はてなキーワード: テレビ番組とは
なぜ戦後ドイツは周辺国との関係を修復できたのに、日本はできていないのか
を説明していた。
ドイツは「ドイツ人自身の手で戦争犯罪人を裁いた」「ドイツは歴史の検証を周辺国と一緒に行い、教科書も一緒に作った」
「ドイツは自国の悪事をきちんと認めた」などによって周辺国と友好関係を築くことができた、との事。
いっぽうで日本は「戦勝国に裁かれはしたが、日本人の手で裁かれたことはない」「悪事を本当に認めているのか疑問」
その上、日本は反省もせず平和憲法を放棄しようとしているので、周辺国からみたら、戦前と同じ状態になるように思われる、との事。
これってどうなの?
ドイツでも「あれは侵略戦争ではなく自衛の戦争だった」というような意見も沢山出て来ていたが、国際的には、ドイツが悪いと認めたから
現在周辺国と友好関係を作ることができEUでも中心的な立場を得ることができた、みたいに言われている。
命題の真偽にからまない論理について取りざたするのは「揚げ足取り」だ。
この場合「今日の君の朝食は味噌汁だ」が命題ならば、朝食が味噌汁であれば命題は真であり、味噌汁でなければ偽である。
その人が当該テレビ番組を観ていようがいまいが、朝食が味噌汁であったか否か、つまり命題の真偽には影響がない。
テレビを観ていようが、ネットで見たのをテレビを観たと勘違いしていようが、実際に朝食に味噌汁が出たかどうかだけが大事なポイントであり、
ここで「その人はその時間、テレビは観ていない!」って指摘したところで、「どうでもええわ、そんなん」という反応にしかならん。
先日あるテレビ番組を見てたんだよ。
その中で中年独身男性の部屋を見るコーナーが合ったんだけどそれはもう酷かった。
部屋の中はグチャグチャでよく生活してるなって位散らかってる。
でも家に帰るとこの有様。
中年のオジサンが家に帰るとひとりぼっちで洗濯とかしなくちゃならないんだぞ?
すげーみんな寂しそうなんだよ。
ある一人のオジサンは自炊が趣味で作った料理をSNSにアップするのが楽しみなんだって。
でもオジサンボソッとつぶやいたんだよ。
「写真をアップしていくら「いいね」をもらっても、現実は一人で食事するんだよな」って。
ちょっと悲しすぎないか?
たぶん読み難いです。
漫画原作でアニメ化されたものですら、未だにメディアには白目を剥かれてる。
同じく漫画原作の実写ドラマや実写映画には称賛の声は聞こえるけどアニメではよく批判された事は殆ど全く聞こえない。
これはどういうことなんだろう。
日本のテレビ番組、特にアニメを特集する番組をやる時、今のアニメ作品でなく、ハイジとかおそ松くんとかタッチとかエヴァとか(2015年現在ではちらっと)まどマギ、
一昔どころか戦後20年か30年経ったくらいの、僕ら平成っ子が生まれる前の聞いたことないようなアニメが特集されてお涙頂戴シーンで
柴田理恵辺りが大泣きする場面があって、未だに違和感を禁じ得ない。
最近、ようやく解禁されたのか、涼宮ハルヒの憂鬱がようやく日の目を見たものの、考えたらMUSASHI GUN道が放送された2006年の番組だった。
要は皮膚病の様にずっと無かった事にされてたんだ。
2006年のアニメ集まれ!みたいなの、テレ朝系列でたまに特番でやってるのを見た事ある人多いと思うけど、
2006年ですら最新のアニメで新世紀エヴァンゲリオンだったから、当時からメディアというのはおかしな偏見があるもんだと当時はあまり関心を持たなかったけど
それが放送するたびに同じ内容で同じ作品の紹介ばかりだったので流石に皆気付くでしょう。おかしな偏見があるんでないか?と。
で、その後2010年以降には、矢口真里辺りが最近のアニメか何かの紹介でワンピースを挙げる。
そのワンピースもチョッパーが加入した位の時の話題ばかりが挙がって、ロビンやフランキー以降の新世界編には中々話題に行かない。
これはアメトーク!でもそうで、たまに原西か土田辺りがその辺を思いっ切りやろうとするんだけど、番組の意向か尺が割かれない。
つまりは、最近のアニメに対して、特にテレ朝は何らかのアレルギーを持ってるんじゃないかと思う。
そうでなければ、一般人も見るだろうワンピースですらも古いエピソードばかり放送するのは何か理由があるはずだろう。
エヴァンゲリオンだって内容には触れず、アスカ芸人の稲垣早希のコスプレ位しかなくて、何が問題作で何が社会現象なのかがテレビを見る限りでは伝わってこない。
まどマギも正直何が面白いのかという事を振れずに映画で感動した涙した程度しか触れられていない。
the_sun_also_rises 光市母子殺害事件はどらえもん弁護があまりに荒唐無稽だったから日本国中から総ツッコミをうけたのだと思うよ。それと南京事件問題とを同じとみなし汎化するのは早過ぎた一般化(http://goo.gl/HHDCnK)だね。論理的でない。
kurotokage id:the_sun_also_rises さん もうあの件について書きたくないので当時危機感を覚えて書いたエントリでも参考にどうぞ。http://d.hatena.ne.jp/kurotokage/20070624/1182692975
http://nogawam.blogspot.jp/2015/02/1.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/nogawam.blogspot.com/2015/02/1.html
上記URLより、id:the_sun_also_risesとid:kurotokage という2人のブコメのやり取りを見ていて思ったことを書きます。
殺人を犯した者がひどく精神的に未発達だったり、知的・精神的な障害をもっていた場合、「ドラえもんが生き返らせてくれる」と考えながら犯行に及んでいた可能性がある。
これはなにも光市母子殺人事件のことじゃなくて、たとえば今後「ドラえもんが生き返らせてくれる」という心理状態で殺人をおこなう者があらわれるかもしれない。もしそうなれば裁判でそのことが論じられ、そのとおりの全貌が明らかにされるべきだ。
もしかしてthe_sun_also_risesは、「被告が犯行にいたる動機、犯行時の精神状態は、裁判でいちいち明らかにする必要がない。そんなものにかまわず死刑にしろ」という意見なのだろうか? さすがにそれだと日本の司法を否定することになると思うのだが……。
「被告は死者が生き返ることを信じていた。それほど幼稚な精神状態でこの犯行に及んだ」
という可能性を否定しきれていなかったと思う。
弁護団が言っているように被告は精神の発達がかなり遅れていたのかもしれず、もし本当にそうだとすれば、「ドラえもんが死者を生き返らせてくれる」と心のどこかで信じたまま犯行に及んだのだとしても不思議ではない。
私には真実がどうだか分からなかった。というよりも、被告の人間像を何も知らなかったのだ。生い立ちや人柄・性格についての報道は無かった。マスコミでいつも報道されているのは事件の残酷さとか、少年法や死刑制度の是非とか、あとは被害者遺族の苦しい感情ばかりだった。そのため私にはあの弁護団の主張を肯定も否定もできなかったわけだが、この事件に深入りしていって詳細を調べる気がおきなかった。
ところが世間の反応は違っていた。the_sun_also_risesが言っている総ツッコミ、もとい総攻撃が始まった。
それはあまりに最悪で野蛮なものだったが、世間の人々がどんな感想を持とうが勿論自由だ。「被告が言っていることはウソくさい」「あの弁護団の主張はさすがに信じがたい」という評価が出てくるのも仕方がないと思う。
ただし当然のことだが、「ウソくさい」「信じがたい」というのは、「その可能性を無視してよい」という意味ではない。かなり疑わしくて嘘っぽく聞こえるからといって、完全には否定しきれない主張というものが存在する。裁判ではその点がしっかりと検証されなければならない。
当然とも言うべきこの原則が、世論の圧力によって捻じ曲げられそうになっていることを私は大変危惧していた。
すでに判決が下っている現在ならば、「あの弁護団の主張は間違いだった」と断言を述べても差し支えないだろう。しかし判決がでる前にそう決めつける人たちが目立っていた。そのほとんどは弁護側の主張を熟慮どころか一瞥もしておらず、ろくな内容を伴わないまま凄まじいバッシングになっていた。そのせいで裁判が捻じ曲げられそうなのが私には恐ろしかった。
もっと酷いものだと、「弁護団が悪意をもってウソをついた」とか「被告にむりやり嘘を言わせている」という誹謗中傷があった。それ以外にも「被害者を侮辱するために"ドラえもん"を持ち出した」とか「裁判を死刑廃止のアピールに利用している」とか、そういうことが盛んに言われていたと思う。
しかし、それには確かな証拠があったのか?私はそれらが単なるデマや憶測で、司法に対する無理解・不勉強のために騒がれていたものだったと記憶している。
このとき橋下徹(※当時は政治家じゃなくてタレント弁護士だった)が「懲戒請求を出せばよい」とテレビ番組で視聴者を煽ったことがあった。そして実際にたくさんの懲戒請求が提出されたらしいが、それにもかかわらず懲戒された弁護士は一人もいなかった。
the_sun_also_risesはこういう誹謗中傷があった現実にたいし、あまりに無頓着だと思う。あなたが死刑判決を支持するかどうかは問題ではない。まさか誹謗中傷の横行を"総ツッコミ"と呼んで正当化するつもりか。そして「"ドラえもん"弁護をおこなった弁護士たちを懲戒するべきだった。それができなかった日本の弁護士会は腐ってしまっている」とでも主張するのか。
最後に一つ言っておくと、懲戒請求をやれと煽った橋下徹でさえ、
「あの弁護団はフザけている。裁判中に『ドラえもんが生き返らせてくれる』と主張するのは被害者への侮辱だ」
なんていう非難はしていなかった。
最初のころはどうだったのか知らないけれども、懲戒請求を煽動したことが訴訟沙汰になって以来、橋下のスタンスは慎重で回りくどいものになった。
http://hashimotol.exblog.jp/6545710/
弁護団が記者会見を開いて説明していたような犯行態様の事実の詳細を公表することは、
被害者遺族をかえって傷つけることになるし、世間もそんな情報は求めていなかったのであり、
公表をしてはいけなかったのです。です。
犯人の手が順手か逆手か、そんなことを必死に説明しても、世間が求める情報ではありませんから、
当然メディアでも取り上げられません。
世間が求めていた情報は、疑念は、差戻し審で主張の変更をあそこまでするのであれば、
1審、2審は何をやっていたのか?ただ一点それに尽きます。
被害者遺族も、そこに一番悔しさや虚しさを感じ、
世間も刑事裁判は何をやっているんだ?との大きな疑念を抱いたのです。
そうであれば、1審、2審の弁護活動の不十分さを徹底的に公表し、
そして僕も含めてでありますが、弁護士全体の責任問題ととらえ、
ただし、刑事裁判制度を維持するために、主張の変更をさせてもらいますと、
一番迷惑をかけることになる被害者遺族に対して頭を下げて、謙虚に世間に訴えればよかったのだと思います。
(中略)
散々失敗してきて大批判を受けててきた僕が、もし光市母子殺害事件の弁護を引き受けるようなことがあれば、
最高裁の期日を欠席するのであれば、まずは被害者遺族へ直接出向いてお詫びをし、
欠席する理由の説明を徹底したでしょうし、主張の変更を行うのであれば、
1審、2審の弁護活動がいかに不十分だったかを被害者遺族や世間に説明します。
そして1審、2審の弁護人に責任追及を徹底して行い、何も動かない日弁連に徹底的に悪態をつきます。
そして差戻し審集中審理後の記者会見を開くにしてもあのような記者会見にはしなかった。
それも絶対にやってはいけないこと。当事者同士の私的な争いの民事裁判とは全く異なるのです。被害者遺族が存在するのです。
被告人の利益のためだけ、そして自分たちの主張の正当性を示すことしか考えていなかったのではないでしょうか?
今枝弁護士が事件の詳細、弁護団の主張を公開したことで、世間は何を理解するのですか?
何を納得するのですか?
今枝弁護士の事件の公開は、自分たちの主張の正当性を示すための公開で、
被害者遺族のそして世間の疑念を晴らすための公開ではありません。
被害者遺族や世間の疑念は何かを真摯に考えれば、事件の詳細の公開など不要です。
1審、2審の弁護人が何をやっていたのか、なぜそのときに、差戻し審のような主張が出てこなかったのか、
差戻し審の弁護団と被告人はどのようなやり取りの中で、今回のような主張が形成されてきたのか、
もちろん、世間の多くは、現弁護団の主張が荒唐無稽だと怒っているのでしょう。
しかし、なぜそのような荒唐無稽な主張が今になって出てきたのかをきちんと説明し、
1審、2審の弁護士も含め、弁護士全体の責任問題だという認識で、被害者にご迷惑をおかけすることをお詫びし、
しかし、被告人の供述が法廷に出ていない以上、刑事裁判制度を維持するために主張の変更をさせて頂くと
世間に頭を下げれば(自分たちの責任ではないにせよ、弁護士全体の職務懈怠だし、
刑事裁判制度を維持するのもそれが正義だ、俺様は偉いんだの姿勢ではなく、
刑事裁判制度を維持することが弁護士の職責であることを謙虚に思えば、頭を下げることなどどうってことないはず)すれば、
ここまでのバッシングにはならなかったでしょう。
ようするに橋下徹は、弁護団があのような主張を法廷内でおこなうことは容認しており、"ドラえもん"の件を含めてその弁護方針を非難するつもりはなかったらしい。
そのかわりに彼は弁護団が法廷外でおこなった行動を非難している。つまり「法廷内でやっていることに問題はないが、法廷外において被害者遺族や世間への説明・配慮が足りていない。記者会見のやり方もよくなかった」というスタンスであるようだ。
あと他には「1審、2審の弁護人が何をやっていたのか」とか「弁護士全体の責任問題」とか、彼の非難はこの弁護団とは関係ない方向にも向いている。
なるほど、これならこれで橋下の意見には一理ある。しかしその場合、橋下に煽られて懲戒請求を出した人たちは一体何だったのか。あのとき懲戒請求を出した人たちは、まさに橋下が容認している弁護方針(ドラえもんetc)に怒り心頭になって懲戒請求をやっていたのだ。
ここでこれ以上に橋下徹を論評することは控えるが、いずれにせよ光市母子殺害事件の弁護団が法廷内で行っていたことやその弁護方針は、あの橋下でさえも非難せずに(できずに)容認したものであったことは記憶しておきたい。
テレビ番組向けにクイズを作成する制作会社が軒並みやばい。ノルマは増えていってるのに単価がどんどん切り下げられてる。
ちなみに実際にテレビで流れるクイズは納品されてる分のほんの数パーセントでしかない。何百問と納品された中から制作スタッフがピックアップして採用する方式。
そして納品したクイズは番組中での採用不採用関係無く他社への流用は厳禁。この状況が近いうちに臨界点を迎える。
まずは複数番組間での問題の使い回しなどが増えていって、そしてどこかの中堅どころが一社撤退、その負担が他社にしわ寄せ、キャパシティを越えた他社が連鎖的に撤退、という流れがそろそろ始まる。
素敵な部下との出会い。
素敵な異性。
愛するということ。
中谷彰宏。
発達障害。
斉藤芳の
加藤諦三。
英語。技術。プログラミング。サーバー管理。bash, vimのコマンドを覚える。R。
仕事、進学先、信頼。知識。
学習塾。サポート校。結婚式の配膳。コンピュータ、IT系の職場。
といっても俺がゲイな訳ではないし、性器そのものを見るとむしろげんなりする
自分も食べたい或いは食べた気になっているオバサンのような感覚である
唐突な例えだけど、I'sを読んでいても尻よりキカン棒が言うこときかなくなってる、その状態やシチュエーションの方に興奮してた
女の子自体よりも勃起してしまうシチュエーションの方を羨ましいと思ってた
昔から怪しい鈴木松美がらみの組織。日本音響研究所と 音響研究所。
http://anond.hatelabo.jp/20140704181516
松美氏は駆け落ちで日本音響研究所を追放されて、新たに音響研究所を名乗って活動しているらしい。
日本音響研究所は松美氏の息子の鈴木創氏が引き継いでいる模様。
今回の後藤氏の声門分析で、日本音響研究所の鈴木創氏が「99%別人」 と鑑定しているのに対し、
音響研究所の鈴木松美氏が「99%本人」と鑑定しているのが非常に香ばしい。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150126-00000009-asahi-soci
日本音響研究所(東京)がこの音声と後藤さんが昨年10月にシリアに入国した際の音声を比較、共通する「don’t」「my」「please」など五つの言葉で声紋を鑑定した。その結果、鈴木創所長は「全ての言葉で声紋が一致しない箇所があった。99%以上別人だ」という。
http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000043135.html
音響研究所によりますと、新たに公開された音声と、去年10月に「イスラム国」に向かう際の後藤さんの音声のうち、名前を名乗る部分の声紋を比較した結果、「99%以上、同一人物だ」と指摘しました。
どちらも元から信ぴょう性などないのだけれど、なぜマスコミは彼らを使うのか。
映像を見てもただ、FFTでスペクトルを眺めてるだけで、ぜんぜん「科学」なんて感じしないのに。
テレビ番組のADを辞めてきたけど質問ある? : 暇人\(^o^)/速報 - ライブドアブログ
http://himasoku.com/archives/51882763.html
というか女性アイドルって数年前まではただの一般人だったわけよ
当然同世代の女の子が彼氏出来たりキスしたり一緒に旅行に行ってたりってのをSNSプライベートアカウントなんかで目にしてさ色々と考えちゃうと思うよ
何でこんなに可愛くてアイドルやってる自分が自分より可愛くない同級生たちに先を越されるのかって
特に恋愛禁止されてるAKBでまだ一回も男性スキャンダル出てない子たちってある意味ヤバイと思うよ特に渡辺麻友ちゃんはおかしくなってるって話を色んな現場で聞いたな
ファンからしてみればそんなに恋愛したいなら辞めたらいいじゃんって思うかもしれないけど一度スポットライトを浴びた人間が一般人に戻るなんて用意じゃない
実際に「恋愛出来なくて頭がおかしくなりそうなんです!」と大勢の女性アイドルに言われた、ってならともかく
この人全然そんな事ないわけよ当然。
AKBのエピソードも挨拶されたとか表面的な事だけで、それ以上の深い付き合いなんて勿論何もない。
単に精神的に不安定な女性アイドルを何人か見かけた、って所だけが事実であとはただの思い込みなんだろう。
んでその精神の不安定さの原因として「男がいないから」を真っ先に考えてしまうってのが斜め上過ぎて何故そうなるのかさっぱり分からん。
そりゃ私は女性アイドルじゃないから何考えてるかなんて本当の所は分からんけど、
普通に考えて、芸能人なんて人一倍自信と上昇志向と自己顕示欲強い人間でなきゃならないでしょ。
んで実際皆その辺の一般人より遥かに美人だし、普段から芸能人とか金持ちギョーカイ人とかもし付き合えれば一般人女から羨望の的になるような男と接しているわけで。
彼女らが狙うんだったらその辺であって一般人男じゃないでしょ。
そういう女が、自分よりブスな女が平凡な男と付き合っているのを見て嫉妬なんてするだろうか?自分と握手する為に大金払って列を成す男が掃いて捨てるくらい居る女が?
そんなもん鼻にもかけないんじゃなかろうか。
むしろ「ブスはあんな男で妥協するしかなくて可哀想」くらいに思ってるんじゃないだろうか。
自分を安売りしないししたくもないであろう美人芸能人が、どうでもいい男と付き合っている平凡な女に対して嫉妬する筈、と言う発想になるのが不思議。
自分のやりたいようにやればいいんだよ。
オムライスの作り方なんて人気店の丸パクリなだけで作法もクソもないんだよ
それっぽい人を連れて来て、これがオムライスの作り方なんですって言わせてるだけ。
例えばケチャップをご飯炒めた上に投入してはいけないという話がある。
これは別にどっちでもいい。
どうせ酸味は炒めれば勝手に飛ぶ。
料理酒をご飯の上にどのタイミングで入れても炒火でアルコールが飛ぶから前後どちらでもいいのと同じ。
作法とかマナーとかというのは、勝手な思い込みで、和食全般にも言えるけど、これらは宮廷なんたらって高級料理の作法ってだけだし
しかも中国や欧州の作法をそのまま日本式に入れ替えただけだから皆さんの嫌いなパクリなのよね。
箸の伝統だって出雲風土記まで遡ればどこから由来したものなのかはっきり分かるし、意外と知らない人が多いよね、和食文化の成り立ちって。
その流れから、焼き魚の食べ方、作法を言ってる人達は厚顔無恥にも『和食』というカテゴリから論じてるので呆れて物も言えない。
明確に日本オリジナルと言える食事だって、納豆(醤油入れ)や味噌汁、漬物位しかないんじゃなかろうかと。
肉じゃがは東郷平八郎が留学先で習ったビーフシチューが元ネタで、ソースがないから醤油で代用したのが始まりだって言われてる。
焼肉も某国がウリがオリジナルニダとか言うけど中国では紀元前後には既にあったし意外と和食ってのが少ない。
作法やマナーも岩倉具視使節団が各地で収集した欧州文化を取り入れたものが元になってるから、どこどこの江戸時代から続く家元何代目とかっていうのも
所詮は付け焼刃の技術でしかなく、江戸期以前の和食文化というのがそもそも存在しない。
最近は某国ニダのように色々起源説をでっち上げる事に躍起になっているけど、元々輸入した文化をくっつけただけだから『和食』に作法やマナーなんてのはない。
勘違いあるいは、今テレビ番組によって刷り込まされているだけ。
騙されてはいけない。
大学時代、海外旅行はよく行っていたが英語を勉強したいと思ったことは一度も・・・無かったと思う。
高校の時アメリカにホームステイする企画があって、周りの友人が何人か行って英語やアメリカに感化されている時私は「彼氏と離れる方が嫌」と視野の狭い恋愛脳だった。
大学を卒業してちょっとニートな時期、「あ〜もう死にたいなぁ」とスレスレの時、超ポジティブな母親から習い事でもしてみるといいと言われ、格安英会話に通う。
そこでは英会話を嗜むご婦人がたくさんいて、いろいろ吸収した。
英会話と言ってもマンツーマンではなくグループレッスンだったので一人の持ち時間は数分の時も。それでも全く興味がなかった私からすればかなりの進歩を遂げたと思う。
そこで知り合った友人、そこから広げた輪はどんどん勢力を増し、今周りにいるのは英語や外人さんが好きな人ばかり。
見た目B系やクラブで踊るパーリィ系ではなく、一見外人になんて興味なさそうな人達ばかり。
そんな輪に入って4、5年。 本当に外専は多くなったなぁと思う。
色んなパターンの外専軍団が居るんだろうけど、私の周りは本当に普通の人達ばかり。
はっきり物事を話したり、遠く離れた日本に来る位の視野の広さを持った横並び安定志向ではない空気を持っている彼らを好んでいる。
〜〜の日本人妻や行ってみたらこんなところに日本人・・・など、今この手のテレビ番組が多いように思う。
英会話で働く知人に聞いてみたところ、この番組を見て「外国に住みたい」「外人と付き合ってみたい」と女性の生徒が増えているとか。
面白いなぁ〜と思う反面、外専の人口が増えるのは非常に困る。ただでさえ外人さんはモテるから遊び倒してる人も沢山いるわけで、良い人を探すのは日本人でもどこの国相手でも難しい事。
会社勤めを始めて4年目の冬、今日どうしても辛くなり、今まで初めて会社を病欠した。
連休と連結したりとかで有給は使ったことがあるが、今日みたいに病欠するのは初めてだった。
朝起きた時、体は元気だった。
ふと、自分が休んでもいい状況か、何かこうなった原因があるのかが気になり、Evernoteにメモしているタスクリストを眺めてみた。タスク的には休んでも影響が無かった。やることでイライラすることが多く、並んでいるタスクは数は多いが、1つ1つのタスクの難易度自体は重くはなかった。
簡単に言うと「すこし頑張ればこなせるもの」だった。
これまでも、鼻風邪をひいたり頭痛とか腹痛で遅刻したことはあったものの、会社には行っていた。それで効率は多少落ちるものの、仕事は問題なくこなしていた。
「辛い」「会社に行きたくない」「毎日苦痛だ」「辛い」「休みたい」「プログラマ特有の面白いと思ってやってるクソみたいなジョークとか聞きたくもない」「行きたくない」「何も考えたくない」「辛い」「会話ができない人を相手にするのはもううんざりだ」「vimなんかもう見たくない、とか増田に書いたらどうせ『じゃあemacsにしよう』とかいう意味のわからないコメントがつくんだろうな、みんな死ね」「苦しい」「苦痛だ」「みんな死ね」「毎日辛い」「悲しい」「会社のメールボックスなんか見たくない」「もう嫌だ」と、労働を拒否していた。
「心の底から本当に辛いし、逃げ出したい」という感情がここ数週間前から最近芽生えていた。
大学受験以来忘れていた感情だった。そして、その感情は当たり前で、甘えであるとして蓋をして向き合わず愚痴を言いつつも黙々と仕事していた。
でも、ここまでいっていても休む勇気が無かった。
どの程度で休んでもいいのか明確な基準がなく、サボるのが怖かった。熱があればもちろんそれは別だが、体は元気なのだ。タスク自体はできないものじゃないし、もしかしたら月曜だから単にベッドから出たくないだけかもしれない。
そう、この気持ちを掘り下げるとただ1つ、ただ「行きたくない」だけなのだ。
毎日毎日、仕事は辛いと感じている。だが仕事は死ぬほど辛いからお金がもらえるし、その金で土日に美味いもの食ったりできるわけだ。
大学時代に学んだ労働経済学でも労働は苦役だと教わったし、実際に大半の日本の会社員もそう考えていると思う。
だから辛くて当たり前だし、辛いから休むのは甘えだと思って休めなかった。
でもそれはなかなか無いし、ある人にとっては仕事は楽しいし好きなことでお金がもらえて嬉しいとしても、同じ仕事をしている別の人はそうではないことは多いし、だいたいそういう時は「仕事が好きな人」はそうではない人に「仕事は楽しい」ことを前提に話をしてくる。
身体は元気、仕事はきつくはない。だから休むべきじゃないし、無理にでも起き上がって着替えて電車に乗るだけで全てが進むはず、難しい話ではない。
でもなぜか本当に辛かった。
思えば今まで病欠したことがなかった。中学生や高校生(中高一貫だった)のときは6年間壮絶ないじめに遭い、鬱病になりながらも実は休んだことが無かった。もちろん休むべきだった。
中1のとき「6ヵ年皆勤賞とるぞ!」と意気込んでいたのでそれを曲げる勇気が無かったのと、休んだことで皆勤賞が無くなるのが怖かったのだ。
結果、6ヵ年皆勤賞は取れたが、その時は精神的にボロボロで失ったものは大きく、今も生きる上で大きく足を引っ張っている要素になっている。
子供の時は病気以外で休んだことが無いし、今も年末年始や夏休み、インフルエンザとかそういった「休め!」と強制されるもの以外で、自分の判断で休んだ経験が無い。
だから今でもどれぐらいのレベルから休むべきかがわからなかった。
仕事自体も、辛いという事に対して誰も理解してくれなかった。一番身近な相談相手であるはずの同期は全員が意識が高く、好きでこの仕事をやっているという感じだった。その中で「仕事だから仕方なくやっている」という大変低いモチベーションでやっている自分には、辛いという感情自体が許されなかったのだ。
「仕事が辛い、辛くてたまらない」ということを同期に漏らしたら
「それはお前のワクワク度が足りないんだ」というアドバイスを貰った。正直意味がわからなかった。自分の意識が低いのが一番悪いのは知っている。だが、それ以前に同期に仕事の悩みを相談するのは間違っていた。
そんなこんなで、休もうと思ってもなかなか踏ん切りがつかないので、休む根拠や休んでも問題ない保証が欲しくなった。さっきも書いたが、タスクリストを見ると、今日休んでも明日十分巻き返しが効くレベルだった。
東京都のこのページ(http://www.kenkou-hataraku.metro.tokyo.jp/mental/self_care/check.html)を見て自己診断してみたらその1は36点、その2は9点。総合判定は7だった。一番悪い奴だ。そういえば常にイライラしているし、最近はよくモノに当たるし、どうでもいいことで松屋の店員にクレームをつけて怒鳴っている。
色々休むための根拠や自信をつけるためにやっていて、気がついたら、目を閉じ勇気を振り絞って体調不良で会社に休むメールの送信ボタンを「うりゃー!」と言いながら押していた。
見事会社を休んだ瞬間、それまでの重くのしかかっていた気持ちがふっと一点の曇も無く晴れ上がって、ベッドから出た瞬間清々しい気持ちになった。
「こんなんだったら休まないほうがよかったのでは…」と罪悪感を感じた。でも多分休んだから気が楽になって元気になったんだろう。
ふと外を見たら、綺麗に冬空が晴れていた。
久々に心の底から綺麗な気持ちで
「ああ、空が綺麗だ」と感じ、それを実際に声に出した。
「うわー空が綺麗!」という感情や表現は、フィクションの中だけの現象だと思っていた。空を見て綺麗だと思う余裕が、子供時代以来に久々に生まれていた。どうやら、物質的なものや、性的なもの以外で気持ちよさを感じる事は、フィクションの世界だけの現象じゃなかったらしい。
その後は、一日じゅうラーメンズの動画を見たり、平日しかやってないようなテレビ番組を見ていた。
そんなことをしながら夜(ちょうど今ごろ)になると、
「明日から仕事がんばるぞ!」という、なんだか根拠のないやる気が数年ぶりに湧いてきていた。そう考えることってあるんだな、と思った。
結論としては、休んでよかった。多分休まずいつものように会社に行ってたら、今頃は耐えきれず1人トイレで泣いていた。
熱があろうがなかろうが、辛い時は勇気を出して休むべきだ。
---------------
その後
なんかいつの間にかホットエントリー入りしてたので、その後の報告も兼ねて追記。
昨日は↑みたいな感じで休んだけど、今日起きたら「あー会社いやだなー」とは思った。
でも、今までの「嫌だ」は
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ仕事辛い仕事辛い仕事辛い仕事辛い」って感じだったけど、
今日は「あーめんどくせー」って感じだった。
「辛い」が「めんどくさい」に変わった。
普通(?)になったのでよかった。これは大きい。
皆様のブコメは1件ずつ読みました。今後は辛い時はスパッと休んで、無理せず仕事頑張ります。
あと、「松屋の店員がかわいそうだろ」っていうコメントがちらほら見られますが、自分も全く同感です。
ただただ申し訳ないし、以来自分の人間の小ささを痛感してます。自己嫌悪しかない。
あとは「根本的な部分を治さなければまた再発するのでは」というコメントもいただきました。その考えは昨日休んでハイになった時に完全に抜けてました。とりあえず、会社内、あるいは社外に「何でも相談できる人」を見つける所から始めようと思います。
色々書きましたが、自分がここで言いたかったのは「大人はサボってもいい」ということに気がつくまで本当に大変だったけど、実際休むのは本当に簡単でメリットがありまくりだったので、同じように悩んでる人は一緒にサボろうぜ!ということでした。