はてなキーワード: ジェンダーフリーとは
アンパンマンやドラえもんは古いジェンダーロールやいじめを植え付けるので害悪
というツイートを見たんだけど、
ドラえもんはともかく、アンパンマンってジェンダーに関してはあまり縛られてない気がしてた。
ヒーローは男女ともにいて、
ロールパンナは女の子だけどカッコよくて強いし、クリームパンダは男の子だけど怖がりで弱い。
個々のキャラクターが「僕は男の子なんだからやらなきゃ!」「私は女の子だから働かないもん!」
みたいなことを言うことはあるけど、後から本人がその考えは間違っていたと気付くパターンも多いし。
料理が出来る男キャラなんかいっぱいいるし(焼きそばパンマン、どんぶりまんトリオ…etc.)
強い女キャラもいっぱいいる。(ロールパンナ、鉄火のマキちゃん、サラダ姫…etc.)
カラーリングも、アンパンマン→赤、メロンパンナ→緑、ロールパンナ→紺、だしなぁ。
例えばクリームパンダは名乗るたびに毎回「パンダ?」と聞き直されて、本人が嫌がっているのに「パンダちゃん」と呼ばれたり(周りも笑うだけ)、
キノコブラザースのしめじまんは仕事が出来ないから仲間内で「じめじめまん」とバカにされていて森の中に置いていかれたりするし、
失敗してみんなに笑われるとか、似合わないことをして笑われるシーンも凄く多い。(特にチーズやカレーパンマン、カバオみたいなお調子キャラ)
今日はひどいなぁって思うこともある。
でもジェンダーに関しては全然違和感なく見ていたし、子どもにも見せているんだけど、
アンパンマンのレベルですらジェンダーロール押しつけで害悪って感じ?
そんなにジェンダーフリーじゃないといけないのかなぁ。
もはや一般的な傾向すら示すべきではない?(裁縫が得意な女性を出す、とか)
ジェンダーフリー以外は害悪!ってそれは多様性認めていないことにはならないんだろうか。
《追記》
みたいなやり取りが想定されているのでは無いのでしょうか
とりあえずそんなもんで
で
前提はさて置き
性差から自由に成ることがジェンダーフリーと言う熟語或いは概念に
込められた意味だと言うことじゃ
無いのでしょうか
平成17年だから、15年位前か?自民党の山谷議員が以下のようなことを質問した
https://www.yamatani-eriko.com/old/news/2005/news01.html
「ジェンダーフリーというどこの言葉でもない、英語のようですが全然英語ではない、勝手に日本が作った、勝手な、定義も分からない言葉を使って独り歩きさせたり、混乱が起きているわけです。」
これに対して当時の国務大臣が「正しく使われてるなら良いんじゃないか」というように言って、ジェンダーフリーという言葉が教育の場で同定義されているかには言及していなかった。
その後、この言葉って確かによく聞くんだが「具体的にジェンダーってなんでジェンダーフリーってなんだ」という話は聞いたことがない。
(プロフィール:25歳、男性、大学院卒、理系、会社員、東京都在住、同性愛者)
性的少数者の権利拡大・偏見払拭が謳われるようになってもう随分と経った。そういう虹色界隈の活動家の努力のお蔭か、少なくとも都市部の若年層では「ゲイとか気持ち悪いよね」と言う人の方が白い目で見られる社会にはなって来ていると思う。パートナーシップ制度を導入する自治体も増え、同性婚を支持する人も増えている。ゲイであったとしても自分らしく人を愛し愛され、自分らしく自由に、自分らしく幸福に生きられる社会になっている。……らしい。
このような心温まるようなすばらしい虹色啓蒙活動から最も疎外されているのは誰か。性的多数者(シスジェンダーの異性愛者)ではない。彼らも「理解のある」ハートフルなムーブを取ることで仲間入りできるし、「理解のない」人も敵陣代表としてちゃんと構ってもらえるからである。一番蚊帳の外なのは、非リアで、陰キャで、オタクで、恋愛にも興味がなく、自己肯定感が低い根暗のホモだ。
大前提として、虹色啓蒙活動は非異性愛者が自由に恋愛を楽しんで社会で生きる「権利」を求めるものであって、ゲイであろうと男とも女とも恋愛をしない人には大して関係がない。当たり前だが、仮に同性婚が法律で認められたとしても相手がいないと結婚はできない。全てがそうとは言わないが、虹色活動の大部分を占める要素も、活動に携わる当事者たちも、どこからどう見ても根暗なオタクには無縁の「陽気なリア充の世界の概念」であって、全然感情移入できないのである。そればかりではない。
ああいう目立つ活動家たちは、確かに旧来のゲイに対する悪質な偏見(気持ち悪い、オネエ、性病とか?よく知らん)をいくぶん弱めてくれたかもしれないしそれは有難いことなのだが、それを塗り替える形で別のステレオタイプを提供している。「ゲイは恋愛やセックスが大好きで、大好きな同性の恋人と結婚したいのに頭の固い人たちのせいでさせてもらえない、自由平等博愛のため闘うかわいそうな人」という印象を、勿論ここまで露骨でなくとも数倍に希釈した形で持っている人は少なくないのではないか。俺はゲイをカミングアウトしたことは殆どないが、おそらく多くの人はまずは同情の目を向けて「気付けなくてごめん」か「話してくれてありがとう」みたいな挨拶をくれた次には俺の恋愛事情に興味を持ち始めるだろう。別にそれ自体を悪いことだと非難する気は全くないが、結局「ゲイ」とか「同性愛者」というラベルはリア充・陽キャの文化でしかなくて、単に同性に性的魅力を感じてしまうというだけの陰キャが名乗ってもあんまりピンと来ない、贅沢な称号になってしまったのだ。
そういう点では、LGBTフレンドリーな明るく健常な集団なんかより陰キャのオタク界隈の方がよっぽど自分には合うし居心地が良い。もともとオタクコミュニティには恋愛への関心が希薄な非リアが多く、セクシャリティが問題になる機会自体が健常な集団より遥かに少ない。だからオタクコミュニティの方がジェンダーフリーだなどと大それたことを言う気は毛頭ないが、趣味の話と学校や仕事の愚痴くらいしかしないのにセクシャリティが関与してくることの方が稀だし、元々何の問題もなく穏やかに存在できている。
大体、恋愛に興味のない俺にとって、自分がゲイであるという事実はアイデンティティの構成する要素のほんのごく一部でしかない。所謂ゲイコミュニティに参入してゲイ友達を作ってPrideだの何だのよろしくやってる虹色の人たちをネットなんかで見ていると"ゲイを生きている"感がすごいし、普通の異性愛者視点だと多くのゲイがそういう生き方を望んでいるように見えているんだろうなと勘繰ってしまう。異性愛者が自分をヘテロであると意識してヘテロ人生を生きるみたいなことはまずないだろうから、こういうのはそもそも少数派である宿命というか如何ともしがたい非対称だとは思うが、いずれにしてもああいうのはどうも自分とは違う世界だ。俺は「自分は男の方が好き」みたいなどうでもいい話なんかよりよっぽど先週の俺ガイルの話がしたい。ずっと原作読み直してたら連休が終わりそう。
如何ともしがたい非対称と言ったが、性的少数者の苦悩は理解のない人による差別や偏見なんかよりも、そもそも少数派であること自体の苦痛の方が大きいと思う。要は、ゲイであること自体が十分に不幸なのである。同性愛者は全体の1割にも満たない上に普通は公開しないので、当然だがラブコメのような学校や会社での自然発生的な恋愛ストーリーは期待できない。そのためゲイ専用の出会い系アプリとかゲイコミュニティで知り合うくらいしかないわけだが、どうせそういう所にいる人は明るくて自己肯定感が高くてキラキラしててbioに虹マーク引っ提げてて合わないだろう。要するに異性愛と比べて恋愛の形のバリエーションが圧倒的に少ない。別に「自分がノンケだったら彼女が出来てた」とかいう、「文系学部だったら彼女できてた」とのたまう理系大学生のようなダサい主張をする気はないが、恋愛へのハードルの高さがヘテロの比ではないことは間違いないし、色々なことを土俵に上がる前に諦めないといけないのも事実だ。女性と結婚して子供を育てるという「普通の幸せ」にも憧れるけど処女懐胎してもらうわけにもいかないし、何よりそんな茶番に付き合わされる女性や生まれてくる子供に悪い。というかこのままだと一生童貞で独身だけどどうすんじゃこれ。30代になった瞬間信じてたオタク仲間が次々に【ご報告】していって取り残される√入ってるだろ……。
今はとてもじゃないが出来ないだろうけど昔は同性愛の「治療」なる概念があって、認知療法というか洗脳というかそんな感じで治療を試みることがあったらしい。流石に洗脳は効く気がしないし御免だが、大脳に電極ぶっ刺すとかケツにケミカルXをぶち込むとかで西洋医学的に「治る」なら全然治したいと思う。今の社会に不満があるとかそういうわけではないが、俺にとって自分がホモであることは「普通に生きてるには気にならない病気」でしかないし、それを認めろだの自分らしく生きろだの、無茶を言うなって話だ。
※同性愛者、性的少数者、ゲイなどの単語は適当に使ってますごめんなさい。基本的にどれも男性同性愛者を想定して書いてると思ってください。
「ジェンダーフリー」的な価値観と、「LGBTフレンドリー」的な価値観は、少なくとも表面的には対立することに気づいて欲しいんだよな。
もちろん、背後にある哲学は共通している、と纏め上げることは可能だけど。それは放っておけば勝手に纏まるものではなく、纏めようとしなければ纏まらないことに気づいて欲しいんだよな。
同性愛者が同性を好きになるとき、「男も女も関係ない」から同性を好きになるわけじゃない。「同性だから」好きになるわけで、男か女か関係あるに決まってるんだよな。
トランスジェンダーの苦悩というのは、「心の性と身体の性が違ってもいいじゃん」では済まないんだよな。「あるはずのものがない」「ないはずのものがある」から苦しいわけで、「なくてもいいじゃん」「あってもいいじゃん」で救われる人ももちろんいるが、それはあくまで個人的な思想の話であって、トランスに対する本質的な救いとは位相が異なるんだよな。
「嫌ジェンダーフリーで時代遅れ」とレッテルを貼られた人々が、実際には「親LGBTで先進的」な側面もあることに、気づいて欲しいんだよな。
(まあ、当の彼ら自身がそのことに気づいてない場面も多々あるけど。)
既婚、30代子無し。共働き、の男。
結婚して8年。子供はこっちの不妊でいない。収入は平均やや上ぐらい。ただ仕事柄変動が大きい。妻は公務員だから安定収入。そんなに高くはない。激務。帰らないこともしばしば。
家事は折半の約束だが、妻の仕事の都合でこちらがやることが多い。最近、料理は殆ど自分担当。週3でお弁当も作る。
家事の中では料理が一番楽しい。結婚するまで実家暮らしで、料理も殆どしたことがなかったが、始めてからは結構ハマっている。買い物して、献立を考えて、作って、残りは弁当に……という、細々としたルーチンワークが自分には合っていたようだ。作っても妻の帰りが遅いので一緒に食べれることは少ない。出来立てにラップして、それでも帰ってこないから冷蔵庫に、というのは結構悲しくなる。
でも、徹夜続きでぐったり疲れて帰ってきた妻が、死んだ目で興味なさげにご飯を食べる…と、口に入れた瞬間、ちょっと顔がほころぶのがいい。報われる。一瞬生き返って、すぐまた死んだ目に戻って、ボソボソ声で感想をくれるのもいい。
妻は定番料理よりもアレンジ料理を好む。暇なときは、雑誌やネットを見て何を作るか思いを巡らせる。レシピサイトよりも主婦の個人ブログが好きだ。気に入ったブログが3つ4つあって、長いものはもう7年近く読者である。子供の話や旦那の話を少し交えたレシピの紹介は、ひとの家の台所を垣間見ているようで楽しい。自分と同じように家族を支え、家事をしている人々がいると思うと励まされる。
最近、自分が彼女らに憧れていることに気づいた。もし自分も専業主婦だったら、と考えることが多い。井戸端会議で、美味しいレシピやお得な商品、生活の知恵などを共有してみたい。旦那の愚痴も、お弁当の話も、子供の好き嫌いの話もしてみたい。家族の生活の全てをサポートできる職があって、それに従事している人がいるのが羨ましい。専業主婦というものに憧れている。
ただ、専業主夫には全く憧れていない。共働きもまだ主流じゃない頃に育ったので、今の時代は違うとわかっていても、男は働くものと強く思っている。テレビで紹介されたりする専業主夫もなよなよしたイケハヤみたいなのが多くて好きじゃない。保守的なので、男なのに専業主夫という逸脱した行動をとる奴に憧れることが出来ない。やはりなりたいのは専業主婦だ。女性として家族を支えたい。
妻は男職場で男に負けじと働く強い人だ。物理的にも武道の有段者で強い。妻を支える専業主夫というのもなくはないのかもしれない(しかしやはり憧れない)。だが、妻の価値観は、「女が外で働いてもいい、男が家庭を支えてもいい」という男女逆転のジェンダーフリー起点のものではなく、「男女ともに手に職をつけるべきだ」というところから始まっている。女も働くべきだし、男も当然働くべきだというふうに。だから専業主夫の旦那というのは論外だろう。
やはり男に生まれた以上はきちんと働きたい。が、女に生まれて家庭を支えてみたかった。妻が男で、自分が女だったらなあと思う。
一般的に女性を嫌悪しているとか、女性を蔑視していると主張する人は「じゃあお前は誰の腹から生まれたか言ってみろ」と怒られる。
確かに全ての生き物は母親から生まれる。出産というのは本来命懸けの大行事なので、全ての母親は母であると言うだけで尊敬されて然るべきだと思う。
母親というだけで何もかも許される、とまでは言わないけど、全ての人は自分を生んでくれた人にありがたいという気持ちはあるんじゃないだろうか。そこで母が親としてちゃんと自分を育ててくれたかどうか、はまた別の問題だけれど。
それはともかく、自分は女性に対して色眼鏡をかけて見ている、という自覚がある。自分はジェンダーフリー教育を受けた覚えが無いので、男らしい・女らしいという概念が自分の中にはある。男と女は違う生物だ、と思っている。
男性と女性では体の造りも何もかも違うし、男性の中で育ってきた男性と、女性の中で育ってきた女性では価値観も何も違うだろうと思う。衣服に関しても性別で分けられている事が多いし、少なくとも同性と同じようには見れない。
「おけけパワー中島」とか、「普通の人でいいのに!」のとか、女性向けのあるある話というか、エッセイ漫画を読んでも理解出来ないな…と思う事が多かった。理解出来るから嫌いとかではなく、何もかも理解出来ずよく分からなかった。
多くの女性がジャニーズなどのアイドルや顔の良い俳優に夢中になる理由もあまり分からない。こういう話は、性別を逆にすれば女性も「何故男はAKBなど若い女に夢中になるのだろう?」と思うのでは無いだろうか。
自分には、女性が男性を好きになる感覚が、どうしても理解出来ない。逆に、男性が女性を好きになる感覚は分かる。男性の事はある程度理解や共感が出来る気がするけど、女性の事となると理解や共感が出来ない事が多い。
女性が手がけた創作物も楽しめない事が時々ある。楽しめる事も結構ある。「この人は良く男性を客観的に見ているなあ」と感心する事もあるし、「女の考えている事はよく分からないなあ…」と困惑する事もある。
そう思う中で、自分には生理的にどうしても許容出来ない事が一つある。女性が自分の事を男性だと偽ったり、逆に女性である事を隠しもせず所謂「男性が好むジャンル」に足を踏み入れてくる事が、どうしても自分には耐えがたい。
例えば更衣室やお手洗いは基本的に性別で分けられている事が多い。それは、性別で住み分けを行わないと何らかの不都合が発生するからだと思う。もしかしたら将来的に統一されるかもしれないけど、当分はこのままだろう。
男性に好まれる物も、女性に好まれる物も、お互いそんな風に不可侵であったのではないだろうか。男性人気のある物をこっそり楽しむ女性も、女性人気のある物をこっそり楽しむ男性も居たと思う。大きな声はあげず、こっそりと。
まあ、そんな不可侵なんて物は初めから存在しなかったのかもしれない。人気漫画家の高橋留美子先生が『週刊少年サンデー』で作品の連載を始めたのは40年以上も前の事だ。大昔から「男性が好むジャンル」に女性は居た。
ただ、自分と違う「女性ならではの感性」「女性文化の中で育ってきた」人間を男性向けのジャンルで見る事は、自分には何だか違和感がある。面白さとはまた別に、この人は男の事をよく分かってないんじゃないだろうか、と感じる。
自分は性差の存在も強く信じている。女に男の事は分からないだろうし、男も女の事は分からないだろうと思っている。自分には女性の生理や出産の辛さが分からないのだから、女性だって男性特有の生理現象については分からないんじゃないか?と決めつけている。異性には本当の意味で「異性の悩み」なんて分かる事は無い、同性だからこそ強く分かる事がある、と考えているし今後も中々変わらないだろうから、自分は男女差別者であると思う。でも女性は好きです。
【追記】
男です。男らしいかはともかく。
女性が性的消費されてる表紙と同数ぐらいになれば流石に嫌だってなるのかなって思ってたけど
まぁ、女性を性的消費する様な描写なんて書店であっても、漫画の中であっても害でしかないので、どんどん排除して欲しいし、anan批判して自らの首を絞めて欲しい。書店で子どもたちが見る場所にもエロが無法地帯になっている現状を見れば、規制すべきだよ。せめて年齢制限ぐらいは設けて欲しいよね。
あと忘れてはならないのが、男女では社会背景や抑圧されてきた歴史が違うので「男性を性的消費する事」と「女性を性的消費する事」は決して同列には語れないという点。
本当に本当にそう。
ananを「男性の性的消費」という面から批判している層は、男性の性的消費どころか表現の自由も本当はどうでもよくて、もっと言えばヘテロ男性向けのエロ表現が消え去るという危惧なんて本当は持ってなくて(ネットやホモソ社会でいくらでも得られると肌で感じてるから)、ただただ「弱者であると分かりきってる女性の必死の抵抗」を言葉遊びで潰すのが楽しいだけなんだよ。青い論の人とかまさにそう。
ananと宇崎ポスを比較する人が多いが、献血ポスの主要論点が「献血ルームという公共性の高い場で、巨乳女性を性的シンボル化した表象を用いることは、社会において『胸の大きい女性は性的に扱ってよいもの』との固定観念を促進する」だったのを考えると、ananはこの2つの論点のいずれにも該当しない
一方で「献血ルームという公共性の高い場で、過度に性的な掲示を行うのは不適切ではないか」という論点も存在する この場合は、後者の問題にananも抵触すると判断しうる 「献血ルームのような場(=前者の問題にも抵触する)であれば、自分もそれには強く反対する」という声が少なくないのはそのため
自由戦士はこの論点を理解できていないために、「献血ルーム等の公共性の高い場だけでなく、書店でもananの掲示は不適切」と言わんばかりの主張をしてしまっているが、これではそのまま「じゃあ書店で宇崎ポスター貼るのもダメだよね」と返ってくる 論点の把握を欠いたミラーリングは結果的に自滅する
もし「胸の大きさが無関係な献血に人を集める目的のポスターで巨乳女性を性的シンボル化した表象を用いることは、社会において『女性の身体の性的特徴を物的に扱ってよい』との固定観念を促進する」といった説明だとどうですか? -「ananはこの論点に該当しない」と言えるように思います。
「そっちがこうなら、これはどうだ」的な話は、どうかとは思うんだけど、いつもは「性的搾取?性的モノ化?」みたいな人たちが、「anan」の年一の特集だけには躍起になっているのは、やっぱり側から見て「ふむ……」となってしまう。
男の半裸を表紙にするのはけしからん、不快だ、というならそう言えばいいのに、自分からは意見を出さずに「フェミニストはこれに文句をつけない、ダブスタだ」と言うばかりなのね。男の裸と女の裸が同じ意味なわけねえだろ。行き過ぎたジェンダーフリー教育とやらでも受けたのか?
俺の観測範囲でananのセックス特集を決死擁護してる女性やフェミは見たことないわ。表現の自由的な観点から擁護してる人や事実として間違っているから指摘してる人はいるけど。そういう意味で性的/性的消費な表現ならどんなものでバックンバックン食いついて徹底擁護する表現の自由戦士はすごいな(棒
僕が知っているフェミニストの人達はananがセーフだなんて言っていないのだけど、そんなこと言っている人がどこにいるの?
「綺麗な裸」と「チンコ立たせるための裸」ということで一応説明されていると思います
女性の尊厳を踏みにじっていない男性誌をも撤去せよと主張する人がいるとしたら、それはもう僕には分からない。
献血ポスターは多くの人の目に付くものなので、あの内容ではセクハラになりえます(女性の尊厳とはまた別の問題です)
プライベートというのが何のことだか分かりませんので、それについてはなんともいえないですね
男性が「エロい男の写真を公共の場に置くのは男性性の消費だ。撤去しろ」と思うのならそう訴えればいいじゃないですか?
なぜしないんですか?
女性は声を上げた。だから女性蔑視的なコンテンツは姿を消しつつあるのです。
男性蔑視的なコンテンツを消したいなら、男性が声を上げるしかない。
現代の作家は「ジェンダー」に応答できているか? 美術家・黒瀬陽平インタビュー シリーズ:ジェンダーフリーは可能か?(7)|美術手帖 https://bijutsutecho.com/magazine/series/s21/20101
━━教員と学生のギャップが生む問題では、多摩美術大学大学院の彫刻科の学生有志が大学に対してハラスメントに関する要望書を提出した件もありました。
美術を学びたい若い女性の学生に対して、男性社会で生きてきたおじさんの教員がどれだけ対応できるのか。学生は、内面にすごくデリケートな意識や問題を抱えている。そこにどれだけ踏み込んでケアできるかと言えば、現状はとても難しいと思います。意識的ではなく無意識のレベルでも、「男性だから/女性だから」という判断、思い込みはどうしても残ってしまいますし、それは知識や意識だけでは乗り越えることができない。男性教員ばかりだから理解してもらえなかったということは、美大出身のアーティストからもよく聞きます。
(…)
━━ジェンダーだけでなく、世代差や立場の差が生むギャップもありそうですね。
そうですね。ただ美大に関しては、少なくとも女性教員が増えることで、「女性教員が少なくて女子学生の相談相手がいない」という現状は変えられる。ならばまずそこをクリアして、「女性教員はいるけれど話が通じない」という、次のレベルの議論ができるようにするべきだと思います。
黒瀬陽平と合同会社カオスラによるハラスメントについて|ayanoanzai|note https://note.com/ayanoanzai/n/nefd11252a137
5月、合同会社カオスラでも固定スタッフとしての勤務を依頼され、快く了承。それまで何度か単発での勤務経験あり。固定スタッフとしての業務内容は、週1日固定の曜日に出勤し、スタジオの整頓や在庫作品の管理をするというもの。(※1)
勤務を開始してすぐから、黒瀬による身体的接触や性的要求が発生。他スタッフよりも2時間程はやい集合時間を個別連絡で指定され、黒瀬と私の2名がスタジオに集まるという状況が続く。他スタッフには相談できず、大幅に遅刻する、それとなく誤魔化す、「既婚者であるならリスクを考えた方が良いのでは」と提案する等で対応するが、断りきれなくなり7月下旬頃にはじめて性的接触に応じる。その後は黒瀬より要求があった時のみ対応。
黒瀬が行っていたのは立場の不均衡を利用した性的関係の要求であり、明確なセクシャルハラスメント。
受け入れるべきではなかったが、新芸術校およびカオスラの業務に支障を与えたくなく、抵抗し続けるのが難しかった。また、性的要求を受け入れる前から「能力ではなく黒瀬に気に入られているから仕事を与えられているのでは」「黒瀬と性関係があるのか?」と第三者に疑いを掛けられることが多くあり、女性である私は実情と関係なくそういった見られ方をするのだと自信を失っていた。カオスラは役員・スタッフ全員が男性で、相談できる相手がいなかった。自分が排除される可能性を考え何も言わないまま勤務を継続。仕事自体は楽しくやりがいもあり、業務上の信頼関係を徐々に構築。
問題を認識しているからこそ、逆にそれを利用して自分の思うように管理するテクにも使えるんスねえ~ハックってこういうことだね
保険の授業はあった。女子だけ集められたかは忘れたけど、生理用品メーカーの人が話しにきてナプキンの入った袋を渡された記憶があるからあったんだと思う。あと出産ビデオのマイルド版を見せられた。セックスの話はあったけど、「子供を作る素晴らしい行為、これは自然なことでみなさんも大きくなったらするようになります」って感じだった。これが小学生の頃。
小学四年生くらいからインターネットに触れるようになり、一瞬で耳年増になった。でも正直「セックス」と「妊娠」は頭の中で結びついてはなかった。ネットに溢れるエロGIFは大半が生・中出しだった。「子供を作る素晴らしい行為」感はなかったので、保健で習った「性交」とネットで見る「セックス」は違うもののように思えた。
コンドームというものの存在を知った、そのあと用途を知った。「精液を防ぐ」ものだとはわかったけれど、実感として「避妊」という意識はなかった。エロいもの。変な雑貨屋で売ってるもの。コンビニの隅っこで売ってるもの。そんな感覚だった。
中学では自慰の話とコンドームの話があった気がする。装着時は先端をつまんで…みたいな話ってここで聞いたんだっけな?あんまり覚えてない。
ピルや緊急避妊ピル(アフターピル)への偏見、あるいは過信というのは性教育が充実していないことから来ていると思う。2001年に『思春期のためのラブ&ボディbook』という、避妊方法などを思春期の子供に向けてわかりやすくイラストや写真で示したパンフレットが作成されたのだが、「フリーセックスの助長」「性の低年齢化」「ジェンダーフリー思想を後押しする」「命を育むという神秘的な側面を無視している」等の声が上がり、「性交奨励本」とまで呼ばれて回収になった。
しかし、情報を隠せば子供がセックスについて興味を持たないというわけではない。当時の私のように、耳年増になる子供なんていうのは今の方がずっと多いだろう。偏った情報のみを得た子供が実践する相手を得るなんてことはいくらでも起こりうる。または、その知識のまま成長するということも。
アフターピルというのは、一般に大変副作用が重いとされている。1日から2日、人によってはそれ以上、吐き気や倦怠感などが続く。にもかかわらず、決して100%避妊できるというわけではない。悪用というのはアクセスをむやみに制限することではなく、デメリットとメリットを公平に詳しく教えることによって防げる面も多いのではないだろうか。
「男に強要されたらどうするんだ」というのは、私にはアフターピル云々以前の問題であると感じる。アフターピルがあるから悪いのではない。たとえ長期のパートナー同士であろうと、俗に言うワンナイトであろうと、性的サービスの提供者であろうと、yes/noをはっきり言う・言えること、合意をとることの大切さというのは、少なくとも私は学校では習っていない。
それが男だ
はなから信用してないし
言われなくともテメェなんかと関わるかよ
一部の基地外しかレイプなんかしない?で?テメェが基地外じゃないって?誰が信じるかよ。犯罪者はみんなそう言うんだよ。
ちったぁ男らしく「自衛しろ」じゃなくて「俺が守る」程度のこと言えねえのか
言わねえよな。
別に言って欲しくもねえけどさ、
被害者にはならない安全圏から自衛自衛ってごちゃごちゃうるせえ癖に、特に被害から守ってくれる訳でもねえ。何なんだよ?何のためにいるんだよ?
そりゃ言うだけなら楽だよな
自衛しろっていうだけで善人にでもなったつもりか?まだレイプしてないだけだろ。
テメェは何もしてねえから
テメェのありがたーい御説法なんかなくてもさ
言われなくともしてるっての
毎日女1人の職場でどんだけ気をつけてやってきたと思ってんだよ
深夜に猛ノックしてくるクソジジイのせいで無駄な引っ越し代と月々+1.5万の家賃も払ったこともねえくせに
言われなくてもしてるんだわ
これ以上どうしろと?具体的に何か画期的な自衛方法を教えてくれるんですかね?口出すならタクシー代も払えよ。
自衛する必要のない人生歩んできて、酔い潰れて人にゲロぶっかけてその口で自衛とかいうんだから笑うしかない
ちょっと介抱してやったら抱きついてくるテメェの方が自衛しろよ
何か起きてからでは遅いんだろ。
「電車で痴漢に間違われないように男は自衛するのが大事だよね。疑いを晴らすための証言とかはめんどくさいから無理だけど。まあ、両手を上げて乗ってなかったなら仕方ないよね。そもそも痴漢に間違われたくないなら混んでる時間に乗らなきゃいいし。間違いは誰にでもあるから、間違えられないようにすることが大事なんだよね。」とでも言えば通じるんか?
お前いつも女湯に入りたがってるな
公衆浴場(銭湯)の未来は明るいな > 増田においてのみ
公営 と 私営 の普通浴場を合計した、いわゆる 銭湯(一般公衆浴場) は、現在4,293施設くらい
ビジネスチャンスかも知らんぞ
ものすごい銭湯好きの集まるインターネッツなので、今後のマーケティングに活用されると良いだろう
■契約自由の原則を頑なに無視
締約の自由
内容の自由
- 運営側は刺青やドレスコードと同じく拒否もできる
- 運営側はジェンダーフリーな浴場を用意することもできる
- 運営側は湯着や水着などを着用を義務づける事もできる
- 利用者は利用する店(契約する店)を選ぶことができる
- 利用者は希望に叶わない店であれば利用しない(契約しない)権利がある
- 利用者はオーナーと相談/合意の上で、店を貸し切りにできる
日本にあるものを頑なに無視
性別のステレオタイプを排して性別に縛られない多様な価値観やライフスタイルを肯定しよう!みたいな価値観が根底にある作品増えてきたよね
だけど同時にそれって欺瞞だよねって思うんだよな
今の世界ではステレオタイプから逸脱した人間は他に付加価値(容姿や才能など)を有してない限り社会の鼻摘み者になるという非情なオチがつくよね
そういう現実の前提を無視して描かれる無毒化されたファンタジーに片寄ってるのが気になる
あとそれらのファンタジーを称賛する読者にも一部に凄い軽薄さを感じる
性風俗産業は立派な職業である、と口にする人々が自分の恋人や家族が性風俗産業に従事する想定には消極的な態度を示すのと極似した軽薄さを感じる
ゲイに嫌悪感を示す男は多いけど、例えば爆サイで自分の近所を検索すると最寄の商店がゲイの発展の待ち合わせに使われてたり、酷い時はよく散歩する近所の公園、銭湯や商店のトイレが発展に使われてたりするんだよね
弱者はジェンダーロールから降りづらい…って話に尽きるのではないか?
まっこと残念な話ではあるが、現代でもなお男らしさ女らしさを求められる局面はまだまだ根強い。
もちろんそういうものへのカウンターとして「男らしさ女らしさとか下らない!解放されよう!」
というメッセージは私も素晴らしいとは思うのだが、ここで問題となるのは、
ジェンダーロールを捨てた結果生じる生きづらさだ。
そしてその生きづらさを補填できる存在こそが「強者」であって、「弱者」は補填しづらいのではないか?
(ここで言う「強者」とは年収とか容姿とかコミュ力とかにまあ多岐に渡る要素に関してハイスペであることを想定しちょる)
昨今にはジェンダーフリーを標榜する芸能人や活動家やセレブなど数多に存在しているし、
しかしそれこそ彼ら彼女らがジェンダーロールを降りてもキラキラ輝けるのは
わいら弱者が彼ら彼女らと同様にジェンダーロールを降りてキラキラ輝けるもんなんけ?って話やんけ。
…結局弱者が取りうる道とは、
…の2つしかないのでは。
いや私は世の人みんな男らしさ女らしさとか下らないものから解放されたら良いとは願っていますよ。
私が言いたいのは「ジェンダーロールから解放されよう!」という主張は結構ですが、