はてなキーワード: まだ子とは
ストレートな物言いをすると、貧困の原因は最終的には知能レベルに落ち着いてしまうのだ。
一時的な貧困を経験(そのまま息絶えるパターンも当然あるが)してしまう知能レベルが低くない人間もいるが、ある程度の知能レベルがあれば貧困は自力で解決できる問題だ。
私の身近にある貧困は本当にひどい。
自分では全く何をしようともせずに、周りの人間が努力して勝ち得た幸せを引き合いに出して、自分にも幸せになる権利があるという。
その結果、その矛先は身近な人間に向かうから親族からも忌み嫌われるのだが、何がひどいといえばその子どもたちに振りかかる不幸がひどい。
素直で親思いな娘は自らをせめて自殺未遂するし、大した教育も受けないままに金を稼いで来いと言われた息子は勤務先で何年もいいように使われた挙句、要らなくなったらあっさり首を着られる始末。
教育がろくになりたっていないので子どもたちだって表通りでは働くことさえできない。
それなのにその親はまだ子どもたちに金を持って来いと言い、子どもたちがしっかりしないから自分はいつまでたっても不幸だという呪詛を撒き散らしている。
そういう人間に限って、自分には幸せになる権利があると信じて疑わないからお金の使い方がおかしいのだ。
貧困JKの話を見たが、あれをねつ造だと考える人は身近に現代社会における本当の貧困の闇を抱えた人間がいないのだろう。
彼らは貧困じゃないから高い買い物や高級なランチを食べるわけではない。
逆だ。高い買い物をしてしまったり高級なランチを食べてしまうから貧困なのだ。
その実、生活のバランスが崩壊しているので、かたや例えばガスが止まっていることを厭わなかったり、例えば下着を半月くらいなら平気で着続けていたりするのだ。
なぜならそういう贅沢を当然の権利だと信じて疑わないし、むしろ普段の生活に比べればそれをご褒美くらいに思っているのだろう。
一般的な生活水準を満たすことより先に、自らが叶えたいことからお金を使ってしまう、いわば現代特有の貧困がそこにあるといっていいだろう。
はじめに知能レベルという言い方をしたのはつまりそういうことであり、彼らには正しい物事の判断が不可能なのだ。
正しい手順で物事を解決できるということが理解できず、他人は他人と割りきれず、自らの欲求を制御することもできず、借金や世の中の闇に手を染めることに対しても警戒心が欠如している。
問題は、そういう人間からも搾取できてしまう世の中の仕組みにある。
現金主義の時は借りられる金額も限りがあったが、今はそれこそ切り売りできないものがないような世の中だ。
貧困JKは誰でも幸せになれる権利があるなどという幻想を見させておいて、その実搾取される側でしか生きていけない人間がいるという世の中に生じた歪が生み出した不幸だ。
昔のように冬を越せなかった貧困は姿を変え、死ぬ間際まで騙されていることに気付かずに周囲を巻き込みながら搾取され続ける貧困が始まっているのだ。
おっさんだけど最近子供が生まれて育児をしてる。嫁さんは看護師で外に出てて俺は自営だから家で子供の面倒見ながら働いてる。
はてなのみんなもツイッターやってると思うけど、育児の情報をみようとツイッターのタイムラインをそれにむけてるけど、
俺と同じような在宅イクメンは世になんか物申すタイプの女のチンポ騎士だったり、育児垢の目立つ女はうらみつらみの宝庫みたいで、結構面白い。
びっくりするくらい読解力のないやつや、他人と分化できずイライラを溜めているような奴がツイッターでは大人気でフォロワーを
集めていることが多い。
あんたの観点からいうとそれは確かに正論みえるけど、あんたの観点がそもそも社会性に欠けてたり、あまりにシチュエーションというものを
理解しないというものの見方が育児垢では人気になるようで、全く個の狭い世界だなとニヤニヤしている。
嘘、大げさ、読解力不足で騒げたもの勝ちというのはマスコミと同じで、結局どうやってもかわんねーんだな。
昔の漫画やなんかででてくるダメな親像そのまんまでさ、結局僕らも年とっても親の世代たちと同じ、ダメなところはダメなまんま
育児論を語る人がまだ子供小さいのに一日数百ツイートくらいしてて、スマホの上手な使い方を謳ってると苦笑するしかないなってのもいいところだ。
業務上の知り合いの既婚女性から関東から関西に異動になりましたというメールが来た。
確か結婚されているはずだけど、旦那さんが異動になるので合わせて異動したのだろうか。それとも彼女が単身赴任・別居婚になるのだろうか。
たかが業務上の知り合いにそんなプライベートなこと聞けるわけはなくて、気になって調べていたらこんな小町にぶつかった。
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2012/0202/480230.htm?o=0&p=2
男女雇用機会均等法の世界に住む女性は、一億総活躍社会に生きる女性は、かくあるべきなのだろうか。
女性であろうと全国転勤を是とし、別居婚も辞さず、それを受け入れられない女性は最初からお茶汲みを選ぶべきなのだろうか(尤も現代においてお茶汲みに給与をくれる会社はなかろう)。
自分は既婚30代女で、まだ子なし。総合職だが管理職レベルにならない限り大きな異動はない会社で働いている。
男女共に薄給のブラック企業だが、転勤は嫌だったので今の会社を選んだ。
とある全国転勤の総合職の最終面接では「転勤できますか?」と聞かれ、「できません」と答えた。もちろん落ちた。もう今の会社の内定をもらっていたので、この面接には落ちてもいいと思って素直にそう答えた。
弊社においては「転勤しません!」はこれだから女は、とはならない。転勤自体がレアケースだから。ただ、「夫が転勤になりましたので、同じ地方に転勤したいです」はどうなのだろう。
実際、「遠恋の彼と結婚したいので異動させてください」といった先輩後輩は何人か知っているが、成功率は半々くらいだ。叶わなかった子は退職した。
これを小町に言えば「こういう女がいるから女の地位は向上しない」と叱られるに違いない。
転勤を拒む働き方は会社にとって役に立たない人間なのか、そういう働き方が出来ない女が高等教育を受けることは教育の無駄なのか。
この小町の返信を書いている人に「ワークライフバランス」という言葉を投げかけたら「甘い」と言われるのだろうか。
そうやって女性が意識高く働いた結果、別居婚で育つ子供は幸せなのだろうか。
もちろん、女性だけがこういった考慮をしなければいけないことを問題視するなら分かる。
例えば妻が転勤になったので夫が同じ地方に転勤を希望するということも考慮されてほしいというなら尤もだと思う。
多重人格というのは中二病を刺激するらしく、自称多重人格というのも結構いるらしい。彼女の場合は出来るだけ隠そうとしていたし、他の人格も俺が接触するまでは話そうとしなかった。精神的にノーマルじゃない事で、嫌われたり変わり者扱いされるの事を嫌がっていた。気持ち悪いと思われるんじゃないかと言っていた。俺の方はというと、これを聞いたからといって気味が悪いなどと思うよりもむしろ好奇心が勝っていた。昔ドキュメンタリーで見た事ある、多重人格というやつ、どんなものかもっと知りたい。もしかしたら他の人格とも付き合えるかもしれないという平和な事も考えていた。結局は他の人格ともエッチしたりする仲になるのだが。
彼女は所謂メンヘラでもあって、手首には無数のリスカ跡があった。つらいことがあった時、消えてしまいたい、自分なんかいなくなればいいのにと思った時に自分の血を見ると落ち着くらしい。過去に俺の眼の前でカッターで手首を切ろうとしたかまってちゃんはいたが、リスカ跡を見たのは初めてだったので最初は衝撃的だったし、手首を切るのは辞めるように説得をした。ただ強要するのは余計ストレスになって「自分はダメな子だ、いらない子だ、手首切ろう」となってしまうようなので、なるべく落ち着くように「つらい時は話を聞くから、切るのもしょうがないけど、なるべく減らしていこうね、傷も浅いうちにやめようね」と諭すようになった。俺と付き合うようになってほぼ毎晩Skypeで会話していたし、気持ち的に落ち着くことが多くなってリスカの回数はだいぶ減ったようだった。
別の人格が元彼と話をしていると言っても、気持ち的に納得できない俺は、その人格と話をさせて欲しいと要求した。彼女はミユキと名乗った。少し話してみたが、確かにチカとは雰囲気も大分違うし、なにより俺に全く心を開いていなかった。「僕は大人の男の人は嫌いだから」彼女はボクっ娘だったのだ。という事は置いといて、事あるごとにミユキは俺を好きじゃない、信用しないと言った。そして話の中で、さらに別の人格ナツの話が出てきた。
「他にも人格がいるの?」
「ごめん聞かなかった事にして、チヒロがテンさんに知られる事を嫌がってるから」
「チヒロ?」
「チカの普段の人格の事。僕らはチヒロって呼んでる。でも他の人に呼ばれるのは嫌みたいだから、テンさんはチカって呼んで欲しい」
チカは戸籍上の名前、普通の人で言うところの実名だ。この時は何故チカが他の人格の事を知られるのを嫌がっていたのかさっぱりわからなかった。どうやらそんなに普通の人と変わらないよ、私は変人じゃないよアピールだったらしい。彼女たちは記憶を共有しておらず、考えることはバラバラだし趣味趣向も異なるようだ。精神年齢もそれぞれ違う。ナツはまだ子供だった。俺はこの時ネットで解離性同一性障害について調べて、
「この病気を治してあげたい、人格が統合できるように説得してみよう」
等と考えていた。まだまだ解離がどんな病気なのか、全く分かっていなかった。
読者の皆さんも「ジキルとハイド」の名前は聞いたことはあるだろう。俺も読んだことはないが、二重人格で別人格になった時に殺人事件を起こすという話は聞いたことがあった。ずいぶん不思議なこともあるもんだと思っていた。多重人格のドキュメンタリーでは、一人の人間の中に人格が10以上いること、それぞれ筆跡も違うし考え方も違う、統合はじっくり時間をかけて行う、患者は幼い頃性的虐待に遭っていることが多いなどの説明がされていた。このドキュメンタリーを見た時には性的虐待とどうして結びつくのかよくわからなかった。
幼い頃、まだ人格の形成が完了する前に継続的に性的虐待を受けると、虐待のストレスから逃避するため「これは私じゃない、今虐待されてるのは自分じゃないんだ」と思い込んで逃げることがあるらしい。これを何度も繰り返すと、脳が虐待体験を自分の記憶として保存することを拒否する。そして自分が今ここにいないような感覚になったり、ある期間の記憶がなくなったりする。これが解離性障害と呼ばれる症状らしい。その記憶は完全に消えて無くなったわけではなくて、その記憶を持っている部分が普段の自分とは違う人格を形成し始める。それぞれの人格は記憶が違う、つまり経験していることが違うので、いろいろなものに対する考え方も異なるし性格も違う。それだけではない。虐待から逃避するために生まれた人格は虐待に対してつらいなどの感情を持たない。そういう感情を抱かないことによって、虐待に耐えるという精神的なテクニックなのだ。小さい頃にこの能力を獲得した人は、成長してからもつらい事があると解離して人格を生み出す事がある。
生まれ持った最初の人格の事を基本人格という。この基本人格が生活の基盤になっていてつらい時に他の人格が出る人もいれば、基本人格は引っ込んだままで普段の生活は別人格が行っているという人もいる。人格同士は基本的に記憶は共有しないのだが、他の人格が表に出ている時に頭の中で起きていて、外で起きた出来事を他人事のように見てる時もあれば寝てる時もあるという。人格にはそれぞれ役割分担や能力分担があるので、人格によっては他の人格の記憶を一部のっとったり、突然身体の支配圏をとって行動したりできるものもいる。人格間の会話もできるものもいれば、存在するのはわかってるんだけど探しても見つからない子もいる。
チカは小さい頃、よく記憶が飛んで自分が何でここにいるのかわからない事があったという。それがチカにとっては当たり前なので、てっきり周りのみんなもそうだと思っていたがだんだん人と違うことに気がついたそうだ。中学校でいじめに遭い、鬱を患ってから心療内科に行くようになり、医者と相談しているうちに「記憶がないのは解離性障害、他の人格がいるのは解離性同一性障害といい、他にもこういう人はいる」という事を知るようになる。そして治療を続けてるうちにチカに協力的なミユキやナツとは会話ができるようになり、お願いして意図的に人格交代することができるようになったようだ。
あたしはジジババが嫌いだから少しでも若者の投票率上げようと思って行ったクチだけど、あたしなりに思った事を書きます。
正直、選挙って名前売ってなんぼじゃん!?どんなに素晴らしい演説してもどんなに素敵な公約を掲げてても、名前と結びつか無かったら意味無いじゃないですか。あたしの学校では新聞が掲示されたりしてたけど、18歳って言っても受験だし受験じゃないにしても就職?だし。受験生とかまじで目先の事で精一杯なわけ。だから全然情報入ってこないし名前と公約が結びつく事とか超稀だし。
18歳は大人が思ってるより忙しくて、しかも大人だってきっと目先の事で手一杯な人達ばっかりだと思う。
そんな時に、明確に日本あるいは自分達の生活が劇的に変化するとも言えない自分に関係ないと思いがちな選挙に参加するって、相当エネルギー使う。公約とか調べるのも正直面倒だったしその間に英単語覚える方がいいなって思った。だって政治家よりも行く大学の方があたしの人生変えると思うもん。
あと、あたしが田舎に住んでるのもあるかもしれないけど、若者に公約伝える気ある!?とも思う。今の演説って昼間選挙カー走らせたりするけど昼間そんなん聞くのジジババしかいないでしょ!忙しい若者はわざわざ新聞も読まないし演説も聞かないんだからLINEニュースとかTwitterとかあたしたちにもっと公約伝える努力して欲しい。上から目線だけど。
あと今見てるけど18歳はもっと賢い人も多いんだから代表って感じでニコルん出されると違和感。あたしはまだ子供っておもうし携帯没収されるよーなあほだけど、毎日8時間授業受けてニコルんと一緒にされたらやじゃない!?底辺進学校だからあたしより頭いい人も腐るほど居るでしょ!マスコミは頭いい18歳に媚びうるべきじゃん!?
一人はすでに二児持ちのS子。
二回ともできちゃったーと言っていた。
それは嘘だ。30過ぎてできちゃったはないだろ。
彼女は保育園に確実に入れるようにタイミングをみて4月生まれと6月生まれを作った。
保育園激戦区で早生まれは不利だし、彼女の家から一番近い保育園が月齢8か月だからだ。
一方私はなかなか妊娠できなかった。
二年くらい頑張ってやっとできた。
その間彼女が第二子を妊娠し、子供の話ばかりするのが苦痛だった。
私の妊娠を報告してもおめでとうはなかった。
それどころか私の子の予定日を聞いて
うわーその頃大変だね、あれもこれも○月生まれだと大変だね。
ばかりだった。
というかツイッターはやめた。
もう一人は既婚でまだ子供がいないM美。
だがなかなかできないと。
生理が不順なのに基礎体温も測らず、セックスも面倒だとも言っていた。
私はS子に感じていた羨ましさを思い出してあまり自分から妊娠出産の話はしなかった。
LINEのグループでM美が発言する時は必ず私のいない時になった。
やはり私がS子がうっとおしかったようにM美は私をうっとおしいと思っているのだろうか。
そう思うようになった。
今ではM美がどうしてるかも知らない。
新世紀エヴァンゲリオンに対するファンの感想として
14歳の子供にそんな事させるな、もっと優しくしろ、という意見があまりにも多いのでどうも違和感がある。
そりゃあ大人か子供かという二分で言うならば14歳は確かに子供だ。でもそこまで小さい子扱いされる年なのかな?っていう。
しかも作中ではセカンドインパクトで人類の半数が滅びたという設定。
それならば人手不足で成人年齢が下がったり、子供だからといって厚遇する事もなく労働力として期待するような世の中になっている方が自然なのではないかと思う。
現実のこの日本においてさえも、エヴァのチルドレンの年齢である14歳、中学二年生というのは部活などで下級生が入ってきて
いわば中間管理職として責任を負う立場でもある。中一ならまだ子供と言われても分かるが中二にそこまで子供という印象はない。
つまり普通の14歳というのは自分達よりも年下の人間と日常的に接する事になるのでけして「子供なんだから優しくして!甘やかして!」と言っていられる立場ではない。
エヴァではシンジ達の下級生って出てきたっけ?サブキャラに名前ありで中一の子がいてもよさそうなんだけど、いなかったような。
トウジの妹も設定としては存在するが2014年では姿を見せず、Qで14年経って20代の姿でシンジの前に現れる。
この14年の間に新たに生まれた子供もいるだろうにそれらしい子供が姿を現す事もない。
もしかして、意地でもシンジを最年少のままにしておきたいんだろうか。
そんな大変な状況では子供だからといって特別扱いはしていられないしそれがリアルだよなあと思った。
主人公アムロは15歳だがホワイトベースにはそれよりもずっと小さな孤児達が乗っていたのもよかった。
Zでもアーガマには孤児達が載っていたし、ZZのジュドーは14歳だが妹の面倒を見る兄だった。
史上最年少パイロットのVのウッソでさえも年下のスージィや赤ん坊のカルルマンが周りにいた。
ガンダムは基本、主人公を子供だという理由で甘やかさず、多彩な年齢層の織り成す人間関係の一つのピースとして客観的に描いているのが分かる。
一方エヴァはどこまでもセカイ系、主人公を中心とした箱庭世界なんだなって感じ。
もしもエヴァに本当の意味での終わりがあるとすれば、それはシンジがチルドレンを卒業し大人になる事ではないか。
名作駄作問題作など問わず、なんとなくみんなに見てほしいものを挙げていく。
この映画の話で盛り上がりたいって感じのノリで。
TVシリーズの劇場版とかもあるので単体で見て面白いかとかもあまり気にしてないので御承知を。
寝たきり老人・高沢喜十郎はある日突然最新型介護ロボット「Z-001号機」のモニターに選ばれ、ボランティアで介護を行っていた看護学校生の晴子はお役御免となるが、介護ロボットに全てを世話される喜十郎をかわいそうに思い、彼の救出を決意する。ところが介護ロボットが暴走をし始めて……。
という高齢化社会を痛烈に批判したSF作品……かと思いきや、作品自体は完全なるコメディで、見ていて超楽しい。
大友克洋がメカニックデザイン、江口寿史がキャラクターデザインという豪華なコンビで、作画的にも沖浦啓之、今敏、黄瀬和哉、井上俊之、鶴巻和哉、本田雄、森本晃司、大友克洋、中澤一登、松本憲生……と挙げきれないほど有名なアニメーターが参加していて、クレジットだけで作画オタクはご飯3杯は余裕である。
江口寿史によるキャラクターがとてもよく、まず主人公の晴子がめちゃくちゃかわいい。そして元気な老人たちの存在感、さらには晴子の友達の絶妙なブサイクさ。
80分という時間も絶妙で、気軽に見てほしい。社会問題を扱いながらも妙に心が温まる不思議な作品。
いわずと知れた夭折の天才・今敏監督作品。彼の監督したアニメ映画は4つしかなく、1日あれば容易くファンを名乗れるのですぐツタヤで借りてファンになりましょう。
彼の映画はどれもが90分前後という上映時間でありながら、非常に濃い。
その中でも東京ゴッドファーザーズは視聴後の多幸感にかけてはピカイチで、一番エンターテインメントとしてわかりやすい作品と言えるかもしれない。
次々と転がり込む御都合主義のような幸運。これが気持ちいいのだ。
メインキャストを務める江守徹、梅垣義明、岡本綾といったメンツも、非常にいい仕事をしている。
近年では四畳半神話大系やピンポンなどの監督で有名な湯浅政明の初監督作品。初監督でありながら、文化庁メディア芸術祭でハウルの動く城、イノセンス、スチームボーイをおさえて大賞を手にした。
何よりすごいのは映像で、イマジネーションに溢れたその映像はどんな言葉よりも説得力がある。
後に著作・四畳半神話大系が湯浅監督によってアニメ化されることになる森見登美彦氏も、「迫力でちょっと怖がった」そうである。
最初はその独特な世界に戸惑うかもしれないが、終盤の脱出シーンを見ればもはや何も文句は言えまい。
説明不要のうる星やつら劇場版。押井守監督の最高傑作として名前が挙がることも多い。
映画としての評価は大変に高いが、これがうる星やつらなのかといわれると、別の何かなのかもしれないという感じがしてくる。
お祭りのわちゃわちゃの中に、不意に違和感を感じさせるものが入ってきて異世界に入り込んでしまったようになる。そういう描写がたまらなく好きである。
意味がなさそうでありそうな、哲学的な長セリフも本作の特徴で、言葉にできない不思議な魅力が詰まっている。
宮崎吾朗の才能を信じてもいいかもしれない、と感じさせてくれた一作。ジブリファンも本人もどうしても宮崎駿の影を追ってしまわざるを得ない環境の中、よくこれを作った。
そもそも脚本に宮崎駿が参加しているし、プロデューサーも鈴木敏夫だし、どう考えても往年のジブリ作品の系統として作られたのは間違いない。
おそらくは宮崎吾朗が制作を完全に仕切っていたわけではないのだろう。しかし、映画の端々には宮崎吾朗の味が感じ取れる気がするのでこの映画は何かすごい好きである。
カルチェラタンの描写には明らかに押井守の影響が感じ取れるしね。
『ローニャ』国際エミー賞子どもアニメーション部門受賞おめでとうございます。
眉村卓の小説『ねらわれた学園』を原作としたほぼオリジナルのアニメ。
原作のSFっぽい感じは薄まっているが、逆に薄めたことでSF的な部分がわかりにくくなった。
『あいうら』『灰と幻想のグリムガル』でおなじみの監督:中村亮介、キャラデザ:細居美恵子のコンビと言えば映像目的だけで見たくなる人もいるだろう。
ふとももに注目せよ。まずはそれだけでいい。
健康的なフェティシズムに溢れたキャラクターと美麗な映像を堪能あれ。
ポニーキャニオンが開催したアニメ化大賞という賞で大賞を受賞した『D.backup』を原案にしたオリジナルアニメ。
原案の拡張性ある世界観と、(おそらくは)予算的にギリギリだった1時間という枠と、とにかくキャラクターのかわいさを押し出したいポニーキャニオンと、映像の美しさを追求したい石浜真史監督とが相乗効果を生んだような生んでいないような作品。
序盤はありがちな魔法少女的なSF作品かと思うかもしれないが、終盤には急展開が続き、頭が追いつかない。
それもそのはず、脚本の志茂文彦によれば、映画の後半部分はほとんどコンテ段階で監督が構成したものらしいのだ。
序盤の丁寧な世界観説明と比べて、終盤がややこしいのは、監督がセリフに落とさず映像に込めた部分が多かったからなのである。
さらに、後のトークイベントでは、コンテにすら描かれず、スタッフにしか伝えられていない裏設定が大量にあることが明かされ、「偏差値70のアニメ」との烙印が押された。
監督:舛成孝二、脚本:倉田英之、キャラデザ:石浜真史という『R・O・D』トリオで制作された劇場アニメ。
舛成・倉田は『かみちゅ!』というTVアニメを手掛けていて、劇場公開に合わせてNHKBSでかみちゅ!が再放送されたりBDが発売されたりした。
黒沢ともよの声優デビュー作品でもある。当時はまだ子役であった。
夏休みの子供向け映画といった趣であったが、子供に136分は明らかに長すぎる。ある程度のアニメファンならばこの尺は耐えられるし、楽しめるだろうと思われる。
作画がぶっ飛び過ぎていて、作画的にはスペースダンディ劇場版とでもいうべきレベルである。
そして、主人公の少女の健康的なエロさがなんとなくにじみ出ていて、制作者はロリコンなのか?という疑惑が湧いてこないこともない。
海外の映画祭に出品されたりして、結構アニプレックスが期待していたのが窺えるが、やはりなかなか商業的には上手くいかなかったようだ。
上映時間の長さや、超新星爆発についての描写などの細かい部分を除けば、十分に面白い作品であるといえる。
3時間弱。長い。が、しかし、エンドレスエイトを経験したファンの不安を一掃するほどの高クオリティでアニメ化された作品である。
それまでの京アニの集大成といってもいい。内容については特に言うことはない。
けいおん!で注目された山田尚子監督によるオリジナルTVアニメ『たまこまーけっと』の劇場版。
『たまこまーけっと』ではいまいちヒットせず微妙な評価に留まっていたが、これが公開されるとたちまち好評となり、文化庁メディア芸術祭アニメーション部門では新人賞を受賞した。
TVシリーズは、舞台となる「うさぎ山商店街」の絶妙で温かな空気感を楽しむ作品であったが、本作ではわかりやすくラブストーリーにしたことで、デートムービーとしても見られる非常に間口の広い作品となった。
どちらの方が良かったとかではなく、単なる魅力の伝わりやすさの違いである。
とはいえ『たまこラブストーリー』は卓越した作品であり、山田尚子の代表作として語り継がれるのは間違いないと思われる。
『イヴの時間』などで知られる吉浦康裕監督作品。彼の作品の特徴は何といっても「発想」にあると思う。
独特の間も特徴ではあるが、基本的に彼の作品はある「ギミック」が作品の根本となっていることが多い。
なので、下手に前情報を入れて見に行くよりは、何も知らずに見て新鮮な驚きを感じた方が良い。
この作品もあるギミックが重要なのでそこを面白いと思うかどうか、そこが評価の分かれ目である。
つい先日無期限の休養を発表したヤマカンこと山本寛監督の、いわずと知れたアイドルアニメである。
彼についての悪評やバッシングは絶えないが、個人的には彼の作品は好きである。
この『Wake Up, Girls!』というシリーズは、まずTVシリーズの前日譚として『七人のアイドル』という中編映画があり、続いてTVシリーズ全12話、そして続劇場版の中編2作といった流れである。
TVシリーズ放映時は緊迫したスケジュールによる作画の乱れで物議を醸したが(BDでは修正された)、続劇場版(特に前篇)では非常によく動く。
このまま彼がアニメ制作の現場に戻らないとすれば本作が彼の遺作となってしまうが、遺作の呼び名に恥じない出来の作品であるということは声高に主張したい。
「ハイパーリンク」と称してキャラクターの中の人のパーソナリティや実際の出来事を反映する手法の効果は、続劇場版で見事に結実した。
アニメの創作性と現実の偶然性が合わさってとても気持ちの良いサクセスストーリーになっているのだ。
後篇の『Beyond the Bottom』は田中秀和による同名の主題歌も相まって、非常に神々しい輝きを放っている。
神前暁も「これを超える曲をこの先作るのは大変」と太鼓判を打った。
アニメ界の王子、イクニこと幾原邦彦が初めて監督を務めた劇場作品である。
この時点から彼の演劇的な作品づくりの手法は発揮されている。
庵野秀明は映画館で本作を3度も観たらしく、緒方恵美が演じた衛の少年時代の声を聴いて『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジ役に抜擢したというのは有名な話である。
TVシリーズの再構成ではなく、全く新しい解釈で制作されたオリジナル作品。
作画的な制約もあったTVシリーズと比べ、かなり大胆に脚色され、より過激となった映像美はまさに唯一無二。
突き抜けすぎて、終盤の車のところでは何が何だか分からなくなってポカンとしてしまう人も少なくないという。
「王子」こと及川光博がゲスト声優として出演しているのもポイント。
『京騒戯画』『血界戦線』などで知られる東映アニメーション出身の気鋭の演出家・松本理恵の監督デビュー作品。当時25歳。
『ハトプリ』はプリキュアシリーズでも人気の高い作品のひとつだが、この劇場版も非常に人気が高い。
パリを舞台にしていて、OPでのスタッフクレジットが背景に溶け込んでいる演出の時点で何かが違うぞと感じさせる。
メインキャラクターのTVシリーズでの成長・感情の変化をきちんと物語に取り入れつつ、本作オリジナルキャラクターであるオリヴィエとサラマンダー伯爵の切ない関係を描き、多くの視聴者の胸を打った。
『劇場版アイカツ!』でなくてなぜこれを挙げるのか、疑問にお思いだろう。
というのも、私は熱心な『アイカツ!』フリークで、アイカツ!を見始めたのなら劇場版アイカツ!を見るのはもはや自然な流れで、あえて挙げることではないという認識でいるからだ。
ということで、あえてアイカツ!を見る入り口として薦めるのであれば、CGステージをかき集めたこれが良いだろうと思い、挙げた次第である。
アイカツ!の楽曲のジャンルの幅広さ、CGステージでの綿密に練られたカメラワーク、そしてアイカツ!という作品世界の持つ空気感を少しでも感じてくれれば後は言うことはない。
少女向けアニメの最高傑作との呼び声も高い『カードキャプターさくら』、その集大成となる第2弾劇場作品。
ラストシーンでは年齢性別問わず多くのお友達をキュン死させ、多くの大きなお友達はそのままゾンビとなった。
ポケモンの映画といえばミュウツーの逆襲だったり水の都の護神を挙げる人が多いが、私はこの作品を挙げる。
70分という短さに詰め込まれた「家族愛」というテーマは、子供よりもむしろ親の方に深く響いたことだろう。
当時劇場で見てリザードンに興奮した子供たちも、今改めてみればまた別の感動を味わうに違いないはず。
テレビアニメ『楽しいムーミン一家』の劇場版であるが、本作はテレビアニメの前日譚となるエピソードの映画化である。
『楽しいムーミン一家』はもっと語られていい傑作アニメであり、本作ももっと多くの人に知られて欲しい。(旧ムーミンのファンには申し訳ないが……)
子安武人演じるスナフキンによるシュールな悪口が聴けるのもこの作品。
いわずと知れた名作『ルパン三世 カリオストロの城』と同じ1979年に公開されたアニメ映画である。
実はこの年の邦画の配給収入で1位を獲得している。
70年代を生きたアニメファンにとっては有名も有名だが、今では知名度はカリオストロよりも低くなってしまっていて、金曜ロードショー恐るべしといった感じである。
エンディングに流れるゴダイゴのあの有名な主題歌を聴いた時、あなたはきっと涙を流しているはず。
90分弱に詰め込まれた圧倒的な熱量!THE出崎統!
世界はもっと出崎統を評価せよ。
BD・DVDがプレミア化し、配信・レンタルでも見られなかった傑作が、ようやく今年BDの再発売によって見やすくなった。
7月22日発売です。
物静かで友達も少なくて1人で本を読むのが好きなタイプの大学生のお姉さんと、
生意気で覚えた知識を披露したくてしょうがないちょっと調子に乗ってる系の小学生の女の子が、
たまたま二人でお出かけすることになり、
スマホの道案内を使って先導する小学生の女の子だったが、お手洗いに行きたい、ということが中々言い出せず我慢しきれず道でお漏らしをしてしまい、
お姉さんに粗相の後片付けをしてもらった上に、年上なのに気遣いができなくて申し訳なかった、とお姉さんに謝られて、
人間としての器の大きさとか、自分がまだまだ子供であることを自覚した小学生の女の子が気を許し、
アイマス声優になったのは偶然なので、プロデューサーの人は気にせずアイドルの名前を上げてもかまいません。(つうかアイマス声優多いねん! ラジオも山ほどやってるから自然と知る機会が増えるしさあ)
未確認で進行形の姉妹になったのも偶然ですから、荒井チェリーファンも気にせず三者三葉の声優をあげてもかまいません。
りりくる声優になったのも偶然ですが、今WindowsないのにDMMで購入してダウンロード中なのと関係はありそうな気がしなくもないです。
経験上,35を過ぎて結婚してるのに子供を作ってない奴はどこかがおかしい
結婚してて子供作ってない奴はちょっと何かが欠落してるというか,サイコパスもしくはアスペ的な奴が多い
介護とか貧困とか致し方ない事情がある人がいることも分かっているが
そういう人は全体の1割もいない
個人的に感じているのは,その手の大半は「変化を許容できない」タイプの人間
結婚は恋愛の延長線上でどうにかなるけれど子供ができるとそうはいかない
自分自身が変化せざるを得ないし子供の成長に応じて変化していくしかない
現状に満足していなくとも不満の無い状態が長く続くと「変化を許容」できにくくなると感じている
イカちゃん、昨日はこどもの日だったね
まだまだ子どもっぽいところもあるのに、それに不釣合いに育った身体つきに、おじさんのリビドーは今にもはちきれんばかりだよ
ふう
そろそろコミックまた読まないと禁断症状が出始めた
イカちゃんはパンツをはいているのかという問題について、原作1巻の巻末おまけマンガで水着きてるっていう解説あったから作者にはマジ感謝
しかも最高なことに、イカちゃんが自分でスカートまくって水着見せてる絵面だったからうほーっ!!!!!!ってめっちゃ鼻息荒くなったわ
例えるなら水木しげる作品ではナイキめっちゃ荒くなってる絵あるやん
あんな感じ
マジ最高
定時で帰ってイカ娘よも
できちゃった結婚をした夫婦すべてのケースではないと思っているが、
奥さん妊娠中に旦那が浮気→子供が産まれてすぐ離婚→シングルマザー
こんなケースが多い。
たぶん子供ができなかったらゆくゆくは別れていたようなcoupleだったんだろう。
子供を産んで育てるのって、大変なことなのに、なんでこんな自分勝手なことができるんだろって思う。
そんなことするなら子供作らなきゃいいのに。
昔、避妊失敗→アフターピル飲んで体調をくずしてから、もうゴムは信用しないことにしたんだ。
「本当に相手の事が好きなら、なんで避妊するの?できちゃってもいいじゃん。結婚すれば。」
そうなのかなあ。
私は彼氏のことが好きだけど、子供を産んで一緒に育てる相手とはまた違う気がしてしまってる。
彼氏もおそらくそう思っている(現に、3年付き合って結婚のけの字も出てこない)。
子供の一生がかかってるのにそんな勢いで子供こさえるのって違うと思う。
ましてや保育園落ちただのなんだのって生きづらい時代なのにさ。
ちなみにその数ヵ月後その友人はよった勢いで外国人に避妊せずやられて、散々なめにあっていた。
避妊は大切だよ。
一般的な育ち方をした人の、あるケースを想定したもので、全部これだと言っているわけではない。
子供のころは=「まだ子供だから」と大事にしてくれたり可愛がってくれたり『善意』にあふれている。
大人になると=「もう大人だから」と大事にしてくれることは少なく(”重宝”されることはある)身内以外の『善意』に接することが少ない。
※いろんなことひっくるめて強引に『善意』とまとめたので定義は気にしないで。ニュアンスです、ニュアンス。
大人になると『善意』の稀少さを肌で感じる。
けど、それが大人として当たり前だと思ってしまうから、とくに意識することはない。
ゆえに、たまに『善意』に触れると感極まって(嬉しさ・もう自分の身近にはないものに対する切なさとかに)涙してしまうんじゃないかな。
と、探偵ナイトスクープの感動回みてて思った。
某連れ去り事件の件。
同じ13歳でも成長にはだいぶ個人差があるし、まだまだ子どもっぽい子もいれば、もはやオバハン風の貫禄出てる子もいる。平均的に現代の少年少女の発育は早いから、中学生にもなれば大半が初潮を迎えているだろう。また、童謡『赤とんぼ』の歌詞にも「姉やは15で嫁に行き」とあるし、これは数え年だから今の14歳を意味していて、ようするに女子中学生くらいの年齢になれば男の性的対象になってもおかしくはないということ。
だからといって現代社会で女子生徒が性犯罪に巻き込まれていいと言ってるわけじゃなくて、女子中学生=子どもだから性的対象になるのはおかしい、というのはあまりにも建前の議論に引きずられすぎていて、むしろ少女たちの現実に目を背けることになっていると思う。もはや女性は中学生くらいの歳になれば肉体的にはほぼ完全に成人と同じで、それ故に性犯罪に巻き込まれるリスクが十分に増えるということを常識としておいた方がいい。
女子中学生は精神的には確かに子どもで、そして子どもでありながら肉体は大人であるからこそ、様々な悲劇を招きかねない。だからこそ、大人の側が「まだ子どもだから」ではなく、「ほぼ大人だから」という認識で、彼女たちを守る意識を持たねばならないだろう。女子中学生を狙うのは極稀な異常性癖の持ち主ではなく、ごく普通の性欲を持った悪しき考えを持つ大人たちなのだから。