2020-05-08

ジェンダーロールを降りられるのは強者だけで弱者は降りづらい

結局ジェンダーロールを降りられるのは強者のみで、

弱者ジェンダーロールから降りづらい…って話に尽きるのではないか

まっこと残念な話ではあるが、現代でもなお男らしさ女らしさを求められる局面はまだまだ根強い。

もちろんそういうものへのカウンターとして「男らしさ女らしさとか下らない!解放されよう!」

というメッセージは私も素晴らしいとは思うのだが、ここで問題となるのは、

ジェンダーロールを捨てた結果生じる生きづらさだ。

そしてその生きづらさを補填できる存在こそが「強者」であって、「弱者」は補填しづらいのではないか

(ここで言う「強者」とは年収とか容姿とかコミュ力かにまあ多岐に渡る要素に関してハイスペであることを想定しちょる)

昨今にはジェンダーフリーを標榜する芸能人活動家セレブなど数多に存在しているし、

彼ら彼女らは実にキラキラしていて素晴らしい。

しかしそれこそ彼ら彼女らがジェンダーロールを降りてもキラキラ輝けるのは

まさに「強者」…ハイスペであるからであって、

わいら弱者が彼ら彼女らと同様にジェンダーロールを降りてキラキラ輝けるもんなんけ?って話やんけ。

…結局弱者が取りうる道とは、

ジェンダーロールから降りてドロドロのジリ貧になる」

ジェンダーロールにイヤイヤ適応して平均的に生きる」

…の2つしかないのでは。

いや私は世の人みんな男らしさ女らしさとか下らないものから解放されたら良いとは願っていますよ。

私が言いたいのは「ジェンダーロールから解放されよう!」という主張は結構ですが、

ここらへん「強者ほどジェンダーロールを降りやすく、弱者ほどジェンダーロールを降りづらい」

しいて言うなら『強者バイアス』こそが、

昨今のジェンダーフリー談義において圧倒的に無視されてるのではないか?ってことですよ。

  • まあわかる そもそも降りる降りないの選択をできる時点で十分恵まれているという部分はある

  • ジェンダーはフリーになっても 弱者と強者の境はフリーになってないから 一般的に弱者とみなされるものであっても 新たな価値観を見つけて強者になることが求められているだけで 弱...

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