです。アンドロイドの駆動原理はもちろん、秘密裏に開発された最新のコンピュータですから、人間と見間違えて当然なのです。
スーパー銭湯にいってアレやソレが付いている子供を見たことがあるし、甥や姪にもあったからアンドロイド化は嘘?それはきっと幸せなパターンです。あなたの周りが最後の人間集落なのです。その他は全てアンドロイドですが、その事実は絶対に知れ渡ることはありません。何故ならば、その真実を知った瞬間にアンドロイドを通じてそれを秘匿とするための遺伝子破壊プログラムが注入され、事実を口走ろうとした瞬間に死んでしまうからです。また、不自然な死者数が観測されないのは、発ガンの危険性や急病といった言葉で片付けられているためです。
そう、誰も死にたくはありませんから、その事実を秘匿しようと躍起になっているため、どうにかしてその不適切な真実を覆い隠すため、アニメや漫画の表現規制を推し進めているのです。その正体とは、アンドロイドを見てしまったおっさんと、アンドロイドを操作してるおっさんであると考えれば合点が行くはずです。表現規制が完成すれば、改めてアンドロイドの不自然さはなくなり、それが常識となるでしょう。この時が、本当の女性の絶滅ということになります。しいては全人類の絶滅となり、地上には人型のアンドロイドが人間のつもりで生きていくことでしょう。
まだ信じられない?何を以ってそう言うのでしょうか?雑誌?テレビ?新聞?それとも…。気づいて下さい。全てが作り物なんです。あなたはそれらが作り物でないと言い切れる自信が果たしてあるでしょうか?あなたが直接確認することのできた真実というのが、どれだけあったことでしょうか?
"テレビが映した商品を利用したことがあるし、真実を語っていると思う"?それこそがブラフなのです。それ以外の事は見たことも聞いたことも無くても本当だと言えるのですか?あなたは既に嘘に侵されているのに、その真偽の判断が出来ないまでになっていないと、どうやって否定しますか?ましてや、発信源もろくに特定できないインターネット上の情報に信頼性があると、何故言えるのでしょうか?
というのは全て嘘です。
あなたが信じている「真実」というものはもしかしたら、「信じたかった理想」に過ぎないものかもしれません。揺るぎない「真実」と言えるのは、身体に宿った五感で感じ取れること。それだけのはずです。
インターネットを止めて、テレビも消して、新聞も折りたたんで、旅に出ましょう。あなたが直接感じた事こそが、あなたが勝ち取れる真実そのものなのですから。
ファン「し、新刊1冊ずつ下さい!」
私「1200円で~す」
脱サラして幾星霜、同人サークル『おティンティンらんど』は立派な壁サーに成長した。
コミケ、COMIC1、各オンリーイベントで同人マンガを頒布している。筆は早い。
数十部の新刊(『エントリープラグ挿入 1人目の綾波編』)がすべて捌けた。
ホールに響く井上陽水を聴きながら、感涙を堪えるのに必死だった。
劇的なその感動がなければ、きっと筆を折っていただろう。
日中は企業戦士として働き、夜は同人作家として執筆に勤しむ毎日が始まった。
コツコツ努力することは性分に合っている。描くほどに絵はうまくなり、新刊の頒布数は倍々ゲームで増えていった。
私の野望は尽きない。
持ち出し超過だった中国人向け(学生・社畜時代、寸暇を惜しんで語学を修めたのだ)オタグッズ輸入代行業は軌道に乗りつつある。
また、日にペラ2枚のノルマを課し、ライトノベル(『ぴんくいろモザイク』 ※18禁)も書いている。成人向けゆえ、新人賞ではなく編集部持ち込みになるが、『おティンティンらんど』のネームバリューがあれば門前払いされることはなかろう。
M字開脚でマ○コ広げててもなんとも思わん。
モザイクがあるからとかじゃなくて、無くても大して興奮しない。
俺にとってマ○コなんて、おっぱいと同程度の価値しかない。そこそこ興奮する程度。
アナルの魅力と比べればマ○コなんて。
高校のころにファミコンとであってずっとゲーム。で、最近のゲームはマイキャラが人間のばっかりだ。昔はペンギンやらネズミの警察官やら猫の母さんやらいろいろあったのだけど、今は人間。それも軍属。
拳銃が生活圏にある文化のゲームが増えた。俺からすれば拳銃をぶっ放すのもドラゴンスレイヤーをぶん回すのも距離は同じなんだけど、手元に拳銃がある人だとぜんぜんゲームの手触りが違うのだろうと思う。おもうまま拳銃をぶっ放したいけどできないからゲームの中でそれをするんじゃないかと。文化的オナニーとでもいえばいいのか。俺には趣味の合わないアダルトビデオを見せられている感覚が強い。日本人にはモザイク処理が入ったAVが合うんだろう。ワビサビ。
ども。ネオニートです。暇なのでXVIDEOSをまとめてるエロ動画サイトとかを見まくりです。
XVIDEOS本体を見てもいいんだけど、謎の追跡cookieみたいなのが仕込まれてる気がするんだよなー。
定期健診で、ノートン先生が何かいたよ~って言ってくれるし。。他のエロサイトで仕込まれたのかな。
XVIDEOSまとめサイトはそれはそれで広告多すぎだし、騙しリンクが多いサイトもほとんどだし。。
良いサイトも結構あるんだけど、動画が死んでるからチンチンも萎えちゃうってもんです。
安全度で言うならFC2アダルト動画?の方がいいんだけど、有料会員じゃないと一日の閲覧に制限かかるのがアレですよね。
cookieあぼ~んすれば確か大丈夫だった気がするけど、それはスマホだけだったか記憶が曖昧だけど・・
個人的には、モロってないモザイクかかってるほうが好きだからまとめてるサイト見てるけど、動画消えたらページも消えるようなサイトがあればいいですよね。
↑前はそういうサイトが実際あったんだけどいつの間にか閉鎖してた(笑)
最近は、動画がそこそこ生きてるXVIDEOSまとめをこっそり見てるけど。
教えてもらったmasturbateっていうサイトもかなりいいですね!
エロは人間の欲求そのもので、健全な成人男子は決して抗えないもの。
だから、エロサイトには絶対的な集客力がある。大したプロモーションしなくても、どんどんPVが上がっていくと思っていた時期が私にもありました。
スクレイピングで全自動なため、違法な画像が載ってしまわないようにモザイクをかけました。もちろん、それが萎えてしまうことぐらいわかってます。
どこかに70%の出来でリリースして、フィードバックもらいながら完成させろなんて名言じみたことが書いてあって、その通りにした。
なにが70%なのかよくわからんけど、CSSやりかけでリリースした。今にして思えば、これ明らかに間違った解釈。(現在でもCSSは未完)
まあ、いろいろあるけど、一番思うのがネットはエロがありふれてるんですよ。
そもそもそこに、リンク切れを早期に解決するプログラムを組み込んで、ダマシのないサイトを作ればいけるんじゃね?って誰しも考えそうなことでチャレンジしたのが間違いだったのかしれない。
まあ、でももうちょい頑張りますよ。
ビニ本は買ったことはないが、普通のエロ本もコンビニのそれじゃない。
大きいけど少し汚いような本屋にあるようなマニアックなエロ本だ。
お尻倶楽部とかSMなんとかとか。
そういうのが好きだった。
そしてやはりAV!!AVもあった。
完全無修正などをうたったAVが半分くらいを占める。
店の裏はヤクザが経営する雀荘だった。多分ここのオーナーもヤクザだろう。
高いがAVを買ってみた。無修正、小沢まどか。初めて買ったAVだ。
定価1万5000円のところ3000円。(当時は何故かやたらと定価だけ高いAVが多かった)
その後は友達の家に行ったので見れなかった。
って喜んでいた。
で、家帰ってから見た。
「……………。」
あの、ふつうにモザイク入ってるんですけど…画質悪いんだけどこれダビングだよね。ジャケットもコピーっぽいし…
少し大人になった。
ようで全く大人になっていなかった。
無修正と聞けば飛びつき、騙される。
変な裏ビデオのチラシが入っていれば電話して取り寄せる。こういうことの繰り返し。
飯島愛などたくさんあった。
こういうことを若い内に経験しているおかげで、無修正には嫌悪感がある。
今の海外の無修正サイトは画質、女優ともにマシにはなったがメーカーが作るAVとはクオリティに雲泥の差がある。
ただモザイクが無いだけだ。