はてなキーワード: ネットイナゴとは
わかりやすい例として沖縄県糸満市で中学生がコンビニのアイス冷凍庫に入って炎上したという事件があったが、
はてブの反応
http://b.hatena.ne.jp/entry/nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1708/03/news057.html
https://twitter.com/51w_/status/892724552911867904
という風に感性は大して変わらないし、叩けると思った相手にはピラニアの様に集団で襲いかかるという行動は良くにている。
そもそも、はてなブというのは他のサイトに寄生して一行コメントをするというサイトだ。
他のサイトに寄生?思い出してみようニコニコ動画の最初期はどんなサイトだったか?ニコニコ動画はYoutubeに寄生してコメントをつけるというサイトだったのだ。
淫夢厨というとゲイビデオばかり、注目されるが、Youtubeで動画を上げてる人間を炎上させる事も多いのだ。例えば「性の喜びおじさん」の動画はニコニコにアップロードされたのをきっかけに炎上した。他にも電車で叫ぶおばさん、厨房プレイをするゲームプレイヤー、ネカマに釣られた人間などを餌食にしている。恐らく彼らからすると叩くに値する人間なのだろう。
はてブで叩かれる人間も豊田真由子議員の様はてブから見ると叩かれる理由のある人間だ。因みに彼女は淫夢厨の動画の素材にもなっている。
他のサイトを炎上させるというのは、はてブお得意というかはてブのホットエントリーの多くは他のサイト炎上させて娯楽として消費するというものだ。
というかそもそもはてブは「ネットイナゴ」といわれた元祖火をつけてまわる炎上サイトだ。
最近よくみるtwitterにアカウントを持っているにもかかわらず、はてブでコメントしている人間をみると安全圏から叩きたいという欲求が大きいのだなと思ってしまう。
淫夢同様、はてブの人間はotsuneのアナル・セックスだのサイバーサングラスのセックスだの人の性を笑い者にするのが大好きだ。
最近、ニセ科批判とネトウヨの結びつき、みたいなのについてツイッターでよく見るので、思うところを書いてみることにする。
先に、俺の立場について書いておくと、もともとニセ科学批判クラスタにいる(た)人間である。以下、いろいろと書き連ねたような事情もあって、最近はニセ科学批判クラスタを批判的に言及することが多くなってきたが、やっぱり世界は科学だろう、という思いは変らない。
余談だが、ニセ科学批判クラスタを批判する人、というのがニセ科学勢力とか、トンデモ勢力というのは意外に成り立たない。そういう連中を自分が積極的にフォローしてないというのもあるかもしれないが、その手合いはまず自分たちに批判的な人がいることについて詳しく言及すること自体が不都合なので、あんまり触れないのではないかとも思う。クラスタの言説に詳しく触れながら批判する人というのは、何だかんだいって「ニセ科学は嫌い」寄りの人間が多いようだ。
あらかじめ書いておくと、自分の見解は、「ニセ科学批判とネトウヨは本来、つながらない」である。しかし、そう言い出す人がけっこういる、というのも理解できないではない。まして、「またネトウヨ連呼厨ガァー!」などと言い出す気にはなれない。なので、どうしてそう思われるようになってしまったのか、といういくつかの自分の思っている理由について書いてみようと思う。
なお、あくまで自分の観測範囲ベースなので、それ以上のエビデンスや統計的な根拠はない。ほしかったら基盤Bでも持って出直してきたら調べてやらんでもない。
ニセ科学批判とウヨの親和性、という問題が語られるようになったのは、やっぱり3.11以後が決定的である。いちおう、3.11以降について、特に放射能デマをめぐる後始末についていうなら、ニセ科学批判派がおおむね正しかった(細かいとこで間違いや軽口があったのは否定しない)というのは間違いないので、これはどんどん認めていくべきである。そして、その上で、致命的なレッテルを引き寄せる結果となったことについてもそろそろ考えるべきだと思う。
3.11直後にデマ批判をする人が、今となってはかなり信じがたい形で「ウヨ」と手を結んでいたのは確かだ。これはひとえに、デマの流布をほっておくことが人権問題になりかねない状況だったことによる。一例としては、ゴリゴリの左派な左巻健男が石井孝明をRTしていたことがあるくらいである。それは、個人的にそこはRTしなくてよかったんじゃないかと思うツイートだったが(別にどうしてもしなきゃいけないRTでもなかった)、しかし当時はそれでも連帯できるところは連帯しないといけない事情だったのも確か。とはいえ、そのRTを見てニセ科学批判派の中にいる自分でも嫌悪感を覚えたので、その外にいて、かつ左派寄りの人がどうとらえたかは想像に難くない。
元々、デマ批判を発信していた人には政治的には左派が多く、その中には、事態が落ち着いた今は左派クラスタのなかへと帰っていった人も少なくない。今となっては、「福島差別」について関心が高いアカウントというのの少なからず割合がただのウヨアカウントであり、人権問題に危機感を抱いて近づいてきたというよりは単に「ダシにしにきた」ことも明らかになりつつあるのだから、この時期のことについては、ちゃんと後処理をしておくべきではないかと思う。一方で、安易にウヨレッテルを張った側も、そのレッテルについて再検討する必要がある。
ニセ科学批判というのは多層的に発信される。最初の発信者、つまり、積極的に資料をあたったり文献をあたって、情報を発信していた人はもちろんいるにしろ、その人たちの話がどう広まっていったかといえば、メディアが広めた場合ももちろんあろうが、ツイッターなどネットではそれを再発信する人によって広まったわけだ。この人たちの中にも濃度がいろいろあって、「なんとなくRTした人」「そういう話を見たら積極的にRTする人」「RTして、自分でもそれをベースに意見をいったりする人」「それがさらにバズって積極的にニセ科学情報を集める人」とまあ、いろいろだ。
こうなると、ニセ科学批判クラスタといっても、もともとの「ニセ科学批判派」の声は流通する情報の割合的にはごくわずかということになる。
俺がやばいと思う層は、じつはこの水増しされた部分である。デマ批判が機能したのはこの部分あってこそなので、水増しという言い方は語弊があるのかもしれないが、しかし、ネトウヨとニセ科学批判がむすびつけて論じられることに責任があるのはこの層ではないかとも思う。
この層、とひとくちにいっても、いくつかある。
まあこれは文字通りの「ウヨ」層だ。前述の石井孝明とか、池田信夫なんてのもそうだろう。この亜種(1A)としては、ウヨというよりは「左派が憎い」というイデオロギーをかぶせていくケースもある。佐々木俊尚とか、伊藤剛あたりがそうだろうか。そうそう、伊藤剛と昔仲良し今は犬猿の仲の唐沢俊一も忘れてはいけない。君たちお仲間だよおめでとう。あるいは、こうやって膨らんだ層を客層にあてこんだ「御用文化人」というケースも亜種(1B)の一つだろう。いちえふの作者なんてのはそうだと思う。最初はけっこうまじめな信念を持って作業員のルポを始めたんじゃないかなー、とは思うのだが。
言っちゃあ何だが、科学は正義である。しかも、ある程度実証が積み重なれば、相対化しようがない正義だ。本当は正義とか正しさなんて一ミリも興味はないのかもしれないが、とにかく人を叩く根拠がほしいならず者にとって、こんな都合のいいものはない。しかも、人権問題としての問題意識までくっついている。人権なんて一ミリも興味がないのかもしれないが、以下同文。
正義の暴走がデンデンという人はネットによく転がっているが、あまりこの点には言及しない、どころかこの正義だけは振りかざすのが大好きだったりもする。彼らの心情は、よくわからない。
一昔前のメディアに流れる文章には、理系に対する嘲笑や偏見がいりまじったものというのが結構あった。それを見た理系人が、お前ら哲学で作った飛行機に乗れるのかよ、というような反発を持つのは想像に難くない。俺も昔はそうだったし。それは仕方ないところもあると思う。
ところが、ネットは理系の研究者がどっぷりつかっていたり、エンジニアがどっぷりつかっていたりする場なので、そういう人が意外にマスをもてる世界である。それはいいことでもあるんだけど、結果、「理系カルト」のようなものが出来てしまうという面もある。その結果、「文系」をバカにするようなアカウントが出来上がる。昔、科学ネタやアニメ談義が話が合うという理由で高専生や理系大学生をけっこうフォローしていたのだが、どうもこういう方向に流れていく人が多く、非難がましいツイートが増えた結果リムられたりリムったりブロックされたりが増えた残念な記憶もある。
これらの人が、放射能デマ批判、さらにはより広いニセ科学批判に群がったわけだ。どれもこれもあまり近づきたくないタイプである。
しかし、本来の意味でのウヨはこの中では(1)か、せいぜい(1A)までに限られる。それが全体のうちどれくらいの割合を占めるかというと、あんまり高くないと思われる。おそらく、悪印象のかなりの部分は(2)(3)に起因しているのではないか。(2)と(3)は、本来的にはウヨ思想とは関係がない。しかし(2)はそもそもモラルを欠いている層で、ネットイナゴといわれる集団に近い。そういう人が、ネトウヨ思想に親和性を持つのはまあ時間の問題である。(3)は正直因果関係を断定しづらいのだが、確かに自分の観測範囲では重なる人が多い。理系でもウヨ色の薄い人は理系絶対主義みたいなところには陥らない、みたいな雑な印象がある。
そうすると、本来は関係のない「ウヨ」と「ニセ科学批判」がセットで観測されるということが大量発生する。しかも、(2)(3)は人間性として最悪の、できればブロックしておきたいタイプだ。どこをどういじっても、ニセ科学批判がいい印象を持たれる展開がない。しかも、こういうアカウントに限って、やけにRTされる数が多く、ダメな方向にネットへ広がっていく。
(この部分追記)「冷笑系」と呼ばれるような集団がともかなり重なっている、というのもいくつかの反応で見かけた。これはもっともだと思う。特に(1A)や(3)あたり。
後出しじゃんけん承知で言うと、推敲前は言及していたのだけど、定義にやかましい人の怒りが二乗になりそうなのと、話がとりとめもなくなったのでなんとなく端折ってしまった。けれど、ニセ科学批判との関係について考える場合には、「いわゆるネトウヨ」より重要なカテゴリーかもしれない。
ネトウヨの定義というのは曖昧である。むしろ、厳密に定義したところで境界線附近の人間が大手をふって歩き出すだけなので、ある程度曖昧でいいと思う。ライトノベルの定義みたいなものだ。物語シリーズはラノベかとか三毛猫ホームズはラノベかと言ってる分には意味もあろうが、そこにかこつけて「聖書はラノベでは」とか言い出す奴はつまみ出せばよい。
しかし、世の中には問題児がいる。自分たちはつまらない理由でネトウヨ扱いされた、だからネトウヨを名乗ってトンチキなことを言い募ってやる!と言わんばかりの連中である。いまどき子供でももう少ししつけられていると思うのだが、そんないい大人がネットにはたくさんいる。被害者意識をこじらせているとしかいいようがない。本人はネトウヨ認定したほうが悪いと思い込んでいるのかもしれないが、申し訳ないが狂人の真似だと言い張って東大路通を走る人間は京大生でなければ狂人である。京大生でも狂人かもしれない。
菊池誠氏があんなふうになったのは、一つのきっかけはここにあると思う。しかし、年齢的にも知性的にも社会的立場的にも、責任能力を逃れられる人ではなかろう。自分の不始末は自分でつけていただきたい。きっかけのもう一つの原因(と俺が思ってること)は、次の項で述べる。
ジャンルは違うけれど、所謂「キモくて金のないおっさん」を名乗りたがるネット住民、についても似たようなことが言える。
ツイッターにはRTとかふぁぼという機能がある。ふぁぼはまあいいとして(最近はこれもTLに流れてくるようになったが)、RTは誰が何をRTはしたかが、ある程度分かる。
RTの基準は人によっていろいろだろうが、まあ第ゼロ近似としては「それに共感するんですね」だろう。直後のツイートで批判的に言及でもしておかないと、そう思われないほうがおかしい、と思う。
ここでめんどくさいのは、「それに共感するんですね」の「それ」はツイートの文章そのものであるかツイートしてる本人であるか、である。直感的には、前者だろう。後者は雑な見方に映る。ただ、発言を属人的に見ない、というのはけっこうなことに見えるが、発言主と合わせて文意を判断しない、ただの無責任な態度となることもある。見てる側が、いつも「こいつはどうしようもない奴だな」と認識していれば、それをRTする方も同類とみなされることもある。そんなのおかしい、という人もいようが、そういうものだ。
さてここで上のニセ科学批判情報の発信の話になる。発信者する側も、自分が発信した情報を受けて賛同し、意見を述べたり非難したりするツイートを自分のRTという形で放流するということをよくやる。別に発信者じゃなくてもやると思うから、ニセ科学批判に集まった人も、さらにそれをやるわけだ。
ところが、その放流元が「札付き」であった場合、それを「ニセ科学批判に賛同してくれた」という文脈だけで読んでくれる人は、あんまりいない。ごくふつうのアカウントなら、はいはい賛同者だね、ということになる。ところがそうじゃない場合は問題だ。そりゃあ、ツイート単体ではいいことを言ってるように見えたりするかもしれない。でもそれを、みんな属人的に見ないでくれるだろうな、というのはおめでたい。
でもまあ、そういうことが一度や二度あった、というだけなら、まあどうということもないかもしれない。しかし、これを長く繰り返し続けていくとどうなるか。
「お前はそういうやつなのか」で離れる人というのは離れられる側にとっても、分かりやすいし素直だ。だが、「お前のRTうぜえわ」で離れる人も出てくる。離れられた側は、もしかしたらなんだか事故にあったつもりになるかもしれない。自分はただ「賛同できるツイートを流しただけなのに」、と。
それもそうかもしれない。でもそれが繰り返されるうちに、クラスタ自体が、濃縮されてだんだん汚染されていく。そして、やり取りをする相手というのは、本人も気づかないうちに影響を与えていく。フィードバックされちゃうのだ。
2012年か2013年くらいまでは、きくまこ先生もそこまで変ではなかったが、その後加速するようにヘンな発言が連発されていくのは、こんな感じだったのではないかと考えている。
ニセ科学批判そのものを凶器として振り回す層というのが出来た結果、その印象がネットイナゴ、あるいはネトウヨと非常に近いものになってしまう。あとは災害が広がるのみだ。子宮がんワクチン、水素水、EM菌。本来ならネトウヨと関連付けられる要素なんてないものも、そのスジのアカウントが言及してはバズる、という光景は、「そこ」がイニシアチブを握っている、と認識されることになる。そうなれば、ウヨに批判的な人は近寄りがたくなる。もちろん、もともと発信元として活動していたような人は、自分が左派であろうと発信を続けるだろう。でもそこまで中心にいない人は、距離を置くか、あるいはニセ科学批判派の語り口に疑問を持つようになる。
このような先鋭化の過程で、本来なら近しいところにいるはずの、歴史修正主義批判や、反知性主義批判(本来の意味も、日本で独自に派生した意味もどっちも含まれる)との溝が深まっていくことになる。めんどくさいことに、これらの集団は原発や巨大科学のようなものには批判的で、甚だしい場合は放射能デマに一定の親和性がある人もいたりするので、頭が痛い。
よく、ニセ科学批判クラスタはこれらのニセ社会科学・ニセ人文科学の問題には無関心だと言われる。発信する側については実際には必ずしもそうではないアカウントも多いのだが、群がっている層については確かに無関心…… どころか敵意を持っている人が少なくない。理系人が多いので馴染みが薄いし慎重な態度でいる…… というのはなくはないのだろうが、どうもそれだけで済まないところがある。歴史問題や法律あたりに目をつけて観察していると、「馴染みが薄いからかかわらない」ではなく嬉々としてトンデモさんを引っ張ってきて何かつぶやいている、という光景を目にして頭を抱えることになる。
「Aを批判しているのにBを批判しないのはなぜか」はほっといてくれというのは分からないでもない。ただ、それは本当にたまたまのこともあれば、党派性を後ろに秘めてみて見ぬふりをする場合もあるので、けっこう一概には言いにくい論点である。状況証拠次第によっては、判断材料として持ちたくなる疑問であるのは確かだ。また、別にこういう「疑問」はニセ科学批判クラスタだけが受けるものではなく、左派がいちゃもんのように昔から言い立てられてきたことでもあるので、やはり状況しだいでこう問いたくなるのも当然だろう。
こんなことが続いていくうちに、ニセ科学批判クラスタは「身内」に甘い、というような見方もされてくる。そんなことないよ、と言いたいところだが、最近たまにはてブあたりに上がってくるニセ科学批判批判へのブクマコメントなど見ると、妙にニセ科学批判サイドへの批判を矮小化しようとする「ニセ科学批判者」のコメントが見受けられたりして「ああこの人もかあ」という気分になってくる。
先日ツイッターで問題になっていたのは、これのようだ。mika_berry氏というツイッタラーがリフレとニセ科学批判とネトウヨのつながりについて言い始めてそれにニセ科学批判派やネトウヨの定義が気になるタイプが反発して少し炎上のようになったらしい。
経済には明るくないので、具体的なところには踏み込まない。が、ニセ科学批判クラスタ、あるいはもしかしたら理系クラスタまで枠を広げてもいいのかもしれないが、けっこうな割合がいわゆる「リフレ」に近づいたのは確かにそうだなと思う。
ただしここも距離の違いはけっこうあって、単に「反緊縮」に近づいた人もいれば、はっきり「リフレ」に近づいた人もいる。俺も反緊縮については多分同意すべきなんだろうな、と思う。
なぜこういう動きが起きたかは分からない。単に、時代的に緊縮はもういい、という風潮だったのかもしれない。反緊縮は数字を勘定してイメージしやすい「ロジカル」なものだからという、もっともらしい理由がつけられるのかもしれない。それはわからないのだが、しかしこの「リフレに近づいた側」の少なからぬ人が、その後決定的にウヨに近づいていくことになる。
これも理由は分からない。反緊縮には賛同する、という程度の人は、あまりそっちへ動かなかったからだ。アベノミクスなるものがあったからといって、他の論点がいっぱいあるのだから、ウヨに近づく理由にはならないのである。むしろ経済で結果を継続して出せるように安定させるためにこそ、おかしな動きは徹底的に批判すべき、と思うのだが、なぜかそうならない人というのがいた。ニセ科学批判クラスタの外にもそういう人がやはり「なぜか」いて、新たな集団を作るようになる。リフレで経済的に豊かになることを期待するクラスタ、というよりは「政権を応援しマスコミを憎み野党のアラ探しをする」クラスタとなる。経済には明るくないのでよくわからないのだが、アベノミクスのような政策はほっとくだけだと企業が潤うだけだと聞く。こういう人が「再分配を求めるべき」「企業は給料をあげよ」というような動きをしたという話を寡聞にして聞かない。本当に経済が大事だと思っていたのか、いまいちよくわからないところがある。
昔ながらのニセ科学批判は、党派性から距離を置いているつもりの人が多い。これは「左派が多い」という、上で書いた話とも別に矛盾しない。もちろん、ノンポリもいる。俺だって党派がかるのは大嫌いだ。
それはいいんだけど、そうありたいと思うこととか、自分たちはそうだと思い込むことは、あんまり何かを担保してくれることではない。
ここ10年くらいのインターネットの歴史は、ノンポリが政治的な層、特にウヨに振り回される歴史だった。
1970年ごろの学生運動家だって、多くは本質的にはノンポリだったという話はよく聞く。でも、左翼運動の迷走についての責任を問われないかといえば、そんなことはないだろう。
俺が思うのは要するにそういうことだ。ニセ科学批判=ネトウヨというくくりは、なるほど雑だ。だけど、それを一笑に付せる無邪気さは、ちょっと俺には持てない。
(増田は共謀罪には反対の立場ですが、そこまで詳しく調べているわけではありません。ご了承ください)
この件についてなぜか思い起こされたのが、少し前にあった2chのなんJにおける炎上騒ぎです。ご存知の方も多いと思うので詳細は省略しますが、2chのあるクソコテが特定され、クソコテの雇った弁護士まで巻き込んで炎上したというものでした。
炎上といってもその方法は様々で、ネット上で殺害予告をする者、クソコテの住所や弁護士の事務所の前まで出向いて嫌がらせをする者、専用の掲示板やまとめサイトを運営する者、騒動に乗じてひと儲けを企むアフィカス、ようつべやニコ動にMAD動画を上げる者、果てはそれを観て草を生やすだけの者など多岐にわたっています。
どうやら現在の法律では、集団でこのような子供じみた嫌がらせをする事態というのはあまり想定していなかったようです。被害者にしてみれば毎日のように何かが起こって全く気が休まりませんが、個々の嫌がらせだけでは犯罪にならなかったり軽いものだったりというケースもあり、警察や裁判所の対応も後手後手に回ってしまいました。
何より難しいのは、この集団にはトップもいなければ指導体制も、指揮系統もないという点です。単に身内で目立ちたいからというだけの理由で、嫌がらせがエスカレートしていくことすらありました。
しかし、このネットイナゴの群れをひとつの集団として考えた場合、集団の総意として嫌がらせや営業妨害を行っている、とみなすことはできるかもしれません。
各個撃破するより、そっちの方がいろいろスムーズだと思いませんか?
いやそんな2ちゃんねらーのことなんか知らねえよ、と思われる方も多いでしょう。そんな気持ちの悪い集団みんなしょっ引いてしまえ、という意見も出てくるかもしれません。
しかし思うのですが、共謀罪の対象になるのも、そんな怪しい集団なんじゃないでしょうか?
「無実の人が捜査対象になる! 絶対に廃案にしなければ!」というノリだと、無駄にヒロイックかつ悲壮な感じになってしまいますが、おそらく現実はそんなドラマティックなものではありません。
一般人が対象になることはない、というのも全くの的外れではなく、最初に誰かが対象になるとすれば、やはり普通の感覚とはかけ離れたような、なんだかよくわからない不気味な連中なのでしょう。
明らかに白い一般人などどこにもおらず、黒ばかりに見える中、いったいどこで線引きをしていくかというような、一見地味ながらも苦しい決断になるのだと思います。
よく引き合いに出される治安維持法にしても、敗戦とそれによる権力構造の解体があったからこそ、今まで黒とされていたのが事後的かつ遡及的に白ということになったに過ぎません。
当時の感覚では危険思想の持ち主ですから、一般的には黒や限りなく黒に近いグレーという扱いであり、リアルタイムで最初から白だと思っていたのは彼らの同志やシンパぐらいでしょう。
それでも結果としては「無実の市民を検挙した」という覆しようのない事実が残ってしまいました。
この件について、自分に害がなければどうでもいい、という考えの方も多いと思います。ぶっちゃけ自分もそういう思いはあります。
しかし、どっかの誰かも言ってましたが、知らないものへの無関心や不寛容こそ、結局は回り回って自分の首を絞めることになるのではないか、という漠然とした不安はあるのです。
最近いろいろと問題を起こしていて、一部で炎上している某ベンチャー起業について。界隈の人たちはベンチャーだからって大目に見ろというけどさ、あそこはビジネスモデルベンチャーであって、tech系ものづくりベンチャーではないよね。
tech系ものづくりベンチャーってのは、本当に研究開発レベルのプロダクトを失敗することも含めて開発しようとしているところで、イメージで言えばHoloLensみたいなものを高額で販売するようなことだよね。もちろんHoloLensの場合はMicrosoftでベンチャーではないけれども。Kickstarter等のクラウドファンディングでお金を出している人たちも新しいものの成功を応援したいのであって、まぁうまくいかないこともある程度折り込み済みで投資してると思う。そういうベンチャーが失敗しても、みんな怒りはするかもしれないけど、ま、なかなか難しいよねって思うところもある。だからこそベンチャーなわけで。
ビジネスモデルベンチャーってのは、既存のものの組み合わせで安く販売したり、または高付加価値をつけるビジネスモデルのベンチャーだよね。
たとえば、あなたの家の玄関まで本日中に伝書鳩が本を配送します、というベンチャー起業を仮に考えてみましょう。伝書鳩というのもあるし、本というものも既存商品だし、宅配便という流通モデルも既存産業なんだけど、それらを組み合わせることで、伝書鳩による人件費の削減と高速な配達を実現しますというベンチャー。
で、実際にやってみると到着率が20%でした、届いた本も鳥のフンでボロボロでした、というのが発生したら、そりゃユーザーは怒るよね。
で、それに対してベンチャーなので大目にみてくださいと言われても、そもそもこの企業は伝書鳩の育成に対する技術をもっているわけではないのだから、待ったところで現状の問題を改善できないし、つまりはこのビジネスモデルベンチャーのビジネスモデルは失敗でしたという結論にしかならない。
それを技術で解決するtech系ものづくりベンチャーの言い訳を引用されても、いや、それを改善する技術、おたくにはないですよね?以外の感想はないんだよね、実際。
日本人はベンチャーに厳しいうんぬんは、このあたりの仕分けをせずに言うべきじゃないよね。批判する人も擁護する人も。とはいえ、たぶんビジネスモデルとしては失敗だと思うので、みんなの批判をネットイナゴがうんぬんと思わずに、真面目に受け取った方が良いと思います。
kyoumoeの人がなんか言ってるので
http://b.hatena.ne.jp/entry/311223844/comment/kyoumoe
この件に説明が必要か?と思ったりもしたが、まぁロジックもなしにネットイナゴ的に叩くのも確かによくないので自分の考えをまとめるために書く。
本来はIT業界を前提とする必要はないと思うけど、今回は敢えて限定してみる。
そんな中どこのセグメントから人材を集めるべきか、と考えるとやはりわかりやすいところでは女性ということになる。
まぁもっといろんな切り口で考えることもできなくはないだろうが、一番わかりやすいのはそこだろう。
コンピューターはオタクがやるもので、オタクとは女がなるものではない、みたいな古い価値観が女性側に残っている、という面もあるだろうし、そういうのを男性側が押し付けている、という面もあるだろう。
そして、現状圧倒的にホモソーシャルなので、マイノリティの女性からすれば居づらいだろう。
割合の問題に関しては段階的に改善していくことしかできないので、まぁ現状はしょうがない。
だが、それ以外のところで居づらさを生んでいるのであれば、それは潰すべきだ。
そんな中、本来平等な仲間であるはずの女性エンジニアを性的コンテンツとして消費の対象と位置付けたようなゲームでユーザーを釣ろうとする企業や、そこのサービスを使って人材を集めようとしている企業・業界に、女性が入ろうと思えるだろうか。
まぁ俺は男なので実際のところはわからない。
仮に女だったとして、自分の意見が集団を代表するわけではない。
でも少なくとも、女性でも関係なく働きやすい業界だよ、っていう雰囲気作りを完全にぶち壊されていると感じるので批判する。
Paizaにしたって単純にこういうゲームが作りたくて作ったんじゃなくて、いろいろ分析した結果これが一番効率よくユーザー(IT業界人)を惹きつけられるという結論になったんだろう。
俺にしたって、こういうのをキモいと思う反面、SHIROBAKOやNEW GAME!みたいなコンテンツ消費をしていることに矛盾を感じないではない。
あるジャンルのお店が好きで、全国各地のお店情報を自分なりに収集してる。
ネットで情報を検索しても他に同じジャンルの情報をまとめたところは出て来ないので、ニッチなりにニーズはあるんじゃないかと思ってる。
ブログでも作って紹介していったらそこそこいいお金になるんじゃいかとも思ったが、それをしたらネットに群がるバカどもが大切な場所に行って荒らしをするんじゃなかろうかとふと不安になった。
少し前は自分がいいと思ったものをネットで紹介して共感を得たい欲求もあったが、今は逆にネットイナゴどもに食い物にされるならひっそり楽しんでた方がいいと考えが180度変わっていて自分でも驚いた。
「膜から声が出ていない」
彼の言わんとすることは、現代社会において貞節というものの価値をもう一度考え直す必要があるということだ。
炎上屋の意見は無意味なので多くの賛同は得られませんが、多くの人の目に入ることで母数を増やし、
4) でファンを獲得することができればキャンペーンは成功となります。
これのなにが問題かというと、3) の一般人にとってはまず炎上屋自体が不快、炎上屋の言葉が不快、
これを踏まえましてお願いしたいのは、炎上屋の言葉に反応しないことです。
アマゾンの分類とか、販売元の情報とかを、教科書みたいにまとめる。
多分、これだけで、ガンガン覚えるんじゃなかろうか?
よーするに、ファッションにマッタク興味が持てないんだよね、ファッション苦手な人って。
ワザワザ絞め付けで動けない服を買って、おしゃれする意味が分からないと。
でも、キモオタって、知識をつければ、内容関係なく覚えていったり研究するから、
とりあえず、そういう入口のサイトを作ったらいいんじゃねーか?
レーティング戦とかやってさ。
ファッションでイキってるツイッターアカウントに、「アマゾンブランドバトルで勝負しろ!」って挑んで、
あるいは、ファッションでイキってるファッション店員とか、ファッション店アカウントに、「アマゾンブランドバトルのレーティング言ってみろよ」
みたいな?
ネットイナゴになって、「ファッション厨は雑魚wwwwwww」とか煽りまくる感じにすると。
そしたら、レーティング高いキモオタが、「僕の考えた最強のファッション」とかで、キモブサデブ向けの服を作成しだすと。
こういう感じでどうだい?
仕事にクレームつけられてありがとう!なんて心から思うやつなんでそういないし、
いたとしても分かり合えないから観測範囲に見えないようにしてるのかもしれないけど、
クレーマーが憎い。
そんなにクレームもらうような仕事してるわけでもないのに憎い。
スカッとジャパンなんかでクレーマーが登場するだけでムカムカするくらい憎いから、そういうシーンがあるテレビは消す。
とにかくクレーマーという存在、うざい絡み方するやつ、理不尽な文句を言ってくる奴が憎い。
ちょっとでも非がある奴を見つけたら、延々と叩き続けるネットイナゴのような奴が憎い。
重大事件だけど、明らかに自分の生活に関係ない癖に騒ぎ続けるヘイターが憎い。
自分の過去の体験に無理やり当てはめてうざ絡みしてくるような奴も憎い。
利にも益にもならないくせにメンツにこだわるやつが憎い。
集団で騒いでたいして怒ってなかったくせに、怒ってるうちに燃え上がる馬鹿が憎い。
地元に友達いないから、ネットで仲間集めて怒り狂うやつが憎い。
自分を一切顧みず、振り返ることもたまにあるとか言うだけで反省しないやつが憎い。
心がくるしぃようとか言いながら、地雷型クレームつけてくる奴が憎い。
謎のローカルルールに従わないと怒り狂うドメスティック型クレーマーが憎い。
誰からも嫌われてるのわかってて延々と呪詛を繰り返すクレーマーが憎い。
気に入らない意見を叩き潰すためだけにお仲間あつめてヘイト繰り返すクレーマーが憎い。
社会規範を利用して他人を落とすためだけに動くクレーマーが憎い。
俺はクレーマーが憎いんだああああ
ようは2ちゃんねるとかニコニコ動画とかツイッターとか小町っぽいのが増えた
脊髄反射するし
それ以前はニヒリズムすごいけど頭はそこそこいいんだろうなっていうクズとか
主流からは外れた感じのうんこぞろいだったけど、でも自分の得意分野はガチなかんじが頼もしい感じだった
ここ最近は、なにもとくにこだわりがない
亡霊みたいにいるけど、でもなんかやたらテンションとか高い
数合わせだけどbotではないようだし
文体がどこから影響受けたんだってくらいよそよそしいし(これに関しては俺らがおかしいんだけどさ)
とにかく自分のこだわりがない感じのやつらが増えた
とにかくなにかで盛り上がれればいいみたいな
むかしは政治とかで荒れてたけど今のはてなはエモい文章とかで感動したとかいって盛り上がってる
ネットイナゴな感じ
いや、そういうのは正確にいうと昔からいたけど
完全に力関係が逆転してる感じだよね
これを見るとお金なくて仕方なく子ども料金で乗ったのをツイートしたら特定された高校生、を思い出す
こういう話をする時点すでにセカンドレイプなんだけどね。でも落ち度に対する対価の一例として挙げてみたかった
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なにかって、こういうの見てると、ネットイナゴが進化?しつつあるのを見てとれる気がして。
今までのネットイナゴって「は?こいつ最低だな、俺が叩きのめす」って正義感で動いてる人が多かったと思うんですわ
ところが、twitterが出てから「炎上したら面白いなあ」って気持ちで特定作業をしたり拡散作業をしたりする人、増えたよね
いや俺にはわからない神経なんだけどもね
理由は単純に「気軽に拡散、特定ができるようになった」からなんだよな
そしてその理由からだと思うんだけど、最近中高生でもネットイナゴが増えてるんだよね
なかには特定から拡散まで全ての業務を果たすプロの中学生もいる
そういうの見るとネットが現実世界にも浸透しちゃったんだなってつくづく思う
なによりすごく現実までの壁が薄いの すぐネットとリアルが繋がっちゃうの
本当は「できるわけがない」って言った時点で終わりなんだけどね
でも多分、できない。
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ネットは他人に監視される現実世界からの逃避用経路だと思ってたけど、どうやら逃げて来た人々でまた新たなリアルみたいな監視社会まみれの世界を構築してしまったらしい
もちろん俺が悪いことをしてるわけじゃないけど、すごく肩身が狭い。いや無意識に悪いことしてるかもな
現実が嫌で、他人より浮いてる存在で、だからいじめみたいないじり喰らうから、怖くて逃げて来たクソ陰キャの俺としてはね、もっと逃げ続けたかったわ
そのうち子ども料金どころか、鼻ほじったりするぐらいで晒されて、そんな感じで晒しの敷居が下がりきったらもうネットには浸れないね
要はもう逃げられないね
鼻もほじれないや
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ネットがそうなっていく様をただ眺めるだけの
ここに投稿しとくの