サジダ・リシャウィ死刑囚の釈放が日本人1人の命を助ける条件となった時点で、なんだか意味不明な感じになって来たね。どっちかって言うと、それはヨルダン政府のさじ加減なので、日本政府的にはお願いするしかないという。しかもヨルダン的にはイスラム国に捕まってるヨルダン人のパイロットとの交換でサジダ・リシャウィ死刑囚を材料にしてたわけですから、もう寝耳に水って感じ。「いや、日本人より自国民優先だよ!」って言いたくなるのは当たり前ですな。
さて、書きたいことはそんなことじゃなくて、日本人2人が人質となった事件と2人を同じレベルで報じてるわけですが、まぁ、人道的な見地とか命の重さとかって感じではそうなんでしょうけど、個人的にはそう割り切れないんだな〜。
世界の紛争地域の情勢を命を賭して伝えようとするジャーナリストと、ちょっと引きこもり気味だったのが趣味の延長的に民間軍事会社を作って、その会社の実績作りのためとか言って素人と大して変わらない状態で激戦区に行ってサクッと捕まった人とでは、やっぱちょっと違う気がするんですけど。もちろん救出する対象としての大事さは両者同じ。同じなんだけど......って感じ。最近、テレビに登場してる湯川さんの会社の顧問という立場の親戚の人のコメントもダメ。「あいつがしっかり仕事してくれればと思って会社作る時に協力したんだけど......」的なこと言ってるけど、だったら止めろよ!会社作る時に「民間軍事会社なんて、お前、何考えてるんだ!もっと、人様の役に経つ介護の仕事とかどうだ?」とか言ってさ。そんなこんなで、私には湯川さんを同情する気が全くおきないんだな〜。
ちなみに、いまこのタイミングで日曜の未明にネットにアップされた画像のモザイクが小さくなり音声が公開されたのは、日本政府の思惑があるんじゃないかという邪推してしまいます。後藤さんのメッセージをストレートに聞くと何とも自己中です。もちろん言わされてる内容だとわかってるんですけど、それでもちょっと同情感が薄れる内容。だからこそ、政府は公開したのではないかと。この問題で安倍政権にキズを付けるわけにはいきませんからね。4月には統一地方選挙も控えてますし。なんか、世の中の空気感が醸造されてる感がするのは俺だけか?
ただ、個人的に一番困るのはこれ。この事件をきっかけに、またまたエンタメの世界で自粛が始まってる。例えば、先週金曜日のMステに『凛として時雨』が初登場(?)してましたけど、過激な歌詞の部分をちょっと変えたり、歌詞のテロップを出さなかったりとか。なんだかな〜って感じ。凛として時雨の曲が主題歌に使われてる映画『PSYCHO-PASS』って、ゲリラとかテロとかそういうのがバンバン出て来ますけど、いつか観れなくなったりしてね(俺、もう観たから大丈夫)......まぁ、考え方は色々ですけど、エンタメはエンタメで切り離して欲しいと思いますけど。
とりあえず、2人が無事救出されることを祈ってます。
国民を助けるときに「同情できるかどうか」という基準を持ち出すのはダメだよ。
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