はてなキーワード: ジェンダーフリーとは
この増田は東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の会長である、森喜朗氏の問題発言についての所感である。
多くの人がこの問題に対して擁護や批判を述べているが、その中で、最も興味深い話は下記の記事にある経団連会長である中西宏明氏の話だ。
https://mainichi.jp/articles/20210208/k00/00m/020/164000c
この発言の興味深い所は「本音の部分での考え」と「本音に対する評価」が混じっている所にある。こういった本音であるという事自体がけしからんと思う人がいる一方で、事実としてこういった本音があることを認識しているのは、現状分析としては正しく、その部分においてのみ一定の評価をしている人もいるだろう。
(尚、私は中西氏の発言についてはこの記事しか読んでいない事はお断りしておく。)
私はこの発言を通じて、性差に関して言えば、本音に対しての評価が正しくとも、決してそれを吐露してはいけないという事を改めて感じた。本音がどうあれ、先ずは本音を隠して、形式的な振る舞いをする事が大事なのである。そして、形式的な振る舞いをするにあたっては、様々な困難もあるわけだが、その困難は絶対に限りなく近い相当程度、受忍されるべきである。
「三つ子の魂百まで」という諺もあるように、私は、人の持っている潜在的な感覚や価値観というのは、一度ある程度構築されてしまったらそれを変えるのは容易ではないと思っている。
先程の本音に対する批判にも様々なものがあるが、その批判が本音の是正を求めるという意味であった場合には、本音では女性軽視の気持ちがある人に心からのジェンダーフリーを求めるのは不可能なので、全く無意味な批判となる。
批判の対象は本音を出してしまった事に対して向けられるべきで、私なりに批判してみると、
といったところだろうか。
私はタイムマシンに乗ったことが無いので想像であるが、もしも明治、大正時代にタイムスリップして当時の人に「100年後には女性に参政権がある」という話をしたら、さぞびっくりされるのではないだろうか。
今では女性に参政権があるというのは当然だと思う人が、ほぼ全てと言って良いレベルで殆どだろうし、もっと言えばあまりにも当然すぎて、当然を当然と思うことすら無いだろう。
我々の行うべき事は現在を変えるというよりも、未来を変えること、それに尽きるのだと思う。先人が努力した様に、我々も努力をし、未来の礎となり、未来の人にとって男女平等を当然とさえ思わせないようにする事である。
そのためにはどうするか。
先程の女性参政権を例に挙げれば、我々がこれを当然と思っているのは生まれてきたときから女性に参政権のある国に生まれ育ち、女性参政権に対して反対する声を聞くことの無い環境にあるからではないだろうか。(世の中色々な人がいるので、女性参政権に反対する人も中にはいるだろうが、少なくとも私は聞いたことが無い。多くの人も同様ではなかろうか。)
少し話が逸れるが、女性参政権を例に出したのは、若干不適切だと思う。実際に権利を手にしたわけであって、純粋に「形」だけでは無いのがその理由だ。ただ、私が伝えたいことがより伝わると考えて、あえて例に持ち出した事をご承知いただきたい。
話を戻す。
この事から考えると、我々が出来ることは「形から入る。そして、その形が自然になるまで根気強く待つ。」これに尽きるのでは無いだろうか。
根気強く待つ期間が世代を超えるかもしれないので、その間に傷つく人も相当数いるであろう。
もちろん、今の犠牲を甘んじて受ける事は無い。むしろ、今大いに抗うことがより良い未来に繋がる。
もう一度言う。
女性蔑視発言をした者が会長職にいるのは、形として相応しく無い。この一言に尽きる。
余人を持って代えがたい等々、様々な擁護と会長を続けるための理由が出ているが、これこそが前述した、形式的な振る舞い、ここでは森氏が会長を退く事にあたっての困難であり、「調整力」「これまでの実績」程度の事ではお話にならない。残った者で何とかならなくても何とかしなければならないのである。
スピード違反をしたドライバーが普段どんな運転をしているのか、どれくらいのドライビングテクニックがあるのか、その様な事は関係なく、ある一定のスピードを超えたら違反は違反である。
所感は以上。
蛇足になるが、別な側面から考えると、森喜朗氏を擁護する面々も、あえて氏を批判する必要は無い事を付記しておく。
失言の是非や氏の思想に対して批判したく無ければしなくても良い。形から入るという考え方に立てば、失言をしてしまったので会長職を退くという形が重要なので、氏のこれまでの実績や、(擁護する人から見た)人柄を否定しなくても良い。
先程、スピード違反の例を出したが、ドライバーがどの様な人間かは関係ないので、そのドライバーに対して「素晴らしいドライビングテクニックだ!」「普段は安全運転をする人だ」などの感想があっても良い。
私は本音の発露は良くないとしているが、感情が湧き出ること自体を否定しているわけではない。
こんなものはフェミニストを名乗る雑なセクシストどもの擁護でしかない。
性はクラデーションで厳密な男性向けも女性向けも存在しないんだ、美少女のセクシーな絵が好きな女子も腐男子もみんないてみんな良かったんだ。
BLの男性への販売拒否とかやめようよっていうBL同人界隈の動きとかもあって10年ぐらい前まではわりと真面目にジェンダーフリーを目指していたんだ。
美少女系の女性イラストレーターがフリルとレース山盛りの可愛いとえっちなもを共存させる絵を描いてそれを男性も女性も支持していた。
だけどそれらを全部ぶち壊しにしたんだよ、老人世代の分断が若い世代に存在すると思っている50代60代のジジババや
インターネットの意識の高い面した海外の流行でしかないキャンセルカルチャーの猿真似をやっている名誉白人どもや
一部の腐女子による美少女系女オタクへのただのヘイトとそういうのが合流して腐女子のセクシズムをフェミニズムが支持してしまったんだ。
俺は価値観をあっぷでぇとできてないっぽいので、すげー混乱するんだよ。だから手伝って。優しくね。
男らしさ、女らしさをなくそう、って話あるよね?(ジェンダーフリーでいいよね?)これはすごくいいと思ってんの。
だけど一方で、性自認を認めようって話あるよね?これがすごい混乱してるの。
ここで一言注意なんだけど、トランスジェンダーの人を貶そうとか、障碍者だとか、そういうことを言いたいわけじゃない。そういうのは誹謗中傷だし、そういうことをする奴は俺は大嫌いだし、やるべきではないと思う。(誹謗中傷する人々が生きていては駄目だというのではない。生は誰も否定されるべきでない。俺は誹謗中傷が嫌い、それだけ。)
さて、何に混乱しているかというと。
性自認(ジェンダーアイデンティティ)ってのは、非常に強固なジェンダーありきの概念じゃない?なにせジェンダーアイデンティティというくらいだし。「私は体は女ですが中身は男です」というのは、多くの人よりもジェンダーへのこだわりが強くないと出てこない。
これってさ、「男女かくあるべし」を前提としたものなのではないか?
自分は陰茎はついているけど、すごく優しいし共感性高いし、男に体を見られるの恥ずかしい、とか思うことがあったとして。
ジェンダーフリーの概念で考えれば、「そういう男がいてもいい」ってことになると思ってるの。特性の組み合わせは無限にあるしね。(スカートだけ履きたいとか)
しかし性自認の話になると、「だから私は女なんだ!」とかなる可能性もあると。これって、「そういう特性を持つものは女である」というジェンダーの強化につながると思うんだよ。
さらにアメリカではその概念を肉体よりも優先してスポーツ競技なんかに出ることもあると聞く。それだけ「性自認」を肉体の性より優先しているということだ。これはジェンダーの強化に他ならないのでは?なくそうという気がないのでは。
(そもそも肉体の性による筋肉量の違いなどにより競技を性別で分けたのに精神で分けるという意味のなさについて言及すると反れるのでそこはここでは掘らない)
ジェンダーは悪だ!というのに性自認という概念を通じてジェンダーを強化しようとするこの世界(てか主にアメリカ?)に、アプデできてない俺は混乱している。アプデ来てる人はどう折り合い付けてますか?実は目をつぶってるとか、そういうライトな感じならそれならそれで「まあそこは矛盾してますね!」というくらいで教えてください。それならそれで、ライトでいいんだな、と納得できます!すべてきちんとする必要はないと、それは理解しています!でもジェンダーを鬼の首取ったように叩くのなら、この矛盾はキチンと説明してほしいです。そこまで温度感高い問題としてジェンダーを認識しているのに、性自認については「まあそういうならそうなんじゃない?」とするのはちょっと看過できません。もし「人を攻撃するためだけにジェンダーを道具として用いている」のであれば、私は嫌いです。誹謗中傷する人の次くらいに嫌い。とても卑怯だと思うからです。
DHCの会長がいうことは理解できる、部落のない地域で育った人は被害にあってないので時代遅れとかいうのは仕方ない。
分けるけど、時代はジェンダーフリーだし、差別を排除する流れになってる。
なので、憎しといえど、日本人全てに通用する内容じゃないから控えるべきだよね。
自分に関しては、子供の頃から親に散々叩き込まれたのもあるが、
僕が小・中学校時代に部落地域の人間にされたことも経験としてあるから、尚更在日に対する意識は高い。
そして普段忘れるようにしているのだがチョン系の話題がでたらどうしても思い出してしまうのである。
①通行料金の徴収として毎日100円払わないと学校に登校できない
②みんなの前で教室のはじからはじまでビンタされた(目があっただけ、力の誇示をしたかった模様)
③文房具をしこたま盗まれた、それが表沙汰になった時親が「子供が文房具を大事にしない」とかって言って学校に文句を行ってくる始末、さすがである。
④万引きの犯罪につきあわされた(捕まりかけたが全力疾走で逃げた、もちろんこちらに取り分などない)
⑦小1の時、かぶと虫の幼虫をなくしたと因縁を付けられ裏山で夕方まで探させられた
⑧中1の時、欲しくもない洋服を1万で無理やり買わされた
⑨学内での盗み(高級ボールペン)を盗んだと濡れ衣を被された上、ホームルームで犯人扱いされる
真犯人を先生へ相談したら隠蔽(野球部の顧問が部員よりでかき消し)、結果クラス内では私が盗んだことにさせられた
⑩5人程度囲まれた状態で、無理やり好きな女の子に告白させられ笑い者にされた
全部、在日にやられた。
だから、DHCの社長の言ってることわかるし、就職氷河期でゴミくそベンチャーに入って低賃金でこき使われてる身だったのに
あいつらは、在日の特権職業でゴミ屋公務員で月40万の職業に就いてた。
ジェンダーフリー良いと思うが、在日の人間が信頼できないのはそういうバックグラウンドがあるからである。
地元に戻った時に見かけたら反吐が出そうになるが、大人な対応を心掛けている。
ちなみに、中学3年の時に、こいつらと縁を切りたいと思い、高校受験で死ぬほど頑張ってやつらが受けれない程度の高校に入学した。
性自認なんてもんはジェンダーありきの概念だろ。ジェンダーを強化することにしかならんからやめろ。
性別ってのは肉体の性。これでいいだろ。
男が好きな男もスカート掃きたい男も女と友人関係になりたい男もアパレルに行きたい男も、「別にそういう男がいて普通」ってだけであって、わざわざ自分は女だと名乗る意味がない。女に読み替えも同様。
ジェンダーフルな現代において生活するには性自認というものがあった方がいいというのは詭弁だ。じゃあなぜあなたは自分を肉体の性と別の性だと感じるのか?その根拠がジェンダーであるなら、性自認と言う概念はジェンダーをこれからも保ち続ける強力な枷たいうことになる。そもそも肉体の性が曖昧とか病気で性器を取り外したとか、そういうときに初めて男でも女でもないという話になるのであって。「私はペニスがついているが女だ」と主張する意味がない。なぜなら「どういう男、女がいても普通」であるべきだから。男だから女だからという場面がなければ女だと主張する理由がない。心は女とは、完全なジェンダーフリーの環境においてはどういう意味だ?
「現実にジェンダーがあるのだから性自認として配慮させることが必要」というのは詭弁だ。世の中に啓蒙するなら最初からジェンダーフリーを啓蒙すべきで、性自認なんて概念の啓蒙をしたら「え、男女らしさはやっぱあるの?」となるだろう。
注意したいのは、性別の考えそのものをなくせば良いかといえばそうではないだろう。なぜか。現状精子と卵子なくして動物は世代を紡げないから。セックス(性別)否定は一方からの見方に偏りすぎ。生物としての現実を軽視することもまた問題だ。国が性別を管理する是非は議論の余地ありとしても。
他のジャンルに男女差がないって言うのが間違い。
男のファンが多いバンドと女のファンが多いバンドはやっぱりある。シェークスピアの恋愛劇はやっぱり女受けする。
宗教画とかタビンチに男女差が無いことも気にしてるけど、それは当時代は全ての芸術が男のものだったからだね。男向けジャンルに女が参入した現在があるに過ぎない。
男と女で嗜好の違いは確実にあって、男の子はやっぱり剣のおもちゃが好きだし、女の子はおままごとをするんだよ。それはジェンダーではなくて、セックスなんだ。ジェンダーフリーを信じてしまった母親が息子の嗜好を妨げる悲劇も、過去にはまあまあ報告された。そんなことはあってはならない。
だから市場の側が年齢やジャンルと同様に、男女に分けた需要分析を行うのは、全く理にかなった行動だ。