はてなキーワード: ジェンダーフリーとは
性別のステレオタイプを排して性別に縛られない多様な価値観やライフスタイルを肯定しよう!みたいな価値観が根底にある作品増えてきたよね
だけど同時にそれって欺瞞だよねって思うんだよな
今の世界ではステレオタイプから逸脱した人間は他に付加価値(容姿や才能など)を有してない限り社会の鼻摘み者になるという非情なオチがつくよね
そういう現実の前提を無視して描かれる無毒化されたファンタジーに片寄ってるのが気になる
あとそれらのファンタジーを称賛する読者にも一部に凄い軽薄さを感じる
性風俗産業は立派な職業である、と口にする人々が自分の恋人や家族が性風俗産業に従事する想定には消極的な態度を示すのと極似した軽薄さを感じる
ゲイに嫌悪感を示す男は多いけど、例えば爆サイで自分の近所を検索すると最寄の商店がゲイの発展の待ち合わせに使われてたり、酷い時はよく散歩する近所の公園、銭湯や商店のトイレが発展に使われてたりするんだよね
弱者はジェンダーロールから降りづらい…って話に尽きるのではないか?
まっこと残念な話ではあるが、現代でもなお男らしさ女らしさを求められる局面はまだまだ根強い。
もちろんそういうものへのカウンターとして「男らしさ女らしさとか下らない!解放されよう!」
というメッセージは私も素晴らしいとは思うのだが、ここで問題となるのは、
ジェンダーロールを捨てた結果生じる生きづらさだ。
そしてその生きづらさを補填できる存在こそが「強者」であって、「弱者」は補填しづらいのではないか?
(ここで言う「強者」とは年収とか容姿とかコミュ力とかにまあ多岐に渡る要素に関してハイスペであることを想定しちょる)
昨今にはジェンダーフリーを標榜する芸能人や活動家やセレブなど数多に存在しているし、
しかしそれこそ彼ら彼女らがジェンダーロールを降りてもキラキラ輝けるのは
わいら弱者が彼ら彼女らと同様にジェンダーロールを降りてキラキラ輝けるもんなんけ?って話やんけ。
…結局弱者が取りうる道とは、
…の2つしかないのでは。
いや私は世の人みんな男らしさ女らしさとか下らないものから解放されたら良いとは願っていますよ。
私が言いたいのは「ジェンダーロールから解放されよう!」という主張は結構ですが、
https://anond.hatelabo.jp/20200217175118
キモイロリコンオタクのおちんちんを発情させて、キモイ欲情の対象としてのロリコンアニメを叩き潰せ
痴漢、性犯罪、ロリコン犯罪の温床となっているロリコンアニメを断じて許すな、「ラブライブ」(笑)の事だよ。
キモイオタク、ロリコン犯罪者が、ロリコンアニメで発情させて、二次元の架空のアニメと、実際の女性を混同して、
銃犯罪がおこったら、拳銃を規制されるのと同じで、一つでも痴漢、性犯罪、ロリコン犯罪がおこったら、ロリコンアニメを規制するのは当然だろ
二次元のキモイアニメを見て、現実から掛け離れた架空の「女性」を現実と混同して、大人になっても、架空のキモイアニメを見続けて、
現実の女性と触れ合う事なく、気づいたら、性犯罪、痴漢、ロリコン犯罪に走るのを、もう社会は、認めないよ。
拳銃を規制するのと同じで、ロリコンアニメは、社会学者、フェミニスト、ジェンダーフリー業界で構成される「表現規制委員会」に任せてみようよ
「良い男がいない」「良い女がいない」
これらはまさに世がリベラルになった、引いてはジェンダーフリーが進んだ証だと思うのですよね。
だってそうじゃないですか。
「良い男」「良い女」とは結局のところ、
「『女にとって』良い男」「『男にとって』良い女」なわけじゃないですか。
「異性の好みに合わせて自らを形成しないといけない」という価値観…
「異性の好みに合わせるとかクソじゃね?」と万人が思うようになった。
「良い男」「良い女」が減るのは当然なのですよ。
「良い男がいない」と愚痴る分、あなたは「良い女である必要はない」ということだし、
「良い女がいない」と愚痴る分、あなたは「良い男である必要はない」ということなのです。
「良い男」「良い女」は今後どんどん減っていくし、それは良いことだと思います。
なんのことはない。早い話、大前提としてフェミニズムにとって「男」は批判対象であり「敵」だから、他の「弱者」とは扱いが違いますよ、ということじゃないですか。
「パートタイムや派遣労働者」への支援について語るとき、ご丁寧に「ーーその多くは女性ーー」という注をつけることを忘れない。この事実も、「フェミニズムは「女性」のことだけを優先します」
そもそも「男性のセントラリティ」や、「男性=強者、女性=弱者」という図式自体がおかしくね?と考える僕は、フェミニズム的には本当に「ありえない」存在なんだろうな。最優先リストラ対象どころか、「つーか、そもそも敵?入社資格ねーし?」みたいな?
うん、もやもやが解けた。
僕が批判しているのは、「『弱者』一般の支援」に「弱者男性」を含むことを、フェミニズムはなぜ認めないのかってこと。これについてはフェミニズムの大前提として、「社会における「男性のセントラリティ(中心性)」という現状認識」があるということで、一応納得した。
いやね、フェミニズムが「女のもの」なら、それはそれでいいんですよ。ただ、↑みたいな本とか、「ジェンダーフリー」ってスローガンに、うっかり僕が釣られただけですから。変に期待しちゃった僕がバカでした。今後は「フェミニズムは女のもの」として、正しく認識を改めることにします。本当にありがとうございました。
いわゆるジェンダーロール「男らしさ」「女らしさ」…
現状社会において、これらをあっさり捨てることができるのは強者のみで、
弱者は捨てることは難しいんでは、って話。
ここで言う強者とはなんらかのスペックが通常より振り切れてる人間のこと。
年収がめっちゃ高いとかコミュ力が万能とか容姿が超美麗とかスポーツとかで実績を残した…とかまあ色々あるが。
言い換えるならば「ハイスペである、という能力的余裕があって、初めてジェンダーフリーを実現できる」というべきか。
ハイスペは既存の保守的な性役割なぞ気にせず生活を送りやすい。
しかしそういうハイスペではない、言っちゃ悪いが無能な人間はどうだろう。
既存の保守的な性役割を外れると、あっさりジリ貧に陥る可能性が高い。
結局、忸怩たる思いを抱えつつも性役割に沿って生きるか、の二択だ。
いや別にね、「弱者はジェンダーフリーなんて諦めてジェンダーロールに沿って生きろ」なんてこと言う気は無いし、
世の人間がみんなジェンダーフリーに生きられれば良いと思っておりますよ。
ただ、私が言いたいのは「男らしさ女らしさなんてくだらない!捨ててしまおう!」
と言われたとき、あっさり捨てられる人間と捨てられない人間に差がある。
だから弱者にとっては「男らしさ女らしさなんて捨てちゃおうよ!」なんて言われても、
「そりゃ強者の論理でしょ…強者だから簡単に捨てられるんでしょ…弱者は簡単に捨てられないよ…」という印象しか持てないと思うんですよね。
ライトの有無:女性の方が装備率が高い、無論全員ではないし自転車になると無灯火に男女差はない様に思う
回避行動:女性の方が回避行動をとることが多い、こちらに気付き立ち止まるというのはほぼ女性にしか見られない
例外として子供と一緒、犬の散歩中といった自分以外の行動を制限する必要がある場合は、男性も行う
こちらが背後から近づいている場合、男性が振り返るということは上記の様な場合を除きほとんどないが
以上は、男女共に一人の場合であり二人以上になると当てはまらなくなる
特に女性の回避行動の低下は顕著であり全く回避しないという一人の時には、ほぼ見られない行動をとることもある